141話 戦前軍議
夜を洞窟で過ごしてから転移でラナに戻った私は、カンナにユサの様子を伝えてから自室に戻った。
戸を開くと、クルルが珍しく私に気付かずに何かを考え込んでいた。私がいない間に何かあったのだろうか。
「ただいまクルル」
「あっ……。お帰りなさい、主」
声を掛けるとようやくこちらに気付いたクルル。どうやら本当に気付いていなかったらしい。
「珍しいな、クルルが人の気配に気付かないなんて。どうしたんだ?」
「いえ、その……。ちょっと考え事をしていただけです…にゃ。大丈夫です、何ともありません」
「そうか」
クルルが何ともないと言うのならばそうなのだろう。それに、誰にだって悩みの一つや二つあるものだ。解決に私の手が必要なら彼女から言ってくるくらいの信頼関係は築いている。気には留めておくが特に心配はいらないだろう。
「私は温泉に行ってくるが、クルルはどうする?」
「温泉ですか…にゃ?」
「ああ。昨日は宿を取れず野宿することになってしまったからな、少しさっぱりしたいんだ」
「それなら私もご一緒しますにゃ。ちょっと北のほうに、人里離れた天然の温泉が湧き出ているそうです…にゃ。人はいないでしょうから、そこに行ってみませんかにゃ?」
「北か。分かった、行ってみよう」
さっと準備を終わらせて、クルルを抱えて北に飛んだ。
北の大河を越えた先にある山がどうやら活火山のようで、湧水が温められているらしい。
少し辺りを探ってみると、ちょうど良い水温の所に岩で囲まれた天然の露天温泉が作られていた。
周囲に人や獣の気配がないことを確認して温泉に浸かる。
程よい温度の湯で硬くなった筋肉がほぐされていく感じがして心地良かった。
クルルは私の足の上に座り背を預けてきたのでお腹の辺りで手を回して支えてやった。そのまましばらくの間私たちは何も語らず、静かな時間を過ごした。
「主」
沈黙を破ったのはクルルだった。
顔は前を向いたままなので表情は分からない。
「何だ?」
私が答えると、クルルは身体の向きを入れ替えて抱きついてきた。胸に顔を埋めながら、
「ソンとの戦が終わったら、主にお手伝いしていただきたいことがあります…にゃ」
と言った。
声の様子からして、気乗りはしないが必要なことなのだろうと当たりをつける。
「何でも言ってくれ。クルルにはいつも世話になっているからな、なるべくなら応えてやりたい」
私がそう言うと、クルルの抱きしめる力が少しだけ強まった。
「はい……。詳細は、戦が終わってからお伝えします…にゃ。その、今はまだ大丈夫ですので」
「分かった。必要になったら教えてくれ」
クルルは小さく頷くと、私に抱きついたまま目を閉じた。私はそんな彼女の頭を撫でながらのんびりとした時間を過ごしたのだった。
ーーーーーー
ユサの偵察からおよそ一週間が経過した頃。
カンナに集められた私たちは軍議を開いていた。とうとう行動を開始することになったのだ。
「ソンの主力は全員がユサにいて、ソンの領地にいるのは守備兵だけだ。ボクたちの兵力じゃ攻め込めないのが分かっているからだろうね。当然向こうも大河があるから迂闊に手を出せないだろうし、南からの侵略はまず無いものと思っていい。よって、必然的に東に兵力を集める必要がある」
カンナはそう述べながら机上に敷かれた地図の一点を指し示す。
「上下の大河によって大地の幅が狭まるこの地点がユサとの境目だ。ここが主戦場になる。大河はあるけど山地や森林はない完全な平野だ。ただ、この辺りの地面は水分を多く含んでいるからぬかるみやすくて馬は動き辛い。歩兵が主戦力になるだろうね。
防衛側のボクたちは柵や堀、その他罠を張り巡らせて境界を守りぬかなくちゃいけない。だけどソンはユサを取り込んで兵力を大幅に増しているから厳しい戦いになると思う。……ここまではいいかい?」
その場の全員がカンナの言に頷く。カンナはそれを確認してから更に言葉を続けた。
「相手の方が上流だから、船での強襲も考えられる。船が陣地の奥まで侵攻されてしまうと挟撃されて一気に形勢が不利になる。だからその対処が一番重要だ。船さえ抑えれば正面から戦うだけだからね。その船の対処は……出来ればホシミに任せたい」
全員の視線が私に向いた。私は頷いてから
「了承した。後方には一隻も通さないと約束しよう」
と返答する。カンナは満足そうに微笑んでから
「頼んだよ。君に横と後ろを守ってもらえるなら兵たちは安全に戦える」
と言って次の配置の話に移った。
「大河はホシミが見てくれるから、残るは正面だ。間違いなく四天王の半分以上はここに配置されるだろう。激戦地になるこちらにはヴァンを中心に精鋭を集めて攻守のバランスを取りたい。頼めるかな?」
「応、任せとけ。四天王だか何だか知らねえが、纏めて叩き斬ってやる」
ヴァンは自分の配置が想定通りだったのか、即答で了承した。実力の抜きん出ている彼が前線に入れば、そう易々と崩れ去る心配はないだろう。彼ならば一人で四天王を全員倒すなんてこともやりかねない。
「───は後衛で全体の支援を頼むよ。それで、最後にクルクルなんだけど」
他の人物への役割伝達を終え、最後まで残ったクルルに話を向けるカンナ。
クルルはカンナが何をやらせたいのか理解しているようで、名前を呼ばれても特に驚きはない。
「クルクルには、敵本陣への潜入及び……総大将であるアヤメ・ソンの捕縛若しくは殺害をお願いしたい。ラナの中で───いや。今の大陸西部で君に勝てる人間は居ない、と断言出来るほどの戦闘能力と隠密能力があるクルクルにしか出来ない仕事だ。やってくれるかな?」
「分かりました…にゃ。元よりそのつもりでしたから、手間が省けます…にゃ」
最も危険な役割をあっさりと引き受けるクルル。彼女の実力なら問題はないだろうが、万が一の時を考えて後で合図を送れるようにしていつでも手助けに行けるようにしておこうと思う。
ともあれ、これで全員の役割は決まった。後は直接戦うだけだ。一戦で決まってしまうのか、何戦もすることになるのかはその時にならなければ分からないが、負ければお終いであることは変わらない。
「では、明後日の早朝に守備兵を残して出陣する。各自準備を整えるように。以上、解散」
カンナの言葉で次々と広間を後にしていくラナの重鎮たち。ヴァンもその波に流されるようにして出て行き、私も出ようとしたところでカンナから声をかけられた。
「この戦に勝てるかどうかでラナの行く末が決まる。……ボクたちは勝てるかな?」
残って居たのが私とクルルだけだったので他の人間に聞かれることは無かったが、これから戦に赴くにしては随分と気弱な台詞だった。だが自信満々よりかは余程良い。しっかりと現状が把握出来ている証拠である。
「不安に思う気持ちは理解出来るが、安心しろ。今のラナに負けはない。私たちがいるからな」
「はい。主も私も、ついでにヴァンも。この国のどんな戦士より精強です…にゃ」
小声で「人より永く生きていますから……」と呟いたのは、聞かない振りをした。幸いカンナには聞こえていなかったようで、聞き返してくることも無かった。
「そうか……そうだね。ありがとう、二人とも」
カンナは感謝の言葉を述べてから広間を後にした。通り過ぎる時に見た横顔からは、不安げな様子はもはや微塵も感じられなかった。