99話 パトラはホシミに貰われちゃう!
夜になったことで、シン国内で燃え盛っていた炎の巨人が倒されたことは直ぐに周囲に広がった。
今まで目に見えていた炎の明るさが消え去ったのだ。避難していたシン国の民たちも直ぐに分かっただろう。
我先にと戻りたがった彼等だが、ドコロタは兵士たちに命じて民を抑えながら彼等を阻み、何とか現状の危険を説いた。
街の被害がどのくらいか不明なこと、街の中に敵対勢力が潜んでいるかもしれないこと、夜になってしまったので視界が悪く思わぬ事故に繋がりやすいことなどなど。
明朝に調査隊を派遣して安全を確保してから街に戻れるようにすると告げると、不満を抱きつつも渋々引き下がるのだった。
今頃は炊き出しの下に集まっているだろうが、万が一民たちが勝手に抜け出さないように備えて兵士たちに見張りを命じてから自身の天幕に戻るドコロタ。
「たかだか数十人を相手にして、このざまか」
腕を組んで薄暗い天幕の中で一人呟く。
そう言いたくなるほどシン国が受けた被害は甚大だった。
まず城門は城壁ごと吹き飛んだ。市街地も魔術戦によって所々が崩壊し、守備に当たった防衛隊は半数以上がほぼ壊滅。
生き残った第二師団は炎の巨人を生み出したことによる混乱の責任を取って後に解体、再編成しなければ使い物にならないだろう。団長のカミーユ・イレネースも国の危機に不在の責任を取らせるために降格処分が必要だ。
第三師団は団長であるウェリントン・スパロウマンの死亡により新団長の任命を急がなければならない。
まったくの無傷なのが第一師団のみ、という事実に流石のドコロタも頭を抱えた。
「兵の補充も必要だが、怪我をした兵の治療費と戦死した者の遺族への見舞い金が莫大だ……。街の復旧と城壁の再構築にも金はかかるし、何より城壁が直るまでは寝ずの番を立てなければいけないから人件費が更に増える。ああくそっ、これでは近々行う予定だったシュメット侵攻が更に遅れるではないか!」
ここ最近は何故か思う通りに進まないことに腹を立てながらも復興に必要な経費や作業を計算するドコロタは、一応紙に書き記しておこうと筆と紙を用意する。
「せめて炎の巨人を打ち倒した魔術師を引き込まなければ割に合わんぞ。何とか交渉したいところだが、何を求められるかだ。地位か名誉か金か女か。ふむ……そうだ。あの小娘を使えば良いではないか! あんなのでも王族だ、あれならば地位も名誉も金も女も全て差し出せる。それに、幼いがあれでも女だ。その気になればいつでも使えるだろうし、そう悪い条件でもないだろう!」
ドコロタは魔術師が要求を飲むことを想像して楽しげに口元を歪める。
翌日まさかあんなことになるとは思わずに。
ーーーーーー
リアの力によって炎の巨人を倒したホシミたちは、王宮へと向かっていた。
「ホシミさん、ここに何か用でもあるんですか? 誰も居ないみたいですけど」
既に避難している王宮内は勿論だが、街の中にも人の気配は感じない。何故こんなところに来るのだろうと疑問に思うのも当然だった。
「この中には恐らくだが置き去りにされた者がいる。クルルが調べてくれている筈だが、巨人を倒した後も私の元へ戻って来ないのでな」
「クルルさんいつの間に……」
クルルの姿が見えないことには気付いていたが、まさか王宮内にいるとは思わなかったココノハが何とも言えない表情を見せる。
「クルルならば何かあっても何とか出来るし、一人なら逃走もしやすい。昔から彼女には助けられてばかりだよ」
「ホシミ様と一緒にいる時間が一番長いのはクルルちゃんですものね。少し羨ましいですわ」
「そうだな……。もう、ずっと一緒に生きてきたからな」
お互いに自身の半身になっていると言っても過言ではないくらいの時間を過ごしてきた。
あの時クルルに出会わなければ、自分は今頃どうなっていたのだろうか。
そんなことを考えながら歩いていると、目的地へと到着する。
「この扉の先だな」
「ここ……ですか?」
特に何の変哲もない扉だ。一際豪奢な訳でもないし、中に何か重要なものがあるとは到底思えない。
だが、扉の取っ手部分をよく見ると、凹凸があった。目の見えない者でも扉の取っ手だと判別出来るようにする為のものだ。
「ああ、ここで間違いない。開けるぞ」
ゆっくりと扉を開け放つ。
中は暗く、ベッドの傍らの机上には一本の蝋燭が灯されていた。
ベッドの上には、僅かな灯りに照らされた二人の少女。
一人は黒髪と黒い耳尻尾が特徴的な少女、クルルだ。クルルに後ろから抱きしめられているもう一人の栗髪の少女パトラは真っ直ぐにこちらを見つめてくる。
「こんばんは、パトラ」
「こんばんは、ホシミ。きょうはどうしたの? パトラ、一緒にはいけないよ?」
「ああ、知っている。だけど私は諦めが悪いんだ。諦めだけじゃなく人間性も悪い。要するにねパトラ。私は君を連れ去りに来たんだよ」
「ええっ!? それはダメだよホシミ!」
その言葉に驚くパトラ。しかし表情は心なしか嬉しそうで、何処か期待している風にも見える。
事情の分からないココノハとリアは様子見をしており、クルルは全て分かっているのかずっと微笑を浮かべたままだ。
「私は悪い人だからね。ダメと言われると余計にしてみたくなるんだ」
パトラに近づいてそっと手を取る。彼女は一切抵抗しない。
「パトラは私が攫っていく。ただ攫うだけじゃない、ずっと一緒に生きて、幸せにするんだ。私もパトラのことが大切で、大好きだからね」
ゆっくりと浸透させるように言葉を伝える。
パトラは異常に耳が良い。きっと人の感情も言葉から感じ取れると思っていた。
「そっかぁ……パトラはお役目をはたせないんだね。さらわれちゃうから、しかたないよね?」
取った手を両手でしっかり握られる。
「ああ、仕方ないな。世の中には自分の力ではどうしようもないことがいっぱいあるんだよ。だからパトラは私に攫われるんだ」
握られた手を握り返して、見えていない彼女の瞳を見つめて告げるのだ。
「パトラは私が貰っていく」
「パトラはホシミに貰われちゃう!」
パトラは真っ直ぐに飛び込んでくる。私はしっかりと胸の中で受け止めて抱きしめた。
「さみしかったよ……。ここの人たちは、やっぱりパトラのことなんてどうでもいいって思ってることがわかっちゃったから……。パトラのことをたいせつにしてくれるホシミについていけばよかったって、あとでこうかい? したんだから!」
「そうだったのか……」
パトラの頭を撫でながらそっとクルルに目配せすると、彼女は首肯した。パトラは現状───つまり置き去りにされたことをきちんと理解しているのだ。
クルルが教えた訳ではないだろう。この娘は自力で気付いたのだ。
丸一日クルルと一緒に居て、他には誰一人として出会わないというのは流石におかしいと分かったのだろう。
「その娘が新しいホシミさんの女ですか」
「随分と可愛らしいですわね。ホシミ様に愛されるのに相応しいですわ」
「むむっ確かに可愛いですね……。こんな無垢な娘を手篭めにするなんて、流石ホシミさん。もう味見はしたんですか?」
ひと段落ついたのを見計らって二人が声をかけてくる。
私の横からパトラの顔を眺めてそれぞれの感想を述べていた。
「お前たち……特にココノハ、こんな娘相手になんてことを言うんだ」
「あじみ? パトラ、ホシミに食べられちゃうの? ホシミならいいよ?」
ほら見ろ、といった視線を向けるとさっと目をそらすココノハ。リアとクルルはくすくすと笑っていた。
パトラはきっと意味は分かっていないだろうが、そういうことは言わないように後々教育していくとして。
ココノハたちが自己紹介を済ませている間にクルルから話を聞くことにした。
「クルル、こっちでは何か異常はあったか?」
「人が居ない場所ですから、特には……ああ、そういえば」
クルルは「特に無かった」と言おうとして、やはり一応告げておくべきだろうと思ったことを伝える。
「エリック・ザントマーが単騎で来ましたにゃ。彼と交戦して、打ち斃しました…にゃ」
「そうだったのか。……何かあったのか?」
少々考え込んでいたクルルを不思議に思い尋ねてみると、予想もしなかったことを彼女の口から告げられた。
「何故か彼から求婚されました…にゃ。当然断りましたけどにゃ」
「求婚」
「はい、求婚ですにゃ」
そう言ってクルルはしな垂れかかってくる。
「でも私は既に主のものです…にゃ。この身体も、心も、処女を捧げた夜からずっと貴方のものです…にゃ」
クルルの尻尾が揺れながら身体に絡み付いてくる。彼女が尻尾を寄せてくるのは、控え目な求愛行動だ。
それに応えるように腰の辺りを支えて抱き寄せる。
「へえ、じゃあパトラは目が見えないんですね」
「うん。でも、耳だけはすっごくいいんだ!」
「視覚を失った状態を聴覚で補完した考えるべきかしら? 人の身体は不思議ですわね」
「リアおねーさんのいってることむずかしー」
「あらあらごめんなさい。パトラちゃんの耳は凄いですわねってことですの」
「そうなんだ! えへへー」
自己紹介を終えた三人が仲良く談笑している姿を見ながら、くるくる絡み付いてくるクルルの尻尾を撫でる。
すると一瞬びくっとしてからじとっとした目で見つめてくる。
「もう主ったら……尻尾は敏感なんですにゃ」
言葉とは裏腹にもっと撫でろとばかりに絡む尻尾の素敵な毛並みを味わいながら三人の姿を眺めるのだった。
その後、パトラの「まだやることがある」という言葉と、「どうせならみんなで眠りたい」という言葉で、その日はこのままパトラの部屋に泊まることになった。