101話 シン国騒動編〜後日談〜
約一週間ほど異種族として虐げられてきた者たちの治療に専念したホシミたちは、夜のうちに転移を使って塔へと帰っていった。
いつの間にか姿を消したことに驚いた人々だったが、近いうちに居なくなることを肌で感じていたようでその後の混乱は特になかったようだ。
彼等はその後、故郷がある者は帰り、無い者はイレネース邸で共同生活を送っている。
だからこれは、ホシミたちが帰った後の話である。
シン国の復興は遅々として進んでいなかった。
理由は色々あるが、国王陛下と女王陛下が崩御し、その後継者となる筈だった王女も姿を消したことがまず一つ。
ドコロタの腹心で固められていた王宮内でのパトラ王女の立場は悪かったが、民衆からの彼女の支持は意外にも高かったのだ。
あまり表舞台に出ることは無かったものの、たまに出てきた時に見せるその可憐な容姿、柔らかな栗色の髪を風に靡かせて笑みを浮かべる小さな王女。
彼女の姿を見た者はたちまち心奪われて虜になってしまう者が多かったのだ。
盲目でありながらも懸命に生きる様子に感動する者も居たらしい。
見ている者の保護欲を駆り立て、しかも無垢で明るい性格をしていた王女は、余程ねじくれた人物でない限り好感を持つ。
要するに、王女は人に好まれやすい性質を持っていたということだ。
民衆にとっての癒やしと言っても過言ではなかった王女が今回のゴタゴタで居なくなってしまった。それは予想以上に民の心を落ち込ませているらしかった。
他には、今まで国を支えてきたドルー・ドコロタが、私利私欲の為に両陛下を毒殺し、それを異種族になすりつけたことだ。
更に、異種族排斥はドコロタの私怨であり、「今後一切の差別と排斥を禁ずる」という王女パトラの最後の言葉(そこまで言っていないのだが何故かそう伝わっている)もあって、シン国はかなりの混乱に見舞われたらしい。
自分たちが信じていた価値観が完全に崩壊した彼等は、報復を恐れて逃げ出す者、自分たちは悪くないと責任転嫁を始める者、異種族は悪だとして積極的に殺そうと言う者などなど。
素直に受け入れられる者の方が少ないのは分かっていたが、半数近くが上記のようになってしまい街は大変なことになった。
しかししばらく経つといつの間にかそう言う人物は減り始め、パトラ王女の言葉を忠実に守ろうとする派閥が最大勢力になってからは街はどんどんと良くなっていった。
行方不明者が若干多かったが、きっと街の外に逃げたのだろうと人々は思っていたようだ。
実はその影には、一人の男の姿があった。
「や、やめろ! 命だけは……助けてくれ……!」
脂ぎった身体の男が尻もちをつきながら必死に後ずさる。その様子を冷めた瞳で見守る、この状態を作り出した男。
男の手には何の変哲もない短剣が握られており、白刃が室内に灯る明かりに反射して煌めいていた。
「残念だけどそうはいかないんだよな。アンタがどうしても許せないって人、多いんだよ。心当たりあるだろ? 元奴隷商人のガレアスさん」
軽い調子でそう言うのは、刈り上げた赤茶色の髪の男───ウェリントン・スパロウマンである。
彼は今、仕事をしているところだった。
「散々酷いことをやってきておいてさぁ。謝って反省して悔い改めますってそんなこと言われても、やられた人たちはそんな都合のいいことは許せないんだよ。だからこれは正当な復讐って訳だ。恨むんなら、自分の行いを恨んでおくんだな」
悲鳴を上げる男に短剣を突き刺し、まずは喉を潰して声が出ないようにする。
その後は依頼者の要望通り、死ぬまで腕や足や腹を滅多刺しにした。
出血多量と心臓に刃が滑ってしまったことで男は死に、仕事が無事終わったことに安堵してスパロウマンはその場を去った。後は兵士たちの仕事だ。
実はスパロウマンと兵士はグルである。普段は陽気な菓子屋の店主のスパロウマンだが、夜は暗殺を生業としているのだ。
「みんな復讐は何も産まないって分かっちゃいるんだよな。だけど、散々酷いことをしたやつがのうのうと生きているのってやられた方としちゃ堪らない訳だ。悪いことをした奴のやり得ってのは、どうしようもない怒りを感じるのも仕方ないさ。自分はあんなに酷い目に遭わされたのに、何でやった奴はお咎めなしで生きているんだってな」
自分の心の整理をつけるためにぽつりと呟くスパロウマン。しかし一度首を振っていつもの陽気な声を張り上げる。
「あ〜湿っぽいのはヤダヤダ!! さっさと家に帰って寝る! よしそうするか!」
ついでに立ち寄った兵士の駐屯所にいつものように報告をしてから、最愛の妻のいる我が家に帰るのだった。
さて、何故スパロウマンがこんなことをしているかと言うと、彼は今や国のお抱えの暗殺者となっていたのだ。
ホシミから貰った宝石のお陰で金銭面では一生働かなくても良いくらいの余裕を手に入れたスパロウマンは、直ぐに自分を慕う獣人の娘と結婚した。
妻となった女性の趣味が菓子作りだったことで、なら趣味と実益を兼ねて仕事にしようと言ったスパロウマンが自宅を兼ねた菓子店を作り、昼間はそこで店主としてのんびり働きながら幸せな毎日を過ごしている。
夫婦仲は良好であり、彼と親しい者は良く惚気話をされることでいつしか有名なお店となっていた。
これが、表向きの顔。
裏では、異種族を苦しめて甘い汁を啜っていた者たちや変わり行く国を元に戻そうとする輩を殺す者となる。
パトラの語った国を作るのに邪魔になる人間を排除し、シン国に未だ色濃く残った腐敗を取り除くために彼はその刃を振るう。
それはシン国を変えようとする者たちと利害は一致していたのだ。スパロウマンの行動を黙認し、陰ながら協力することを代表と話し合い彼は正式に暗殺者となった。
もはや何人手にかけたかなど数えていないが、いつか己の刃で自身を断罪することになるだろうとスパロウマンは考えていた。
彼も今まで散々酷いことをしてきた癖に、幸福な家庭を築きながらのうのうと暮らしているのだから。
だが、その時はまだまだ先になりそうだ。
「お帰りなさいあなた」
「ああ、ただいま。ゴメンないっつも夜一人にしちゃって」
自宅に帰ったスパロウマンを迎える妻は、僅かに膨らんだお腹をさすりながら穏やかに微笑んだ。
「一人じゃないですよ。あなたとの赤ちゃんも一緒です」
「そうだったそうだった」
申し訳なさそうに頭を掻く。そんな彼にくすくすと笑う妻を抱き寄せて今ある幸福を噛み締めた。
「それよりあなた、お風呂沸いてますから一緒に入りましょう? 私さっき入ったんですけど、返り血でまた汚れちゃいました」
「ああ!? しまった!!」
スパロウマンの服や顔にはかなりの血が飛び散っており、考え事をしていた彼は処理することなくそのまま帰ってきてしまったのだ。
夜で辺りが暗かったことで街の人に見られてはいないが、明るいところで見れば一目瞭然だった。
「すまん、本当にすまん!!」
必死に謝るスパロウマンに笑いながら「大丈夫」という。彼女はスパロウマンが裏で何をやっているかを知っているので今更慌てたりはしないのだ。
「悪いと思ったなら、私の身体洗ってね。あ・な・た?」
「応ともよ!!!」
彼は、妻とやがて産まれてくる子どもの為にもまだ死ぬ訳にはいかない。
罪が許されることは無いが、贖罪をしながら彼はこれからも生きていく。
そしてホシミたちが去ってから一年が経って、ドルー・ドコロタの処刑が決まった。
国家転覆罪その他諸々で斬首刑となったようで、かつての面影など残っていないように枯れて老いさらばえたドコロタが断頭台に乗せられた。
どうやら一年の牢獄生活ですっかり衰えてしまったようだ。
その様子を鏡で眺めていたが、彼の首が撥ねられる前にその映像をかき消した。
私に人の死を見世物にして楽しむ趣味はないのだ。
現在は塔の自室で珍しく一人だった。
帰ってきた当日はユキユキとフューリの妊娠報告を受け、それに触発された女性陣に襲われる日々がしばらく続いた。努力も虚しく彼女たちの結果は芳しく無かったとだけ記述しておく。
そしてつい先月の頭に二人は無事出産を終えた。
偶然にもまったく同じ日での出産に皆から驚かれたが、二人とも元気な女の子を産んだのだった。
フューリは初産だったからかとても時間が掛かったが、無事に産んであげられたと喜んでいた。だから自分の子を抱いた時に感動して泣いてしまったのだろう。
「ありがとう……ありがとう……! 産まれてきてくれて、ありがとう……!」
赤子を抱きしめながらそう言うフューリはかつて見たことがない程に優しい表情を浮かべていた。
側で見守っていたユニステラもフューリを抱きしめて共に泣いていた。これまで苦楽を共にしてきた二人だ。フューリのことを我が事のように喜んでいるのは直ぐに察せられた。
ユキユキは三人目だったからかフューリよりはすんなりと出産することが出来た。
リアとシィナに抱かれたユキミとユキノを見ながら産まれたばかりの子を抱くユキユキはとても幸せそうだった。
流石に三人とも女の子だったことには驚いていたが、
「女ばかりの所に男の子が産まれても肩身狭そうだからこれで良かったかもしれないウサね」
と言って笑っていた。
新たに産まれた子の名前は、ユキユキの子はシラユキと。フューリの子はラズリーと名付けられた。
シンから連れ帰ってきたクロースとパトラも一年もすれば慣れたようで今では皆と仲良くなったようだ。
クロースは率先して家事を引き受けこなすのでいつしか森精種たちから姉のように慕われているようだった。
彼女自身も頼られるのは満更でもないようで、相談事なども受けるようになってきたという。
パトラは外見が近いからだろう、特にリリエルと仲が良く、二人でよく遊んでいる姿を見かける。
室内の配置もほとんど覚えて、今ではリビングと地下の私の部屋を一人で行き来出来るまでになっていた。
きっと今頃は外で遊んでいるだろう彼女たちを思いながら私は本棚をずらし、地下の自室に隠された更に地下へと降りる階段を降りていく。
そこには鍵の掛けられた重厚な扉があった。
懐から鍵を取り出し、開錠して中へと入る。
中は一面真っ白な空間だった。百メートル四方はありそうな空間だが、中央にポツリと置かれてある物以外は一切の物がない。
中央の物へと近付いていくと、それは青く透き通った水晶で作られた棺だった。
中には一人の女性が胸の前で手を組んで、キキョウの花に囲まれながら眠っている。
両肩辺りで結んだ茶色の髪に、彼女の身体を覆い隠す純白のドレス。
「エレノア……。また君に会いに来た」
キキョウの花言葉はいくつかあるが、彼女に捧げられた意味は『永遠の愛』。
遥か昔に亡くなったかつてのホシミの妻は、十八くらいの時の綺麗な姿で眠り続けているのだ。
「女々しい男だと罵ってくれて構わんよ。新たに大切な者が増えた私がそう何度も死んだ女の前に姿を見せるなとお前は怒るだろうな」
棺の前に両膝をつき、棺に手を触れながら目を閉じる。
「少しだけで良い。少しだけ……君の側に居させてくれ」
何故私の自室が地下にあるのか。理由は単純。
ここは霊廟だ。エレノアが眠る空間だから、彼女により近い場所に居たくて部屋を移したのだ。
この霊廟はやがて棺の数をどんどんと増すだろう。
私は死ねない存在で、今生きている彼女たちは寿命の定められた存在だから。
いつかこの命は終わりを迎えるのだろうか。
それとも、星の最期を見送るまでこのまま生き続けるのだろうか。
共に歳を重ねて老いていけない哀しさは、いつになっても私の心を蝕んでくる。しかしこれはどうしようもないことなのだ。
だからこそ彼女たちと過ごす時間は大切にしなければならないのだと己を戒めて一度思い切り深呼吸をした。
やがてゆっくりと立ち上がり、エレノアの顔を一瞥してから棺に背を向けて歩き出した。
「また近いうちに。今度はクルルと一緒に会いに来るよ。君の大切な姉……だからな」
再び鍵をかけて自室に戻る。
あの部屋のことを知っているのはクルルだけだ。
「……」
何故、彼女たちに教えないのだろう。
別にあの部屋の存在を教えてしまっても良い筈だ。なのに、何故───
「ああ、そうか」
ぽつりと呟く。きっと私は怖いのだろう。
遥か昔に亡くなったエレノアが何故あんな、若い姿のままで眠っているのかと聞かれるのが怖いのだ。
黒属性魔術の時間操作は、『物』にしか効果が無い。
人は生きている限りその対象にはならないが、死んでしまえばただの肉体になってしまう。
そう、魂のない肉体は『物』として分類されるのだ。
死んだ人の姿を巻き戻し、腐敗しないよう時間を止めて棺の中に眠らせる。
そんなことをやっている自分を軽蔑されるのが怖いのだ。
「軽蔑されるのが怖い、か。ふっ、いつの間にか、私はそんなに弱くなっていたのだな」
その言葉と共にベッドに倒れ込み、思考を一度停止して眠ってしまうことにした。
眠ってリセットすることで、またいつも通りの自分に戻る為に───。