131話 マヌニ近郊平野の開戦〜其の壱〜
マヌニ近郊の平野。今、ここでは両軍が陣を敷いて睨み合っていた。
片方はマヌニを拠点としている蜂起軍である。元は農民だった彼らだが、槍と盾を持ち戦に挑もうとする士気は並みの兵よりも高い。数はおよそ一千八百。街にはあと五百ほどの兵がいるが彼らは防衛戦力として置いてきた。内訳は四百の弓兵を除いて全員が歩兵である。
対するもう片方はマヌの国軍だ。全員が統一された紫の鎧を着けた集団である。兵数は約二千五百、内訳は歩兵と弓兵がほとんどで騎兵は百に満たないくらいしかいなかった。その後方には赤い鎧を纏ったソンの騎兵が五百騎おり、彼らが参戦するとなれば一気に蜂起軍は不利に陥るだろう。
戦において数は力である。ただでさえ数が少ないという不利をこの何もない平野でどう覆すのか。そこは『サク』のお手並み拝見といくとしよう。
今にも戦端が開かれる───。その景色を私たちは空から眺めていた。
私は飛行の魔術を用い、飛べないクルルを抱きかかえて宙に静止している。隣には翼を広げて自力で飛べるヴァンがいた。
何故、こんな場所で戦場を見下ろしているのか。それには理由があった。
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「危機に陥るまで手は出さないで欲しい?」
サクヤからそう言われたのは戦場に赴く直前のことだった。自分たちも戦うことになると思っていたところに急に伝えられた言葉に、私たちは驚きを隠せない。
「はい。敵はまだ皆様のことを知りません。であれば、今は隠すべきだと判断致しました。数には劣りますが、ソンの邪魔さえ無ければ勝てる戦なのです。なるべくなら、ここぞという時にお力を見せつけるべきかと愚考致します」
「この軍の指揮官は君だ。君がそう言うのなら私たちは従おう」
相手がマヌだけならば勝てると断言するのだ。私たちの存在を隠すのも策のうちであると彼女が言うのなら従うほかない。
「ありがとうございます、ホシミ様。では、よろしくお願い致しますね」
サクヤはそれだけを言い残してサクマの元へと戻るのだった。
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「まったく。まさかこんな所から見てるだけになるなんて思わなかったぜ」
戦えると思った矢先のサクヤの言葉だったので、ヴァンは若干気落ちしながら下を眺めていた。
「ならサクヤに自分だけは参戦させろと言えば良かったじゃないか」
「傭兵は雇い主の指示には絶対なんだぜ。ンなこと出来るかよ」
「正確には傭兵ではないがな……」
「まあ細かいこたあ良いじゃねえか。それによ、味方内で余計な不和を招くのは戦場に立つ者にとっちゃ死に近付く愚かな行為なんだ。裏切られて背中からグサリ。なんて展開は御免だからな」
そう言って苦笑するヴァンに、「同感だ」と返す。
古今東西、味方の裏切りによって死ぬ人間は一定数いる。だいたいは喧嘩だの妻を寝取られただのといった味方内での確執か、人質を取られて仕方なくといった外的要因だ。英雄譚や戦記物でも珍しくはないし、むしろあって当然ともされる。
だが裏切られる人間というのは、往々にして自業自得な者が多いので、なるべくそういう事態にならないよう上手く立ち回りたいものである。
「主、そろそろ動き始めました…にゃ」
ずっと戦場を見守っていたクルルが声をかけてくる。
───そういえば彼女は命綱もないのに人が豆粒に見えるくらいの高所にいて怖くないのだろうか。
ふと気になって聞いてみると、
「主が私を見捨てることはありませんので心配はしていません…にゃ」
彼女はさも当然であると言わんばかりに断言したのだった。付き合いの長さ故に分かるのだろうか。確かに見捨てるつもりはないが、こうも見透かされるのは面映ゆいものがある。
そんな感想を抱きながら眼下を見下ろすと、蜂起軍はいくつかの集団に別れ方陣を作っていた。
前方にいる兵は大盾を前面に押し出すように構え、後方にいる者は盾を上部に構える。そして槍は盾の隙間から出していた。
密集陣形と呼ばれるものである。
「……確かにあの陣形ならば正面同士のぶつかり合いで負けることはなかろうが」
密集陣形は正面からの殴り合いにはめっぽう強いが、緊密な密集体形である為に柔軟性や機動力といった面では他の陣形に劣り、側面から突かれると一気に崩壊するという弱点を持つ。
相手の騎兵が健在であったなら遊撃に回った騎兵により側面を攻められて敗走していたかもしれないが、今やマヌの騎兵は百にも満たない。だからこそのこの陣形なのだろう。
「盾で守られるから負傷も通常よりは減るだろうし、敵も歩兵がほとんどだが盾持ちはいない。サクヤが勝てると言うのも分かる気がするよ」
「盾の有無でこちらは損害を減らしつつ向こうへと大打撃を与える……。家族を守る為にと奮起して必死に訓練したのでしょう、元農民とは思えない動きでしたにゃ」
「盾が身を守ってくれるのも功を奏したのだろうな。だが欲を言えば方陣と共に攻める騎兵が欲しいところだな。方陣で正面への圧力をかけつつ、騎兵が横から突いて揺さぶれば敵は前と横を同時に相手にしなければいけなくなる。実現出来ればかなり強力な兵団となるだろう」
平野だからこそ出来る陣形でもあるが、逆に山間部や谷間といった場所ならば、一度に相手に出来る兵数に限りが出るので寡兵でも戦いやすくなる。サクヤの頭にもそのくらいは入っているだろうが。
それでも正面から向かい合うのはやはり実力で国を打ち負かしたいからなのだろう。正面から堂々と打ち破れば「卑怯な手で国を簒奪した」などといった不名誉なことも言われなくなる。
おそらくはサクマの為にだろう。きっとサクマに不名誉な称号は相応しくないと考えたのだ。兄好きな妹の精一杯の献身だった。
「正面、ぶつかんぞ」
ヴァンが思考に沈む私たちに声をかけた。
視線を戻すと、ちょうど真正面からぶつかり合う所だった。
敵は盾に覆われ切れていない足を狙おうとするが、下に意識を集中させた途端に槍で貫かれる。もしくはそのまま盾で殴られて倒れた所を次々と踏み潰されて絶命していった。
「圧倒的だな」
「向こうも盾を持ってりゃ盾での殴り合いも出来たかもしんねえけどな。ま、今更言ってもしょうがねえことだし敵にしてみりゃまさか農民風情がこんなことをやってくるとは思ってなかったんだろうよ」
ヴァンの言葉を示す通り、マヌの兵士には動揺が広がっている。元の士気も低いのか、あれでは遠くないうちに壊滅しそうだ。
「ソンの様子はどうだ?」
「未だ動きは無しです…にゃ。形成不利なのは理解しているとは思いますが、初期配置からそのままです…にゃ」
「何を考えているか分からんな。このまま邪魔をしないでくれれば良いが」
最初の突撃によるぶつかり合いでマヌの兵は軽く見積もっても三百ほどは死んだだろう。対する蜂起軍は目立った損害はない。運のない数十名ほどが死亡したくらいか。相手と比べれば少なすぎる損害である。
第一陣のぶつかり合いが終わり、今度は第二陣がぶつかり合う。同じ様に蜂起軍が有利で進んで行くが、
「ソンが動きました…にゃ」
赤い集団が遂に動きを見せるのだった。
ソンの兵士は縦陣を構築している。密集方陣の弱点である側面から叩くつもりだろう。
「奴等に手を出させる訳にはいかんな。危機に陥るまで手を出すなとは言われていたが、これから陥るだろう危機を見逃す理由にはならん。クルル、ヴァン。いくぞ」
「はいですにゃ」
「応よ」
無駄な犠牲を減らすことは、とても重要な勝利の条件である。
私たちは戦場にちょっかいを掛けようとする赤い集団に向けて急降下するのだった。