08 夏休
全滅の翌日。
各自がWikiや攻略サイトを確認したところ、ワームの巣穴は一階層や地下二階層までが第四エリア到達時点では適正らしく、第三階層以下は、第五エリアへ進むほどのレヴェルになってから攻略するものであるという。
つまり、あのピット・フォールは完全なデス・トラップであり、助かったと思わせたあとの二番底というわけだ。
トップ・ギルドやらで、大食いワームが倒せるようなチームならば、レトロ・ゲームにおけるダスト・シュートのように、エレヴェータのひとつとしてあつかっているのかもしれない。
しかしヨシュアたちにとっては、回避すべき難所のひとつだったというわけだ。
事前の情報収集がかぎりなく重要であることと、勢いにまかせた行動はたいへん危険であるということを、身をもって知る教訓となった。
岩と鉄の町・トゥエズを拠点としたヨシュアたちは、でてきたワーム狩りに躊躇をしなくなったという成長もあり、いまでは鉱山をメインの狩り場としていた。
ユーザーズ・クエストというプレイヤーがだした依頼をプレイヤーが解決するというシステムを用いて、野良の鍛冶師ひとりを随伴し、護衛がてら出てきたMOBを狩ってアイテムと経験値をがっつり稼ぎ、依頼料までもらえた上、鍛冶屋との縁もつくれるというナイスなおまけつきである。
これにより、すでにパーティの装備はワン・ランクのアップ・グレードを終えており、ヨシュアとクロモリは甲殻ワームの外殻にすら刃の立つ攻撃手段を手に入れた。
もっとも防御に関しては、金属装備をするのはクロモリだけだったので、ヨシュアは裁縫師を探すため、街中を奔走することになったのだが。
いまは必死になってあたりをかけずり回り、未踏破マップを埋めながら、細々と鉱山と街を往復する毎日であった。
義明の入学した高校の登校日は、よそと比べるといささかはやく、八月六日である。
今日はその前日――八月五日であり、義明はまったく落ちつくこともできず、あれこれと集中を散らしては、なにをするでもなく時間を浪費していた。
ひさしぶりで学校へ行くということが、どれほどの勇気を必要とし不安であるか、長期入院を経験したことのある人ならばわかるだろう。
もしも足が自由だったのならいまごろ部屋をうろうろと歩きまわり、机などを掃除し、無駄に本棚をきっちりと並べ替え、ベッドのシーツを交換していたにちがいない。
「ううう」
実のところ、下品なはなしになるが、義明はストレスで腹の具合がよくなかった。はっきりいって壊していた。
自身の部屋と交換した父の書斎がトイレに近いことは、不幸中のさいわいだった。でなければ亀のスピードで歩く義明は、途中でとりかえしのつかないことになるかもしれなかったのだ。
時刻はもう夜なので、眠って起きたらもう学校へ行くことになる。それを考えただけで、
「うぐ。またおなかが」
ぎゅるぎゅると、うめいてくるのだった。
翌朝。
日枝義明はほとんど眠れずに一夜を過ごした。
目覚し時計の音でしかたがなく張りついたまぶたを開き、仰向けになった上半身を起こすのだった。
「ぜんぜん眠れなかった……」
目の下には、うす黒く隈がついている。
からだはどこか重く、気分を反映したようだ。
「はあ」
入院中はあれほど学校が恋しかったのに、いざ行かなければならないとなると憂鬱な気分になる。
現金なものだと義明は自嘲した。
しかし、そうしていても仕方がないので、のらりくらりとベッド横の棚に置いてあった制服にひさしぶりで袖をとおすのだった。
四月以来に着た制服はどこか寸足らずで、知らずに成長していたのだな、という感慨を抱かせた。
「はあ。行くか」
気分は這いずるなめくじのように、義明はダイニングへとむかうのであった。
TVから放射される情報は熱射病で何人倒れただとか、滑舌のよくないアナウンサーがどうでもいいことを垂れ流している。
時刻をちらりと見れば、七時をすこし過ぎたばかりである。
「おはよう。父さん、母さん」
「おう。おはよう、義明」
「おはよう。朝ごはんできてるからね」
すでにスーツに着替えた父・義弘と、朝からてきぱきとはたらいている母・明子のすがたがあった。
食卓のうえには、トーストとトマト・サラダ、ベーコン・エッグが並んでいた。椅子に座ると、明子がそこへ一〇〇パーセントのオレンジ・ジュースを置いた。
「ありがとう。いただきます」
オリーヴ・オイルに刻んだイタリアン・パセリとレモン果汁、塩、コショウを混ぜた自家製ドレッシングをかけて、義明はフォークをトマトに突き刺した。
旬らしい甘酸っぱいたっぷりの旨みをと堪能しながら、ベーコン・エッグにはしょうゆを足らす。ごはんだろうとトーストだろうと、しょうゆを使うのが日枝家のならいであり、義明にも受け継がれたものだ。
トーストは半分に割って片方にバターを塗り、もう半分にいちごジャムを塗り、デザート的な食べ方をする。これはどこかのTVで見て真似たもので、日枝家は関係ない。
最後にオレンジ・ジュースを飲んで口をリセットし、満足な朝食を終えた。
「ごちそうさまでした」
「おそまつさまでした」
と、言いながら明子は食器を片付け、さっさと洗ってしまう。
腹が満たされて憂鬱はいくぶん軽くなったようで、義明はようやく覚悟が決まった。
「そろそろ行くか」
そういうと義弘は外へ出て、ヴァン・タイプに買いかえた車にキィを差しこんでひねった。
モーターが起動し、しずかな音が周囲に響いた。
義明は車いすに乗りかえて、気分を引き裂くように勢いをつけて玄関へむかう。
「いってきます」
「いってらっしゃい」
母の声を背にし、外へでた。
夏とはいえ早朝の日差しはおだやかで、すごしやすい。
これが九時ぐらいにもなると、暑くて、暑くて、冷たいものが恋しくなるほど気温があがるのだ。
「これぐらいがずっと続けばいいんだが」
手で日の光を遮りながら、義弘はつぶやいた。
義明がなんとか助手席にたどり着くと、車いすを折りたたんでトランクに収納し、義弘は運転席まで戻ってくる。
「いくぞ」
「うん」
スウィッチを入れて疑似エンジン音を動作させ、眉をひそめながら義明は発進した。
通学路はさほど混むこともなく、全体的にはなめらかといっていいほど快調な速度で学校へ着いた。
周囲の学生から、なにごとかと注目されているが、しばらくして義明が助手席から車いすに座りかわると、得心がいったようだ。
四月にそんな事件もあったね。というのが、彼らの反応であろう。
いままで注目されるような人生を送ってこなかった義明にとって、好奇の目に晒されることは気持ちのいいことではなかった。
すこしばかり胃がしくしくと哀しんでいる。
やっぱり、こない方がよかっただろうか、などと思ってしまうのだ。
「じゃあ。父さん、行くからな。なにかあったら、すぐにメールしろよ」
「うん。いってらっしゃい」
そういって義明のあたまをなでてから車に乗りこみ、義弘は行ってしまった。
周囲からの絡まる視線を断ち切るように義明は、もう半年以上くぐったことのなかった校門をくぐるのだった。
最近の学校はバリア・フリーが一般化し、スロープなどの設置が当たり前になっている。
もしもこういったことがなかったら、義明はそのありがたみを一生知らずにいただろう。
知らずにいる方が幸福なのかもしれないが、経験しなければわからないことは以外と多い。
校舎は三階建てで、二年生の教室は二階にある。
その前にまず職員室へ行って、担任になったという教師を話をした。
それからスロープを使って二階へとあがり、まだ一度も入ったことのない教室――二年B組へ入ったのだった。
もう十数人の生徒が居て、義明が入っていくと、視線はそこへ注目する。
当然だ。義明もそれがじぶんでなかったら、目を注いでいただろうことは容易に想像できる。
しかし、実際に話しかけてくるやつはすくない。一年生のころから仲良くしていた友人ではなかったし、二年生になってからは仲良くしようなどなかったからだ。
しばらくして桃坂と石橋が来るまで、義明はちらちらと盗むように見てくる視線に耐えなければならなかった。
「よう、日枝。この前からすこし、日に焼けたか?」
「うぃーす。まだガリガリじゃん。ちゃんと食ってっかー?」
ようやく、針のむしろから抜けだした気分なのだった。
「おはよう。石橋、桃坂。動けないから、あんまり食べないようにしてるよ」
「そうか。脂っぽいものじゃなけりゃ、いいんじゃないか?」
「そーそー。まずは食って、もどしてからでいーんだって」
和ませてくれる彼らの存在は、義明にとってほんとうにありがたかった。
しばらくして教師がやってきた。
ずいぶんとはやいことだがやってきた課題の提出など、多少のやりとりの中に、日枝義明が二学期から復帰する旨が含まれていた。
前に出させられ、義明は柄にもなく緊張しながら挨拶などをしたような記憶がある。
しかしその内容は、真っ白に染まったあたまにはなんの書きこみもされておらず、後日、思いだすことはできなかった。
ことが終わると、生徒たちは二週間ぶりの再開など、会話に花を咲かせていた。
義明も、幾ばくか話しかけられ、愛想笑いを交えながら、なんとか会話することができていた。
話しかけてくれた生徒たちのやさしさに感謝しつつも、すでにできあがってるクラス関係に割りこむ居心地のわるさはいかんともしがたい。
石橋と桃坂も、各自クラスメイトとの再開をよろこんでいるようだった。
どうしようもなく佇んでいると、クラス委員長らしき女生徒が、声をかけてきた。
「こんにちは。日枝くん」
「こ、こんにちは。えーと……?」
「クラス委員長をしている、来島夕花と言います」
「来島……さん。ええと、ご丁寧にどうも。なんの用でしょう?」
まったく話しかけられる思いあたりがない義明は、あたまのなかが大混乱を起こしていた。
クラスの和を乱すような異分子だからだろうか。などと、ネガティヴな発想だけが大立ちまわりをしている。
目の前の痩せ型で長い黒髪をした少女は、それがおかしかったのか、くすりと微笑んだ。
「緊張しなくてもいいですよ。ヨシュア」
――は?
疑問は氷解し、なかから新たな疑問が思い浮かぶ。
「その名前で呼ぶってことは、PWOプレイヤー。だけど、え?」
「寂しいですね。忘れてしまったのですか?」
じぃっ、と、つめたい視線が義明を射貫いた。
目の前の少女には見覚えがない。だが、その特徴的な氷点下寸前の視線には見覚えがある。
「くるしま、ゆうか……ユーカ……ユーガ?」
そんな安直な、と思うのだが、その連想は的を射ていたようだ。
「ご名答。思いだしていただいて光栄です」
来島夕花と義明が親しげに会話していることは、クラスメイトの興味を引いた。
「なになに。委員長、友だちだったの?」
「友だち……そのようなものです。PWOというゲームはご存じ?」
「あー、アレね。じゃあ日枝もプレイヤーなんだ?」
「うん。ちょっと前から、はじめたんだ」
「へー。俺もVRカフェでやってるよ。小遣い足りなくなりそうだけどな」
などなど、PWOというツールを用いた会話で、義明の感じていた壁のようなものは、取り払われた。
しばらく会話をすることで、溝が埋められていく。
わざわざ話しかけてくれた夕花に、義明は足を向けて寝られないのだった。
そうしているうち、教室のドアががらりと開かれた。
「こんちはーっす。義明いる?」
月木まひるであった。
「いますよ」
答えたのは、なぜか夕花である。
「お、夕花もちーっす。このあとメンバー集まるんだけど、義明もどうかなって誘いにきたんだ」
「ああ。その要件をはなすのを忘れていました」
といって、ふたりは義明を見てきた。
「へ?」
「あれ。言ってなかったっけ? わたしたちのパーティは、学校の友だちでつくったんだ」
まひるがドアからどくと、背後にはもうひとり背の高い女性と、髪をつんつんに逆立てた男子学生と、まだ身長が一七〇センチを超えていないような、小柄な男子生徒が居た。
おそらく、女性がヨルコで、のこる男子生徒がアサヒルとシンヤなのだろう。
「はー。ぜんぜん聞いてなかったよ」
「おお、マジでまんまなんだな。一発でわかるぜ」
つんつんの方が乱暴な口調でいう。こちらがアサヒルで、
「だね。僕たちもたいがい、わかりやすいほうだとは思ってたけど、ここまでじゃないや」
小柄なほうがシンヤなのだ。
たしかに特徴がディフォルメされているが、PWOのすがたと照らし合わせれば、すぐにわかるぐらいの姿だった。
「で、来るよね?」
もはや断定しているように、まひるが言う。
それに逆らうほどの用事もなにもない。
「うん。お邪魔させてもらおうかな」
「OK。じゃ、のちほどねー」
そう言って、嵐のように彼女たちは去っていった。
「ばい」
背の高い女――ヨルコは、それだけを言っていった。
のこされた義明の注目度がさらに高まり、質問攻めにされたことは言うまでもない。
午後にまひるたちと遊んだことはむろん、楽しかったのだが、二学期から学校でやっていけるのか、不安になるのだった。
*
雲が散りぢりになった、よい天気の日だった。
八月の中旬、午前中の涼しい時間に、その日の分の課題をやっていると、義明のウェアラブル・コンピュータにメールが届いた。
差出人は月木まひるで、午後からいっしょに遊ばないか、という内容だ。
きょうはリハビリテーションの予定もなかったので、義明はすぐにOKという内容のメールを返した。
「帽子をかぶっていかないと、日射病になるよな」
いちばん暑い時間帯からの外出など、ふつうに考えれば推奨されるべきではない。が、友だちと遊ぶことはそれに優先することだった。
天気予報によれば、この一帯は終日、晴れだという。
「水分補給と汗の対策は必要だよな」
着ていく服や、持っていく水筒の中身はなににしようなどと考えはじめると、課題どころではなくなってしまった。
「いかん、いかん。まず終わらせないと」
あたまをコツコツたたいて集中力をむりやり絞りだすと、義明はふたたび机にむかった。
昼食にそうめん――二日ぶり六度目の登板――を食べ終えると、義明はキッチンへ移動して湯を沸かしはじめた。
「あら。コーヒーでも飲むの?」
「ううん。緑茶を淹れようと思って」
めずらしいものを見たように、母・明子は目を丸くした。
「天変地異の前ぶれ?」
「ぼくだって飲みたいものぐらい、じぶんでやれるよ」
個人病室ではコーヒーも飲めなかったので、それぐらいのことはなんということはない。
あまりにも見くびられたものだと、義明は憤慨こそしないものの、どうやら母親のなかの評価をあらためさせる必要があるな、と思いはじめていた。
「へえ。ぐうたら義明がねえ」
「なんだったら、食後のコーヒーでもお淹れしましょうか?」
「……ふうん。お願いしようかな。お手前拝見」
にやにやと笑みを浮かべながら、明子は上から言うではないか。
見くびりおって。と、義明は内心で笑みを浮かべる。
PWOで料理スキルを取ってから、コーヒーやお茶などの嗜好品は常用していた。脳内から現実に〔ガイド〕を下ろし、手順を思いだしながら、電動ミルに豆を適量放りこんだ。
どれだけ進歩しても騒音だけは改善しないミルから、挽いたばかりの豆をペーパー・ドリップでセットし、充分蒸らしてから、脳裏に描いたとおりに細くほそく湯を入れて、キノコをしぼませないように抽出する。
湯が落ちきって雑味が出る前にドリッパーを外し、流しへ置いた。
サーヴァーには、なみなみと漆黒色のコーヒーができあがっているではないか。
キッチンからダイニングにかけて、コーヒーの香ばしさが広がっていた。
義明にとってのコーヒーは、飲むうまさよりも、この時のにおいを嗅ぐことが大事だとすら思える。
「ふふん。どうよ」
「おー。すごいすごい」
明子はなおざりに拍手をする。
「でも、問題は味だからねえ」
「おっしゃるとおりで。砂糖とミルクは?」
「お気持ちだけ」
カップをもって、明子は熱いコーヒーを口にした。
「んー。……アクマのようになんたらかんたら」
「そりゃどうも、最高の賛辞をありがとう」
ペリゴールを雑に引用したお褒めをいただいた義明は、苦笑しながら、予定を変更してアイス・コーヒーを水筒に詰めて持っていくことにした。
冷凍庫からとりだした氷を、戸棚の上のほうに収納していたので、明子にとってもらった水筒にたっぷりと入れ、コーヒーを落としていく。
氷が溶けて薄めのコーヒーになったが、炎天下に飲むには、それぐらいがちょうどよいだろう。
「でかけるの?」
「うん。ちょっとね」
「……ははーん」
なにかを察したようで、明子はまたもにやにやとするではないか。
「なにも言わないでいいからね」
「あら、そう。電子マネーにちょっとチャージしておこうか?」
「そういう気をまわさないでいてくれたほうが、ありがたいかな」
デートならばともかく、まひるの誘いは月木組の五人プラス義明で遊ぼうという提案である。
思春期まっさかりの息子が女性をまぜて遊びにいくという行為は、母親にいらぬこころをつかわせるようだ。
「まあまあ。なにかと入り用でしょうよ。臨時のおこづかいってことで」
「……ありがたく頂戴します」
なんにせよ、あって困るものではなかったので、義明は素直に受けとった。
「がんばんなさいね」
「なんのことだか、さっぱりわからないよ」
義明は撤退戦を余儀なくされた。
白いシャツにカーキ色のパンツを身につけて、義明は車いすにタオルや水筒を詰めこんだ。
万が一の時に備え、携帯栄養食もひとつ積んでおく。
常人ほど気やすく他店に入ろう、ということはできないのだ。
用意しておいて損はない。
気どったものは似合わないので、あたまに乗せるものは麦わら帽子をえらんだ。
夏ということなら、これ以上に最適なものはないだろう。
というよりも、まだこどもっぽさの抜けない義明にはこれで充分だった。
「さて、行くか」
充電しておいたアイヴォリィ・ホワイトのウェアラブル・コンピュータを装着して、義明は玄関まで行った。
途中、リヴィングでソファに座ってTVを見ていた明子から、
「帰りはおそくなりそう?」
と聞かれた。
その声の、なんと表現したらいいことか。
かくも思春期の息子を見守る母親というのは、こういうものかと思わざるを得ない。
「そうね。朝日を見るかもね」
「まあっ!」
「いってきます」
「いってらっしゃい。暗くならないうちに、メールしなさいね」
所詮、息子などは母親の手の内で遊ばれるものにすぎないのだった。
商店街の入り口ちかくにある、なぜか存在する奇妙なモニュメントの前へ行くと、ほかに五人がきていた。
「ごめん。おまたせ」
「ううん。いまきたところ」
と、月木まひるはいい女のように言うのだが、
「僅差。まひるもほんとうにいまだから」
ヨルコが、内情をバラした。
「五分前行動が基本だぜ?」
「楽しみだから、はやくきちゃったんだってさ」
「ばっ、ちげぇよ!」
シンヤにからかわれ、うろたえるところがアサヒルのいいところだ。
ツンツンとした髪型と態度のくせに、そういう性根が背伸びした少年のようで、かわいがられるのだろう。
「そろそろいきましょうか。騒いではまわりに失礼ですから」
眉をひそめもせず、すずやかに来島夕花は言う。そこだけ夏ではなく、冬の風が吹いているようだった。
「そうだね。きょうはなにするんだっけ?」
義明が聞くと、なにやらえらそうに、まひるはもったいぶってうなずいた。
「うむ。今回はだね、ちょっとだらだらしようかと」
「つまり、いつもどおりってこった」
ということであった。
たとえば街を散歩したり、公園で休憩してコンビニエンス・ストアで買ったお茶や清涼飲料水を口にしたり、商店街の甘味処で買いもとめた串だんごを食べ、あんこがうまいだとか、いやいや、みたらしのがうまいだとか討論したり、身のないことをするのである。
「そりゃいいね。家にいたら、暇だったらPWOしかやらないしなあ」
そうなのであった。
VRシステムは、出かけないでいい。全人類はすこしずつに引きこもりになりつつあるのだ。
ソフトさえあれば、遊園地にもなるしプラネタリウムにもなるしデートだってできる。
渋滞の道路を何時間も待っていなくていいし、真夏、真冬の寒暖激しい気候に身を晒さず、楽しいところだけを抽出している。
もちろん、リアリティがあるといっても現実でなければ伝わらないこともあるから、そういったテーマ・パークは押されはしても、消滅はしない。
だが、よほどに大手である場合や、ニッチをふくむ内容の充実などを除いて、そういった箇所がつぶれていっているのも事実だった。
時代が変移しつつあるのだ。
かつて日本でガラパゴス携帯電話などと呼ばれていたものが、スマート・フォンに駆逐されていったように。
そういう時勢のなか、人間はからだをうごかさなければならないと声高に主張するのが、月木まひると愉快な仲間たちであった。
実際には、単に友人とあつまって遊ぼうというだけなのだが。
こういったことに夕花は否定的かと思われるが、まひると友人をやっているだけあり、彼女自身も息抜きの大切さは知ってるようで、遊ぶときはめいっぱい遊ぶのだった。
「さて。そんじゃまずは、どこから攻めますかね」
「昼食ったばかりだから、商店街はやめておこうぜ」
「そうだね。いきなりゲーム・センターっていうのも退廃的かな」
「公園?」
「妥当なんじゃないでしょうか。腹ごなしの意味もありますしね」
「よーし。それじゃ、公園まで行こうか!」
白いシャツと、ショート・パンツから覗く足が日光を反射して輝いた。
月木まひるは公園まで走り出す。
「まってよ、まひる!」
それを追って、義明たちはすこし猪突猛進の気があるリーダーについていくのだった。
この日、義明たちはいつもどおりに騒がしく、平和にすごした。
「ただいま」
義明が玄関をくぐったのは、午後六時をすこしまわったぐらいであった。
「おかえり。朝日まではだいぶ時間があるみたいね」
「それはもういいよ」
母の出迎えにうなだれながら洗面所へ行き、手洗いうがいをしてもどると、すでに夕食の支度ができていた。
「疲れたでしょ。席についてていいよ」
そう言われておとなしくすわっていようと思うほどに、疲労は感じていない。
「食器をだしたりぐらいはするよ」
「そう。じゃあおねがいね」
夕食は夏野菜のカレー・ライスだった。
さっと火を通したピーマンや、揚げてとろりと柔らかくしたなすなど、野菜ごとにきちんとちがうこしらえをしていた。
義明の好物のひとつだ。
「うー。ダメだ。食べすぎちゃいそう」
「なに遠慮してるの。ないならともかく、あるんだから食べればいいでしょう」
もっともなはなしだ。好物を前にして、我慢しろというのは拷問に等しい。
だが義明にとって、体重の増加は無視できないことだ。……ことなのだが、腹は減っていた。
カレーのにおいというのは強烈なものだ。
散歩していて、どこからかカレーの匂いがしてきたら、翌日にはどうしても食べたくなる。
帰り道に近所の家で、お。この家、今夜はカレーだな。などとなったら最後、つぎの日にはまわりの家の夕飯がカレーになることなどめずらしくもない。
それだけに、義明にとってもあらがいがたい魅力があった。
すこしに留めておき、まだ食べたりぬという場合はVR世界で食らえばいい。その理屈はわかる。
しかしだからといって、目の前へにんじんを出された馬は、食わずにいられるだろうか。
「うー、ううん」
「なにしてるの。冷めないうちに食べるよ」
父・義弘は、あと一時間ほどで帰るという。先に食べてしまうことになった。
「いただきます」
「いただきます」
義明がおかわりを一杯に留めておいたことは、善戦といっていいのではないだろうか。
「また食ってしまった」
食後のコーヒーと手作りプリンまで堪能した上で、部屋へもどってきてあたまを抱えるのであった。
そのままベッドに横になってしまいたい猛省中の義明であったが、そうはいかない。
今夜は特別なのか、クロモリたちが遅くまでVRカフェに居られるのだという。
どういう状況になったのかは知らないが、そういう時間は特別だった。
この時間を利用して、夜通しPWOをやろうという約束をしたのだった。
徹夜でゲーム。じつに高校生らしい、夏休みの時間のつかいかただ。
これがマージャンやイケナイモノでないだけマシだ、と両親は胸なで下ろしているだろう。
「遺跡を攻略するんだっけか」
第四エリアに存在する三つのダンジョンのうちのひとつで、アンデッド・タイプのMOBが徘徊する、旧時代の建造物である。
遺跡と聞いて冒険心が湧き立たないほど、義明はおとなではない。
もとは別の色であったはずのものが砂風と年月に晒されるうち、黄色味を帯びていったようなその造りは、じつにぐっとこころに迫るものがある。
なんどかヨシュアたちも行ったのだが、鉱山ほど稼ぎはおいしくはなかったため、攻略は後まわしにしていたのだ。
しかし、にっくきワームの巣穴を除いてマッピングも終わってしまったため、攻略の運びとなったのである。
「……ダメだ。まだおなかが落ち着かないけど、はやいところログ・インしちゃおうかな」
日枝義明脳内会議の結果、するということになった。
いそいそとVRシステムをセットし、もはや慣れた手つきで、鼻と口を除いてすっぽりと覆ってしまう器具をかぶる。
かぶるときはいいのだが、夏だからか、外すときは湿気がひどいことになる。
いつかきっとVRシステムでハゲるという記事が、ニュース・ペーパーに載るだろことを確信している義明だった。
メッシュ素材などにカスタマイズできる周辺アイテムが充実すればいいな、と思いながら、意識を深く、沈めていくのだった。