03話.村娘ミリー
扉が閉まり、どれだけの時間が経ったのだろう。
青空の澄み渡っていた空は、いつの間にか薄っすらとオレンジがかっていた。
おもむろに両手の袖を掌まで伸ばして、瞳に溜まった雫を拭う。
(まだ最初の1人目じゃない、あたしが自由になったらって、皆が皆自由になってるなんて都合のいい話はないよね…。
それでも、村に1人くらい他にも自由になった人が、いるかもしれないもんね!)
自分自身の心の中で、自分に向かって言い聞かせるミリー。
涙を拭った瞳は、薄っすらと赤く腫れ上がっていた。
そんな、気合を入れたミリーを、待っていたかの様に、1人の男がその場にやって来た。
背は高く、茶色い短髪で、彫りの深い顔立ち。
一重の瞼を隠す様に、瞳辺りで切りそろえられた前髪とは裏腹に、襟足の髪は短かった。
赤っぽい茶色い髪が、夕陽に透けて赤みを帯びている。
その右手には釣竿が握りしめられていて、小さな魚を2尾、糸に吊るしていた。
左手には、僅かな野菜類の入った袋を持っている。
ミリーは初めて目にしたその姿に少し戸惑ったが、それは今までこの時間にこの場所を見た事が無かったからだと判断した。
それでも、少し違和感があったが、この男性には見覚えがあった。
そう、さっき話をしていたフェリーシャの夫であるアーサだ。
もしかしたら、アーサは自由なのかもしれない。
だからミリーが泣き止んで、気合を入れるのを待っていてくれたのかもしれないという、淡い期待を胸に、ミリーはアーサに話しかける事にした。
その言葉は、先ほどフェリーシャに言った言葉と同じものだった。
「ミリーって言います。
アーサさんたちのお隣の家に住んで居るの。
私の事を知っていますか?」
期待に満ちたミリーの瞳は、段々と曇っていく。
それは、その後の展開を、理解することが出来たからだ。
ミリーに話しかけられたアーサは、ミリーに視線を合わせて、笑顔で話しかけてきた。
「僕はアーサだよ。
今からこの食材を、愛しのフェリーシャに調理してもらうのさ。」
そう、嬉しそうに喋るアーサだが、目はまるで笑っていなかった。
--本当に、誰かに操られているのではないか?
--人に見える魔物なのではないか?
--実は人形ではないか?
次々と疑問が頭の中へと押し寄せてくる。
そんな頭の中の疑問を振り払う様に、ミリーはプルプルと頭を振った。
悲しげに瞼を伏せて、ミリーはアーサへと視線を合わせる。
「それはとっても楽しみですね!
それじゃ、あたしは失礼します!」
言い終わるなり、頭をぺこりと下げて、その場を後にする。
ミリーには分かっている事だった。
だけど、心では分かっていなかった。
もしかしたら…を期待することで、自分の心が傷ついてしまう事に。
--心が、心が痛いよ--
ギュッと胸元を両手で握りしめながら、ミリーは自分の家の中へと駆け込んで行った。
大陸アルーファの外れの、ローシャ村の外れ。
そこには、こじんまりとした可愛らしい木の家があった。
家の隣には、小さな畑。
痩せた畑には、イモ類とハーブが植えられていた。
玄関には、彩り様々な小さな花を咲かせた花壇があり、その光景はまるでお伽話の中の建物の様。
そんな可愛らしい建物の中へと、駆け込んだミリー。
そう、ここはミリーの家なのです。
ミリーは家に駆け込むなり、壁際にある干草のベッドへと飛び込んだ。
ミリーが飛び込むと、その振動で干草が軽く飛び散る。
そして、ハーブが埋め込まれた干草のベッドからは、ハーブと干草の良い香りが部屋一面に広がった。
「痛い…。」
そう言いながら、ミリーは干草のベッドに頭を埋める。
胸から喉元までを、何かが襲いかかってくる感覚が、何なのかミリーには理解することが出来なかった。
(なんでこんなに、苦しいんだろう…。)
そうしてだんだんと、ミリーの意識は薄れていったのです。
…チュンチュン…。
鳥のさえずりが聞こえてきて、むくりと起き上がるミリー。
重たい瞼をこすり、目を開くといつの間にか、辺りは木漏れ日で溢れていた。
心地の良い草木の匂いがする。
(いつの間にか、寝てたのね…。)
そう理解するまでに、時間はさして必要ではなかった。
ミリーはベッドから降りると、扉まで向かって歩いて行く。
扉を開けると、太陽の光が眩しくて、思わず手で目を覆っていた。
そのまま水場まで歩いていき、顔を洗う。
重たく腫れ上がった瞼に、冷水が染み渡るのを感じた。
顔を洗うと、頭がすっきりしてきたのか、昨日の出来事を思い返していた。
隣の家のフェリーシャとアーサは、元には戻っていなかった事。
憂鬱になるが、その事は仕方ないと割り切るしかない。
ミリーは暫く立ち尽くし、ゆっくりと流れる雲を眺めながら、自然に体を委ねた。
自分の髪を揺らし、頬を優しく撫でる風や、暖かく降り注ぐ太陽に全身がリラックスしていくのを感じる。
そうして、心が落ち着くのを待つと、来た道を戻って家の中に入っていった。
ミリーには、やらなくてはならない事があるのだ。
その為にも、先ずはローシャ村の住人たちの中で、自由になった人がいないか、確認を取らなければならない。
軽く食事をとり、干したお芋を大きめの葉っぱで包みこむ。
木で出来た水筒の中に、ハーブティーを注ぎ入れて、葉っぱで包んだお芋と、水筒をポシェットに入れた。
これで今日1日を使って、村人たちの確認をする準備は万端だ。
そうして、ミリーは扉に手をかけて、軽く考え込む。
流石に歩きで、村人たちに会いに行くのは、骨がおれること間違い無い。
皆が皆、家に居たとしても、小さなローシャ村は、家と家の距離は離れていて、全部の家を周るのに時間がかかることは目に見えていた。
それに、全員が家の中にいるなんてことはありえないのだ。
昨日のアーサの様に、何処かに出歩いているかもしれない。
そうすると、行き違いになって、全員に話しかけるまでに、一体どれだけの時間を必要とするのか考えものだった。
それをしたとして、今日だけで済む訳がないのだ。
それでも、ミリーには1つ考えがあった。
それをするには、今の格好では色々と問題が有ることに気づいたミリーは、視線を扉から脚にずらし、自分の今の服装を見る。
浅草色の、ふんわりとしたミニスカート。
歩く度に、ミリーの太ももがスカートの裾から、顔を覗かせる。
これからする事を考えると、とてもじゃないが、恥ずかしくて、顔が赤くなる。
ミリーは扉から離れて、クローゼットの所まで行くと、1つの藍色のロングワンピースを取り出した。
それは、フリフリとレースが付いていて、スカート部分はボリュームがある、可愛らしいワンピース。
ミリーのお気に入りのワンピースである。
うきうきと、そのワンピースに着替えると、スキップしながら扉を開けて外に出る。
大好きなワンピースを着て、嬉しくなってくる。
今まで、決まった服だけを着て、決まった行動しかとれなかったのだから、好きな服を着るだけでも、笑顔になるのは必然と言えた。
そうして、スキップをしていた足を、トンッっと軽く、真上に向かって浮かせる。
心地の良い風の中に、ミリーはいた。
久しぶりに空を飛んだミリーは、楽しくなってきて、その場で少しくるくると飛び回る。
随分と久しぶりに空を飛んだが、それは当たり前の事の様に、しっくりとした。
虹色の天災以降は、このローシャ村の村娘となっていたミリーだったが、昔は有名な魔法少女だったのだ。
魔法少女から、村娘へとジョブちぇんじすることとなったミリーだったが、その力は虹色の天災以降、ゆっくりと村娘の中へと呑み込まれていっていた。
だが、自由となった今、魔法少女だった時の力は解放されたのだ。
こうして、これから村人たちに会いに、空を飛び回るミリーの姿が、あったのです。