106話 黒猫の少女
塔に帰ってきてから、早一週間が過ぎた。
ミコがいなくなった空虚さに包まれながら、日々をぼんやりと過ごしている。
もちろん彼女から引き継いだ役割はきちんとこなしているが、それ以外のことへの気力が無くなっていた。
世界的に見ればたった一人がいなくなっただけに過ぎないのだろう。だが、私にとっては唯一無二の存在だった。
なるほど物語によくある、最愛の人がいなくなってから廃人のようになってしまう人の心境とはこんな感じなのか。
これが誰かの手による不幸であったのなら、憎しみを糧に生き長らえるのだろうが、私の場合は当てはまらない。
私はむしろ幸福なのだろう。きちんと別れを言えたし、何より彼女の全てを預かったのだから。
ただ、無いとは理解していてもあの時もっと別の、二人で歩いていける道があったのでは……。そう考えてしまうときりがなかった。
「……はぁ。少し、気分転換でもしよう」
あまり良くない思考に入りかけた私は、外の空気を吸いに出た。
既に答えが出ていることだ。割り切れることではないが、彼女の後継として生きると決めて今ここにいる。
彼女が今の私を見たら何というだろうか。
『悩むよりも行動行動! いつか私と会う時までホシミくんには頑張って貰わなくちゃいけないんだからね〜! それに……お姉ちゃんの愛した男なら絶対にやれるって信じてるんだから!』
脳内でミコの言葉が響く。
確かに彼女ならそんなことを言ってもおかしくない。
これが自分の想像であることは理解しているが、少しばかり元気が出た。
そろそろ戻ろうか、と思って辺りを見回してみると……。
「……………………どこだ、ここは」
いつの間にか、見知らぬ場所にいた。おそらく塔の周囲の森だろうが、適当に歩いていたせいで、どうやら森の中で迷ってしまったらしい。
「しまったな……そう遠くまでは来ていないと思うけど、方角が分からない」
どうしようかと思っていると、近くで何かの倒れる音と男の怒声が聞こえた。
「……」
厄介事だろうか。塔から近いところでの騒ぎは珍しい。一応ここの住人として何があるのか確かめに行くことにした。
更に方角が分からなくなるが、既に迷っているのに今更だと思い直して音の場所へと急ぐ。
しばらく進むと、四、五人の男に囲まれた一人の少女が居た。
男たちは剣や斧などを構えて少女と対峙している。格好は一様に汚らしく、襤褸を纏っている。
対して少女の方は黒一色で、上着とスカートにマントを羽織り、短剣を両手に構えていた。風体からして冒険者だろうか。
特徴的なのは少女には動物の耳と尻尾があることで、私は初めて見るがきっと獣人と呼ばれる種族なのだろう。
男たちは雄叫びをあげながら少女に肉薄し攻撃するが、いとも容易く躱されて返り討ちにあっていた。
戦闘自体は直ぐに終了した。少女の圧勝である。
鮮やかな手並みで皆の首を刈り取ったのだ。
少女は荒い息を吐きながら「もう……いかなくちゃ……」と言うと、力尽きたのかそのまま倒れ込んでしまった。
急いで倒れた少女の元に走って様子を確認すると、どうやら疲労で倒れたようだ。
返り血に塗れてはいるが、少女に負傷らしい負傷は一つも無い。一体どのような鍛錬を積んだら彼女のような戦闘技能を手に入れられるのだろうか。
ひとまず死体から離れようと、気絶した少女を抱きかかえた。
もし彼女が敗れていたら何をされていたのかなんて考えなくても分かる。ここで死んでも私は一切同情はしない。
ただ、初めて死体を見たせいで若干気持ち悪くなっていた。取り敢えず離れてから休みたい。
少女をかかえて歩いていると、少し見慣れた小さな広場に出た。偶然だが、ここまで来れれば後は塔まで帰ることが出来る。
この娘も硬い地面ではなく柔らかなベッドで休ませられるだろう。
無事に塔まで戻って来られた。一度迷ってしまった時はどうしたものかと思ったが、運が良かった。もう二度とないように何か再発防止策を講じておかなければいけないだろう。
まずは少女を寝かせよう。汚れは……起きたら直ぐに風呂に入ってもらえば良いだろう。
ベッドの上に汚れても良い厚みのある布を敷いてから少女を横たえる。
後は……食事は必要だろうか。顔を拭いてから顔色を伺うと、どうやら少し食事も抜いているようだ。
ずっと男たちに追われていたのだろう。不眠不休で逃げて戦ってよく無事だったものだ。
そうと決まれば何か作っておくとしよう。気絶後でもあるし、粥で良いだろうか。
ミコの看病で粥は作り慣れたものである。味のバリエーションも増えたのだ。きっと満足してもらえるだろう。私はキッチンで手際良く調理を始めたのだった。
粥が完成してから部屋まで持って行くと、少女はまだ眠っているようだった。
熱々の土鍋を机の上に置いて、椅子に座って少女を見守る。
一人旅のようだが、何か事情があるのだろう。深入りするつもりは無いが、ここにいる間は世話を焼いても良いと思っている。
寝たきりだったミコの看病をしてきたせいか、そういうのはあまり苦ではないのだ。
少女が起きるまでは暇なので適当な本を片手に時間を潰していると、少女から呻き声が上がった。
本を土鍋の隣に置いて様子を見ると、ふと少女が目を開いた。
そこからはあまり覚えていない。
ただ、私に分かるのは。
首を切られて死んだということだけだった。
ーーーーーー
目を開くと、見知らぬ男性がいた。
清潔感溢れる青年のようだった。
何故『だった』なのかと言うと、その青年は既に首を切られて血みどろで死んでいるからである。
私は自分が置かれた状況を確認する為に辺りを見回すと、側にある机にまだ温かい土鍋があることに気が付いた。
その隣には青年が読んでいたのだろう、古そうな本がある。
私はベッドの上に横たわっていて。きっと。おそらくは。この青年が倒れた私をここまで運び看病してくれたのだろう。
「やって……しまいました…にゃ。もう聞こえていないと思いますけど……ごめん、なさい」
最低だ。恩を仇で返すなんてどうしようもなく最低だ。
反射的にやってしまったこととは言え、何の罪もない人物を殺してしまったことには罪悪感が湧いてくる。
せめて彼のお墓と、恩人の顔を目に焼き付けてからここを去ることにしよう。
そう思って青年の顔を見る為にしゃがむと、切断面から淡い光が漏れだしてきた。
「!!!??」
咄嗟に飛び退いて武器を手に取り観察すると、どうやら傷が癒着しているようだった。
「まさか……! 首を切られて即死した筈、いや、それ以前に……どうして死んだのに傷が癒えるの!?」
治癒の魔術はあるが蘇生の魔術はない。
死んだ人間は何をやっても蘇らないのだ。
近寄った時に呼吸も心音もないことを確認している。
だからこそ目の前にある常識外れを、私は信じることが出来なかった。
何が起こるか分からないので警戒しながら様子を見ていると、やがて光は収束していった。傷は……無い。
一応武器を後ろ手に隠しながら近寄ると、呼吸で胸が上下していたので間違いなく蘇生していた。
「一体何が……いえ、それは置いておきましょう。まずは、手違いで殺めてしまった人が生き返ったことを喜ぶべきです…にゃ」
武器を収納し、警戒は解かないままに目が覚めらのを待つ。
青年は少ししてから死んだことなどなかったかのように起き上がるのだった。
ーーーーーー
「う……」
何が、起きたのだろう。
気が付いたら床に倒れていた。
記憶を遡り直前に何があったのかを思い出そうとする。
少女を運んできた。料理を作った。本を読んでいた。そして少女が目を覚まして……。
ゆっくりとした動作で首に触れると、そこには傷一つなかった。
首を、切られた、筈。なのに傷一つなく生きている。
上半身を起こすと、自分が血塗れであることに気付いた。
「……」
間違いなく致死量だ。助かる見込みがない。
なのに何故生きている?
この惨状の生みの親にして私が死んだ後のことを知っているだろう少女は、警戒しながらこちらの様子を伺っていた。手に武器は、無い。
話を聞いてみようかと思ったが、よく見ると震えているようだ。本人は気付いていなさそうなのでおそらく本能的なものだろう。
どうせ着替えなければいけないし、少し状況も整理したい。彼女にも落ち着く時間が必要だろう。
「……無事なようで良かった。そこに粥があります。落ち着いたらまた来ます」
彼女はこくこくと首を縦に振った。
それを確認してから部屋を出る。
自室まで戻ると深いため息を吐いた。
「私の身体は……どうなってしまったんだ?」
答えは返ってこない。が、何となく分かってしまった。これは確証が持てるまでは胸に秘めておこう。
それよりも驚きなのは、一度死んだにも関わらずパニックに陥らなかったことだ。
きっと気付く間も無く即死したのが功を奏したのだろうが、もしこれが拷問の果ての死だったのならば私の心は壊れてしまっていただろう。
「この異常は、決して人には明かせないな……」
私は扉を背に座り込んで、再び深いため息を吐いたのだった。
ーーーーーー
少女は青年が扉の向こうに消えてから、大きくため息を吐いた。
殺されたことに逆上して襲い掛かってくることも考えられたのだ。しかしどうやら彼も困惑している様子だった。
「一体あの人に、何が起こってるんですかにゃ……?」
そんなことを呟くと、くぅ〜とお腹が小さく鳴った。そういえば丸一日何も食べていなかったのだ。
机には青年が用意した粥が乗っている。片手で手繰り寄せて蓋を開くと、美味しそうな魚介の匂いが辺りに広がった。
「毒は……いえ、あの人にそんなことをする利点はない筈。……いただき、ます」
まずは一口。魚介の風味がしっかり染み渡っていて、とても美味しかった。一口大に切られた白身の魚は身が解れてて食べやすい。
気が付けば夢中になって食べている自分がいて。
後でこの料理への感謝と、殺してしまったことへの謝罪をしなければいけないと思いながら、少女は粥を頬張るのだった。