02 狼森
石造りの田舎町。というのが〔ギヴァン〕のただしい評価といえるだろう。
浅い森の村からいちばん近く、エルフをえらんだプレイヤーが、つぎにたどり着く町である。
設定上は農業と貿易で収入を得ているらしく、商人の馬車を守りながら別の町へ行くというクエストが、一日に何回か発生するようだ。
ヨシュアも近い将来、そのクエストを受け、べつの町へ行こうと思っていた。
しかしいまは、この周辺の地図を完成させるべく、日夜、ギヴァンを拠点として、活動している。
測量スキルをセットしてあたりを歩きまわり、ヨシュアは浅い森の村周辺と、ギヴァン周辺のマッピングを半分ほど終えていた。
それは浅い森の村からギヴァンへとつながる街道あたりを、しらみつぶしに歩いただけで、実際のところ、いちど迷い込んでしまった、深い森への探索を躊躇していたのである。
「行くべきだよなあ」
いまではもう、測量士なのである。放り出すことはかんたんだが、それでは、あれほど頼み込んだ意味がない。
「よし、ぐちゃぐちゃ言ってられないか」
ぱちんと頬を両手でたたいて気合いを入れ、町でアイテムを買い求めるために、ヨシュアは露天を回った。
ちなみにアイテムを買うための金は、倒したモンスターからの不必要なドロップ品を売って作ったものである。
結果として購入したものは、水筒、手鏡、マッチなどの必需品と、新しい武器〔青銅の短剣〕だ。
さらに、初期装備の〔生成りの服〕よりも防御力の高い〔狼の革鎧〕を、裁縫職人に頼んで作ってもらった。既製品を買うよりは安いが、これで残金はほとんどすっからかんである。
初期装備〔初心の短剣〕がATK値+3と、ほとんど耐久力だけ評価できるものであるのに対し、青銅の短剣はATK値+14と、大幅な攻撃力の上昇を見込める。
これでワイルド・ウルフなんかも、さっくりとすっぱりと気持ちよく倒すつもりなのであった。
まだ日が出ているうちに、ヨシュアは深い森へと足を踏み入れた。
空からはさんさんと日が当たっているのに、鬱蒼と茂る森の中は、だいぶ暗い。あまりにも樹が繁殖しすぎ、ほとんどが枝葉で遮られてしまうのだ。
湿気がこもり、地面は腐葉土で上等なじゅうたんのようにやわらかく、ブーツがずぶりと沈んでいく。
暑くはないが息苦しく感じ、ヨシュアは一度、深呼吸をした。葉っぱを口に押し込んだような、濃い緑の香りが仮想の肺腑を満たす。
「森林浴っていうよりは、土にでも埋められた気分だ」
種族がエルフだとしても、中身は人間だった。
気を取り直して進んでいると、おなじみのワイルド・ウルフが木々の隙間から現れ、牙を剥いている。
すでに戦闘状態になっているようだが、かんたんには飛びかかってこない。
数十匹倒されたせいで、オオカミ内のネットワークかなにかで、ヨシュアに対して警戒するようにという情報でも流れているのかもしれない。
「まずいな」
ヨシュアの戦法は、ディルージョンのものを真似しており、基本的に、避けながらカウンターの一撃をたたきこむというものだ。
じぶんから動いて攻撃を当てにいくということは、ラビット以来、ほとんど経験していない。
「ぜいたくは言ってられないか」
だからといって、たたかいを避けられるわけではない。そして、なにかしらのアクションをしなければ、膠着のまま時間が過ぎ、リンクの性質でワイルド・ウルフが数を増やし、有利になっていくばかりだ。
「ええい。〔箭疾歩〕」
短剣が光を帯び、ヨシュアの脳裏に最適行動が浮かんだ。そのとおりにからだを動かせば、AGIが許すかぎりの移動攻撃が、最速で実行される。
「せいっ!」
規定量のスタミナ・ゲージを減らし、短剣技が発動した。
通常の地面ならば、それで当たったかもしれない。だが、いまは地面が腐葉土でやわらかく、コンディションが良くない。
紙一重で避けられ、自身が得意とする戦法――カウンターで、オオカミの牙が喉元に食らいついた。そのまま噛み砕こうと、ぎりぎりとあごにちからを入れている。
がくん、とHPが二割ほど減った。PWOが採用している部位防御システムでは、防具に守られていない部分はノー・ガードなのである。
あごの下から立ち上る光の粒と不快感をかみつぶしながら、継続的に減っていくHPゲージに舌打ちした。
「結局、食われてから攻撃かっ」
技後硬直が解けると、ヨシュアはナイフを逆手に持ち替え、離そうともしないワイルド・ウルフへと振り下ろした。
武器を変えれば、効率がよくなるというもくろみは、見事に当たった。豆腐を切るように、するりと刃が入り込む。
叫びを上げて、ワイルド・ウルフはなめらかに光へと変わっていった。
「ふぅ。短剣、買っておいて大正解――」
直後、遠吠えが森に響き渡った。
「新手か!?」
森の奥から、いくつもの足音が近づいてくるのを捉え、ヨシュアはその場から駆けだした。
通常、モンスターを引き連れて歩きまわることは、よいことではない。それはアクティブになったモンスターが別のプレイヤーを襲い、結果としてプレイヤー・キルしてしまうMPKに繋がるからだ。
つまり、いまのところヨシュアは非常にマナーの悪いプレイヤーなのだった。
「たーすーけーてー!」
逃げながら時折振り返っては、武器の性能に頼って一撃喰らわせ、数を減らす。
追撃してくるワイルド・ウルフの数、実に一二匹。ヒット・アンド・アウェイが一回でも失敗すれば、そのまま追いつかれ、数の暴力に伏してしまうだろう。
オオカミたちはときどき、威嚇するように遠吠えなどをしては、その意思を奮い立たせているようにも見えた。
それにしたって、こんなタイト・ロープが続くのも、スタミナ・ゲージがすっからかんになるまでだ。歩くことでは減らないが、走るとなれば、すこしずつ減っていくのである。
斬っては走り、走っては斬る。そんなことを繰り返しているうち、ファンファーレが響いてレヴェルがひとつ上がったが、そんなことよりも、一歩でもはやく、多く逃げたいというのが本心だろう。
オオカミの数は一向に減らない。それどころか、むしろ増えているのではないかと思われた。
視界の左上にあるHPバーの下にくっついているスタミナ・ゲージは残りすくなかった。いつまでも、この方法が続けられそうにはない。
「なぜだぁー!」
ヨシュアが目の端で追いかけてくるワイルド・ウルフたちをにらむと、後方に、すこしだけ他と異なる個体が居た。
ひとまわりほど、からだが大きく、毛並みに艶があり、瞳の輝きが鋭いのである。その頭上に浮かぶアイコンに必死の視線を送ると、不安は実感を伴う。
個体名〔スマート・ウルフ〕
すなわち、ワイルド・ウルフの突然変異体として設定されたレア・ポップ・モンスターである。
「おまえが原因か!?」
タイミングよく、スマート・ウルフが遠吠えした。すると、茂みから一匹、ワイルド・ウルフが飛び出してくる。
アクティヴ・スキル〔遠吠え〕
効果は見たとおり、範囲内にいる眷属を、強制的にリンクさせて戦闘に参加させるという、凶悪きわまりないものだ。
「そんなのありかよっ」
迫ってきたのを切り裂いて光に変えつつ、ヨシュアは残りのスタミナでどれだけ逃げられるかを考えた。
視界左下にあるマップを見れば、ここから浅い森の村とギヴァンをつなぐ街道まではあと少しだ。
そこまでいけば、他のプレイヤーもいる。ワイルド・ウルフたちを倒すのはたやすいだろう。
しかし、いまのままスタミナをすり減らせば、とても持つ距離ではない。
わずかでも、立ち止まってスタミナを回復する時間があれば、ギリギリ届く。その時間をいかに稼ぐか。
剣技を使ったスキルでなければ、スタミナは消費しない。立ち止まっていれば、それだけでスタミナは回復する。
立ち止まれば、一〇匹以上のワイルド・ウルフが一斉に襲いかかってくる。それをどれだけ対処でき、死なないで脱出できるか。
追い詰められて、ヨシュアは逆に、開き直るだけの覚悟が決まった。
八秒。それだけ立ち止まってワイルド・ウルフの数を減らし、同時に逃げ出すだけのスタミナを稼ぐ。
ヨシュアが結論づけた、ギリギリ死なないだけのスタミナとHPのトレードだった。
腐葉土を掻き分けていたブーツが止まる。すぐさま反転、勢いあまってじぶんを追い越してしまったワイルド・ウルフを一匹、切り裂いた。
眼前には一一匹のワイルド・ウルフと一匹のスマート・ウルフが目を光らせていた。ついに諦めたかと、牙を輝かせている。
ヨシュアはかっと目を見開き、思考を氷の器に落とし込み、手足だけを灼熱の釜へ踊らせる。
これより、たった八秒の死闘がはじまった。
――一秒。
手近に居たワイルド・ウルフを切り裂くために踏み込むと、三匹ずつ左右に回り込み、そしてもう三匹が正面から迫った。逃げ場が一瞬でつぶされる。
同時、正面のオオカミを飛び越えるようにして、二匹のワイルド・ウルフが上空から飛びかかった。上下左右をつぶした連係攻撃は、あまりにも賢すぎる。
スマート・ウルフが居る効果であろう。
――二秒。
正面と左右からの攻撃には対処せず、上空の二匹をまとめて払い気味に切り裂いた。そのまま体勢を深く沈め、もう一回転。短剣は掠るが、これは致命傷に至らない。
左右と正面の九匹があごを開け、我先にと牙を突きたてはじめた。防具の上から噛みつかれているが、これで、HPはすでに六割を切っている。
おそらく、防具を〔生成りの服〕から〔狼の革鎧〕にしていなかったら、これだけで死んでいただろう。
――三秒。
立ち上がるために、腰のあたりに食らいつく奴を優先し、三匹の頭蓋を貫いた。
それに怯えず、残る六匹は未だにあごを開こうとしない。持続ダメージによって、HPはあと四割まで減っていた。
スマート・ウルフがおかしな挙動を見せた。後ろ足を折りたたんで座りこみ、虚空へ向けて口を開く。
ヨシュアの思考が収められた氷の器から、しずくがたれ落ちた。
そのスマート・ウルフの姿勢はまずい。ヨシュアにも意味が分かる。しかし、かまってはいられない。
――四秒。
さらに三匹潰し、ヨシュアは強引に立ち上がった。食らいついていたワイルド・ウルフたちが無様な恰好で、あごだけを支点にからだを宙にぶらさげている。
HPは、あと二割を切った。おそらく、つぎの一秒でからだに食いついたすべてのオオカミたちは倒しきれるだろう。
しかしその時点で、ヨシュアのHPは一割未満しか残らない。八秒などというのはあまりにも都合のいい計算だった。
よくて六秒。それが限界であろう。
スマート・ウルフの喉から〔遠吠え〕が森に響き渡った。範囲内のワイルド・ウルフたちが耳を立て、集まってくるのだろう。
――五秒。
この場に居るすべてのワイルド・ウルフは死に絶え、ヨシュアとスマート・ウルフだけが残された。
湿った土の上にあるドロップ・アイテムが収められたカードを拾う暇はない。おそらく、そのまま消滅してしまうだろう。
ようやく得た一対一の機会だが、すでに攻撃がかすりでもすれば、死は免れないHPだ。腰のバッグからアイテムを取り出し、回復する時間もない。
――六秒。
ゆえに、ここが限界点である。
スタミナ・ゲージは三分の一ぐらいにまで回復していた。これならば、ギヴァン街道まで持つだろう。
小薮から、がさりという死の足音が響いてきたのを感じ取り、ヨシュアは反転し、スマート・ウルフたちに背を向けて走り出した。
視界右下のマップを見つつ、障害物のように立ち並ぶ木々を避けながら走るのは、神経をすり減らすほどに疲れるが、死の六秒よりはマシであった。
命をかけた障害物走を踏破して、ヨシュアはほとんど転ぶようにして森からギヴァン街道へと走り出た。
「た、助けてくれ! ヘルプ・ミー!」
街道には、うさぎや鹿を狩っているプレイヤーがほとんどだったが、中にはクマを狩っているようなのもいる。
クマを狩っていた三人グループは、親切にも、ヨシュアに遅れて飛び出してきたワイルド・ウルフとスマート・ウルフを狩りとってくれた。
VR世界ではきわめて上達がむずかしく、不人気装備の弓を装備した女性プレイヤーは、器用に矢を当ててターゲットを奪いとり、鎧に切られているような小柄な男の剣がつぎつぎに飛び出すワイルド・ウルフを両断し、ローブを深く羽織った魔法使いがスマート・ウルフを多数の光の玉で倒した。
女性プレイヤーはとくに良い腕をしていた。およそ三〇メートルという距離を、正確に当てつづけるというのは素人のものではない。
「た、助かった。ありがとう。ほんとうに、ありがとう」
いいながら、ごそごそと腰のバッグに手をやり、壜入りの薬草茶を取り出した。料理スキルで作っても、材料が材料だけに、少量の回復効果が付与されているのだ。
青汁にハーブを加えたような臭みと苦みに顔をしかめながら飲み込むと、HPゲージが徐々に回復していく。効果はさほど高くないが、それでも安全圏には到達した。
矮躯の男と魔法使いは、ドロップしたアイテムを回収してから、ヨシュアに近づいてきた。いちばん遠かった女性プレイヤーは、とてとて小走りしている。
「だいじょうぶでした?」
「ソロで森とは、無茶をするな」
矮躯の男は心配そうに言うが、魔法使いは若干の苦笑を織り込みながら、倒れたままのヨシュアに手を伸ばしてくれた。
頭上のアイコンを認識して注視すると、ポップ・アップして名前が展開した。鎧男の方がクロモリ、魔法使いの方がカーボンということがわかる。
「どうも。なんとか、ギリギリ死なずにすみました」
カーボンの手を取って立ち上がり、ヨシュアはついてもいない土埃を、はたいて散らした。気分的というか、癖のようなものだ。
そのあいだに、弓の女――アルミが近づいてきて、クロモリとカーボンのふたりに、
「おつかれー」
と声をかけた。すこしハスキィで、どこか切ないような色がある。
「君もおつかれ。どんな狩りしてんの?」
くすくすと笑いながら、彼女は弓を背にしまった。
「いや、そんなつもりはなかったんです。ほんとうに」
「うん。じゃあ、なぜ……?」
小首をかしげながら、クロモリが聞いた。童顔で小柄の彼がそうすると、まるで幼い子のようだった。
ヨシュアは言っていいものか一瞬、思案した。彼にも、レア・スキルを独り占めにしておきたいという欲はある。
が、じぶんのように森に迷い込む者がいれば、広まるのは時間の問題だろうと判断し、話すことにした。
「測量スキルを上げていたんです」
「測量……というと、地図を作れるということか」
「はい」
地図というものがいままで、なぜ存在しなかったのか。多くのプレイヤーは謎であったろう。その必要性が見当たらないからだ。
大多数のプレイヤーたちの見解として、ウィンドゥ・コマンドで手軽に買い物や取引ができないのとおなじように、つくりこんだ世界を見ろ! という、制作者たちの幼稚なメッセージであろうというのが通説だった。
いままで、紙とペンを購入し、自分でおおまかにマッピングしていたプレイヤーも居ただろう。だが、それがスキル的にできるということがどれだけの意味を持つか。すくなくとも、PvPやらGvGが様変わりすることは、想像にかたくない。
「ふーん。おもしろそうだこと。くわしく聞きたいね」
きらりと目を光らせるのは、アルミだ。弓使いは高所を取ればそれだけで有利になる。地図に目をつけるのは、当然のことだろう。
「ここじゃ、話しづらいだろう。もしも……あ-、ヨシュアって呼んでいいのか? おまえが良ければ、場所を移そう」
「はい。それじゃあ、カーボン。ギヴァンのNPCショップにでも」
四人はギヴァンのNPCが経営する喫茶店〔デルフィナス〕へ舞台を移し、そこでいくらかのことを話した。
測量士になる方法や、クロモリたち三人がリアルの友人関係でこのPWOをやっていること。
なぜアルミが不人気の弓を使うのか、どうしてヨシュアがエルフなのに魔法を使わないのか。
話題はいくつもがあり、気づけば一時間を過ぎて話し合っていた。
これほど人と話したのは、義明にはひさしぶりのことだった。
一段落して、四人が残っていた飲み物を口にした。冷めてしまったコーヒーは、しかしヨシュア念願の味である。
「ヨシュア。おまえのスキル上げ手伝わせてくれないか。もちろん、下心があってのことだ」
カーボンが切り出した。交渉ごとがうまい方ではないらしく、ずいぶんと率直な物言いである。
それだけすっぱり切り出されると、ヨシュアもなんだか気持ちよいとすら思えるから、不思議なことだ。
「それはありがたいよ。つまりぼくは、君たちに護衛して貰う。報酬はできあがった地図ってことだろう」
こくんとうなずいて、カーボンはクロモリとアルミに了解を取った。ふたりもうなずいて、納得していた。
「そういうことになる。いまから行くのは遅いし、ヨシュアも疲れたろう。あした――現実世界でのあした。ログ・インしたら、フレンド・メッセージかなにか、送ってくれ。そうしたら、すぐに行くから」
そういって、カーボンたちはヨシュアにフレンド登録の申請を出した。これを断るわけもなく受け入れ、そのことで契約は成立した。
「あしたからよろしく。クロモリ、アルミ、カーボン」
「ああ。君には指一本触れさせない……とはいかないな。戦って貰うことになる」
「そのぶん、後方支援はおまかせってことで。よろしくね、ヨシュア」
「バフもあるし、火力も低くはない。釣りもできるからな」
三人の構成は、戦士と弓使いと魔法使いであるから、もうひとり、ヨシュアという短剣使いが前衛として戦うほうが、バランスはいいだろう。
四人で握手を交わして、こんかいは解散ということになった。三人はもう一稼ぎしてくるらしく、ギヴァン街道へ戻っていった。
ヨシュアはさすがに疲れが誤魔化せないぐらいにまでになっていた。一刻もはやく休みたいという気持ちがあふれてくる。
さいわいにも、喫茶店からさほど離れていない場所に、NPCの経営する宿屋〔ホロロギウム〕はあった。
中に入ると、受付に、すこしそばかすは多いが、愛嬌があってかわいらしい赤毛の女性が座っている。
「いらっしゃいませ。お泊まりですか?」
「うん。一泊おねがいできるかな。空いてるならどこでもいいんだ。できるなら安いところがいいけど」
「いいですよー。朝食付きなら三〇エルク。なしなら、二五エルクです」
エルクというのは、この世界における通貨単位である。二エルクでコーヒーが飲めることを考えると、高くはない。
「その部屋をお願いします。えーと……ちょっと待っててください。いま素材を換金してくるんで!」
装備の購入で所持金がすっからかんだったことを忘れ、ヨシュアは青ざめた。
よくもコーヒー代が残っていたものである。
「はい。予約してお待ちしてまーす」
にっこりと営業スマイルを崩さず、そばかすの受付嬢はヨシュアを見送った。
ヨシュアは適当な露天で素材を買い取って貰い、ようやく宿へ入ることができた。
とはいえ、いまも残金は非常に厳しいものがある。
スマート・ウルフに追い立てられたときに拾えなかったアイテムを思い出し、ため息のひとつも吐かなければやっていられなかった。
「いいや。生きていられただけ、もうけものだ」
ベッドに横になり、ヨシュアは装備を解除して肌着姿になった。そしてウィンドゥを表示し、ログ・アウトのボタンを押した。
およそ五分ほどヨシュアの仮想体はこの世界に残り続けるが、その中にあった意識が浮上し、日枝義明のからだへと戻っていく。
「……ふぅ」
現実のからだは、ヨシュアと比べて重たい。それはステータス的なものなのか、体調的なものなのか、あるいは気分なのか。
義明には判別がつかなかった。しかし、どこか息苦しいものを感じてしまうのは、ぜいたくなのかもしれない。
かぶっていたヘルメットを外し、ベッドの脇に設置された本体の上に置くと、それだけで一苦労なのである。
「疲れたなあ」
精神的な疲労はしかし、どこか気持ちよいものを伴っているように思えた。
いろいろあったとはいえ、コーヒーを飲むという目的は達成したし、おまけにPWOの世界で知り合いまでできた。
現実では、知り合えるものなど、せいぜい大部屋の患者仲間か、面倒を見てくれる看護師と医者ぐらいだろう。
そう思えば、MMOというものは義明にとって、ただ擬似的にあるけるようになるツールではなく、外界に繋がるものでもあった。
「でも、楽しみだな。あした」
約束というものは、義明にとって特別なことに思えた。それが打算と損得のまざった関係であっても。
「……もしかしたら、ずっといっしょに組もうなんて言われちゃったりして」
あかるい未来に思いを馳せながら、義明はすこし笑った。
消灯時間になるまで、その妄想と笑いは続いた。
*
朝から煙っていた糠雨が上がり、蓋をしていた白いものが、すこしずつ裂けはじめた。
ようやく顔を見せた日が照明を射し、水のドレスを纏った新緑がキラキラと輝いている。
窓に張り付いたしずくのカーテン越しに、義明は暑くなりそうな午後の空を眺めていた。
こういう時ばかりは、空調の効いた病室から出ないで済むことを安堵していた。
きょうはリハビリの予定もなく、なにか事件でも起こらなければ、汗をかく用事もない。
ベッド備えつけのテーブルに置かれた教科書とノートへ視線を戻し、意識を勉強へと引き戻していく。
地理という表紙のついたペーパー・メディアの教科書は、いまでも大多数の学校で使用されている。
一部の私立校などはデジタル化され、電子的なツールを使った授業に切り替えているが、まだまだ整備はすすんでいない。
もともと義明は地理という科目が得意ではなかった。というよりも、興味がなかったという方が適切だろうか。
旅行へ行って観光地をまわってもたいして感動するでもなく、土地の名物を口にしてもたいしてうまいと思うわけでもない。
義明は振り返るに、あのころのじぶんはまだ目を開けていない、こどもそのものであったようだと自嘲する。
いや、それ以下だったのではあるまいか。
こどもならば目を開こうとするが、義明にはその気概がなかった。なんにせよ、無気力だったのである。
それが下半身不随というハンディ・キャップによって目が覚めてみれば、遠くへいけるということの、どれだけありがたいことか。
いまでは現実世界での旅行など、夢のまた夢であろう。
VR世界でも、もうひとつの現実としてかなりのリアリティを追求したシステムは存在するが、しかし現実の鏡ではない。
街並みなどもほとんど再現されておらず、運営が築いた土台に、ユーザーが独自に作り上げた世界にすぎない
VRで旅行というものは、一定の需要がある。はずなのだが、どういうわけか未だにリリースされていないのだ。
旅行会社などとのトラブルでもあるのか、というのが義明の想像だが、真相はわからない。
そういう経歴から、測量スキルと出会い、義明のこころに地理というものが、だんだんと芽生えていくようになった。
だからといって、テストでいい点数をとれそうかというと、そう直結するわけでもないだろう。
だが、興味がでてきたというのは大きな変化である。そうすれば、未来はどんどん揺らいでいく。
こういうことをきっかけに、義明はいままで見ていたが、見えていなかったものの再発見を、たのしむようになっていた。
意識を集中すれば、時が過ぎるのはあっという間のことだ。
しばらくして、義明は机に乗った時計を見た。外はまだ昼間のようだが、時間はとっくに三時を回っていた。
「んー……けっこう、集中したなあ」
勉強を切り上げると、伸びをしてかたまった首や肩をほぐし、一息ついた。
消毒液の混ざったような空気をいっぱいに吸いこんで吐き、散らばった勉強道具をかたす。
上半身の運動だけでやるとなると、だいぶ面倒なことなのだが、さすがに義明も慣れたものだ。
まだ夕食になるまで時間がある。
この時間帯だと、普通の生徒ならば、部活に精を出したし、友人たちとファミリィ・レストランやファスト・フード・ショップなどで談笑したりしているころだろう。すくなくとも、わざわざこの時間帯のTV番組を見ようと、いそいそ帰宅するということはあるまい。
多分に漏れず、義明もそのつもりはない。空いた時間があるのなら、それを費やす先は決まっている。
白いヘルメットを取り出して被り、側面についたスウィッチを押し込む。
たったそれだけのことで、意識は現実から飛翔した。
ベッドの上からベッドの上に転移して、ヨシュアはつい苦笑をこぼした。
起き上がって装備一式を身につけると、なんとなく、シーツのしわを伸ばしておく。
鏡がないから髪の確認なんかはできない。手櫛を通すだけにしておき、ヨシュアは部屋を出た。
「おはようございます。お寝坊ですね」
赤毛の少女がにこりと笑いかける。含みもなく、どうやら単純にそう思っているようだ。
ステータス画面を開くと、たしかに時刻は午前八時を過ぎていた。ヨシュアはかりかりとあたまを掻いた。
「これでもがんばって起きた方なんだけどね」
「朝ごはんつきでしたよね。たまごは片面両面、それとも炒りますか?」
「あー……両面ぽくぽくで」
また少女はくすくすと笑った。
「はい。両面ぽくぽくで」
しばらくして、朝食ができあがった。
こんがり焼けたトーストと、両面ぽくぽくの目玉焼き、ベーコンが入ったトマト味のスープが並んでいて、スプレッドとしてはちみつか自家製マーマレードをえらぶことができた。
トーストを砕いて四つに割り、そのひとつにはちみつを塗って、さくさくと食べながらヨシュアは、フレンド・リストを見たが、三人はまだゲーム内にはいないようだった。
甘くなった口をスープで引き戻し、塩とこしょうで味付けした目玉焼きを砕いたトーストのひとつに乗せて、行儀わるく押し込むように頬張った。さすがに苦しくなったところへ、またスープを飲んで喉の滑りをよくする。
砕いたトーストをスープに浸して食べ、もういちど、はちみつを塗った最後の一片をデザート代わりにした。
食後のコーヒーを飲みながら、ふと、そばかす顔の受付嬢を見ると、ヨシュアはじぶんがにやにやとほほえまれているのを知った。
「ええと、なに」
「うふふ。なんだか、弟みたいなんだもの」
かあっと、ヨシュアは顔に血がのぼるのを感じた。たしかに、人前でするような食べ方ではない。
「悪かったね。こちとら所詮、森の民だよ」
ぶすっとふてくされるところがまた、こどもらしいと少女は笑うのだ。ゲーム内での生まれのせいにするヨシュアのどこに、大人っぽさがあるだろう。
「かわいいって言ってるのに」
「ぼくだって、それがいいことじゃないって分かりますよ」
「そういう年頃なのね」
どうにも勝てそうにないと悟って、ヨシュアは早々に切り上げることとした。いかにも少女に見えるのだが、実は酸いも甘いも噛みわけたような女性なのかも知れない。そう邪推しなければならないほどに、敗北のコーヒーは苦かった。
「またのお泊まりをー」
食事もよく、それで三〇エルクという値段なら、かなり良心的な宿だった。
というよりも、ギヴァンを拠点にする以上、ヨシュアはこの宿に泊まらなければならないだろう。
なにをもって雪辱に望めばいいかは不明だが、すくなくとも食事マナーは身につける必要があるように思われた。
三人が来るような時間まで、ヨシュアはひとりで時間をつぶさなければならない。
狩りへ行くとなると、それでもう今回のダイヴ分のちからを使い果たしてしまいかねない。ソロでの戦闘は、かなり神経をすり減らすものだ。
とくに、ヨシュアは森でほとんど死ぬという状況に陥ってから、かなり安全マージンを取った行動を望むようになっていた。
たとえゲームでも死にたくはない。誰もがそう思っているが、デス・ペナルティとはまた別にそう思うのは、余計なことだろう。
じぶんでじぶんを縛って、亀のようになっていく。それがいいことではないとわかっていても、心理は動かしづらいものがある。
「すると、スキル上げか」
いま現在、ヨシュアが所持しているスキルは、短剣、料理、測量の三つである。
測量はいうまでもないが、ひとりで行ける安全な場所はすでにマッピングしてしまっている。だからこそ、深い森という場所に踏み込んだのだ。
上記と同じく、短剣を鍛えるのならば、必然的に戦闘をこなさなければならない。
消去法の結果、ヨシュアに残されたのは料理スキルの研鑽となった。
といっても、ヨシュアのバッグには、獣肉と薬草ぐらいしか使えそうなものはない。皮などは、売り払って金に換えてしまったのだ。
「腹は減ってないんだけど、となると、食材はいろいろほしいよな……」
残金を確認して、ヨシュアは八百屋でいくつもの野菜を買い、雑貨屋でスパイスの類を調達した。
そして、街にある施設を使うため、ヨシュアは視界左下のマップを見つめ、場所を確認して歩き出した。貸しキッチンというものがある。
料理や裁縫、鍛冶など、じぶんの店を持つまでのスキル上げ手段として、そういうものが設置されていることはおかしくない。
現実ではあまり重用されないだろうが、ゲームの世界では、こういう場所は必要なのであった。
そして貸しキッチンへ行き、エプロンと三角巾を身につけた男の人へ向かい、
「一二〇分貸してもらえますか?」
「二〇エルクでございますよ」
「はい。これで」
男は目を細めて、置かれたコインをたしかめた。
「たしかに。どうぞ。三番キッチンをお使いくださいませ」
代金を受け取り、彼はそこへ鍵を置いた。
「どうも」
貸しキッチン施設は丁字のような作りになっていて、それぞれ中央から左右に折れた通路に、四つずつドアがある。その先、ひとつひとつが、四畳ほどのキッチンになっているのだ。
ヨシュアはその内、三番と書かれたドアを鍵で開き、中へ入った。壁は白く清潔で、油汚れやシミなどは見当たらない。
「さて、なにを作るか」
お昼の何分間クッキングのテーマを口笛で吹きながら、ヨシュアは買ってきたものを取り出した。
基本的な野菜から、すこし癖のあるものまでそろえている。基本的な調味料や油は常備されていて、無尽蔵に使うことができる。
ここらあたりは、さすがにサーヴィスだ。
野菜がごろごろと転がった流し台は、さすがに手狭になっている。それらをどけてから、まな板、フライパンなどをセットし、いちおうの準備は整った。
「包丁なんて、調理実習でしか触ったことないよ。そうだ、ナイフ。短剣スキルで勝負」
腰の鞘から青銅の短剣を引き抜き、水で洗ったジャガイモを剥こうと試みる。
「料理スキル、オン。うーん、お、出た出た。ガイドいける」
ぎこちないながらも、なんとか厚めに皮をむき終えると、じゃがいものステータスが剥きじゃがいもへと変化した。
「むき終わったあ。……よし、ここは思いっきりジャンクに、油で揚げてフレンチ・フライといくか」
他のじゃがいもすべてを剥き終わるころには、ガイドはすこしばかり詳細になり、ヨシュアの腕前も上がっていた。
なにかを作ろうとすると、脳裏にそのレシピが浮かんできた。料理スキルはガイドだけでなく、レシピをその場で把握することもできる。
手際よくとはいかなかったものの、ぶじにフレンチ・フライができあがった。
塩をぱらぱらと振って、ヨシュアはひとつ摘んで口に放り込んだ。
「あっちぃ! でもうまい。うますぎる。このジャンクな感じ、ひさしぶりだ」
これに気をよくしたヨシュアは、手元の材料で、浮かぶ限りのレシピを仕上げていった。そのうちに料理スキルは成長し、いまや一介の主婦ぐらいのレパートリィがあるといっていい。
急速に料理に目覚めたヨシュアは、ついに禁断の扉を開こうとしていた。
すなわち、オリジナル・レシピというパンドラの箱だ。
女性がこの罠にハマっていることを存じている男性は、不幸である。
彼と彼女の関係は恋人であったり、夫婦であったり、様々だが、そのでき映えは前衛芸術と称されることすらある。
「おいしいとおもって」「なんとなく」「ふんいきで」「オリジナリティはだいじ」
このように感覚で料理し、味見すらせずに仕上げ、できあがるのは味覚汚染兵器とでもいうべきものだ。
ヨシュアの場合も、ほとんどそれに近い。
――ただ薬草と肉があったから。
たったそれだけのことで、この地雷原へ挑むのであった。
「薬草をみじん切りにして、スパイスと混ぜて肉の臭み消しにしてっ、と」
ヨシュアが、上がった料理スキルと感覚で作り出したレシピは、以下の通りである。
1 肉を叩いて軟らかくする
2 肉に刻んだ薬草と塩、胡椒をすり込み、時間をおく
3 たまねぎ、トマト、ピーマン、ニンニクを微塵切りし、鷹の爪を小口切りにする
4 刻んだ3の材料を炒め、塩で味を調え、トマト・ソースを作る
5 時間をおいた肉をフライパンでソテーする
6 焼き上がった肉に、トマト・ソースをかけて完成
で、問題の試食である。
「―ーうん? うまいぞ、これ」
薬草自体は青汁にハーブをぶち込んだような味だが、この調理法だと、ソースで苦みが軽減され、しかしハーブのような香りは残り、さわやかさと演出していた。
アイテムとしてのステータスを見ると、薬草やにんにくを使っているせいか、HPを一五パーセント程度回復できる能力があるようだ。もっと漢方のような具材を使えば〔薬膳料理〕は成り立つのだろう。
「つまり、こういうことも可能なはずだよな」
買ってきたレモンを小鍋に絞り、腰のバッグから出した薬草茶を注ぎ、砂糖を足して、すこし煮る。それを冷ましてなめると、
「……もうちょっと、他のフルーツを混ぜたいけど、でも、かなり飲めるようになったな。HP回復効果も残ってるし」
マーマレードのような発想で、苦みを柑橘系の皮の苦みとして誤魔化そうという作戦であった。
「錬金スキルでポーションを作って、料理スキルでさらに加工すれば、おいしいポーションが作れるんだろうか」
あるいは、錬金スキルと料理スキルのガイドを同時に起動して、ポーションを作る過程で、料理的な処理を施す。もしくはその逆。
味覚というものが存在する以上、それにはメリットとデメリットが付随する。どれだけ効能が高くても、まずいものはなるべく口にしたくないものだ。
「錬金スキルも取って、チャレンジしてみるかなあ」
料理にはまってしまいそうなヨシュアであった。
時間がきて、貸しキッチンをあとにすると、三人がフレンド・リストでオンライン状態であった。どうやら楽しくなってしまい、チェックを怠っていたようである。
フレンド・リストからメッセージを送ると、クロモリたちはギヴァンで回復薬などの補給を行っていたところだという。
ちょうどいいぐらいのタイミングだったと安堵し、ヨシュアは三人がいるであろう、露天の薬屋へと駆けつけた。
果たして三人はいた。
「やあ、一日ぶり。準備はできてる?」
「まあね。ちょっとはやくログ・インしてたから」
「なら行きましょうか。きょうは深い森の残りを探索ってことでOK?」
「異存はない」
四人は打ち合わせもそこそこに、場所を移動した。
息をすると、のどに湿気が張りつくような森の中、四人は快調に進んでいった。ワイルド・ウルフのようにリンクするものは多少の無茶しても速攻を仕掛けて殲滅し、ワイルド・ボアのように突破力のあるものは弓や魔法で先制ダメージを取り、その隙にクロモリとヨシュアがスキルを駆使して仕留める。
たまに出てくる芋虫のMOB〔ジャイアント・キャラピラー〕は動きが遅いおかげで楽勝だったのだが、変態した〔ジャイアント・モス〕は動きが素早く、かなり苦労させられた。鱗粉による視覚と状態異常攻撃は、四人にとって苦々しいものだ。
女性プレイヤーであるアルミが虫系に怯えなかったというのは、パーティ・メンバーにとって僥倖だったろう。
むしろ男たち三人のほうが、なまなましい虫のグロテスクなきもちわるさに怯えていたぐらいである。
「情けないの」
と、呆れたようにアルミは言う。それにたいしてぐうの根も出ない三人なのだが、クロモリが勇気を振り絞った。
「とはいうけどね。あのぐねぐね動く無修正グロはひどいもんだよ」
「情けないの」
「ぐ、む……」
勇気は砕け散ったのだった。
「歩みを進めよう。ヨシュア、まだマッピングできていないのは、どのあたりだ?」
「あ、ああ。そうだな。もうすこし奥……スマート・ウルフと出会った周辺が抜けてるかな」
カーボンのサポートによって、クロモリの勇気は道を作った。
「はぁ。これだから男ってやつは」
少女のつぶやきは森に消え、彼女だけの苦悩がひっそりと積み重なった。
おおよそ深い森のマップが埋まると、ヨシュアたちは一息いれるために、測量士・ランドのログ・ハウス近くまで来ていた。
ここへ来たのは、休憩のためというのがひとつと、アルミとカーボンが測量スキルを習得するためというのがもうひとつである。
クロモリとヨシュアを残し、ふたりはランドの居るであろうログ・ハウスへと入っていった。
朽ちた巨木を椅子代わりにふたりは座り、ぐっと背筋を伸ばした。骨が鳴るわけでもなく、単なるくせにひとしい。
「ちょっと疲れたね。まだいけそう?」
「ぜんぜんイケるよ。ソロの時とくらべれば、天国みたいだ」
「そういう見方もあるか」
腰のバッグから薄黄色の飲料が入った壜をふたつ取り出し、クロモリは片方を放った。
ヨシュアは反射的に受け取ったはいいが、中身は知れない。クロモリは蓋を開けて、一息で飲み干してしまう。
「りんごの果実水。けっこう、うまいよ」
「ありがとう。それじゃあ……」
おなじように腰のバッグからレモン風味の薬草茶を取り出し、クロモリに渡す。
「調味薬草茶。レモン・ピール・ハーブ・ティみたいな感じ」
「へぇ。HPも回復するじゃないか。なんか、こっちが得したみたいでわるいね」
「味の面ではこっちが得してるよ」
笑いながら、ヨシュアは果実水を飲んだ。冷蔵庫に入れていたほどではないが、ほんのりと冷えていた。りんごを丸ごとかじったような、さわやかな香りと甘みが口に広がる。
「あー、うまい。ステータスじゃHPは回復してないけど、気分的には回復した気がする」
「わかるわかる。うまいもの食べた時とかはそう思うよ。ギヴァンだと、PCショップの〔それいゆ〕なんかオススメ。カフェなんだけど、軽食とかが充実してるよ。パスタがとくにうまい」
「へー。エルフだと自炊が基本だから、あんまりそういうところ行ってなかったけど、パスタか。いいな」
などなど、深い森の中、モンスターをあいてにする戦士ではなく、年相応の友人としてクロモリとヨシュアは会話を紡いでいく。
日の当たらないような場所だというのに、なぜか周囲があかるくなったような気がして、ヨシュアはよろこびがこみ上げてきた。
ゲームとは思えないような、のどかな日常を謳歌するのもいいな、などと思っていた。
――直後、森を引き裂くような遠吠えが聞こえるまでは。
「ハウリング? スマート・ウルフか!」
「まずいね。数にもよるけど、ふたりだと対処しきれない可能性が高い」
さきほどまでの雰囲気が嘘のように冷え切って、森は敵意をむき出しにした。
取り囲むように、数十の輝きがきらめいている。
「最低、二〇は居るね」
「一度に対処できて三匹かな。ふたりなら良くて六匹。生きても死んでも一分はかからないよ」
茂みが掻き分けられ、ふさふさの毛皮をした一匹がふたりの前に姿をあらわした。毛皮の色は違えど、その名称はたしかにスマート・ウルフである。
レアMOBには倒されたあいてを覚えている累積ヘイトのシステムでも組み込まれているのか、あきらかにふたりには通常以上の怒りと敵意を向けている。
「さっきもらった薬草茶、さっそく役立ちそうだね」
「それは幸い」
最後の軽口を叩いて、ふたりは背中をあわせた。せめて背中の死角をなくそうという涙ぐましい努力だ。
そしてオオカミたちは叫声を上げ、一斉に襲いかかる――。
*
アルミが熱心に測量のことを教えて貰っているあいだ、カーボンはおとなしく座っていた。
はじめは教えてもらおうと思ったのだが、考慮した結果、将来的にスキル・スロットに詰め込む余裕はないとし、アルミだけ教えて貰うことになった。
しかし、ランドから聞く雪山や砂漠などへの対処は重要な情報なので、これは逃さず聞いている。
世界を歩いている測量士からの情報というのは経験則なので、得難いものだ。
アルミはメモを取りながら聞いているが、カーボンは記憶に留める。記憶力には自信がある方なのだ。
雪山で崖から落ちそうになったとき、小指一本で身体を吊り上げたという、嘘か真かわからない話を右から左へ流しつつ、開かれた窓から外を眺めていた。
そんなカーボンだから聞こえたのだろう。どこかから、叫び声のようなものがしたのに気づく。
「森からか。聞こえるということは近いな」
即座に思考がリンクし、おもてにはヨシュアとクロモリが居るということに繋がる。
だが、アルミはまだ測量スキルを習得していないので、動くわけにはいかないだろう。
「すみません。すこし、外の空気を吸ってきます」
「ああ。森の空気はうまいからな。そこで――」
「いってらー」
ふたりは疑問に思わぬ。
ドアをそっと開けて外へ出ると、音は明確にカーボンの耳へ届いた。距離にして、およそ二五メートルほどだろうか
鉄と牙が交差し、一瞬、拮抗のち、青銅が切り裂く。オオカミが光に変わり、森の霞となり果てた。
「数はっ」
「増えてる!」
「HPがレッド入ったっ」
「諦めたら終わり!」
余裕はなさそうだった。とはいえ、カーボンがそこへ飛び込んでいくわけにはいかない。
魔法使いであるカーボンに、近接戦闘技術は期待できるものではないのである。
しかし二五メートルいう距離は、いかに魔法とて到達するのに時間がかかる。
カーボンは走った。
それは五〇メートル走に換算すれば、一〇秒切るかどうかという速度だが、彼にしては精一杯なのである。
AGIがはっきりいって低いというのと、カーボンのプレイヤー自体、運動が苦手という理由である。
絶対に外さないという自信のある距離はカーボンにとって一〇メートルである。すでにHPがレッド・ゾーンに達しているというヨシュアにそれが間に合うか。
否、間に合わせてみせる。
しかし、最速で走りながら、なお足りない。
「〝あまたに輝く星々の、光を束ねて礫と成し――」
ふだん彼は、指で宙に魔法陣を描き、魔法を構成するという手段を執る。だが、それは走りながらでは使えない。
ゆえに、カーボンは恥ずかしいという理由で封じてきた、口頭詠唱式を用いる。
「――かさねて指ほど数を積む〟」
一五メートルにして魔法の構成は完了した。
ほとんど叫びにも近いほどの張り上げとともに、現象となって世界を侵蝕する。
「〔光・連・礫〕!」
宙に輝く魔法陣から飛び出した五つの光礫が、ふたりを取り囲むオオカミたちを駆逐した。
「カーボン、測量は?」
「ゲームで勉強は性じゃない!」
「魔法使いのくせにっ」
限界にひとしいというのに、ヨシュアとクロモリは笑みを浮かべた。一瞬の間ができて、ふたりはカード状態から物質化させておいた薬草茶を一気に呷る。
「飲める。っていうか、うまいよコレ」
「つくっといて正解だった」
空になった壜が放り投げられると、それは腐葉土だらけの地面に落ちた瞬間、無数の光になって散った。
オオカミたちは新たな参入者、カーボンも敵として認定し、ぐるぐると喉を鳴らした。残るは一四匹ほどである。
ヨシュアとクロモリは回復したとはいえ、それはレッド・ゾーンからイエロー・ゾーンまでに戻ったという程度で、安全圏ではない。
アルミのタゲ奪いがない分、カーボンは相当のダメージがくるものとして、心構えを決めていた。
スマート・ウルフの|遠吠え《ハウルとともに、第二幕がはじまった。
ごう、とうなりを上げて、前と左右から襲いかかるオオカミの疾駆を、クロモリとヨシュアは一撃一殺で確実に仕留めていく。だがそれでは遅い。
それをサポートしようとするカーボンにも、ワイルド・ウルフは噛みついてきた。牙がからだを抉り、不快感が脳へ突き抜ける。
稲妻のように余韻を残す。ぎちぎちと意思で抑えこみ、カーボンは指先を宙へ滑らせた。しかして、魔術は成される。
「〔光・連・礫〕!」
三人のからだに牙を突きたてていたワイルド・ウルフが一掃された。同時、クロモリとヨシュアは走り出す。
その途中、ふたりの目線を受けて、カーボンはかすかにうなずいた。指先はすでに新たなる軌道を描いている。
ふたりに追いすがるオオカミたちは、その背中に爪を奔らせた。溶けるような赤く鋭いエフェクトを曳いて、HPががりがりと削られていく。
回復したばかりのHPは、すでにレッド・ゾーンへと再突入していた。カーボンとて、あと一撃食らえばそうなってしまう。もともと、魔法使いだからたいした防具を装備していないのだ。
ぞぶり、と足に食い込んだ牙を無視して、カーボンは全速力で魔法を構成した。
「〔光・連・礫〕!」
やっていることは砲台といささかも変わらない。だが、これが最善手なのだから仕方がないだろう。
三度の魔法とヨシュアとクロモリの活躍で、この場に居たワイルド・ウルフは全滅した。残るはスマート・ウルフだけである。
だが先ほど、スマート・ウルフは〔遠吠え〕をやっている。
遅くとも、一〇秒あれば、さらなるオオカミは現れるだろう。そうすれば、スマート・ウルフをかまっているわけにはいかなくなる。
だがしかし、それだけあれば事足りた。いかにレアMOBといえど、スマート・ウルフが凶悪なのはそのリンク性能にすぎない。個体自体の能力はさほどに高いものではないのである。
「〔スマッシュ〕!」
魔法と同じく、発声方式で片手剣技が起動された。
肩に担いだ片手剣が橙色の光を帯び、弧を描いて振り下ろされる。
「〔噛み砕き〕ッ!」
おなじく、ヨシュアも短剣技を起こす。
オオカミのからだを半ばほどまで切り裂き、それに続いて薄青色に輝く短剣が鋭く切り上げた。
「っせやぁ!」
直後の切り下ろしで、スマート・ウルフは悔しげな瞳でふたりを睨みつけながら、光へと変わって四散した。
三人はようやく、数秒だが気の休まる時間を得た。この時間を使い、クロモリとカーボンはまずいポーションを二、三本まとめて飲み、ヨシュアは薬草で作った丸薬をレモン薬草茶で飲み下す。
やがて、遠くから響いてくる音が、ワイルド・ウルフたちの接近を三人へ伝えた。
「もう、何匹倒したか覚えてないよね」
「おかげで躊躇はしなくなったけど、精神的にはキツいなぁ」
「……うん? すこし待て。音が違いすぎる」
そういうカーボンにあわせてヨシュアがエルフ補正のひとつである聴力に意識を集中させると、たしかにオオカミにはあり得ぬような、重く沈むような足音が聞こえるではないか。
「そりゃそうだ。オオカミと虫にしか出会わなかったけど、そういうことはあるはずだよね」
「ああ。むしろ出会わなかったのは幸運すぎた」
クロモリとカーボンには見当がついたようであった。ヨシュアが聞こうとしたが、それを待つまでもなく、正体が現れる。
およそ二メートル半はあろうかという巨体を揺らしながら現れたのは、茶色い毛皮のヒグマだ。胸元の三日月がやけに冴え、鋭い瞳が獲物を狙っている。
「ひっ――」
おもわず、ヨシュアの喉から引きつった声が漏れた。
食われる。と直感した。あたまのどこかが、逃げろ逃げろとヨシュアに語りかけてくる。
それは臆病というよりも、生存本能の働きだ。
旧来のMMORPGであれば、おそらくヨシュアはなんの労苦も恐怖もなく、ヒグマを倒そうと短剣を構えたろう。
だがVR世界において、巨体であるというのはそれだけで威圧感をともなう。ましてや、自分たちに狙いをさだめ、食おうとしているのだったら、それはもはや恐怖の権化といっていい。
パラメータ的なことでいえば、三人で倒せないことはないだろう。
しかし、視覚的な恐怖で攻撃してくる敵に、それだけの勇気を振り絞れるものか。
気がつけば、ヨシュアのからだは知らず、後ずさっていた。
「うしろを向くな! 逃げようとしたら、その瞬間にやられる」
「っぐ……!」
カーボンに言われ、ギリギリのところで踏みとどまる。なにせ、敵はヒグマだけではない。ワイルド・ウルフも三匹ほどやってきていたのだ。
「ヒグマは俺がカットする。ヨシュアはオオカミを頼んだ」
そういってクロモリは盾を前面に構え、ヒグマへと接敵していく。
猶予はなかった。ヨシュアは背中を押されるようにして、オオカミたちを切り裂きに走った。
「オォッ!」
真正面から受け止めるのではなく、斜めに受けて流す。衝撃は軽減しているのに、一撃ごとにクロモリはからだが流れそうになる。
右腕に持った片手剣を突き出す暇はなかった。ガリガリと削れていく盾の耐久度を睨みつけながら、しかし必死にこらえる。
「〔光・盾〕!」
叩きつけるように放たれたヒグマの右腕を、カーボンのつくりだした光の盾が支えた。そのときを逃さずに狙い、クロモリは片手剣をバットのように構える。
「〔バニシング〕!」
スラッガーのように、全力で振り抜かれた片手剣は、朱色の光を曳いて、ヒグマへと打ちつけられた。
途端、物理法則を凌駕するほどの速度で、ヒグマは後方へ吹き飛んでいく。背後の木々へと叩きつけられ、衝撃ダメージが発生し、ヒグマのHPが二割ほど削れた。
その瞬間を縫って、ヨシュアが疾駆した。
「うわあぁぁっ!!」
ダウン状態のヒグマへ向けて〔箭疾歩〕が入り、さらにHPを一割減らす。
技後硬直が発生したが、ヒグマが立ち直るよりもはやく、身を引いて反撃を予防した。
そこへ、
「〔土・枷〕」
土がかたちを変じ、ヒグマのからだを縄のように縛り上げていく。倒れた状態のヒグマは、立つことができない。
「速攻かけろ。長くは持たない!」
「オオオォォッ!」
「イィ――ヤアァァッ!!」
乱舞。乱舞。乱舞。ただひたすらに。
斬撃。刺突。殴打。区別もなく、あらん限りをつぎ込んで。
意識が弾け、視界がヒグマから放たれる光で真っ白に染まるほど。
やがて、拘束具となっていた土が元に戻っていく。
そこにはただ、ヒグマの残滓であるカードだけが残っていた。
二度の戦いを乗り越えて、男たちには友情というものか、共有感というものか。他人という関係以上のものが芽生えていた。
そのせいだろうか。
測量スキルをおぼえて外に出てきたアルミが、レモン薬草茶をまわし飲みする男どもをじと目で見ていたのは。
「……ひょっとして、ホ」
「ない! いっさい!」
「ないね。がっさい!」
「ノー・コメント」
「おいっ、想像力かき立てるようなこと言うな!」
「やっぱり、ホ」
「ないよっ!」
誤解がとけるまで、一五分を要した。
測量スキルでマップ・データを共有して、四人は深い森における未踏破地区をコンプリートすることができた。
いくら自分たちの努力の成果を見せたいという幼稚な運営といえど、そこまで鬼ではない。マップ・データを共有することで、安全確認をすることが可能となるのだ。
といっても、実際に確認したデータではないから、踏破するまでは不完全状態として扱われるのだが。
道中、ヒグマとはそれから四回ほど出くわした。序盤にしては強力なエネミィだがレアMOBではないらしく、四人は出会うたびに大騒ぎであった。
しかしながら、四人の相性は非常によかったようで、弓でタゲったところを吹き飛ばしで転倒させ、土・枷で固定して、全員でたこ殴りという作戦が功をなし、余計な自信をつけたほどだ。
そのせいで一度、クロモリがバニシングを外し、アルミが殴られて潰走するという事件もあった。
なんとか切り抜けて合流し、調子に乗ったことを反省して、探索は続けられた。
深い森は浅い森から続いているが、その端からは渓谷になっているようで、そこから降りてどこかへ行こうとするのは、だいぶ無理がありそうだった。現状では、ギヴァンへ向かう場所以外は、進むことができないだろう。
もっと成長して、たとえばロープなんかのスキルを使えるようになれば、また別の話であろうが。
しかし、これでヨシュアとクロモリたちがパーティを組む理由はなくなってしまった。
彼らがほしかったのは測量スキルであって、ヨシュアという個人ではない。ヨシュアにしても、深い森という難度の高い場所をクリアしてしまったから、これでもう、パーティ解散でもおかしくないわけだ。
深い森を抜け、ギヴァン街道に四人は帰ってきていた。
あたりでは初心者プレイヤーらしき初期装備の群れが、動物をおいかけまわしていた。
時刻は夕暮れで、赤々とした日が沈もうとしており、そろそろ光源を持たなければ、夜の活動にマイナス補正がかかるだろう。
このままギヴァンへと歩きながら、ただとりとめもなく、口を動かしている。
――時が止まってしまえばいいのに。
そう思ってしまうのは、わるいことだろうか。
ヨシュアにとって、この二日間は最高に楽しかったのだ。隔離された病室から、人とふれあえるというMMOのありがたさ。
ぬくもりに飢えていたのである。それを自覚してしまって、意地でも欲している。だのに、どうして手放さなければいけないのか。
三人は現実の知り合いで、そこにヨシュアひとりが混ざるというのは、並大抵のことではない。
だが、それでも手を伸ばさなければ、チャンスは行ってしまう。幸運の女神には前髪しかない、という言葉もあるように。
「あのさ。……よかったら、ぼくをパーティに入れてくれないか」
きょとん、と、三人がおなじような顔をした。
「なに言ってるの。最初からそのつもりだよ」
「ねぇ。いっしょに行動できそうにない人は、いくらなんでも誘わないよ」
「そういうことだ。言葉が足りなかったかもしれないが」
それは、どれほどすてきなことだったか。
ヨシュアはどれほどうれしかったか、筆舌に尽くせぬ我を呪うほどに。
しかし言うまでもなく、瞳から落ちるしずくが、それを物語っていた。
それから四人はいっしょに行動し、いくつかレヴェルも上がると、さすがに効率がわるくなりすぎ、現状の狩り場では窮屈になってくる。
これは事前に測量し、優位な場所取りをできるようになった成果といってもいいだろう。
そういったことで、四人は新たなる狩り場を求めた。それが、初心者卒業をかけた試験場と言われる、コロナ渓谷である。
そこは自然と水があふれる、全長約八キロメートルほどの渓谷だ。底部からの標高はさほど高くはないが、クライミングは、いまのヨシュアたちにはむずかしいだろう。
おとなしく、ギヴァンから遠回りして深い森から見えていた渓谷へとやってきて、四人は底部を歩いていく。
入り口付近の方では、竿を背負った〔釣り人〕なども居て、川魚を狙っているようだ。
川の流れはあまりはやくはないが、水の近くということもあり、かなり涼しく快適に過ごせるような設定になっている。
もしここがモンスターのポップしないような場所なら、遠足の目的地にできるほどの絶景だ。
虎岩や岩畳など、いくらか埼玉の秩父は長瀞渓谷をモデルにしたような部分も見受けられるが、大幅にはだいぶ違うものになっている。
現実ではまず、ここへ行こうと思わなければいけないような絶景を拝めることに、四人はふたたびながら、感動を覚えていた。
話に寄れば、ボートを借りて渓流下りをできるという。
余裕があればヨシュアたちは、是非ともやってみたい、ということで合意した。
ここらあたりに出現するモンスターは、やはり野生の動物が多い。が、それだけではない。ここが試験場と呼ばれるには、それなりの訳があるのだ。
つまり、ここに至って、ようやく人型エネミィが出てくるのだ。
ぬたり、とも、ぺたり、とも着かぬ足音がして、四人は出会った。
種族名〔リヴァリアン〕
河に適応した種族で、なめらかな肌と手足の水かきが特徴的な、甲羅のないかっぱのようなすがたをしている。
手には銛を持ち、獲物を狙っているようだった。それはいうまでもなく、四人のことである。
「くるか!」
初手、盾を構えて様子見を選択したクロモリは、リヴァリアンが、銛を手にぺたぺたと走ってくるのを待っていた。
こっけいな音とその速度の差異はひどく、かなりの速度になった瞬間、リヴァリアンの持つ銛が薄緑色の光を帯びた。
「うそ、技を使うの!?」
光はしだいにからだを包み、その速度のままクロモリへと突進してきた。
槍技〔突撃〕
距離があれば、加速によってダメージにボーナスが乗る優秀な技である。
「うわあっ!」
その威力は、バニシングでもないのにクロモリを盾ごと吹き飛ばすほどだった。ガードの上からだったというのに、HPは二割も削れている。
「クロモリっ!」
ヨシュアが叫びながら、迎撃に短剣技を放つ。
「〔挟み潰し〕!」
クリティカル・ポイントとおぼしき首を狙った左右二連撃を、銛使うことで直撃を防ぎ、HPはわずか七パーセントほど削れただけに終わった。
リヴァリアンは距離を取り、銛のリーチを生かす間合いをえらんだ。その知性は、野生のけものにはないものだ。
四人は試験場といわれる所以がなんとなくわかりかけてきていた。
人型MOBとのたたかいは、苦虫をかみつぶしたような幕開けとなった。