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そして、また歩き出す  作者: 山田一朗
エンド・ゲーム
15/18

14 対決

 三月下旬、天候晴れ。

 出席日数がなんとかなった日枝義明は、進級できることが決まり四月の訪れを待っていた。

 しかし、いまは春休みだ。その浮かれた気持ちを発散できるだけの時間があった。

 具体的には、勉強と遊びに注がれていた。もちろん、割合として七対三で遊びが多いのは、致し方がないことである。

 その結果、義明たちは現時点でパラノーマル・ワールド・オンライン最前線である第九エリアに到達していた。

 しかもそれは一月時点でのことであり、そこからすでに二ヶ月が経っていた。

 あらかたの地点を踏破しきり、〔ヨシュア〕も測量を除く主要スキル熟練度は完熟している。

 測量スキルは全体踏破率がイコール熟練度に直結する。

 そのため、竜種のテリトリィなど、行けば死ぬ確率がきわめて高い場所の踏破がきわめて難しいのだった。

 もっとも、死ぬことを厭わないプレイヤーたちは〔地獄への特急、弾丸マッピング・ツアー〕と題し、死ぬことを前提としたマッピングを敢行して、強引に熟練度を上げているものたちも居た。

 そういった最難関地点のマップ・データはまず出回らないか、かなりの金額で取引されていた。

 それも、デス・ペナルティで減少する経験値と、売ったときに得られるものを比較して、圧倒的コスト・パフォーマンスを生み出すと気づいた一部のプレイヤーが、即席で測量スキルを取得し、マッピングしたものを売るようになってからは、価値も下がっていった。

 だが彼らもバカではない。談合でもしているのか、暴落するほどは出回っていない。誰もが手にできるぐらいには、売られていないのだ。

 そのため、ヨシュアもまだ手にできていないのだった。

 精神的に、なるべく死にたがらないものたちはヨシュアも含めて多い。おそらく、全プレイヤーの五割近くはその考えに賛同するだろう。

 だからこそ、こういった死地点マップのような商売が成り立っているのだった。

 しかし、いつまでもそうしているわけではない。それはある意味、裏技のようなものだ。

 この事態を正当手段を持って覆した集団はすでに存在する。竜種討伐集団ドラゴン・スレイヤーズだ。

 存在自体が戦術兵器のような赤色竜を打破したPvMトップ・ギルド〔リヴォルヴァーズ〕と強豪PvPギルド〔アルカリ系強酸性〕の合同チームである。

 彼らは一度は合同で作戦をやったが、二度目はなかった。不仲などの要因によるものではなく、サブ・スキルを育てるなど、次回に向けての仕込みの段階なのである。

 その時間に目をつけたものたちがいる。幾多ものプレイヤーたちがVR世界の名声を勝ち取るべく、二チーム目の竜種討伐集団になろうとしたのだ。

 そのすべてが失敗した。

 赤色、青色、黒色、緑色、氷雪、すべてに挑み、すべてに殺された〔竜種(ドラゴン)被全滅集団(・アニヒレーターズ)〕となったものたちは、両手両足の指をつかっても足りないほどだ。

 つまり、まだ竜種はその一角が崩されたに過ぎない。

 野心を抱えるものたちは、名声を得ようとそれでもなお全滅を繰り返していくのだった。

 戦闘職プレイヤーならば誰しも一度は思う。最強のプレイヤーになりたいと。

 生産職プレイヤーだって誰しも一度は思う。最大のプレイヤーになりたいと。

 すなわち、名誉欲。

 憧れられたい。英雄として振る舞いたい。すばらしい人だと思われたい。

 誰だってそんな願望は持っている。だからこそ、無茶だってする。

 それはヨシュアたちとて例外ではない。彼らもまた、野心と欲望によってうごく集団のひとつだ。

 芽生えた野心は作戦にまで成長する。

 彼らは春休みいっぱいをつかって、竜種を撃破しようとしているのだった。

 より正確にいえば、準備は二月から始まっていた。

 義明たちが三年生になり受験に集中するため、いままでよりもゲームに時間がとれなくなる。

 そのことを理解していた学生組は、そうなる前になにかやりたいとは、前から思っていたのだ。

 それが具体案として上がってきたのが二月のことだ。次第に周囲を巻きこんで、本格的になったのが三月初頭のことである。

 とうぜん四人ではまったく足りないから、ライムたちも合わせて九人。これでもなお足りない。

 そこで、テラ率いるラテン語集団にも参加を要請したのだ。学生組のイグニスとマレウスからはいい返答を得られた。社会人組も可能な限り合流するという。

 フル・パーティふたつ分の十二人をうわまわるかどうかというところだが、それだけの人数でやってみせた先駆者がいる。

 やってやれないことはないの精神で、彼らもまた被害者の仲間入りをしようというのだった。

 見果てぬ夢になるのか、願望を実現させるのか。

 どちらにしても現状で満足できなかった義明は、VRシステムを起動する。


 正月イヴェントの〔お年玉〕で、現時点で最高クラスの装備をつくることができたヨシュアたちは、すでに最後の調整に入っていた。VSドラゴン用のスキル調整である。

 その検証と新装備への習熟も兼ねて、ヨシュアはライムとPvPをすることになった。ライムも新装備のテストがまだだったのだ。

 クロモリたちも、他のメンバーと軽くじゃれあうようにして使い心地を試しているようだ。

 平坦な場所でヨシュアとライムのふたりは五メートルほどの間隔を置いて向かい合った。たかが五メートル、ふたりの身体能力においては、絶無に等しい。しかし、されど五メートルだ。それだけあれば、近づくまでにいくつものやりとりがあるだろう。

「KOかギヴ・アップ、クリーン・ヒットが入っても終わりね」

「オーケイ。しかしタンクと正面切ってというのはやりづらいな」

「こっちこそ、スピード・ホリックの間合いごろしとなんて最悪だって」

「ま、ドラゴンよりはマシか」

「そういうこと」

 苦笑して、ふたりは肩をすくめた。古くさいオーヴァ・アクションだった。

 それを境に、雰囲気は一変した。すでにヨシュアは〔奈落の凝固体〕を用いて作った新武器〔デプレッション〕を引き抜いていた。黒紫色の刀身が、怪しく光っている。身につけた防具のすべては漆黒で、奈落を押し固めたような色だ。

 対してライムの装備は、正反対の白に染まっていた。白というよりも、白金というのがほんとうだ。

 もちろん、ただの白金などではない。第九エリアの天使型MOBが落とす〔陽光の白金〕という素材を加工したものだ。

 性能は高いが要求STR値も高いため、AGI型は指をくわえるしかない装備である。

 つねにひかり輝くそのエフェクトは、たしかにライムの快活さにふさわしいだろう。

「おいでおいで、子猫ちゃん」

 揃えた指先をちょいちょいとうごかして、ライムはヨシュアを挑発する。お互いに後の先(カウンター)を取るタイプだ。自分からは仕掛けない。

 しかし、それを崩さないことにはしょうがない。

「いま、いくよ。ねこじゃらしは持っているかい?」

「ええ。たんまりと」

「そりゃよかった」

 ヨシュアは、たしかに自分から近づいていく。ゆったりと優雅さすら感じるほど遅い歩きで。

 ハエが止まるようなスピードは、たしかにライムの攻撃欲をくすぐった。しかし、うかつに手を出すわけにはいかない。攻撃した瞬間、寸間の見切りでヨシュアが反撃に転じるのはわかっていたからだ。甘ったるい攻撃はできない。

 だからこそやる(ヽヽヽヽヽヽヽ)

 ライムはそういう女だった。

 両腕を前に突き出し、宙に浮かぶ球体をなでるような手つきをした。それはあやしい民族の儀式にも似ていた。しかし、それがそんなものではないのは、あきらかだった。

 ライムの腕が、空間をねじ曲げた。周囲に存在した風が、そこに集約される。

 圧縮空気を打ち出す体術系の遠距離攻撃技〔空圧拳〕である。

「オオッ!」

 右拳が圧縮空気が打ち抜いた瞬間、透明色の爆発が周囲をゆがませた。ヨシュアは冷や汗を足らす。

 発射と着弾が瞬時に近いそれは、本来ならば〔死に技〕だ。モーション起動で使うには隙がありすぎる。おまけに射程距離は最長で五メートルとひどく短い。だが、いまは逆にその射程は利点になり、避けづらくさせている。

「ったぁ!」

 それを避けてこそ、AGI型の意味がある。

 ヨシュアは前方へ六メートルも跳び上がった。その足下を空気の砲弾が走りぬける。威力を解かれ暴れ出す風が余波になり、周囲でおなじくPvPをしていたものたちの髪を揺らす。

 不可能と思われるようなことを覆せる。超人的なパラメータを手に入れた最前線攻略隊ならば、それが可能だった。

 だが跳んだヨシュアに着地までの自由はない。ライムは口角をつり上げた。腕をコンパクトに折りたたみ、上空へ向かって狙いを定めた。半身に引きつけられた右腕がエフェクト光に包まれる。

「落ちろォ!」

 斜め上へ向けて振り抜かれた掌打は、蛍光を放った。

「落ちるかよっ!」

 体操選手のようにからだをひねり、宙で軌道を変えたヨシュアは辛くもその一撃を避けることに成功した。

「いいや、落ちるねっ!」

 着地した硬直へ向けて、ライムの左脚が弧を描いた。振り抜いた右腕をもどす反動を使ったのだ。

 蛍光の一撃は、はじめから当てるつもりなどなかったのだ。ヨシュアの行動余白を奪うための布石に過ぎない。

「うぐっ!」

 蹴りを食らったヨシュアは、二メートルほど地面をころがされる。しかし直前で腕のガードが間に合ったため、クリーン・ヒットとはならなかった。派手にころんだせいか、砂煙があがる。

 蹴りが決め手にならなかったのは、ライムにもわかっている。だがチャンスを逃すつもりはないのか、まだ体勢を崩したままであろうヨシュアへ向けて、ライムは足を前に踏み出した。

 そこへ、砂煙を切り裂いて一本の棒手裏剣が飛んだ。

「むっ!」

 ライムはそれを、前腕装甲(ヴァンブレイス)から肘当て(クーター)までが、通常の数倍に肥大して盾のようになったシールド・ガントレットではじき飛ばす。

 砂煙が晴れた。ヨシュアはすでに体制を立てなおし、腰から引き抜いた棒手裏剣を投げるほどにまで回復していた。

「たたみかけられると思ったんだけどなぁ」

「そうかんたんにやられちゃ、テストにならないでしょうが」

「それもそうなんだけどねー」

 けらけらと笑ってから、ライムは両腕を持ち上げて拳を握りなおした。両腕のシールド部分が上半身を完全に隠している。

「どこからでもどうぞ」

「厄介だな、それ」

「でしょう?」

「でも、こじ開けられないほどじゃないっ!」

 叫んだ瞬間、ヨシュアのすがたは掻き消えた。ライムは両腕に衝撃を感じる。そこに黒紫色の短剣が突き立っている。

 黒と白がぎちぎちと音を立ててせめぎ合った。その瞬間は、長くつづかない。短剣が引いた瞬間、ライムは目を光らせた。そして腕を側面に持ってくる。そこにナイフが奔っていた。

「なかなかはやいじゃないか」

「それほどでもっ!」

「でも、まだまだ!」

 スピードのギアを上げたヨシュアは、暴風のごとき勢いで、くるくるとライムの周囲をまわりながら、あの手この手で斬撃、刺突、殴打、なんでも打ち込んでいく。

 すこしずつ反応の遅れるライムは、スペックのちがいでガードが甘くなっていく。無数の金属音の衝突を聞きながら、ガードのなかで歯噛みした。このままでは宣言の通りになるとわかってしまうのも、能力の高さ故だ。

 止まぬ嵐は強さをまして、もはや鉄壁を突き崩そうかというそのときである。

 ライムは防御をかなぐり捨てて、ただ左拳を上に掲げた。

 それを目で追ってしまうのは、これもまた反応の良さ故だ。それは一瞬に過ぎない。

 しかし、ハイ・レヴェル同士の一瞬とは、なにかができるほどの時間だ。

「〔震動拳〕!」

 黄土色に輝く左拳が、地面を打ち貫いた。ずしん、と花火の爆発にも似た重さを腹に感じた瞬間、ヨシュアの視界は揺れていた。

「やばっ――」

 半径五メートルに、震度一から五のランダムで地震を起こす、〔体術〕打撃系奥義のひとつだ。これも空圧拳とおなじように、使いづらい技だが、ライムはふたつとも気に入っていた。

 ダメージこそないが、地面を蹴ることで生まれるスピードは殺されていた。

「せいやぁっ!」

 もはやその程度の地震には慣れていたライムの正拳が宙を射貫く。

 その一撃はハンマーのように重く、ヨシュアの十字受けをたたいた。威力が勝り、ヨシュアは押されて下がった。状況は五分にもどる。

「くぅっ、バカぢからめ」

「小蠅のようにぷんぷんとこられちゃたまらないでしょっ」

「なるほど。チクチクとやるのがお好みのようで」

「キライだって言ってるでしょっ」

「まあまあ、そう言わずに!!」

 こんどはいきなり最高速ではなく、チェンジ・オブ・ペースを駆使しながら、緩急を織り交ぜてヨシュアはリズムを崩す作戦に出た。

 動きまわることだけに集中していないから、〔震動拳〕による不意打ちの対策はしている。

 がくがくと腰を折るようなリズムに、ライムはあたまのなかで「集中、集中」と念じながらそれらを防ぎきっていく。

「これはダメか。……だったら!」

 ヨシュアは大きく右腕を引いた。黒紫の短剣が、黒と黄色に染まった。

 短剣のなかでも高い威力を誇るヨシュアの得意技〔蜂の一刺し(ホーネット・スパイク)〕だ。

 何度も見ているから、ライムの両腕は十字を取る。ちからで押し通ろうとするなんて、甘い、と。

 短剣では単発で高い威力でも、片手剣や両手剣、果てはハンマーの一撃ですら受けきるライムの十字受け(クロス・ガード)は、その程度をはじき返すだろう。

 そんなことはヨシュアにもわかりきったこと。何度も見せた技(ヽヽヽヽヽヽヽ)だから使ったのだ。

 ライムの予想は外れ、短剣は一直線に加速しなかった。それどころか、ヨシュアのからだが斜めに流れた。

「しまっ――!」

「しっ!」

 ようやく、一撃がライムの側面に入る。しかし、陽光の白金でつくった鎧は、技でもない通常攻撃ではほとんど攻撃をとおさない。

 ライムのHPバーが五パーセントほど削れた程度だ。これはヨシュアがガードの上から削り取られた数値でもある。

「うそっ、そんな硬いの!?」

「んのぉ!」

 振り回された裏拳を体勢を沈めて躱し、ヨシュアは距離をとる。

「そんな防御力、反則だ」

「うるさい。まともに入れられて、怒ってるのはこっちのほうだ。あんなのアリか」

「アリアリ」

「むー!」

 だがおなじ手は食わないだろう。ヨシュアはせっかく切った手札の効果が薄いことに、内心、冷や汗をかいていた。

 いくつかの手札はあるが、それらがすべて通じるようなあいてではないことは、わかっているからだ。

 また緩急をつけながら、すこしずつガードを下げさせていく。

 そして、重ねるようにしてカードを切った。

「〔蜂の一刺し(ホーネット・スパイク)〕!」

 こんどは技を発声起動した。短剣はまたも黒と黄色に輝く。

「おなじ手は食わないよっ」

「どうだろう」

 ライムは十字受けをつくらない。そこに、スズメバチのごとき突きが、ガードを崩そうと一直線に伸びた。

「ふっ!」

 一撃が片腕をはじき飛ばす。しょせん短剣技だが、さすがに片腕で防ぎきれるほどの威力ではない。

 大きく体勢を崩したライムが立て直すまえに、技後硬直が解ける。体勢は地面すれすれに沈んでいた。

「〔挟み潰し(カット・シザース)〕!」

 短剣技左右二連撃を放つべく、短剣が光に包まれた。

「っ!」

 ライムの両腕が開き、左右、どちらからでも対処しようとうごいた。――否、反射的にうごかしてしまった。

 生まれた隙間を縫うようにして、ヨシュアの短剣はべつの色に光り輝き、斬り上げから斬り下ろしの上下二連撃〔噛み砕き(ターン・バイト)〕を描いた。

 〔使わない〕というカードを見せたことで、まず使う、使わないという二択を手に入れたヨシュアは、それだけでアドヴァンテージを得た。そこで崩しからまた二択を入れることで、ライムの反射につけこんだのだ。

 HP減少は合計、一割。

 連撃技――しかも初歩クラス――は、ほとんど威力の補正がかからない。しかし、あきらかなクリーン・ヒットをもって、ヨシュアはライムを打倒した。

 攻撃を入れられたというのに、ライムは微動だにしない。重装備あいてを吹き飛ばすほどのノックバックが発生するような大技じゃなかったからだ。

 今回、ヨシュアが用いたのは、有用だが基本的なPvPスキルだ。しかし、ほとんどモンスター戦(PvM)専門といってよかったライムには充分通用したのだった。

「こ、この詐欺師! なんだそれ!」

「失礼な。立派なテクニックだよ」

「納得いかない! もう一丁!」

「ええー、もういちど倒すのはむずかしいなぁ」

「わたしが倒すのっ、まだピンピンしてるでしょ!」

「……わかったよ、もう一回ね」

 とはいいつつも、ライムが納得するまで何戦もすることになったヨシュアだった。


 装備のテストも終了し、いちど街に戻って修理を終えると、フレンド・メッセージがヨシュアたちに飛んできた。

 マレウスからだった。内容は、マレウス、イグニスに加えて、アクアが合流できるというものだった。

 これで人数は十二人、ギリギリフル・パーティふたつ分である。

 その吉報に喜んだヨシュアたちは、三人を歓迎すべく、第七エリアの船着き場で待ち構えているのだった。

 やがて、三人はやってきた。イグニスとアクアは、カーボンとおなじボロボロの布きれを装備していた。

 きっと遺跡でドロップするまで粘ったのだろう。強化すれば、最前線で通用するほどの性能をしているのだから。

 マレウスは、ライムとおなじような光り輝く装備をしていた。体長ほどもある背負ったハンマーすら、そろいの白金だ。

「やあ、ひさしぶりですね」

「こ、こんにちは」

「おひさぁ。歓迎ありがとうねぇ」

 と、ふたりはなんの緊張もなく。ひとりはいつも通りに緊張で震えていた。

「どうも。よくきてくれたね」

 代表してクロモリが挨拶した。

「あたしたちも竜に挑もうか、と思っていたところでして」

「それはよかった」

「そうなのぉ、人数あつめがぁ大変でねぇ。諦めてかけてたんですよぉ」

「しっ、そういうことは言わないでいいんですよっ」

「こっちも似たような状況だよ。べつに取り繕わなくてもいいじゃないか」

 苦笑しながら、クロモリはいう。

「そういっていただけるといいんですけどね。時は金なりといいますし、そろそろいきましょうか」

「そうだね。こっちは準備できてるけど、そっちも……できてるみたいだね」

「は、はい。街で、何度も見なおしましたから、だいじょうぶです」

 イグニスは、まだ緊張がほどけないようだった。竜種へ挑むことがというよりも、人の多さに慣れないのかもしれない。

 メンバー自体は見知っているものばかりなのだが、たくさん人がいるということ自体が、どうにもダメのようだ。

 その様子を見ていたヨシュアは、道中の船旅ですこしずつほぐれていけば――ほぐせていけばいいな、と思った。

 人混みが苦手なその気持ちが、よくわかるからだ。

「チケットは先に買っておいたから、どうぞ。代金はいらないからね」

「ど、どうもありがとうございましゅ」

 言葉を噛んでしまって、ますますイグニスは萎縮した。

「どんまい。ありがとぉございまぁす」

 ぽんぽん、とイグニスの背をたたきながら、アクアはチケットを受け取った。

「どうも。お支払いは、活躍のほうで返させていただきます」

「そりゃ、こころ強い」

 クロモリはくっくっと笑う。

 自信あふれるマレウスとイグニスを混ぜて二分割すればちょうどいいんだろうな、とアルミはのんきに思っていた。

「そろそろ出航時間だぜ」

 アサヒルがそういうと、十二人全員が帆船に乗り込んだ。大型の船ではないが、まだ余裕はある。

 今回のセーリングは、この十二人と船員しか乗っていなかった。行き先が、青色竜の支配するイランド水域だからだろう。

 船はゆっくりと滑るように海を進みはじめた。風をつかまえて、すこしずつスピードをあげていく。

 道中はけっして楽な道のりではなかった。海中からMOBが船に這い上がってきて、緊張の連続を強いられた。

 竜へ挑もうとするメンバーからすれば、それらはたいした障害にはならなかったが、リラックスする時間がとれなかったことは痛手といえるだろう。

 しかし、たたかいばかりだった道中のおかげで、イグニスの緊張はいい方向へ変わっていた。

 すこしばかりの経験値とアイテムを稼いで、みんなはテンションを上げていく。

 イランド水域中央に浮かぶ直径三キロほどのちいさな島に到着して、十二人を置き去りにし、船は去っていった。

 ふたたび船が来るのは、竜を倒したあとだけだ。倒せなかったら十二人は死にもどりをするだけである。

 竜が島へ訪れるまで、わずかな時間があった。どこからきてもいいように、測量スキル持ちは周囲と地図に目を光らせる。

「……きた」

 誰かがつぶやいた。

 遠くから、雲を切り裂いてやってくるものがあった。

 猛スピードで青色の巨体は近づいきて、体長の数倍はあろうかという翼をはためかせ、島の中央へ降り立つ。

 なめらかな鱗が日の光を反射していた。この世界のなによりも鋭い爪とむき出しの牙が、それ自体で輝いていた。強靱な肉体はそれだけで芸術的な美しさを持っており、神々しさすら感じさせた。神秘的な青色の瞳がすべてを見下ろしていた。あるいは、見極めようとしていた。

 青色の――あるいはすべての――竜は、神によってつくられた至高の作品といっても過言ではない、美しいものだった。

 そのあぎとが開いた。鋭くもつややかな牙が上下に別れ、幾多の名剣よりもきらめいた。

 牙を見せびらかすために、竜は口を開いたのではない。

 彼は咆吼した。

 ――すべてのおろかなるものよ跪け、と。

 竜種が持つアビリティ〔威嚇の咆吼〕である。

 ビリビリと空気が震えるような轟音に、耳を押さえるものすらあった。しかし、誰もその恐怖に屈していない。

 装備で、あるいは消費アイテムで、恐怖耐性はつくりあげてきているのだった。でなければ、まず舞台にすら立てはしない。

 その咆吼が、芸術に見とれていた十二人の鎖をほどいたかのようにうごかす。

「いけえええぇぇっっ!!」

 誰もが叫んだ。

 矮小なる存在たちは、いざ最強へ挑みかかっていく。


        *


 形勢はヨシュアたちに不利だった。

 特殊能力なしの状態ですら、すさまじい性能を誇るというのに、無慈悲なほど強力なアビリティを備えている青色竜は、ほとんど無敵にひとしい。

 装備をカード状態にもどす〔非実在化(ディリアライズ)〕。

 一時的バフ効果を消去する〔雲散霧消(ヴァニッシュ)〕。

 魔法の発動自体を打ち消す〔呪文取消(キャンセル)〕。

 これらは一定の儀式などに乗っとらない、反応式、あるいは頻発性自発的能力である。

 鳥が翼を広げて飛ぶように、ごく自然な行為のひとつとして行使される。

 したがって、魔法のように詠唱すべき文句も描くべき陣もいらない。

 おまけに能力自体は、青色竜から半径一〇メートルという範囲指定発動であるため、複数のプレイヤーが対象にとられる。

 それらが高頻度で何度も発動されるため、プレイヤーたちの布陣はすこしも安定しないのだった。

 パターンやフォーメーションも組めず、時折かち合った状態でなんとかアビリティの隙間を抜けたプレイヤーが散発的に攻撃し、膨大なHPを、砂浜の砂をすくうようにして削っていく。

 そんなことを続けていれば、インヴェントリィの許すかぎり詰め込んできたはずのHP、MP、ST(スタミナ)回復薬も底を突くだろう。

 なんとかしなければ。プレイヤーたちの胸中には、その思いが共通していた。しかし、肝心の対策が見つからない。

 結果として短くない時間、苦しい消耗を強いられることになる。

「ヨシュアまだかァー!?」

 アサヒルが叫びながら、アルミとともに矢を射掛けた。青色竜は背の翼をはばたかせてアビリティ〔風圧防御〕を発動し、その威力を減衰、無力化する。

「まだぁー!」

「くそったれっ!」

 すでに百を超えて繰り返された展開だ。しかし、やらなければならない。青色竜の〔行動を奪う〕ための支援だからだ。

 魔法班がMP回復薬を使いながら、手と口を止めずに〔二重魔法〕で飽和状態に持ち込み、いくつかの魔法を通していく。

 前衛にかける防御系のバフは必須だった。なければ事故が起こった瞬間に死んでもおかしくない。どれだけ苦しくても、それだけは最優先になっている。

 クロモリたち前衛班は、いまのままではじり貧だということがわかっていながらも、ただ散発的に攻撃を繰り返す以上のことはできなかった。

 結果として、持ってきた回復薬の三分の一を消費して得られた結果は、竜種のHPを七パーセントほど減らしただけ。

 与ダメージ一割にも満たず。

 まともにやれば負ける。

 そのことは充分わかっていたはずなのだが、実際はみんなの予想を遥かに超えていた。

 ネットの海を探って過去に青色竜に挑んだプレイヤーたちの体験談などを集め、考えて備えをしてきたつもりでもまるで足りない。

 青色竜の長尾が地を払う。前衛たちはジャンプして回避するものの、そこへ爪が奔った。

 一枚が両手剣にも等しいほどの爪が群れをなし、防御越しのHPを切り裂いていく。いちばん軽くても、ダメージは三割を下まわらない。

「投げるよ!」

 地を転がる前衛たち向けて、ヨシュアが腰のポーチから引き抜いたHP回復薬を投擲した。受け取った前衛たちが使用し、立ち上がってはまた青色竜へ向けて挑んでいく。

「おっしゃあ、行くぞ!」

「おう!」

 威勢だけでは超えられない壁へ、それでもなお立ち向かっていく。

 必死であたまを回転させるのはヨシュアだ。本来ならば、短剣の連続攻撃による火力を生かしたいところである。

 しかし、キャラクター・ビルドの性質上、一発も食らえないヨシュアは前衛に投入しづらい。そこでサポート役に徹しているわけだが、

(最前線っていうのもキツそうだけど、見ているだけっていうのもキツいな……)

 いまはただ、遠くから見られるという視点を生かして、青色竜のパターンを盗もうと目をこらすことしかできないのだった。

 ヨシュアのあたまが特別よかったからそういう役目になったわけではない事実が、余計に気持ちを焦らせる。

(おちつけ。いくらかは読めてきた)

 青色竜が地団駄を踏むように地面に足を打ちつけた。それはライムが放った〔震動拳〕のような効果となり、地面を揺らす。

 前衛たちの足下がふらついたところへ青色竜の尻尾が迫る。それ自体はどうすることもできない。

 またころがされた前衛たちへ、ヨシュアは回復薬を投げた。できた余裕の時間で、青色竜は〔雲散霧消〕を放った。

 前衛たちのバフが切れた。魔法班がいま構築していた魔法を中断、防御系魔法に切り替える。

(見るべきところは、尻尾や爪が来るところじゃない。その前段階。攻撃へつなげてくる起点だ)

 ヨシュアは思いだす。すでに百を超える攻撃を受けている。そこからパターンを調べ尽くす。

(できる。できるはずだ。そう、これは覚えゲー(ヽヽヽヽ)。見ろ。見て、覚えて、思い出せ)

 そして、ヨシュアは自分に暗示をかける。

(手足だ。ぼくのからだを動かすように、意思を伝える)

 測量スキルと、AGI型に必要なプレイヤー・スキル。

 地図による俯瞰と、後方からの遠視。

 かちり、とヨシュアのなかで、絡み合う感覚があった。

 数十メートルの巨体は、攻撃できるほど近くに居ると、その端々を目で追うことはむずかしい。

 だから、

「前衛、下がって!」

 ヨシュアが目になる。

 前衛組があわてて後方へ飛んだ瞬間、そこを尻尾が通った。隙のできた青色竜へ、はじめて連打のような攻撃が当たる。

 パターンを覚えたといっても、それはもちろん予測に過ぎず、一〇〇パーセントではない。

 しかし、無策の状態とは雲泥の差がある。

「支援隊、ちょっと待ってから一斉発射。前衛はそれに合わせて突撃。魔法隊は合わせてシールド系飽和!」

 矢の雨が降りそそぐ。それを翼の風圧で防御した青色竜目がけ、前衛隊は全速前進する。

 アビリティに技後硬直はほぼないといっていい。尻尾ではなく両腕が地を擦りあげ、地面ごと抉るようにして前衛隊に攻撃を仕掛けた。それを飽和状態にして通した防御魔法〔光・円・盾マナ・サークル・シールド〕が防ぐ。拮抗は五秒に満たない。きわめて高い防御力を誇る代わりに、燃費もわるく効果時間もせまい。だが、必要にして充分だ。

 腕をかいくぐって到達した前衛たちが、単発で威力の高い攻撃や、隙のすくない攻撃を連打し、一ドットずつ、牛歩のようにHPを削っていく。それは紙やすりで岩を削るにも似た感覚だったろう。

 まわりはじめた一二人の攻撃が、すこしずつ、すこしずつ、青色竜を追い込んでいく。

 しかし、紙やすりはしょせん紙やすりだ。予想が外れて攻撃を食らえば、もろく崩れ去ることもある。

「パターン読みちがえたっ、下がって!」

「えっ!?」

「ムリだ、南無三ッ!」

「ウソォー!」

 ヨシュアの予測がはずれ、前衛は無残にころがされ、同時に〔雲散霧消〕がバフ効果を剥がす。

 あともう一撃。青色竜が足を上げて下ろせば、それだけで終わってしまう。

「っく!」

 ギリギリと縮こまる仮想の胃を救ってくれたのは、陽光の白金装備で全身を固めている防御重視のライムとマレウスだった。

 彼女たちだけ七割ほど残るHPが行動を許した。動けそうもないシンヤとヨルコを引っ張り、かろうじてフット・スタンプから逃す。防御強化がかかっていない状態でふたりを掠めた一撃は、HPを三・五割ほど減少させる。

「っくぅ、さすがにキツイですね」

「うひゃー。防御魔法のありがたみが身にしみる!」

 投げられた回復薬を受け取って使いながら、ライムとマレウスは言う。

 ミスもあった。だが、着実に流れはプレイヤー側に傾いてきていた。

 青色竜――すなわち、PWOにおけるボスのひとつに抱いていた畏怖と緊張がほぐれはじめたのだ。

 そしてヨシュアたちは、紙やすりのほうが摩滅しそうになりながらも、(HP)を削っていく。

「これで、どうだぁ!」

 シンヤの槍が青色竜のからだに食い込んだ。

 やがて、みんなのチマチマは実を結び、とうとう青色竜のHPも五割も削るところまできた。

 各種回復薬はのこり三分の一ほどにまでなっていたが、追い上げるスピードを考えれば、むしろギリギリ足りそう。というのがプレイヤーたちの考えだった。

 ――つぎの瞬間までは。

 青色竜が、世界が静止した。

「……ヤバイ! HP減少での行動変化だ。読み切れない、下がって!」

 ヨシュアが叫んだ。それはあまりにも遅い。

 青色竜の喉から〔音〕がひびきわたる。

 〔威嚇の咆吼〕ではなく、もっと別の――空間自体が震えるような音だ。

 音は世界を侵蝕し、青色竜は光を帯びる。

 竜種が唯一覚えているスキル――

「アレが、竜語魔法」

 光が落ち着いた青色竜は、攻防一体の鎧を編み上げて装着していた。

 まだ決着なんか、なにもついていない。

 本番がはじまろうとしていた。


 竜語魔法。

 竜種にしか使えない特別な魔法だ。

 だからといって、理不尽なほど強く設定されているわけではない。

 しかし、理不尽なほどに強い竜種が使えばなんの武器であろうと、それは理不尽なまでの強さになる。

 青色竜が用いたのは、自分自身の攻撃力と防御力を引き上げる武装化魔法だ。

 爪は長く、鋭く伸び、鱗の一枚一枚が刺々しくなり、牙は凶悪さすら感じるほどに尖っていた。その長い尻尾は尖った鱗のせいで、一回でも触れば引き裂かれそうな棘のようなもので覆われている。

 見るからに威力は高く、残酷性すらも備えていそうである。

「嘘だろ」

「悪夢か、これは」

 遅遅としながらも、ようやく削りに削ったHP五割。青色竜の強化は、その進行速度がますます遅くなることを意味する。

 すでに戦闘開始から一時間以上が経過していた。人間の集中力持続は、それぐらいが限界だという。

 ピークはすでに過ぎていた。

 あるいは、あのまま竜語魔法で仕切り直すことなくたたかえていたら、なんとか持ったまま勝てたかもしれない。

 しかし、現状はひっくりかえすことができない。すでに確定したことを踏まえて、やっていなかければならない。

(またパターンを覚え直すのか?)ヨシュアが思う。(ちがう、想像するんだ)

 ステータスが強化されても、基本的な性能が変わったわけではない。爪は大幅に伸びてリーチも変わっているだろう。しかし、ベースが変更されたわけではない。

(つぎの段階――予測だ。想像。推測。なんでもいい!)

 あたまをかきむしるようにして、ヨシュアはすでに疲れ切ったあたまをフル回転させた。

「尻尾がくる、下がって!」

 ヨシュアの叫びに一秒ほど遅れて、青色竜が尻尾で地表を薙ぎ払う。それはいちばんリーチの長い攻撃だ。

 距離が開けばそれがくる。パターンがまったく変わったわけではない。

 安堵を得て、ヨシュアはため息を吐こうとした。それはまちがいだった。

「ぐぁっ!」

 青色竜は尻尾で薙ぎ払ったところへ、腕を目いっぱい伸ばして叩きつけた。爪が尻尾の距離を見切って避けた前衛たちを切り裂いていく。

 そう、爪である。

 尻尾をまわすということは、からだを回転させる必要がある。回転させれば、からだは当然、向きを変える。

 右腕か、左腕か。どちらかは前衛たちに近づく。そして、回転に体重移動も合わせればリーチは広がる。

 指示は正しかった。だが、二段階目が潜んでいることに気づけなかった。

 長すぎる戦闘のせいで、やはり集中力は落ちているのだ。

「くそっ!」

 すでに実物化させておいた回復薬を投擲し、ヨシュアはギリギリと歯噛みした。

 前衛たちはそれを受け取って使用しながら距離をとる。だが、それはどこか緩慢なうごきに見えた。

 そんな状態では、充分な距離をとることはむずかしい。まだそこは射程内、青色竜が与える死地のなかだ。

 死神の鎌のごとく、幾多の爪が前衛隊を襲った。それをふせぐのは、魔法飽和状態にして強引に通す防御魔法だ。

 瞬間的な拮抗のあいだに、前衛たちは重たい足を引きずるようにして距離をとった。ヨシュアがMP回復薬を魔法隊に投げつけ、飽和魔法による燃費のわるさを誤魔化していく。

 だが、それも長くはない。全員のアイテムが尽きるのはまだ先だ。しかしヨシュアが保有しているものは、ほとんど底を突きかけていた。

 いまのテンポは、ヨシュアによるアイテムの投擲によって、前衛、魔法、支援の三隊がインヴェントリィを開いてアイテムをいちいち取り出さないで済むことで成り立っている。それが崩れれば瓦解は近い。

 展開速度が落ちれば、攻撃などもってのほか、防御さえもおぼつかなくなる。

(まだ想像が足りてない。もっと、もっとだ!)

 取られた距離を詰めようと青色竜が前傾姿勢になり、凶悪な牙を剥いた。

「突撃がくる。正面は絶対に避けて全力で散開!」

 すでに想像できていた、あるいは声に反応したプレイヤーたちが、青色竜の正面から外れ、左右に割れた。

(どこかでぼくは、甘えていたんじゃないか?)ヨシュアは自問する。(遠くから見ているだけのぼくは死なないと)

 死の長爪が地面スレスレに沈んだ。クラウチング・スタートのような恰好だった。

 ヨシュアが叫んだ数瞬後、青色竜は疾駆していた。数十メートル大の砲弾が地を削りながら周囲を切り裂いていく。

 すでにうごき出していたプレイヤーたちは、どうにか避けることができた。

 抉られた地面は変形し、平地だった部分が大きな穴に変わっていた。

 圧倒的な破壊力だ。まともにあたれば、どんな防御重視の構成だろうとひとたまりもないと思うには充分だった。

 その一撃は当たらなかったが、しかしプレイヤーたちに恐怖を刻んだ。

「パターンが大幅に変わったわけじゃない。見ていれば各自でうごける。あと半分、集中していこう!」

 おう! という声があちらこちらから放たれた。自分をだます欺瞞のように、半ばやけっぱちのような色が混ざっているけども。

 ただ声を出さなければつぶれそうだったのだ。

 それでも、あきらめだけは見えなかった。

(逃げ場はもう捨てろ、覚悟を決めるんだ)

 みんなの必死に応えるため、ヨシュアは腹を括った。

 そこから先は、性能限界の運用をつねに求める綱渡り。一歩も外れず、されどすばやく。

 到達地点は遥かとおく、下を向かずに前だけを見る。

 その境地はすでに捨身。谷底へ赴くように、切り込んでいく。


 だるい、というのがシンヤの正直なところだった。

 一時間以上も連続して戦闘した記憶はなかったのだ。何時間も狩りをしたことはあるが、それだってMOBを倒して休憩を挟んで、という形式だ。もっとも集中した時間を続けることは、はじめてのことだった。

「前方から爪がくる。前衛は左右か斜めに散開、突進に合わせて弓隊どうぞ!」

「おう!」

 と、シンヤは空元気で返答はするものの、すでに手足は鉛をつけられたような感覚に陥っている。

 精神的疲労からか、なにをやっているんだろう。という気持ちが胸の奥から迫り上がってくるのだ。

 同時に、後方から指示だけを飛ばすヨシュアにも、若干の苛立ちを感じずにはいられない。

 戦闘のストレスに晒され続けていると、どうしたってこころはすさんでくる。

 自分だけ安全地帯から楽しやがって、と思わずにはいられなくなってくるのだ。

 たしかに指示が通るようになってからは、状況は格段に進展している。

 けれど、心情的にそれとこれは別問題なのだった。

 青色竜が弾かれたような勢いで、距離を詰め始めた。前衛隊、ほかの三人のうごきは自動化されたように、乱れもない。

 しかし、シンヤは遅れていた。余計な感情が入りこんだせいもある。実際のところは、疲れのせいというのがほんとうだろう。

 シンヤが気づいた瞬間には、手遅れだった。

 ――あ、ダメだ。罰が当たったかな。

 と、胸中で思ってしまうぐらいには致命的なミスだ。

 爪はすでに避けようもない。

 ざくん、という音がからだのなかで鳴るのをシンヤは聞いた。視界の左上、HPバーが一撃でレッド・ゾーンに突入、八割ほど削れる。

 攻撃はノック・バックを生み出して、シンヤは槍こそ手放さなかったものの、倒れ込んでしまった。ダウンに合わせてスタンプやもう一撃を加えることは容易いだろう。竜種の前でころぶということそのものが、すでに死に近い意味を持っている。

 青色竜の瞳が輝くのを、シンヤは見た。それに禍禍しさよりも、凍りついた時間のような美しさを感じてしまう。心身が麻痺していたのだろう。

 逃れ得ない死を間近にして、シンヤは拡大された時間を感じていた。

 迫り来る爪のなんと遅いことか。けれども手足は泥濘に浸かったかのように、ぴくりともうごこうとしない。

 コレが走馬燈のようなものか、と妙に落ち着いた気分になっていたのは、こころがすさんでいたせいか。

 突如、そのぬるま湯のような時間は過ぎ去った。シンヤの眼前を、爪風が通り過ぎる。

「ギリギリ、セーフっ。サイドからヘイト稼いで! 魔法隊、防御準備よろしく、いったん後退します!」

 ヨシュアが強引にシンヤを引っ張り、死地から抜け出させたのだった。

「オーケイ、しっかりシンヤ!」

「疲れたら声!」

「負担はみんなで分かち合いですよ!」

 気力だけでうごいているようなものなのに、ライム、ヨルコ、マレウスの三人は、シンヤが立て直すまでのあいだ、側面から青色竜の気を引くため、すこしならず無茶な行動をとる。

 ヘイトを稼いだ三人は当然、意識を引きつけた。爪と魔法が火花を散らし、前衛たちを守りぬく。

 さらに射られた支援隊の弓が注意をそらした瞬間に、前衛たちは攻撃仕掛け、注意をもとに引きもどす。

 稼いだ時間はたっぷり五秒、それだけあればAGI型は、人を担いで安全圏まで避難するには充分だ。

「わるい。ちょっと無茶させすぎた。いま回復する」

「あ、いや、手持ちがあるから」

 腰のバッグを開いて、シンヤはHP回復薬を使った。一気に元にはもどらず、すこしずつHPは回復していく。

 そのあいだにもヨシュアは声を張り上げていた。シンヤはおなじ視点から、みんなの背中を見る。

 前衛たちが気力を絞り、精一杯にうごいている。魔法使いたちがすこしも休まずに手と口をうごかし続けている。弓使いたちは、忙しそうに矢筒から矢を抜き、弦に番えて放している。

 ――ここはなんて寂しいところだろう。

 どれにも加われず、ただ見ているだけというつらさは、シンヤにとって衝撃的だった。

 あまりにも遠いのだ。隔離されているようにすら錯覚できる。

 ガラスを通したような世界に向かって、それでもヨシュアは叫んでいた。その手には常に回復薬が複数個、握られている。

 人数が少ないからか、ヨルコがミスをして攻撃を食らった。つぎの瞬間には、すでにヨシュアは投擲と同時、スタートを切っている。

 安全圏から危険域まで突入、ヨルコを背負い、回復薬を使わせながら避難していた。その往復は、極AGI党でなければ捕まっているだろう。

「ごめん、シンヤ。さすがにふたりじゃ足りない。もっと休ませてあげたいけど、復帰イケる?」

「あ、うん。イケる。だいぶ休めたよ、サンキュー」

「お願い。カヴァー最優先! ヘイト稼ぎづらくなってるから、後衛組はすこしずつ後退して!」

 いいながら、ヨシュアはシンヤをかばうようにして前衛たちに合流しようとする。

 その道中、インヴェントリィを探ってトレード・ウィンドウを出し、シンヤは持っている回復薬の半数をヨシュアに押しつけた。

「援護、頼んだ」

「まかせて。それぐらいしかできないけどね」

「充分だよ」

 シンヤのささくれていたこころから、ヨシュアを責めるような気持ちは消えていた。

 誰だって全霊でたたかっている。そのステージ位置がすこしちがうだけ。そう理解できたから。

 少年は、青色竜が吼え猛る戦場へ舞いもどる。


 魔法隊は限界にきていた。

 ほとんど立ちっぱなしでうごかないから、スタミナ・ゲージは減っていない。疲労は別のところからくるものだ。

 すでにパーティ全員が限界近かったが、なかでも彼らの不休で一時間半以上も口と手足を間断なくうごかし続けるというのは、想像以上の疲労になる。

 演奏家が九〇分の演奏(ギグ)をやるにしても、すこしぐらいは休憩時間は挟まれる。だが四人の魔法使いには、そんなもの与えられていない。

 ヨシュアはそれを目の端で捉えながらも、休ませてはやれなかった。四人で飽和させなければ魔法が通る確率は落ちる。そしてミスを犯したときのサポートに魔法がなければ、それは地獄への直滑降になりかねないからだ。

 そんな激務をこなしてきた彼らが、一時の休息を得ることができた。

「飛んだ……」

 青色竜は上空を舞っている。

 休めたことは希望だった。しかし、竜があたらしい行動をとることは絶望だった。

 竜のHPが三割を切った瞬間、また行動変化が起こったのだ。

 ヨシュアにとってそれは混乱だった。――否、それは嘘だ。空に飛んだ瞬間、つぎにとる行動は予測できている。

 どう考えても飛行攻撃に他ならない。それ以外にとるべき行動はあり得ないと思えるほどに。

 地上で休む暇を与えない連続攻撃を捨ててまでしようというのだから、それ以上に効果的な手段をとるのはあきらかだ。

 これでは前衛によってヘイトを稼いで攻撃を集束させるという方法がとれない。つまり、弓兵だろうと魔法使いだろうと傍観者であろうと、誰だって狙われる可能性がある。プレイヤーたちにとっては最悪のダーツだ。

 はじめての休憩をカーボン、ユーガ、イグニス、アクアの四人は、頭上を見上げることに浪費した。逆に彼らは思うのだ。いまテンポと集中力が砕けてしまったら、もう二度と再開できない、と。

 回復薬を使ってステータスを万全にし、いまのうちにバフをかけ直しながら、青色竜を見つめている。

 ダーツはやがて、的を絞ったように移動した。

 数十メートルのモノが上空から落ちるというのは、一種の質量兵器だ。青色竜はそれを非常によく理解したように、魔法使いの四人の頭上を泳ぐ。

 誰がいなくなるのがいちばん応えるか、というのを理解しているのだ。

「魔法隊、全力で退避っ、前衛はサポート入って、弓隊、上空狙って届く!?」

「了解!」

「狙ってはみる!」

「当たるかどうかは八卦ってことで!」

 全員がうごき出す。それはもちろん、青色竜も。

 両手足の爪と尻尾を穂先にして落下してくる青色竜は速い。

 〔星馬の複合弓〕で狙いをさだめたふたりの矢は、たしかに青色竜に届いた。微量のダメージも与えられたが、動き出した竜は止められない。

 魔法隊が退避するよりも、青色竜が地面に迫るスピードのほうが速かった。

 万事休すか、と思ったその瞬間、宙に四枚の〔光・盾(マナ・シールド)〕が張られた。逃げながらの口上詠唱式だったため、もっとも弱い魔法しか張れなかったが、そのどれもが無効化されることなく展開された。それ自体の防御力は、爪が触れれば即座に破壊されるほどの弱さだ。しかし防御判定が存在する以上、青色竜は落下までに四回も減速することになる。それはヨシュアと前衛隊が魔法隊を逃がすのに必要な時間を稼いでくれる。

 しかし二度は通用しないだろう。つぎから青色竜は、落下しながら〔呪文取消(キャンセル)〕のアビリティを使ってくるにちがいないからだ。

 青色竜が地面に落ちると、地震のようにその周囲が揺れた。

 ヨシュアは歯噛みする。落下の衝撃で一時的に青色竜は硬直するのだが、まず地震を攻略してからでなければ、そのチャンスは掴ませてくれないのだ。

「つぎの落下がチャンスだ。竜が飛んだら狙いを絞らせないようにうごきまわって、地震を回避したら最速で攻撃!」

 了解! と、あちらこちらから声がした。

 竜が上から攻撃するのなら、必死になって維持していた陣形は意味をなさない。そのときは、隊列など無視して全員、逃げの一手なのだった。

 そして単純なスピード勝負なら、パーティ最速のヨシュアの出番もあるというものだ。ヒット・アンド・アウェイなど、お手のものである。

 ピンチこそチャンスに変える。あくまでも前向きに思考するのだった。でなければ、こころが折れそうなのである。

 青色竜はそれからほどなくして飛んだ。

「あくまでも回避がいちばんっ。無理はせずに、まずは逃げることだけ考えて!」

 返答はない。誰しもわかっていることだからというのもあるし、どうやって攻撃を躱すかで精一杯なのだ。

 竜の下には、さきほど上空に矢を放った弓隊のすがたがあった。下降中に攻撃を受けたからか、仕返しに狙いをさだめたようである。

 隕石のように、青色竜は落下をはじめた。

「弓隊、全力で退避!」

 それ以前に、魔法使いたちはうごいていた。ダメで元もとの覚悟で、〔光・盾(マナ・シールド)〕を使ったのである。三つは〔呪文取消〕されたが、のこり一つは宙に描かれる。その盾はしかし、

「グライディング!? そんなのアリか!」

 宙で翼をうごかし変えることによって、いとも容易く回避された。おまけに弓兵にさだめられていた狙いはずれを生じ、竜は魔法を使うことに成功したユーガの元へ落ちようとする。

「オォッ!」

 近くにいたライムがユーガを投げ飛ばした。地面に転びはしたが、ダメージはなかった。

 ずしん、と重くひびいた音が地を揺らした。それに合わせて前方へ跳躍しながら、ヨシュアは右手で腰の短剣〔デプレッション〕を引き抜く。

「〔蜂の(ホーネット)〕ォ――」

 刃が黒と黄色に染まった。

 それに続いてライムの右腕が、クロモリの片手剣が、シンヤの槍が光を放つ。

「――〔一刺し(スパイク)〕ッッ!!」

 甲高い音がして、スズメバチの一撃は深々と竜のからだに突き刺さった。

 つづいて拳が、剣が、槍が、青色竜に攻撃を喰らわせる。

 竜のHPが二パーセントも減った。これはいままでにすると、五分以上の攻防を繰り返してようやく減らせる数値だ。リスクはあるが、リターンも大きい。ヨシュアはたしかな手応えを感じていた。

 そう、リスクは大きい。

 プレイヤーたちの技後硬直に合わせて、青色竜は周囲を尾で薙ぎ払った。避けうるはずもなく、まともに喰らって四人は吹っ飛んだ。

 とくにいちばん近くにいたヨシュアの被害は甚大だ。たったの一撃で、残HPは二割もない。チェーン・ソーじみた尻尾は、防具の耐久値さえもガリガリと削り、ひどく消耗させていた。

 青色竜はまだうごきをとめない。前傾姿勢になり、吹き飛んでいった前衛たちへ向けて突っ込むつもりだ。

 誰も、なにもいえなかった。戦闘がはじまって以来の静寂が場を支配していた。

(甘かった……)

 起き上がりながら、苦虫をかみつぶしたような気持ちでヨシュアは胸中で吐く。

(世界最強として生まれた竜種が、そんなにわかりやすく隙を見せるはずがなかった)

 そう。それはいままでヨシュアたちがとっていた手段――すなわち、リスクを背負ってリターンを得るギャンブルだ。

 そんなことをしなくても強い――最強とされている存在が、あえてやった策に見事ハマったのだ。

 防具の重たいライムはまだ起き上がれない。クロモリとシンヤもまだうごけるほど回復していなかった。

 その場でなにかをやれるのは、ヨシュアしか残っていなかった。

 青色竜の爪が地面を削った。刹那を置いて、暴虐は解き放たれる。

 ヨシュアの頭脳が高速で回転する。しかし、打開策は出てこない。

 激突までは三秒もない。それだけあれば絶望するには充分だ。

 せめて一撃、カウンターを喰らわせてやろう。そんな気持ちでヨシュアは短剣を構えた。その眼前、飛び出したものがいる。

 極光を放つ巨大なハンマーを両手で振りかぶるマレウスだった。

 STRだけに特化したマレウスは、着地の地震に対応できない。だから、一撃を溜めることだけに時間を費やした。

 それは、前に彼女が使った〔チャージ・クラッシャー・フル〕の上位技、溜めただけ威力の増す単発攻撃だ。

 その一撃で、真っ正面から竜の突進を止めようというのだ。ふつうに考えれば無茶だ。ありえない。不可能である。

 不可能をを可能にするための手段は、いま行使されていた。

「〔全・身・全・霊(フル・フォース)〕!」

「〔乾・坤・一・擲(オーヴァ・ドライヴ)〕!」

「〔限・界・突・破(リミット・ブレイク)〕!」

 最上位強化魔法はアビリティによって無効化されなかった。もしかしたら、アビリティにも冷却時間(クール・タイム)が短いながら、あったのかもしれない。

 かつてマレウスは自身の数倍の巨体と激突し、打ち勝ったことがある。その再現をしようというのだ。

 そのときに吹き飛ばせたのは、得物ひとつ。今回のチャレンジは無謀だった。しかし、やらなければならない理由がある。

 だからこそ彼女は文字通りの賭けに出た。ベットするコインは勝利と敗北。

 前衛三人とサポートが抜ければ勝利はありえない。それにノった魔法使い四人も、マレウスに賭けたのだ。

 距離はゼロに縮まる。

「〔フル・インパクト・ドライヴァー〕ッ!!」

 極光が放たれた。

 小丘にも匹敵するような巨竜の爪と、矮躯な種族が持つ巨大なハンマーが激突した。


 光の洪水が消えた。

 ヨシュアの眼前には、背中を丸めるマレウスのすがたがあった。地面には突撃を押さえ込んで痕になった、足に続く二本の線が刻まれている。

 その手に持たれたハンマーは、無数のひびが入っていた。耐久限界値を超えたのだ。転瞬、爆発的な量の光の粒となり消える。

 同時、ハンマーと突き合わせていた竜種の右爪も無数の星屑となって爆散した。

 マレウスの攻撃と竜種の攻撃が均衡したからこそ生まれた相殺現象である。

 ハンマーひとつを引き替えにして、マレウスは竜種の突進を押しとどめることに成功したのだ。

 これこそヨシュアと正反対の存在――まさに極STRの〔ちから〕に他ならない。

「残念、吹き飛ばせませんでしたか……」

 いつも通りの態度で不敵に笑う。そのまま膝から崩れ落ちるようにして、小さな巨人・マレウスはその場に沈み込んだ。

 いくつもの後悔がヨシュアと前衛たちの胸を過ぎる。だが、マレウスがすべてを使って稼いだ時間を無駄にはできない。

 しかし前衛たちよりも、青色竜が動き出すほうが早かった。砕けた右爪のかわりに、健在の左爪が横たわるマレウスを狙う。

「〔光・円・盾マナ・サークル・シールド〕!」

 ――賭けに出た魔法使いは(ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ)四人居た(ヽヽヽヽ)

 こうなることを予想済みだった。だからこそふせげた。

「長くはもたない!」

 盾と爪の拮抗は約五秒。マレウスが稼いだ時間と合わせれば、およそ一〇秒近くも、前衛たちの立て直す時間が与えられる。

 それだけあれば立て直すなど生ぬるい。反撃にでることすらできる。だがそれはしなかった。

 もっと優先すべきことがあったからだ。

 ヨシュアとライムが、マレウスを抱えて戦闘圏外に運び出す。

 シンヤとヨルコがそれをサポートし、青色竜の意識を引きつけるようにうごいた。

 マレウスを安全圏に運び終わった頃には、シンヤとヨルコはボロボロになっていた。すぐさま後退させ、代わりにヨシュアとライムがスウィッチして前へ出る。

「勝つぞ、――いや、絶対に勝つ!」

「負けるモノかよ!」

「マレウスの仇ィ!」

「消えたのはハンマーだけどな!」

 すこしの苦笑とマレウスの勇姿が、みんなの集中力と気合いを取りもどした。

 ひとりを欠いた戦闘は、それだけ苦しく厳しいモノとなった。もはやヨシュアを戦闘から遠ざけておく余裕はなく、右手に短剣、左手に回復薬を持ち、想像力による遠見の脳内再現と地図でパーティをまわさなければならない。

 指揮するものが直接、敵とたたかわなければならない状況というのは、まず失敗といっていいだろう。才能の片鱗は見えたが、目覚めたばかりのものだ。ヨシュアも完璧にこなせるとは思っていなかった。

 たたかいながら指揮をするというのはただしく激務といってよく、しかし、それができなければ勝利はありえない。すべてを(なげう)ってみんなを守ったマレウスのために、ヨシュアは役目をそれまで以上の集中力でこなしはじめる。でなければ、自分のミスでパーティを壊滅の危機に陥らせた責任がとれないように思えたからだ。

 気力を絞りきったとばかり思っていたパーティ・メンバーたちも、まだやれると思えたのか、奮迅して青色竜と当たっている。

 たたかいは熾烈をきわめ、かつ劣勢でもあった。どれほどに気力を振りしぼっても、それだけで勝てるあいてではない。

 トップ・クラスのダメージ・ディーラーであったマレウスが抜けた影響は小さくなく、与ダメージはがっくりと減ることになった。

 また上空へ飛び立ったあとの回避からの攻撃も、罠とわかっていれば仕掛けることはできない。せいぜい、落下に合わせて矢で微量のダメージを奪うか、着弾硬直に合わせて魔法を放つかぐらいのことがせいぜいだ。

 突如として飛行攻撃をはじめるため、リズムというものを掴むこともできず、調子の波に乗ることもむずかしい。

 ほとんど場当たり的な行動でも強い青色竜のランダム性に、プレイヤーたちは悩まされている。

「突進!」

 その一言だけで、もはやみんなは最適化されたようにうごくことができた。魔法隊は後退しつつ詠唱し、弓隊は充分に引きつけてから撃ち込み、前衛隊は躱して左右に割れてから挟撃する。数百と繰り返すことで、急激に練度が上がっているのだ。

「尾!」

 側面から攻撃を受ける青色竜は、ハエでも払うかのように尻尾で地面を薙ぎ払う。

 直前で気配を察知したヨシュアの言葉を受け取り、すでに前衛たちはその場を退いていた。ただその場で回転するだけの青色竜に、矢が飛んだ。翼が開き、ひとつ扇ぐ。〔風圧防御〕がすべてをたたき落とした。

 それに合わせて、

「〔稲妻雷鳴刺し〕!」

 槍技の長距離攻撃、宙を伝う稲妻が竜種を刺す。

 すこしずつ、薄いヴェールをはぎ取られるように青色竜のHPは削れていった。

 ミスをしないのではなく、ミスもできない。ひとりも欠けることが許されない。

 窮地に陥ったぶんだけ、ヨシュアたちの行動は冴えていった。冷たい機械のように、無駄なく最適行動を取らせる。

 疲れたとかキツイだとか、泣きごとを漏らす暇すらなくなれば、人間はそれだけのことができるのだ。

 やがて、青色竜のHPが一割を割り込んだ。

 瀕死といっても差し支えない青色竜は、咆吼する。

 〔威嚇する咆吼〕――恐怖耐性のないプレイヤーをスタンさせる全体攻撃。

「ここで!?」

 プレイヤーたちはひどく狼狽した。

 装備ではなく、消費アイテムによって耐性を得ていた魔法使いたちがダウンする。

 彼らは軽装でなければ満足にうごけない程度しか、STRに振っていない。そのため消費アイテムで耐性を得るしかなかった。

 威嚇する咆吼は開幕にしか使わない。そういう思い込みがなかったかといったら、彼らにとっては嘘になるだろう。

 これだけ強力なアビリティを使わないはずがない。そうは思い込めなかった。また、思っていても激戦の最中、耐性を得るために常時、再使用できていたかといわれれば首をひねらざるを得ない。

 恐怖状態に陥った彼らを救えるのは外部からの救援だけだ。それに対応できるのは、支援するため近かった弓隊だろう。

 彼らが恐怖状態を解除する治療薬と、恐怖耐性をつける消費アイテムを使うまで、前衛だけでその場を凌がなければならない。

 やれるのか。ではなく、やってみせる。というのが彼らの本音だったろう。

 泣いても笑ってものこり一割、ここで逃げ腰になるようなら、その前に死んでいる。

「後衛につっこまれたらアウト。前衛で引きつけて、タゲ引っ張ったら後退。サポートないよ!」

「了解」

「まかせて!」

「逃げるのは得意!」

「やるしかないね!」

 彼らは地獄と現世の境目まで迫る。

 まず防御をするということがつぶされているから、あえてヨシュアを最前へ送り、囮として使う作戦となった。

 測量スキルを持っていなければ、斥候(スカウト)の役割は適役だ。しかし、これがヨシュアにとってはじめての青色竜との真っ向対決だった。遠くから見ていることはあったし、前衛に加わってうごいてもいた。だが真正面を引き受けるのは、なかったことだ。

(すごいな)

 ヨシュアは改めて、青色竜と長々と対峙してきた前衛たちを尊敬すらしていた。自分ひとりだったらすでに逃げ出しているだろう。そう思わずにはいられないほど、近くにいる竜種の存在感に強烈なものを覚えるのだった。

 無手壁役(ノー・ハンド・タンク)のライム、盾持ちのクロモリは、つねに最前線で竜種を御してきた。槍のシンヤと竿状武器のヨルコは、その隙間を縫うように正確な攻撃をしていた。ハンマーのマレウスは、その一撃でたっぷりと竜種のHPを削り取っていく。

(やるんだ、ぼくも)

 それだけの活躍ができるかどうかではない。やろうとすることが大切なのだと、わかっているから。

 黒紫の刃を握りしめて、ヨシュアは前へ歩き出た。震えはぜんぶ、武者振いだと誤魔化して。

 手負いの竜が目を輝かせると同時、その喉から出た音が空間を支配した。竜語魔法〔武装化〕が割れた右爪を治していく。

 ヨシュアは自分から仕掛けない。むしろ放っておいて貰えるのなら僥倖、時間稼ぎのためだけに最前に位置しているのだから。

 だが、青色竜にその気はないようだった。治ったばかりの右腕をスウィング、思いっきり振りかぶってヨシュアを切り伏せようとする。

 爪風や行動派生を考えれば、紙一重で避けるなどということはできない。ヨシュアは余裕をもってバック・ステップしてそれを避ける。返す刀で攻撃とは行かない。青色竜が右腕を引きもどすでなく、そのままくるりとまわって尾をたたきつけようとしたからだ。

 跳躍すればさらに爪へ繋がることは知っているヨシュアは、さらに大きく後退した。そして一気に反転、距離を詰めて懐に潜り込み、短剣を突き入れる。ダメージは竜種のHPバー換算で一ドットもない。連続攻撃が入らなければ短剣の攻撃力など、その程度のものだ。

 青色竜が吼えた。そのままヨシュアを抱き殺そうと両腕を交差させる。しかし、すでにもぬけの殻だ。体勢を低くしてすり抜け、すでに間合いを放している。

 竜はぐるぐると喉を鳴らした。

「こいよ、爬虫類」

 慣れない挑発をして、ヨシュアは指先を自分に向けてちょいちょいとうごかす。竜種は前傾姿勢をとった。

 竜種は突進を開始した。ヨシュアにではなく、その斜め向こう――弓隊と魔法隊がいる場所へ向かって。

「しまっ……!」

 ヨシュアは疾駆し、その青色竜の側面から攻撃を加えるために併走、ナイフを突き込んだ。しかし、竜は止まらない。

 たかが一ドットも減らせない攻撃など意に介す理由はない。無視するのが適切だと竜種は判断したのだ。

「止まれェェェ――!」

 狂ったようにヨシュアは何度もナイフを突きたてる。だがそれだけやって、ようやく一ドット減るかどうかという程度だ。

 何回斬りつけようと、羽虫のごとき攻撃にかまう竜種ではない。ただ猛然と突き進む。

「さっきも言ったでしょ、まかせろって!」

「なんとなく、こうなるだろうとは思ってたけどね!」

 ライムとクロモリが進行方向に立ちふさがっていた。

 ライムは腕を十字に交差し、腰を落として踏ん張っていた。クロモリは陽光の白金を使った大きなシールドに身を隠すようにして、おなじように待ち構えている。

 無茶だ。ヨシュアはそう叫ぼうと思ったが、そう叫んでしまえばそれがほんとうになってしまう気がして、声に出せなかった。

 マレウスが相殺できたのは魔法使いたちのサポートが厚かったからだ。そうでなければ、とても耐えられる代物ではない。

 青色竜は両腕を前に突き出し、ふたりのガードを突き破ろうと地を蹴った。

「〔セイント・クロス〕!!」

「〔イージス・ガード〕!!」

 交差した両腕と盾が輝いた。盾防御スキルと、無手防御スキルのアーツだ。

 しかし、それらを駆使しても、竜種の突進は並大抵のものではない。

 接触の瞬間、ふたりは暴走した新幹線にでも突っ込まれたような衝撃を受けた。

 圧殺。その二文字があたまに浮かぶほど、その威力はすさまじい。

 それでもまだ竜種の前進はとまらない。ふたりの足が地面を抉り、後ろへ後ろへと押されていく。

 ガリガリと削れていく視界左上のHPバーは、リアル・タイムで死の恐怖を刻み込みこんだ。

「オォオオォォ!!」

 すこしでも気を引こうと、ヨシュアはのろのろとうごき続ける竜種の背中に向かって、最大の連続攻撃〔八百万殺し(アエニクトゥス)〕を放った。ナイフが霞み、群れのようになってその背に無数の刺突を浴びせる。

 じわじわと青色竜のHPも削れていくが、それはドット単位の話であって、ライムとクロモリの減少スピードとは比べものにならない。

 シンヤとヨルコによる追撃もあり、ようやく青色竜は停止した。直後、背中に張りついていたヨシュアは尾によって吹き飛ばされる。

 チェーン・ソーのような尻尾は、いとも容易くヨシュアのHPを削り取った。倒れた瞬間に回復薬をつかったから良かったものの、そうでなければ追撃で死んでいただろう。

 それはライムとクロモリも同様だ。支援魔法が〔雲散霧消〕で消えた防御力では、ガード越しでもHPは七割減り、シールド・ガントレットと盾の耐久値は、あと二割も残っていない。

 ヨシュアが尻尾で吹っ飛ばされているあいだにシンヤとヨルコから渡された回復薬を用いて回復したものの、二度とおなじようなことはできない。胆力はさておき、装備においては。

 前衛たちが稼いだ時間のおかげで、弓隊は恐怖で暴れていた魔法使いたちを取り押さえて治療薬を使うことができた。

 魔法使いたちはすぐに恐怖耐性を得るための消費アイテムを使い、なんとか立ち上がる。

「すまん。油断していた」

「ごめんねぇ」

「ご、ごめんなさいっ」

「すみませんでした」

「それはいいから! っていうか、いまサポートなかったら完全に落ちる!」

 もはや、誰が欠けてもおかしくない状況まで追いつめられていた。

 しかし希望もあった。ヨシュアたちが背後や側面から攻撃できたおかげで、青色竜のHPも風前の灯である。

 あと七パーセントほど。数字にしてみれば、なんと終わりが近いことだろう。

「ラスト・スパートォ! みんな、もうそろそろだ。ありったけ、ぶつけてやろう!」

 その声で、一一人――とマレウス――はひとつになった。

 最後の最後まで気を抜かずに、彼らは歯を食いしばり続ける。

 クロモリの盾とライムの両手甲が砕け、ヨシュアが投げつづけた回復薬も尽き、魔法使いたちの声が枯れた。

 矢が宙を貫き、、槍が一直線に奔り、片手剣が弧を描く。

 爪が切り裂き、翼がたたき落とし、尻尾が吹き飛ばす。

 一進一退の攻防は、それから一五分も続いた。誰もが満身創痍だった。無事な奴はいない。

 だが、全員が立っていた。気絶から立ち直ったマレウスでさえ、大声で応援していた。

 ――そして、ようやくその瞬間がやってきた。

 青色竜のHP、のこり数ドット。

 全員で攻勢をかければ充分に削り切れる数値だ。

「誰がラスト・アタックをとっても、恨みっこなしだからね!」

「わかった。言いたいことはひとつだけ……みんな、死ぬなよ!」

「ここまできて死ぬかよ!」

「見事なフラグじゃん」

「うっせぇ!」

 ……そして、みんな沈みきった気持ちでなどなかった。

 苦労があった。それを全員でカヴァーして持ち直すたびに、連帯感が深まっていく。

 それだけのことをしてきたのだ。

「行くぞ、青色竜!」

 竜が吼えた。斬撃、金属音。

 火花と閃光が散り、烈風が舞う。

 上空に竜、着陸と同時、魔法と矢の雨。

 爪と刃が交差し、牙と穂先が擦過する。

 尾と魔法陣、咆吼と精神が衝突、風を散らす。

 圧縮された時間のなかを、誰もが駆けぬけていてた。もう二度とないような気分のなかで、しゃべらぬはずの竜と会話さえしているような、そんな気分になりながら戦闘(ダンス)を繰り広げていく。

 どれほどに疲れただろう。どれほどに眠りたいだろう。どれほどに楽しいだろう。

 やがて、それも終わりがくる。すべてが満たされた世界に風穴を開けたのは、ヨシュアのナイフだった。

 透き通るように満ちた青色。そのすべてを黒紫の刃が吸い取っていった。

 刃の先、青色竜が断末魔の叫びとともに光になって消えていくのを、一二人は見上げていた。

 二四の瞳から涙があふれた。

 安堵と解放と、その他すべてをない交ぜにして、全員が両手を空に突き出す。

「おっしゃあぁああぁぁあああ――――!!」

 喉が枯れるほどに、みんなの叫びが空を満たした。


 戦闘開始から二時間一二分二三秒。

 渾身の一撃を以て、青色竜――撃破。


        *


「つっかれたぁー!」

 と叫んで、ヨシュアはそのまま大の字になって倒れ込んだ。

 勝利に浮かれるより眠ってしまいたい。その気持ちが強いのである。

「おっしゃー!」

「やっほー!」

「ヒャッハー!」

 たたかいが終わってから改めて、一部装備を全損したクロモリ、マレウス、ライムの三人は冷静になるのを拒否するように、まだ勝利に浸っているようだった。

 対竜仕様に作りあげた武装は、その一部だけでもすさまじい金額になる。最高級の素材を使い、破損するかしないかという程度まで強化した武装は、ひとつあれば家を持てるほどだ。それが消えるというのはずいぶんな痛手である。

 いまはまだ、その事実を直視したくないのだった。

 疲労困憊といった様子で固まっているのは魔法使いたちだ。カーボン、ユーガ、イグニス、アクアの四人は、蹲ってもはや一歩も動かない。ただぼーっとしていられる。そんなことに贅沢を感じるほどくたびれている。

 疲れているのは全員がおなじだったが、魔法使いに並んで疲労をあらわにしているのは、アルミとアサヒルの弓使いふたりだ。最初のほうは〔風圧防御〕で、まったく矢が通じない徒労感があったというのも大きいだろう。

 比較的、元気があるのはヨルコとシンヤのふたりぐらいだった。

 前線で働き抜いたのならば相応の疲労があるはずなのに、ふたりはまだ若干の余裕が見られた。

 それは二人の得物が長柄武器ということからくるものか、あるいはまた別のところからくるものなのか。

 ともかく、ほかの一〇人よりも気力がのこっているのは彼らだけだった。だから彼らが真っ先に思いあたったのだ。

「そういや青色竜を倒したけど、なにもドロップしないなあ」

「うん。カードが見当たらない」

 ふたりは首をかしげた。そのときである。

 厳かな音が天から降りそそいだ。

 直後、現在PWOに参加しているすべてのプレイヤーたちに、アナウンスが流れた。

『青色竜が倒れ、新たなる英雄が誕生しました。その名をみなさまにお告げいたします。』

 ――森の民(エルフ)のヨシュア。

 ――地の民(ヒューマン)のクロモリ。

 ――地の民(ヒューマン)のアルミ。

 ――地の民(ヒューマン)のカーボン。

 ――地の民(ヒューマン)のライム

 ――無里の民(ハーフ・エルフ)のヨルコ

 ――草の民(ヌゥボゥ)のシンヤ

 ――地の民(ヒューマン)のアサヒル

 ――森の民(エルフ)のユーガ

 ――火の民(ドワーフ)のマレウス

 ――森の民(エルフ)のイグニス

 ―ー無里の民(ハーフ・エルフ)のアクア

『以上となります。新たなる英雄のみなさま、おめでとうございます。そして新時代を切り開いて行くことを、われわれは願っています』

 ふたたび厳かな音が天より降りそそぎ、アナウンスは終わった。

 ほとんど気力をなくしていた一〇人のプレイヤーたちは、がやがやとしはじめる。

「おまえ、エルフだったのか」

「おまえこそ、ハーフ・エルフだったのか」

 ……アナウンスに関してではなく、パーティ・メンバーの種族に関してだった。

 しばらくその話題で盛り上がっていると、みんなの前に、空からひらひらとカードが舞い落ちてくる。

 それは各人の手のなかに落ち、自動的に実物化された。竜の顔を模した青い装飾品だ。五センチほどの小さなものでピンがついている。ブローチだろう。

 彼らはステータス・ウィンドウを開いてアイテム・データを見た。

「うーん……コレは……」

「弱いなあ」

 ざっくりと言ってしまえば、大半のステータス値などが強化されるが、その割合がおよそ一パーセントにすぎず、ほとんど効果がない代物だった。PWOに限らず、なにかしらに特化したほうが強いことの多いMMORPGにとっては、とても使いづらい品物なのである。

「まて。これ、セット・アイテムになってる」

「セットですか?」

 よくデータを見れば、その残念な性能の下のほうに、ほかのアイテムの名前が未装備を意味する濃い灰色のフォントで記されてあった。赤色竜、緑色竜、黒色竜、氷雪竜、紅葉竜、白色竜、そのほか六色の竜から得られる装飾具だ。

「つまり、このブローチの真価を発揮させたけりゃ」

「七竜すべてを倒せ、ってことだね」

「なんだそりゃ、無理くせェ……」

 数人のプレイヤーが天を仰いだ。単純に考えても、あと六回もおなじようなことを繰り返せということになる。それを思うだけで、一度でも竜戦を経験したもののこころを折るには充分だ。

 開発者たちが多大な尊敬の念を抱いているレトロ・ゲームの、最下層で吸血鬼の親玉を従えた魔術師を倒すのとは、桁違いの労力が必要なのだ。

 彼らにはどうして初代・竜種討伐集団ドラゴン・スレイヤーズが、ふたたび竜種の討伐に向かわないのかが理解できた。腹の底まで染み渡るほど。

「結局、ぼくたちが得たのって〔英雄〕っていう称号だけ?」

「そうみたい」

 みんなの頭上に浮かぶ、思いおもいのアイコンを注視すると出てくる名前のところに、青い竜の顔を模したマークが追加されていた。さらにそれを注視していると〔青の英雄〕という文字がポップする。

「骨折り損のぉ、くたびれもうけねぇ」

「それ以上、ダメです」

 竜種を倒すのに必要な金額、一等地に豪邸が建つほどの大金

 竜種を倒して得たもの、プライスレス。

 そういうことになった。


「うおおおおおお! 英雄じゃああああ!」

「英雄さまじゃー!」

「なんでジジィ言葉だよ」

「きゃあー! エーユーさーん!」

「抱いてー!」

「抱かせてー!」

「卑猥だな、オイ」

「サインくれ! サイン!」

「いくら儲けたんだ、おい!」

 竜種を倒して帰還したみんなを待っていたのは、さまざまなプレイヤーたちから注がれる憧憬の視線と賞賛だった。嫉妬が混ぜられたものが大半だったことは否めないが、それを心地よいと感じるか、居心地わるいと感じるかは主観によるだろう。ヨシュアはハートが弱いほうだったので、おおむね後者といえた。

「あははは、はは……」

 実際のところ、得たものと比べれば憧れる存在とはほど遠いというのも理由のひとつだ。それがもしも超級性能のバランスを覆すようなアイテムが入手できていれば、調子に乗った可能性は否定できない。

「はーい、エイユーですよー!」

「はいはい、どーもどーも。ヒーローだよー」

「道を空けろー」

 ライムやアサヒルといったハートが強いタイプは、手を振りながら凱旋を出迎えるプレイヤーたちに向かって笑顔と愛想を振りまいた。中身がどうであれ、竜退治の英雄という肩書きはたしかなものだ。新たな英雄を迎える観衆のなかに初代・竜種討伐集団ドラゴン・スレイヤーズのメンバーを見つけたときは、さすがに苦笑いになったが。彼らはすべてを知っているわけで、同情のこもった視線をくれた。

 凱旋パレードは三〇分ほどで終了した。それ以上は一二人の体力がもたなかった。観衆の前では元気に振る舞っていた鋼鉄のハートの持ち主たちも、さすがに無限の体力は持っていない。祝勝会をするには疲れすぎている。冬の雪山登頂をしたあとは、早く下山したいと考えるように、彼らはもう休みたいということしか考えられなくなっていた。

 ヨシュアたちは街をひた走って全員が最寄りの宿にチェック・インし、すぐさま部屋に閉じこもってベッドに倒れ込んだ。やわらかなベッドが疲れ切ったからだを包む。四肢からちからが抜け、シーツの海へ溺れ込んだ。

 武装したプレイヤーはスターテス・ウィンドウを呼びだして装備を解除し、なるべく素肌に近い状態にしてからまたベッドを堪能していた。

 寝転がれる。それがどれほどにうれしいことか、たったの二時間強で知れる。それが今回のいちばんの発見にちがいない。

 いまベッドで寝転がる二代目・竜種討伐集団ドラゴン・スレイヤーズたちはそう悟った。

 たっぷりと清潔なシーツを堪能したあと一二人のプレイヤーたちは、睡眠状態に落ちたらログ・アウトするようにセットし、目を閉じて羽布団をかぶった。早いもので直後、遅いものでも三〇分ほどで、全員がログ・アウトしていった。

 空になった部屋で、羽布団が頼りなく砕けてシーツに倒れ込んだ。


 ゲームの世界から浮上して、現実でベッドにいたものはしあわせだ。そのまま疲労感を癒すことができる。

 意識が目覚めて、そこがVRカフェであったものは不幸だ。どれほどやわらかいシートであっても、ベッドとくらべれば堅くてごわごわしている。彼らはプランを変更してベッドで眠れるタイプにするか、あるいはおもく感じられるからだを引きずり、家かホテルまで行かなければならない。それが不幸でなくて、なにが不幸か。

 それはつまり、VRシステムを自宅に導入しているか、否か、ということだ。それが直接、貧富の差につながるわけではない。しかし導入できているものが富めるものであることは疑いようがない。

 その点にかぎっていえば、ヨシュア/義明は恵まれていたといっていいだろう。

 目覚めてすぐ義明は、あたまをすっぽりと覆うヘルメットのような器具を外した。そのままあたまを枕に落とし、二時間ばかり眠った。目が覚めても、疲労感は消えてくれなかった。

 その日、一二人は甘いものを貪るように食べて、現実世界で竜を退治した報奨に、ちょっぴりの脂肪も得た。

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