97話 世界最強の氷使い
「どういう事だっ、答えろドコロタ!!!」
ザントマーは激昂し机を叩きつけて立ち上がった。
ドコロタに呼ばれていたので渋々ながら顔を出した彼は、何故か見当たらないパトラ王女の姿に違和感を感じてパトラの行方を尋ねる。だがザントマーを待ち受けていたのは、王女パトラが避難することなく未だ王宮内に留まっているという事実だった。
シン国の絶対強者であるザントマーからの殺気の篭った怒声に僅かに竦んだドコロタだったが、彼とて無駄に歳を重ねてはいない。その程度、国の中枢に潜り込むために犯した危険と比べれば何のことはないと受け流す。
「どういう事も何も、今言った言葉が事実だ。王女はあの王宮に残ると言った、だから置いてきた」
まったくの無表情でそう言ってのけるドコロタ。奴の言葉が嘘であることはザントマーとて承知している。この男は王女パトラに対して良い感情を持っていない。危機の際は平然と見捨てて逃げるだろうことは容易に想像できる。……というより、現在進行形で見捨ててきたのだ。
「たった一人で残ると、まだ齢六つを超えたばかりの娘が言うはずが無いだろう!! 其処まで耄碌したのか貴様!!」
「ええい黙れ黙れぇ!! そんなにあの小娘が心配ならお前が拾って来ればよかろうが!! そもそも、国の大事に留守にしていた輩に言われたくないわっ!!!」
互いに睨み合い、場の空気はまさに一触即発……だったのだが。ザントマーは舌打ちをして踵を返し天幕を後にする。
「何処へ行くつもりだ。まだ私から聞きたいことが残っているぞ、勝手は許さん」
背後から聞こえる声に苛立ちながら、振り返らずに吐き捨てる。
「心配ならば拾って来いと貴様が言ったのだろうが。俺は俺の好きにするだけだ。そもそも」
一瞬で腰から剣を抜いて振り向きドコロタの首元へと向けながら、
「俺は貴様の部下ではない。我が忠誠は全て国王陛下の物であり、老獪な腐れ爺の道具では無いのだ。貴様如きが俺を御しきれると思うなよ」
決別とも取れる言葉を告げて今度こそ立ち去った。
「くそおおぉっっっ!!!」
残されたドコロタは机を殴りつけて苛々をぶつけるが、気分は晴れず更に苛立つのだった。
そんなやり取りを終えたザントマーは直ぐに馬を駆り王宮を目指していた。
時刻はそろそろ日が暮れる頃となっており、王女を見つけて連れ戻る時にはもう日は完全に沈んでしまっているだろうと思われる。
だが一人で過ごす盲目の王女が自分の手で食事など用意出来る筈もなく、仮に王宮が無事に済んだとしても餓死してしまいかねない。
話によると昨日の朝からずっと部屋に篭りきりだというので、もう丸一日と四分の三を飲まず食わずで過ごしているのだ。彼が焦るのも仕方のないことだった。
「国王陛下と女王陛下の忘れ形見くらい、守れずして何が剣聖か」
外の人間───特に異種族たちに幾ら外道と罵られようが、エリック・ザントマーはシン国では勇者なのだ。
その事実がある限り彼は王の命を果たし、死ぬまで戦場に立ち続けるだろう。
やがて王宮の入り口までたどり着き、馬を降りて中へ駆け出す。
まさか置き去りにされた王女以外の人間がこんな危険地帯に居るとは思わずに。
ーーーーーー
日は傾き、地平の彼方に吸い込まれていく。
シン国市街地では、ココノハたちが撤退した時のままのホシミが立っていた。
『氷獄・大紅蓮』には詠唱の必要以外にも制約がある。
其れは術者の身体を楔として打ち込み、氷の地獄の核として在り続けなければならないというものだ。
発動した地点から足を動かしてはいけない。動けば打ち込んだ楔は外れ、氷獄の消滅を意味するから。
しかし幾らホシミが不老不死の身体と強い精神力を持っていたとしても、蓄積されていく疲労は誤魔化しきれない。
眠気や空腹が問題なのではない。ホシミにとってはそれは些末なことだ。
彼の今一番の問題は、動かすことの出来ない足の震えだった。ずっと立ち尽くしていたのだ。筋肉が悲鳴をあげてもおかしくない。
本来なら治癒魔術の一つもかけてあげれば直ぐに治せるものだ。
だが巨人と相対している状況と氷獄の維持に魔力を全て注いでいるホシミにそんな余裕はない。
そろそろ自分の足でも凍らせて強制的に固定しようかと考えていた時だった。
「……! この魔力は……そうか。ようやく来てくれたのか」
氷獄に送り込まれた、よく馴れ親しんだ魔力を察知して口角を上げる。
彼女たちはこの空間への進入許可を得ようとしているのだ。直ぐに味方識別を行い氷獄の効果の対象外とした。これで彼女たちは何事もなく凍てついた空間に入ることが出来る。
僅か一秒にも満たない時間で進入許可を与えたホシミは、間も無く姿を見せるだろう彼女たちを待つのだった。
ココノハとリアは、日が暮れる直前にシン国に到着した。
炎の巨人の姿はとっくに捉えているが、あの巨人が氷獄の中にいる限り外に影響をもたらすことは無いだろうと判断する。
二人は目の前の凍てつく空間の前で停止すると、互いに顔を見合わせて一度頷きあってから氷獄に向けて少量の魔力を流し込んだ。
二人の間に言葉は無かった。今更語ることは無いのだ。
この先にホシミが居て、あの巨人を倒せば終わる。ただそれだけのことなのだから。
送られた魔力を察知したのか、お返しに魔力での返答が届く。二人の存在を認識した氷獄は、まるで招き入れるかのように暖かな空気で包み込んだのだ。
それを確認してから足を踏み入れる。ココノハとリアは凍りつくことなく無事に中へと進入することが出来たのだ。
中にさえ入ってしまえば後は飛んでホシミの魔力を追えばいい。かくして二人は屋根上で巨人と相対しているホシミを見つけることが出来たのだった。
「ホシミさん!」
「ホシミ様!」
同時に自分の名前を呼ばれたホシミは、二人の姿を見て微笑んだ。
ココノハとリアはホシミの側に着地すると心配そうに顔を覗き込んでくる。
きっと自分は相当酷い顔をしているのだろう。だが今は自分のことは全て後回しにする。
「二人とも良く来てくれたな。状況は見ての通り膠着状態だ。リア、来てもらって早々で悪いが……」
「ええ、大丈夫ですわ。あの炎の巨人を消してしまえばよろしいのですわね?」
「───やれるか?」
「はい。日が沈み切るまでには、終わらせますわ」
そう言ってリアは飛び上がった。リアの後ろ姿を見つめていると、ココノハが身体を支えてくれた。
「お疲れ様です。でも、もう少しだけ辛抱してくださいね」
「……そうだな。ではもう一踏ん張りするとしようか」
その一言で、氷獄の気温が更に下がる。長期戦用に魔力を温存しながらの戦い方をやめ、一気に残りの魔力を使い切る短期決戦用の戦い方に切り替えたのだ。
威力に魔力を全振りした結果、巨人の足と腕の動きが鈍くなる。
その様子をリアは空中から眺めている。勿論、魔力を高めることは忘れていない。徐々に漏れ出る氷の冷気は、ホシミの氷獄を覆い尽くさんばかりに広がっていく。
「ホシミ様とココノハちゃんへの味方識別は終了……。ここでお終いにして差し上げますわ、可哀想な巨人さん。せめて炎すらも凍らせる絶対零度を味わってからお逝きなさい」
更に溢れるリアの魔力は、指向性を持って巨人の周囲へと集まっていく。徐々に、徐々に身体の動きが緩慢になり───
『我が名、我が魂に刻まれし青の記憶。其は天地開闢より伝わりし星の営み。生きとし生けるものに永き暗黒の氷獄を贈ろう。ただ眠れ、ただ凍れ。その灯火を灯火のまま形に残すが故に。総てが凍てついた楽園で、貴方を永遠に愛しているから───。氷の涙に溺れなさい……氷河に眠れ、我が涙と共に』
それは、過去にセンタレアル大陸北部を襲った大天災。通称『ウィリアーノースの涙』と呼ばれる悪夢の再現だ。
ホシミの作った氷獄を上書きし、莫大な魔力の奔流が新たな氷獄を作り出す。
絶対に溶けることのない、青属性系統氷の究極こそが、彼女の真の力なのだ。これと比べたら普段のリアの魔術は子どもの遊びと何ら変わらない。
「──────────!!!!!???」
炎の巨人すらも驚き慌てている……が既に遅い。煌々と燃え盛る炎ごと身体が凍てつき始めているのだ。
末端から徐々に侵略してくる凍結を自身の炎の掌で熱して溶かそうとする。しかし効果はなく、それどころか触れた掌を凍らせようとしてくる始末。
何をやっても効果は無い。炎の巨人は足、腕、胴と順に凍りつき……やがて不溶の氷像と化したのだった。
その様子を、ホシミとココノハはじっと見つめていた。目を逸らさず、巨人の最期を見届けるように。
ゆっくりとリアが降りてきて、その姿を見て全てが終わったことを実感したホシミは足をもつれさせて尻もちをついた。
「おっと……」
「ふきゃあっ!?」
ホシミが足を離したことで楔は外れ、氷獄は綺麗さっぱり消え失せる。残っているのは、リアが凍らせた炎の巨人とその周辺だけだった。
立ちっぱなしだった足は痙攣し、しばらく休まなければ歩けそうにない。
支えてくれていたココノハも巻き込まれて転倒してしまい、リアは若干驚きながらも笑っていた。
「ちょっとホシミさん!? 倒れるなら倒れるって言ってくださいよ!! びっくりして変な声出ちゃったじゃないですか!!!」
「まぁまぁ、落ち着いてくださいなココノハちゃん。それよりホシミ様、お身体の具合は───」
ホシミは急に倒れたことで心配するリアと巻き込まれたココノハから色々と言われながら王宮の方向へと視線を向けるのだった。
日は沈み、夜になる。
巨人との戦いが終わったホシミたちは、戦闘中に行われていたもう一つの戦いを未だ知らない。