151話 ソンとの決着〜其の参〜
ソン本陣。
アヤメとヤスケは共に天幕の中に居た。外では走り回る兵の足音や声が絶え間なく聞こえてくる。常に周囲を自軍の兵が動き回る、何処よりも安全な場所だった。
本来ならばアヤメもヤスケもこんな所に居て良い人間ではない。
だが、いつ何処で何処から敵に狙われるか判らないのに陣に無防備に居座ることは出来なかった為に仕方なく用意したのだ。
「シゲンとバンドウは上手くやっているかしら」
「んな心配してたらキリねえぞ」
独り言のように呟くアヤメの言葉を即座に両断するヤスケ。アヤメはヤスケの言葉に少しむっとして、
「何よ。心配くらいいいじゃない」
と言い返す。
「ま、それで気が済むんなら別にいーけどよ。でも俺もあいつらも死ぬ覚悟は出来てるんだよ。ここは戦場で、命の獲り合いをするのが仕事だからな。殺し殺されるのが俺らの常だ、ま、運が良ければ何かあっても生きてるだろーよ」
しかしヤスケは冷徹に返答する。あまりにも素気無い返答にアヤメはため息を吐いてから椅子に座って机に肘を乗せて頬杖をついた。
「はあ……。何も出来ないっていうのは嫌ね。つい余計なことばかり考えちゃう」
「なら勝った後のことでも考えてろよ。ラナは元々善政を敷いてるトコだ。俺たちへの風当たりはきっと強えーぞ?」
「そうよね。カンナと、あとはカレンさえ確保すれば最悪の事態にはならないとは思うけど、わたしたちは誰もカレン・ラナの顔を知らないのよね。密偵を送っても何の情報も得られないどころか酷い時は死体が送り返されたりとかするくらいだし」
「本当に存在すんのか?」
ヤスケが疑問に思うのも仕方のないことだった。ラナの国民ですら顔を見た事が無く、城内でもカレン・ラナの顔を知っているのはカンナのみ。そして知ろうとすればその人物は消されてしまうのだ。いっそ、カンナ・オダがラナという土地を纏め上げる為に用意した虚像なのではないかとすら思ってしまうほどだった。
しかしアヤメは確実にカレン・ラナは実在していると睨んでいた。
「居るわ、絶対に。カンナはカレンに執着してる……ううん、ちょっと違うかしら。カンナはカレンのことが自分の命よりも何よりも大切なのよ。カレン・ラナという存在そのものがカンナの生きる意味……みたいな」
「何を言ってんのか分かんねーや」
頭を掻きながら興味無さげなヤスケの様子に、アヤメは苦笑する。
「そうね。わたしも分からなくなってきちゃった」
先程までの緊張感はやや薄まり穏やかな空気が天幕の中に流れ始めた。
「その通り。カレン・ラナは実在します…にゃ」
「「ッッ!!!!??」」
アヤメとヤスケは瞬時に跳び退き天幕から転がり出るようにして外へ出る。
天幕の周囲には何故か人気が全く無く、いつの間にか無人となっていた。ソンの陣地の真ん中なのに、だ。
二人は身構えて天幕の中を睨みつける。すると、影から実体化するかのように姿を見せる一人の少女の姿があった。
「見た目に騙されんなよ。アレがお前を狙ってる黒猫だ」
腰の剣を抜きながら目を離さずに言うヤスケ。
「嘘、貴女が……?」
アヤメは見るからに自身と同じか更に幼い少女の姿に困惑し思わず問いかけるが。
「───ッ」
少女のアヤメに向ける視線は憎悪によって揺らめき息を飲む。今、ハッキリと理解した。アレは敵であると。
「私はクルクル。アヤメ・ソンには捕獲の命が下っています…にゃ。抵抗するなら手足の一本は斬り飛ばしますのでお覚悟を」
感情を抑圧したような少女───クルクルの声にアヤメの身体は震え上がる。
きっと捕獲の命が無ければ、彼女は迷わず命を奪いに来ただろうことが容易に想像できた。
「……わたしを捕獲して、如何するつもりかしら」
しかしアヤメは身体の震えを気合いで抑えつけ、会話をしつつ逃げる隙を窺おうとする。
「さあ、そこまでは。興味も有りません。ですがまあ、主への献上品としては悪くはないんじゃありませんかにゃ」
そう言ってジロジロとアヤメの身体を見るクルクル。視線はアヤメの顔から胸、腰、腿と流れていく。その視線から身を守るように両腕で身体を抱きかかえるアヤメ。
「慰み者にでもするつもりかしら」
「それも選択肢の一つではありますかにゃ」
「そう。それで、さっきの事は聞いて良いかしら?」
自身のことへは興味などないと言わんばかりの態度にクルクルは一瞬だけ眉を寄せたが、その後に続く言葉に「ああ」と声を漏らした。
「カレン・ラナのことですか…にゃ」
「ええそうよ。何故貴女は知っているの。会ったことはあるの?」
「それを知りたければ、降伏することをお勧めします…にゃ」
「それは無理ね」
「では交渉は決裂……ですか、にゃ!」
クルクルはその場から跳び退き、そのすぐ後にヤスケが先程までクルクルが居た場所を斬りつけた。
ヤスケは刃が空を切ったことを確認してすぐに横に転がりながら回避すると、ヤスケが居た位置に三本の短剣が突き刺さっているのだった。
「アヤメ、逃げろッ!!!」
「……ッ、分かったわ!!」
「逃すと思いますか…にゃ?」
背を向け走り出すアヤメを守るように立ちはだかるヤスケ。
クルクルはさして気にした様子もなく、両手に二本の短剣を握りながら低姿勢で駆け出した。
「行かせねーよッ!!」
ヤスケが一撃の重さよりも速さを重視した太刀筋でクルクルを牽制するが、その全てを見切られ回避されてしまう。
「……まじかよ」
そしてクルクルはヤスケを無視してアヤメを追い、すぐに追い付き押し倒すのだった。
「ぐっ……離しなさい……!」
うつ伏せに押し倒されたアヤメはなんとか抵抗して逃げようとするも、
「黙りなさい」
頬を掠めるようにして振り下ろされた短剣が地に突き立ったことで抵抗することをやめた。
「素直な良い子は好きですよ」
そう言いながらさっとアヤメの手足を拘束するクルクル。ヤスケが追い付いた時には、既にアヤメは拘束され終わった所だった。
「アヤメ……ッ。今助けるからな!」
再度斬りかかるヤスケだったが。
「目障りです…にゃ」
振り下ろした剣はクルクルの短剣に弾かれ、吹き飛ばされてしまった。
「嘘……だろ」
斬り下ろしは完璧だった。力も速さも、タイミングも。まともに受ければひとたまりもない筈だ。だがクルクルはヤスケの全力の一撃を片腕の一本の短剣で止めたのだ。
「今のが見えないようであれば、貴方はまだ私の前に立つには役不足です…にゃ。さて、では暫く眠っていてもらいましょう」
そう言うとクルクルは慌てて離れようとするヤスケの懐に滑り込み、鳩尾と顎を強打した。鳩尾を殴られたことで呼吸が止まり、顎を殴られたことで脳が揺れる。ヤスケは腹部を抑えたままうずくまり、「畜生……」と呟いて意識を失ったのだった。
「ヤスケッ!!」
「貴女も、少し眠っていると良いですにゃ」
「えっあ……」
手を伸ばそうとして、しかし既に拘束されていたことでそれが叶うことはなく。
首を叩いてアヤメを気絶させたクルクルは、ヤスケは残し、アヤメは引きずってその場から離れるのだった。