133話 マヌ〜愚者の宴〜
「一戦交えると思っていたが……随分とあっさり退いたな」
ヤスケとソンの兵が去っていく後ろ姿を見送りながら思ったことを口に出すと、隣にやってきたヴァンも同意した。
「そうだな。だが、それだけ向こうさんは冷静だったってこったろ。攻撃前だったから機動力と突進力が武器の騎兵なのに足も止まってたし、普通にやったんじゃ勝てないって分かったんじゃねえのか?」
「それもあるだろうが……」
そう言ってクルルを見る。彼女は何の感情も浮かんでいない瞳でソン兵が去っていった方向を見据えていた。
「……いや、今は良いか。サクヤたちと合流しよう」
「おう。んじゃ先に行ってるぜ」
ヴァンは気を遣ってくれたのか、一人で先に飛んで行ってしまった。
まだマヌの国軍と蜂起軍の戦闘は続いているので、巻き込まれないようにだろう。
「クルル」
背を向けていたクルルに声をかけると、彼女はようやく振り向いた。その顔にはいつも私に向けているような笑顔が浮かんでおり、先ほどまで見せていた無感情な瞳は影も形もない。
「はい、主。どうかしましたかにゃ?」
「そろそろ戻ろうかと思ってな。……行こうかクルル」
クルルは私の言葉に頷いてから隣にやってきた。そのまま肩を並べて戦場を迂回するように歩き出す。
「なあクルル」
「なんでしょう?」
「私はお前の味方だからな」
「…………はい」
言葉に詰まってから、感謝するように、しかし短く応答するクルル。
私はクルルの過去を知らない。わざわざ標的にしているくらいだ、何らかの因縁があってもおかしくないが、だからと言って彼女を止めるつもりもない。
どんな結末になろうとも、私がクルルを見放すことなんてあり得ないのだから。
本陣に戻ると、ヴァンとサクマが組み手をしていた。
今回の作戦ではサクマは(頑なに武器を持つことを嫌がった為に)待機だったので鬱憤も溜まっているのだろう。ヴァンから「助けてくれ」という視線を感じたが親指を立てて返しておいた。
肩を落として落胆しながらも気炎溢れるサクマを圧倒するヴァンを放置して、サクヤの元へと向かう。
奥まったところにある天幕に入ると、中ではサクヤが一人で地図を眺めながら小さなため息を吐いているところだった。
「あら、お帰りなさいませお二人とも。はしたない姿をお見せしてしまいましたね」
そう言って照れ笑いを浮かべるサクヤは、本当に恥ずかしかったのか頬が赤くなっている。
「別に気にしていない。それよりも私たちは今戻ったばかりだが……何か問題でも起きたのか?」
「いえ、そういう訳ではございません。ホシミ様たちがソンの兵を退かせたことで此度の戦闘での勝利は揺るぎないものとなりました。ですので今の流れのまま一気にマヌを攻め落とそうかと考えていたのですが……」
「何か気になることがあるという訳ですね。それは一体何なんですかにゃ?」
「実はですね……」
サクヤは少し逡巡してから、彼女の抱えている不安を吐き出した。
「マヌに潜伏していた方からの連絡が途絶してしまいました。何かが起こったのか、それともただ単に間諜だとバレてしまっただけなのか分からないのです。長期戦はこちらの損耗が酷くなるだけですから勢いのある今こそ攻めるべきだとは思うのですけれど、不安要素を抱えたままの進軍は危険ではないかと思ってしまいまして……」
攻めておきたいが、本当に今攻めても良いのだろうか悩んでいるようだ。不安要素さえ払拭されれば直ぐにでも軍を動かしたいのだろう。
「それなら、私とクルルが見てこよう。大した手間でもないしな」
「そう仰って頂けると本当に助かります。大変申し訳ありませんが、どうかよろしくお願い致します」
サクヤはそう言って深々と頭を下げた。
「今日の夜には戻ってくる。全部を見て回ることは出来ないだろうが、様子だけでも判れば問題あるまい?」
「はい。それだけで充分でございます。お気を付けていってらっしゃいませ」
サクヤに見送られながら天幕を出る。
マヌニからマヌへは本来なら一日も掛からずに行けるのだが、現在は内戦によって主要街道が閉鎖されており、陸路で行くには大きく迂回しなければならない。
しかし私なら空から行けるのでその問題は解決出来てしまう。さっとひとっ飛びして見てくるとしよう。
「勝手に決めてしまってすまないな、クルル」
「ご心配なく。私は主と共に行けるだけで嬉しいですから…にゃ」
「そう言ってくれると助かるよ。では行こうか。しっかりと掴まってくれ」
「はいですにゃ」
クルルを横抱きにして、彼女の腕が私の首を回ったことを確かめてから浮遊、そして飛行の魔術を発動した。
上空から街道に沿って飛んでいくと、道の途中に関のようなものが建造されていた。あれが蜂起軍を監視する役割を持った前線基地なのだろう。
全容だけを軽く把握してから再び飛行を開始する。そこそこスピードを出したせいか、予想よりも早くマヌに到着するのだった。
「ここがマヌ……。大陸西部を統一した、国王が住まう地……か」
建築物は他の土地とさほどの変化はないが、街と人に驚くほど活気がない。
住人の目は基本的に死んでおり、中には物乞いをしていたり、軽く見渡した路地裏では飢えて倒れ伏した人が居たり、と酷い有り様だった。
元気なのは巡回兵くらいだろうか。今も税の取り立てをしているのだろう、住民の家の前で怒鳴り散らしている。しばらくすると、家の戸を壊して中に入っていき、中からは悲鳴が聞こえてきた。
「はあ……ここまで酷い街はそうそう無いぞ」
「既得権益を守る為なら民をどう扱おうが知ったことではない、と言ったところでしょうか…にゃ。叛乱されて当然ですにゃ」
「だが民の窮状は皆知っている筈。何故兵は何も行動を起こそうとしないんだ?」
「簡単なことですにゃ。彼等は特権を得て、民よりも裕福な暮らしを送っているからに他なりません。任を放棄すれば厳罰は免れず、最悪の場合兵ではなくなってしまう……だから彼等から何かをすることは無いのです…にゃ。彼等も自身の既得権益を守る為に必死なんですよ」
どうやらこの国では兵士の地位は高いようである。海洋に面した広大な土地を持っているマヌだ。色々と問題も多かったのだろう。離反をしたり叛意を抱いたりしない為に必要なことだったらしい。給金も悪くないおかげで成り手不足に悩まされたこともないとのことだ。
「成る程な。上が下を搾取するだけして還元しないのが常態化しているのか。よくもまあここまで腐ったものだ」
「先代も愚者と名高い方でしたが、当代のマヌの国主は救いようのない愚者だと専らの噂ですにゃ。透視で王宮でも覗いてみたら如何ですか…にゃ?」
「ふむ、やってみよう」
小声で雑談する風を装いながら歩いていたが、街の端にある公園の椅子を見つけて座り、王宮の方向へと透視の魔術を発動した。
距離があるので詳細までは見通せないが、愚物に興味はないのでだいたいの雰囲気だけ判れば良い。という軽い気持ちでもあった。
目的のものはすぐに見つかった。そしてすぐに視たことを後悔した。
「何だこれは。奴らは正気か?」
予想もしていなかった光景に思わず悪態をついてしまう。
どうやら重鎮と思しき風体の者たちは大広間に集っているらしい。そしてその大広間では、街がこんな状況であるにも関わらず宴会が繰り広げられていた。
連日宴会を開催しているという話を小耳に挟んだことはあったが、まさか現実のものだとは思いもしなかった。
参加者は毎日の暴飲暴食が原因だろうと思われる肥満体型の者が八割ほどを占めており、残りの二割も血色が良くしっかりと食べているようである。
街を歩いてきた時に見てきた人々とは大違いだ。
その中でも上座に座っている人物こそがマヌの国主のようだ。参加者の中でも抜きん出て太い。いや、丸いと言った方が正しいか?
両隣に女を侍らせて、間抜け面を晒しているこんな奴に生活を滅茶苦茶にされた民の苦悩はきっと私では計り知れないだろう。
「……何が視えたんですかにゃ?」
「宴会をしているこの国の主と重鎮の姿……だな」
「それは……」
流石のクルルも言葉に詰まっている。国軍が蜂起軍とぶつかったことは彼らにも伝わっている筈だが、対策を練っている訳でもなくただ騒いで飲み食いしているだけなのだから。
「取り敢えず、当初の目的を果たそう。奴らは存在自体が害ではあるが、私たちの邪魔をすることはないだろうからな」
「それもそうですにゃ。一刻も早く済ませてしまいましょう主」
気を取り直してクルルと共にこの街に潜伏していたサクヤの間諜が暮らしていた家に向かう。
普通の何処にでもある平屋の一軒家だったが、外から呼び掛けても返事がなかったので中に入った。
玄関を抜けて部屋の中央にある囲炉裏の側に向かう。
「誰もいないな。やはり殺されてしまったか?」
「……その可能性が高そうですにゃ」
クルルが膝をついて床を眺めていた。彼女の視線を追ってみると、そこには黒染みと化して凝固した血液が残っているのだった。
まるで飛沫のように跳ねたものだからか量は多くないので、他の血痕はきちんと拭き取ったのだろうがこれはただの拭き忘れだろう。
「と、なると……あまり有力な情報も残っていなさそうだな」
「ええ、そうかもしれませんにゃ」
クルルはそう言いながらも床の隙間を丹念に調べている。何をしているのか尋ねようとした時、
「見つけましたにゃ」
そう言って一枚の板を剥がしたクルルの手の中には、数文字しか書かれていない木札があるのだった。
「凄いなクルルは。良く分かったな」
「部屋に入る時にほんの少し違和感がありましたから……。ですが中身は暗号のようですから私たちでは解読に時間が掛かってしまいますにゃ。これは素直にサクヤに渡した方が良いかもしれません」
クルルは私が褒めると頬を緩め嬉しそうに尻尾を揺らしてからすぐに表情を引き締めた。
「分かった。他に何もなければ戻るとしようか」
私の言葉にクルルは首肯する。
その後は結局、クルルが見つけた木札以外のものは見つからず、私たちは日が暮れてからマヌニに帰還したのだった。