妖精の取り替え子
その島には、黒髪と緑の目のひとたちが暮らしていました。ひいひいおじいさん、ひいひいおばあさんの時からずーっとそうでした。そして時々「妖精の取り替え子」が生まれることもありました。
島の北半分は恐ろしく鋭い岸壁がずーっと続いていて海鳥がいっぱい飛んでいました。
魚はなだらかな砂浜のある南側の方が良く獲れるので島のひとは南側に住んでいました。
まだ肌寒い季節で空は毎日うっすらと灰色でした。
少年は北側の岸壁の斜面で水平線を眺めるのが好きでした。といっても、家のものから用事を言いつけられないために隠れていただけなんですけど。
よく母親は少年に言いました。
「子供には妖精がついていて、麦の実だって子供が手伝えばたわわに実るし、魚だって子供を船に乗せて網を引けばいっぱい取れるし、子供がいるってことだけでその家は豊かになるんだ」
だから下手すると朝から晩まで家の仕事と外の仕事と休まず働かせられるのでした。
少年は家族の目を盗んでこうやってすばしっこい足で逃げ出すと、北側の斜面に腰掛けて日が暮れるのを待つのです。
少年には友達がいました。島のひとは妖精の取り替え子だと教えてくれました。みんな黒髪で緑の目なのに、その子だけ金髪で青い目なのでした。白い肌にそばかすが浮いた女の子でした。
けれど、その子のお父さんはこの北側に暮らすおじいさんにその子を預けてほったらかしていました。なぜなら、妖精の付いてる子供は幸福を呼ぶけれど、取り替え子はいたずらをして家が傾くと信じられていたからです。
女の子はいつもぼろぼろの服を着て何にもしないでぶらぶらしていたから、少年はとてもうらやましく思っていました。女の子を養っているおじいさんは変わったひとなのでこの子を引取ることにしたのだと思いました。
おじいさんが北側の岸壁に伝い降りて海鳥の卵を集めている間、少年と女の子はいろんな話をして暇をつぶしていました。
「お前、いいよな、いろんなことなんだかんだって手伝ったりさせられないんだもんな」
少年はいつも女の子にそんな事を言いました。女の子は笑いながら答えました。
「オレも手伝いたいんだけど、村に近づいちゃなんねってじっちゃんに言われてっから、しかたないんでぶらぶらしとるんだけど、ちっとはきのこやらもいだりもしてるん。ただじっちゃんに言われてしたんでないんし勝手に自分でしてるん」
「独りで寂しくないのか」
「ううん、じっちゃんがいるし、昼は海鳥がいるし、夜はいろんなもんがオレの近くにいてくれて、退屈しないん」
「どんなものが側にいてくれるのさ? 妖精の親とか?」
すると、女の子はにっこりと笑いながら答えました。
「海の精とか海馬とかだ。オレに帰ってこいっていっつも言いに来るん」
男の子はそれを聞くと、女の子に帰ったらいしないよなと尋ねました。女の子はただ笑うだけで男の子の質問に答えてくれませんでした。
女の子の喋り方はおじいさんの喋り方そのまんまでした。だから時々おかしくって少年は笑いました。女の子は不思議そうに見つめるけれど、それだけでした。
冬が近づいてくると作物の刈入れはすっかり終わって、島のひとたちは総出で漁に出ました。
もちろん少年も駆り出されました。
長い冬の漁から帰ってくると、島に知らない屋敷が出来ていました。島に残っていた女たちが新しい領主様だと教えてくれました。
前の領主様は別の島に住んでいて年に一度贈り物を持って挨拶に行けば良かっただけでした。今度の領主様は男達のいない冬場にやってきて急いで兵士たちに屋敷を作らせたのでした。
銀の甲冑をつけた馬に乗って、領主様は島を見回りました。美しいビロードの服を着て豊かに黒髭をたくわえた若々しい領主様でした。
島の娘たちは領主様が通る度に後ろを追っていきました。
ある暖かい日に少年と女の子が北側の斜面に座って話していると、南側のほうに銀の馬が見えました。あの若い領主でした。しばらくそのまま少年たちを見ていましたが、くるりとどこかへ行ってしまいました。
月日がたって、少年も大きくなって、女の子も同じくらい大きくなりました。女の子は相変わらず金髪で青い目で白い肌でした。そばかすは薄くなって、取り替え子だとしてもたいそう美しくなりました。
ある時、女の子が少年に声を弾ませて言いました。
夜になると南側の崖の上から女の子を呼ぶ声がすると。それは月が昇って傾くまで続くのだと。まるで霧に霞んだ声のようではっきりと聞こえないけれど、確かに女の子を呼んでいるんだと。
少年は不安になって女の子には内緒で月が昇るころ、南側の崖に行きました。
まわりは崖と海の境目も見分けられないほど暗くて、少年は腹ばいになって声を待ちました。
待ちくたびれてうとうとしたころ、「おーい・・・」と声がしました。声は確かに南側の崖の斜面からします。けれど声の主はまったく見えません。声だけが暗闇のなかで響いています。時折、キラキラと銀色に輝くものが宙を揺らめいて、そこから声はしているのでした。
何度も何度も声は呼びつづけます。
そして、とうとうカンテラの光が暗闇の奥から現れて、ゆっくりと銀色の声の方に近づいていくのを少年は見つけました。
少年は勇気を出して駆け出し、大声で言いました。
「あの子をつれて行くな!」
少年の声にカンテラが揺れ、銀色の光が石を蹴って飛び退りました。月の光がキラキラと輝く蹄鉄を照らし、銀色の声は去って行きました。
カンテラはしばらくそのまま揺れていましたが、やがてまた暗闇のなかへ戻っていきました。
少年はカンテラを見送ると斜面を登って南側にある自分の家に戻りました。
それから何度も少年は北側の斜面で女の子に会いましたが、あの夜の事は黙っていました。
少年が布団に包まってぐっすりと寝込んでいると、真夜中に部屋の木戸を叩くものがいます。少年は不審に思いましたが、そっと木戸を小さく開きました。月の光だけの暗いなかに、取り替え子の女の子がたっていました。
「こんな夜中にどうしたんだ」
少年が訊ねると、女の子は笑いながら答えました。
「オレ、明日遠い所に行くことになったんだ」
「遠い所って?」
「オレの国だって、じっちゃんが言ってるん」
「妖精の国に帰るのか」
「うん、だからお前に言いに来たん」
「帰ってくるのか」
少年は寂しくなって聞きました。
女の子は笑って言いました。
「今度は妖精に戻って帰って来るん、じゃあ、またな」
女の子は暗い夜のなかに溶けるように駆け込んであっという間に見えなくなりました。
「またな」
少年は女の子に聞こえているかどうかわかりませんでしたが、大声で呼びかけました。けれど、返事はありませんでした。
少年はそれから何回も北側の斜面に行きましたが、女の子には会えませんでした。おじいさんに声をかけてもじろりと睨まれるだけで何にも答えてくれませんでした。
しばらくして、島のひとたちの間で、月の明るい晩に北側の崖の縁をぴょんぴょんと取り替え子が跳ねるという噂がたちました。月の光が金色の髪に照りかえって宙を飛んでいるようで怖かったと見たものは語りました。
まもなく取り替え子を生んだ家は新しい羊を何頭も買えるくらいに裕福になりました。
妖精になった取り替え子がやっと幸福を親に持ってきたのだと島のひとたちは言いました。
そしてこの島の領主も美しい娘をお妃に選びました。金色の髪に青い瞳の、あの女の子によく似た娘でした。
男の子は輿入れの行列を島人の群れる間から眺めて、そう思いました。
今も少年は月の明るい夜になるとあの女の子が訪ねてくるんじゃないかと信じているのでした。