マジック・トリック
「今からこの檻の中にいる人を消し去ります。ワン、ツー、スリー!」
その言葉通り視界から消えると、客の表情が変わった。
笑顔を浮かべる者、疑う者、嘲笑する者。
楽しみ方は人それぞれだが、芸という手前、目の前の奇怪な現象を素直に楽しんでほしい。
「以上、高橋さんのマジックショーでしたー!皆さん大きな拍手を!」
盛大な拍手を全身で受け止めて、やりきったと感じる。
ショーが終わって身支度をしていると、スーツ姿でサングラスをかけた女性がやってきた。
恐らく面識はなく、先ほどの観客のなかには居なかったはずだ。
戸惑っていると、驚くことにその女性はいきなり鋭利なナイフを取り出し、こちらに突き出した。
それは作り物には見えなかった。本物だ。
「な、何を」
「あなたにはある所に付いてきてもらいます」
淡々とした口調でその人は言った。
断れば、おそらく刺されるだろう。答えはイエスしかない。
「わ、分かった。とりあえずそのナイフをだな…」
すると後ろから足音が聞こえた。
振り返る暇も無く、強引に目隠しと口にガムテープを張られ、手を後ろに縛られた。
抵抗する力も度胸も無く、そのまま車に乗せられた。
殺されるのだろうか。家族にもう一度会えるのだろうか。
不安と恐怖が私を支配する。それはトランプのようにコントロールすることはできなかった。
恐らく後部座席に乗せられただろう。前の方から声が聞こえる。
「それにしてもあんなにうまくいくとはな」
男の声だった。どこかで聞き覚えがあった。今度は女の声がした。
「ええ、びっくりしたわ」
そこからはこの道を真っ直ぐだとかいう道案内しか喋らなくなった。
しかし、不意に男が「触らないように注意しろよ」と言った。
「着いたわ。降りて」
男に車から投げ出された。その時鼻を強打し鼻血が出た。地面は芝生だ。おそらく誰かの別荘か。
そんなことを考えていると口のガムテープを無理やり剥がされた。
「おい、ここはどこだ」
勇気を出して叫んでみたが、返答はなかった。
そして鼻血をポタポタと垂らしながら頭を鷲づかみにされて引っ張られていった。
「痛い痛い痛い痛い!」
ようやくその痛みから解き離れたと思うと、椅子に強制的に座らされた。
すぐさま冷たい感触が頬を撫でた。刃物だ。
ああ、殺されてしまうのか。私は深く絶望した。
その刃物は私の顔を傷一つつけずに離れていった。
すると女の声がした。
「今から五つの質問に答えてもらいます」
続けて今より強い口調でこう言った。
「一つでも答えなかった場合」
酷いことに、その後は口を閉じた。
バラバラにされるのだろうか。家族に危害が及ぶのだろうか。
今度は男の声が聞こえた。
「一つ目な。お前の職業はなんだ?」
なんだ?こちらの情報は知ってはいないのだろうか。
まあ、特に隠すようなことじゃない。
「マジシャンだ」
すると、「へえ」と軽く受け流された。
「二つ目。家族は居るか?」
その時、背筋が凍った。正直に答えるべきか。
知っていないのなら黙っておくべきか。
しかしもし知っているなら嘘だとばれる。
もしそうなれば…。
頭がパンクしそうなくらい悩み続けた。
「おい、早くしろ」
思考を大声でピシャリと遮断された。
一応、いや……いや、正直に言うべきだ。
「居るよ…妻と子供二人が」
返答は、
「おう、知ってる」
だった。
ため息を吐く暇も無く男はまた質問をしてきた。
「三つ目、その家族に伝えたいことはあるか?」
やはり殺されるのだろうか。逃げ出したかった。
しかし手は縛られ目隠しをされている状態で抵抗をするのは不可能に近い。
だったら、死ぬ前にこういった状況に陥っている原因を知っておきたい。
意を決して、男にこう尋ねた。
「その前に一つ聞きたい。お前は誰だ?」
しばらく沈黙した後、男が近づいてくるのを察した。
やってしまった。殺される。
素直に質問に答えておけばよかったのだ。
私は昔からいつもこう重要な場面で失敗する。
目の前に男が来た。すると目隠しがとかれた。ゆっくりと顔を見上げると、驚愕した。
「俺だよ。高橋だよ」
あいつだった。今日のマジックショーで競演した高橋だった。
現場で会ったばかりの付き合いだ。恨まれるようなことはした覚えがない。
「早く答えろ」
私は少しばかり考えてから、
「パパのせいでごめんな、と伝えてくれ」
と言った。すると高橋は一瞬繭をしわ寄せた。理由は分からない。
「四つ目。この女を覚えているか?」
顔写真を見せられた。覚えていた。
今の私の妻の前に付き合っていた女性だ。
いや、前ではない。同時に、だった。
それを思い出した瞬間全てを察した。
「ああ、景子だ」
そして今、男の後ろにいるのも景子だ。
そう、私は妻と結婚するまで景子と浮気していたのだ。
当時私はアルバイトで食いつなぎ、傍らマジシャンをしていた。
しかし、営業先で何かしらミスを犯して評判は下がるばかり。
そんな中、今の奥さんはずっと支えていてくれた。
それなのに私は、マジシャン仲間と合コンをしてしまった。
私は、クズだ。
景子と出会ったのはこのときだ。そう、彼女もマジシャンだ。
「最後の質問だ。この子の名前を知っているか」
また顔写真を見せられた。幼い男の子だった。
だが、分からなかった。
これも私に関係あるのだろうか。
「すまん、分からん」
そう言った瞬間、高橋は激昂した。
「俺と景子の子ども。そう信じていたがお前の子なんだよクソ野郎!」
景子がしばらく閉じていた口を開いた。
「そうよ。あなたと私の子供よ」
私は絶望した。
愚かな過ちを悔いた。
死ぬことが償いかもしれない。
「いっそ殺してくれ」
高橋は言った。
「そのつもりだ」
「さあ、立てよ」
私は言われるがままに立った。
そして高橋と景子の背中を追った。
「ここがお前の墓場だ」
外に連れ出され、高橋が指を指す方向を見ると、ショーで使った檻があった。
なんて皮肉だ。これでこの世から消えるのか。
「さあ、入れ」
いや、この世からは消えない。
この場から消えてやる。
「俺に近づくな!」
私は高橋のジーパンの後ろポケットからこっそり盗んだナイフを盾に逃亡を図った。
「くそったれが!」
高橋はまた声を荒げた。
私はずり足で少しずつ下がり、十分な距離を取って走り出した。
すまない。そう、私は、クズだ。
急いで誘拐された時に乗せられた車へと向かった。
放り出された際、鼻を強打して出た鼻血を目印に。
そして、見つけた。すぐさま乗ってエンジンをかけ、勢いよく走り出した。
森の中でドライブを楽しんでいると、シートの下に何かがあるのに気がついた。
すると助手席に置いてあった小型のトランシーバーから声が聞こえた。
「トリックに引っかかったな」
次の瞬間、車は大破した。高橋が「触らないように注意しろよ」と言ったのはこの爆弾だったのだ。
そう、私は昔からいつもこう重要な場面で失敗する。
END