114話 ヴァンとの出会い
行き先が定まった私とクルルは、ひとまず現在地にほど近いユサの豪族が治める地に向かった。
目的は物資の補給である。私とクルル用に空間拡張と時間停止の二つの魔術が掛けられた便利袋があるので大荷物を抱えての移動にはならないが、まだしばらく旅は続くので不測の事態に備えてといったところだ。
ユサの地はそこそこ栄えている地である。きっと領主が有能な人物なのだろう。西部の中で最も飢饉の影響が少ないらしく、民の表情も明るい。市には思っていたよりも割安で食糧が並んでおり、行商人らも他で買うより全然安いというほどだ。
市街は西部では一般的な木造の平屋建が居並ぶ様はまさしく圧巻。瓦と呼ばれる独特の屋根や畳と呼ばれる床を採用するなど、独自の文化を発展させているらしい。
「主、食糧以外に補充するものはありませんかにゃ?」
隣に立つクルルが袋の中身を覗きながら尋ねてくる。彼女も補充するものを思考しているのだろう。
「私は特には無いな。クルルは何か買うのか?」
「そうですね……。ロープと鉤爪と鏃に薬草、短剣の予備と……後は直接見て良さそうなものを適当にでしょうか…にゃ」
「そうか、では行こう。買い物が済んだら何処かで食事でもしようか」
「それは良いですにゃ。西部には独自の食文化がありますから、あっちでは珍しいものもあるかと思います…にゃ」
目的のものをまず購入してから、後は適当にぶらぶらと市を眺める。特にめぼしいものはなかったので私は何も買わなかったが、クルルは幾つかの服と靴を購入したようだ。おそらく新しい着替えだろう。
それ以後は他に買いたいものは見当たらなかったようで、今度は飲食店の並ぶ場所まで移動したのだった。
「主は何か気になる食べ物はありますか…にゃ?」
クルルが周囲の店を見回しながら尋ねてくる。点心や餃子といったお手軽に食べられるものから、肉料理だけが並ぶ店、魚料理だけが並ぶ店というアクの強い店もある中で、ただ『うどん』とだけ書かれたのれんの店が目に留まった。
「あの『うどん』というのは何だ? 私は初めて聞く名前だが……」
「ああ、あれは……パンと同じ小麦粉を使った料理です…にゃ。パンとはまったく別物の麺というもので……これ以上は実際に見た方が良いでしょうかにゃ。百聞は一見にしかずです。行ってみましょう…にゃ」
クルルはそう言うと私の手を引いてのれんの中に入っていった。
店内は木だけで作られたテーブルと椅子が数席と、座敷が奥に数席あるだけのあまり大きくない店だった。
「へいらっしゃい!」
白い布を捻って頭に巻いた、壮年の逞しい男性の店員が声をかけてくる。頭の上には狸の耳が生えており、彼が獣人であることが分かる。
「二人ですにゃ。……オススメはありますかにゃ?」
クルルの声に店員は「そうっすね〜」と少し悩んでから人差し指を立てる。
「ねぎ玉うどんがいいっすね! ちょうど朝取れたての卵が入荷したばかりなんすよ! どうっすか?」
「それは嬉しいですにゃ。では、ねぎ玉うどんを二つお願いします」
「あいよ! ねぎ玉二つぅー!!」
「「ねぎ玉二つぅー!!」」
店員の声に応えるように奥から復唱する二つの声。調理担当者が今から調理を始めるのだろう。
私たちは空いている座敷に通されて、注文の品を待つことにした。
「クルルは食べ慣れているのか?」
「それはもちろんです…にゃ。西部の主食は米ですが、ここ二百年ほどの間では麺が人気になってきているんです。大体の人はよく食べていると思いますにゃ。うどんの他にも、そばにラーメン、そうめんなんてものもありますにゃ」
米から小麦に転向する農家も出ているそうで、西部での食文化が徐々に変わりつつあることを知ることになった。
クルルから麺の話を聞いていると、店の奥から盆を運ぶ店員の姿が見えてきた。
「お待ちどぉー! 熱いから気をつけて食ってくれよな!」
湯気が上る熱々のねぎ玉うどんがやってきた。つい先ほど割ったばかりの卵が器の真ん中に乗せられており、湯気によって温められて徐々に白身が固まっていく。
「いただきます」
クルルはそう言うと、箸を器用に使って下の方から麺を取り出した。小麦粉を原料にしていると言っていたとおり、色は白く細長い形状をしている。
ふーふーと息を吹きかけて冷ましてから、口の中に入れるとちゅるちゅると吸い込んでいったクルルは、満足のいく品だったのか何度も頷きながら食べていった。
私もクルルに倣ってうどんを食べる。
箸の扱い方は西部に行く数年前にクルルに叩き込まれたので問題ない。
まずは普通に麺だけを口に運ぶ。うん、麺自体は茹でた小麦だ。しかしスープが美味しい。鶏ガラと醤油、他にも色々使っていそうだ。ねぎはシャキシャキとしていて、柔らかな麺とのアクセントが際立っている。
次は卵を箸で突いて割り、黄身が広がっていく。麺を黄身と絡めて口に運ぶと、先ほどとはまた味が変わっている。こちらも美味しい。
一つで二つの味が楽しめる、何とも楽しげな料理であった。
しばらく夢中になって食べていると、新しく人が入ってきた。
そっと目を向けてみると、薄青の髪を逆立てた青年が入ってきたようだ。側頭部には角、背部には翼があり、彼が龍人であることが伺える。
「へいらっしゃい!」
店員が声をかけると、青年は
「一人、ねぎ玉うどんのねぎ抜きで頼む」
と、何とも驚きの注文をつけるのだった。
流石に店員も微妙な顔をしている。
「なあ兄ちゃん。ねぎ玉うどんのねぎ抜きって、それただの月見うどんだぜ? いや、兄ちゃんがそれで良いなら良いんだけどよ」
「俺はねぎが苦手でなあ。後は、実際に店でねぎ抜きって言ってみたかっただけだ」
ならねぎ付きの奴を頼むなよ! 頭おかしいんじゃねえの?! という店員の困惑した雰囲気を感じる。しかし商売中であることを思い出した店員は愛想笑いで誤魔化した。
「へえ、そうなんすか。ねぎ玉うどんのねぎ抜きってことは月見うどんで良いっすね?」
「じゃあそれで頼む」
「あいよ! 月見いっちょぉおおー!!」
「「月見いっちょぉおおー!!」」
うどんをすすりながらその様子を見ていたクルルが、ぼそりと「あいつ馬鹿ですにゃ」と言ったのを聞かなかったことにした。
食べ終えて食後休みをしていると、外から騒がしい声が聞こえてきた。座敷の席にあった窓から外を覗いてみると、一人の男が追われているようだった。男は豹の耳と尻尾を持つ獣人で、追ってくる者を引き離している。
「ただの食い逃げのようです…にゃ」
つまらなさそうにクルルが言う。彼女には遠くの声が聞こえていたらしい。
それ以後は興味を失い、窓枠に頬杖をついて眺めていた。
このまま何もしなければ、男は逃げおおせるだろう。それは店の人間にとっては許せないことのはずだ。だからほんの少しだけ手を貸してあげようと思った。
男はこちらに向かって全速力で走ってきている。私はほんの僅かに魔力を動かして、男が走る通りに細い木の根を生やした。
そして男が私たちの前を走り抜けようとした瞬間、木の根がピンと張りつめ足を掬う。
「おっ!? だわああぁぁぁぁあ!???」
急に現れた木の根に対応出来なかった男は、盛大にすっ転んだ。顔から落ちて地面を滑っていったので相当痛そうだ。呻きながら蹲っている。
「ようやく……捕まえたぞっ! このっ、泥棒めっ!!」
息を乱しながらもようやく追いついた人々は男を押さえつけて拘束した。
「この野郎食い逃げしやがって! 金はあんのか? ない!? クソが警邏に叩き出してやる!!」
どうやら完全に無一文だったらしい男は、聞く者に哀れみを向けられそうな悲鳴をあげて連れ去られた。
しばらくは呆然としていた民衆も、すぐに気にしないことにして平常に戻っていく。
木の根は既に消え失せているので、今後誰かが引っかかることはない。
「主はお優しいです…にゃ」
私がやったということが分かっているのだろう。クルルは微笑んでいた。
「料理人にとって食い逃げは被害が大きいからな。あれで逃げられたらまあそれはそれでと思っていたが、無事に捕まって何よりだ」
自分から首を突っ込む気にはなれないが、軽く手助けするくらいなら誰も文句は言うまい。
会計を終えて店から出る。今日は宿に泊まる予定を立てていたのだ。宿探しに歩き出そうとすると、後ろから先ほど同じ店で食事をしていた龍人が声をかけてきた。
「さっきの奴をやったのはお前さんだよな? なかなか見事な手並みだった」
素直に賞賛してくるが、彼はどこから見ていたのだろうか。その疑問に答えるように彼は続けて口を開く。
「店員のおっさんと入口で見てたけど、盛大にすっ転びやがったな! 思わず目を背けたくなるくらい豪快だったぜ」
そう言って笑う男に「そうか」とだけ返しておく。
「それで、私たちに何か用か?」
「うん? ああ、まあ。お前たち、かなり戦れるだろ」
男は私たちを値踏みするようにじろじろ見る。きっと立ち居振る舞いを見て実力を判断しているのだろう。だいぶ失礼だが、面倒事になるのは嫌なので視線は無視する。クルルは完全無視の構えだ。私の隣に控えたまま話が終わるのを待っている。
「実はな、この近辺にかなりデカい魔獣がいるっつー話でよ。俺と一緒に狩りに行かないかい?」
「魔獣?」
「おう。何でも熊みたいな超大型のやつらしい。たまに山から降りて村を襲っていって困ってるんだと。折角だから腕試しも兼ねて挑もうと思ってたんだが、一人は危ないかと思ってな。一緒に戦えそうな実力者を探していたら、偶然あんたらを見つけたって訳だ。どうだい? もし一緒に戦ってくれるなら報酬はそっちが七のこっちが三でいいぜ」
条件は悪くない。それに見たところ男はかなりの実力者だ。クルルと同等くらいの実力はあるだろう。
意見を求める為にクルルに視線を向けると、彼女は一度頷くだけだった。私に任せるということだろう。
「……住民にも被害が出ているというのなら、断る理由はない。私たちも助力しよう」
私の言葉を聞くと、男は手を差し出して、にやりと笑ってきた。
「俺の名前はノーズヴァンシィ。長いからヴァンで良い。よろしく頼むぜ」
「私はホシミ。彼女はクルクルだ。こちらこそよろしく頼む」
そしてノーズヴァンシィと名乗った男と握手を交わす。
これが、リアの父にして後の氷龍皇ノーズヴァンシィとの出会いであった。
現在のヴァンの口調は王になってから意識して変えたもので、昔は自分のことを儂ではなく俺と呼んでいました。
時間軸としてはおよそ九百年ほど昔なので、全体的に若々しいです。