焔立つ
穏やかな午後の昼下がり。昼食を終えた私は、自室で食後のお茶をすすっていた。
部屋には私とエリザベートの2人。落ち着いた空気に包まれている。
私が意図せずして城下に出てしまってから、4日が過ぎた。私の左足首には、痛々しい包帯が巻かれていたが、それは見た目だけで、実際にはさほど感じない。ヒールの高い靴は無理だが、低い靴でなら結構歩けると思う。もっとも、エリザベートがそうはさせてくれないので、確証はないが。
今朝も城の侍医に診てもらったが、順調に回復しているという。ただし、まだ立ったり歩いたりはしない方が良いらしい。なので私は、今日も自室に閉じこもって、だらだらと過ごしている。
もちろんあれ以来、ラファウ様にもお会いできていない。元来、お忙しい方なのだ。見舞いの花が毎朝届く、その気持ちだけで十分だ。
この間に比べたら、よっぽど気持ちに余裕がある。私ったら、なんて現金なのかしら。
ラファウ様とのキスを思い出して、思わず笑みがこぼれる。
「何か、良いことでもございましたか?」
私のカップにおかわりを注ぎながら、エリザベートがにこやかに微笑む。
私は努めて笑みを押し込めて、けれどそれに失敗して、顔をふるふると横に振った。
それを見たエリザベートが、ふふ、と笑う。
「ここ数日のフラウレン様は、憑き物が落ちたように清々しいお顔をなさっておいでですよ。それに、前にも増してお綺麗になられました。」
エリザベートの言葉に、私は頬を染めた。
「それは、贔屓目だわ、エリザベート。けれど、嬉しい、ありがとう。」
エリザベートはニコッと笑って軽く一礼すると、ポットを置きに後ろに下がった。そして、何かを持って、再び戻ってくる。
私が疑問に思っていると、エリザベートは2通の封筒を差し出した。
私はそれを、不思議に思いながら受け取る。
差出人を見て、顔を引きつらせた。
・・・ついに来てしまった。
来るだろうとは思っていたが、いざ来られると、やはり緊張するものだ。
私は2通の便箋を見比べて、どちらから先に封を切るか逡巡した。
どちらも同じくらい、嫌な予感に囚われるけれど。私は迷った挙句、若草色の紙に花があしらわれた便箋を手元に残し、もうひとつを机の上に置いた。
差出人欄に書かれているのは、ナディア・オルブライト。とても綺麗で涼やかな字だ。
エリザベートにペーパーナイフを借りて、そっと封を切る。
私は中の便箋に目を通した。
ナディア様のお手紙はとても丁寧で、季節の挨拶に始まり、私の怪我を案じていることが書かれていた。そして、ここが本題なのだろう、怪我が治ったら、自身の主催するお茶会に招きたい、都合の良い日程を教えて欲しい旨が書かれていた。
私は小さく喉を鳴らす。
ナディア様と私は同じ侯爵という爵位を持つので、建前上は対等だ。しかし、実際にはそれぞれの肩書きの前に、マルバラフの、と、メシアの、が付く。マルバラフとメシアは言うなれば月とスッポン。同じ爵位とはいえ、大国マルバラフの侯爵と、辺境の国メシアの侯爵とでは、マルバラフの侯爵の方が立場が上なのは誰が見ても明らかだ。
なのにナディア様は、わざわざ私の都合を配慮してくださるという。
素直にとれば、とてもお優しい方なのだろうけど、私にはそれが怖くて仕方がない。
都合のいい日をお返事したら、断れないけれど、教えてと言われれば、書かないわけにはいかないわね。
それに、私がラファウ様を諦めない限り、いずれナディア様と対峙することは免れない。
もう、逃げないって決めたもの。
・・・すごく怖いけれど!
私はぶるっと肩を震わせて、ナディア様からの手紙を封に戻して机に置いた。後ほどお返事を書いて送ろう。
そして、もう一方の、白い簡素な封筒を、恐る恐る手に取る。ペーパーナイフで、バッツドルフ侯爵家の家紋が押印された赤い封蝋をそっと剥がした。中の便箋を取って開くと、侯爵の、真面目な人柄を表す丁寧でお堅い文章が姿を現した。
私は、たっぷりと時間をかけて、決して長くはない文章を読み込んだ。
要約すると、こうだ。
留学における成果は何か。
今後の目標及び計画を答えよ。
エレオノーレは息災か。
怖い。父がとても怖い。
いや、当然のことだと頭ではわかっている。
留学するのもただではない。遊びでは困るのだ。私が留学で何を得たか、そして今後、何をいつまでにすべきなのか、はたまた、すべきではないのか。
父の満足ゆく答え出なかった場合、早々にメシアへの帰還とお叱りが待っている。
よくよく考えて返答せねば。
私はストレスで胃がキリキリと痛む気がした。便箋をそっと封筒に戻す。
それにしても、父が娘の心配をするとは、珍しい。愛情を疑ったことはないが、ほとんど口には出さない人なのだ。
さすがのお父様も、末っ子には甘いのかしらね?
父はエレオノーレの留学をどう考えているのだろう。既に完璧のように見えるエレオノーレが来たのと入れ違いに、私がメシアに戻される可能性もあると思っていたが、今の所父にはその気がないようだ。
私の留学の目的は、ゆくゆくは領主となる兄の保険となるためだったはずだけれど、まだその目的は健在ということか。では、エレオノーレは何のために?
私は頭を働かせるも、全く答えが浮かんでこなかった。
まぁ、それは後で考えても問題ない。今は、ナディア様のことと、父への返事を考えることが最重要課題だ。
「・・・はぁ、憂鬱だわ。」
せっかく晴れ晴れとしていた私の心が、またしても曇ってゆく。
そんなエリザベートは私を見て、困ったように眉尻を下げ、苦笑いした。
来て欲しいことは全く来ないのに、来て欲しくないことはすごい早さでやって来るものである。
あれから更に2週間が経ったが、私はラファウ様と全く会えないまま、ナディア様とのお茶会の日を迎えることとなった。
しかし、昔の私ならいざ知らず、今回の私は、ナディア様との対峙まで時間を無駄に費やすことはしなかった。
幼い頃から王太子妃としての教育を受けてきたであろうナディア様と互角に戦うため、昔メシアで受けたマルバラフの歴史に関する勉強を、ここマルバラフの本を使って再び始めた。やはり、王太子妃の座を狙うナディア様が私の弱点を突いてくるとしたら、マルバラフに関する無知だと考えたからだ。
そこまでは自分でも良いと思うものの、たかだか2週間で、少なく見積もっても300年以上はあるマルバラフの歴史を網羅することは、到底間に合わなかった。
それが尚更、私の足取りを重くする。
あとは、美容に力を入れたことかしら。けれど、これも付け焼き刃でナディア様に勝てるとは思えないわ・・・
私はとても憂鬱な気分で約束の場所へと向かった。
ちなみに、父への手紙は何とか書いて送った。私なりに一生懸命考えて、留学し続けることの意義を書いた。父を納得させる内容だったと願いたい。
そうこうしているうちに、王城の一角にある庭園に着いてしまった。そう、本日はここがお茶会の会場である。
本来ならば、ナディア様のご生家で開かれるのが筋だと思うが、外出するにも色々と手続きの面倒臭い私に配慮して、城内で開催して下さったのだ。うがった見方をすれば、未来の王太子妃が自分の庭に招待する、という形を取ることで、私を牽制したかったのかもしれない。考えすぎかもしれないが。
「あら!フラウレン様!ようこそお越しくださいました!」
明るい声が聞こえて、私ははっと意識を浮上させた。
いけない、もう戦いは始まっているのだ。意識を集中させなければ。
私は花が咲き誇るように笑うナディア様に、膝を折り、丁寧な挨拶を返した。
「ナディア・オルブライト様。本日はお招き頂き光栄です。お待たせして、申し訳ございません。侍医と話をしておりました。」
本当は、侍医と話をしたのは大分前だけど、嘘は言っていない。こう言うのは、さして遅れてなくても、謝っておいた方が心象が良いのだ。それに事実、他の招待された方々は、既に席についているようだった。
「ナディアで結構ですよ、フラウレン様。まぁ、お気になさらないで下さいまし。お加減はいかがですか?こんな時に、お呼びしてしまってごめんなさいね。」
いえ、私がこの日を指定したのですから、と曖昧に笑って返しながら、ナディア様の勧めで円形のテーブルに着席する。笑顔を絶やさぬよう、さりげなく他のご令嬢に挨拶して、私ははた、と止まりそうになった。
なんと、私の隣の席に、エレオノーレが座っていたのだ。
これまでエレオノーレには数回会って話をしたけれど、ナディア様のお茶会に呼ばれているとは聞いていない。
私は目だけでエレオノーレに、何故ここにいるのか尋ねたが、エレオノーレは答えなかった。
私は乱れた心を精一杯落ち着けるよう努力した。
私とエレオノーレの他に招待されたのは、あまりお話ししたことのないご令嬢二人だった。そもそも私は、マルバラフで知識を吸収することには貪欲だったが、顔を広げることには積極的ではなかった。王太子のラファウ様に対してさえ、お近づきになろうと思わなかったのに、婚約者やそのお友達のことまで知ろうはずがない。
けれど、ナディア様の話ぶりで、彼女たちの立ち位置はわかった。ナディア様はラファウ様の婚約者で、彼女たちはその味方。そして私たち姉妹は、危険因子。・・・である。
お茶会は、つつがなく進められた。ナディア様とそのご友人達は、決して表立って私達を弾糾することはなかった。もしかしたらドロドロの展開があるかもしれないと身構えていた私は、ナディア様の評価を改めた。想像以上に、人間の出来たお方だ。
話の内容は、最近のドレスや髪型の流行りなどたわいの無いものから、軽い政治の話など多岐にわたった。けれど、もともとあまりお互いを知らない私達は、いつしか話題が乏しくなってきて、遂には短い沈黙が下りてしまった。
何か話題を振った方が良いのだろうが、こういうことは得意で無い私は、得意な妹を期待を込めて見つめたが、エレオノーレは私の視線を完全に無視して、遠慮の無い視線をナディア様に向けている。
それを見て、私ははっと小さく息を呑んだ。
ナディア様が、何か、本当に言いたいことがあるのに口に出さないことは、私も感じていたが、エレオノーレは、今がそれを聞く時だということに気づいているのだ。
私は、エレオノーレの視線を追って、ナディア様を見つめた。
すると、私達の視線を受け止めたナディア様は、戸惑うことなく口を開いた。
「私達ばかり話していては申し訳ないわ。フラウレン様、何かお話されたいことはない?」
え!?
てっきりナディア様がお話ししたいことがあるのだと思っていた私は、ひどく慌てた。
もちろん、用意していた話題などない。
けれど、ナディア様のご友人にも見つめられ、何もない、と言える雰囲気ではなくなってしまった。
私は必死で頭をひねった。そして困った挙句に突拍子もない話題を出してしまった。話し始めて後悔したが、もう遅い。
「な、ナディア様は、鷹と一角獣はご存知ですか!?」
私の話に、ナディア様がきょとん、と首をかしげる。
私は馬鹿か。こんな、何の脈絡もない話を・・・
そう自分でも思うものの、始めたからには言い終えなければならない。無言で続きを促すナディア様に、私は躊躇いながら口を開いた。
「・・・以前、城内で目にしたのです。翼を広げた鷹と、足を振り上げた一角獣のレリーフでした。この絵柄を、他にもどこかで見た気がするのですが、思い出せなくて・・・」
それは以前、私が城内を一人で逃亡していた時に偶然見つけた2軒の建物にあったものだ。
私のどうでも良い話に、意外にもナディア様は、ああ、と頷かれた。
「それは恐らく、マルバラフ王家の紋章ですわ。」
「王家の・・・?」
「ええ。ほら、あそこに見えますでしょう?」
そう指さされた先にあったのは、城の尖塔で風にはためく旗だ。確かに、鷹と一角獣が向かい合わせに描かれている。
けれど果たして、遠い記憶にある鷹と一角獣と一致するかと言われると、どうだろう。よくわからない。
「なぜ、王家の紋章が鷹と一角獣なのですか?」
私は純粋に疑問に思って、そう問うた。
「鷹と一角獣は昔から、マルバラフ王国建国の神、イヴァルの使いと信じられています。強く賢き者を選ぶ鷹のグウェインと、気高き純潔の乙女を選ぶ一角獣のユニコス。」
「建国の神イヴァル・・・?初めて、お聞きしました。そもそも、マルバラフ王国は多神教では・・・?」
「もちろん、過去に様々な文化を吸収してきた我がマルバラフ王国は、多様な神々の存在を認めております。けれどそれは、国民の皆が全ての神を信じている、というわけではありません。一神教の考えを持つ国民の一人一人が、他を認め合って同じ国に暮らしている、というだけのこと。そしてマルバラフ王家としては、王家の血の起源であるイヴァルを神と認めております。」
私は目を見張った。
やはり、他国で習うのと、本場で習うのとでは、全く違う。
私は感心しながら何度も頷いた。
ただし、と、ナディアが口を開く。
「このことは、マルバラフの国民の中でも多くは知りません。王家に連なるものと、その周りのものにしか、意味を持たない話だからです。・・・フラウレン様は、王妃の座にご興味がおありですか?」
・・・は?
私は油断していたところに突然斬り込まれ、ナディア様が見ている前で一瞬呆然としてしまった。
この流れで、突然この手の話題に移行するとは夢にも思わなかった!
ナディア様、なんて恐ろしい方・・・!!
私は答えに詰まった。
心臓がばくばくと音を立てて、私の冷静さを奪ってゆく。
その時、まるで水を得た魚のように、隣でじっと黙っていたエレオノーレが流暢に喋り始めた。
「ナディア様。正直に申し上げますと、私は以前からラファウ殿下をお慕いしております。ナディア様が殿下とご婚約されているのは存じておりますが、幼い頃に交わされた、ご当人の意思を欠いた婚約であったと、殿下よりお聞きしております。これを機に、正すべきことを正されるのが、王家に使える者としての責務ではないでしょうか。」
私はぎょっとした。
なんてことを言うのだ、エレオノーレ。
ぎょっとしたのは、もちろん私だけではない。ナディア様の両側に座るご友人も、怒りを露わにした。当然の態度だ。
明らかにエレオノーレが悪い。
しかしこのままでは、エレオノーレだけではない、我が侯爵家にとって、不利益以外のなんでもない。
「おっ!お待ちください!!!」
私は思わず立ち上がった。エレオノーレに向けられていた怒りを、自分に注意を向けさせることで少しでも削ごうと思った。
謝って、謝って、謝り倒す気だった。
ナディア様に対して、こんな失礼なことを言った妹を、私は姉として、そして侯爵家の長女として、許してはおけない。
けれど私が口を開く前に、ナディア様は、感情の無い瞳で私を見上げると、静かにこう言った。
「なるほど。して、あなたは?フラウレン様。あなたは、どう思われますか?」
私の顔から、さあっと血の気が引いてしまった。
エレオノーレの罪を被り、謝罪することの方が、いかに簡単か悟った。
今、窮地に立たされているのは、エレオノーレでも、侯爵家でも無い、私。私個人に、全ての圧がかかる。それはとても、立っていられないような圧だ。心臓が押しつぶされそうだった。
私の心が叫ぶ。
逃げたい、逃げたい、逃げたい・・・
今この場で、殿下のことなんて、なんとも思ってませんよ、と、言えば全ては丸く収まる・・・
ダメだ!
私は、汗ばんだ手を、爪が手のひらに食い込むほど硬くぎゅっと握りしめた。
逃げてはいけない。私は、もう逃げないと、決めたのだから!
殿下に約束したのではなかったか、ずっと側にいると・・・
私は意を決してナディア様を見た。ナディア様は相変わらず感情を写さない瞳で私を見上げている。
私は目を伏せると、椅子から離れて地面に膝をついた。王族に対する最上礼をとる。
ナディア様のことを王族に見立てているわけではない。ただ、ナディア様に敬意を払いたいと、私自身が強く思ったからだ。
「も、」
申し訳有りません、と、口から出そうになって、私は一度口を閉じた。
それは何に対する謝罪か。ナディア様に対しての謝罪なら、それはむしろ侮辱以外の何物でもない。
私は慎重に言葉を選んだ。
「・・・私は、王妃の座は欲してはおりません。王太子妃の座もまたしかり、です。もとより、小国メシアの一貴族が、大国マルバラフの王家に組みそうなど、考える余地もございません。」
私、父と違って、そんなに出世欲はないのです。
「では、」
ナディア様が静かに口を開いたのを、私は遮った。顔を上げて、ナディア様の瞳を真っ直ぐに見つめる。
「ですが!・・・ですが、私は、恐れ多くも殿下に・・・ラファウ殿下に心惹かれてしまいました。権力は欲しません。しかし、ラファウ殿下のことは、到底、諦められるものでも、ありません。たとえ、この身が滅びようとも・・・。」
私達は、長い間、お互いを見つめあって動かなかった。
だがやがて、ナディア様がふっと軽く目を伏せ、その瞳に影を作った。
「フラウレン・バッツドルフ、お立ちなさい。」
ナディア様の言葉遣いが変化した。最初のように身分を取り繕うことはせず、自分が優位であることを明確に表している。
私はゆっくりと、膝を地面から離して立ち上がった。
ナディア様も上品に席を立ち、ゆっくりとした動作で、テーブルの周りを歩き始める。
「まず、レオノーレ・バッツドルフ。あなたの言い分はわかりました。もとより、あなたに関しては尋ねる前からある程度予想がついておりましたけれど。あなたの問いに対する私の答えは、もちろん、否、です。たとえ私と殿下の婚約が、当人の意思を欠いていたとしても、正式な婚約を交わした事実は覆りません。そして私は、その婚約が正式に破棄されない限りは、殿下の正当な婚約者です。そうである以上、第三者から見ても邪魔者は紛れもなくあなたの方。速やかに手をお引きになった方が宜しいかと。」
ナディア様は、エレオノーレの後ろをゆっくりと通りながら、見下すようにエレオノーレの背中に視線を送り、忠告した。とても恐ろしい。
そして、ナディア様の足は、私の前で止まる。
「次に、フラウレン・バッツドルフ。」
私はナディア様の氷のように冷たい瞳に負けじと、視線をそらせることだけは耐えた。
「・・・私は少々、あなたのことを過小評価していたようです。あなたのような真っ直ぐで誠実なものこそ、最も手強い敵となるでしのう。私も本気にならねばいけないようです。覚悟してくださいまし。」
ごくりと唾を飲む。
ナディア様が、本気になる。私、こんな手強い方に勝負を挑んでしまって。
避けられない勝負とはいえ、勝てる見込みは極めて低い気がする。
私たちはじっとお互いの顔を見つめていたが、やがてナディア様がふいっと顔を逸らし、スタスタと歩き始めた。テーブルに背を向けて、庭園の入口へと向かって行く。
その後ろに、はっと我に返ったナディア様のご友人達とそれぞれの侍女が、慌てたようにナディア様の後を追いかけていった。
私は彼女達の背中を、姿が見えなくなるまで見つめていたが、やがてほぅと息を吐いて、へなへなと地面に座り込んでしまった。
こ、腰が抜けた・・・
ナディア様、すごい迫力であった。
途中で腰を抜かさなかったのが奇跡みたいなものだ。
「・・・んなの、それ」
私ははっと顔を上げた。
気づけば、いつのまにかエレオノーレは私の前に立っていた。
しかしその顔に、ナディア様に喧嘩を売った時のような元気はなかった。
「・・・エレオノーレ?」
さすがのエレオノーレも、ナディア様の迫力に気圧されて、喧嘩を売る相手を間違えたことに気づき後悔でもしているのだろうか。
私は少し心配になって、エレオノーレに呼びかけた。
しかし、その声は彼女の耳には全く届かなかった。
「そんな、私の計画が・・・、なんで?お姉さまは、・・・私、どうしたら・・・」
一人ぶつぶつと呟く声の中に、私の名前が入っていて、とても怖いんですけど。
するとエレオノーレは、弾かれたように顔を上げ、くるりと踵を返した。地面を蹴って、庭園を後にする。その背中を、彼女の侍女もまた、慌てたように追いかけていった。
なに、なんなのよ。
私にはもう、わけがわからない。
一人残された庭園で、地面に座り込んだまま、悪態をつきたくなった。