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96話 エリック・ザントマーの帰還

 彼がシン国へと戻って来たのは、陽が天頂に登る前だった。

 逆立った黒い髪、重厚な漆黒の鎧に覆われた肉体は力強く、黄金の瞳は冷酷さを表すかのように鋭い。

 腰に下げた剣は両刃で刃渡り九十ほどのやや長めのもので、乗っている馬の毛並みも黒く、まさに黒騎士という出で立ちだ。

 彼こそがエリック・ザントマー。『外道剣聖』という不名誉な称号を得たシン国最強の戦士である。


 背後に控えるのは彼の配下の精鋭たち。近衛としての役割も兼ねられるほどの忠誠心と実力者のみが第一師団に入る事を許される。

 彼等はウェリントン・スパロウマンの失踪について詳細な情報を得る為に自ら志願して向かった者たちだ。非公式の出立であった為に第一師団内部の者しか詳細を知ることは無かった。

 ドルー・ドコロタがエリック・ザントマーとその配下の不在に気付いた時には既に三日が過ぎていたのだ。

 そんな彼等はスパロウマンたちの残した足跡を辿りながら北の森精種(エルフ)の集落に向かった……のだが。

 森の外で夜営した後の足取りが無くなっていたのだ。森の内部には戦闘の痕跡が残ってはいた。革鎧の残骸や剣矢の破片、そして大量の血を撒き散らしただろう黒い染み。

 そんなものばかりが見つかって、肝心の死体がただの一つも見当たらなかったのだ。


 スパロウマンたちの二の舞にならぬよう警戒しながら歩を進めたが、結局彼等に襲い来るものは何も無かった。

 何事も無く森精種(エルフ)の集落まで辿り着いた彼等が見たものは、捨てられ無人となった元集落だった。

 部下たちに残された家々を調べさせたが、残っているものは家具くらいで他の物は一切無く。埃の積もり具合から、放棄されてからおよそ一週間ほどしか経過していないようであった。


 何故、森精種(エルフ)は集落を捨てたのか。

 何故、スパロウマンたちは消息を絶ったのか。

 何故、森の中に戦闘の痕跡が残っているのか。

 分からないことだらけだ。が、はっきりしたことが一つある。

 ウェリントン・スパロウマン及びその部下たちは、何者かと戦い、この森の中で戦死したのだ。

 その何者かは森精種(エルフ)では無いだろう。奴等がスパロウマンたちを全滅させたとして、此処を出て行く理由が無い。ただ迫り来る炎を払っただけなのだから。

 となると、考えられるのは森精種(エルフ)たちすら逃げなければならない程の脅威がこの森の中に存在していたという線だ。

 強力な魔獣か、はたまた人智を超えた存在か。それが何かは分からない。ただ、この森の中に長く留まることは良くないという漠然とした不安が付きまとった。


 調査が粗方終わったところで、彼等は直ぐに森を出る判断を下した。

 遺留品はほとんど残っていなかったが可能な限り集め持ち帰る。

 そしてそのまま帰路につき、ようやくシン国に戻って来たのだ。

 だから、目の前の光景に一瞬眩暈がするのを抑えられなかった。


「な、何だあれは!!」

「街が滅茶苦茶に……!」

「そんなことよりもあの巨人は何処から現れたんだ!?」


 城門と城壁は見事に崩れ落ちてその用を為してはいないし、街もそこかしこが崩壊している。

 だがそんなことよりも。何より彼等の目を引いたのは、街の只中に聳え立ち暴れている炎の身体を纏った巨人の姿であった。

 ザントマーが部下たちの取り乱す様を責めることは出来ない。それほど目の前の光景は異常であり、想像を遥かに超えていたのだから。

 しばらく茫然と見つめてしまっていたが、そこでザントマーはあることに気付いた。

 巨人は暴れてこそいるが───その場から動いていないのだ。誰かが足止めをしている、そう判断を下した後の彼の行動は素早かった。


「斥候隊、直ぐに街の周囲の探索に向かえ! 避難して来た住人が集まっている可能性が高い! 無事に住人たちを見つけたら全員で彼等の警備に向かえ!」


「はっ!」


 声が聞こえた後、直ぐに数人が部隊を離れて探索に赴く。その様子を見届けてから副官が声を掛けてくる。


「将軍は如何なされるのですか?」


「俺は───」


 街の状況、巨人の足止めをしている者、王宮───と気になることは山ほどあるが。巨人が街で暴れている状況で王宮に人が残っていることは無いだろう。民と共に避難している筈だ。

 ならば、あの巨人と相対している者の様子を確かめておく必要がある。巨人を撃退出来た後で、その者が敵となるか味方となるかは分からないのだから。


「あの巨人と戦っている者を見てくる」


「かしこまりました。では、私は将軍が帰還なされるまで隊の指揮に入らせて頂きます」


「任せる。一時間後に狼煙を上げろ、その場所に向かう」


「はっ。どうかご武運を」


 副官の声を背中に浴びながら馬を駆り、単身で街中へと向かう。

 これで隊は任せておけば大丈夫だろう。


 街に入る時、瓦礫を馬が踏みつけないように注意を払う必要があったがそれ以外は然程問題は無かった。

 街は所々破壊されており、道が塞がってしまっている。人が居ないので活気も無い。

 まるで、死んだ街に一人迷い込んでしまったかのようだ。

 巨人に近付いていくと、巨人の周囲には氷の空間が張り巡らされていた。

 触れてみようとした瞬間に第六感が警告を発して手を引っ込める。

 代わりにちょうど良い大きさの瓦礫を拾い、氷の空間内に投げ込んだ。

 氷の空間に進入した瓦礫は瞬時に凍りつき、重力に従って地に落ちる。

 その様子を見て、この内部は極寒であり、もし迂闊に進入していたら己は死んでいただろうという事実に震えた。

 中に入れば死、しかしそれでは様子が分からない。どうしたものかと周囲を見渡すと、街の時計台がまだ崩壊していないことに気が付いた。

 街中の建物よりも高い時計台の頂上からならば氷の内部も見ることが出来るかもしれない。

 ザントマーは急いで時計台に向かった。


 長い階段を上りきり、ようやく頂上まで着いたザントマーは時計の文字盤脇にある覗き窓から戦場となっている空間を探す。

 氷に覆われたその場所は直ぐに見つかった。

 上から見るとよく分かるが、巨人は足の凍結を防ぐ為に腕で冷気を払っていた。それが暴れているように見えた要因だった。

 巨人と相対している者は何処かと視線をずらすと、その巨人よりも離れた場所、建物の屋根の上に一人の男が立っていた。

 黒いローブ姿の如何にも魔術師といった風貌だった。

 彼はその場から一切動かず、ただ巨人を前に手を伸ばして突っ立っているだけにしか見えなかった。

 実際は空間の維持と足止めの凍結に魔力を使っており、かなりの集中をしているのだが魔術師でないザントマーにそんなことがわかる筈も無く。

 だが確かに分かったことは、あの男が居なければシン国はザントマーが戻って来る頃には灰塵と化していただろうということだけだった。


「あの男が、たった一人で巨人を止めているのか」


 ザントマーが知っている中で最も能力の高かった魔術師はカミーユ・イレネースであった。

 空を飛び、精神を弄び、暴風を持って大群を殲滅する。若干歪んだ趣味こそ持っていたが優秀な魔術師だ。

 だが、眼下で戦う彼は彼女を大きく超えていた。

 属性が違うというのはあるだろう。それでも、あんな広域に死をもたらす空間をカミーユは作れない。


「奴は、何者なんだ……」


 思わず漏れた呟きを聞き取る者は誰もいない。

 ザントマーはしばらく観察していたが、戦場は膠着状態に陥っていると判断して時計台を降りた。

 馬を走らせて街中から脱出し空を見上げると、狼煙が上がっているのが見えた。どうやらもう既に一時間が経過していたようだった。

 馬首を翻し、狼煙の元へと向かう。

 しばらく進むと、数多くの天幕が用意されたまるで陣地のような場所にたどり着く。


 自分の姿を見て周囲がざわつき始めるが、それを無視して奥へと向かった。

 先に向かわせた副官がこちらへ気付き、側まできて耳打ちしてくる。


「将軍、ドコロタ様がお呼びです。如何なさいますか」


「ふん、あの糞爺めが。どうせ国の大事に居合わせなかったことを喚くだけだろう。放っておけ」


「ではそのように。ああ、そうだ。後で将軍にもお話がいくと思いますが……。我々が出立している間に国王陛下と女王陛下が崩御なされたそうです」


 その言葉に足が止まる。あくまで平静を装ったまま、「そうか」とだけ呟いて再び歩を進めた。


「では職務に戻ります。何かご命令がありましたらお呼びください」


 そう言って副官は敬礼をして離れていった。

 ザントマーは先の言葉を思い出しながら人混みを避けるように歩いていく。


「(結局、病が癒えることは無かった……か。済まないな国王陛下。貴方を支えるという誓いを中途で投げ出すことになってしまった)」


 表情は一切動かすことなく。心中でのみ既に亡くなった王へと謝罪する。

 やがて天幕が立ち並ぶ陣地のはずれに辿り着き、立ち止まって空を見上げた。


「(せめて貴方の娘には幸せな生を歩んで貰いたいものだ)」


 その望みが叶うことは無いだろうが、そう思わずにはいられなかった。

 だが彼はまだ、盲目の王女が王宮内に残されていることを知らない───






 ーーーーーー






 ドルー・ドコロタは苛立っていた。

 自分の思い通りに進まないことも当然あるが、慣れない天幕での寝食も更に彼の苛々を募らせていく。

 まだ一晩を過ごしただけだが、質素な寝床のせいで身体は痛み、食事も民よりは豪華であるが侘しいものになってしまった。

 緊急事態であることは重々承知している。だがそれまで当たり前に享受してきたものが急に無くなると人は往々にして不安になるものだ。

 そもそもあんな巨人が現れなければこんな事にはならなかったに違いない。

 しかも悪い事に、アレを生み出した魔術師は既に氷の中で死んでしまい、こちらの意思で搔き消すことすら出来ないのだ。


「最悪だ……。ようやく国を奪ったと思えば一瞬でその国を失うのか……。三日天下すら生温い、一日も天下を取れずに此処で我が野望は潰えるのか……」


 もしあの巨人があのまま消えたとしても、街が被った被害は尋常ではない。復興に数年は掛かるだろう。特に城壁が完全に破壊されてしまったのが相当痛かった。

 ドコロタの年齢を考えると、おそらく街の復興だけでその生を終えてしまうだろう。

 その事実に頭を抱えていたが、外から兵士の呼ぶ声が聞こえてきた。


「ドコロタ様、ザントマー様がご帰参なさいました」


 その声にのっそりと頭を上げて、そういえば今日のうちに戻ってくると言っていたなと思い出す。


「ザントマーには聞きたいことがある。見つけたら私の所に来るよう伝えてくれ」


「はっ。では失礼します」


 兵士の立ち去る足音を聞いて、気を取り直す。

 まだだ、まだ、やれることはある。

 諦めるにはここまで掛けてきた時間が長すぎた。


「そうだ、あの巨人を止めているのは只人(ヒューマン)だったな。そうか……くくっ。巨人を一人で抑えるほどの魔術師だ、奴を懐柔すれば直ぐにでも戦争を始めることが出来る」


 ふと思いついたことを口に出す。

 それは素晴らしい考えだと、興奮したように。

 ドコロタは自分の知識と経験を総動員して、自分が与えられる利益を並べ、謎の男との交渉の材料を用意する。

 それが徒労であることを知らずに。



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