告白
どうして、こんなことになったのかしら・・・
グラグラと揺れる馬上で、ドレスの裾が舞い上がらぬよう丈の長い外套の前をしっかりと引き寄せる。腰には細くも逞しい腕がしっかりと巻きついているから、馬から落ちる心配は無いのだろうけど、どうしても不安で目の前にある服をぎゅっと握ってしまう。密着する体からはラファウ様の熱が伝わってくるけれど、恒例ながらそれを堪能する余裕は無い。
遠くに行くのだとわかっていたら、せめてそれなりの格好に着替えてきたのに!
もしかして完璧と名高いラファウ様は、女性への気配りに関してはてんでダメなのではなかろうか。
そうでなければ、ちょっと外に行こうと言って、ドレス姿の女性を馬に乗せて城外に出ることなど、出来るはずがない。
ラファウ様に誘われて、不思議な部屋から出て庭園でも歩くのかと思いきや、連れられたのは厩だった。そこからもう嫌な予感満載の私は、馬に鞍を付けるヘリオス様から、・・・またか!、という怒りを通り越して呆れを含ませた叫びを聞いて、ああ、予感的中、と心の中でがっくりうなだれたのだった。
またしても、仕事場に女性を連れて行こうとするラファウ様に、同行するのだろう準備を整えて厩の前で待機していた近衛兵達に、予想通りの反応を頂いた。
しかも今回ラファウ様は、この目立つ白い頭を隠す気もない様だ。まぁ、ローバンによれば既に近衛兵には私の素性がばれているらしいので、今更隠す必要もないのだろう。と、思いはするが、私個人としては、穴があれば入りたいほど恥ずかしいので、せめてフードくらいは被らせて欲しいのだが。
そんな思いで赤くなりそうになる頬をしかめっ面で誤魔化して、既に馬上の人となったラファウ様を上目遣いに見上げたら、ラファウ様はきょとん、とこちらを見つめる。そして、私の片腕を掴むと、私の重さをまるで意図しないように、軽々と引っ張り上げて、その腕に閉じ込めてしまった。その時はらりと頭にフードが被せられて、思わず安心してしまったけれど、遅すぎます。もうばっちりみんなに見られてしまいましたよ、ラファウ様。
ラファウ様が馬の手綱を引くと、近衛兵達は黙って後ろに付き従う。
ちらりと、フードの隙間からラファウ様の顔を見上げる。端正な顔で、まっすぐ前を見据えるラファウ様はとてもかっこいい。それに恐らく、馬に不慣れな私を気遣って、相当歩みを遅くしてくれている。
なのに、何故服のことには思い至らなかったの・・・
格好良くて、落ち着いていて、理性的。紳士的で、優しい恋人の、意外な欠点に気づかされて、けれど落胆するどころか、可愛いと思ってしまう自分もいる。
ああ、それに、甘えてくるラファウ様も、可愛いわ。
結局は、好きな人なら何でも許せてしまうのだ。私は顔を綻ばせた。
けれど、すぐにラファウ様はご自分のフードを被ってしまい、麗しい顔の大部分が隠れてしまった。ああ、残念。
城下町の、賑やかな大通りを避け、比較的人影がまばらな曲がりくねった路地を進み、狭い門をくぐって城下町の外に出る。一歩踏み出すとそこは、石畳ではなく青々とした芝に、なだらかな丘、さらにその奥に黒々とした森が広がっている。
元は芝が生えていたのだろう、けれど今は人の往来によって黄土色の土がむき出しになっている細い獣道を何頭かの馬でしばし走ると、小さな小川が見えてくる。この川は、下流は城下町の中に引き入れられ、重要な水資源となっている。しばらく小川に沿って上流方向へと進めば、大きな川幅を持つハイル川との合流点に差し掛かる。馬は、このハイル川沿いに更に上流方向へと歩を進めた。
何となく、行き先のわかってきた私は、痛み出してきたお尻から気をそらす様に、流れる景色をぼうっと眺めていた。
広い広い川幅の、真ん中あたりを申し訳程度に流れるハイル川は、平素であればこんなにも水量が少ないのかと驚くほどだ。この、何の脅威も抱かせない川が、長期間だったとはいえ、雨が降り続いただけで河川敷まで埋まってしまうほど水量を増すのだから、自然とは本当に恐ろしい。一定方向に根ごとなぎ倒された草や木々や、砂利がむき出しの砂州を感慨深く眺める。
先の土石流は、人から多くの物を奪ったのだろう。私自身、結果的には何も失わなかったけれど、一歩間違えばラファウ様を奪われていたかもしれない。そう思うと、思わず身震いしてしまう。
けれど、こうして氾濫を繰り返すのがそもそもの川のあるべき姿、だとも思う。メシアではもっと人と自然との距離が近く、かつ自然の猛威に対して脆弱だったからか、自然による無差別な略奪には、諦めの様な、悟りの様な念を抱いている。
時たま自分が、とんでもなく冷たい人間なのではないかと思う時がある。生まれ育った領地の森では、命のやり取りがもっと簡単に、頻繁行われている。それを間近で見てきた私は、消える命に対して薄情だ。
だからこそ、私は今から向かう先で何を思うか、そして何をやらかすか、考えると少し怖い。
そんな私の思いとは裏腹に、馬は無情にも街の入り口へと近づいてゆく。ラファウ様が馬の手綱を引くと、大してスピードを出していなかった馬は、息も切らさずピタリと歩を止めた。
何事かといぶかしむ私に構わず、ラファウ様は私を包む外套を、さっと引き剥がす。
「きゃっ」
思わず小さく叫んでしまった私は、悪くないと思う。だって、自分の熱の移った外套を突然脱がされれば、誰だって驚くと思うのだ。しかも、外套とはいえ、人前でラファウ様に服を脱がされるのって、なんだかやたらと恥ずかしい・・・
そんな私に意を介した様子のないラファウ様は、ご自分の外套もさらりと脱いで、二人分の外套を近くにいた兵に預けられる。さらりと流れる夜空色の髪に宝石の様な緑の瞳が青空のもとに晒されて、どきりとする。
って、そんな場合ではない・・・!!
再び馬を進めたラファウ様に、私はバランスを崩しかけて慌ててラファウ様の胸をつかむ。ラファウ様の逞しい腕は、再度私の腰に回された。
もしかしなくても、この状態で街に入るつもり!?
フードで顔を隠していても恥ずかしかったというのに、顔を晒してなんて、とてもじゃないけど正気ではいられない。
そもそも、ラファウ様の婚約者でも何でもない私が、ラファウ様と共にいるところを不特定多数の人に見られるのは、とてもまずいことなのではなかろうか。
そう思いすがる様にラファウ様を見上げると、彼は私をちらりと見下ろして、優しく笑う。
私がそのお顔に弱いこと、ご存知ですか。
「しゃんとして」
耳元でそっとつぶやかれた声は、決して咎める様なものではなくて、むしろ甘く体を痺れさせた。
私は一瞬羞恥で顔を赤らめたけれど、気を取り直して背筋をできる限りピンと伸ばす。
動く馬の上ではバランスを取るのが難しく、ラファウ様にしがみつく私ははたから見ればまったくしゃんとしてる様には見えなかったろうけれど。
やがて街の入り口をくぐり抜けた私たちに、作業を止めて目をみはる人々の視線がぽつりぽつりと増えていった。そして、ざわ、と空気が揺れる。言葉としては聞き取れないが、驚きと熱気の混じったそのざわめきは、瞬く間に道の先まで駆け巡った。それに伴い、人の往来のあった道が、私たちの前でぱっくり2つに分かれて先まで見通せる様になる。
私はできる限り自然な笑顔を顔に貼り付けながらも、思わずごくりと唾を飲んだ。
次第に道の両側から、声が投げかけられてくる。
「ラファウ殿下、万歳!」
「きゃー!ラファウ殿下素敵!!」
「もしかして、一緒にいるのはナディア様か!?」
などなど・・・
ラファウ様の意図を少しだけ理解した。
自身が被災しかけたからか、この街の復興に力を入れていらっしゃるラファウ様は、度々御自らこの街に視察に来られていると聞いたことがある。
おそらく、街人もそれを知っていて、ラファウ様に只ならぬ敬意を持っているのだろう。そしてそれをわかった上でラファウ様は、こうしてわざとお姿を現して、まだ復興途中のこの街を活気づけようとしているのだ。
しかし、私は?
一応貴族としての矜持があるので、内心「?」がいっぱいだったとしても、それを表に出すことはしない。出すことはしないが、人々の声に、思わず口の端がぴくっと動いてしまうのは許してほしい。
ナディア様ではないですごめんなさい。
そう、心の中で謝る。
そうだ。王都に近いとはいえ、この国の王太子であるラファウ様ならいざ知らず、一般人が貴族の顔など知る由もないのだ。ましてや小国メシアの一貴族の娘など。
だから、たとえラファウ様が堂々と婚約者ではない女性を連れていても、みんなにラファウ様の浮気がバレる心配はない。なんだか後ろめたい気持ちが沸き起こることは否めないけれど。
私はさりげなくちらりとラファウ様を見上げる。つまり、ナディア様の振りをしていればいいんですよね?という意味を込めて。
しかしラファウ様は、盗み見たはずの私の視線をばっちり受け止めると、一度柔らかく笑っただけで、すぐにまた街人の声援に応えるべく視線を外してしまう。そのため私は、ラファウ様が何を考えているのかわからないまま、しばらく好奇な目を受け続けることとなった。
その後ラファウ様は、未だテント暮らしを強いられている街人に直接会いに行った。
ラファウ様は、丁寧に一人一人と手を取りお話をされて、とても慕われているようだった。
王族が一般人相手に膝をつき手を取り合う姿は、貴族社会においては決して認められるものではない。事実ラファウ様の背後に控えているヘリオス様も、ラファウ様のなさることに賛成していないのか、始終険しい顔をしていらした。
私はといえば、初めはラファウ様の後ろでどうすべきかわからず戸惑うだけだったものの、途中から開き直って、ラファウ様の後に続いて街人の達の手を取ることにした。正直ラファウ様ほどにこの街の行く末について憂いていたわけではないが、ここに立つ以上は、私の行動ひとつひとつが貴族の代表としてとられかねない。そして私は、例え仕えるべきはマルバラフのラファウ様ではなく、メシアのフィン女王だったとしても、やはりラファウ様の力になれるよう行動しなくては、いや、行動したいと思ってしまうのだ。
ドレス姿の私が地面に直接膝をつくと、大抵の街人は目を溢れんばかりに見開き、こちらが申し訳なくなるくらいに固辞する。けれど思い出して欲しい。私は侯爵令嬢といえどマルバラフのような大国の貴族ではない。田舎の小国メシアで、野山を駆け回っているような希有な侯爵令嬢なのだ。その昔、ドレスに小枝の引っかき傷や泥枯葉を散々つけたことを考えれば、地面に膝をつくくらい、なんてことはない。
だけど、それを正直に説明することはさすがに憚られるので、曖昧に笑うにとどめたが。
にしても、私なんかが手を握り一言交わすだけで、何も有難いことはないと思うのだけれど、とんでもなく喜ばれ、時に涙さえ流されるのには驚いた。同時に、私はそんな立派な人間ではないと、罪悪感に苛まれる。
そもそも私は、これまであなたたちのことを本気で憂いたことなど一度もなかったのだ。
笑顔の裏でそんなことを思いながら、街人と向き合うラファウ様をちらりと見る。
その喜びの涙は、私ではなく、彼こそが貰うべきものだ。たかだか今日初めて現れて、当たり障りのない言葉しか掛けられない私が貰って良いものではない。
気づけばじっと見つめていたようで、視線に気づいたラファウ様が私を手招きする。私は小首をかしげながらも、素直にラファウ様に近づいた。
「おいで、フラウレン」
ラファウ様が優しく私を呼ぶ。差し出された右手に指先を乗せると、ふわっと握られ、優しく引き寄せられる。腰にそっと腕を回されれば、あっという間に婚約者ポジションだ。
ラファウ様の近くにいた、恐らくこの街の長が、フラウレン、様・・・?と小さく呟くのが聞こえる。独り言のようなそれに、気づいたのは私だけではなかったようだ。腰に回されたラファウ様の手に、少しだけ力が入る。
「フラウレン、彼は領主のミレー伯爵」
ラファウ様のシンプルな紹介の後、探るような瞳を人当たりの良い笑顔に隠した男性が、白髪交じりの頭を軽く下げる。
「私は、この街を含め、ハイル川の上流域一帯の領主を拝命しております、トーナ・ミレーでございます。あのフラウレン様とお会いできるとは、光栄の極みにございますな。」
その言葉に引っかかりを覚えながらも、私は貼り付けた笑みを崩さず膝を折る。先に名前を呼ばれてしまったけれど、一応男性とは初対面なはずなので名を名乗る。
「メシア王国より参りました、バッツドルフ侯爵が娘、フラウレンにございます。以後お見知り置きを・・・」
あの、とは、どのフラウレンのことかと聞きたかったけれど、当たり障りのない言葉で誤魔化しておく。
この手の顔の男性は、大抵が狸なのだ。相手のペースに巻き込まれたら、墓穴を掘って終わる。
そんな私の態度が物足りなかったか、ミレー伯爵は好奇を瞳に乗せて、ラファウ様をちらりと見上げる。
いつもなら。
そう、いつもなら。
正式な婚約者でもなんでもない私のことを公にしたくないラファウ様は、そんな好奇な目を受け止めることはしないし、そもそも、他の目があるところでこんなに近い距離を保つことはない。
なのに今日に限っては、いや、最近、か?
人前で堂々と私を側に置くラファウ様は、ミレー伯爵の視線をまっすぐに受け止めると、口の端を上品に持ち上げた。
「フラウレンはハイル川の河川整備にも一枚噛んでいてね。この街の復興には特に心を砕いているから、視察したいというのでしぶしぶ連れてきたというわけだ。・・・フラウは、そう、ほら、」
いつになく饒舌なラファウ様が、私の腰に回した腕を持ち上げ、手の甲で優しく首筋、そして頬をひと撫でする。細長い、角ばった指でこめかみに垂れ下がった白い髪を一房掴むと、そっと耳にかけた。
「・・・人目を引くから、連れて来たくはなかったのだけど。」
今ラファウ様が演じてらっしゃるのは一体何キャラかしら、なんて現実逃避するのもなかなかに難しい状況だ。何か意図があるとわかってはいても、頬が赤くなるのは止められない。少し非難を込めてラファウ様を見上げれば、意地悪そうに笑うラファウ様がいる。この顔が、作り物の顔なのか、それとも最近感情豊かになってきたラファウ様の、素の笑顔なのか、私には判断がつかなかった。
目を合わせられなくなってそっと横にそらしたら、不機嫌さをあらわにしたヘリオス様と目があって、それはそれで後悔した。
でも、ヘリオス様。見ていらしたならわかるでしょう?私は何もやっていませんよ?
そんな言い訳は通用しない、とばかりに眉間の皺を深くするヘリオス様をこれ以上見ていられなくて、視線をそっと戻すと、にんまりと笑ったミレー伯爵が、ほんにほんに、と何度も頷いていた。
テントを後にして向かった先は、小高い丘の上だった。ここからはハイル川と、その両岸に広がる街が一望できる。しかしその街の一部は、ハイル川に沿って扇状に平地と化し、不自然に建物が建っていない不気味な光景だった。先ほどいたテント群は、川から離れた街の郊外に広がっている。
誰も、土石流の起きた場所には住みたがらないのだなと思った。
被害を受けた建物が撤去され、地面が慣らされても、住みたい人がいないのならば、そこに建物は立たない。例え河川が以前よりも強固に整備されたとしても、人々が受けた心の傷は、そう簡単には癒されないだろう。
元に戻すだけが、復興ではないのだ。心の傷を癒してこそ、本当の復興に繋がるのかもしれない。
そして、もしかしたらラファウ様は、それをご自身で行おうとしているのかもしれない。
私は、隣に立つラファウ様を見上げた。
ラファウ様の目は、この街を、そして、ここに住む人々一人一人を確実に映しているのだ。
でも、それはとても心の折れることではないだろうか。
ただでさえラファウ様は、王太子として、このマルバラフに住む幾千幾万の人の命を肩に背負われている。それだけでも、私など想像もできないほど、辛いことだと思うのだ。なのに、それら一人一人の命に向き合うなんて。
街をじっと見つめて動かないラファウ様に、私は思わず声をかけた。
「ラファウ様・・・大丈夫ですか?」
するとラファウ様は、一拍置いた後、感情の読み取れない無表情で、ゆっくりと私を振り返る。
なんだかそれが痛ましくて、私はそっと、ラファウ様の裾に触れる。
「・・・ラファウ様のお心が、心配です。」
まっすぐに目を見て言うと、ラファウ様は二度、パチパチと瞬きをした後、ふっと鼻息を吐いた。依然無表情のままだったけれど、彼が向こう側から帰ってきた、そんな感じがして、私は心の中でホッと息をつく。
「大丈・・・いや、少し、疲れた。」
弱音を吐いてくれるラファウ様を愛しく思いながら、私は小さく頷いて、裾をつかんだ手にぎゅっと力を込める。
「フラウは、大丈夫か?」
他人の心配など、しなくても良いのに。困った程に、優しい人。
私は返事の代わりに、にこりと笑ってみせる。
「私は、とても薄情な人間なのですよ。被災した一人一人に心を分け与えることはしないので、ラファウ様ほど疲れておりません。」
「それは・・・とても正直だな。」
「ええ、けれど事実にございます。天災は生き物全てに平等に訪れるもの。メシアは田舎なので、マルバラフよりも頻繁に、そして身近に、命が消える瞬間を感じながら過ごしてきました。そのためか、死や不幸に触れても、そこまで親身に同情できないのです。なぜならそれらは、この世に生きる限り誰しも避けられない、平等に訪れるものだからです。そしていつか、私自身に死や不幸が降りかかったとしても、私はそれが自然の理だからと、淡々とそれを受け入れると思います。」
山に囲まれたメシアでは、一歩森に分け入ると、死と隣り合わせの弱肉強食の世界が待っている。そこでは、殺したものにも、殺されたものにも、なんの罪はない。ただ生きるために、命を奪う。それが自然の理。人も、例外ではない。
ただ、文化の発展が著しいマルバラフでは、メシアと違い、生き物の中で人の力が大きくなりすぎていると感じる。そのため、人は奪われることを忘れ、奪われた時により大きな悲しみを伴うようになってしまったのではないかと。
淡々と告げると、ラファウ様は少し考えた後、ふうとため息をついた。
「君は、出会った頃にも思ったが、小動物のように頼りないかと思えば、神のように非情だな。」
「・・・軽蔑、しましたか?」
「いや。ただ、理解には苦しむが。」
ラファウ様の正直な感想に、私は柄にもなく胸をずきっと傷ませる。私の考え方が大多数のそれではないことは理解しているし、例え誰にも理解してもらえなくとも私の中で出した答えを変える気はさらさらない。
けれど、好きな人には理解してほしい、とわがままを思うことだけは、自由なはずだ。
だから、私が思わず、口を尖らせて呟いた言葉も、小娘の強がりのわがままとして許してほしい。
「・・・理解してもらえなくても、いいです。私は自分の意見を偽る気はありませんし、ありのままで生きていたいですから。」
そう言うと、ラファウ様は何故かふっと笑って私の頭をそっと撫でてくる。
「拗ねるな。フラウのそう言うところは、むしろ好んでる。」
ずるい。
こういう大人の余裕を見せつけられる度に、自分の幼さが嫌になるのだが、彼はわかっていないのだろう。
そんな私を見つめながら、けれどラファウ様はその奥を眺めているかのように遠い目をして言った。
「ありのままの私でいていいと、言ってくれたのはフラウだけだった。」
そう言われ、遠い過去の記憶を掘り出してくるのに、少し時間がかかった。
ラファウ様が言っているのは、恐らく私達が出会った2年前のあの日のことだろう。
「一般人に膝をついて言葉を交わすなど、王族のすべきことではないと、結構な数の人に、まぁヘリオスあたりは特に煩く言ってくるんだ。けれど先ほどの君は、迷うことなく地面に膝をついていた。驚いたよ。」
ラファウ様の言葉を聞きながら、まぁそうだろう、と納得する。
特に、ヘリオス様については、ラファウ様が大好きなのはここ最近の会話で実証済みなので、ご自分の価値を下げる行為に猛反発する姿が目に浮かぶようだ。
あと、私が膝をついたのは、ただ田舎娘だから、それだけだ。
けれど、正直に言うのもなんだか恥ずかしかったので曖昧に頷くにとどめる。
「・・・あの日。ありのままの私でいることこそが、私の役目なのだと、そう言ってくれた君が、私を認めてくれる。それだけで私は、立っていられる。君が隣にいてくれたら、どんな重荷にも耐えられる気がする。」
私は慌てて、ふるふると首を振った。
「そ、んな、私は大それた人間では・・・!!むしろ、どうやったらラファウ様に相応しくなれるのか、考えて、でも間違えて、呆れるくらい何度も何度も間違えて。そんな、未熟な人間なのです・・・!!」
自分で言ってて嫌になるけれど、いつもいつも、誰かに指摘されて初めて自分の未熟さに気づく、私はそんな愚かな小娘だ。
「君に相応しくありたいと願うのは、私の方だよ。」
ふるふると。力なく首を振る。
「・・・未熟さを逆手にとって自分を庇護するわけではないけれど、自らを未熟と感じるということは、高みを目指せる目を持っているということ。今の自分をより良い方に変化させる力を持っているということだ。そう卑下すべきことではない。むしろ、今の己に慢心しないその姿勢は、私の目には好ましく映るよ。そう、手放すのが、とても惜しいと思うくらいに、ね・・・」
そう、言葉を発したラファウ様の口元は、緩やかに弧を描く。
いつの間にか間近に見上げた深い緑の瞳は、常に違わず宝石のようにキラキラと輝いているのだけれど、何となく、それが爽やかとは形容しがたい、うーん、なんと表現すべきか難しい。
とにかく、キラキラというより、テラテラ、いや、ギラギラ?と輝く瞳から目が離せなくて、いつの間にか片手を握られているのも気づかない程に見入ってしまう。
「・・・・・・さ・・・ぃ」
二人の間に吹き抜ける風は、ラファウ様の独り言のような小さな呟きをいとも簡単にさらってしまう。
けれど、それを、え、と聞き返す前に、ラファウ様はふわっとマントを翻して、私の片手を握ったまま、足元に跪いた。一瞬何が起こったかわからず、反応できずにいる間に、まるで騎士様がお姫様に許しを得るかのように、握った片手をラファウ様の目と鼻の先まで持ち上げ、瞬きする間もなく私の指先に、ちょん、とラファウ様の唇が触れた。
その湿った生温かさに、思わず指先から体の中心に向かって、ふるっと震える。
目の端で、少し離れたところで私たちを見守っていた近衛兵達が、はっと息を飲んでこちらを注視する気配を感じたが、私はラファウ様の行動に見開いた目を離すことができない。
「王に相応しい妃をと、ずっと乞われてきた。君しかいないと、心ではわかっていたはずなのに、私は、相応しいの意味を履き違えるところだった。フラウ、君は言ったね。この世が変わり続ける限り、民が求める王もまた、変わり続けるのだと。だから、ありのままの私で良いのだと。」
以前何気なく発した言葉を、ラファウ様はこれほどまでに鮮明に覚えていて、同時に心に刻まれいるのだと思うと、驚くと同時に、簡単に口にしてしまった過去の自分を後悔せずにはいられない。
まぁ、後悔したところで、恐らく同じことを尋ねられれば今の私も同じことを答えるだろうけれど。
そんなことを現実逃避のようにぼうと考えていたら、目の端に写っていた近衛兵の中から、金色がすっと現れた気がした。私は反射的に顔を向けそうになったが、その直前にラファウ様に取られた手をぎゅっと握られ、そのまばゆい緑の瞳に意識を戻す。
「そうであるならば、王妃に相応しいのは、フラウ、君しかありえない。ありのままの私を認め、好いてくれる、君しか。」
「王妃・・・」
あれ、これは、何かしら。私たち、何の話をしていたのだっけ?
そう、この村の視察をしていて、民一人一人に心を砕くラファウ様が心配になって、それで、・・・王妃!??
突然その単語の意味を理解して、私は目玉がこぼれ落ちそうになるくらい目を見開いた。
何故なら、これは、これは、もしかしなくても・・・!
目を見開き身を硬くした私に、ラファウ様は小さく頷く。
「今まで、我慢させてすまなかった。こんな不甲斐ない男だが、私には君が必要だ。私に、君の隣に立つ資格を与えてくれないか。・・・そうすれば、フラウレン・バッツドルフ。君に永遠の愛と幸福を授けることを、我が建国の神イヴァルの名の元に誓う。」
そう言ったラファウ様は、私の手の甲にそっと唇を当てて瞼を伏せる。こんな綺麗な人に騎士のように跪かれるのも、手の甲に当たる唇の感触も恥ずかしい以外の何物でもなかったが、それよりも、何ということだろう。
これは、プロポーズでは・・・?
理解した瞬間、頭がぼふんと音を立てて沸騰しそうになる。
ラファウ様とずっと一緒にいたいとは思っていたし、そのためには王妃になるのもやむを得ないと、覚悟していたはずなのに!
今日、このタイミングでプロポーズを受けるとはつゆにも思わず、あたふたとしてしまう。
もちろん、私の中に否定の二文字は皆無だ。けれど、ただ、はい、と、肯定の二文字を答えるだけで良いのだろうか?もっと、難しくて、おしゃれなお返事をした方が良いのではないか!
そんな、どうでも良いことで悩んで返事が出来ないでいる私に、じっと瞼を伏せて私の言葉を待っていたラファウ様が、焦れたように、唇はそのままに、上目遣いで私を見上げる。
「許す、と。」
はて、許す?許すと、私が言うの?
一介の田舎貴族の私が、大国の王太子ラファウ様に向かって・・・?
いや!むりむりむり!!
私は口には出さないまでも、顔を引きつらせて気持ちを露わにした。この私がラファウ様にそんな横柄な態度、取れるはずがない!
それに、視界の端に現れた金の髪の持ち主が、どんどんと近づいてくる気配もすごく気になってるのだ。直接見ていないから確かではないが、何だか怒りのオーラを纏っているようですごく怖い。
プロポーズ中のラファウ様から目をそらすのは大変失礼なことだとわかってはいるけれど、気になって気になって仕方がない。
けれど再び、私が顔を背ける前に強引に手を引き意識を自分に向けさせたラファウ様は、その瞳に熱と焦りを滲ませて私をまっすぐに見据える。
「フラウ!早く!」
突然の命令形。大きくはないが、有無を言わさぬ声色で発せられた言葉に、私は思わず反射的に呟いてしまった。
「ゆ、るす」
と。
まさか。こんなに強引にプロポーズを受けさせられることになるとは思わなかった。
いや、断る気はなかったから良いのだけれど。何故だか少し、残念というか。ロマンチックさが半減したような気がして、複雑な心境である。
そして、半ば強制的にプロポーズを成功させ、にやりと笑うラファウ様に、驚きと、呆れと、ちょっぴり悔しさと。でも、最後に湧き上がるのは、嬉しさ。
ラファウ様の笑みにつられて、私の顔にもふっと笑みがこぼれる。
しかしその幸福も長くは続かなかった。突然金の髪を振り乱して私たちの間に分け入ってきたヘリオス様は、膝をつくラファウ様の胸元をぐいっと掴んで無理やり立たせる。
私は思わず一歩後ずさり、ラファウ様はヘリオス様に首元を掴まれたまま、押されるようにして一歩二歩と後退していく。
「ラファウ!お前、何をしている。」
「恋人の間に割り込むなど、無粋にも程があるぞ、ヘリオス。」
「ごまかしても無駄だ!その締まりない顔を見れば大体想像はつく!」
私に聞こえたのはそこまでだった。
どんどんヘリオス様に押されて後ずさっていくラファウ様。一人取り残された私は、しばらく呆然と二人を見送っていたが、やがてじわじわと胸が熱くなってきて、にやけそうになる顔を両手で必死に隠して取り繕うのに忙しくなった。