142話 ソンとの戦い〜其の壱〜
ラナとユサの境界線を挟むようにして、ラナ軍とソン軍は睨み合うように対立していた。
青を基調とした鎧を纏うラナの兵数はおよそ八千五百。対する赤を基調とした鎧を纏うソンの兵数はその倍以上もあるおよそ二万である。一部緑色の鎧を纏った一団は元ユサの兵士だろう。
ただでさえ数的優位に立っているソンだが、本国にまだ五千ほどの兵を残しており、全てを合わせれば約三倍の兵数差だ。
ユサを取り込んだことで、ソンは実質最多の兵力を手に入れていたのだ。
「上下の大河に船が十隻ずつの計二十か。三百人ずつ乗り込んだとして、六千人。それだけの兵数を割いているにも関わらず正面には一万四千もの兵が残る。……驚くほどに劣勢だな」
ラナ軍後方上空から戦場を俯瞰しつつ感想を述べる。
今日はクルルが別行動で居ないので一人だ。
数を確認したところで改めてソンの船の様子を見ると、甲板には土が敷き詰められており、火災に対する万全の備えを感じさせた。
「油を警戒して水ではなく土を用意したか。……流石に延焼対策は万全だな」
木造の船にとって火は最も恐れるものである。対策を講じるのは当然と言えるだろう。
だが、何も船を沈める手段は火だけではない。
「火が駄目なら水だな。距離が遠すぎるから直接大河の水を操ることは叶わないが、船体に風穴を開けてやれば勝手に沈む。後は、強風で煽ってやるのも悪くないな」
船を沈める手段を講じながら眼下のラナ軍に視線を向ける。
本陣となっている場所では、人々がしきりに出たり入ったりを繰り返しており、指示を伝える為にカンナが忙しくしているだろうことが容易に想像出来た。
働き過ぎな気がしないでもないが、他に代わりが出来る者も居ないので、倒れないように身体には気を遣ってほしいものである。
最前列の辺りではヴァンが周囲の兵士に何かを言い聞かせているようだ。大方、あまり無理はするなとか死にそうになったら下がれとか、そう言った類の話だろう。
出立前も「無駄に命を散らすより、生きて祖国に貢献するのが優秀な兵士だ」と兵たちを激励していたので、意外と面倒見の良い男なのだ、彼は。
クルルはどこに行ったのか分からない。出立前に既に姿を消していたのだ。まだ自陣にいるかもしれないし、もう敵陣にいるかもしれない。
彼女には雨天でも関係なく特殊な煙を発する魔道具を持たせてある。もし危機に陥った場合、煙の場所まで転移してクルルを回収する手筈だ。あくまで保険なので使う機会がないことを祈っている。
時刻は間も無く正午となる。
互いに睨み合ってそろそろ二時間が経過する頃、下では動きがあった。
ソンの陣地から、馬に乗った一人の女が四人の男に囲まれて現れた。遠目にも分かる金の髪、そして以前直接相対したことのあるヤスケとヒコノシンが側で守りを固めていることから、彼女がアヤメ・ソンなのだろう。後の二人は残りの四天王だろうか。
五人は陣から離れて境界線まで近寄ってから、アヤメ・ソンが何事か言葉を発した。
それから少しして、カンナはヴァンを伴って境界線まで近づいていく。
何やら会話をしているようだが、距離が遠すぎて音が拾えない。短い時間で会話は終了し、両者は互いの陣地に戻る。そして旗が振られ、銅鑼を鳴らし、両軍が突撃を開始したのだった。
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side:カンナ
睨み合うだけの戦場で、初めて動きがあった。伝令の兵士から、アヤメ・ソンが四天王を伴って境界線まで歩み寄り『カンナ・オダに話がある!』と名指しで呼び出したのだ。
戦闘前にわざわざ名指しで呼びつけるのだから、何かしらの話があるのだろう。予想はつくし、話に乗るつもりもないけれど。
という訳で不本意ではあるが話を聞きに行かなくてはならなくなった。
向こうが護衛を引き連れているのにこちらが丸腰で行くなんてことはあり得ないので、護衛役はヴァンにお願いする。彼ならば一人でも四天王と同等に戦える筈だし戦力的には問題ない。
ヴァンを伴って境界線まで歩み寄ると、金の髪を垂らし、似合わない赤の鎧を纏ったアヤメ・ソンから声をかけられた。
「よく来てくれたわね、カンナ」
「状況的に仕方なく、さ」
ここで誘いに乗らなければ、味方の士気に悪影響を及ぼすことになる。敵の大将は少数の護衛を引き連れて前に出て来たのに、味方の大将は何をやっているんだ。なんて具合に。
「それで、わざわざボクを呼び出したんだ。つまらない用件ならすぐに帰らせてもらうよ?」
「つれないわね。同じ学び舎で過ごした仲じゃない」
本心を見透かされないように微笑を顔に張り付けて話す癖は昔のまま。だからこそ、今までもアヤメに心を許すことは無かった。
「君は昔からボクを引き抜こうとしてきたからね。正直言って良い印象はないよ」
「あら、残念。わたし、カンナのこと好きなのに」
「ボクは同性愛者じゃないから君の期待には答えられないよ」
「わたしだって違うわよ!! そういう意味じゃないから!!」
アヤメは反論に声を荒げるが、場所が場所だけにすぐに咳払いをして無かったことにする。
「こほん。今回あなたを呼んだのは最後の確認をしたかったからよ。カンナ、わたしの下に来なさい。あなたはこんな小国で燻ってて良い人間じゃない。わたしの手を取るのなら、わたしが興す国の頭脳としての地位を約束するわ」
そう言ってアヤメは手を伸ばしてくる。
間違いなく最高の待遇だろう。でも、その未来はボクの望むものじゃないんだよ。
「断る。ボクは権力に興味なんてない。今やってることだって、あの子の為になるからやっているだけさ。ボクの人生はとうの昔にあの子に捧げているんだ。だから君の誘いには答えられない」
「そう……。それは……残念、ね」
アヤメは心底残念そうな表情を浮かべてから、すぐに元の微笑を浮かべ直した。
「じゃあ、力尽くであなたを屈服させてみせるわ。この戦いに勝てばあなたが手に入るのだし」
「そう簡単にはいかないと思うよ。君が戦力を増してきたように、こちらも準備を万端にして待ち構えているんだから」
僅かに睨み合うがそれも一瞬。同時に踵を返して自陣に戻る。
背後から、
「絶対に負けないわよ」
というアヤメの声が聞こえてきた。
心中ではその言葉に同意しながらも、それに返答することなく歩みを進める。
「ありがとうヴァン。君を護衛なんかにしてしまって申し訳ないね」
自陣の最前列に戻ってから護衛としてついてきてもらったヴァンに感謝を述べると、手を振りながら「気にすんな」とだけ言って彼は持ち場に戻っていった。
境界線での会話では一切口を挟まなかったのでどうかしたのかと思ったけど、気を遣ってくれていただけみたいだ。
去って行く背中に改めて感謝を述べてから本陣まで戻る。そしてすぐに進軍の合図を送った。
これより先、言葉は不要。
勝つか負けるか、ただそれだけだ。
「カレン……。ボクを見守っててね」
小声で此処には居ない主人に言葉をかけてから、大きな声で全軍に指示を送った。
「全軍、突撃!! 目標は境界線の防衛と時間稼ぎだ! 横に気を向ける必要はない、前だけを見て戦うんだ!!」
「「「「「応!!!!!」」」」」
ラナの先陣がヴァンに率いられて所定の位置まで進んで行く。
それを見届けてから、上空を見上げて黒い点になっている人物に声をかけた。
「頼んだよ。ホシミ、クルクル」
ソンの先陣がラナの先陣とぶつかったという報告が届き、ラナ─ユサの境界で、ラナとソンの存亡を懸けた戦いが始まった。