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---すぐ、帰ってくるから。
そう言って一緒に暮らしていた恋人の彼が幼馴染のあの娘の為に隣町へ行って一月ほど経った。
恐らくもう帰ってくるつもりはないのだろう。
あの娘は可愛くて、守ってあげたくなるような子で。リシルは反対に素直じゃなくて可愛くも無くて。きっと彼女といることを選んだのだろう。
リシルの恐怖や怯えを何か分かった上で、受け入れて欲しいと言ってくれたのは彼だったのに。
寂しくて、裏切られたような気がしていたのは最初の方だけで。リシルの中にはもう諦めしかなかった。
ぼんやりとそんなことを考えながら、リシルは目の前に座る騎士に了承の意を込めて頷いた。
「本当に良いのか?」
依頼に頷いたというのに、騎士は嬉しくなさそうだ。
まあ、本来であれば全く関係のないリシルを巻き込む事には元々反対のようだったから。
「ええ。私が姫様の身代わりとなり、この身に宿る焔の力を捧げましょう」
微笑を浮かべて告げるリシルに、苦々しげな表情で騎士は感謝の意を述べた。
この世界には特殊な力を持った人間がいる。
それは火であったり水であったり、癒しの力であったりと様々な力である。
リシルは火の能力の中でも、爆発的に強大な力である焔の力を持っていた。
リシルの暮らすこの国で問題が起こったのはつい先日の事であった。
国の礎とも呼べる《龍の石》が突如として氷に包まれてしまったのである。
《龍の石》はこの国の守り神である龍神そのものだ。それが氷漬けになってしまったということは、今この国を守る神は何らかの理由で深い眠りについており、この国を守る力を持たないということだ。
氷漬けになってしまっていることから、火の能力者に「氷を融かせ」と命じたが、火の能力者では全く歯が立たず、氷は解けなかった。そのため、火より強い焔の能力者に氷を融かせと命じようとしたところが、この国にいる焔の能力者は二人しか存在しなかった。この国の姫とリシルである。
火の能力者が何人がかりでも氷が融けなかったため、焔の能力者はその力を最大限まで使う必要があるだろうと言われた。
姫は自分がやると言ったが、問題は姫の体が弱いことだった。氷を融かす前に彼女の体が限界を迎えてしまう。
そこでリシルに依頼と言う名の命令が下されたのだ。
依頼を了承した翌日、騎士がリシルを迎えにきた。
「親しい者と話は出来たか?」
小さな荷物を一つ持ったリシルに騎士が問いかける。彼女は首を横に振った。
「私には大切な人がいませんから」
リシルの言葉に騎士はその整った顔を歪めた。彼女の話は全て聞いていたから。
「そんな顔をしないで下さい。……荷物は全て持ちましたので、行きましょう」
騎士は目を見開いた。その小さな手荷物で全てだと?
声には出さなかったものの、その思いに気付いたのかリシルは苦笑した。
「これさえあれば、私は何処でも生きていけますから。…………それに…」
「……それに?」
リシルは口ごもった。ここで騎士に聞かせるようなことでもない。
「いいえ、何でもありません」
生きていられる保証はありませんから、なんて言う必要はない。
《龍の石》が安置されている聖域に足を踏み入れると、空気はひんやりと冷たかった。恐らく、《龍の石》が氷漬けになっていることが関係しているのだろう。
「この荷物を預かって頂けますか?」
「ああ」
騎士は手荷物を受け取ってくれた。
「私に何かあれば、好きなようにしていただいて構いませんので」
騎士は何だか嫌な予感がした。これではまるで――――。いや、考え過ぎだろうか。
「焔の能力者の君なら大丈夫だろう。……終われば、何か美味いものでも食べに行こう」
儚く見えた彼女に、何か約束をしてあげなければならない気がして。騎士はそう口にしていた。
「有難うございます。是非、美味しいものを食べさせてくださいね」
嬉しそうに笑んだ彼女にほっとした。
そして氷を融かす場に一緒にいて欲しくないという彼女の言葉を尊重して、騎士は繋ぎの通路で彼女が安置場に行くのを見送った。
優しそうに、そして儚げに微笑う彼女の表情を見るのが最後になるとは思いもせずに。
終わった後の食事と、彼女との未来を想像して、ただ、彼女が出てくるのを待った。
7/9 一部分書き加えました。