15-2 再見-2
梅雨も終わり、六月に入ると気温は一気にあがる。
初夏の日差しから逃げるため、義明、アサヒル、シンヤの三人は図書館まできていた。
みんなTシャツ一枚で、パンツの長さこそ違えど軽装だ。
義明たちが通う学校はまだペーパー・メディアにしがみついているが、いまでは市立図書館ですら各テーブルに設置された端末で、電子メディアを閲覧するための施設になっている。
紙の手触りが好きという読書家にはともかく、彼らにおいては登校するのにかさばり、なおかつ重く、めんどうくさいことこの上ない。ペーパー・メディアとはそういう代物だ。
義明は手元の二画面端末の片方を操作して参考書を眺めつつ、もう一方のタッチ・パネルをノートにして問題を解いていく。
「……ああ、やっぱりこっちのほうが楽だ」
声をひそめて彼らは言う。図書館ではしずかにというのは、いつの時代も変わらない話だ。
勉強をしているのは義明だけで、アサヒルとシンヤは雑誌を読んでいる。
「たいへんだね、進学組は」
「なにを好きこのんで勉強したいのか、オレにはわからねェな」
と言うようにふたりは進学ではなく、就職をえらんでいた。
「たいへんなのはどっちでもいっしょでしょう」
「ま、少子化もほんとうに危ないところまできてるから」
一世紀弱もむかしには最低限、大学へ行かなければ就職もままならないという時代があった。しかも、いい大学を出たからといってもそれはスタート地点であり、就職が約束された状態ではない。
それが少子化問題が深刻になったことにより、高校卒業後すぐの就職が推奨された。大学を出る必要もなくなったので四年分の学費を捻出する必要もなくなり、出生率は上昇する……と、国は発表している。その裏で私立大学がつぶれたり併合したりという苦労もあるのだが、それは三人の知るところではない。
「ガキが減ったんじゃなくて、老人が増えすぎただけなんじゃねェか?」
「平穏無事なら数十年と生きるからね」
「寿命が長いってのは、平和でいいことだよ」
「ごほん」
声がおおきくなっていたのか、ちかくに座るスーツ姿の男性から咳払いが飛んだ。
「す、すみません」
「すんません」
「ごめんなさい」
三人であたまを下げた。黒いスーツの中年男性は、ふたたび両画面の端末に目を落とす。
「注意されちゃったね」
「そういうこともあらぁな」
「うん。ちょっと本に集中しようか」
しばらくのあいだは、三人とも手元の二画面端末に夢中になっていた。義明はあたまをつかって参考書を解き、アサヒルはひとりくつくつと笑い、シンヤは興味深いニュースでも見つけたのかにやにやとしている。
それもつづいたのはしばらくのことで、参考書とにらめっこしている義明はともかく、単に涼気が目的で図書館に入ったアサヒルとシンヤは暇をもてあましていた。二画面端末は図書館専用でクローズドになっていて、グローバル・ネットには接続できない。かといってふたりが読むようなカジュアルな雑誌は多くない。小説という気分でもなかったのだろう。ひそひとを声を絞りに絞り、話しはじめる。
「なあ。おまえ、どこで働こうと思ってる?」
「んー、第一希望は営業かな。生産系はツラいでしょ」
「九割ちかくロボットで埋まってるしな。おまえは外面いいし、妥当だわ」
「それ、褒めてるつもり?」
「七割はな」
「そりゃどうも。で、そっちは稼業継ぐの?」
「いまんとこそのつもりだな。イヤでもねェし」
「面接とかなくてうらやましいよ」
「バカ言うな。オヤジが相手だから遠慮ねーし、ガシガシ修行中だっつーの」
「そこはトレード・オフでしょ。どっちもなんて都合のいいことはないって」
「そりゃそうだけどな。……将来の話っていやぁ、お前、ソッチのほうはどうだよ」
「ソッチって……下世話だなぁ」
「高校三年間ゲーム三昧、それもわるかないが、男としてむなしくはねェかよ」
「そういうことは感じなくもないけど、充分たのしいつもりだよ」
「かーっ、なさけねェ」
「そんなこというけど、そっちはどうなのさ。ええ?」
「ああ、ふゆうに躱されてるわ」
「そうなんだ。ま、ガード堅いしねぇ」
苦い顔をするアサヒルとは対照的に、どうしても笑みが顔に張りつくシンヤであった。他人の色恋沙汰ほど面白いものはないのだろう。
会話がはじまってからすこしは義明も参考書に集中していたのだが、いざはじまるとそちらに意識を引きずり込まれてしまう。
もともと勉強しようという気持ちで図書館に入ったわけではないから、どうしたって気持ちがふわふわ浮いてしまうのだ。
ふたりがひとつの話題でもりあがっていると、
「なんのはなし?」
ついつい、首を突っ込んでしまう。
いけないとはわかっていても、猫を殺すほどの好奇心には抗いがたいものだ。
「ああ、そういやおまえのほうはどうなんだよ」
「え、なにが?」
ちらちらとは聞いていたが、しかし参考書にとりかかっていた義明にくわしいことはわからない。
「なにがって、お前とまひるの進展具合」
「ぶふっ!?」
義明はおもわず噴き出してしまった。ちかくの席に座っていたスーツで七三分けの中年男性から、批難めいた視線と咳払いが飛ぶ。
「すいません」
ちいさくなって謝りながら、キツい視線をアサヒルとシンヤに送る義明である。
「な、なんでわかった?」
「なんでって、隠しているつもりだったのか?」
「完全に好きって雰囲気、全開だったよ」
「う、うそだ。そんなはずないって」
ひどくうろたえながら、義明は二画面端末を閉じる。もはや見ているような状況ではない。
「いや、ガラス張りじゃねェかってぐらい筒抜けだ」
「うん。むしろ隠そうとしてる気がしない」
それにならってふたりも端末を閉じた。からかっていることを隠そうともしない目は弧を描いている。
「そんなばかな」
「ばかはおまえだろう」
「隠せてた、せてないはどうでもいいよ。告白はもうしたの?」
にじり寄るふたりに義明は身を退いてしまう。テーブルに身を乗り出すアサヒルとシンヤは、たのしいおもちゃをみすみす逃がすつもりはないようだ。
「ごほん」
スーツ姿の七三分け中年男性(おそらく妻子持ち)から、再三にわたる咳払いの忠告があった。
「ほら、図書館で騒がしくしちゃ迷惑になるよ」
そういって義明はあたまを下げ、逃げる都合をくれた中年男性に感謝しつつ図書館を出る用意をした。ふたりも図書館にはいられないと判断したのか、また暑い日差しを浴びなければならないことを思い、ぐったりとうなだれた。そうした原因を担っているのも顔をしかめることを手伝っている。
涼しい図書館をあとにして、三人は外気に身を晒した。むわっとした湿気の多い空気に包まれると、なにもしていないというのにしなびていくのか、肩を落としながら歩いている。
「で、実際のところ、どうなんだよ」
「まだその話つづけるの?」
「いいじゃねェか。減るもんじゃなし」
べちべちと肩をたたいていう。
「……はぁ。ま、いいけどさ。正直、なにもないよ」
義明は肩をたたくアサヒルの手を掴みながら、あきらめたように白状した。
ゆっくりと一台とふたりは進んでいく。
「はぁっ!? うそでしょ。なにもないの、ほんとうに?」
「ないってば。告白もしてない。カタオモイ」
「ウーム。こりゃイカンな」
手を引っ込めてアサヒルは腕を組んだ。そして眉をひそめて目を細める。
「イカンよね。義明、まひるも進学組で、希望が地元の大学じゃないってのは知ってるんだろう」車いすに手を置きながら、シンヤが言う。「あと一年足らずで離ればなれになっちゃうんだよ。それでいいの?」
「そりゃ、いいとは思ってないよ。でもさあ、はっきり言ってぼくとまひる、釣り合うように見える?」
義明から疑問を投げかけられ、ふたりはそっぽを向いた。
「ありがとう。よーくわかった。っていうか知ってた!」
「ウソウソ!」
「似合う似合う。バッチリ、ベスト・カップル!」
「嘘つきどもめ! ぼくは身の程をわきまえてるんだよ、おまえたちの手にはのるか!」
車輪をまわすスピードを速めながら叫ぶように言う。去ろうとする車いすの把手をつかみ、ふたりは引き留めた。
「まてまて、ほんとうに思ってるって!」
「そう、天地神明に誓って!」
さすがに一対二では勝負がわるい。義明は腕からちからを抜いた。
把手から手が離れると器用にその場でターンし、ふたりと向き合う。その視線はさきほどまでのじゃれあいじみたものではなく、ごく真剣なものだ。茶化していたアサヒルとシンヤも、ひん曲がっていた唇をまっすぐにした。
「実際のところ、眺めているだけでしあわせなんて言うつもりはないよ。はっきりつきあいたいと思ってるさ。じゃなかったらここまで悩むもんか。でも、容姿は平凡を抜け出ない。足は使えない。特別な才能なんかないし、あたまのデキがいいわけでもない。そんなぼくがどうして自信が持てる。……正直に言えば、怖いんだよ。いまのままがいいわけじゃない。けど、一歩踏み出してしまえば、ともだちですら居られなくなるかもしれない。そんなのはイヤなんだ。だからダメなのもわかっているし、こんな臆病な性格を治してしまいたい。そうやって勇気を持ちたいよ。でもとか、だからとか、言い訳がましいのも知ってる。ねえ、情けないだろう。矮小なぼくが、彼女に似合うと、本気で思うか?」
水量最大のシャワーみたいに浴びせかけた義明の言葉を、ふたりは飲み干すようにして聞いていた。すこしの間が空いた。咽下するのに時間がかかっていた。口を開いたのはアサヒルだった。
「よくわかった。おまえが臆病で、どうしようもなくて、ウジ虫野郎だってことは」
「ひどいな。事実だけど」
そこまでストレートに言われると、義明も苦笑するよりほかない。
「だから、どうした」断言するようにアサヒルは言う。「お前がウジ虫だろうと関係ねェ。どうしてやらないのか、オレにはすこしも理解できねェ。いや、理解はできた。けどわからねェ。後悔なんていくらでもしろよ。生きてりゃいくらでもチャンスなんてやってくるじゃねェか。どうしてひるむ。どうして恐れる。いま動き出さなきゃいつやるんだよ。結局のところ、おまえは自分が恥をかくのが怖いだけなんじゃねェのか?」
物事の本質を突くアサヒルの言葉は義明の心臓を抉った。ご託を並べ立てても、その真実はひとつだ。
――自分が傷つくことが怖い。
それに集約される。
「納得もできるけどね。ボクもそんなに勇敢なほうじゃないし。けど、ほんとうは気づいてて目をそらしてたんだろう。そろそろ、覚悟を決めるときなんじゃない?」
心臓を抉る刃は二本あった。ふたりの言葉はいともたやすく義明を貫き、皮から肉からむしり取っていく。
「……そうだ、ぼくは卑怯者だ。理由をつくって並べて、それに甘えてた。自分からあきらめてたんだ」
懺悔のごとく下を向きながら義明はつぶやいた。ギリギリと拳を握り、夏の日差しのなか寒がるように震える。
「仮想世界で学んだことを、ぜんぜん生かしてなんかなかった」
ちからを込めすぎて白くなった拳を膝に打ちつけた。
「いまから変われるんだろうか。ぼくはまだ遅くないだろうか」
許しを請うようにして、義明はふたりを見上げた。
アサヒルは不敵に笑った。
「バカ言え。いまより早くなんて、誰にもできねェよ」
シンヤは見守るように微笑んだ。
「夏への扉はないんだ。夏はちょうど、いまからだよ」
ふたりの言葉を両手で抱え、
「ありがとう。行ってくる」
車いす型のタイム・マシンに乗りこみ、日枝義明はいま、歩き出す。
*
義明は街中を探しまわった。さいわい脱水症状で枯れる前に月木まひるを発見することができた。
彼女は来島夕花とふたりで商店街を遊びまわっていた。息も途切れ途切れになり肩を上下させる義明を発見して、ふたりは目を丸くした。そして自販機で水を買って、手渡した。
「あり、がとう」
どうしても恰好つかないなと思いつつも、義明はありがたく五〇〇ミリリットルのペットボトルを一息で空にした。
息が整って冷静になる前に、勢いだけでもいいから、と義明は人除けもしないうちからまひるを見つめた。
「な、なに?」
事情のわからないまひるは、すこし怪訝に思いながらも必死になってやってきた義明から目をそらせなかった。
それは夕花もおなじだったが、自分が眼中にないことを理解した瞬間、すこしばかりふたりから距離をとる。
――恥なんて、いくらでもかけばいい。
アサヒルの言葉を思い出して、義明は持ってきた覚悟を限界まで使い切る。
「知り合った瞬間からずっと惹かれてた。いっしょに居るようになって、もっと、ずっといっしょに居たい。そう思った」
「え、え?」
まひるは戸惑い、夕花は予感通りにその場を離れた。
「卒業して離ればなれになってそのまま疎遠になるなんて、死んでもごめんだ。想像しただけで涙が出てくる」
「ちょ、ちょっと。なに言ってるの、こんなところで」
何事かと商店街を往来していた人びとも、足を止めてふたりを眺めはじめた。
「だから言うよ。聞いてくれ」
「おい、キミこそ聞いてるのかっ」
「月木まひる、つき合ってくれっ。ぼくのすべてをかけてしあわせにしてみせる!」
野次馬は沸いた。いまどき、こんな告白のシーンに出会うことはない。ドラマの撮影かなにかかと、周囲を見ているものもいる。
「……っ。こ、このバカ! こんなところでなに言ってるんだ!!」
まひるは車いすの把手をつかみ、慌てながら義明といっしょに商店街から走り去っていく。
そのうしろ姿に声をかけるものは少なくない。義明に対する賞賛と、からかうようなものが三対七で混じっていた。
住宅街の一画でようやくまひるは足を止めた。というよりも、そこで限界がきた。
商店街から走りずくめで逃げ出して、こんどはまひるが疲れ切っていた。上下に揺れる肩は激しく、膝に手を突いている。
「だ、だいじょうぶ?」
「だいじょ、ぶなわけ、あるかっ」
ぜいぜいと息をしながら、まひるは息を整えはじめた。
しばし、間が空く。手持ち無沙汰の義明は、さきほど自分がしたことがどれだけのことかを冷静になって理解しはじめた。顔を赤くして穴にでもはいりたくなったが、そうもいかない。すくなくとも結果を聞くまでは退けない。気持ちを強くもって、まひるを待った。
「はぁ……落ち着いた。で、アレはなに」
「なにって、告白」
「なんであんなことになってるの。どんな経緯だよ。商店街いけなくなっちゃうじゃない」
「それについては、ごめん。でも告白は本気だ」
「……急だよ」
「ごめん」
「あやまってばっかり」
「ごめん。……あ」
「ぷっ」
どうにも恰好がつかない義明に、とうとうまひるは吹き出した。
「……ま、笑ってくれ。でもさ、ずっとまひるといっしょに居たいんだ。それは嘘じゃない」
「さっき知り合った瞬間って言ってたけど、病院の?」
「うん。それとPWOで」
「なんでわたしなの。夕花とかもいるじゃない」
「考えたこともない。まひるしか見えてなかったから」
「なんだそれ。ちょっとストーカーっぽいぞ」
「むぐ……否定はできないけども」
「もっとムードとか展開とか考えなきゃダメだよ。告白なんて」
「いまにして思えば、そうだった。でも、我慢できなかったんだ」
「どうして」
「好きすぎて」
「っ……は、恥ずかしいことを真顔でっ、もう!」
顔を真っ赤にしてまひるは恥ずかしがる。
風船のように頬を膨らませて、怒るように義明をぺちぺちとたたいた。
「いてっ。……それでさ。答えとか、聞かせてもらってもいい?」
「あのさ、あんなことされて、すっぱりオーケイ出せる女の子がいると思う?」
「居てほしいと思ってる」
「……バカ。君はじつにバカだ。まぬけだ」
「うん」
日枝義明は目をつむって言葉を聞いていた。審判を受け入れる罪人のように天を仰ぐ。
「なんかよくわからないし、うじうじしてたのに急にはりきるし」
「うん」
まひるの言葉はだんだんちからがなくなっていき、ついに途切れた。
日差しがじりじりとふたりを灼いている。
「でも、好きだよ」
「……うん」
「ずっと、待ってた。遅いじゃないかぁ」
「うん。お待たせ」
こつんと額を義明にくっつけて、まひるはくぐもった声で言った。
「わたしも、いっしょにいたいよ」
「ありがとう」
ふたりは手をつないだ。暑さでじっとり汗ばんでいた。
扉が開き、待望の夏が来ていた。
それは冬がきても、終わらない夏だった。