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招待状

ある日、招待状が届いた。

茶色の落ち着いた封筒に、金色の縁取りがあしらわれている。差出人は、マルバラフ王国の国王陛下。内容は、マルバラフ王国王妃の、没後20年の追悼パーティの開催を知らせるものだ。


特に断る理由もないので、私は深く考えずに出席の返事をするようエリザベートに頼んだ。


マルバラフ王国の王妃の座は、現在空位となっている。

ラファウ様の御生母であらせられる王妃様は、ラファウ様が二歳になられた頃に、流行病で亡くなられた。当時、国王陛下にはご側室がおられるが、王妃に召されることはなかった。そのため、マルバラフ王国の王妃の座は20年間も誰も座らぬまま、守られてきたのである。


守られたっていうのは、勝手な私の想像だけれど。


国王様と王妃様は、政略結婚が当たり前の貴族社会においては珍しく、恋愛結婚をなさったと噂されている。そんな王妃様が若くして亡くなった。その後も国王様は新しい妃を娶ることはなく、若くして残されたラファウ様は、ひねくれることなく、立派にご成長されている。


国王様は、未だに王妃様を大切に思っていらっしゃるのだろう。


素敵な話だと、私は思った。


さて、それはそうと、私は気を引き締めなければいけない。

前回、ナディア様を本気にさせてしまった私は、内心ビクビクしながら生活していたのだが、今日に至るまで、ナディア様との接触は皆無だ。

それはそれで怖いのだが。


けれど、王室主催のパーティとくれば、ナディア様とのご対面は避けられないであろう。

何が起こるかわからない。気をひきしめて損はないはずだ。


ナディア様は、どう攻めて来るかしら。


私はここ最近、そればかり考えていた。

嫌がらせをしてくる?

・・・いいや、ナディア様のように人としてご立派な方が、そんな幼稚なことをするとは思えない。

では、私をメシア王国に帰還させる?

・・・これは、あり得る。オルブライト侯爵家からの圧力がかかる場所によれば、バッツドルフ侯爵家も否と言えずに私を呼び寄せる可能性がある。

ただ、今のところ父から帰還せよとの連絡は無い。私の手紙の返事もまだなので、そちらが原因で帰される可能性もゼロではないが・・・

そして、これが一番考えたくないのだが、ラファウ殿下と正式に結婚すること。

こればっかりは、私にはどうすることもできない。ただ、ラファウ様がお断りしてくれることを祈るだけだ。


ああ、ラファウ様にお会いしたい・・・


最近めっきりお会いできていない。ヘリオス様は、ダムの件でちょこちょことお会いしているけれど。今頃どうしてらっしゃるかしら。

婚約者であるナディア様が羨ましい。私も婚約者であれば、用事がなくてもラファウ様に会いに行けるのかしら。


婚約、か。


私は、むぅ、と唸った。

ラファウ様のことは好きだし、私以外ラファウ様に近づけないようにしたい、とも思う。

けれど、今すぐ結婚したいか、と問われれば、ちょっとわからない。


けれど、ナディア様を表立って敵に回した以上、そんな悠長なことも言ってられないわよね・・・


ラファウ様は、その辺りのことについてはどうお考えなのだろう。もし、もしも。ラファウ様とナディア様との婚約が解消されたら、私と婚約してくださるのかしら。それとも、恋人のままなのかしら。


思考の海に沈みそうになって、私はふるふると首を振った。


そんなことは、後よ後!

今は他にやるべきことがあるはずよ!フラウレン!


ここでナディア様に負けてしまえば、私の恋は終了だ。その先など、考えても意味が無くなってしまう。


私は鏡の前に座って、乳白色のボトルを手に取った。金のキャップを開けて、中のクリームを手に取り、自身の髪に揉み込んでいく。


これは先日、エレオノーレから貰ったものだ。

あのお茶会以降、エレオノーレが少しおかしい。私に会っても、ラファウ様のことを話したりしないし、ましてや牽制のけの字もない。借りてきた猫のように大人しく、こちらが戸惑ってしまうほどの変貌ぶりだ。


そんなエレオノーレが、おもむろに私を訪ねて押し付けてきたのが、このクリーム。エレオノーレも以前から使用しているもので、髪の美容液のようなものらしい。

彼女曰く、私の髪は細くて乾燥しているから、毎日クリームを塗って保湿することが大事らしい。私は半信半疑だったが、使い続ければ、香油を使わなくても髪がまとまるし、ツヤが出る、と聞いて、騙されたと思って使ってみることにしたのだ。

使い出してまだ日が浅いが、クリームを塗った次の日は、髪がしっとりとしているのが感じられて、櫛を当てれば静電気で四方に広がってしまっていた髪は、重力に従ってとろんと背中に落ちるようになった。

なぜエレオノーレがここまでしてくるのはわからないが、これも彼女の言う、正々堂々と勝負する、ことなのだろうか?

何はともあれ、長年思い通りにいかず諦めていた髪の毛が、こんなに簡単に理想に近づいて、私はエレオノーレに感謝してもしきれない。

しまいにはシャンプーも貰ってしまった。これがまた、とても良い花の香りがしてうっとりする。


私は自分の髪を手櫛で梳いた。


少しは、可愛くなったかしら・・・?


愛しい彼を思い出して、顔をほころばせた。









次の日は、王城の中にある、図書館に出かけることにした。以前借りたマルバラフの歴史書を返却して、また次の時代を借りなければならない。歴史の長い国を勉強するというのは、大層時間がかかるものだと、私はため息をついた。


まぁ長さだけなら、メシアも負けていないけれどね。


メシア王国も、北方の貧しい土地柄戦火とは無縁の歴史を紡いできた。ただし、マルバラフとは比べ物にならないくらい、シンプルで薄い内容なのだが。


・・・それにしても、重いわ。近道しようかしら。


マルバラフの分厚い歴史書を何冊か胸に抱えていたが、このまま城内を素直に歩いたのでは、途中で手がだるくなって休憩が必要になるのは目に見えている。


私は、自室のある建物から、図書館のある建物まで、最短距離で行くことにした。

外に面した廊下から地面に降り、芝生の上をしばらく歩くと、バラが咲き誇る庭園がある。この側を通り抜けると、図書館のある建物まではもうすぐだ。


庭園の入口に差し掛かった時、見慣れた人影を見つけて、私は思わず足を止めた。


「こんにちは、ローバン。」


こちらに背中を向けていたローバンは、私の声にクルッと体を向けた。


「これはこれは、フラウレン。もしや庭園で読書でもする気ですか?」


「いいえ、これは図書館に返しに行くのよ。ここ、近道なの。」


そう私が答えると、ローバンは、そうですか、とにっこりと笑った。


ローバンとは、城下町でお互い身分を偽っていたという共犯的心理からか、一気に距離が縮まった気がする。もうお互いに敬称を付けずに呼び合うのに違和感がなくなってしまった。


「ローバンはここで何をしているの?」


「私は、留守番ですよ。」


「留守番?あの、留守番?」


私が聞くと、ローバンは、それ以外に何があるんですか、と笑った。


「だって、ローバンは出会った時から嘘ばっかりついているもの。信用ならないわ。」


そう口を尖らせて言うと、ローバンは首を傾げた後、ああ、と頷いた。


「信用ならないなんて、酷いな。半分は本当の事なんですけどね。」


半分?と気になったが、それさえも嘘か本当か怪しいものである。それに、はぐらかすのがうまいローバンのことだ。聞いたところで教えてくれないだろうと思い、私は深く聞かないことにした。


「そう。ところで、ちょうど良い所にいたわ。実はこの本の中に、よくわからない箇所があるの。もしお時間があるのなら、少し見てもらえないかしら?」


ローバンは、まだ暫くは時間がかかるでしょうから、良いですよ、と言って、私の示す本を一冊抜き取った。

その本を、表紙を見たり、裏返したりして、興味深そうに眺める。


「懐かしいですね。マルバラフ王国の歴史書ですか。私も幼い頃にこれで勉強させられました。・・・なぜフラウレンがこれを?」


小さい頃にこんな難しい本を読むなんて、マルバラフの貴族は大変だ。

私は感心したようにローバンを見た。


「マルバラフのことを勉強し直そうかと思ったの。やはり、メシアで習うのとでは、間違って覚えていることもあると思って。」


「それは勉強熱心ですね。けれど、メシア人のフラウレンには特に必要のないことに思えますが・・・?」


そう言ってこちらを見てくるローバンに、私は少し照れながら答えた。


「その、ラファウ様の側にいるなら、きちんと勉強しておかなきゃ、と、思って・・・」


ローバンには、ラファウ様とのことはバレているだろうから、私は正直に伝えた。

すると今度はローバンが、感心したように頷いて、それは良いお考えです、と言った。

ローバンの態度に気を良くした私は、ついでに気になっていたことを尋ねることにした。


「ねえ、ローバン。私今、マルバラフでの地位の確立のために、何ができるか考えているのだけれど、全く思いつかなくて。何か案はないかしら?・・・あ、社交的なもの以外でお願いね。」


社交的な分野は、私の最も苦手とするところである。こればかりは、今更頑張ったところで成長は見込めないだろう。それよりは、できれば私の得意とする分野で他より秀でることができれば、上手くいけば、メシアから呼び戻されそうになっても、マルバラフ内の残留の声に救われるかもしれない。


期待を込めてローバンを見上げれば、彼は顎に手をやって考え始めた。


「地位の確立、ですか・・・。それこそ、今フラウレンが参加しているダムの件で、より良い提案を繰り返していけば、数年後には認められるようになるのでは?」


「うん。それも考えたのだけどね。数年後ではダメなのよ・・・。」


確かにローバンの言う通り、私が関わったダムを成功させて、さらに徐々にその数を増やしていけば、うまくいけば、マルバラフにとって手放すに惜しい存在、と思ってもらえるかもしれない。けれど、それだと時間がかかりすぎる。ナディア様は明日にでも、ラファウ様との結婚を取り付けるかもしれないのだ。


私が胸に抱えた本に顎を置いて、ふぅ、とため息を付けば、ローバンはくすくすと笑った。


「フラウレンも大変だね。しかし、ようやく殿下との婚姻を真剣に考え始めたようで、私としては一安心だよ。」


ローバン、敬語がなくなってるわ。そちらの方が、私としても嬉しいけれど。


けれど、ローバンの考えは、私のものと少し違う気がする。

私が訂正しようと口を開いた時、遠くから呼ばれた声に、口をつぐんで振り返った。


「ローバン!・・・と、フラウレンも一緒か、珍しいな。何故ここに?」


ヘリオス様が、輝かんばかりの金の髪を揺らして、小走りに私たちの方へやってきた。そして、返事を聞く前に、庭園の入口に立つローバンを見て、納得したように頷いた。


「ああ、なるほど。ローバンお前も大変だな。フラウレンも、あんまりここで暇をつぶしていると、後で怒られるぞ・・・と、もう遅いか。」


怒られる?って誰に?と私は首を傾げながら、ヘリオス様の目線の先を辿った。そして我が目を疑った。

ローバンの背中から姿を現したのは、ラファウ様と、その腕に手を添えたナディア様だった。

私は思わず目を見開き、固まってしまった。ナディア様とはあのお茶会以来、一度もお会いしていなかったのだ。何を話せばいいのか、皆目見当もつかない。

ラファウ様も、私を見て一瞬目を見開かれたけれど、すぐに眉間のシワを濃くされた。


あれ、私がいたらまずかったかしら。


そんなラファウ様の腕に寄り添うナディア様は、私から隠れるように、ぎゅっとラファウ様の腕に身を寄せる。


・・・な、ナディア様の、お胸が・・・!


ぎゅうぎゅうとラファウ様に押し付けられているんですが。ラファウ様、気づいていらっしゃらないのかしら。


私の胸に、もやもやとしたものが湧き上がる。


「ああ、ナディア、探していたんだ。司書の奴らが、お前を探していた。なんでも、読めない古代文字があるとか。」


ちょっと来てくれないか、と言うヘリオス様に、ナディア様は明らかに顔をしかめられた。


「ヘリオス、それ、今じゃないといけませんの?」


「急ぎだって聞いたが」


ナディア様はふう、とため息をついて、名残惜しそうにラファウ様の腕から手を離した。無表情で私を一瞥して、それから、ラファウ様の方を見て、ごめんなさいラファウ、すぐに戻るわ、と言い残し、ヘリオス様と共に城の方へ歩いて行く。

その後ろ姿を、ほっとした気持ちで見ていた私は、突然声をかけられてぱっと振り返った。


「フラウ、久しぶりだな。少し話でもしていかないか。」


ラファウ様の言葉に、私は顔を輝かせた。もちろん、断る理由など全くない。そんな私に、ラファウ様は穏やかな表情で、腕を差し出してくる。

しかし、この本をどうにかせねば。

そう思っていたら、ローバンが私の持っていた本を根こそぎ奪っていった。

持っていてくれるということだろうか。


「ローバン、ありがとう!」


「いえ、ただの留守番が、荷物持ちの留守番に変わっただけですから。」


そう言われ、あれ、皮肉?と思ったものの、突然ラファウ様に手を引っ張られてしまい、それ以上考えることはできなくなってしまった。

ラファウ様は、私の手を自分の腕に添えさせると、再び庭園の中へとすたすたと歩き出してしまった。私もその隣で、慌ててラファウ様について歩く。

やがてローバンの姿が草花に隠れて見えなくなってしまったが、ラファウ様が口を開く気配はなかった。私は仕方なく、口を開いた。


「・・・ラファウ様は、ナディア様と仲がよろしいですね。」


何気なく言おうとしたのに、語尾が少し咎めるような口調になって、後悔する。そんな私を見たラファウ様は、少し考えて口を開いた。


「フラウ、嫉妬か?」


かあっ!と顔が赤くなる。嫉妬!確かに、そうかもしれない。けれど、ラファウ様にそんなこと指摘されるなんて、恥ずかしすぎる!!

私は顔を隠すように俯いた。地面に目を向けたまま、こくんと小さく頷く。

下を向いているためラファウ様がどういう顔をして私を見ているかわからないが、少し立ち止まった後、再び、今度はゆっくりと歩き始めた。


「ナディアとは、幼馴染なんだ。ヘリオスと三人で、よく遊んだ。」


ああ、と私は納得した。だからナディア様は、ラファウ様やヘリオス様のことを呼び捨てにされるのか。

私の心が少しだけ軽くなる。


「通りで。とてもつい最近仲良くなったようには見えませんでしたので。ラファウ様は幼い頃はどのような遊びをなさったのですか?」


ラファウ様が遊んでいるところなど、全く想像できない私は、素直に聞いてみた。ラファウ様でも、追いかけっことか、泥遊びとかなさるのだろうか。


「何をしたかな。基本は城壁の中でしか遊べなかったから。けれどたまに、秘密の抜け口からこっそり城下へ抜け出して、こっぴどく怒られたものだ。」


ラファウ様が昔を懐かしむようにふっと笑われる。

まただ。最近のラファウ様は、時折心からの笑顔を見せられる。私にはそれがとても嬉しい。この笑顔が、どんどん、増えていけばいい。

私もつられてふふっと笑った。


「秘密の抜け口ですか?そんなのがあるんですね。」


「ああ。最近めっきり使わなくなったから、今もあるかはわからないが。城壁の側に、隠れるようにして小道があるんだ。」


ラファウ様の言葉に、私ははっと目を見開いた。それに気づいたラファウ様が、足を止めて私を見る。


「ラファウ様。もしかしてその小道、私使ってしまったかもしれませんわ。」


「・・・あの、君が逃げた時の?」


「はい。あ、いえ、逃げる気は・・・。城内で迷ってしまって。まさか城壁の中の小道が、門もなく城外に続いているとは思わなくて。途中で戻ろうとしたのですが、戻るに戻れなくなってしまったのです。」


そう言うと、ラファウ様は納得されたように頷いて、再び歩を進められた。私もつられて歩き出す。


「通りで。」


「あの小道、塞いだほうが宜しいのでは?万が一敵に見つかれば、守備に穴が開くと思うのですが。」


私が遠慮がちに進言すると、ラファウ様は穏やかに首を振られた。


「いや、大丈夫だ。あの小道は、中から外には出られるが、その逆はない。」


そう言われて、首をひねる。確かに、朽ちた階段があって、戻ることは困難だけど、それは私がドレスにヒールだったからだ。屈強な男性なら、軽々と乗り越えられそうだけれど。


そんな私の疑問が伝わったのか。ラファウ様は私を見て、ふっと笑った。


「マルバラフにはね、目に見えない力があるんだ。それはほとんど消えてしまって、今は使える者はいないとされているが、その痕跡は今も残っている。あの小道のようにね。」


だから、あれは放っておいて大丈夫なんだ、とそう言われて、私はラファウ様が冗談を言っているのか、本当のことを言っているのか、良くわからなかった。

けれど、目に見えない力、と言われて、私の頭にふと浮かぶものがあった。


「では、ラファウ様。あの小道近くに、同じ大きさの2件の建物があるのはご存知ですか?」


「・・・ああ、あのグウェインとユニコスの祠のことか?」


グウェインとユニコス、と言われて、私は頭をひねった。確か、最近聞いたことがある。鷹のグウェインと、一角獣のユニコス。


「そうです、恐らく間違いありません。グウェインの祠は扉が開いていたのですが、ユニコスの祠は閉まっていて。けれど鍵は見当たらなかったので、どうやって施錠しているのだろうと不思議に思っていたのです。」


「あれにも、不思議な力が宿っている。ユニコスの祠の扉を開けられるのは、神に祝福された、純潔の乙女だけだ。」


純潔の乙女・・・と私は呟いた。魔法など、おとぎ話の世界のものだと思っていたが、こんな身近で聞くとは。ラファウ様には悪いが、すぐには信じられそうになかった。


「なぜ、純潔の乙女なのですか?」


私がたずねると、ラファウ様は前を見て、ポツリと呟いた。


「王妃は純潔でなければいけないからだ。」


王妃、と言われ、私ははっと気づいた。ナディア様が言っていなかったか。


建国の神イヴァルの使い、強く賢き者を選ぶ鷹のグウェインと、気高き純潔の乙女を選ぶ一角獣のユニコス。そしてこの2つの使いは、マルバラフ王国の紋章になっている。


「では、グウェインの祠だけ開いていたということは」


私の考えを肯定するかのように、ラファウ様が頷いた。


「グウェインの祠にある台座には、王冠が祀られている。現在、陛下が冠しているものだ。そして、ユニコスの祠の台座には、今は亡き王妃のネックレスが眠っている。次の王妃によって扉が開かれるその日まで。」


なんと、そんな大それた建物だったとは。

無闇に中に入らなくて良かったと、私は胸を撫で下ろした。

そんな私を、ラファウ様が優しく見下ろす。


「陛下、いや、父は、母の死を悲しんだ私のために、長い間、ユニコスの祠を閉ざされたものにしてくれた。けれど、そろそろ、開く時かもしれない。」


え、とラファウ様を見上げると、とても優しい緑の瞳にぶつかった。何故か私の胸は、突然大きく脈打った。緑の瞳に縫い付けられたかのように、目をそらさなくなる。


「・・・さて。もう少しこうしていたいところだが。そろそろ行かねば。」


気を取り直したように言うラファウ様に、私はぎこちなく、うん、と頷いた。


ラファウ様にそっと腰を押され歩くと、すぐにローバンの後ろ姿が見えてきた。

ラファウ様はローバンに二,三告げると、そのまま、私を伴って歩き出す。


さすがにもう腰に手は添えていないけれど、一緒に並んで歩いていて大丈夫かしら?


私は少し気になって、後ろから付いてくるローバンをちらりと見たが、彼は何も問題ない、と言うようににこりと笑った。あんなに重い本なのに、彼が持っているととても軽そうに見えて不思議だ。


私はお言葉に甘えて、ラファウ様の少し後をついて歩いた。しかし、城内に足を踏み入れてすぐに、ラファウ様が振り返った。ここまでのようだ。あっという間で名残惜しいが、もとより近道を通ってきたのだから、仕方ない。


私はローバンにお礼を言って本を受け取った。


「本当は図書館まで送りたいところだが、時間がなくなってしまった。」


そう申し訳なさそうに言うラファウ様に、私はお気になさらずに、と返す。もとよりお忙しいラファウ様が、私のために時間を割いてくれただけで大満足だ。これ以上望めばバチが当たる。


別れの挨拶をして、背を向けたラファウ様は、しかし数歩も行かないうちにくるっと振り返った。

私はびっくりして、目を瞬かせた。


「・・・言い忘れていたが、今日はいつもに増して、綺麗だな。」


な、んと!

顔がゆっくりと熱くなっていくのがわかった。最近はエレオノーレに貰ったクリームのおかげで髪が広がりづらくなってきたので、憧れていた緩い編み込みに、後毛をくるくる巻いて遊ばせてみたのだ。いつもと違うといえば、そのくらいしか思い浮かばない。しかも、香油は一滴も使っていないから、いつものベトベトは皆無だ。


お礼を、と焦るが、うまく言葉の見つからない私に、ラファウ様は更に追い討ちをかけてくる。


「それに、いつもと違って、フラウの匂いがした」


きゃー!私の匂いって、体臭ってことですか!?

体は毎日洗っているけれど、汗はかいていなかっただろうか!?私の背中に冷や汗が流れる。


「く、臭くありませんでした?」


そんなこと聞いておいて、臭いと言われたら、立ち直れないくらい凹みそうだけど・・・


「いや、とても・・・扇情的な匂いだった。」


ラファウ様はそう言って、口の端を上げる。そして次こそ踵を返して行ってしまわれた。


ラファウ様って、そんなことなさる方だった!?


私はもう、とどめを刺されて何も言うことができなくなってしまった。ただただ恥ずかしく、しばらく、顔を真っ赤にして固まっていた。







「はい、確かに。ご返却ありがとうございます。」


私は図書館の司書に借りていた本を返した。手元から重い本がなくなってすっきりした。普段あまり運動しないので、これだけでも重労働なのである。


メシアにいた頃は、野山を駆け回って、筋肉もかなりあったと思うんだけど。


自然に溢れるメシアに暮らす人々は、総じて体力がある。特に短い春と秋には、野山に出かけて恵みを集めたり、散歩したりと忙しい。でないと、冬が来れば外に出ることも、食料を得ることも敵わないからだ。


私は体力が衰えたことに少しショックを覚えつつ、図書館の奥へと歩いた。もう何度も訪れているので、歴史書の保管場所はしっかり覚えている。

歴史書など、あまり借りる人がいないのだろうか。とても奥まった場所にあるのだ。


私はお目当の書棚を見つけると、先ほどまで借りていた本があった場所を目で追いながら探した。次は確か、200年前の戦争のあたりのはずだ。


腰を少し屈めて目線を落とす。本の背表紙に指を当てながら、素早く副題を把握してゆく。


「・・・フラウレン?」


私は目に見えるほどにびくっと肩を震わせた。本を探すのに没頭していて、人が来ていることに全く気づかなかったのだ。しかもそれが、一番対峙したくない人ならば尚更。


「ナディア様・・・」


ナディア様は私を確認すると、ゆっくりと近づいてきた。その顔は、無表情。決して良い予感はしない。


「先日も、よく勉強されているとは思っていたけれど、マルバラフの歴史書など借りていたとは。」


ナディア様が私の前の本をざっと見渡して言う。


「・・・ナディア様は、何故こちらに?」


「あなたも先ほど聞いていたでしょう。古代文字について聞かれたから答えていたのよ。そろそろラファウの所に戻ろうかと思っていたけれど、あなたがここにいるということは、ラファウはもう仕事に戻ったのね。」


そうナディア様は言う。


先ほども思ったけれど、ナディア様がマルバラフ王国の古代文字について精通しているなんて驚きだ。それも、専門に勉強している人から教えを請われるほど。

ナディア様はよほど頭がキレる方なのだろう。私の周りには手強い相手ばかりだ。


けれど、何故私がここにいれば、ラファウ様がお仕事に戻られた、ということになるのだろう?ラファウ様だって一人になりたいこともあるだろう。私と別れた後も、お散歩されるかもしれないじゃないか。


顔に疑問符が出てしまっていたのだろうか。ナディア様が私を馬鹿にしたように鼻で笑った。


「ラファウがあなたのことを気に入っているくらい、わかるわ。ずっと彼のことを見てきたんだもの。」


その言葉に、私は背筋を凍らせた。

私たちの関係が、バレている?

そしてついでに、ナディア様の片思いが長きに渡ることが判明した。


い、居た堪れない・・・


私は、気を抜けば後ずさりしてしまいそうな足を叱咤して、そこにとどまった。


いや、待てよ。ナディア様は、ラファウ様が私を気に入っている、と表現しただけだ。好きだ、とか、付き合っている等の単語はまだ出ていない。

私はシラを切ることにした。


「それは、大変光栄です。これからも殿下に取り立てて頂けるよう、精進して参ります。」


「シラを切っても無駄よ。証拠は上がっているんだから」


私は優雅にお辞儀をしようとして、折った腰をぴたり、と止めた。


「な、なんのお話でしょう。」


ギギギ、と顔をナディア様に向ければ、ナディア様はじとっと私を睨んでいた。


「あなた、近衛兵の間ではちょっとした有名人らしいわね。ローバンに聞いたわ。少し前にハイル川で土石流が起きた際、ラファウがあなたを連れて来たのですって。白い髪をしていたから間違いないと言っていたわ。」


ローバン!

私はあの無害そうな爽やかな笑顔を思い出して驚いた。

街で助けてくれた彼は、てっきり私とラファウ様のことを応援してくれているのかと思ったけれど、認識を改める必要があるようだ。

確かに、ローバンからは応援するだなんて一言も貰ったことはないから、勝手に勘違いした私が悪いのだけれど。

それを言うなら、ヘリオス様も。


内心冷や汗をかきながらも言い訳を口にしようとした私に、ナディア様は私を故意に遮ってなおも続ける。


「仕事で、なんて馬鹿なことは聞きたくないわよ。本来ならラファウがあんな所に女性を連れて行くわけがないし、まして自分の馬に乗せるわけがないでしょう。」


そう言うと、ナディア様は自分の言葉に一瞬眉を寄せ、瞳を翳らせた。

すぐにいつもの表情に戻ってしまったが、私は別の意味で胸を締め付けられる思いがした。


ナディア様は、私とラファウ様の仲を知っている。知っていて、私と戦おうとしているのだ。それがどれほどの苦痛を伴うのか。


私の比ではない。


同じラファウ様を慕う女性としては、同情せずにはいられない。


思わず顔に出してしまったのだろうか。

ナディア様は私を恨むかのようにキッと睨んで、突然距離を詰めてきた。

私は驚いて、ただナディア様と、振り上げられた綺麗な手のひらを見ていることしかできなかった。


バチン!


静かな図書館に、大きな音が反響する。

私は呆然とした。


ナディア様がハッと我に返って、自身の右手を、左手で掴む。

それをぼうっと眺めながら、私は左ほほがゆっくりと熱く、疼いて来るのを感じていた。


入り口の方から何やら人の声と足音が聞こえてきて、私たちはハッと振り返った。

結構大きな音がしてしまったから、不審に思った司書が見に来たらしい。


ナディア様は、書棚に入っている本を適当に抜き取って、素早く床に置いた。そして再び私に近づき、私の痛む頬にそっと右手を近づけた。

私は思わずぎゅっと目を瞑った。しかし、想像した痛みはやってこず、代わりに耳元で、ナディア様の低い声が聞こえてきた。


「・・・あなたに、他人に同情する暇なんてあるのかしら?私たち、近々結婚する予定なのよ」


驚いて目をぱっと開けると、間近にナディア様の冷たい瞳があって、私は体を硬くした。

ちょうどその時、私たちの書棚に、司書が顔を出す。


「何か、ございましたか?」


「お騒がせしてごめんなさい。フラウレン様が本でお怪我をなさって。」


瞬時に瞳を和らげたナディア様が、司書を振り返りながら私の頬に添えた手をそっと離す。それを見た司書が小さく息を飲んだ。


恐らく、相当赤くなっているのだろう。


私は自分の頬にそっと手を当てた。手のひら越しに熱が伝わってくる。


「・・・ごめんなさい、私の不注意で。少し、冷やしてきます。」


私は床を見つめたままそう言うと、無作法とは知りつつも、二人の間をそっとすり抜けた。背中に視線を感じるが、気づかないふりをして早足に出入り口へと向かう。


一方図書館の外に出ると、私の緊張の糸は切れた。


ラファウ様・・・!!


私の足は自然とラファウ様の執務室に向かった。

行くべきではない。

そんなこと、わかっている。

なのに、足が、心が、言うことを聞かない。

むしろ、早足だった足は、何かに急かさせるかのようにスピードを上げる。

ドレスに足を縺れさせながらも、必死に廊下を進む。

空気が、足りない。胸が苦しい。

涙で前が、ぼやける。

それでも、今向かわずにはいられなかった。


お願い、嘘だと言って。私を安心させてください。


ラファウ様を失うかもしれない喪失感に苛まれ、右手で胸を抉る。けれど、物理的な痛みは、精神的な痛みに対してまるで無力だ。


息も絶え絶えに角を曲がり、執務室の前の廊下に躍り出た時、ちょうど執務室の扉が内側から開くのが見えた。


ラファウ様・・・!


私はただただ感情的に、走り出した。

扉の取っ手を押し開ける腕が見えて、ついで今最も会いたかった夜空色の髪が姿を現す。


「ラファウ様!!」


私は自分の立場など全て忘れて、大きな声でその名を呼んだ。

ラファウ様がハッと顔を上げ、目を見開く。

しかしすぐに、その顔は次いで執務室から出てきた者によって隠されてしまう。

私は驚いて、思わず足を緩めた。

エレオノーレは、一瞬目を見開いたのち、眉をひそめた。


なぜ、エレオノーレが・・・


そんな私の疑問は、次いで出てきたもう一人の姿を目にして吹き飛んだ。

ついには、私の足は執務室の扉のすぐ手前でピタリと止まってしまう。

愛しい人は、すぐそこなのに。

なぜ、なぜ。

私は荒い息を繰り返しながら頭を働かせようとしたが、ろくに働かなかった。

瞬きとともに、瞳に溜まった涙がつ、と流れ落ちる。


がちゃり、と執務室の扉が閉まる音が聞こえて、私ははっと肩を震わせ音のした方を見た。ラファウ様が顔を苦しそうに歪ませて、ゆっくり私に近づいてくる。


私は今になって、猛烈に後悔した。

ラファウ様にこんなお顔をさせるなんて。

自分の軽率な行動が腹立たしい。


「ご、ごめんなさ・・・」


それ以外の言葉は思いつかなかった。ラファウ様はそっと両手を広げて近づいてくる。

その優しさに、また泣きそうになる。


「ご、めんな、さ・・・」


申し訳なくて、でも、嬉しくて。

私の心はもうぐちゃぐちゃで。でも、彼の胸の中を渇望していた。


私は無意識に、一歩踏み出そうとした。

けれど、その時。

私に近づくラファウ様の横を、先ほどの人物がすり抜ける。

あっという間にラファウ様の姿が見えなくなったかと思うと、私は、抱きすくめられていた。


「・・・え」


思わず口をついて出た声は、大きな胸の中に消えてしまった。

驚きで、私は両手を不自然に上げたまま、固まってしまった。


「・・・なんてことだ、フラウ。」


ラファウ様とは異なる声が耳元で響く。

私の胸は、先程までと違った意味での鼓動を始めている。


やめて、ラファウ様の前でこんなこと。


言葉にしたいのに、私の口はただ荒い呼吸を繰り返すだけ。せめて、行き場の失くした両手を、背中に回すものかとぎゅっと固く握り締めた。


「・・・イズルード、ラファウ殿下の御前よ。」


エレオノーレの静かな声が聞こえてきて、私の背を拘束していた腕がゆっくりと緩んだ。イズルードの胸に押し付けられていた顔を離し、腕の隙間から見たエレオノーレの顔は、少し歪められていた。


イズルードは腰を曲げて、目線を私に合わせる。メシアで別れた時と変わらぬアイスブルーの瞳が、私を心配そうに見つめていた。少し癖のあるプラチナブロンドの髪が額にさらりと流れる。

イズルードは私の痛む頬にそっと触れて、すぐに離れた。私の前から横に移動し、ラファウ様と向き合う。


そこでようやく、私はラファウ様の顔を見た。私をちらりと見て一瞬眉をしかめたラファウ様は、ゆっくりと瞬きをした。そして、目を開けた時にはもう、上品な笑みを顔に貼り付けていた。

私は、ぞくり、と震えた。

ラファウ様の弧を描いた口が、ゆっくりと開かれる。


「おやおや、これは?」


小さく首を傾げたラファウ様。

ラファウ様を、こんなに怖いと思ったことはない。

私はごくりと喉を鳴らした。

弁明、しなければ。

早く、いつものラファウ様に戻さないと。私が抱きしめて欲しいのは、無表情だけど、優しい、ラファウ様の胸なのだから。

私は指先でそっと涙をぬぐい、ラファウ様をまっすぐ見上げた。やましいことなど、何一つ無いというように。


「殿下の御前で、大変失礼致しました。イズルードは、メシア王国の頃の友人で・・・」


「婚約者です」


突然隣から発せられた言葉に、私の喉はヒュッと鳴って止まった。

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