132話 マヌニ近郊平野の開戦〜其の弐〜
ヤスケはヒコ爺と共にマヌ軍と蜂起軍の衝突を見ていた。
密集陣形を取った蜂起軍に押し込まれ、有効打を与えられずに蹂躙される姿を見てため息を吐く。
「弱い弱いとは思ってたけどよー。ただの農民上がりに一方的にやられるって、軍人としてどうなのよ?」
「敵の指揮官が優秀なのも有ろうが、権力に胡座をかいてロクに鍛錬してこなかったツケだろうの。まったくだらしのない……。これがソンの兵士ならば性根を叩き直しているところだわい」
「出たよ鬼教官。俺の時もかなーりエグい訓練ばっか受けさせやがって。未だに野生の熊の縄張りに放置された件は忘れてねーからな」
当時を思い出してヤスケは顔を顰める。
あの時は酷かった。熊の縄張りに連れてこられたかと思えば、水も食料も寝床すらない場所で一ヶ月生き延びろ───だなんて正気の沙汰じゃない。
這々の体で何とか生き延びることが出来たが、もう二度とあんな経験は御免被りたかった。
「儂だってきちんと考えておる。アレは生き残れると思った奴にしかやらんわい。事実お主は生き残ったし強くなった。他に何の問題がある?」
そう言って呵呵と笑うヒコ爺に、ヤスケは言葉を失った。
「それよりほれ、救援求むの合図が来とるぞ。お主はどうするつもりだ?」
第一陣のぶつかり合いで出た損害はかなりのもののようだ。もう間も無く第二陣とぶつかるが、放置すれば部隊は壊滅するだろう。
ヤスケは頭を掻きながら馬のたてがみを撫でた。
「あー、どーすっかなー。結局向こうに面白い奴も居なかったし、国軍の被害を広げつつ敵を潰す感じでいいんじゃねーか?」
「ふむ。まあ無難であろうな。では国軍とぶつかり合っている部隊は無視して後方を叩くのが良かろう。密集陣形は側面から叩けばさほど労することなく打ち破ることが出来る。縦陣で突破力を上げておくべきだろう」
「あいよ。んじゃ、縦陣だ。全員配置に就けよー」
側にいる旗手にそう声をかけると、旗手は指示通り旗を振った。旗の振り方で陣形を変えるのは、実際の声が届かない戦場で指示に使う手段の一つだ。難点は一度見られると敵にバレやすいということだが、味方へ誤った指示を出すことの方が部隊が壊滅する恐れが高まるので、例えバレやすくてもこの手段は生存率を高める為には必要なことだった。
旗の動きに気付いた兵士たちは、陣形に対応する旗の振りを見てすぐさま陣形を変える。
「よし、全員配置に就いたな。いつでも行けるぜ、ヒコ爺」
「うむ。では機を見計らって参るとしよう。初陣の者がほとんどだ、あまり無茶はするなよヤスケ」
「分かってるっつーの。んじゃ行く───」
ヤスケが突撃の合図を出そうとしたその瞬間。
強烈な破砕音と共に、地面が、揺れた。
「な、なんだぁ!?」
急な轟音に驚く馬を宥めつつ、音の発生源を見る。だが、もうもうと土煙が吹き上がっているせいで原因の姿を見ることが出来ない。
それでも何とか原因を突き止めようと目をすがめるが、
「伏せろヤスケ!!!」
焦るヒコ爺の声を聞きながら咄嗟に馬上から飛び降りて地に伏せる。
その直後、黒い何かが高速でヤスケの首があった場所を目掛けて襲いかかって来た。
目の前に先ほどまで自身が乗っていた馬の頭部が転がり落ちてくる。
あとほんの少しだけ遅ければ、自分もこの馬のようになっていたことに気付いてヤスケは身震いする。
頭部を失った馬は血を吹き出しながら地面に倒れこんだ。
「ヤスケ、無事か!?」
「ああ……なんとか、な」
ヒコ爺に無事をアピールしながら立ち上がる。無事にやり過ごすことが出来た安堵から全身に嫌な汗が噴き出てきた。今のはいったい何だったのだろう。
「……まさか避けられるとは思いませんでした…にゃ」
黒いものが通り過ぎていった方向から、女の声が聞こえてくる。振り返ると、ヤスケの背後にいた兵士の首が馬の首と共に綺麗に両断されており、その傍らに黒髪黒目の猫の獣人の姿があった。
女と視線が合った瞬間、ヤスケは自分の首が飛ぶ姿を幻視した。
隣にいるヒコ爺の表情も自分と同じだった。きっと、ヤスケと同じように己の首が飛ぶ姿を幻視したに違いない。
「その若さで、その武威……。お主は、いったい……いやまさか……!?」
「お前はいったい何なんだよッ!!?」
初めて見るヒコ爺の狼狽した様子を尻目に見つつ、ヤスケ頭を振ってその幻影を振り払い、自分を殺そうとした女に向かって叫ぶ。
すると女は詰まらなさそうに一瞥して、
「死を運ぶ───ただの黒猫です…にゃ」
よく分からない言葉を告げてから上を仰いだ。
女の視線に釣られて上を見上げると、そこには一人の男が宙に浮かんでいた。
男が女の側に降り立つと、女は片膝をついて男を迎え入れる。
「さて、ソンの兵士よ。此処から先は通行止めだ。あの戦いの邪魔をされるのは私たちにとって都合が悪いのでな」
灰色の髪をした男は黒のローブをはためかせて声を発する。その声は若い外見にそぐわないほど厳めしいものだった。
そして背後。土煙が消え去った場所からは一人の龍人が現れる。身の丈よりも巨大な剣を肩に担いだ男は、片頬を上げて嗤っていた。
「(何だこいつら……。あの女だけでも手に負えないって言うのに、こんな状況どうすりゃいいんだ……!!)」
ヤスケの焦る内心を知ってか知らずか。急に現れた三人に囲まれたヤスケとヒコ爺は冷や汗を流すのだった。
ーーーーーー
ソンの兵士が動き始めたのを確認した私たちは、彼らの行動を阻害する為に行動を起こした。
「ヴァン、武器の強度を上げておくから空から思い切り地面を叩きつけろ。出来れば地震が起こったと錯覚させられるくらい強力だと良いな」
「軽く言うなっての。まあ、やるだけやってやるけどよ」
「クルルはヴァンが地面を叩きつけて敵が動揺している隙を突いてあの指揮官らしき人物の強襲を頼む。成否は問わないから、好きにやってきてくれ」
「かしこまりました、主」
降下中に短く会話を交わして行動を指示する。
後は、ソンが動き出そうとした瞬間に剣を振りかぶったヴァンが地面を揺らし、その間に宙から降ってきたクルルがヴァンを踏み台にし、魔術も併用した加速で一直線に首を狙って跳んだのだ。
強襲の結果は不発だったが、かなりの衝撃を与えることが出来たようである。
現在は私たちが三人でソンの指揮官と思しき人物二名を挟む形となっていた。
他の兵士たちは急な出来事にまだ頭も身体もついてきていないようで、呆然と眺めているだけだった。
「大人しく退けばこれ以上の犠牲を出すつもりはないが、もし戦うと言うならば全滅の覚悟を持って向かってくるといい」
敵の指揮官に向けてそう宣言すると、老いた方が若い方に耳打ちをし、若い方は悔しそうに唇を噛み締めていた。
「……このまま退けば、俺たちを攻撃することはねーんだな?」
「ああ。それだけは確実に約束しよう」
睨み合うのもほんの僅かな時間。若い方は絞り出すようにして撤退の指示を出した。
「───全員、転進だ。俺たちは戦場から離脱する。死んじまった奴は誰か運んでやってくれ」
上司の指示に困惑しながらもソンの兵士たちは指示を全うすべく行動を開始した。
去り際にこちらを見据えて、
「俺はソンの将、ヤスケ! 貴様らの名は?」
と問いかけてきた。
「私はホシミ。ただの傭兵だ」
「ヴァン。同じく傭兵だな」
私とヴァンは返答するが、クルルは黙ったままだった。向こうもこれ以上待っても返答は期待出来ないと思ったのだろう、クルルについては触れなかった。
「ホシミ、ヴァン……か。その名、しかと覚えておく。今の俺ではまだ及ばんが、次に目見えた時は正々堂々勝負だ!」
ヤスケと名乗った男はそう言って去っていった。
ソンの兵士が撤退したことでマヌの兵士の士気が地に落ちて、蜂起軍に一方的にやられていく。
この場での蜂起軍の勝利は揺るぎないものとなったのだった。
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side:ヤスケ
「なあヒコ爺。何でアンタまで驚いてたんだよ?」
撤退中の行路で、ヤスケは先ほど気になっていたことを尋ねた。
ヒコ爺ことヒコノシンはソンの歴戦の猛将である。先先代から仕えてきた重鎮だ。
その彼が黒猫の少女の姿に驚き戦意を喪失するなんて、あり得る筈がなかった。
「……儂も詳しく知っている訳ではない。だが、良いかヤスケ。あの小娘とだけは、絶対に戦うな」
普段ならば絶対に言わない言葉を聞いて、不審がるヤスケだったが。そう語るヒコ爺の姿は何かに怯えているようにも見えた。
「……一応理由を聞いてもいいか? ヒコ爺がンなこと言うなんて、今まで無かった筈だぜ」
「理由か……。ソンに伝わる昔話はお前でも知っているな?」
「昔話ってーと、ソンのご先祖様のヤツか? なら知ってるぜ」
ソンの民に語り継がれている昔話。
かつて、ソンを治める若獅子が罪なき人々を勘違いから殺してしまったことがあった。
一つの村を焼き、更にもう一つの村を焼こうとした時、若獅子の暴挙を止まるべく現れた心優しい黒猫がいた。
若獅子はしかし黒猫の言葉を聞かず、黒猫諸共村を焼いてしまう。
若獅子が業火に包まれる村を眺めていると、焼け死んだはずの黒猫がいつの間にか傍らに立っていて、有無を言わさずに獅子の首を刈り取った。
そして黒猫は死した若獅子の首を携えてこう言ったのだ。
『罪無き人々を殺めたソンを許さない。それを止められなかったソンを許さない。我が妹を焼き殺したソンを許さない。必ずやかの一族を討ち滅ぼしてみせよう。我はお前たちに死を運ぶ者である』
優しかった黒猫は、暴挙を止めることが出来ず、自分諸共村を焼き殺されて嘆き、悲しみ、怒り、やがて怨霊と化した。
黒猫の言葉を恐れたソンの一族は黒猫を仕留めようとしたが、ついには叶わず、今も黒猫の憎悪はソンを狙っている───。
というものである。
「でもそれがどうしたってんだよ。確かに黒猫の女がいたけどよ」
「黒猫の獣人なぞ珍しくも何とも無いわ。問題は別のことだ。あの娘が『死を運ぶ者』と名乗った……その時の瞳。表情こそ無であったが……紛れもなく、底無しの憎悪に彩られておった……。『アレは危険だ、今すぐ逃げろ』と……本能がな、警鐘を鳴らしておるのよ」
歴戦の猛将であるヒコ爺をしてそう言わしめるという事実にヤスケは震えた。
先ほどだって、ヒコ爺が居なければ既に首を落として死んでいたのだ。
「あの娘の存在は、ソン様にご報告せねばならんな……」
そう呟くヒコ爺の言葉すら、ろくに聞こえていなかった。ただ、そんな存在と相見えながら何とか首が繋がっているという幸運に感謝するのみだった。