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名前もない人の話

みんみん、と。

作者: 東 元弓

夏は嫌いだ。



押し付けるような、蒸し暑さや日差し。

上を目指して争うように咲く草花。

極め付けは、ガンガンと頭に響く蝉の声。



どれもこれも、自分が一番だと言うかのように激しく主張している。



夏休みだからといってはしゃぐ奴らも気にくわないし、テレビですらそんな奴らを囃し立てるようにおすすめスポットなどを紹介している。


あんなごみごみした場所に行ってなにが楽しいんだか。



「やっぱ、夏はクーラーが効いた部屋でダラダラするのが一番だよなー…」


俺は一人でそう言った。


クーラーの効いた職員室で、片手間に仕事をしながらテレビを見る。



世間では『学校の先生って長い夏休みがあっていいね』と言われるが、新任の俺にはそんなものほとんどない。


長期休みの日直では一日中学校にいなきゃならないし、ほぼ毎日研修だなんだといろいろな場所に行かされる。

それに、休みの間でも気が抜けない。

自分のクラスの子どもが何か起こせば、学校にも苦情が入り、謝りに行かなければならないこともある。


「なんで、この仕事選んだんだろ……」


まあそれでも、この暑い中をひたすら歩き回されるサラリーマンよりはいいのかもしれない。



そう考えて自分を慰めていると、玄関のインターホンがなった。


「はいはーいっと……」


返事をしてから、インターホンに近づいてボタンを押す。


来校者の相手をするのも、日直の仕事だ。


「はい、どちらさまですか」


一応、よそ行きの声を出して応対する。


カメラに映っているのは、男の子だ。

だが、この学校に通っているような小学生ではなく、大学生くらいの青年だった。


「あの、お忙しいところすみません。少し学校を見学したいのですが」


「えーと、お名前は?ご連絡いただいてましたかね?」


「連絡はしていません。9月からこちらの学校で教育実習をさせてもらう者です」


「ああ、なるほど」


9月からの実習生の話は聞いていた。

おそらく、下見にでも来たのだろう。


「良いですよ。右のドアから入って下さい。あ、あと職員室に寄ってくださいね」


「ありがとうございます。おじゃまします」


カメラの前でペコッと一礼してから、青年は枠の外に消えた。


それにしても、真面目な子だなと思った。

自分が実習生の時はどうだっただろうか。

数年前のことであるのに、ほとんど思い出せなかった。

なんにせよ、彼のように下見などはしていなかったと思う。


「失礼します」


自分の中に記憶を巡らせていた時、入り口から声が聞こえる。

そこにはカメラに映っていた青年が立っていた。


夏らしく、涼しげな白のポロシャツとくるぶし上あたりまでの青いズボン。

染めたことのなさそうな黒い髪の毛は耳にかからないほどで整えられている。

現代っ子らしく長めの足と、薄い体つき。

背の高さは自分とあまり変わらないのだが、ひょろっとした印象をうけた。


「あの……」

「あ、ああ。いらっしゃい」


ジロジロと眺めてしまった俺に、青年は声をかけた。


「実習の下見?案内した方がいいかな」

「いえ、大丈夫です。卒業生なので」

「ああ、なら自由に見てもらっていいよ。物とか動かさないでもらえたら。僕はここから動けないから、帰りにまた寄ってくれる?」

「わかりました。20分ほどで戻ります。ありがとうございます」


青年は、綺麗な姿勢で頭を下げて職員室を出て行った。


「……………」


実習生ということは、大学三回生か4回生だろう。

それにしては、ずいぶんと落ち着いた雰囲気だった。

もう少し学生らしく、ワクワクしたり緊張したりした目をしていてもいいのではないだろうか。


俺は廊下の向こうに消える青年の後ろ姿を見て、なんだか物足りないような気がした。


「……………」


ミーンミーンミーンミーン。


そしてまた、意識の向こうに遠ざかっていた蝉の暑苦しい鳴き声が戻ってきた。



☆☆☆




「失礼します」


かけられた声に振り向く。

先ほどの青年がこちらに頭を下げる。


「どうしたの」


職員室を出て行ってから、まだ10分ほどしか経っていない。

もう、見るところは無くなってしまったのだろうか。

そう考えるとなんだか悲しい気持ちになる。

確かに卒業生なら、目新しいところはないかもしれない。

しかし自分の勤めているここに魅力がないと言われている気がして悲しく思った。そして、そんな自分に驚いた。


嫌だ嫌だと思ってはいたが、結構この仕事とこの場所には愛着を持っているらしい。


青年は俺がそんなことを考えているとは知らず、尋ねてくる。


「昔、正門のところに大きなしだれ桜があったと思うんですが」


「ああ、あれね」


「もう……なくなってしまったんですか?」


「確か、数年前に伐られたって言ってたなぁ」


「そう、ですか…」


俺の言葉を聞いた青年の顔に、初めて年相応の表情が浮かんだ。


友だちと会えなかったような、寂しげな顔。

大きな黒目が潤んでいるような気がして、俺は矢継ぎ早に付け足した。


「あ、えっと、なんかもう弱ってきてたとかなんかで。しだれ桜だからね、子どもらが枝とか引っ張るんだよ。門のところにあるのはどうかって、保護者から言われてね。だから……」


「……そうなんですか」


さらに落ち込ませてしまったらしい。

青年は肩を落とした。

がっくり、という音が見えそうなほどだ。


「いいんです。変わらないものはありませんから」


俺の動揺が見えて心配させまいとしたのか、青年は少し微笑むとそう言った。



変わらないものはない。


それはそうだ。

時間は流れる。なにもかもが変わっていく。

その流れは止められない。



でも。


それでも。



「ありがとうございました。お忙しいところ、失礼しました」


青年はさっきと同じ綺麗な姿勢で頭を下げ、出て行こうとする。


俺はとっさに叫んだ。


「変わっても、続くものもあるよ…!」


青年が振り向く。

驚きを隠せない顔で。


「………だから、もうちょっと期待してもいいんじゃないかな」


君の未来を。

これからを。


「…………」


青年は驚きの表情のまま、沈黙している。

我ながら、かなり恥ずかしいことを言ったと思う。自分の顔が暑くなっていくのを感じる。

同僚に話したらからかわれそうなセリフだ。


でも、青年は優しく微笑んだ。


「………はい。そうします」


晴れやかな顔。

俺の言葉は届いたのだろうか。


「そ、そうだ!しだれ桜なら、中庭にもあるよ。まだ小さいけど」


俺は赤くなっているであろう顔を隠すように、振り返った。


職員室の一つのドアは中庭に繋がっている。


「ほら、こっち」


歩き出す俺のあとを青年が付いてくる。

来客用のスリッパの音がやけに大きく感じた。


「えっと、あれだ」


中庭を見渡せるガラス戸から、桜の枝が見えた。

まだ俺の腰ほどしかない、小さな木だ。


「もしかしたら校長が、校門の桜を挿し木したのかも。切ってしまうのに反対してたから」


確信はないが、ありえなくもない。

桜の挿し木は難しいと聞くが、出来ないこともないのかもしれない。


「……………」


青年は俺の横に立って、その小さな木を黙ってじっくりと見た。


「同じ木かはわからないけど、確かにしだれ桜だよ」


青年と同じように桜を見ながら、俺は言った。

彼は桜の枝に何かを探すように眺めていた。


そして小さくつぶやく。


「………同じです」


「え?」


「あの、しだれ桜です」


青年は嬉しそうに笑った。


なぜ青年にはわかったのか。

もしかしたら、同じだと思いこもうとしているだけなのかもしれない。


でも、その笑顔は今までで一番年相応のものだった。


「そっか。よかったね」


「はい」


俺の言葉に応える声も、心なしか弾んでいるようだ。


「本当にありがとうございました」


青年は深々と頭を下げた。

俺はその頭にふと、聞いてみた。



「あのさ、なんで教師になろうと思ったの?」


それは、自分自身への問いかけでもあったのかもしれない。

俺にもこの青年のような頃があったのかと思うと、聞いてみたくなった。


青年は俺の顔を見て、はっきりと言った。



「約束、したんです」



その声に、外の音が少し遠くなるような気がした。


「また、ここに戻ってくるって」


《お前、似合いそうだよ。ガッコの先生》


青年の声と重なって、頭の奥で声が聞こえる。


「だから、学校の先生になりたいんです」


《なれよ。約束な》


遠い昔の約束。


「そっか。約束ね……」


青年はもう一度頭を下げると、今度こそ職員室から出て行った。


俺はその背中を見送ってから、中庭に目をやる。


「そんな約束、忘れてたっての」


約束したあの人は、怒るだろうか。

それとも、笑い飛ばすだろうか。



変わるもの。

続くもの。

自分にも、そんなものがあった。



「一応、なったよ。ガッコの先生…」



蝉の声はうるさく、ギラギラした太陽の光が鬱陶しい。

夏は好きになれそうもない。


だが、新学期は少し楽しみになった。


「さて、仕事しますか」


あの青年が同じだと断言した桜が、少し揺れている。


まるで、手を振るように。


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