06 雪山
夕刻ではあったが、夏のことだからまだ街は夕日に染まってはいなかった。
ほのかに空の一端が赤く色づく程度のことで、されどそうなれば柿が熟すようなもの、すぐ真っ赤になってしまう。
「マズいなあ。ちょっと話しこみすぎた」
義明は家路をひた走っていた。
まひると別れて帰宅するのはいいものの、散歩にしてはずいぶんと長くなってしまった。
だが車椅子を推すスピードは、安全の範囲に収まるものだ。
きっかりとしなければ、今度はじぶんが加害者になりかねない。
そういうことを考えると、どうしても飛ばすということはできないものだった。
結局、義明が帰宅できたのは、六時をすこしばかり過ぎたころである。
これが一五を数える歳の少年であると考えると、まったく遅くはない。
しかし、これが不自由な息子であると考えれば、どれだけ心配しても足りない。
その結果、
「おそい!」
帰宅早々、怒られるのだった。
言い訳をしても許されるのなら、義明はすこし遅くなりそうだということをメールで送信していた。
しかしそれですべてが許されるというのなら、世の中のことはすべてうまくいっているだろう。
だからこそ義明はしっかりと母に怒られ、反省するのだった。
「わかった。今度からは早めに帰って来なさいね」
「はい」
「……よし。それじゃあ、ごはんまですこし時間がかかるから、ゆっくりしていなさい」
まったくもう。などと言うのだが、その様子はあきらかに胸なで下ろしているようだった。
母として、しっかり家族を愛しているからのことだ。
それがわかっているから、義明は怒られたことをうれしく感じていた。
「晩ごはん、手伝ってもいいかな」
「なに、点数稼ぎ?」
からかうような目の色で、母・明子は言う。
まったくそういう気持ちがないわけでもないのだが、そうはっきり言われてしまうと、言葉が胸につっかえてしまう。
「下心がないとは言わないけど。自主的な反省の態度を見せておこうかと思いまして」
「ふうん。殊勝なこと。なら、えびの殻と背わたでもとってもらおうかしら」
ま、許してやるかという風に、明子は一度だけ義明に手本を見せて、あとを任せた。
そこから義明は、明子がやる以上の時間をかけたが、順調にえびを剥いていった。
「へえ。いつの間にこんなことおぼえたの。教えたことあったっけ?」
「手本がよかったからね」
「親にお世辞を使うんじゃないの」
ぴん、と明子は指で義明の額をつつく。
PWOで料理をやる際、えびを使ったことがあった。その記憶を思い出し、下ごしらえしていったのである。
料理スキルをとっておいてよかった、と、義明は安堵した。
夕食は、主菜を天ぷらとして、副菜になすとピーマンの焼きびたし、香の物にきゅうりのぬか漬け、汁物は豆腐とわかめの味噌汁である。
テーブルに揚げ鍋を用意し、各自で種に小麦粉を溶いたものをつけ、揚げたてを食べる。それが日枝家の天ぷらだ。
むろんのこと、熱い。熱くてたまらない。それがうまい。
そんなことをすればテーブルまわりは多少、油でべったりとなるが、ちかごろの掃除道具は進化しており、油汚れもさっとひと拭きでキレイになる。
吸煙機をつけてやれば、においも部屋にこびりつかない。
明子にだけキッチンで暑い思いをさせないという、父・義弘のこころづかいであった。
いけないとは思いつつ、義明はたっぷりと食べてしまった。素人の手によるものでも、それが揚げたてとなればうまいものだ。
「ううん。今度からご飯の量を減らさないとな」
おかずを食べてしまうのなら主食をすくなくし、食べたりない分はVRMMOで補おうというのだった。
そこで、義明は思い出す。
「ディナーを奢るって約束したけど、これはマズいな」
もはやお菓子ぐらいしか入りそうにない。といっても現実世界とVR世界では感覚がことなるのだが、じゃあすぐに食べようか、とは思えない。
すこしばかり、月木まひるには待ってもらう必要がありそうだった。
翌日の準備などをし、義明は高校のネットワークへ接続した。
じぶんのIDで二年生の授業進行度などを確認する。
退院してからはしっかりとプログラムを組み、主要科目においては授業進行度を上回るように自習している。
体育などの授業がないことで、時間を圧縮していたのが効いているのだろう。
やっていないところなどは、通常の生徒ならば提出期限が切れているネットワーク上の宿題を片付けることで、じぶんで復習することで補ってはいるが、足りているかどうかはわからない。
つい先日、Webカメラの監視つきを条件とした、在宅で一学期の期末考査を受け終わっている。
その結果で学習が充分なものであったか、たしかめられるだろう。
試験はさておき、義明は月木まひるに言われたことで、プログラムを組みなおす必要を感じていた。
おのれのちからで歩こうと思うのなら、傾注しなければならない。
もともとすべてが得意ではなく、赤点をとるほどひどくもなくという具合だった義明は、理数系に偏り、もっと言うならば電子系をやろうとしていた。
電子書籍で本を購入し、腹が落ち着くまで読みふける。なりたいと思ってなれるほど甘くはないだろう。
本を読んだだけでなれるのなら、数億人は理想の職業に就いているはずだ。
ある意味では、こうやってまずはじめることが大事なのだと割り切って、義明は読みふけっていく。
しばらくして時計を見ると、時刻は八時を回っていた。
「もうそろそろかな」
読んだところまでにブックマークをつけて書籍を閉じ、ウェアラブル・コンピュータを充電状態にしておき、VRシステムを起動させる。
現実が反転し、意識が幻想世界へ溶けていった。
夏の日差しを忘れさせるような寒さに包まれ、ヨシュアはぶるりと身を震わせた。
「うう。いつきても、この温度差には風邪をひきそうだ」
ヨシュアはステータス・ウィンドゥから、室内だというのにダッフル・コートをえらんで装着した。
気温パラメータは室内だから多少は軽減され、寒さを感じづらくなっているのだが、しかし暖房はないので完全ではない。
ついでに紙を選択して地図を作っておき、バーへ行くついでにリード雑貨店へ届けることにした。
「これぐらいあればいいだろう」
このあいだログ・アウトする前につくっておいた分とあわせて、一日ぐらい置いておけるほどの数ができあがった。
最盛期とくらべれば確実に落ち着いているが、まだまだ需要は高いのだった。
「さてと、そろそろいかないとな」
宿屋をチェック・アウトして、ヨシュアは受付嬢に挨拶すると外へ出た。
室内はあたたかかったのであると悟らせるように、寒さはより強く身を切り裂いていく。
「うー……。ニット帽とかも買おうかな」
メイン・ストリートはまだ、あたたかいほうなのである。
路地裏の裏にあるリード雑貨店は、むしろその雰囲気を生かすように作り替えられていた。
このあたりの底冷えはほんとうにひどい。ダッフル・コートを着ていても、芯から冷えこむような感覚が襲ってくる。
「はやいとこ、バーであったかいものでも飲みたくなってきた」
裏口をノックすると、まもなく開かれた。
「おや、もう鎖につながれに来てくれたのかい?」
「それほど自虐的じゃないよ。単なる郵便だ」
といって、腰のバッグからカードを三枚取り出した。
それぞれ森林地帯、ギヴァン周辺、渓谷が記録されたのファースト・エリア。
渓谷、リペルーマ周辺、メリクスへ至る大丘陵地帯が記録されたセカンド・エリア。
大丘陵地帯、プラネタ周辺、第四の街へ通ずるトンネル〔スター・ライト・チューブ〕と、プラネタへ至る平原が記録されたサード・エリアの地図が、複数おさまっている。
「そうはいっても、わたしが恋しくもあるのだろう?」
カードを受けとると同時に、リードは黒いローブの袖から、売り上げの七割が収まったカードをヨシュアへ放った。
「かけらもないかって言われると、嘘になるね」
カードをバッグにしまいながら言う。
「いつも期待を持たせるようなことを言って。それは残酷だと気づくべきだよ」
「ほんとうのことしかいってないから、しょうがない」
裏口から入って腰を下ろすこともせず、ヨシュアはバッグの口を閉じた。
「そういうところをいっているんだけどね。お茶も飲んでいかないの?」
「さすがに敷居が高い」
「君だけの見解だよ。わたしはいつだって縋りつかせて甘えさせて膝で寝かせてやろうと言っているのに」
くつくつと笑うリードに閉口してため息を吐きながら、振り返って片手をあげ、ぶらぶらと振った。
「今度くるときは、コーヒーをいただくよ」
「ああ。そうしておくれ」
メリクスのバーへ向けて、足をはやめるのだった。
「そんなに急いで。そっちの水はそんなに甘いのかい」
リードは客に呼ばれて返事をし、裏口を閉めた。
メリクスの街角にあるバー〔ブルー・ムーン〕は、名前のとおり青色を基調としている。
雰囲気はしっとりとしていて、しゃべるにも声を低く、ささやくようにしなければならない。
だからとつぜん強くドアを開いて現れたヨシュアへ、刺すような視線があつまるのは当然のことであった。
「う……」
だが、怯えて逃亡するわけにも行かず、あたまを低くして店内へ入っていった。
きょろきょろしていると、ライムからこっそりフレンド・メッセージが届いた。奥まったところへ席を取っているようだ。
ぺこぺことあたまを下げながらそこまでいくと、むっつりとしたライムが睨みつける。
「もう。ドアはしずかに開けなさいって、習わなかったの」
「習いました。すみません」
こそこそと図書館のように低くしゃべりながら、ヨシュアはさきほどからあたまを下げっぱなしだ。
それをくすくすわらう声に顔を上げてみれば、ライムがとっていた席にはほかに四人が座っていた。
「あれ、イグニスとマレウス? どうしてここに」
「おひさしぶりです。ヨシュアさん」
「元気なようですね。もやしエルフ」
そこには赤色の魔法使い・イグニスと、STR特化のドワーフ・マレウスが居た。
店内だからこそ装備は平常用のものだが、着ている服から、それなりに金回りがよさそうなことがわかる。
「もう、それでいいや。テラたちのPTは解散したの?」
「失礼な。時間が合わなければ、野良やかけもちをやってるだけです」
「はい。テラさんとテネブラエさんの壁役ふたりが社会人なので、平日は時間が合わないんです」
憤慨したようにマレウスが、残念そうにイグニスが言った。
おなじように、ヨシュアも夕方のプレイでないと、VRカフェやVRセンターからログ・インしているクロモリ・アルミ・カーボンの三人組とは時間が合わない。
もうそろそろ夏休みが始まるから、そうしたら長時間いっしょにできるね、とはフレンド・メッセージでやりあっているのだが。
「わるかった。プラネタで、スター・ライト・チューブを協力して攻略した以来か」
懐かしそうに、ヨシュアは目を細めた。
星空のような黒に点々とした明かりの灯るトンネルでは一二の試練があり、時間内にすべてを攻略しなければ追い出されるタイム・アタック型のダンジョンだったため、大人数で攻略するのがセオリィなのだった。
「知り合いだったんだ。じゃあふたりに関しては紹介する必要ないね。あとのふたりは、わたしがいつも組んでいるメンバーだよ」
ひとりは背の高い人間族で、切れ長の鋭利な瞳が特徴的な中華風の顔をした女だ。頭上のアイコンから、名前はヨルコであると知れる。
ひとりはパステル・ブルーの背中まで流れる髪をしたエルフで、瞳はおおきいがこれも目つきは鋭い。鼻がすこし低めだが、充分かわいい顔立ちをしている。名前はアサヒルというらしい。
「よろ。ライムから、うわさは聞いてる」
閉じた口をねじ曲げて、声をひそめて笑うのはヨルコである。
「おなじエルフどうし、なかよくしようぜ」
髪が長いから女性かとおもったが、どうやらアサヒルはM型のようだ。男らしくわらうその表情の下には、たしかにふくらみはない。
「よろしく。どんなうわさかは知らないけど、わるいものなら忘れてくれ」
どうにもいい予感のしないヨシュアなのであった。
「ではヨシュアくん。約束どおり、ディナーを奢ってもらおうかな。人数制限は言ってなかったよね」
その予感はまもなく当たった。
そうきたか。と思わずにはいられない。
その他、四人の視線は期待に満ちているものだ。
ここまできて、おごるのはライムひとりになどと、誰が言えるであろう。
ひとりにならまだしも、五人となればそれなりに値が張るにちがいない。
安易に言うものではないな、と思いながらヨシュアは、
「こうなったら、メリクスでいちばん高いレストランの、いちばん高いコースを全員におごろうじゃないか。お望みならワインをボトルでつけてやるよ」
やけっぱちな部分がないわけではないが、しかしそうするだけのものはもらっていたのだった。
「ごち。太っ腹だね」
「ごちそうになるぜ。わるいね、お大尽」
「なかなかいい提案です。もやしもよく食べて筋肉をつけるといいです」
「あの、ほんとうにごちそうになっていいんでしょうか」
「ほんとうにいいの?」
と、あんまりにもすんなりと承諾されたため、ライムは逆に不安となった。
実のところ、すこしイタズラを仕掛けて困らせてやろうと考えていたに過ぎない。
「二言はない。っていっても、みんな晩ごはんは食べたんだろう。いますぐじゃなくて、どこかへ狩りでも行ってからの打ち上げにしないか?」
ヨシュアの提案に、みんなはなるほどと、うなずいた。
「腹は空かしたほうが、メシはうまいよな」
アサヒルは腕を組み、たしかにと何度も首肯する。
「ですね。現実とは別ですが、女として、食べすぎることに罪悪感はあります」
マレウスも同意し、イグニスも無言で同意した。
「なら、いい物件がある」
そう言って腰のバッグからカードを取り出すのは、ヨルコだ。
そこだけうごくようになっている角を押しこみ、実物化させると、一巻きの地図になった。
「これは?」
ライムの問いに、ヨルコは笑みを浮かべて言う。ネズミを捕ってきた猫のような、自慢げなものである。
「山のダンジョン・マップ」
メリクスで山といえば、それはひとつのものを意味する。ヨシュアがライムに、いつか登ろうと誘ったあの雪山である。
「うそ。もう売りに出されてるんだ」
「五合目まで、ルートふたつの不完全版だけどね」
だから安かったのだと、ヨルコは言う。
しかし、攻略されていないダンジョンの地図は、高値で取引されるものだ。
安いとはいっても、それなりの金額は支払っただろう。
「いいですね。うわさの竜とやらを見に行こうじゃないですか」
雪山は特別視されている。その理由のひとつとして、PWOのグランド・クエスト――もっとも高いところに住まう竜を倒す――なのではないか、と噂されているのだ。
ヨルコが聞くに五合目まで登ったところ、竜種のような影が見え、叫び声もしたと地図を売り出すマッパーは言ったのだ。
いままでに竜種は四頭、発見されている。
ルケイノ活火山の頂上に居を構える赤色竜。
イランド水域にぽっかりと浮かぶ島に巣を作った青色竜。
オレスト大森林の奥深くを根城とする緑色竜。
バグワン大湿地を一手に支配する黒色竜。
そしてうわさがほんとうならば、五頭目の発見となる。
「たしかに大きくてりっぱな山でしたけど、そんなにすごいところだったんですねぇ」
単にヨシュアは山ならばなんでもよかったのだが、そうなってしまった以上、雪山に登るのならば相当な準備と覚悟を必要とするだろう。
ライムはどうする? とアイ・コンタクトを図ってくるのだが、それにたいして、この空気を壊すということはヨシュアにはできそうになかった。
「行くなら、防寒具とかかなりきっちりしないといけない気がするけど、みんなはその辺だいじょうぶ?」
「オレは問題ないぜ。ヨルコとライムもな」
「あたしとイグニスもばっちりです。メリクスなら常識ですね」
ということで、充分な準備でないのはヨシュアだけである。
「なら、すこしばかり待っててくれ。ぼくはいまから準備してくるから」
「OK。終わったら、ライムに伝言して」
「あいよ」
いまだにダッフル・コートを羽織るだけだったヨシュアの防寒意識がいちばん低かったようで、すこしばかり恥ずかしくなる。
ヨシュアは服屋へ行き、雪山を登るための一式をそろえ、メイン・ストリートで装備を置いているところを見回った。
蜥蜴革の高品質防具一式と、おなじくHQ鋼の短剣を購入するに至る。結局のところ、ヨシュアのレヴェル帯とスキル・セレクトでは、これが正解に近いのだ。
念のためにNPCショップのオークションも覗いていく。
即決、いますぐ使用できることを条件にソートし、ふたつのアイテムを即決価格で購入した。
入金確認がとれたと同時、コンソールからアイテム・カードが出てきて、ヨシュアの手に収まる。
「えーと、アレはできてたっけか」
アイテム欄には、錬金用アイテムを用いた薬膳料理が人数分以上そろっていることを確認できる。
「よし。もういいかな」
ライムにフレンド・メッセージを送ると、街の出入り口で集合ということになった。
開いたステータス・ウィンドゥから装備のタブをえらび、身につけていく。
なるべく薄手で耐寒性能が高く、かつ動きやすいものをえらんだつもりであるが、その上から防具を装着すると、着ぶくれしてみっともないのはいたしかたなかろう。
武器防具屋であるから、当然のように姿見がある。それでじぶんを見てみると、
「うわぁ。こりゃかっこわるい」
登山ゲームならともかく、戦闘もあるゲームでは防寒具の上から防具を着なければならない。
防具のサイズは適度にフィッティングされるからいいものの、あちらこちらからはみ出す防寒具には、辟易してしまう。
「ライムみたいに、フル・プレート・メイルが正解ってこともあるわけだ」
すこしぐったりとしながら、ヨシュアは街の出入り口へと向かっていった。
ふたつの登山ルートは、ひとつはロック・クライミングのまねごとをして、短時間で登っていくルートと、比較的ゆるやかな傾斜を右往左往しながら、時間をかけて登っていくルートがある。
六人の急造パーティは後者を選択し、時間はかかっても登攀などのプレイヤー・スキルを必要としない方を用いることにした。
間近で見る雪山は、真っ白というよりも青ざめた感すらあった。
あたりにも、ダンジョン・マップを入手したのであろうパーティが三、四つほどあった。
その内ひとつに、マレウスが目を丸くする。
「……あれ、前線攻略隊ですよ」
と、マレウスが指を差すのは、あきらかに装備の格や醸し出す雰囲気がちがう集団であった。
ヨシュアたちのように、ふつうならば無様に着ぶくれするところを、彼らのレヴェルでは超級性能な耐寒装備かアイテムがあるらしく、コートを一枚羽織っているだけであったり、一九八〇年代に流行したようなビキニ・アーマーだけを身に纏う女戦士もいたりした。
遠巻きに見ていると、その装備スタイルとメンバー構成から、どのような集団であるかが知れる。
「あの痴女がいるってことは〔リヴォルヴァーズ〕か」
アサヒルがぽつりと漏らす。このPWOのファースト・サーヴァでも一、二を争うギルドだ。
ビキニ・アーマーの女・サノバを中心とした廃人集団で、別のゲームからそっくり移ってきて、そのままトップを走り続けている。
六連装拳銃の名のとおり、たった六人のギルドだ。彼らはパーティの最大人数が六人以上であるゲームに移り、飽きるまでそのゲームをやりこみ続けている。
彼らは準備を終えると、とにかく短時間のルートを選択し、がんがん登りはじめた。
「彼らがいるってことは、竜種のうわさには信憑性がでてくるね」
「だとしたら、ここで一度、登っておくのは無駄じゃないですね」
マレウスが刺々しいハンマーをぶんぶんと振り回しながら、目をするどく輝かせた。
「だったら、いっちょイケるとこまで登ってやりますか!」
フル・プレート・メイルの中から、くぐもった声をあげて、ライムは片腕を突き上げた。
それに呼応しておー! と五人が叫び、勢いよく雪山を登りだすのであった。
のであったが、難易度は非情である。
雪山ということで足場が最悪な上に、敵は強く、序盤から出し惜しみせずイグニスがフル回転で魔法をだしっぱなしにしなければ、ザコも満足に倒せなかった。
山というと斜面がどこまでも頂上へ続いているというイメージしかないかもしれないが、雪山のそれはまったくもってちがう。
でこぼことした氷と岩が混じり、空から降る雪に足を取られながら、しっかりと一歩ずつたしかめ、時には奈落のように欠落した岩と岩のあいだを決死の覚悟で跳び、冗談のような段差を必死で這い上がったりしなければならない。
登山というイメージから想像するものではなく、それは豪雪地帯で総合アスレティックをしているようなものだ。
リアリティを追求した登山ゲームでないことと、常人離れした運動能力があるからこそ、ピッケルなどにそこまで頼らないでそれなりにやれるだけで、もしリアル・マウンテン・クライム・ゲームだったら、何十回死んでいることだろうか。
「いま……はぁ……どのあたり」
しゃべるたび、白いものが雪に交じって消える。
「ようやく、三合目、って、ところ」
息も絶え絶えに、ぽつぽつと会話がこぼれだしていく。
むしろ三合目までのぼれたことが奇跡的であるかのような気がしてきた六人である。
彼らが歩いているのが安全なコースだとしたら、リヴォルヴァーズの登っていった方はどれほどの苦難なのか、想像もつかないほどだ。
正直なところを言えば六人のこころは、もうぽっきりと単純骨折していた。ただ、まだ山が続いていて、足がうごかせるから進んでいるだけで、あともう一回なにかがあればそこで帰ろう。そういうつもりであった。
もはや会話もなくなって、敵がでたら各自で、繰り返してきたうごきを再現する作業が待っていた。
ゴブリンのなだれ乗りが、また四体あらわれた。
頭上からやってくる突撃をライムが受け流し、そこへイグニスが〔炎・焦・渦〕の範囲攻撃で燃やす。残ったのを、ヨシュア、マレウス、ヨルコが叩くのだった。
めずらしくもアーチャーだったアサヒルは、この雪のなかでは矢こそ至近距離でないと使えないが、その目の良さでサドン・アタックを防いでいる。
余裕がないからこそ限界まで神経を集中し、その結果、無駄なうごきのない行動が最良を生んでいた。ヨシュアたちのレヴェルからすれば、強敵に分類されるはずの氷雪猿や白くまですら、いまの彼らにとっては、足を止めざるを得ないもののひとつでしかない。
もはや会話すらない。そんな余裕は削れていった。
残念なことにひび割れもなく、彼らは四合目までたどり着くことに成功していた。
ただ、そうすることが自然であるように、淡々と冷えきったあたまで頭上を見上げた。のこり六割、まだまだこれから険しくなる山は高い。
だれか、もう口にだせと願ってしまう六人であった。
それを引き裂くように口を開いたのは、だれであったろう。
だれでもない。はるか高みに存在するこの雪山の支配者に他ならない。
どこからでも響いてくるその咆吼は、頂上へたどり着いたものたちへの威嚇であった。
哀れむような高音と憤怒の低音が混じりあって、どこまでも響いていく。
――……ォーン。
その切れ端のような音が耳に届いただけで、六人はすくみ上がった。
恐怖である。
もはやこころの防御力が皆無になっていたところへ、その威嚇は底まで染みこんでいく。
死ぬ。この場所にいたら死ぬ。殺される。あの存在に見つかれば死ぬ。見た瞬間、殺される。
いや、存在していることがバレただけで、もしかしたら――。
すべての竜種が備えるアビリティのひとつ〔威嚇の咆吼〕である。
聞いたものの恐怖心を煽るというだけの効果だが、VRシステムであるだけで、その威力はすさまじいものがある。
感覚の再現は、いわば誤認である。
擬似的に再現されたすべてが誤認である以上、恐怖もまた誤認させられる。
ゆえに、アンチ恐怖とでも言うべきスキルか、その恐怖を克服するだけの精神力がなければ、まず竜種の声を聞くことも許されない。
六人にわき上がるのは原始的な恐怖だ。すなわち、絶対に敵わない。相対すれば確実に死ぬという生存本能である。
一歩目を踏み出したのはだれだったか。
「うわあぁぁー!」
いままでの無言が嘘であったかのように、絶叫をあげていままで歩いてきた道をひた走っていく。
何度も転び、敵に遭遇し、そのたびにすべてを投げ出すように走り、逃げる。
ただそれだけが唯一、安息を得られる方法であるかのように。
どこをどう走ったかもわからず、六人はひとりも欠けることなく、ふもとまで降りてきていた。
もはや立っているものなどひとりもいない。
ただ、生きている。
それだけのよろこびを噛みしめていた。
「し……死ぬかとおもいました。いや、死にました」
かすれるような声で口を開いたのは、マレウスだった。
STR特化でAGIにはほとんど振っていない彼女からしたら、その恐怖はひとしおである。
「だね。精神的に死んだわ」
雪の冷たさなぞ知るものかとばかりに、ヨルコはその場で大の字になって寝転がる。
「あれが竜種か。いや、ちょっと出会いたくねぇものだな」
苦々しい顔で、アサヒルは言う。
「もう、この山は登りません……」
涙目で言うのはイグニスだった。
「ありゃないわ。耳栓でもつけないと、まず五合目まで上がることもできないね」
肩で息をしているのか、全身板金鎧を上下に揺らしながらライムは言う。
「とりあえず、生きてるだけで丸儲けって気分だよ」
座りこんで、もう一歩もうごけそうにないヨシュアなのだった。
彼にとっては、その誤認自体が恐怖でもある。
もしキャラクターとしての死亡というものが、プレイヤーの脳へ〔誤認〕されてしまったら。
きちんと安全性を証明したうえで販売されているものだから、そんなことは起こりうるわけがない。
ましてや、PWOでは毎日、何回死亡がカウントされているかわかったものではないのだ。
だが、ヨシュアにとっては可能性があり得るというだけで、死に対して絶対的な嫌悪と恐怖があるのだった。
「……とりあえず、メシ食おうぜ。腹ァ減っちまったよ」
「そうですね。思えば、ごちそうになる前の運動なんでした」
「食前運動が、こんなことになるとはね」
「ごはんが食べられるだけ、しあわせですよ」
「だーね。ってことで、いっちょ張りこんでくれたまえよ、スポンサー」
「わかったよ。こんなことのあとだから、パーっといくさ」
おー! と、五人が恐怖から解き放たれたように立ち上がり、メリクスを目指す。
まったく、げんきんなことだと、ヨシュアは苦笑しながらそれに続くのだった。
ヨシュアたちが高級レストランで打ち上げをやろうと歩いているころ、メリクスに衝撃が走った。
トップ・ギルド〔リヴォルヴァーズ〕が瞬殺され、死に戻りをしたのだった。
発見されたすべての竜種はまだ、一頭たりとて倒されたことがない。