122話 ラナ〜反省の正座〜
「で、何か言うことはありますか…にゃ」
「ありません」
朝、起きてきたヴァンが部屋の中でクルルに正座させられている。何故このような状況になったのか。それは、昨日の行動のせいだった。
昨日は別れて情報収集をしていたが、ラナの情報統制はかなりしっかりしており、素人ではそう易々と情報を得られないとクルルは思っていたようだ。だから情報を得られなかったことを責めているのではない。
問題は、情報を得られないからといって昼間っから酒を飲み、情報収集のことすら頭の中からすっぽ抜けていたことだった。
ヴァンに向けて完全な無表情と底冷えするような低い声で「正座」とだけ言い放ったクルルと、「えっ、俺?」という表情を浮かべていたヴァンを私は決して忘れないだろう。
「まったく……時間になっても戻らないから心配して探してみれば、男たちと肩を組みながら上半身裸でワイワイ騒いでいた姿を見ることになった私の怒りと遣る瀬無さが晴れるまで、しばらくそこで正座してなさい」
「はい、すみませんでした」
自分に非があることが分かっているのだろう。ヴァンはクルルの言葉におとなしく従うのだった。
「はぁ……。本来ならば昨日のうちに済ませていたのですが、情報共有をします…にゃ」
ベッドに腰掛けていた私の隣に座ったクルルはようやく本題を切り出した。
「私は昨日クルルにも言ったが、何も得られなかった」
これはレンカと話していたせいだが、そうでなくとも何かを得られたとは思えなかった。
次にクルルはヴァンに視線を向ける。
「俺は昼間っから酒を飲んでました。おいしかったです」
「蹴り飛ばしますよ」
「すみませんでした」
余計な一言を言わなければ良いのに。だからクルルが怒るのだが、もしかしてわざとやっているのだろうか。
それはともかくとして、最後は本命のクルルである。
「私ですが、幾つか情報を手に入れてきました…にゃ」
流石と言うべきか、クルルはしっかりと情報を手に入れてきたようだ。
「ラナの当代はどうやら女性のようですにゃ。名前はカレン・ラナ。ですが、仕切り越しにしか謁見出来ないせいで誰もその素顔を見たことがないそうです。……ああ、誰もではありませんね。一人を除けば、が正確でしょうか」
「その一人とは?」
「当主カレンのお側付きにして、このラナで最高の軍師。カンナ・オダです…にゃ」
「オダ……?」
聞きなれない単語が出て、つい聞き返してしまった。しかしクルルは呆れることもなく、しっかりと説明してくれる。
「まずはそこから説明が必要ですかにゃ。オダはラナの豪族に昔から仕えてきた一族です…にゃ。当代は二人とも女性ということで特に親しく、主従を超えた親友同士との話も聞いています。実質彼女が軍部も含めてラナの政治を回しているそうで、ラナの人間はカンナ・オダを『天才』『最高の頭脳』と評し讃えているらしいですにゃ」
「情報統制も彼女の仕業なのだろうな」
「ええ……。本当に恐ろしい手腕です…にゃ。もしかすると、私たちのことは既に把握されている可能性もあるでしょう」
昨日街に入ったばかりの人間にそんなことが可能なのだとしたら、彼女は全ての人間の動向を把握していることになる。
もしそんなことが出来たら化け物だ。出来るわけがない……と、否定出来るだけの材料を私たちは持ってはいなかった。
「どうする? しばらくは様子見という選択肢もあるが」
「私としてはどちらでも構いませんにゃ。今すぐに城に向かってもあまり変わらなさそうですが、そうですね……この近くに西から流れてきた農民崩れの山賊がいるそうですから、彼らを排除した武功を片手に門戸を叩いてみるのも悪くないと思います…にゃ」
「ヴァンは?」
先ほどからずっと黙っているヴァンに話を振ると、
「俺は戦えるんならそれで良いぜ」
という実に彼らしい意見が出てきた。折角クルルが提案してくれたことだし、彼女の意見を採用しよう。
「では山賊退治に行くとしようか。クルル、場所の目安はついているか?」
「はいですにゃ。ラナの西域の山間部を根城にしているらしいということがわかっています」
「ありがとう、流石クルルだ。では準備を整えて出発することにしよう。私は護身用に適当に剣を買ってくるから、二人も準備を始めててくれ」
「そういうことなのでヴァンは正座から解放してあげますにゃ。これに懲りたら馬鹿な真似はやめるように」
「おう! いやーホント悪かったなアハハハハ!! じゃっ、ちょっくら準備してくるわ!!」
正座を解くとヴァンはまったく反省していなさそうなことを言ってから宿の自分の部屋に戻っていった。
「……アイツ、絶対反省してないですにゃ」
クルルがため息を吐いて頭を抱えている。私は慰めるように頭を撫でながら声をかけた。
「まあ、まだ問題は起こしていないし、何かやらかしてから考えようか」
「主がそう言うなら……。でも、ちょっと腹が立つので、山賊と戦うときには最前線で敵を蹴散らす肉盾になってもらおうと思います…にゃ」
クルルの黒い提案に苦笑して返す。
山賊の討伐が終わったら、今回の件と合わせて盛大に労ってあげようと思った。
ーーーーーー
「へえ。君がそんなに楽しそうにしているなんて珍しい。ボクも久し振りに見たんじゃないかな?」
「そう? 私にだって楽しみくらいあるのよ?」
東屋で話している二人の女性。片方は朱色の着物を着ているが顔をベールで隠しているせいで見ることが出来ない。
もう片方は、長い髪を三つ編みにした緑がかった黒髪と、髪と同色の猫型の耳尾を持つ女性だった。こちらは空色の着物を着て向かい合って座っている。整った顔立ちは中性的で、男にも女にも見えるが、胸元にある膨らみが男性であることを否定していた。
「楽しみ……ね。どこかの誰かさんが立場も仕事もほっぽり出して街に遊びに行くことがかい?」
「へー、そんな酷いことをする人もいるのねえ。私には見当もつかないわ」
かたや渋面、かたやからかうような声音。
しかし変な堅苦しさは一切なく、この会話だけで二人が仲の良い関係だということが分かった。
「まあ、いいさ。予想通りと言えばそうだし、君が居なくとも回る仕事だからね。で、何が君をそんなに楽しませたんだい。それくらい聞いても良いだろう? 君の、代わりに、仕事をしたんだから」
わざと区切って強調しながら話す三つ編みの女性の様子にベールを被った女性はくすくすと笑う。
「ええ、もちろん。私も貴女には聞いてほしかったんだもの。昨日ね、面白い人に会ったのよ」
「君の言う『面白い』はあまり信用出来ないんだけど、今回はどんな感じだったんだい?」
「うーんとね。一言で表すなら、不思議な人、かな? 私や貴女と見た目はほとんど変わらない筈なのに、何かこう……もっとずっと長い時を生きている、そんな雰囲気があったの」
「それは珍しい。もしかしたら、それは噂に聞く『仙』と呼ばれる存在かもしれないね」
「それは無いわ。だってその人、只人だったもの。仙になれるのは選ばれた獣人だけ……でしょう?」
「そうだね。ということは普通の人間か。でも君はそうじゃないと思ったんだ?」
「勘だけどねー。だから気になって話しかけてきちゃった。てへ」
顔が見えていたら舌を出していただろう。その姿を想像したのか、三つ編みの女性が眉間を抑える。
「あのさあ。君、仮にも偉いんだからもうちょっと考えて行動してほしいんだけど。その人が危ない人だったらどうするのさ」
「それはないって思ったから話しかけたんじゃない。私だって、危なさそうな人には声をかけないわよ。貴女だって私の直感を知ってるでしょ?」
「知ってはいるさ。それが時たま未来予知のような正確さで色々伝えてくれることも」
「心配性なんだから〜。私は大丈夫よ。ほら、五体満足だし身体も綺麗なままよ?」
手を広げてひらひらと揺らす女性に頭を抱えるもう一人。
「そうじゃなかったらボクが困る。主君が一人で遊びに行ったら傷物になりました───なんて、笑い話にすらならないからね」
今度は頭痛を抑えるように頭を支え、ため息を吐きながら話す三つ編みの女性は、目だけで先を促した。
「それでね、色々とお話してきたんだけど、その人ったらすごく強いみたいで。魔獣討伐をしに行ったら魔獣じゃなくて合成獣で大変だったーとか、野盗が襲ってきたから返り討ちにしたーとか、旅をしながら戦ってきたみたいなの」
「───合成獣?」
休憩モードから一瞬で仕事モードの声色に変わった三つ編みの女性に、ベールを被った女性は困惑しつつも頷いた。
「うんそう言ってたけど……どうかしたの?」
「いや、草の者がちょっと面白い情報を手に入れてきてね。そうか、……がここに来ているのか」
「ちょっとー私にも分かるように言ってよー」
考え込む三つ編みの女性と、教えろと駄々をこねるベールを被った女性。
三つ編みの女性は口元を楽しげに歪めながら、
「いやね。もしかしたら君が会ったという人ともう一度会えるかもしれないよってことさ」
と言って席を立った。
「ごめんね、ちょっと調べたいことが出来たから先に行くよ。戻る時は口調に気を付けてね。そんな子どもみたいな喋り方してたらみんなが驚くから」
「ええ〜折角のお休みなのに〜。でも、またあの人と会えるのかな?」
「君が会いたいと言うのなら、ボクは全力を尽くすだけさ。気を付けて戻ってくるんだよ、カレン」
「はーい。心配性だなあもう」
カレンと呼ばれた女性は手をひらひらと振って女性を見送る。そして思い出したように、既に戻ってしまった友人に向けてぼそっと呟いた。
「そういえばあの人のこと、男性だって言ってなかった。大丈夫かな?」
ぼんやりと遠くを見つめて、まあなるようになるかと思ったカレンは先ほどまでの騒々しさがまるで嘘であったかのように静謐な雰囲気を醸し出し、ゆっくりと、しかししっかりとした足取りで中へと戻るのだった。