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無念の逃避行

「ラファウ殿下、今朝髪を切られたわよね。私、以前の前髪が目にかかりそうなのも結構好きだったけれど、今のも爽やかさが増して好きかもしれないわ。」


優雅にカップを持ち上げて、音もなくお茶をすする。

ハーフアップにされた淡い金色の髪は、柔らかなカーブを描いて胸の前に垂れ下がっていた。


「そう。よく知ってるわね、エレオノーレ。」


私が素直にそう言うと、エレオノーレは、もちろん、殿下のことは何でも知ってるわ!と豪語する。


よく晴れた午後の昼下がり。私たち姉妹は、住まわせてもらっている王城の庭園で、2人だけのお茶会を開いていた。


あの一件以来、エレオノーレは頻繁に私のところを訪ねて来ては、自分がいかにラファウ様のことを知っているかを披露して、去っていく。

恐らく、牽制のつもりなのだろう。

実の姉妹だというのに、精神攻撃に余念がない。


「お姉さま、随分な余裕ですこと。それとも、本当に身を引く覚悟ができたのかしら?」


私としては、以前のように普通に話せるようになって嬉しいのだが、一つ不満があるとすれば、私に対する言葉の端々にトゲを感じるようになったことだろうか。


私は机の上のカップの取っ手を弄びながら、ため息をついた。


「残念ながら、エレオノーレ。身を引く覚悟はまだ出来ていないわ。けれどそれ以前に、選ぶのは私ではなく、ラファウ様よ。」


そう言うと、エレオノーレは眉をしかめた。優雅さを捨てて、ガチャンと乱暴にカップを受け皿に戻す。


「・・・お姉さまのそう言うところが嫌いなのよ、私は。それはそうと、いつの間に呼び方が殿下からラファウ様に変わっているわけ!?」


私はどきりとした。

確かに、以前は殿下と呼んでいた。けれど先日、執務室でお会いした時に、色々あってお名前を呼ぶ許しを得たのだ。

私はその時のことを思い出して、頬を染めた。


「ああんもう!お姉さまはいつも、無害そうに見えてやることやってるんだから!むかつく!」


エレオノーレが叫んだので、私は慌ててあたりをキョロキョロと見回した。幸い2人の侍女以外に人影は見当たらず、私はほっと息を吐いた。


「エレオノーレ、むかつくだなんて、そんな言葉、誰かに聞かれたら。」


「誰かいたら言ってないわよ!」


エレオノーレを落ち着けようとして言った言葉が、却って彼女の神経を逆なでしてしまったようだ。

私は慌てて、別の話題を探す。


「そ、そうだわ!エレオノーレ、ヘリオス様ってご存知?」


両手をパチンと叩いて、ちょっと芝居がかっていたと自分でも思うが、エレオノーレはその話題に食いついた。

私は心の中でほっとため息をつく。


「ヘリオス様って、冗談よしてよ。」


「へ?」


「お姉さまったら、信じられない!殿下を落としたいならまずヘリオス様を落とせって言われるくらい、殿下に傾倒してる方よ!ヘリオス様に気に入られなければ、殿下とお話しする事すら難しいというのに・・・。ヘリオス様を知らないなんて、お姉さま、一体どうなってるのよ。」


なんと、ヘリオス様。そんな危ない方だったとは。

けれど困った。私、既にヘリオス様に嫌われてしまっているようだし。


「偶然が重なって、ラファウ様とお話しできただけなのよ。けれど私、ヘリオス様に嫌われてしまったようだから、今後ラファウ様とお話しするのは、難しそうね・・・。」


困ったように眉を下げると、エレオノーレは幾分か気を良くしたようだった。


「そう。それは難しそうね。私も、ヘリオス様に王太子妃候補として認めてもらうまでは、なかなか大変だったわ。」


王太子妃候補。その単語に思わず息を飲む。

いや、エレオノーレは間違っていない。ラファウ様は王太子だから、そのラファウ様とお付き合いできる方は、必然的に王太子妃候補となり得る。

わかってはいるんだけれど、コンプレックスだらけの私にとっては、とても威圧感のあるポスト名だ。


「・・・ヘリオス様に認めてもらうなんて、すごいのね。ところで、あの金色の髪はどこかで見たことがある気がするのだけれど、ヘリオス様はどこの血筋の方なのかしら?」


「あの髪は、多分陛下と同じよね。ヘリオス様は、王弟殿下のご子息だから、ご祖父母から引き継いでおられるのではないかしら。」


なんと!ということは、ヘリオス様はラファウ様のいとこであらせられるのか!

いや、ラファウ様に対して随分砕けた口調をされるものだから、貴い方だとは思っていたが。


驚く私に、エレオノーレは呆れたように肩をすくめた。


「というか、マルバラフに2年もいて、知らないとかありえないんですけど。因みに、ラファウ殿下にはヘリオス様以外にもう一人側近がおられるわ。ローバンイェル様よ。殿下を落としたいなら、この二人の攻略は必須ね。」


涼しい顔でお茶をすするエレオノーレを見て、私は眩しいものを見るかのように目をすぼめた。


「エレオノーレ、あなた、すごいわね。」


「こんなの当たり前よ。未来の王妃になるんだから。」


王妃。

エレオノーレは私が出来るだけ回避したい身分を、むしろ得るために動いている。


誰がどう見たって、ラファウ様のお相手に必要なのは、私ではなく、エレオノーレのような人なのよね・・・


最初からわかっていることを、改めて突きつけられて、しゅんと凹む。

これで、ラファウ様への気持ちに、はっきりと区切りをつけられれば、どんなに良かったことか。


私は、今日何度目かのため息をついた。

それを見たエレオノーレは、何を勘違いしたか、更に私に追い打ちをかけた。


「あら、側近の二人を籠絡するくらいで弱音を吐いていてはダメよ。本当の敵は、ナディア様よ。」


まだいるのか。


「な、ナディア様?」


「オルブライト侯爵のご子女、ナディア・オルブライト様。ラファウ殿下の婚約者、よ。」


私は、目の前が真っ白になった。

ラファウ様に、婚約者がいただなんて。

だってラファウ様、そんなこと一言も・・・


「あら、お姉さま。本当に、びっくりするくらい何も知らないのね。」


私は驚きの表情で固まったまま、ギギギ、と首をエレオノーレに向けた。

エレオノーレの言葉が、深く突き刺さった。


本当に、私は何も知らない。知らされていない。


そして、唐突に理解した。


ああ、だから私とラファウ様のことは、公にできないのだわ。


私が、ラファウ様の本命ではないから・・・


急に言葉を失った私を見て、エレオノーレは、今日のお茶会はもうお開きであると悟った。適当に別れの挨拶をして、席を立つ。


私はハッと我に返り、ずっと疑問に思っていたことを口に出した。


「エレオノーレ、あなたは、ラファウ様を狙っているんでしょう?なのにどうして、私に有利な情報を、色々と教えてくれるの?」


するとエレオノーレは、不敵に笑った。


「私、今まで、お姉さまはライバルとして取るに足らないと思っておりましたわ。けれど最近、お話をしていて、その認識を改めました。なのにお姉さまときたら、私と同じ土俵にも立っていない・・・。私、こそこそするの嫌いなんですの。勝負は正々堂々としたいのですわ。」


言い終わると、エレオノーレは優雅に背中を向けて歩き出した。

私は思わず、その背中に見惚れてしまい、あ、そうでしたわ、と突然エレオノーレが振り返ったので、びくりと肩を震わせた。


「私、とっておきの切り札を準備中ですの。近日公開予定ですから、お姉さまも相応の覚悟をなさった方が良いですわよ。」


にこっと、まるで花が咲いたかのように笑って、エレオノーレは去って行った。


ま、まるで悪魔。

我が妹ながら、戦慄が走るわ。


一人ぽつりと残された私は、猛烈に頭を抱えたくなった。







覚悟を、と言われても、そもそも殿下に対して引くか押すかさえ決めかねている私である。何もしないまま、数日が過ぎた。

そんなある日、私は再びラファウ様の執務室に呼ばれた。


白い髪にしっかりと香油を塗り固め、薄いブルーのドレスを身に纏った私は、前回と同じくソファーに座っていた。

向かいに腰掛けるラファウ様を見て、首を傾げた。


「・・・山の、ダム。にございますか?」


ラファウ様がこくりと頷く。

その後ろで、ヘリオス様がこちらを睨むような厳しい目で見ているが、気づかないふりをして、殿下の言葉を待つ。

ヘリオス様を気にしてしまえば、恐ろしくてこの場に止まるなんてできなくなりそうだ。


「先の土石流を、未然に防げないかと言う話になった。しかし、川の堤防の増強には限界があるし、予算も無限ではない。そこで、川の源流部に近い所で堰き止めてはどうか、という案が出ている。」


源流部、と私は頭の中でイメージしてみた。

大きな川を遡って行くと、何本もの小さな川に枝分かれし、その小さな川は更に小さな川に幾重にも枝分かれする。そしてその一本一本には、土から水が染み出す源流部がある。

そこに、ダムを・・・。


私は小さく首を振った。


「源流部にダムを作るとなると、それこそものすごい数になってしまいます。それよりは、少し川が合流して大きくなったくらいの規模で、人里を避けてダムを作った方が効率的なのではないでしょうか?」


要は、民家や田畑などの、人の生活に支障が出る所さえ守れば良いのだ。

私の言葉に、ラファウ様は顎に手を当てて、少し考えられている様だ。

けれど私は、一つの心配事を口にすることにした。


「・・・殿下、私の母国メシアには、自然に関する数々の言い伝えがございます。その一つに、川を堰き止めるな、というのがございます。」


ラファウ様が私に目を向けて、続きを促した。私は、少し戸惑いながらも、はっきりと告げた。だって、私はメシアの知識を持つもの、としてここへ呼ばれたのだろうから。


「メシアの古き王が、洪水に悩む国民を嘆き、川の上流にダムを作りました。そのダムはどんなに雨が降っても川を氾濫させる事がなく、王も国民も大層喜びました。けれど、幾年か経つと、川の様子が変わってきました。常は浅く緩やかで格好の子供の遊び場となっていたはずの川は、深く、流れは激しさを増していました。川に住む生き物は姿形を変え、河原にはまるで森の様に木々が生い茂りました。何故か田畑の作物も、ぐんと収穫が落ちてしまいました。そんなある年のこと。数日間続けて雨が降りました。けれど国民は、ダムが守ってくれるからと、心配していませんでした。しかし、ダムは突然、崩れました。ダムに溜まった大量の水は、泥を巻き上げて下流に押し寄せました。川に茂った木々は濁流に押し流され、街へと襲いかかりました。それは、ダムが出来る以前に起こった洪水とは比べものにならないくらい、酷い被害をもたらしました。王と国民は嘆き悲しみました。」


私が口をつぐむと、ずっと黙って聞いていたヘリオス様が、低い声を出した。


「・・・では、何もせずに、自然の脅威に怯えていろ、とでも言いたいのか?」


ラファウ様が、ヘリオス、とおっしゃる。けれど私は、ひるむことなく続けた。


「この話には、続きがあります。ダムが崩れて暫く経った頃、驚く様な変化が現れました。洪水に見舞われた場所に、以前の様な生き物が姿を取り戻し、豊かな作物が実り始めたのです。王は言いました。川は、ただ水を運ぶだけではないのだ。土を運び、生き物を運び、豊かさを運ぶのだ。これらを知らずして、以後川を堰き止めることを、禁ずる、と。」


私が言い終えると、ずっと手を顎に考えていたラファウ様が、顔を上げる。


「・・・つまり、これらを遮断しないダムを作ることができれば、現状の豊かさを維持したまま洪水からも身を守ることができるということか。」


私は、恐らく、と頷いた。

ラファウ様は後ろのヘリオス様に向き直り、どう思う?とお尋ねになる。


「・・・話はわかった。俄かに信じられないことだが。しかし、ダムの検討にはその案を加えよう。」


ラファウ様は大きく頷くと、再び私に向き直る。


「フラウレン、有益な情報、感謝する。」


「とんでもございません、殿下。メシア人ならば誰もが知る話をお伝えしたまで。礼には及びません。」


私が慌てて手を振ると、何故かヘリオス様が、チッと舌打ちをした。

私はびくりと肩を震わせて固まる。


「早速話をお偉方に報告してくる。お前は色々聞かれた時の言い訳でも考えておけ。」


そう言って、ヘリオス様は私たちの横を足早に通り過ぎると、背を向けたまま執務室を後にした。

残されたのは、私とラファウ様の2人だけ。

私は急に気恥ずかしくなって、ラファウ様を見ることができずに少し俯いて目を逸らした。


「・・・ヘリオスが君を認めた様だ。」


え?とラファウ様に目を向けると、ラファウ様は、無表情ながらも瞳に優しい笑みをたたえている気がして、私は頬を染めた。


「そう、は全く見えませんが・・・。」


「あいつもわかりにくいからな。良くやった、フラウ。」


私は照れ臭くて、こくんと頷くと、顔を俯かせた。


「ところで、以前私が言ったことを覚えているか?」


ラファウ様に話しかけられて、私は再び顔を上げた。

ラファウ様はゆっくりとソファから立ち上がり、こちらに近づいてくる。私はそれを、首をかしげながらぼうっと眺めていたが、ラファウ様が私の隣に腰を落としたところで、ハッと我に返った。

何だが、嫌な予感がする。


「聞きたいことがある、と言った。」


私は緊張した面持ちで頷いた。


「以前、夜会で、エルバトスに絡まれた時、泣いていただろう。あと、厩で出会った時も。・・・悩みがあるなら、言ってみろ。」


ラファウ様の口から出た言葉に、私は目を見開き、次いでキョロキョロとせわしなく左右に動かした。

泣いたことなど、最早すっかり忘れていたのに、今更問いただされるとは。

けれど、こんなこと、答えられるはずがない。言ったところで、ラファウ様を困らせてしまうだけなのは目に見えている。


「い、え。大したことでは。」


手を振った私の腕を、ラファウ様がぎゅっとつかんで握る。


あ、れ、デジャブ。これは、不味いやつでは・・・


私が思わず体を引くと、ラファウ様は眉を寄せ、手に力を入れた。


「・・・私の、思い違いだといいのだが。もしかして君は・・・」


ラファウ様の、少し切なげな瞳に、私は目を逸らせない。

しかし、その言葉を最後まで聞く前に、執務室の扉がノックされた。


私たちは目を見合わせた。

ラファウ様がはぁ、とため息をついて、私の腕を離す。


「どうした。」


私は解放された腕を胸元に引き寄せた。


「ナディア様がお越しです。」


さぁっと、頭から血の気が引いた。

ナディア様って、ついこないだ聞いた名前だ。ラファウ様の、ご婚約者様。


顔を硬くしてラファウ様を見ると、ラファウ様も私を横目でチラリと見て、それから私に背中を向けて立ち上がった。


私は突然、言いようのない不安と寂しさに襲われた。

私はラファウ様のことを、疑っていた。優しくしてくれるのは、私だけではないのではないかと。

一方で、期待もしていた。ナディア様はただの婚約者で、ラファウ様は私の方を好いてくださっているかもしれない、と。


そんな都合の良いことを考えていた過去の自分をあざ笑う。

自分は魅力がないと、散々言っておきながら、心の中ではラファウ様に選ばれるかもしれないと思うなんて。


私はきゅう、と痛む胸を押さえた。

ラファウ様の背中が、とても遠く感じる。

やはり私が、触れてはいけない人だった。


ラファウ様は私から離れて執務机の椅子に座ると、ナディア様に入るよう促した。

程なくして執務室の扉が開き、ナディア様が姿をあらわす。


私は振り返って、ナディア様を見つめた。

とても、お綺麗な方だった。

アッシュグリーンの艶やかな髪に、濃い緑のドレスがとてもよく似合う。とても華奢で、それでいて芯がしっかりしていそうだ。


ナディア様は先客がいるとは思わなかったのだろう。私を見つけると、一瞬目を軽く見張ったものの、すぐに笑顔を向けられた。


私は、胸の内を必死に押し殺して、そっと席を立ち、ナディア様の前に立つ。

ラファウ様がゆっくりと近づいてきて、ナディア様の隣に立った。


わかってる。ラファウ様が私よりも婚約者であるナディア様を立てるのは当たり前。

なのに、こんなにも・・・


「ナディア、紹介しよう。メシア王国から留学されている、バッツドルフ侯爵のご子女のフラウレンだ。今日は、先の洪水の件で聞きたいことがあってお招きした。」


「フラウレン・バッツドルフにございます。以後、お見知りおきを。」


私は膝を折って礼をした。震えそうになる声を、必死に抑える。


「フラウレン、こちらはオルブライト侯爵のご子女のナディアだ。」


「ナディア・オルブライトですわ、フラウレン様。ラファウ様とは婚約しておりますの。」


ナディア様は、とても綺麗ににっこりと微笑まれた。

けれど私には、牽制されているとしか思えない。


私は、そうですか、と曖昧に笑って、そそくさとこの場を立ち去ることにした。

ラファウ様が申し訳なさそうにこちらを見ていることに気づいたが、ナディア様を追い返すことはしない。


いや、出来ない。そんなの、当たり前よ。わかってる。


でも、私の心は頭ほどに聞き分けが良くない。

私は執務室から出て、廊下を早歩きでずんずん進んだ。ずんずん、ずんずん、無言で歩き続ける。

そして、王族が住まう城の出口まで来ると、ピタリと足を止めた。後ろに、すこし息を切らしたエリザベートが追いついてくる。


私は顔を俯けて、肩越しにエリザベートを振り返った。


「エリザベート、ごめんなさい。・・・撒くわ」


そう言った途端に、足を動かした。

背後でエリザベートが息を飲んだのがわかったけれど、構わずに全速力で走り始めた。城の外側の芝生の上を、足元が取られないように走るのは至難の技だ。薄いブルーのドレスの裾がひらひらと舞って邪魔をする。

私はドレスの裾をたくし上げた。

膝下が露わになるが、まぁ誰もいないし、小さい頃はこんなの当たり前だったし、膝下くらい何てことないわ。それより、もう決壊寸前の顔を、誰かに見られる方が嫌。


私は後ろを振り返ることもせず、更にスピードを上げた。


城の外側はあまり出歩いたことがないから、どこがどう繋がっているかはよくわからない。

そういえば、この2年間、ろくに城下に出たこともない。

興味が無かったわけではないし、出ようと思えば許可を貰えたはずだが、何故か私の頭には、うろちょろしない方が監視しやすいだろうというマルバラフ側への配慮が常にあった。だって、お世話になっている身だし。


この間ラファウ様とハイル川に行った時も、雨が降っていたのと馬から落ちないようにするので必死だったので、城下町を通ったはずなのに、全く見ずに終わっちゃったのよね。


ああ、何だか全速力で走っていると、気持ちよくなってきた。涙も引っ込んだようだ。


私もしかして、知らず知らずのうちにストレスが溜まっていたのかしら?今度、エレオノーレでも誘って城下町に遊びに行ってみようかしら。


私は背後を振り返った。誰かが追いかけてきている様子はない。

私は徐々に速度を緩めた。


それにしても、大きな城だ。

さっきまでは、大体の位置がわかっているつもりだったけれど、何度かカーブするうちに、自信がなくなってきてしまった。

自分の暮らしている建物も、見る角度が変われば、わからなくなってしまう。


これは少し、まずいのでは?


それまでのほほんと歩いていた私は、少し気を引き締めた。ここで迷子になるのは、泣いているのと同じくらい恥ずかしい。


あたりを注意深く見回してみる。

城の城壁の内側にあって、城から少し離れたこの場所には、足首までの丈の雑草に覆われ、可憐な野花が所々に咲いている。


私は心の中で首を傾げた。

私の借りている建物にさえ、立派に整えられた庭園があるというのに、ここは手入れをされているのがわかるのに、とても地味ではないか。


このマルバラフ王国においては、全く手入れされていない場所となると、背丈ほどの雑草が生い茂って、通るのも一苦労、という状態になる。

そのため、草丈が低いということは、手入れはされている、と見て間違いないのである。


こういうのも、素朴で好きだけれど。

ここはあまり人気も少なそうだし、庭師の趣味の空間なのかしら?


私は誘われるように、野花の草原を進んだ。

少し行くと、同じ大きさの小さな建物が2軒建っていた。壁は蔦で覆われ、屋根からは草木の芽が何本も伸びている。相当前に建てられたものだと見受けられる。


しかし近づいてみて、私は驚いた。

外観が植物に侵食されている割に、石のようなものでできた壁や屋根は、ヒビ一つなく、全く劣化していないのだ。また、小さな建物に不釣り合いな大きな両開きの扉は、何かの金属で作られているが、私はこんな鮮やかな赤い金属を見たことがない。


マルバラフ国内にのみ存在するような、希少な金属なのかしら?


鉱物についてはあまり詳しくないので、そこのところ、あまり自信は持てないが。

私はそっと、扉に手をかけ、押してみた。

しかし、鍵の見あたらない扉は、うんともすんともしなかった。

中から鍵が掛けられているのだろうか?

いや、だとしたら、鍵をかけた人物はどうやって外に出るのだ。この建物には窓がないし、明らかに、人が住めるような大きさではない。


私は隣の、同様の建物を見た。


・・・あら、開いているわ。


私は興味をひかれて、隣の建物に近づいた。

先ほどビクともしなかった扉は、外側に向かって180度開いており、扉の内側がよく見えた。けれど、やはり、鍵のようなものはついていない。

不思議に思って、建物の中をそっと覗き込む。中はいたってシンプルで、窓のない建物の中は暗く、狭い。その中央奥に、ポツンと台座が置かれているだけである。


何とも不思議なものである。

私は宙を仰いだ。

すると、2つの建物の扉の上に刻まれたレリーフが目に止まる。

目の前の建物には、翼を広げた鷹が、隣の建物には、前足を振り上げた一角獣が。


鷹と一角獣・・・

どこかで見た気が・・・


とにかく、あまり良い予感はしない。私はキョロキョロとあたりを見回し、誰も見ていないことを確認すると、そそくさとその場を離れた。


少し離れてから、私は少し上を見上げた。

手前に幾つか見える建物のその奥に、王族の住まう塔が見える。とりあえず、あそこへ向かえば、迷うことはなくなるだろう。


「そこの小道を行けば、あそこにたどり着けそうね。」


私は、自分に言い聞かせるように声に出した。

城の建物の外壁から、地面を挟んで反対側は、今いる地面よりも人一人分くらい低くなっており、城壁に沿うようにして木が植えられている。

私は側にあった簡素な階段を下り、その木々に沿って遠くに見える塔に向かって歩き出した。







「・・・おかしい。」


私は暗くなる気持ちを抑えきれずに呟いた。

方向的には、あっているはず。なのに、先ほどから塔が見えなくなってから、まだ姿を現さない。

それにこの小道、どんどん下っているような気がする。


小道に下りてからずいぶん歩いたが、ずっと一本道だったため、引き返そうと思えばまだ間に合う。気は進まないが、更に迷うよりはマシか・・・


と思っていたら、道の先に、木々が開けているのを見つけた。

あそこまで行けば、周りの状況がつかめるかもしれない。

そう思い、もう少しだけ進んでみることにした。


木々が開ける手前で、朽ちて崩れた階段があった。私は地面に手をついて、下方の道に飛び降りる。並みの令嬢では困難なことかもしれないが、辺境の国、メシア生まれの私にはお手の物だ。

私は土で汚れた手を軽くパンパンと叩いて、木々の開けた場所に出た。

そこで、軽く目をみはる。


「・・・あ、あれ?」


目指していた塔は、再び姿を現した。けれど、その手前には高くそびえる城壁が見える。


あれ、これってもしかして、城の外に出てしまった・・・!?

そんな馬鹿なっ!!


だって、ずっと城内を歩いてきただけなのに!

私は慌てて、元来た道を戻ろうと踵を返した。が、振り返って見た光景に、愕然とする。


「・・・ま、ずい」


目の前には、先ほど自分で飛び降りた段差が立ちはだかっていた。朽ちて崩れ落ちた階段は、降りるのは簡単だったが、登るには足場が少なすぎる。


「嘘でしょ嘘でしょ嘘でしょ」


私は慌てて段差にすがりついた。足元の出っ張りに足を掛け、頭の上の出っ張りに手をかける。


・・・絶対無理だ


その間に足場がない。私はそっと足を地面に下ろした。そして、へなへなとその場にしゃがみ込む。


大体、どうして城内を歩いてるだけで外に出ちゃうのよ。この城の守り、おかしいんでないの!?


悪態をついてみるが、状況は変わるはずもない。

仕方ない、恥ずかしいけれど、門番に掛け合って中に入れてもらうしかない。


私は重い体をのっそりと持ち上げた。


その時、突然鋭い声で呼び止められた。


「おい、そこのお前、何をしている。」


私はびくっと肩を震わせて、声のした方に目を向ける。そこには、門番と思しき2人の兵士が立っていた。


「ここはマルバラフ城だと知った上での行動か?その髪は、メシア人だな?」


1人の兵士が、私を疑うように睨んでくる。

するともう1人の穏やかそうな兵士が、不思議そうに私を見て言った。


「身なりは相当いいから、どこぞのご令嬢じゃないか?ほら、うち、メシアからの留学生も何人か受け入れてるし。」


「しかし、外出の申請があったとは聞いていない」


鋭い目つきの兵士がそう言うと、穏やかそうな兵士は、ま、それもそうか、と簡単に納得してしまった。


少し、雲息が怪しくなってきたわ・・・

なんとか、うまい言い訳を考えなくては!


「わ、私、隣国メシアより参りました、フローラと申しますわ。こちらにご留学されている、エレオノーレ・バッツドルフ様の友人で、彼女に会いに来たのです。」


鋭い目つきの兵士が、疑うようにジロリと睨んでくる。私は冷や汗をかきながらも、平静を装って、にこりと微笑んでおいた。


「・・・確かに、その方はこの城に滞在を許可されている。しかし、メシアのご令嬢がたった1人で訪問されるのは信じがたい。何か、証明できるものはあるか。」


うん、ラファウ様はなかなか良い兵士をお持ちだ。お陰で私はピンチだけれども。


「しょ、証明にございますか?侍女は私の忘れ物を取りに宿に戻っておりますし・・・。」


「ついでに言えば、バッツドルフ卿からは、本日来客が来るとは聞いていない。」


これは完全に、私のこと疑っているわね。

このまま不審人物としてこの人たちに捕まれば、牢屋に入れられて、城の方に解放はしてもらえるだろうけれど、私の醜聞が!!

もうラファウ様どころか嫁ぎ先がなくなる・・・!


私は、じり、と後ずさりした。前には2人の屈強な兵士。後ろには登れない段差。逃げるとしたら・・・横しかない!


私は兵士から視線をそらすと、横の崖を飛び降りた。崖と言っても、公園の滑り台くらいの高さしかないけれど。しかし、足元がヒールなのを忘れていた。着地した際に、左足をグネッと挫いてしまう。


いっつっ・・・!


私は顔をしかめた。

崖の上を見ると、呆気にとられた兵士たちが、こちらを見て固まっている。


そりゃ、まさか令嬢が崖から飛び降りるとは思わないわよね・・・


私は兵士たちが固まっている間に、痛む足をかばいながら、そっと後ずさりした。


「・・・あ、逃げるよ。」


穏やかな兵士が戸惑いながらも口を開くと、鋭い目つきの兵士がはっと我に返った。


まずい、このままではすぐに追いつかれてしまう。


私は兵士たちに背中を向けると、精一杯の速さで走り出した。左足首がキリキリと痛む。

少なくとも、兵士たちが崖を降りる間は時間を稼げるはずだ。いや、私のように飛び降りてきたら、私、一瞬で捕まるけども。


しかし、予想に反して、兵士たちの足音は聞こえてこなかった。よたよたと走りながらちらっと後ろを振り返ると、何やら背の高いもう1人の兵士の姿が見えた。3人で何やらやり取りをしているらしい。


しめた、今のうちよ!


私は前を向いて走り出した。無念にも、王城からどんどん遠ざかってしまうのだった。

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