10話 南国での二日目
日が昇り、街には徐々に喧騒が響いてくる。
朝、今日の行動を説明したときは自分たちも付いて行くと言って聞かなかったが、『一つだけ、出来ることならなんでも言うことを聞く』という条件でなんとか納得して貰った。
そんな南国での二日目は、二人とは別行動をすることにしたのだった。
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side:ホシミ
「さて、そろそろか」
大通りを外れた小道の奥、古ぼけた場末の酒場がある。
私はカウンターで火酒を煽りながら、入り口に人の気配が近づいてくるのを察知した。
扉が開き、備え付けのベルが鳴る。
中に入って来たのは、顔が見えぬようにフードに身を包んだ男だった。
「お待たせして申し訳ない! 賢者殿!」
そう言いながら男はフードを取る。
赤い髪をオールバックに整えた壮年の龍人の男性こそ。
「いや、時間通りですよ。国王殿」
南国の国王にしてシィナの父、『炎龍皇ナンゼルレック』である。
「いやはや、驚きましたぞ。草の者から我が輩の元に賢者殿からの文が送られてきたのですからな」
そう言って呵々と笑う炎龍皇。
実はこの街に到着してから、街を警邏している彼の影にこっそり手紙を渡していたのだ。
「来れるかどうかは半々だと思っていましたが。職務がお忙しかったのではありませんか?」
「友の頼みだ、問題ない! むしろ最近は抜け出せなくてストレスが溜まっておったのだ。こんな機会をくれた賢者殿に感謝こそすれ、邪険に思うことは無いわい」
席に着いた炎龍皇の前に、火酒が置かれる。
お互いに盃を持った。
「では、駆けつけ一杯といきましょうか」
「それは良いな! では……」
「「乾杯!」」
盃をぶつけ、中身を一気に煽る。
「くは〜っ! 渇いた身体に染み渡るようだわい」
「高い酒も悪くはないですが、こういう場には火酒が一番です」
「うむ、まったくその通りである。男同士で酒を酌み交わすなら、質より量! やはり賢者殿とは気が合うようだ!」
二杯目を注ぎ、再び煽る。
喉が焼けるような熱さが心地よい。
「真昼間からの酒はやはり良いのう。さて、賢者殿。我が輩に何か伝えたいことがあるそうだが?」
言いながら三杯目を注ぐ炎龍皇。
彼に、一度握り潰してぐしゃぐしゃになったメモを手渡した。
「シィナの部屋に残されていたメモです」
メモの中身を確認する。
内容は以前と変わらないが、左の頭文字は丸で縦に包んでいた。
「これは……。最近シィナのやつがなにかをしようとしていることは知っていたが」
唸る炎龍皇。彼の口ぶりから、シィナは王宮に居て何かの準備をしているようだ。
「市場でも、価格の変動が起きています。これはまあ、何となく予想はつきますが」
「うむ。我が輩も何とかしたいのだが、買い占めを行なっている者を探らせても其奴らはただの雇われでその上も雇われだったのだ。連中は中々に知恵の回るようだな」
いつでも使い捨てられるように、ということか……。
「いずれ尻尾を出すでしょう。いつその時が来ても問題ないよう準備を整えて……」
「奴らを一気に引き摺り出す。ようやく訪れた平和だ。過去の犠牲と苦労を無駄にしてたまるものか」
しばらく無言になり、酒を飲む。
そうだ、今の自分たちの所在地を知らせて置かねば連絡が取りやすくなるかもしれない。
「国王殿。私たちは『赤龍庵』というところへ宿泊しています。暫くはそこに滞在する予定ですので、何かありましたらそこまで」
「うむ、分かった。我が輩への連絡は草の者を使ってくれ。賢者殿なら我が輩の草の者もすぐ見分けられるだろう。……シィナには伝えておくか?」
暫し考える。シィナに伝えても自分でなんとかすると言いそうだ。
なら伝え方を変えてもらうか。
「シィナには、私たちは旅行で滞在していると伝えて頂ければ。久しく顔を見ていませんし、会えるなら会いたいですね」
私の言葉に炎龍皇は鷹揚に頷いた。
「うむ。素直になれぬ馬鹿娘に伝えるならそれが良いだろうな。それより賢者殿」
炎龍皇は私が酒を口に含んだ瞬間にとんでもないことを言い出した。
「我が輩たちは早く孫の顔が見たいのう」
「!? っがはっ、ごほっ、ぅおっ」
変なところに酒が入るところだった!
炎龍皇の顔をよく見ると、ほんのり赤い。
けっこうハイペースで飲んでいたから少し酔いが回って来たのだろう。
「国王殿。飲んでいる最中に言うのは卑怯ではないか」
「ガハハハハハ!! 何、ちょっとした励ましよ!」
そう言って私の背中を叩いてくる。
「娘にはしっかり伝えておくからな。賢者殿がいると分かったらすぐに飛んでいくだろう! 来たらそのまま押し倒せば良い! 口では何だかんだ言いよるが、賢者殿にベタ惚れなのは見ててすぐ分かるからのう! 我が国の未来と娘の幸せのために頑張ってくれ!」
「そんな他人事のように……。はぁ、まったく」
呆れたようにため息を吐く。
その後、夕方頃に炎龍皇の奥方が押し寄せて彼を引き摺り去るまで共に飲み、語り合うのだった。
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side:ココノハ・リア
わたしたち二人は、ホシミさんの居ない部屋でゆったりと寛いでいました。
「まったくつれないですね。こんな美少女二人を置いていくなんて。まったく。まったくもう」
いや、正確にはわたしは寛げていなかった。
一つ言うことを聞いてもらう約束をしてもらったが、それでも不満なものは不満です。
リアさんはお茶を飲んでいました。ぼーっと見つめていると、リアさんが声をかけてきます。
「ココノハちゃんもお茶飲みます? 落ち着きますわよ」
「じゃあ、飲みます……」
慣れた手つきでお茶を淹れる光景を眺めます。
彼女はお姫様です。本来ならお茶汲みは使用人の仕事だったはず。いったい誰から習ったのでしょう。
「随分と手慣れてますね」
「そうかしら? もしそうなら嬉しいですわね。はい、どうぞ。熱いから気をつけてくださいまし」
熱々のお茶を火傷に気をつけてゆっくりと飲みます。
あー、美味しい。気分が少し落ち着いて来ました。
「ふぅ、和みますね」
「そうですわね」
暫く無言でお茶を飲んでいました。
リアさんは思案顔でしたが、やがて意を決して尋ねてきました。
「こんなことを聞くのはどうかと思うのですけれど、ココノハちゃんはホシミ様のことどう思っていらっしゃるのですか?」
最初、質問の意図が分からなかったです。
少し時間を置いて、言葉を噛み砕いて、その裏にある意味を理解します。
「成る程、ホシミさんを利用しているんじゃないかということですか」
わたしがそう言うとリアさんは悲しげな表情を浮かべる。
「そんな顔しないでください。リアさんが気になるのも分かりますが、わたしはそんなことはしません」
右手の薬指に嵌った指環を翳す。
あの人との夫婦の証にして、わたしの新しい宝物……。
「そういえば、わたしがホシミさんに拾われた経緯を話してませんよね。あまり面白くないですが、よければ聞いてください」
そうして、わたしはホシミさんに出会う前のこと、拾われて生命を救われたこと、契りのことを話しました。
リアさんは真剣に聞いてくれていました。
「というわけで、わたしはホシミさんのモノになったのです」
「じゃあココノハちゃんは生命を救われたから生命を捧げたっていうんですの?」
そう言ったリアさんの顔は難しい表情をしていました。
「半分はそうですね」
「半分?」
わたしの答えにさらに疑問が増えるリアさん。首を傾げる仕草が可愛らしいです。
「半分です。もう半分は、その、こんなことを言うのは恥ずかしいので一度しか言いませんけど」
一度区切って、深呼吸を一回だけします。
覚悟、出来ました。
「目を覚ましたときに見たあの人の横顔がとても素敵だったんです。見惚れてしまいました。綺麗で、儚くて今にも消えてしまいそうで……。それに触れたくて、震える身体を動かして、届かなくて。崩れたわたしを支えてくれたときに間近で触れて、胸が高鳴ったんです」
いま、わたしの顔は真っ赤でしょう。
すごく恥ずかしいです。あの人にも言っていない、わたしの心の中。気付いているかは分からないですけど、わたしは───。
「ホシミさんに、一目惚れをしたんです。だからわたしはここにいます」
言い切りました。
顔から火が噴きそうとはよく言ったものです。
恥ずかしさと言ってやったという気持ちで頭の中がぐるぐるしていました。
そんなわたしをリアさんは優しく抱きしめました。
「リア、さん……?」
「話してくれてありがとうございます。そしてごめんなさい。こんなことを聞いてしまって」
「いえ、いいんですよ。いつかは話さないければいけない時が来ると思ってましたし」
こんなに早いとは思わなかったですけどね。
しかしリアさんは首を横に振ります。
「ココノハちゃんがホシミ様に抱いていた気持ちを一度でも疑ってしまったことが悲しいんですの……」
そう言うリアさんの声は震えていました。
わたしはリアさんを抱きしめ返します。
「大丈夫、大丈夫ですよ。わたしは気にしていません。むしろわたしのホシミさんラヴをリアさんに知らしめてやったと思ってますよ」
「ふふっ……。ココノハちゃんは強いんですのね。わたくしは、あなたと出会えて、同じ人を好きになれて本当に良かったと思いますわ」
「わたしも、この素敵な偶然の出会いに感謝していますよ」
抱きしめた腕をそっと解きます。
お互いの顔を見つめ合って、笑い合いました。
───お母様。わたしは、素敵な人たちと出会うことが出来ましたよ。だからどうか、安心してください。
お酒臭いホシミさんが帰って来るまで、わたしたちはたわいもないことでお喋りして穏やかな時間を過ごすのでした。
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夕刻は人と魔の境界線が曖昧になる時間である。人々は其れを『逢魔が時』と呼んだ。
ここは森の外れにある山小屋である。
中では一人の人物が何もない室内で不思議な粉を振りかけている。
「今日の収穫はこれだけか」
黒いローブに身を包み、フードを目深に被った男が呟く。苦労をしてきたであろう人物特有の疲れ切った声色が特徴的だった。
彼は不自然に光り輝く石の欠片を拾い上げる。
「偉大なる祖龍に至る道───。あと、もう僅かだ」
男の口元に狂気的な笑みが浮かぶ。
そして、何も存在しなかったかのように姿を消すのだった……。