恋とは傷つくもの
ちょっと息抜きに、軽い読み物を。
両手で足りるくらいで終わる予定です。
私の名は、フラウレン・バッツドルフ。
ここ、マルバラフ王国に隣するメシア王国の、バッツドルフ侯爵家に生まれた3人兄弟の長女である。
世界の北方に位置するメシア人の特徴を遺憾なく引き継ぎ、白銀の髪と雪の様な白い肌をしている。
ちなみに、メシア人の全員が白銀の髪を持つわけではない。黄色が混ざっているものもいれば、赤が混ざっているものもいる。
私の髪は、白銀の中でも特に色素が薄く、銀というよりは白に近い。正直、まるでお婆さんの様で、昔から好きではない。さらに、この細い髪の毛は、手櫛で整えようならたちまち静電気を帯びてクラゲの様に顔の周りに膨らむし、雨が降った日には、湿気を吸った髪の一本一本が好き勝手にくねくねと曲がり出すから、たまったもんじゃない。
公式な行事などで着飾る必要がある場合には、侍女のエリザベートに、香油をたっぷりと使って髪を結ってもらうので、髪が乱れる心配はない。
しかし、私、香油で髪がベトベトになるのはあまり好きではない。
何故って、あなた、周りを見回してごらんなさい。夜会の会場を煌々と照らすロウソクの光が、カーテンで少しだけ遮られたあの窓辺。
確かに、周りの方々は全く気付いておられない様だけれど、遠くからでも注意してみれば何をしてるかなんて丸わかりよ。
何をしているかって?
イチャイチャしているのよ!
額を寄せ合って、うっとりと男性を見上げる女性。男性はそんな彼女が愛しくてたまらない、という様に、細長い節くれだった指で女性の髪を一房取って弄ぶ・・・
羨ましいじゃない!!
香油でベトベトの私の髪を触った男性は、触った瞬間、顔が引きつる。
私だって引きつる。だって私、あの窓辺の彼女の様な、絹糸の様な柔らかい髪で、緩く、自然なウェーブを描いた感じがすごく好みなんだもの。自分もそうでありたい。けれど、現実はベトベト・・・
私は今日も、会場の端っこで1人隠れてため息をつく。
こうして出来るだけ壁と一体化していても、男女問わず向けられる視線が痛い。どうせみんな、このベトベトの髪を心の中で嘲笑っているのだ。もしくは、マルバラフ王国においては珍しい、メシア人特有の白銀系の髪を珍しがっているのか。
でも、私までくると、ただの白髪だけどね・・・
毎度のことながら、コンプレックスの塊で、こうした自分を売り込む夜会に出なければいけないことは、ひどい苦痛を伴う。
しかも私、今まで、容姿以外の礼儀作法やダンス、人との会話は人並みだと思っていたのだけど、つい先日、そのなけなしの自信さえも根底から否定せざるをえなくなったばかりなのです。
ああ、心が折れそう。
ほんと、シラフでなんて、立っていられるはずがない。
私は、自然と溢れる何度目かのため息をつくと、片手に持っていたグラスを口元に当てた。
確か、今夜はまだ3杯目。
グラスの底に残っていた一口を、一気に飲み干す。
度数の強いワインだけど、お酒には強い方だという自覚があるので、このくらい飲んでも全く平気だ。高いヒールを履いていても、まだまだ真っ直ぐに歩ける自信がある。
でも、よく、酔っ払ってないのに酔っ払っていると勘違いされることがあるのは、この白い肌のせいだ。すぐに頬が赤くなって困る。まだまだ飲めるのに。
近くを通りかかったボーイに目配せして、グラスを下げてもらう。と同時に、次のグラスを催促する。先ほどから、少し離れたところで雑談しているご令嬢が手に持っている、ピンク色のお酒が気になっていたのだ。
お酒の力で少しだけ自分のコンプレックスを忘れることができた私は、ボーイににこりと笑いかける。するとボーイも、とてもいい笑顔でにこりと笑い返してくれた。
ああ、接客スマイルなのに、すごく嬉しいの・・・
私のベトベト白髪をジロジロ見ることもなく、始終愛想の良いボーイは、さすがマルバラフ王国主催の夜会に選ばれたボーイだ。
私の容姿、普通だったっけ?って勘違いしちゃうじゃない。
でもね、本当に勘違いするには、あと2,3杯必要なのよ。
だからやっぱり、あのピンクのやつ、お願いね。
ボーイの手持ちにはなかったため、彼は踵を返してお酒を取りに行ってくれた。その後ろ姿を何とは無しに眺めていたら、そのボーイの向こう側から、視線を感じて、焦点を合わせると、見慣れた無表情と目があった。
どくん!
胸が大きく脈打ち、同時に寒気を覚えた。
な、何だか、怒っていらっしゃる・・・?
私は思わず視線を逸らし、肩をすくめて抱き寄せた。
しかしすぐに、この態度は彼の身分に対してあまりにも失礼だと思って、すぐに視線を戻す。
しかし、当の本人はすでに、何事もなかったかの様にこちらから視線を外していた。
いや、別に私のことを見てたとも限らないし。
私と彼の間には、これだけ多くの人がいるのだ。彼と目があったなんて、私の勘違い、思い込みも甚だしい。
それでも私は、両手で軽く肩を抱きながら、かの人を観察した。
黒、いや、限りなく黒に近い紺色の髪は、まるで夜空のようで、彼の物静かな印象と相まって、とても上品だ。今は遠すぎて見えないその瞳は、宝石のように煌びやかな濃い緑色をしている。
今夜の服装は、彼の瞳と同じ、深い緑色のジャケットにズボン。金の刺繍で縁取られ、とても煌びやかでいて、上品さに溢れている。肩にかけられたマントは、赤。派手すぎない、とても落ち着いた色と、落ち着きながらも何者にも負けない光沢を放つ、赤。これも金の刺繍が惜しげもなく施され、とても重そうであるが、とても軽々と着こなしている。あの細身のどこに、そんな筋肉が付いているのだろう。もしかして、着痩せするタイプなのかしら。
殿下、今日も、とても素敵・・・
私なんか、隣に立つどころか、到底足元にも及ばない。
なのに!
なんと、ごめんなさい。私、彼と付き合っていたりします。
細かいことはまた今度・・・というか、私にもよくわからないのだけれど。
毎回ドキドキして、何を話したかもうろ覚えで、彼は彼で、あまり感情を表に出さないタイプなので、告白めいたものを聞いた覚えもない。
あれ?付き合ってないのかしら??あれ??
とにかく、私が彼に、恐れ多くもマルバラフ王国第一王子のラファウ様に、惹かれてしまっていることだけは確か。
そして、何故か殿下も、私のことを気にかけてくださる。そして、はっきりとした告白はないものの、なんとなくお互いに、付き合ってるような関係になっていることも、多分、事実。多分・・・
そんな殿下は現在、熱い視線を送ってくるご令嬢と対峙中。
少し黄色味がかった白銀の髪は、まるで凍てつく寒さの中、朝もやに差し込める太陽のようで、こめかみから一房垂らされた髪は、柔らかく、緩く波うっている。
あれ、香油は一切塗っていないのに、髪の毛は1本も跳ねないし、艶と柔らかさを両立しているのだ。姉妹なのに、ここまで違うものか。
そう、殿下に熱い視線を隠すことなくバンバン送っているあのご令嬢は、まごうことなき私の2歳下の妹、エレオノーレ・バッツドルフである。少し前に、過去の私と同じく、16歳の社交デビューと共に母国メシアよりこのマルバラフに留学してきた。
ここで少し説明すると、我が母国メシアは、男性社会のマルバラフ王国とは異なり、男女共に爵位を継ぐことが可能である。また王位も然り。現在は、フィン女王による治世が行われている。
そのため、爵位を持つ貴族は、女性であっても、必要とあらば他国を渡り歩き、経験を積むことも珍しくない。
我がバッツドルフ侯爵家には、私たち姉妹の上にしっかり者の長男がいる。おそらくその兄が、爵位を継ぐものと思われる。が、私は兄に不幸があった場合の保険として、己を磨くことを求められた。そんな者たちの格好の留学先が、メシア王国の南方に接する、マルバラフ王国である。
マルバラフ王国は、和平を重視する現在とは異なり、過去様々な人種の様々な国を占領し、吸収してきた歴史がある。そのためマルバラフ王国には、国をまたがずとも多岐にわたる文化や歴史、言語などの生きた知識を効率よく得ることが可能なのである。
ちなみにメシア王国は、一年の殆どを雪に閉ざされた、資源の乏しい小国である。が、故に過去の長い歴史の中で、戦火を浴びることなく、自国の血を濃くしていった。
で、問題は私の妹、エレオノーレだ。
マルバラフに留学することは、本人の自由であるし、侯爵が認めたならば私にも文句はない。
しかし、あからさまに殿下に媚びるのはいかがなものか。彼は、私のなのに。多分・・・
まぁ、殿下と恋仲であることを侯爵に伝えてない私にも非があるけれど。
いやいや、しかもだ!
先日、名のある貴族のご令嬢たちを差し置いて殿下を独占することに対して、苦言を呈したときのことだ。
小さな顔に、バランスよく配置されたパーツを小さく歪めて、自分がいかに他の令嬢より優れているかを論理的に説明してきた。ちなみに他の令嬢とは、姉であるこの私も含む。
なおたちが悪いのは、エレオノーレの言い分が、本人の強がりではないことだ。彼女は、先に留学した私と離れていた2年の間に、自らを完璧に仕上げてきた。容姿、学術的知識、話術、その他諸々。
完璧だった。留学なんて必要ないほどに。
これが何を意味するかって?
エレオノーレの留学の目的が、自国の繁栄のための知識、経験の吸収ではないということ。そして、こんな優秀な妹を持つ私が、留学し続ける意味がなくなるということ・・・
これまで持っていたなけなしの自信を、完膚なきまでに潰された私が、もうこれ以上、この国にとどまる理由も、ましてや社交の場に出る理由もない。
なのに、なぜ毎回寂しい思いをして、壁の花になってまで参加しているかといえば、それは、ただ一つ、忙しい殿下のお姿を、一目でも見られる貴重な機会だからに尽きる。
私よりもずっと殿下の近くで、その美しさを振りまくエレオノーレを見ていられなくて、私はしゅんとうな垂れた。
急に、目頭が、熱い。
でも、泣くものか。なにも取り柄のない私だけれど、これ以上自分を貶めることはしたくない。
泣くまいと、眉間に力を入れて自分の足先を睨んでいたら、その視界の端に、男性ものの靴の端が現れた。そのつま先は、明らかにこちらを向いたままで止まっている。
今、このタイミングで。誰とも話したくないのに。
そう思うものの、無視するのも気がひける。
私は、努めて眉間の力を抜きながら、ぎこちなく顔を上げた。
視界が少しぼやけていたが、どうか気づかないで、と念じながら。
見上げた先には、見たこともない男性がいた。鳶色の前髪を後ろに搔き上げ、露わになった額には、優しげな眉と、その下に、たれ気味の瞳があった。
なんというか、可愛いのに、やけに色気のある男性である。
その見たことのない男性は、私の顔を見て少しびっくりしたようだった。
まさか涙目になっているとは思わなかったのだろう。
というか、本当にこの方誰なのだろう。まさかどこかでお会いした・・・?
心の中で軽いパニックになりながら無意識に傾けた首に、私の心の動揺を察知したのか、男性は気を取り直したように瞳に弧を描いた。そして、グラスを持った片手を私の前に差し出した。
あ、ピンクの!
男性の後ろにさっと目をやれば、先ほどお酒を頼んだボーイが、少し困ったような笑みを見せて、去って行った。
もしかして、私が俯いて声をかけられないような雰囲気だったから、遠慮していてくれたのだろうか。そしてボーイの役目を、このたれ目の男性が代わりに引き受けてくれたのだろうか?
そうする理由はわからないが、それ以外にこの状況を説明するものも浮かんでこなかった。
私は気を取り直して、たれ目の男性をまっすぐ見上げた。
「ご親切に、ありがとうございます。少しお酒に酔ってしまった様で。」
本当は、全く酔ってないけれど。でも、顔に出るタイプだし、頬はピンクに染まっているだろうから、嘘とも思わないだろう。
そう思い、へらっと笑うと、たれ目の男性が目元の弧を一層深くした。
「そのようにお見受けいたして、このグラスをお渡しするか否か迷っていたのですが・・・このように可愛らしい方だとは、やはり声をお掛けして正解だったようだ。」
うん?結局どういう意味かしら?
お酒、貰って良いのかしら?
曖昧に笑いながら、とりあえず、差し出されているから取っちゃおうかしら、と右手をグラスに伸ばすことにした。
しかし、指が届く前に、そのグラスは何者かの手によって、横からかすめ取られてしまった。
口をぽかんと開け、右手を不自然に前に伸ばしたまま、グラスの動きを目で追う。細長い指に摘まれたグラスは、私の左上方に無駄のない動きで持ち上げられると同時に、ゆっくりと傾けられた。中のピンクの液体が、重力に従い、グラスの縁に引き寄せられてゆく。そしてごくん、という音がして、あっという間に消えて無くなってしまった。
開いた口が塞がらなかった。
私のピンクのお酒が・・・
じゃない!
「で、殿下!」
いつの間に!?
周りに人が大勢いることなど忘れて、思わず大きな声を出してしまってから、はっと気がついた。折角私、壁の花だったのに!
手のひらで口元を覆う。
そんな私を、殿下はお酒を流し込んだ体制のまま、ちらりと横目で一瞥した。
その瞬間、私の鼓動がどくん!と大きな音を立てて飛び上がる。
口からな変な声が出そうになって、慌てて両手で口を覆った。
しかし殿下が私を見たのは一瞬で、すぐに私の前にいるたれ目の男性に視線を移した。
殿下の顔は現れた時からずっと、無表情だ。
私といるときは無表情なことの方が多いけれど、このように、不特定多数の人が集まるところでは珍しい。いつも上品に笑ってせっせとファンを増やしているというのに・・・!
「可愛いご令嬢を、さらに酔わせてどうするつもりかな、エルバトス。」
殿下の口から、抑揚のない声が発せられる。
夜会には似つかわしくない、硬い声に、私の頭はさっと冷えた。
どういうわけだか、この場があまり好ましくない雰囲気になっている。殿下は意味もなくこういったことをなさる方ではない。私が気づかぬうちに、粗相でもしでかしていたのだろうか。
とにかくこの場は、下手なことを言わない様に冷静に頭を働かせなければ・・・
そう思い、私は殿下とエルバトスと呼ばれた男性を、さりげなく観察した。
「ラファウ殿下、それは違います。私はこのご令嬢が少しご気分がすぐれない様だったので、介抱を申し出ていたところなのです。」
殿下を前にしてそうにっこりと笑ったエルバトスは、かなり肝が据わっているとみえる。
私の眼の前で、堂々とウソ言ってますよ、この方。
「このご令嬢は、メシア王国からの大切な預かりものだ。貴公に任せるにはいささか心もとない。」
殿下も結構厳しいことを仰る。
私は少しハラハラしながらエルバトスを盗み見るも、彼は全く気にした様子が無く、寧ろ楽しそうにニヤニヤと口の端を上げていた。
なんだろう、このお二方はもしやお友達か何かなのだろうか?
普通仲の良くない相手に対して、きつい言い方はしない、わよね??
殿下は相変わらず無表情で、エルバトスはニヤニヤと笑って、お互い無言で見つめ合っている。
その隣に立っている私は・・・
すごく目立っているんですけど・・・!!
なんてことだ!このままでは、これまで壁の花と化してきた努力が、無になってしまうではないか!
早く殿下から離れなければならない。私が殿下の側で目立つことは、2人の関係を公にしたくない殿下にとっても好ましくないはずだ。
ではなぜ、殿下はわざわざ私に近づいてきたのか?それは・・・
・・・そうか、エルバトスが殿下のお友達だからか。
私の中に、答えがストンと落ちてきた。
殿下は別に、私に近づいてきたわけではない。お友達のエルバトス、いや、エルバトス様とお話がしたくていらっしゃったに違いない。では私がすべきは、何か口実を見つけて、この場をそっと去ることだ。
あぁ、でも、何だか胸が痛い・・・
心臓をさらしか何かで締め付けられている様だ。なぜ・・・
動けずにいる私に、殿下が目を向けられた。そして、その美しい緑色の瞳を大きく見開いて、瞬かせる。
どうして驚いてらっしゃるのかしら?
でも、そんなお顔も、素敵。
折角久しぶりに間近で見られたのに、なのに、もう去らなければならないのは、とても辛いわ。
何か気の利いた退出の挨拶をしようと思って、一つ瞬きをした。
そうしたら、突然、雨が降ってきた。
・・・ってそんなわけないじゃない。
ここは室内、雨なんて降るはずない。
だとしたら、頬に落ちてきた水滴は・・・?
気づくと同時に、さぁっと顔から血の気が引いた。
この大注目の中、殿下の前で、
泣くなんて!!!
もう私の頭の中はぐっちゃぐちゃだ!
すごいピンチすごいピンチすごいピンチ!
頭の中でカンカンと警報が鳴り響く。
どうしよう、何か言わないと。この場を誤魔化せる何かを。早く、殿下のお立場を悪くしてしまう前に、早く!!
それでも口をパクパク開けたり閉じたりさせるのが精一杯で、もう全て投げ捨てて走り去りたいと思い、ずりずりと、後ずさったその時だった。
まだ目を見開いて固まったままの殿下の背中から、ご令嬢がぴょこっと顔を出した。
淡い淡いクリーム色の髪の毛。
エレオノーレだ。
エレオノーレは、私を見て、次いで殿下をちらりと上目遣いで確認して、パチパチと瞬きさせた後、また私に目を向けた。
出来損ないを相手にする様に、ふぅ、と鼻で息をついて、ゆっくりと、殿下の横を回って私の前に歩み出た。
そして、この場に似つかわしくない明るい声で、しっかりと周りに聞き取れる様に喋り出したのだ。
「あらやだ、お姉様ったら、またお酒を飲み過ぎてしまったのね?お姉様は泣き上戸なんだから、飲むのは家だけにしてねって、あんなにお願いしたのに、困った子ねぇ。」
はぃ!?
妹の発言にびっくりして固まっている間に、出来の良い妹は、「この場で泣いてしまうなんて、最低5杯は飲まれたでしょう」とか、「でも良かったわ、まだ序盤だったのね」などとあることないこと言いながら、テキパキと、殿下に別れの挨拶を言い、私の腕に手を絡めて、その場を退場してしまった。
それまで呆気にとられてエレオノーレになされるがままだった私は、会場の、笑いを含んだざわめきが遠ざかる頃にやっと我に返った。そして、腕を組んで先導するエレオノーレの体を引き止めた。
「誰が泣き上戸よ!もっとマシな言い方あったでしょう!?ああ!もう恥ずかしくて絶対人前に出られない〜!!」
頭を両手で覆った。ものすごい羞恥心と後悔で今すぐ消えてしまいたい・・・!!
「あら、助けてあげたんだから、感謝してほしいくらいだわ。あのままだったら、ラファウ様に泣き落としで近付こうとしたと勘違いされて、リンチされるところだったのよ?それに、半分は事実でしょ?」
事実?いや、まだ3杯しか飲んでなかったわよ。
が、泣き落としだなんて、全く不可解な思考回路とリンチという言葉に寒気がしてぶるっと震えた。
悔しいが、エレオノーレに助けられたのは事実なので、ぐうの音も出ない。
私はエレオノーレをじとっと睨むにとどめた。
そんな私の視線など意にも介さず、エレオノーレは楽しそうに笑って私の腕を再び引っ張った。
「5杯で泣き上戸はさすがのラファウ様もドン引きかもね!エルバトス様においては手のかかる小娘を引っ掛けようなんて、もう思わないのではないかしら?」
な、なんて子だ。私の株を下げることも忘れてない。私、こんなままでは本当にエレオノーレに殿下を取られてしまうわ。しっかりしなくては。
それにしても。
「エレオノーレはエルバトス様をご存知なの?殿下のご友人なのかしら?」
私の質問に、エレオノーレは足をぴたりと止めて、こちらを振り返った。可愛い顔が、私を馬鹿にするかの様に歪んでいる。
「はぁ?・・・あの殿下が、自ら喧嘩売ってたっていうのに、何をどうしたらそうなるのかしら?」
私が首をかしげると、エレオノーレは深い深いため息をついた。
や、やめて、なけなしのプライドが、ずったずたになるから。
「エルバトス様は、結構有名な方よ。夜会においては、特にね。お姉さまはだいぶ危なっかしいから、あまり近づかない方がいいわ。」
私が危なっかしいというのは納得できない。なんせ、毎回壁の花で、警戒心が半端ないと自分でも思うから。
でも、夜会で有名な方って、名誉あることでは決して無いと思う。
うん、気をつけよう。
そう、エレオノーレの忠告を素直に聞き入れた私は、腕を引っ張るエレオノーレに付いて歩きながら、その後ろ姿を眺めた。
しっかり者のエレオノーレ。
強くて、ちゃっかりしてて、でも気品は失われなくて、朗らかさも兼ね備えている。こんな素敵な女性、他にいるだろうか。
私、彼女に勝てる気が全くしない。
「ねぇ、エレオノーレ。あなたは、殿下のどこが好きなの?」
少し戸惑いがちに聞いてみれば、エレオノーレはくるんと振り返って、当然のように言ってのけた。
「顔と身分。」
私は思わず固まって、それ以上、何も言えなくなってしまった。
しとしとと、長い雨が降っていた。
雨はそれほど嫌いでは無い。
湿気で髪の毛が広がるのは困るけれど、外に出なければ気にならないし。
それよりも、花が生き生きとして、力を溜め込んでいる感じや、姿は見えないけれど、このいたるところに生き物たちが隠れて生きているのだと思うと、私の存在なんて、大きな大きな命のうねりの中の、チリの様なものであると感じる。
ゆえに、私の悩みなど、とても馬鹿らしくてちっぽけなものだ。
マルバラフ城の庭は、例え王族の居住エリアから離れていようとも、そこらの貴族の庭よりも立派だ。しかも、センスが良い。
留学に際して、当初は王都の何処かに家でも借りる予定でいたが、他国侯爵家の留学生ということで、王城への滞在を勧められた。マルバラフにとってはなんの利益も無いような話で、初めこそ断ろうとしたのだが、手元にいた方が監視がし易いと、そう言外に言われ、納得した。
しかし、どんな窮屈な生活が待っているのかと思いきや、いざ住んでみればほとんどの自由が与えられ、意外と快適に過ごせており、今は感謝しか無い。
私は、自室の窓辺に備え付けられた木のベンチに座って、開け放たれた窓辺から腕を出した。冷たい雨が心地よい。濡れるのもそのままに、もう一方の腕を窓枠に置いて、その上に頭を預けた。ぽたぽたと、雨の落ちる音が眠気を誘う。
あの夜会の次の日から、雨はずっと降り続いていた。おかげで私も、外に出なくて済むので、大変ありがたい。
人の噂も75日と言うけれど、ずっとずっと、降り止まないでくれたらいいのに。
殿下とも、会っていない。というか、会いたく無い。どんな顔をして会えばいいのか、わからない。
まぁ、そもそも、頻繁に会える程、殿下は暇な人では無いし。
でも、そうね、遠くからお姿を拝見するだけならば、良いかもね。でもやはり、他人に見つかりたく無いから、暫くは部屋から出る気は無いけれど。
それから幾日か、私は本当に部屋にこもって過ごした。都合の良いことに、雨はなおも降り続いている。
けれど、少し心配なのは、窓から見える庭のあちこちに、大地に吸収できなくなった大きな水溜りが現れ始めたことだろうか。
雨は恵みをもたらすが、長引く雨は時として大切なものを奪う。
こんこんと、扉を叩く音が聞こえた。
おそらく、先ほどお茶の用意をしてくると言って出て行った、侍女のエリザベートが戻ってきたのだろう。
私は扉を見もせずに、入る様促した。
腕の上に頭を乗せて、雨をぼーっと眺める。
何をしているんだろう、私。
もう、本当に、メシアに帰るべきなんじゃないかしら。
「怠惰が過ぎますわ、お姉さま。」
はっきりと、声がして、私はびくっと肩を震わせた。振り返ると、今日も綺麗な妹のエレオノーレが、凛と立っている。
「エレオノーレ・・・」
私は、その強い瞳を見返すことができなくて、思わず床に視線をずらした。
「・・・・・・。お姉さま、私、最近殿下の執務室に呼ばれることが多いのですよ。とても私を気に入っていただけた様で、留学してきた甲斐があったというものですわ。」
私は少しびっくりした。男女の差なく才あるものは登用されるメシアとは違い、マルバラフは男性が権力を持つ。そんなマルバラフの王位継承者の執務室に女性が入るとすれば、それは後の王妃か側妃ととられかねない。
殿下は、頭の切れるお方。それを承知でエレオノーレを招くということは、すなわち殿下が本気であらせられるということだろう。
私は、エレオノーレに対して、小さく、そう、と返事をした。
何を今更悲しむことがある。薄々わかっていたことだ。エレオノーレには勝てないって。
それでも、胸の奥底から、悲しみの海が膨れ上がり、みるみる水位を増していく。
だめ、このままでは、溢れ出してしまう。
私は慌てて、エレオノーレに部屋から出て行く様に伝えようとした。しかし口を開く前に、エレオノーレはずかずかと歩み寄り、私の前で立ち止まる。その顔は、とても怒っていた。
「この、馬鹿!」
そう言って、両手で私の顔を挟んでパチパチと叩いてくる。
「馬鹿、ばかばかばか!あれしきのことで部屋に閉じこもってばかりいるから、心までじめじめ腐っていくのよ!」
仮にも姉を馬鹿って、ちょっと、痛い、や、やめて。
「お姉さまの意気地なし!そんなのでラファウ殿下を手に入れようだなんて、100万年早いわ!私に負けるのだなんて、当たり前だわ!」
「や、やめなさーい!」
両頬が痛くて、思わず叫んだら、エレオノーレの両手がぴたりと止まった。
「そ、そもそも、私が殿下を手に入れようだなんて、そんなわけ・・・」
「いや、此の期に及んでバレてないと思ってる方がおかしいわよ。」
エレオノーレにじとっと睨まれて、ひいっと肩をすくめる。
「そ、そもそも!あなたは何のために留学してきたの!?まさか殿下のためだけに、侯爵家の貴重な財産を使ってるわけではないでしょうね!?」
「あーら、お姉さま、それ、私に言えたことかしら。お姉さまの留学の意義が崩れてきているのは、お姉さま自身わかっているのではなくて?」
私は眉を寄せた。図星だ。痛いところを突いてくる。
「そもそも、お姉さまはねぇ!昔から人が良すぎるのよ!侯爵家のために幼馴染の婚約者を振って留学して、そして今度は妹のために好きな人を諦めるの!?私、お姉さまのそういう傷つくことを恐れて戦いもしないところ、昔から大っ嫌いなのよ!!」
エレオノーレは興奮して、大声でまくしたてた。私は、反論するどころか、エレオノーレの言葉が胸にぐさりと突き刺さり、言葉を詰まらせた。
傷つくことを恐れて、戦うことをしなかった。
そう、その通りだ。戦ったところで、負けるのは目に見えている。だから、戦うことから逃げて、己を守る。
それの何が悪い。
でも、エレオノーレは一つだけ間違っている。
私が守るのは、なけなしのプライドだけだ。それは、私が私であるための、最後の砦のようなもの。
傷つくことは怖いが、それだけが嫌で逃げているわけじゃない。
現に今、逃げることで得た傷は、簡単には修復できないほどに、胸を深く抉っている。
「別に、あなたのために、殿下を諦めるわけじゃ、ないもの。」
自分の口から出た反論にもならない声は、思ったよりも小さかった。この、意気地なしめ。
それでも、この声を拾ったエレオノーレは、尚も大きなはっきりとした声でたたみかけてくる。
「あらそう!じゃあ、何故逃げるのよ!ちゃんと、真っ向から勝負しなさいよ!この卑怯者!!」
卑怯!?私がいつ、卑怯なことをした!何も知らないくせして!
「あなたにはっ!何でも持ってるあなたにはわからないわっ!私の気持ちなんて!私なんて、沢山いる蟻の1人、踏まれたら簡単に潰れる蟻の、1人なの!!こんなのが、王太子妃だなんて、務まるわけが、、殿下の、お側に、なんて・・・、王国の、民のために、ならない・・・っ!」
最後はもう、嗚咽で、自分でも何を言っているのかさっぱりで。
こんな情けない姿は、肉親にだって見られたくなかった。
私は、涙でぐちゃぐちゃになっているだろう顔を両手で覆って、エレオノーレの横をすり抜け、乱暴に扉を引いて外に躍り出た。
扉の前には、目を見開き固まったエリザベートが佇んでいた。側に茶器があるところを見ると、部屋に入るに入れなかったのだろう。申し訳ないことをした。
けれど今、彼女を気遣う余裕はない。
私はエリザベートから顔をそらし、廊下を走り出した。行く当ては無い。けれど、とにかく、どこか、1人になりたかった。
殿下、ほぼ出番なし。
次回はイチャイチャする予定です。