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開宴

濃い青地に金糸の縁取りを贅沢にあしらった服の腕が差し出されてそっと手を添えれば、手触りの良さにその質が伝わってきた。

体を挟んで向こう側の腕には、手入れの行き届いた白く滑らかな手が添えられている。

やがて添えた腕が前に進むに従い、私の足も付き従った。


かきあげた淡い金の髪を軽く棚引かせながら、両手に着飾った実の娘を侍らせ颯爽と扉をくぐるその姿は、家族の贔屓目を差し引いてもかっこいいと言わざるを得ない。

元々端正な顔立ちで若い頃は随分とモテたらしいが、目元や口元にシワを携えた今、より色気や渋みが増して視線を集める相手は老若問わない。

それはここ、マルバラフも例外ではないようだ。

パーティー会場への扉をくぐり、人々の視線を集めた今、何故自分がこんなにも着飾られたのかを悟った気がした。

父にとっては娘も自分の魅力を引き立たせるアイテムなのだ。


念のために言おう。

別に、父を非難したり、自分を卑下する気は全くない。

むしろ、社交界ではこういうことこそが大事なのであり、それを熟知した父のおかげでバッツドルフは安定の侯爵家の座を保持している。

特に今宵のような四面楚歌の夜会において、使えるものは最大限使う父のやり方は見ていて気持ちが良い。


と、頭では分かるが、だからと言って父の思惑に100%応えられるかと言われれば、残念ながらノーだ。

皆さま、お忘れではなかろうか?私は自他共に認める社交界嫌いの侯爵令嬢。目立つのが苦手でいつも壁の花でやり過ごしていた女が、突然スポットライトの下に連れてこられて、女優のように笑えるか。否。私には出来ない。父を挟んで向こう側にいる、エレオノーレのような完璧な笑みは・・・!


やがてちらほらと感じる、視線。そして、徐々に広がって行く驚きと、耳を掠めるざわめき。

バッツドルフ、娘、エレオノーレなどの聞き覚えのある言葉の切れ端だけを耳が拾う。そうすると、どんどんと増えて行く視線の大多数が悪意あるものに感じられてきて、どうしても体をすぼめてしまう。

上手に笑えないのなら、せめて恥をかくまいと、表情を消すことに徹しようではないか。

そんな私に父は、予想通りだったのか何も言うことはなく、不敵に笑って人々の視線を受け止めるのだった。


「ふふふ、みんなの間抜けな顔といったら。バッツドルフの姿を目に焼き付けるがいいわ。」


エレオノーレが怖いことを言って顔がひきつりそうになるのでやめて欲しい。


「ああ、ここにお兄様がいないのが残念でならないわ。全員揃った時の迫力といったらないものね、私たち。」


確かに、麗しの兄が入れば美男美女一家の出来上がりである。それはもう、注目を集めること間違いなしであろう。あ、私は珍獣枠だけれど・・・


にしても、人々の視線を自信漲る笑顔で受け止めながら、私たちにしか聞こえない大きさで毒を吐く妹に、感嘆する。あのど田舎のメシアにいながら、どこでそんな高度な技を身につけるのだろう。


そんなことを考えながら歩いていたら、そっと父に腕を外された。父の望む注目は十分に得られたらしい。

私はそっと一息ついて、さりげなく周囲を見渡す。

まだ主催者のいないパーティーは、すでに軽く始まっていた。明るく優雅な音楽が会話を邪魔しない程度に流れ、挨拶を交わすもの、軽食をつまむものがちらほらといる。


・・・まずは腹ごしらえかしら。


未だちらちらとこちらを伺うような視線に向き合う気はさらさらない。というか、無理である。それよりも、今日はバタバタとしていてろくにお昼も食べられなかったから、とてもお腹が空いている。まだ先は長いし、主催者がやってくれば挨拶をするのに時間がかかるだろうし、腹ごしらえするなら今のうちだ。

そう思ったのだが。


「おや、フラウレン様ではありませんかな?」


やたらと親しげな声を掛けられ、声のした方を振り向いた。そこに立っていたのは、わざとらしいほどニコニコした小太りの男性。この笑顔は見覚えがある。そう、確か、


「・・・ミレー伯爵」


私がそう呟くと、ミレー伯爵は弓なりの目をこれでもかというほど細めて嬉しそうに笑う。


「おお!やはりフラウレン様でございましたか!いやはや、今日はいつもに増してお綺麗で、思わず見惚れてしまいましたぞ!」


いつの間に名前で呼ばれる仲になったのか、と問い質したい気もするが、面倒なので曖昧に相槌を打つことにする。それにしても、ラファウ様と被災地を訪れた際に会って挨拶を交わす程度の関係なのに、やたらと周りに聞こえる大きな声で仲の良さをアピールするのはやめて欲しいものだ。

そんなことを考えていたら突然後ろから腕をからめ取られて、私は大袈裟に肩を揺らす。


「お姉様、この方はどなたですの?私たちにご紹介下さらない?」


エレオノーレの綺麗な笑みと、その後ろに立つ父の気配を感じて、私は慌てて一歩横にずれる。


「お父様、エレオノーレ、この方はミレー伯爵。ハイル川の上流域を治めていらっしゃいますの。ミレー伯爵、こちらが私の父、そして妹ですわ。」


「お初お目にかかります。ダンブルド・バッツドルフです。娘がお世話になっております。」


「エレオノーレですわ。以後お見知り置きを。」


「おお、侯爵様までおいでとは。初めまして、トナー・ミレーと申します。それにしても、美しいお嬢様をお持ちで羨ましい。・・・これ、エルバトス!」


伯爵が後ろを振り向いて発した聞き覚えのある名前に、おや、と首をかしげる。

ちらりとエレオノーレを見れば、一瞬盛大に眉を顰めてみせたので、決して歓迎すべき相手ではないようだが。

それにしても、一瞬で笑顔に戻すその早業、一体どこで・・・


「こちらは倅のエルバトスです。今は子爵ですが、ゆくゆくは伯爵位を継ぐ予定でして。こう見えて、女性からの人気も高いらしいのですよ、勿論お嬢様方の人気には足元にも及びませんがね。」


あ・・・、と言いかけて慌てて口を押さえる。

ミレー伯爵の背中から姿を現したのは、長身でタレ目の男性だった。以前、夜会でお酒を勧められた記憶がある。まさかミレー伯爵の息子さんだったとは。


あの時は、何故か突然現れたラファウ様にお酒を横取りされて、エレオノーレに私が酒豪だと言いふらされて散々だったのよね・・・


過去を思い出して少し頬を赤らめさせる。もしや今夜突き刺さる数多の視線の中に、エレオノーレの発言を覚えているものはいないだろうな・・・

覚えていたら、恥ずかしくて死ねる。


「侯爵様は初めまして。エルバトス・ミレーです。エレオノーレ、久しぶりだね。姉君とは、以前一度お会いしましたね。その節はろくに自己紹介もできず申し訳ない。」


「・・・いえ、こちらこそ。フラウレン・バッツドルフですわ。」


「フラウレン嬢、とお呼びしても?私のことはエルバトスと。」


正直呼びたくないなぁと思いつつも、仕方なく頷こうとした時、エレオノーレが横から割り込んできて、内心ホッとため息を・・・


「お久しぶりね、エルバトス。今夜はまだ両手が空いているのね珍しい。いつもは綺麗なお花でいっぱいですのに」


ため息、つけなかった・・・!

エレオノーレの毒舌が炸裂する。二人の仲のがどれほどのものかは知らないが、ミレー伯爵のいる前ではさすがにまずいのではなかろうか、とおろおろしてしまう。


「なんと!エレオノーレ様とはすでにお知り合いでしたか!それは話が早い!いや、バッツドルフ侯爵、ここは若い者に任せて、あちらで少し話でもどうですかな?遠く離れている間のお嬢様方の話など、気になるでしょう。」


どうやらエレオノーレの毒舌は気にならなかったらしいミラー伯爵が、愉快に笑う。

何が話が早いのか、気にはなるが、父とミレー伯爵と離れられるのはありがたい。


「娘の話ですか?」


「ええ、ええ!お二方とも、その美しさはマルバラフ王宮中の噂になっとります。特にフラウレン様は先の災害においてここマルバラフに多大なる貢献をされておりましてな!」


「・・・ほう。その話、面白そうですな。」


「そうでしょうとも!被災地にも慰問に来られて、国民を前に躊躇いなく膝をつかれるのですよ。私など生粋の貴族には信じられない話ですがね!その慈悲深いお姿は国民の心を魅了して止まんのです。・・・いや、国民だけではありませんでしたな。」


「ほお。そうでしたか。私の娘はこのとおり珍しいなりをしていますが、メシアの王族の血を引いておりましてね。先祖返りではないかと言われているのですよ、誠に誉れ高いことです。少々お転婆に育ってしまったのがたまに疵ですが、心根の良い方には娘の良さがわかっていただけるようで、親としては嬉しい限りです。」


褒められてるんだか貶されてるんだか、これが貴族の会話というやつかと思いながらうんざりと所在なさげに佇む。

父はといえば、ミレー伯爵と何やら向かい合ってふふふ、わははと腹黒い笑みを交わしている。どうやら冷戦が繰り広げられているようだ。

それにしても、ただの狸・・・ごほん、油断ならぬお人だとは思っていたが、父の威圧にも全く動じず笑顔を見せ続けるなんて、評価を見直さなければならない。


「エレオノーレ!」


考え事をしていたので、父が突然振り返ってエレオノーレを呼んだ時は、自分が呼ばれたわけでもないのにびくりと反応してしまった。


「エルバトス殿と二人で話でもしてきなさい。」


「なっ」


なんでこんなやつと一緒にいないといけないのよ!・・・と顔に書いてあるわよ、エレオノーレ。

けれどお父様に凄まれて、悔しげに口を閉ざすと、行くわよ!っと乱暴にエルバトス様の腕を掴んでヤケクソ気味にこの場を後にしてしまった。

その二人の背中をぼーっと見送っていた私は、はたと気がつく。

この三ショットは苦痛でしかない!と。


「お父様、私もこの辺で・・・」


下手な言い訳にすらなっていない言葉でそそくさと二人から距離を取ると、父はちらりとこちらに気づいて視線を送ってきたが、すぐに話に夢中のミレー伯爵に視線を戻した。

お許しをもらえたようだ。

私は急いで二人から距離を取ると、軽い足取りで色とりどりの食べ物が並ぶ一角へと歩を進めた。

とんだ邪魔が入ったが、ようやく食事にありつけそうだ。


「美しい人。そんなに急いで、何をお探しですか?」


突然、進路の先の美味しそうな食事達が遮られる。

ああ、お腹空いた!

食べ物の恨みは怖いのよ!


「いえ、向こうに友人を見つけたので、少しお話でもと思いまして。」


さすがにお腹が空いていて食事に一直線でした、なんて言いづらい。

けれど、この見知らぬ青年に嘘をついてしまったからには、別れた後すぐに食事するわけにもいかなくなってしまった。

ああ、お腹が・・・


「そうでしたか、それは失礼しました。けれど、どうかご友人とお話しなさる前に、私との時間を頂けませんか?幸い、パーティーはまだ始まっておりません。時間はたっぷりあります。」


爽やかな外見に似合わず、なかなかしつこい方だ。私は思わず顔が引きつりそうになるのを必死でこらえて、笑みをたたえる。


「私などのようにお会いしたこともない人間にお時間を割くなんて勿体無いことですわ。残念ながら、全く面白みのない人間ですから。」


つっけんどんに返せば、青年はきょとん、とした後、上品にクスクスと笑って私を驚かせた。


「いえ、十分に面白い方だと思いますよ。そして、この程度で引き下がるには勿体無い方です。是非、あちらで軽食でも食べながらお話でも。」


青年の言葉に、私は目をパチパチと瞬かせると、徐々に言われた言葉を理解して、顔がカーッと熱くなるのがわかった。

私のことを面白くて、勿体無いだなんて。言われ慣れてないのでとても恥ずかしいが、お世辞でも嬉しいものだ。

そして、軽食を食べながらという、非常に魅力的なお誘い。

ふむ、この青年、侮りがたし。


「で、では。少しだけ・・・」


恥ずかしさで俯き加減に答えると、青年はとても嬉しそうにはにかんで、私に向かって手を差し出す。

私はその差し出された手におずおずと自分の指先を伸ばした。


その時、会場の片隅の空気がざわりと動いた。人々がにわかに色めき立つ。

差し出した指先を思わず引っ込めて目を向けると、今夜のパーティーの主催者達がお出ましになったようだった。


まず登場したのが、マルバラフ国王である。側近と共に、この会場の誰よりも豪華な赤い衣装と真っ白で重厚なマントを身に纏う姿は、大国の王に相応しい威厳に満ちている。

けれど私の目は、どうしてもその後に入場してくる人物を探してしまって仕方がない。


その人は、出てきた瞬間から、美しかった。

どこまでも広く深い夜空に、宝石のように輝く緑の星。華奢に見えてたくましい体には、彼の体躯の美しさを引き立たせる黒い服に、重厚な赤いマント。

その姿はさながら妖精のようでいて、しかし皇太子らしい力強さも感じられた。


なんて、素敵で、遠い人。


一体、彼はどこにいるのだろう。私の手の内か、隣か、はたまた、とてつもなく遠くか。

期待しては落胆する。その繰り返し。

私にプロポーズをしておきながら、今夜は彼の結婚が発表されるのだ。なんて、酷い人。


そんなラファウ様が、ちらっとこちらを見た気がして、私の心はトクン、と脈打つ。

けれど、こんなに遠くにいるのに果たして目など合うものか、と冷静に考える。その証拠に、ラファウ様はすぐに視線を自身の後ろに逸らしてしまった。

そのラファウ様の肩に隠れるようにして登場した人物に、私は、いや、恐らく会場中が驚く。

ラファウ様に手を取られて入場してきたのが、ナディア様でなかったから、ではない。

その御仁の装いが、真っ黒な喪服であったからだ。

首元から手首までぴっちりとボタンが閉められ、頭から爪の先までまるで夜会には相応しくない黒一色。唯一出ている白い手足とヴェールから覗く尖った顎、そして赤い唇が艶かしく、喪服だというのにむしろ妖艶さがにじみ出ていた。着飾れば恐らくとてつもなく美しいだろうと、想像力を掻き立てられる美女である。


その美女はラファウ様に玉座まで手を引かれると、国王の側に設えられた椅子に着席した。その位置と洗礼された所作に、恐らく只者ではないことが察せられる。

だが、人々の関心を他所に、マルバラフ国王はその御仁について一切触れることはなく、淡々と開宴の挨拶をして着席してしまったのだった。


「では、私たちも乾杯しますか」


間近でそう言われて、私ははっと我に返り、ラファウ様に釘付けだった視線を無理やり隣に立つ青年に向ける。


「あ、え・・・と」


これから国王への挨拶をしなければ、とか、あの御仁が気にならないのか、とか、何から言えばいいのか迷っているうちに、青年はいつの間にか手にした二つのグラスのうちの一つを手渡してきて、勝手にチンと軽く当てて一人先にお酒を口にしてしまった。


「殿下に目を奪われるのは女性としては仕方がないのでしょうけどね。最早嫉妬も起きませんよ。でも、たまには目の前の男に気まぐれに一瞥くれてやっても良いでしょう?」


グラスに口をつけたまま、青年が上品に笑う。

本当に、顔に似合わず強引な青年である。

だが、嫌いではない。

私は、くん、とグラスに鼻を近づけて匂いを嗅いだ。甘い果実の香りがする。度数もそれほど高くない、女性が好みそうな種類のお酒である。

私はそれを、軽い気持ちでくっと飲み干した。

うん、やっぱり甘い、けれど甘すぎなくて、ほんのり酸味のあるとても上品な味である。


「・・・はは、これは、驚いたな!」


はっと青年を見上げると、上品ながら、先ほどよりも人間味あふれる顔でくつくつと笑った。


あ、私ったら思わず一気飲みを・・・!


かあーっと顔が赤くなるのを感じた。勿論お酒に酔ったわけではなく、名も知らぬ異性の前で一気飲みをしたことを恥ずかしく思ったからだ。

普段からお酒は結構飲む方だけれど、いつもは誰にも注目されていないと思っていたから、自由に飲んでも咎められたり笑われることはなかった。でも今夜は違う。


「いける口だね。お代わりが必要かな、少し待ってて。」


「あ、いえ、その・・・」


急に口調が親しみやすくなった青年に戸惑いつつも、青年の社交辞令を間に受けることが出来ず断ろうとするが、これまで同様の強引さであっという間にお代わりを頂くことになってしまった。

飲み物を持ったボーイを引き止めた青年は、お酒の入ったグラスを手に取ろうとして、逡巡して私を振り返る。何事かと思ってこてっと首を傾けると、なぜか青年は目を見張って、やがて手のひらで口元を覆った。


「・・・あの?」


「・・・あ、いや。・・・これなんかどうかな?」


誤魔化すようにすんと鼻をすすった青年が差し出してきたのは、あまり見たことのない乳白色の液体が入ったグラスだった。

おそるおそる受け取り、控えめに匂いを嗅ぐ。

嗅ぎ慣れない穀物の香りと、アルコールの匂いがした。


「・・・これは?」


「マルバラフの東の地域で作られている、米という穀物を発酵させたお酒なんだ。他国ではあまり流通していないし、やや度数が高めだから女性はあまり好んで飲まないようだけど。」


・・・お米のお酒!


噂で聞いたことがある。

南の暖かい地方でしか育たないお米という穀物を使ったお酒が存在すると。

それを飲んだことのある友人の話では、癖のある匂いに好き嫌いが分かれるが、なんとも優しい甘さでハマるものはハマる、と。

それを聞いた時、酒好きとしては一度は飲んでみたいと強く思ったものだ。

なに、度数が高いといったって、メシアの蒸留酒には負けるだろう。


遠慮がちにグラスを持つ青年とは裏腹に、私はもう飲む気満々であった。

だが、ここでがっついてははしたない。


「・・・お米のお酒、ですか。聞いたことはあります。後学のために、少し頂こうかしら・・・」


なんて自分で言いながら、わざとらしくないかしら、と内心どきどきである。

しかし素直な青年は、「勉強熱心なんだね」なんて笑いながらグラスを差し出してくれる。

私はそれを内心とてもワクワクしながらも、努めて表情に出さないように、あくまで控えめにグラスに手を伸ばした。

鼻に付く独特な香りに眉をしかめるが、思い切ってこくんと喉を鳴らす。

口に広がる慣れない甘ったるさに、思わず渋い顔をする。


そんな私の様子に、青年がクスクスと笑う。


「ところで、自己紹介がまだだったね。僕はーーー」


「あら、フラウレン・・・様?」


自己紹介しようとした青年の言葉よりも一拍早く、声がかかった。私ははっと横を振り返る。

そこに居たのは、いつもと違わぬ美しい姿を晒すナディア様だった。豪華なドレスを完璧に着こなし、ただそこに立っているだけのはずなのに、漲る自信と気品がその美しさを際立たせている。


そんなナディア様に一瞬見惚れて言葉を発せないでいる間に、ナディア様は私の頭の先から足の先までさっと視線を走らせると、若干その麗しいお顔に妖しさが増した。


「・・・へぇ?」


とてつもなく怖いんですけど!

そもそも、何故ナディア様がこんなところに?殿下はどうした。

今夜はナディア様と殿下の結婚が発表されるはず。なのに何故ナディア様は殿下にエスコートされなかったのだろう。そして一体ナディア様は誰と共にこの会場にやってこられたのだっけ・・・?

もしかして、結婚発表はナディア様ではなく、殿下と共に入場してきた喪服の女性だというのだろうか?確かに、とても美しい女性だと思われる。けれど、結婚発表というめでたい日に喪服を着るだろうか?そもそも、今日が追悼パーティーだとしても、主催者であるマルバラフ国王が着飾っているのに、喪服で出席するというのは非常識極まりない。


私の思考がいつの間にかナディア様から離れているのに気づいたのか気づいてないのかはわからないが、ナディア様は私との、会話をするには遠すぎる距離を縮めることなく、ちらりと王族の座る壇上を見、次いで私の間近に立つ青年を見、そして何かを悟ったかのように少し眉をしかめた。

そんな小さな表情の変化が私の心を大げさに騒つかせる。


一体何を悟ったと言うのですかっ・・・

ぜひ私に教えて下さい・・・!!


「侯爵はあの喪服の女性のことをご存知なのね。だとしたら、メシアの方かしら?」


侯爵とは、父のこと?

私は一瞬眉をしかめる。

なぜ父があの女性のことを知っていると、ナディア様は思うのだろう。

私のそんな疑問が顔に出ていたのか、ナディア様が軽くため息をついて口を開く。


「珍しく貴方が着飾っていることとバッツドルフ侯爵がいらっしゃっていることは無関係ではないでしょう。侯爵がこのタイミングでいらっしゃったと言うことは・・・いえ、もしかして貴方はまだ何も知らされてないのかしら?」


ナディア様の言葉に、私は盛大に眉をしかめた。

ナディア様の仰っていることが全くわからない。唯一わかることといえば、何か、ナディア様はご存知で、私には知らされていない、父の来訪の秘密があるということだ。それが一体、喪服の女性とどういう関係が・・・


私はちらりと壇上の女性に目を向けた。

メシア人と言われれば、そうなのかもしれない。黒いベールから覗く顎先や、服に覆われていない手先は、このマルバラフでは珍しいほど白く透き通っているから。

父と繋がりのあるメシア人なら、私も会ったことがある可能性があるのではないか。

そう思ってもっとよく目を凝らしてみようと思った矢先、ナディア様が更に気になることを言う。


「それにしても、こんなに簡単に引っかかってしまって、私も無関係ではないとはいえ何だかラファウが可哀想だわ。」


「・・・引っかかる?」


「それとも、貴方は無関係?それならとんだ災難ね。」


まるで謎かけのようなナディア様の言葉に、私の頭はパンク寸前だ。

ナディア様の視線を辿れば、私ではなく、その隣の青年を見ていた。

私はぱっと振り返り青年を見上げる。しかし青年は、口元に柔らかな笑みを浮かべながらも困ったように眉を下げ、私とナディア様に交互に視線をよこすのみだ。


「・・・あ、の?」


何かを尋ねようと、考えの纏まらぬままに発した声は、青年かナディア様か、どちらに向けて発したのだろう。自分でも曖昧なまま口を開いたそれを、遮るものがいた。


「ナディア」


優しく、穏やかで、それでいてしっかりとした強さを感じる、男の人の声。

私がその聞き覚えのある男性の声の主を思い出す前に、その人は人影からさっと現れて、まるでずっと前からそうしてきたかのように当たり前にナディア様の細い腰に腕を巻きつけた。


「・・・ローバン」


え、と口からこぼれた。

驚いた。

ローバンが突然出てきたことにも、ナディア様の腰を抱いたことにも、そしてナディア様の口から出た彼を呼ぶ名が、困った様でいて、嬉しさもにじませていたから。

けれど私の呟きは小さくて、少し離れた位置にいるナディア様達には聞こえなかったようだ。

ローバンはこちらには気づいていないのか、ナディア様の耳に口を寄せるとほんのりと笑って何事か呟いている。その距離をナディア様は当たり前のように受け入れて、そして顔をうつ向けながら穏やかに笑った。

そして二人は肩を寄せ合いながら、私に背を向けて歩き出した。去り際にナディア様の意味深な視線を残して。


なんだ。なんだなんだなんだこれは。

あれはまるで、そう、まるで


「オルブライトのご令嬢と殿下の御側近が付き合ってるなんて、知らなかったなぁ」


恋人!そう、それである!

まるで、恋人同士!

でもそんなの、あり得ない!

だって、ナディア様は・・・


思わずぱっと壇上を振りあおぐ。王座に腰掛ける国王と、その側に立って招待客から挨拶を受けるラファウ様。そして、そのやりとりをじっと見つめる、喪服の女性・・・


「入場の時から彼がエスコート役を務めていておかしいとは思ったけれど。僕の記憶ではオルブライトのご令嬢はまだ殿下と婚約していたと思っていたけれど、いつの間にか解消されてたのかな?・・・って、大丈夫??」


思わず顎に手を当てて考え込んでいた私は、青年の声が全く耳に入っていなかった。だから、突然優しく両肩を掴まれ、顔を横から覗き込むように見られて、大袈裟なほどびくりと驚いてしまった。慌てて顔を上げれば、青年の瞳が予想以上の近さにあって、さらにびっくりする。肩を掴まれて逃げることもできず、身をすくめながら目を見開けば、青年も驚いたのか瞳を瞬いたけれど、すぐにそれはすっと細められ、まるで慈しむかのように優しく見つめられてしまったのだった。


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