111話 冥界の管理人 続
「こほん。えっと、見苦しいものをお見せして申し訳ありません…にゃ」
ようやく冷静さを取り戻したクルルが恥ずかしそうに謝罪する。
「見ている分には問題無かったからあまり気にしなくて良い」
「で。汝らは何をしに吾の所まで来たのじゃ」
先程の揉み合いで衣服がはだけているコスズの今更感のある問いかけに、クルルが答えた。
「主の自慢に来たにゃ」
「もう帰れ!!!」
「嘘にゃ。まったく、余裕がない女は嫌われるって前々から言ってたコスズはどこに行ったのやら……」
澱んだ目付きでクルルを睨むコスズ。口を開けば暴言が飛び出してきそうなところを堪えているようだ。
雰囲気から「早よ言え。そして去ね」というのが伝わってくる。
「クルル」
見かねた私がクルルの名を呼ぶと、こちらに尻尾を差し出してきた。尻尾はそのまま腕に巻き付いてくる。
「主に免じて許してあげます…にゃ。それより、お客人に対してお茶の一杯も出ないんですかにゃ?」
「あーあーあーあー!!! この雌猫め調子に乗りおって! そこまで言うなら取って置きを出してやろうではないか!!」
コスズはそう言うと立ち上がり部屋の奥へと消えていった。
足の踏み場もない筈の部屋をあんなにすいすいと移動出来るのはきっと慣れなのだろう。私は慣れたくはないが。
「あまり意地悪をするものではないよクルル。流石に可哀想だ」
「大丈夫です…にゃ。でも私があそこまで意地悪するそもそもの原因は主に魅了の魔眼を使っていたからですにゃ」
「そうなのか? 気付かなかった」
「主には効いていませんでしたにゃ。多分主の魔力抵抗が高いせいだと思うんですが…にゃ」
コスズへの意地悪にもきちんと理由があったらしい。クルルも私が盗られないように気を張っていたのだろう。
感謝を込めて頭を撫でると嬉しそうに目を細めていた。
しかしコスズが魔眼持ちとは恐れ入る。精神干渉系の魔術は緑属性だから、彼女本来の白属性魔術と合わせると、限定的ながら二つの属性を扱えるということか。
「クルルはそういう特殊な力はないのか?」
「私ですか…にゃ。うーん……。強いて言えば、常に最上級の強化の魔術が掛かっている身体能力ですかにゃ」
「常に?」
「はいです…にゃ。これも仙の得能と言いますか、何かしらの能力を授かるんですにゃ。コスズは魔眼。私は身体能力、と言った具合ですかにゃ」
「でもその代わりに代償もあってのう。男が仙に成りたがらぬ理由もこれにあってな」
いつの間にか戻ってきていたコスズが声をかけてきた。小さな手には盆があり、その上には湯呑みが三人分乗せられていた。
「代償?」
「そう、代償じゃ。クルクルから聞いておらんのか?」
コスズがクルルへと顔を向けると、彼女は首を横に振った。それは何も伝えていないということを証明する為の仕草だった。
「そうか、伝えておらぬのか。まぁ、遅かれ早かれ気付くことじゃ。今伝えても良かろう」
コスズは湯呑みを配ると椅子の上に座って一口飲んでから話し出した。
「仙となった獣人は不老と不死に近い肉体、そして何かしらの能力を得る。その代償は一つ。子を残せなくなることじゃ。男なら不能に、女なら卵が綺麗さっぱり無くなるといった具合じゃの。何故かは知らぬ。遥か昔からそうなっておったからの」
「血縁がいなくなってしまうのか」
「そうじゃ。……他に兄弟姉妹がいるのならその限りではないが、自身の直系はいなくなってしまうの。だがまぁ、仙になるような者はほとんどが天涯孤独じゃ。吾も、そこのクルクルもな」
「……」
クルルは黙り込んで会話の成り行きを見守っている。あまり混ざりたくはなさそうだ。
「過去の詮索はしてやるなよ。正直言って不愉快で胸糞悪くなる話しか出てこんからの」
「承知した。過去は過去、今は今だ。それに、私の信頼しているクルルは今のクルルであって、過去のクルルではないからな」
「くくっ、良う言うわ。誰にも知られたくないものというのはあるからの。言いたくなったらクルクルから言い出すじゃろうて。場所はきっと寝所じゃな。いっぱい愛してやるがよいぞ」
「コスズ!!」
「ほほほ」
また口論が始まりそうになったので意識を逸らす為に差し出されたお茶を飲んだ。
「……? なあ、コスズ」
「うん、なんじゃ?」
「このお茶はなんだ?」
薄茶色に色付いたお茶らしきものの中には小さく刻まれた黒っぽい何かと黒い粒が入っていた。不味くはない。むしろ好みだ。だが見たことも飲んだこともないものだったので気になっただけである。
「それは吾の取って置き……。ずばり、しいたけ茶じゃ!! 黒胡椒たっぷりじゃぞ!」
「しいたけってあのキノコの」
「そうじゃ、あのキノコの」
私たちのやり取りで味が気になったらしいクルルがしいたけ茶を一口飲んだ。
「……言われてみればしいたけの香りがするにゃ。しかも意外とおいしい」
「この黒っぽい破片はしいたけだったのか。この味はけっこう好みだ。」
「ほほほ。そう言われると嬉しいものじゃな」
なるほどコスズの取って置きと言うだけあってしいたけ茶は美味しかった。若干出汁っぽいと思ったのは言わないでおく。
「さて、そろそろ本題に入ろうかの。もうクルクルの機嫌も直ったじゃろ?」
「私を子ども扱いするなにゃ」
「吾に比べたらほとんどが子ども同然じゃからのう。ほれ、早よ言うてみい」
「じゃあ率直に。コスズ、私はしばらく主と共に過ごしますにゃ。その間は管理人の仕事はほとんどこなせないでしょう。一応その連絡と、後は大陸西側でちょっと厄介なことが起こってることの報告にゃ。百年以内には戦争が始まるのはほぼ間違いない…にゃ」
コスズはため息を吐いて頬杖をついた。その顔には「やっぱりか」という表情が浮かんできている。
「うむ、そうか……。冥界のことは吾一人でも何とかなるから良い。じゃから表のことは任せた。ホシミと乳繰り合いながら適当に過ごせ」
「了解…にゃ。あと最後のは余計なお世話にゃ」
これでクルルの用件は終わったのだろう、ちびちびと手元のしいたけ茶を飲んでいた。
コスズは優しい眼差しでクルルを見つめた後で私に目線を向けてくる。
「クルクルを頼むのじゃ。子こそ産めんが立派な女。しっかり可愛がってやってくれ」
「勿論だ」
コスズの言葉に頷くと、クルルは頬を赤く染めた。巻き付いていた尻尾が離れて、ぶんぶんと振り回されている。
その様子を見てコスズはにやりと笑った。
「ふふ、クルクルめ良い男子を捕まえおって。あそこで即答する者などそうはおらんというに」
小さく呟かれたコスズの声は、私には聞こえなかったがクルルには聞こえたようで顔中が赤くなっていくのだった。
クルルの部屋まで戻ってくると、急に後ろから抱きしめられた。
そのままどんどんと押され、ベッドに押し倒される。
「クルル?」
「……大陸西部は獣人がとても多い土地。そして私とコスズの生まれた地でもあります…にゃ」
先ほどコスズに話していたことの続きなのだろう。クルルに押し倒されてうつ伏せのままなので顔は見えないが、明るい表情ではなさそうだ。
「数十年は先になりますが……間違いなく戦争は起こります…にゃ。その時が来たら、私に主の力をお貸しください…にゃ。どんなことでも、なんでもしますから、どうか……お願いします…にゃ」
「クルルはその戦争で何を成すつもりなんだ?」
「私から全てを奪った一族への復讐を。無辜の民たちの屍山血河の果ての繁栄に終止符を打ちます…にゃ」
決意に満ちたクルルの声。もう既に彼女の中でやることは決まっているようだ。
過去に何かしらあったのは間違いない。コスズも聞くのはあまりお勧めしないという類のことを言っていた。
ならば、わざわざ自分から聞くこともあるまい。彼女は必要になれば必ず自分から話してくれる。
「分かった。君の力になろう」
決断は早かった。元より断るつもりはないのだ。
「だが私は戦闘の素人だし、戦争の経験はもちろん人を殺した経験もない。だからクルル、私に戦い方を教えてほしい。まだ時間はあるのだろう?」
「……はいっ! ありがとうございます、主! 私が手取り足取り全てお教えします…にゃ!」
クルルは余程嬉しかったのか更に抱きつく力を強めてきた。
頭や首の後ろに何度も口付けられているのを感じながら、ミコの言葉を思い出す。
『可愛い女の子には優しくしましょう。理由? 特にないよ。でもさ、むっさいオヤジと可愛い女の子だったら可愛い女の子の方が良くない?』
当時はあまりに酷い理由で絶句したものだ。
しかし、クルルのような美少女からの好意を受けた今なら何となく理解出来る。
自分を慕ってくれる女の子の笑顔はとても綺麗だったからだ。
なるほど、確かにこれなら可愛い女の子に優しくしましょうというミコの気持ちも分かるというものだ。
クルルの柔らかくて暖かい身体の感触を背中に味わいながら彼女が満足するまでそのままの体勢でいるのだった。
冥界には二週間ほど滞在した。
特にやることもやれることもないので、クルルと共にコスズの部屋に入り浸った。
コスズには「滞在料を要求するのじゃ」と言われて仕方なく彼女の要望を満たしたり、クルルはクルルでコスズに見せびらかすようにいちゃつこうとするのでコスズに嫌味を言われたりした。
コスズは嫌そうな顔をしながらも楽しんでいたと思う。しかしクルルの目を盗んで誘惑してくるのだけが玉にきずだったが。
そして最終日、コスズに別れの挨拶をしてから塔へと戻った。
コスズは若干頬を染めながら、
「また来るとよいのじゃ。ホシミならいつでも歓迎してやろう。今度は吾もクルクルのように愛でてもよいのじゃぞ?」
と言った。最後の言葉はクルルに聞こえないように耳打ちだった。幸せそうなクルルの姿を見て羨んだのかもしれない。
言葉での返答はしなかったが、頭を撫でたことを返答と受け取ったようで耳と尻尾を揺らして喜んでいた。
戻るだけならば空間転移が使えたので一瞬で戻ってこれた。しかし塔に戻ってすぐにクルルに襲われたのは誤算だった。
「女として、コスズにだけは負けられない…にゃ」
最後にコスズの頭を撫でたことに嫉妬したのだろう。私に馬乗りになり目が据わっていたクルルが満足するまで、三日三晩を要したのであった。