110話 冥界の管理人
あれからクルルの部屋へと案内してもらった私は、一体何がどういうことなのか説明してもらうことにした。
「ここは『冥界』と呼ばれている場所です…にゃ。別名を死者の国。死した魂が訪れるひと時の仮宿」
死んだ者は、肉体を地に還し、魂は地の底である冥界へと導かれるそうだ。
そこで生前に為したことの善悪を数え、善なる行いが多ければ永遠の楽園行きもしくは次なる生を。悪なる行いが多ければ地の牢獄───別名『地獄』───へと送られて、魂が摩耗し擦り切れて消滅するまで永劫終わることのない責め苦を受け続けることになる。
冥界は審判が下るまで魂が一時的に過ごすだけの場所だった。
「そして私は、この冥界の管理人。『黒』のクルクルです…にゃ。もう一人『白』の役割を担う者も居ますが、今は置いておきましょう。私たちは『仙』と呼ばれる超越者となって、人の身では到底たどり着けない能力を得ました…にゃ」
「その『仙』とは?」
「『仙』は獣人に伝わる秘術を修めし者です…にゃ。具体的なことは極秘なので教えられませんが、『仙』となった者には不老と物理的手段以外への不死を授かります…にゃ」
要するに、彼女は擬似的に再現した不老不死なのだ。
物理的手段以外では死なない……ということは。病気や寿命、毒、薬等では倒せず、殺すならば直接傷を負わせなければいけないということで。
しかしその仙であっても完全なる不死には至っていないようだ。
「だからクルルは私を見て驚いたのか……」
「その、はい……。仙とはいえ、首を切られてしまえば死んでしまいます…にゃ。死んだ筈の人間がどんどん治癒していく様は最初は何の悪夢かと思いましたにゃ」
となれば、以降の彼女が私を大きく警戒するのは至極当然のことと思える。
まさか自分以上におかしな存在がいるとは思わなかっただろう。
「そうは言っても、私自身自分のことがよくわかっていない。もしかしたら蘇生には回数制限があるかもしれんし、そんなもの無いかもしれない。ほんの少し前までは、ただの人だったのは間違いないんだ」
分からないことをぼやいたところで仕方ないのだが、ついつい口に出てしまう。
それはともかく。
「一度整理しよう。ここは冥界。いわゆる死者の国。そしてクルルは冥界の管理人で仙と呼ばれる超越者」
「そして主のしもべですにゃ」
とても大事なことだと言わんばかりに付け足すクルルに苦笑する。
そういえば管理人はもう一人いるのだった。クルルは自身のことを『黒』と言っていた。おそらく先天守護属性のことだろうがもう一人『白』のことを尋ねてみるべきか。
「なぁクルル。そのもう一人の管理人とやらもここには居るのか?」
私の言葉にクルルは首肯した。そして若干気まずそうに目をそらす。
「居るには居ますけど、あの子は引きこもりなので……」
多分出てこないだろう、と言外に匂わせているクルルだったが、何の紹介もないのは悪いと思ったらしい。
一応紹介してくれるそうだ。
クルルの部屋を出て、エントランスを抜けて屋敷の反対側へ。その最奥の扉の前にやってくると、クルルは扉をノックした。
「コスズ。コスズー? クルクルにゃ。帰って来たよー?」
しばらく呼びかけ続けると、中で少しばたばたした音を立ててから扉越しに声が聞こえてくる。
『クルクル? 久しいのう、基本的に出ずっぱりの汝が戻ってくるとは。何かあったのかえ?』
老人のような喋り方に似合わないほど幼く高い声。名前からして女性なのだろうが……。
「そうにゃ。私にもとうとう主が見つかったから、その報告と紹介に来たにゃ。どうする、外に出られるかにゃ? というか、人に会えるかにゃ?」
『な、なんと!? 吾を差し置いて……ぐぬぬ。暫し待っておれ! その、心の準備が……」
「開けるにゃ」
話の途中で無視して扉を開けたクルル。
扉の奥には、浴衣のような薄紅の薄衣を身にまとった、狐耳の幼女が居たのだった。
驚いたのはその幼さだが、それ以上に尻尾の数もある。
「七、八……九。九尾とは……」
九本の尾は毛並みが良くてふさふさで、包み込まれれば極上の気持ち良さを味わそうだった。
急に扉を開けられた九尾の狐は、驚き目を見開いて絶句した後で瞳に大粒の涙を零しはじめた。
「待ってって……。待っでって、言っだ! 言っだのに"ぃ"……」
「流石に今のはクルルが悪いな」
「だって主、この子ったら待てって言ってから数時間……下手をしたら数日も待たせるんですにゃ。時間がもったいないと思っても仕方ないです…にゃ」
そっぽを向くクルルと号泣する幼女。
幼女が泣き止むまで、なんとも居た堪れない時間を過ごすことになるのだった。
「こほん。先程は見苦しいものを見せたの。吾の名はコスズ。クルクルとはまあ、腐れ縁じゃ。汝、名は何という?」
「私はホシミだ。クルルから忠誠を捧げられて主となった。冥界や仙のことを知ったのはついさっきだ」
軽く自己紹介を交わしてから部屋をそっと見回す。
足の踏み場がないほどに何だかよくわからない雑多な物に溢れていて、はっきり言えば汚い。しかしクルルは慣れているのかまったく気にもせず、適当な山に頭を突っ込んでは何かを探していた。
「そうか。まあ、そうじゃろうな。ふむふむ」
コスズは私を舐めるように見回してくる。
どうしたのだろうか尋ねてみようとした時にクルルを指差して、反対の手では親指を人差し指と中指の間に入れて笑った。
「もう最後までやったんかえ?」
「うにゃっ!?」
私の代わりに何かの山を漁っていたクルルが悲鳴をあげる。しかしコスズにはその反応だけで充分だったらしい。
先の仕返しのように満面の笑みを浮かべていた。
「そうかそうか。ようやっと未通女を卒業しよったか。ホシミとやら、アレは存外に純な女での? 自ら認めた主人に全てを捧げると言うて今まで遊んだことすら無いのじゃ」
「こ、コスズーッ!? それは言わない約束だったにゃ!!」
「知らんの。吾を泣かせた罰じゃ」
頬を紅潮させてコスズに詰め寄るクルルと、知らぬとばかりに顔を背けるコスズ。
付き合ってきた年月が長いのだろう。二人は気の置けない友人であるようだった。
「そんなことを言うならもういいにゃ! コスズこそ、『勇者ならば吾を満足させよ』とか何とか言って冥界に降りてきた人をことごとく腹上死させたのを忘れたかにゃ! そのせいで面倒ごとはこっちに押し付けるし! この淫乱!!」
「そ、そんな昔のことをまだ言うか! それにそのことはもう何度も謝ったじゃろうて!! 大体、男子の癖に吾を満足させられぬほど貧弱なのがそもそもの元凶なのじゃ!」
「コスズの底なしに耐え切れる男なんている筈ないって言ってるにゃー!! そんなことをやってるから……」
私の存在を完全に忘れた二人は、とうとう組みあいながら口論を始めた。
何かあったらすぐに止められるようにしばらく様子を見ていたが、絶対に手は出さないことが分かったので安心して目を離す。
仲が良いのは良いことだ。
二人の罵り合いを聞き流しながら、いつになったら終わるのだろうかと、誰にも聞こえないようにため息を吐いた。