124話 ラナ〜城へ向かう〜
深夜。蝋燭の火が灯る室内で、カレン・ラナは眠る前にカンナ・オダから受け取った報告書に目を通していた。
その内容は近々討伐予定だった山賊が討伐されたことと、それを成した者の名前が記されていた。
「……お兄さん」
聞き覚えのある一人の名前の文字に触れ、その名をぽつりと呟く。更に下まで目を通すと、『彼らを護国の為に勧誘した』という意味の文言が思い出したかのように付け加えられていた。
もし手を貸してもらえるのならラナに一騎当千の戦力が三人も手に入ることになる。しかしこの無理矢理付け加えた文字を見ると、護国というのはただの建前で、カレンの「また会えるかな?」という言葉を現実にする為に動いたようにしか見えなかった。
「カンナったら、いつまで経っても過保護なんだから……。会えたらいいな、程度のただの希望でしかなかったのにね」
優秀だけどちょっぴり過保護な心優しい親友のお節介にカレンは苦笑して、就寝の為に蝋燭の火を吹き消した。
ーーーーーー
カンナ・オダと対面してから既に五日が経過した。が、未だこちらから城に赴いていない。
それは何故か。これでも私たち三人は全会一致でカンナ・オダの勧誘を受け入れると決定していた。
私とクルルはソンと戦う為にラナに取り入ると決めていたし、ヴァンは戦う為に私たちについて来ている。全員の目的が同時に満たされるのだから、彼女の誘いを拒否する理由はなかった。
ならば何故───と問われるかもしれないが、理由は至極単純。
一も二もなく城に向かうのは、こちらが真面目に協議したのかと疑われてしまいかねないことと、私たちは安売りするほどの存在ではないということを示す為であった。
それに、あの時の私たちはまだラナに滞在して二日目だった。折角一週間も期間を貰ったのだから、城に向かうのは期日の最終日で良い。それまで街の様子を見ておくべきだと判断したのだ。
そういう訳で、現在はそれぞれ自由に行動している。クルルは何処に行ったかわからないが、ヴァンは酒場だろう。清酒が気に入ったらしく、修業の一環である模擬戦が終わった後は頻繁に入り浸っているようだ。
私はラナに来た初日に見つけた茶屋で一人のんびりと緑茶を啜っていた。街は一通り回ってしまったので、他に行くところがなかっただけなのだが。
暇つぶしに通りを歩く人の数を数えるという無意味なことをやっていると、近くに人の気配を感じた。
気配の方に目を向けてみると、そこには忍び足でこちらに近寄る、以前見た顔があるのだった。
「……何をしているんだ。レンカ」
相変わらずスリットの深い改造着物を着ている黒髪黒目の女性レンカ。今更だが、髪は黒いのに耳尾が白いのは何故なのだろうか。
声を掛けられたレンカは、視線が合わないように目をそらす。
「あ、あれー。き、きぐーだなー、久しぶりだねーおにーさん」
怪しさ満点の棒読みの返答だった。
「久しぶり……というほどでもないと思うが。しかしそこそこ広いこの街で名前しか知らない相手と再び出会うというのは珍しいと思う」
「だよねー! 普通また会えるなんて思わないよねー! 連絡先とか知らないのにねー!」
何処となくわざとらしい言動だったが、彼女のことは何も知らないので突っ込むことはしなかった。
「ところで、あたしも隣に座っていいかな?」
「ああ」
断る理由もないので以前と同じように隣り合って座る。ちょうど良く店頭に出て来た店員にレンカの分も含めて追加の注文をしてから視線を街の通りに戻した。
「ねえお兄さん。何を見てるの?」
「特に何も。強いていうのなら人間観察……かな。例えば」
そう言って指を早足で歩いている女性に向ける。
「あの人は何故あんなに急いでいるのだろうか。綺麗に化粧をして、手に持つ小物入れも高価そうだ。着物も他の人たちよりきっちりと着込んでいるが表情には焦りがみえる。以上のことから、あの女性は友人か恋人か……おそらくは恋人だろうな。との待ち合わせに遅刻しそうになっている。だから早足で歩いていると推測出来る。走らないのは着物が崩れてしまうからだろう」
「へえー。確かに言われてみればそうっぽいかも。じゃああの人は?」
レンカが指差したのは、必死な形相で全力疾走している男性だった。
「焦燥と恐怖の感情が見える。おおかたスリか食い逃げでもしたのだろう」
「何でそんなこと分かるの?」
「簡単なことだ。男が走ってきた方向を見るといい」
レンカは言われた通りその方向を見ると、数人の男たちが先ほどの男性を追いかけて走ってきているのが見えたのだった。
「はえ〜。本当だ〜……って! 犯罪じゃん!? 捕まえようよ!!」
立ち上がるレンカに「大丈夫だ」と言い、男性が逃げている先の方向を指差した。
「奴は既に詰んでいる」
路地に繋がるT字路で待ち構えていた禿頭で上半身裸の筋骨隆々とした男が目の前を通り過ぎようとした男性を引っ掴んで路地に消えていった。
レンカはその様子を見て呆然としていた。
「なんか……すっごい筋肉の塊みたいな人が逃げてた人を掴んでたんだけど……」
「そういうこともあるんだろう」
「普通ないよ!! 何あの人!! あたし的にはむしろあの人の方が不審者だよ!!」
「ちなみに彼はミカンという名前でミカちゃんの愛称で呼ばれて親しまれているらしい。実に似つかわしくない名前だな」
「どうでもいいよ!! ていうか何でそんなこと知ってるの!?」
ミカンことミカちゃんはヴァンが入り浸っている酒場の常連でつい先日遭遇して会話したばかりだからである。ということを説明したところで意味はないだろう。
連続で叫び続けることになったレンカは荒い息を吐きながら私に向けてじとっとした目を向けてくる。
「なんか、一気に疲れたよ……」
「座っていただけなのにな。不思議なこともあるものだ」
「……お兄さん、あたしで遊んでるでしょ」
深いため息を吐いてからお茶で喉を潤すレンカ。そして、先ほどまでのことを忘れるように別の話題を振ってきた。
「お兄さんってさ、結局いつまでこの街にいるの?」
「何故そんなことを聞く?」
「だって旅人さんでしょ? 永住するならともかく、用もないのにいつまでも同じ所に居座る旅人なんて居ないと思うけど」
「それもそうだな」
レンカはただの一般人だ。政とは無縁な生活を送っていそうな彼女に事情を教える訳にはいかない。カンナ・オダとのやり取りは政治的なものでもある、慎重に言葉を選んで話す必要があった。
「私の場合、今はちょっとした休息期間というやつだ。この街でやる事があるせいでこれからしばらくはあまりゆっくりしていられないだろうからな。短いが自由な時間を満喫しているところだよ」
「ふーん、そうなんだ」
レンカの返答は素っ気ないものだった。具体的なことが何一つ分からないのだからある意味当然ではあったが、それにしては表情が明るくなった気がする。
「この街でってことは、まだしばらくはここにいるってことなんだね。そっかそっかあ」
「急ににやけて、どうしたんだ?」
「べっつにー。何でもないよー」
にやにやと笑みを浮かべるレンカはおもむろに立ち上がった。
「そろそろ時間だからあたしは戻るね。じゃあねお兄さん。またね」
そう言ったレンカは私の返事も聞かずに駆け出していき、すぐに人混みの中に紛れていった。
「……会計、押し付けたな」
大した額でもないので別に構わないが。
それにしても、彼女はまた会うつもりでいるのだろうか。名前以外の情報は一切教えていないというのに。
だが断言するような口調で言ったレンカの言葉から、彼女の中ではまた会うことが確定しているようでもあった。
「まさかな」
一瞬思い付いた考えを否定して首を振る。
あんなに明るくて警戒心の薄そうで能天気そうな女がカンナ・オダの手足だなんて、そんなことがある筈ないと。
既に居なくなってしまったレンカの分の飲食代も含めて支払ってから、宿に戻ることにしたのだった。
そして、期日の最終日。
私たちは城に足を運んでいた。
「へえ、割とデカイのな。石垣に、堀もある。背後は山で正面は城門から伸びる昇降式の橋からしか侵入出来ないようになってるのか。ここまで攻め込まれるってのは城下に被害が出るって点でほぼ負けと変わりないが、篭城戦にはかなり耐えそうだ」
城を見回しての感想をヴァンが述べる。
侵入者を拒絶するように作られたのだろう、内部の裏切りでもない限りは不落の城となり得そうに感じた。
「クルルはどう思う?」
隣のクルルに声をかけてみると、少し間を置いてから返答があった。
「私なら侵入自体は問題なく可能です…にゃ。その後も見付からず、無事に脱出まで出来ますが……内部の情報が無ければ苦しいものになるでしょう。あのカンナ・オダがそんな致命的な情報を外に出しているとは思えませんので、私以外の隠密ではまず無理だと思います…にゃ」
クルルの高性能さには驚くが、そのクルルでさえも苦しいと言う。情報を全て抑えるという彼女のやり口は、敵対者からすればとてつもなくやり難いだろうことが予想された。
そんな会話をしつつ城門にたどり着く。衛兵に用件を伝えると既に話は通っていたようですぐに中に通された。
案内された場所は奥に絹糸で出来た仕切りのある座敷で、仕切りの前にカンナ・オダが座してこちらを待っていたのだった。
「やあ、待っていたよ。ここに来てくれたってことは、ボクの誘いを受けてくれるのかな?」
「そういうことになるか。どうせ、私たちが今日ここに来ることは予期していたのだろう?」
私がそう切り返すとカンナ・オダは口元を笑みの形に歪めた。まるでそれが答えであるかのように。
「座布団があるから座るといいよ。立ちっぱなしも辛いだろうし、何より今から会ってもらう人を相手にするには無礼だからさ」
「……ということは」
「へえ。やっぱり知ってたんだ。そうだね、君の予想通りということになるかな」
その言葉が終わるのとほぼ同時に、仕切りの奥から物音が聞こえてきた。そして、一人の人間がやって来たのだった。
仕切りで直接姿を見ることは出来ないが、あれがこのラナの当主、カレン・ラナなのだろう。
「お待ちしておりました、カレン様」
カンナ・オダは畳に手をつき礼をする。それがこの国の目上の人間に対する所作らしい。
「いえ、私も少しだけ遅れてしまいました。もう始まってしまいましたか?」
「ちょうど今からです。大丈夫ですよカレン様」
仕切りの奥から聞こえてくる声は、穏やかな大海を思わせる、まるでこちらを包み込むような慈愛のこもった声であった。
カレン・ラナの噂はほとんど聞かない(ように情報統制されている)が、相対した人を自然と傅かせてしまう聖女然とした雰囲気を感じる。
「それは良かったです。では───。私はカレン。カレン・ラナと申します。異邦の方々、どうかその名をお聞かせ願えませんか?」
「俺はノーズヴァンシィだ。呼ぶならヴァンで良い」
「クルクルです…にゃ」
「ホシミだ」
私が名乗った後、奥から息を飲むような音が聞こえた。初対面の筈だが、何か彼女の琴線に触れたのだろうか。
しかしそれも一瞬のことで、すぐに次の声が飛んでくる。
「ありがとうございます。貴方がたにはこれからこの国の力になって頂けるとそこのカンナから聞いております。その実力もお聞きしておりました。私に出来ることはさほど有りませんが……、どうかその力を私たちにお貸しください」
「この先ずっと……という訳にはいかないが、此処に居る間は可能な限り君たちの力になると約束しよう。だが忘れないでほしい。私たちがいくら強いとはいえ、人である以上は限界がある」
「勿論です。一人で何でも出来てしまう、そんな完璧な人間なんて何処にも居ないのですから。そこに居るカンナも、才女だと、この国一の頭脳だと持て囃されておりますが、意外と可愛らしい弱点もあるのですよ」
「カレン様!?」
カレンはくすくすと笑い、カンナは不意打ちの話に驚き焦っている。
突然告げられた話にこちらは困惑するしかないのだが、その様子を察したカンナは咳払いを一つした後で何事もなかったかのように澄まし顔に戻る。
「ふふっ……。では、細かい話はまた日を改めて。私はこれにて失礼します。ホシミさん。クルクルさん。ヴァンさん。これからこの国をどうかよろしくお願い致します。カンナ、後は頼みましたよ」
「はい、カレン様」
カレンはそう言うと静かに立ち上がり奥へと消えていった。
彼女もこの国の重要人物だから、それなりに仕事があるのだろうと思った。
後を託されたカンナはこちらに振り返ってから、
「まずは君たちに使ってもらう部屋に案内しよう。それぞれ個室で良いかな?」
と聞いてきた。私が首肯しようとする前にクルルが「私は主と同室が良いです」と言うのだった。
「へえ。男と女なのに同室かい? 君はそれで本当に良いの?」
私に訊ねるその口調は穏やかだったが、カンナの目が「どういう意味だ」と聞いているのが分かった。
「私とクルルは主従だ。ヴァンと出会う前はずっと二人で旅をしてきたが、その時も宿は一室しか取っていなかった」
「それに私と主は既に関係を持っていますにゃ。お風呂も就寝も一緒なので、貴女が想像しているよりも遥かに進んでいますよ」
「なっ……!!?」
クルルの言葉に一瞬で紅潮し言葉に詰まるカンナ。助けを求めるようにヴァンに目を向けるが───。
「諦めろ。嬢ちゃんは普段はあんま自己主張をしないんだがこいつのことになると人が変わるんだ。前なんて俺が居るってのに堂々と甘えてやがったからな……」
おそらく合成獣から生還した後のことを言っているのだろう。確かにあの時のクルルは少し普通じゃなかったと思う。
もしかしたら死んでいたという状況だったので、彼女の秘めた内心が表に出てきてしまったのだろう。
信じられないものを見る目でこちらを見るカンナだったが、割り切ったのか追求しないことにしたようだ。
「じゃあ……二部屋だね……」
若干疲れたような声でそう言うカンナの顔は、微かに赤らんだままであった。
その日は城内の主要な場所の案内をされて、翌日から練兵に加わることになったのだった。