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148話 ソンの決意

 ユサの地にある砦の一つ。

 ラナとユサとの境界からおよそ二日の距離にあるそこまで後退したソン軍は、追っ手を警戒しながら暫しの休息を取っていた。

 しかしながらかなりの兵力を割いた水上部隊を壊滅させられたこと、兵力に遥か劣るラナに敗北したことで下は勿論上の兵士に至るまで顔色は優れず、士気は相当に落ち込んでいた。だが未だ戦意は喪失しておらず、逃亡兵が出ていないことだけが救いだろう。


 だが四天王にしてソンでも最古参の老将ヒコノシンが生死不明の状態に陥ったことは、誰の心にも深い影を落とした。

 それは同じ四天王である彼らにとっても同様だった。


(じじ)い……」


 老将ヒコノシンの孫、ヤスケである。

 ヒコノシンと同じ牛の耳尾と角を持つ彼は砦の壁上からラナの方角を眺めながら手に持った徳利を逆さに返した。

 透明な液体が宙を舞い上から下へと流れていく様子を見つめながら、


「何が生死不明だよ、このクソ爺いめ。勝手に一人で突っ走りやがって……。そんなだからいつも婆ちゃんに叱られんだよ」


 と零す。既に祖母は他界したが、自分にはとても優しく、祖父には優しくも厳しい人だった。

 今ヤスケが徳利を逆さに返しているのは、亡くなった祖母の代わりに叱り泣いてやっているだけなのだ。


 そんなヤスケを、遠くから見つめる三つの影。

 アヤメ・ソンとシゲン、バンドウである。

 シゲンとバンドウは四天王になる前の未熟な時から世話になった恩人の不在に心を痛め、アヤメは本当の父のようであった人の不在に心中で泣いた。

 ヒコノシンは、ソンに仕えた経歴がとても長い。ソンに住む人間なら老若男女に至るまでその名が知れ渡るほどの人物だ。

 生死不明とはいえ、生存はほぼ絶望的であろうことは全ての船団が壊滅したと聞いた時に予想は出来ていた。だからこそ精神的支柱となっていた老将を欠いた状態で再び戦場に向かうのは何としても避けなければならなかったのだ。


「ヤスケ……」


 アヤメがシゲンとバンドウを伴ってヤスケの側まで歩み寄る。

 ヤスケはゆっくりと流していた徳利の水が流れ切ったのを確認してから、振り向いた。


「ん、どーした。そんな情けない顔しやがって。んな顔してっと、元々少ない嫁の貰い手が更に居なくなるぜ?」


「余計なお世話よこの馬鹿!!」


 ヤスケの言葉に一瞬で目を吊り上げて怒り出すアヤメ。だがすぐに表情を綻ばせると、苦笑を浮かべながら


「でも良かった。もう大丈夫そうね」


 と言うのだった。


「心配かけたつもりはねーんだけどな」


 頭を掻きながら答えるヤスケに、アヤメの背後に控えるバンドウが答えた。


「そう思っているのは貴公だけだ。ヒコノシン殿は貴公にとって身内だろう」


 それにシゲンも続く。


「そうだ。身内の不幸を悲しむのは人として当然のこと。まあ、その様子ならとうに心の整理はついているようだが」


「まだ戦は終わってねーだろが。ンな感傷は、全部が終わってからにするっていつも決めてんだよ。それより何だよ、こんなとこにわざわざ集まってよ。これからの方針でも決まったか?」


「そのことだけど、一度わたしたちはソンまで退こうと思うの」


「……理由は?」


 あくまで表情は変えず問うヤスケ。

 アヤメは一度頷いてから、


「兵の練度では負けてなかった。でも、ヤスケが見たっていう三人だけは何度やってもどうやっても崩すことが出来ないのよ。実際、シゲンとバンドウが二人掛かりでも龍人(ドラゴニュート)を止められなかったしね。兵の力量は同等、将は明らかに向こうが上。となれば、わたしたちが勝つには数を持ってくるしかない」


 と言った。彼女は、力量が足りないのなら数で押せば良いと言っているのだ。


「なら、魔術師対策をしないとな。ただ大軍を引き連れていっただけじゃあ、的でしかねえ」


「そうね。可能なら、四天王のうちの誰かに足止めして貰いたいんだけど」


「なら、魔術師は某が相手を致そう」


 その言葉に反応したのはバンドウだった。


「いいの? ヒコ爺を倒したのはきっと魔術師よ?」


 不安げなアヤメの言葉にバンドウは首肯する。


「だからこそ、であるな。ヒコノシン殿を倒す実力を持った者だ、一筋縄ではいくまい。それに幸いな事に某の兵には魔術師がそれなりに多いのだ。他の部隊よりは注意を引きつけることも容易いだろう」


「じゃあバンドウ、魔術師はお願い。でも、無茶はしないで、危なくなったら退きなさい」


「承知した」


 礼を取るバンドウの隣で、今度はシゲンが口を開いた。


「ならば我はあの龍人(ドラゴニュート)だな。先の戦では冷静さを欠いたことで不覚を取ったが……次は、負けぬ」


「アイツはシゲンがやるのか。既にやり合ったみたいだから言う必要ねーだろうが、気を付けろよ。身の丈よりも巨大な剣を脇差しのように軽々と振り回す奴だからな」


「それはもう身を以て味わった。あれ程に一撃が速く重い者はこれまで見たことも聞いたこともない。だからこそ、我が越えるべき壁として相応しい。我は最強の剣士を目指す身だ。奴を乗り越えて、始原一刀流は遥か高みへと登りつめる」


 拳を握りしめて、眼光鋭くシゲンはそう言った。気力は十分、背後には気炎すら見えそうなくらいだった。


「ならシゲン、龍人(ドラゴニュート)は任せるわ。貴方に対して無茶をするな、とは言わない。でも、命を無駄にはしないで」


「心得た」


 礼の姿勢を取るシゲン。その姿には、主人への深い敬意と感謝が込められていた。

 アヤメは最後に残ったヤスケに目を向ける。


「貴方は最も危険な役割になっちゃったわね」


「なーに、気にすんな。あの黒猫はシゲンやバンドウみたいな相手に真っ向から立ち向かうような奴との相性は最悪だ。アレは殺すことに特化した存在だ、正々堂々なんて言葉有りはしない。そりゃあもういとも簡単に頭と胴が離れることになる。俺だって龍人(ドラゴニュート)や魔術師とやり合ってみたかったさ。でもな、大将が直接狙われると知っててそれでも前線に出るなんて真似は出来ねーよ」


「話を聞く限りではただの暗殺者のようでもあるが、某たちではやはり難しいか?」


 ヤスケの言い草に疑問を覚えたバンドウが尋ねるも、


「はっきり言って、目で追える速さじゃねえ。俺は森で生きた経験から何とかギリギリ追えなくもないけど、マヌで会った時はヒコ爺が居なきゃとっくに頭が胴からさよならだ。先の戦でも誰にも気付かれずに本陣の真っ只中まで侵入した挙句、わざと殺気を出して俺に存在を気付かせるような奴だぞ。奴にとっちゃ、アヤメを殺すなんていつでも簡単に出来るんだ。それをしなかったってことは、目的はアヤメを殺すことじゃなく生け捕りにすること。だろ?」


 と答え、アヤメに同意を求める。アヤメはヤスケの言葉に頷いた。


「憶測だけどね。カンナが何を考えてるのかは凡才のわたしじゃ分からないし。抵抗するなら切り捨てるとは思うけど、抵抗しなければ命は取られないと思うわ」


「でもそれじゃ意味がねーんだよな」


 拳を掌に打ち付けながらヤスケは言った。


「大将を取られるってことは、戦に敗北するってこった。だから俺は、俺たちは大将を守らねーといけない。まあ俺じゃ黒猫には勝てねーだろうけど最低でも逃げる時間くらいは稼いでやるさ」


「ヤスケ……」


 ヤスケの決意を固めた眼差しに、アヤメは何も言うことが出来ない。無茶をするなと言っても無理だろうし、何より自分が取られてしまえばお終いだということもある。


「生き残りなさいよ」


「おう」


 だからアヤメは、希望もこめてそう言うのが精一杯だった。




 この会話から数日後、ユサの砦からソンまで撤退したソン軍は一月の時を隔てて再びラナへと攻め込んでくるのだった。


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