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そして、また歩き出す  作者: 山田一朗
ミドル・ステージ
14/18

13 初春

「そっち行ったよ!」

「オーライ!」

 クロモリからターゲットを変えた悪魔型MOB〔奈落の落胤〕が、その豪腕を振り抜いてヨシュアを貫かんとする。

 限界まで行動を見据え、紙三重ほどの余裕を持って攻撃を躱しつつ、ヨシュアは最短軌道を描き、ミスリル・ナイフを悪魔の喉に食い込ませた。

 自分に突き刺さった短剣をものともせず、逆に二・五メートル近い巨体がヨシュアの腕を折ろうとしてくる。

 そこへ、クロモリの大振りな単発大威力斬撃〔アーク・ドライヴ〕が奔った。

 背後からの一撃を受けて、〔奈落の落胤〕は取ろうとした行動がキャンセルされた。

「ナイス」

「それほどでも」

 クロモリがそうすると知っていたからこそ、ヨシュアは無防備になって意識を引きつけることができた。

 彼らの背後から数本の矢が飛んだ。すべてが上空で弧を描き、引きつけられるかのように悪魔の巨体へ突き刺さった。付随するHPバーが半分に減り、安全域を意味する緑から黄色に変わる。

「はなれろ」

「あいよ」

 カーボンから声がかかり、ヨシュアは身体能力にまかせて後ろへ跳んだ。

「〔光・星・矢シューティング・スター〕、〔光・星・矢シューティング・スター〕」

 〔二重魔法〕によって呼び出されたふたつの流星が、空間を切り裂いて〔奈落の落胤〕へ迫った。アルミの放った矢の衝撃に合わせるように放ったおかげで、その巨体が回避運動をとる時間はなかった。

 流星は衝突すると、周囲に星のようなキラメキのエフェクトを放った。一瞬、空間は星空に染まる。

 威力や発動にかかる時間は並の性能だが、キレイなエフェクトのおかげで人気がある攻撃魔法だ。

 悪魔のHPバーは黄色を過ぎ、赤色へと変化していた。残りは一割もない。

 しかし、悪魔はそれでも悪魔だ。HPがレッドになった場合、攻撃力やAI性能が大幅に上昇する通称〔暴君〕モードに入る。だから多くのプレイヤーたちは、HPを調節してギリギリまで削ってから、赤色を超えてゼロになるまで大威力の技や魔法をたたき込む。

 悪意を持って描いた山羊のような顔をさらに歪ませて、威嚇するように咆吼した。暴君モードの発動だ。

 暴力の権化のような〔奈落の落胤〕が暴れ出す前に、ヨシュアは右腕を鋭く振り抜いた。緑銀色のナイフが霞んで消える。

 短剣投擲技〔幼い毒棘蛾(パラサ・レピダ)〕。〔蝶の口吻(バタフライ・ストロゥ)〕よりも発生は遅いが威力の高い遠距離攻撃だ。

 こうなるとわかっていた極AGI派(ヨシュア)にとって〔奈落の落胤〕の暴君モードなどは的に過ぎない。その発動時に、ホンの瞬間だが隙が生まれる。

 最後のドットを削りとられて、悪魔は光の粒になった。

「おつかれー」

 迅速にアイテム・カードを回収してから、いえーい、と四人はハイ・タッチを交わす。

 それぞれが取得したカードを整理していると、ヨシュアはすべてが既知のカードであることに肩を落とさずにはいられなかった。

 すでにインヴェントリィに数十と入っている、だいぶストックのあるものだ。

「ぜーんぜんダメ。レア出ない!」

「一時間ぐらいじゃダメだね」

「ドロップ用装備じゃないからな」

「かもね。LUCガン上げのヨシュアが居れば、イケると思ったんだけどなぁ」

「そうそう、うまくはいかないよ。いってほしいとは思うけど」

「だねぇ。また再チャレンジするってことで、いんじゃない?」

 彼らは今しがた倒したMOBが落とすレア・アイテムのために、第八エリアの大泥沼と呼ばれる悪魔型MOBが徘徊する狩り場まで来ていた。

 奈落の落胤からドロップする〔奈落の凝固体〕は、職人技能でアイテムを作るときに混ぜると、さまざまなボーナスを得られる素材だ。

 最前線でも使われているから市場価格は高い。ヨシュアたちは買うのではなく、自力ドロップで手に入れる手段をとったというわけだ。

 地図を売って儲けた金で買ってもいいのだろうが、いざというときのために、まだとっておいているのである。

「うーん、そろそろか」

 ステータス・ウィンドウを見ていたクロモリが言う。

「もうそんな時間か。街にもどる?」

「そのほうがいいだろう。アイテムは手に入れられなかったが」

「会場は各地の街で、同時にだったね」

 視線の先は、ウィンドウの右下にある現実時間(リアル・タイム)を知らせる時計だ。時刻は二三時五〇分を過ぎていた。

 彼らは大晦日ということで、わざわざ家を出てVRカフェからこんな時間にインしていた。それもこれも、あと一〇分後にあるイヴェントのためだ。

 多くのオンライン・ゲームでは、現実世界におけるクリスマスやハロウィンなどの祭事に対応し、ゲーム内でもイヴェントを起こすことが多い。

 ヨシュアは参加していなかったが、PWOもそれに習いクリスマスにもイヴェントをやっていたようだ。

 こんども例に漏れず、年越しから新年にかけてもやるという告知があった。

 イヴェントをやるという情報は流れているが、なにをやるかということは公表されていない。

 もしもGM・フライディが主催するのだとしたら、ヨシュアは積極的にはなれないだろう。

 多くの被害者(プレイヤー)たちは、平穏主義者といわれるGM・サンディ主催であることを祈るばかりだ。


 第八エリアでもっとも大きな街〔サルート〕へもどったヨシュアたちは、もういちど時間を確認した。現実時間は二三時五五分を表示している。

 ゲーム内時間に換算すれば、イヴェントがはじまるまでに、軽くお茶を飲む程度の余裕がある。

 第八エリアはほぼ全体が湿地帯になっている。おまけにサルートの街は、ほとんど舗装もされていないから、歩くたびに湿った土が靴にべっとりついてくる。

 靴の泥をときどき脚を振って払いながら、ヨシュアたちは露天で果実水(ジュース)などを買うと、設置されたベンチなんかに座り、取得してきたアイテムの整理と振り分けなどをしつつ、時間が過ぎるのを待っていた。

 そうしていると時間が過ぎるというのはあっという間のことだ。時計の数字がすべてゼロに変わると、街の中央へ降りそそぐように派手なエフェクトがキラめいた。

 そして〔HAPPY NEW YEAR!〕などという文字がくどいほどに踊り、巨大なホログラフィが登場した。

 多くのプレイヤーから罵倒と賞賛を浴びせられるGM・フライディである。

「げぇっ……、フライディかよ」

「マジかよ。また死にイヴェントか」

「ハロウィンなんか、街にモンスター解き放つイヴェントで死にもどりしても殺されたぜ」

「あるある。デス・ワープならぬデス・ループな」

 と、プレイヤーの口からこぼれるのは散々な悪行ばかりだが、その声の調子ときたら、たのしい思い出を語るような色で満ちている。

 よくもわるくも記憶にのこる企画を考えさせれば、右に出るものはいないのだ。

「やあやあ、みなさま。新年、あけましておめでとう。今夜もPWOをたのしんでくれているようだね!」

 フライディはいつもの調子でしゃべり、周りを見渡す。

 まわりからは野次と罵声と賞賛と、いくつもの大声が飛んだ。もちろん、巨大なホログラフィである彼に届いてはいないだろう。

 しかし、

「うんうん。たくさんの声援をありがとう。それではさっそくはじめようではないか。諸君ら、獅子舞にあたまを噛まれると、その一年は無病息災で過ごせるという言い伝えはご存じかな?」

 すでにイヤな予感しかしないプレイヤーたちである。というよりも、その言葉で起こるイヴェントの想像がついてしまった。

「嘘だろ。さっそく襲撃イヴェントかよ」

 顎髭を生やしたプレイヤーが言う。

「賢明なキミたちには、もうわかっているんじゃないかな。新年の特別イヴェントは、こちらだっ!」

 ぱちん、とフライディが指を鳴らしたと同時、PWO内すべての街のいたるところで、重量感のあるものが地面に落ちた音が響いた。

 一瞬のざわつきが場を支配した。その直後、プレイヤーたちが大声で叫んだ。

「も、モンスターだぁっ!!」

 巨大な獅子舞の口をもっと誇張し、そのすがたをより禍禍しくしたものが、街に数十、数百という規模で溢れかえっていた。

 識別名〔PWO運営チームからプレイヤーたちの無病息災を祈り新年にみんなをしあわせにするための大口の獅子〕

 PWO史上もっとも名前の長いMOBだ。

 赤いからだを振るわせて、ぎょろりとした眼ではじめに見たプレイヤーをロック・オンした。

 犬のような、猫のような。声だけはかわいらしく、くるくると喉を鳴らす。

 プレイヤーたちの喉からも、ひゅうひゅうと風のような音が出た。

 それを皮切りに、長名・大口の獅子たちは襲いかかっていった。

 サルートではまず、街の端にぽつん、と立っていたプレイヤーのあたまがかみ砕かれた。くぐもった悲鳴は数秒間にわたって聞こえた。しかし、それっきり二度とは聞こえなくなり、数瞬後には無数の光の粒へ変わっている。

 それを見ていたプレイヤーは悟る。こんどもフライディのイヴェントは甘くない。生半可な覚悟では何度も死ぬと。

 すべての街の、すべてのプレイヤーは、自分の得物を引き抜いた。誰だって新年早々、死にたくはない。

 第一エリアや第二エリアなどの若いプレイヤーたちは悲惨である。まだなにもしらないうちに、フライディの毒牙にかかるのだ。

 第五エリア以降の経験を積んだプレイヤーも悲惨である。フライディは玄人たちに、より厳しいからだ。

 高レヴェルのプレイヤーたちは、迅速にうごき出す。測量スキルを持っているものはパーティ・メンバーやその周囲に居るものたちを先導し、有利な地形にまで移動をはじめた。そのなかには当然、ヨシュアたちも含んでいる。

 移動中、ヨシュアにライムからフレンド・メッセージが飛んできた。

『イヴェントが終わったら、初詣行かない?』

 というものだ。さすがに返している余裕がなく、落ち着くまでヨシュアは放置せざるを得なかった。

 状況が落ち着いてきたのは、それから三〇分ぐらいしてからのことだ。混乱が収まり、プレイヤーが安定して行動、反撃できるようになった。

 ヨシュアはここいらで、ようやくフレンド・メッセージを確認、返信することができた。

『どこの神社。石階段があるようなところは、登れないよ?』

 しかし、これは高レヴェル層でのはなしで、低レヴェル層にかぎれば、まだまだ混乱は収まっていない。その上、個人の判断でうごくプレイヤーが多いから、まず纏まらない。

 フライディは片方には満足していたが、もう片方には不満をおぼえていた。誰かが苦しむすがたを見て、こころの底からたのしめるようなサディストだからである。

 そこで彼は、かくし玉を投入することにした。第七エリア以降にかぎり、あらたなMOBが出現を許された。

 晴れわたる空から、黄金色の光が降りそそいだ。ふるえる鈴のような音が、どこからともなく響いてくる。

 やがて、空が割れた。

 そうとしかいえないほどに、巨大なものが降りてくる。

「なんだ、あれ」

「鯨翼船じゃないな。見慣れない船だ。……船?」

「正月に、船――だと?」

「まさか、おい。嘘だと言ってくれよ」

 うろたえるプレイヤーたちを、フライディは満悦という風に見下ろす。そして賞賛すらしている。与えられた情報を即座に把握する能力に。

「そのとおり! ご名答ですよ、諸君ら。七福神のみなさまのご到着です!」

 弁財天は嫉妬し、大黒天は痩せこけ、恵比寿は憤怒し、毘沙門天はみすぼらしく、福禄寿は悪徳の限りを尽くし、布袋は大凶を押しつけ、寿老人が巨大な鹿をけしかける。

 幸福をもたらすはずの船は、すべてを押しつぶすための戦艦のようだ。

 すこしずつ落ち着いてきていたはずの高レヴェル層は、ふたたび阿鼻叫喚の地獄へと引きずりもどされた。


 最終的にプレイヤー側の被害者は千と数百人に上った。これは死んでからもういちど死ぬ〔デス・ループ〕を含まない。

 含めれば、二〇〇〇は超えているだろう。

 七福神たちは神の名のとおり、絶大な破壊力でもってプレイヤーたちを蹂躙していった。

 生き残ったプレイヤーたちも、死屍累累の様相を隠せない。またひとつフライディは、誰しもがわすれられない思い出を刻み込んでいった。

 獅子舞に噛まれて死んだものたちには、装備すると一パーセントほど軽度バッド・ステータスにかかりづらくなる装飾品〔獅子舞根付け〕が送られた。

 七福神に殺されたものたちには、装備するとアイテム・ドロップ率にすこしだけ補正がかかる装飾品〔七福神のおまもり〕が送られた。

 最後まで生きのこったものたちには、装備するとLUCをがっつり下げるかわりに、その他のステータスに微量のプラス修正を加える装飾品〔七福神のうらみ〕が送られた。

 そして七福神自体の討伐者には、これに加えてかなりの金額になるお年玉や、貴重なレア・アイテムがたっぷり貰えた。

 ヨシュアたちはふたりの測量スキル持ちということを生かして立ちまわり、最後まで生きのこることができた。その上、七福神のうちの恵比寿を直接討伐し、かなりの財産を築くことに成功した。

 そのアイテム群のなかには、さんざん狩っても出てこなかった〔奈落の凝固体〕すらあった。

 それを認識した瞬間、四人のおどろきと、苦労が報われた思いといったら、なかっただろう。

「……はぁ。つかれた。やっぱりフライディのイヴェントはキツいよ」

「すっげー疲れるのと、すっげーたのしいのは、等価交換ってことかなー」

 とくに地図を睨みながら、指示を飛ばしていたヨシュアと、アルミの疲労は並ならぬものがあった。

「お疲れさま。ほんと、フライディのイヴェントは、連続して出たくはないね」

「同感だ」

 イヴェントが終了してホログラフィが消えたあとでも、最後まで生き抜いたプレイヤーたちは、そこをうごこうとしなかった。

 それほどまでに気力を消費しつくしたのであった。

 ヨシュアが返答の来ていたフレンド・メッセージに気づくのは、数十分後のことだ。


        *


『住宅街に、ちっちゃい神社があるよ』

 その神社をしらないと返信すると、メールでデータを送るという。

 正直なことをいえば、義明にはそれほど初詣が大切なものだとは思えない。しかし、そこまでされてしまえば、無碍に断るということもしづらい。根負けして、初詣に行くことにした。

 イヴェントのあとで、ようやく仮想体(からだ)にちからがもどってきた。ヨシュアはヘッド・スプリングで立ちあがった。

「わるい。ちょっと用事ができた」

 そういって、両目をつむって顔の前で両手をぱしん、と合わせる。

「お、どうした。まさか女?」邪推をはっきりと顔に出しながら、アルミが言う。「学園祭のとき、ずいぶんライムのなかの人と親しかったよねぇ。……ふふん?」

 彼女は鋭かった。女性特有の第六感とでもいうべきものが、こういうものごとに関しては、異常なまでに働いている。

「聞き捨てならないね。ヨシュアってば、おれたちを捨ててそっちへいくっていうの」

「いっしょに夜明けのコーヒーを飲んだ仲じゃないか」

 いじれる獲物を嗅ぎつけたクロモリとカーボンも、悪ノリする。

「ああ、コーヒーは飲んだよ。みんなで夜通し狩りをしたあとでな! これだけは否定しておくけど、ぼくはそっちの気はない!」

「これだけはってことは、あたしたちを捨てるのはまちがってないってことか」

「よよよ……なんて子だろう。オオカミに追いかけられてたお前を助けてからのつき合いだというのに、女ひとりで崩壊だよ」

「まったくだ。お前も結局は、姫プレイをしている偽想体(ネカマ)に貢ぐ奴らといっしょなのか」

 口ぐちに罵ったり嘆いたりしながら、三人は言う。

 もちろん、どれもこれも本気ではない。それどころか口端は釣りあがり、たのしんでいることを隠そうともしていない。

 ヨシュアとしては、じぶんが抜けようというのだから、ろくすっぽ反撃もできはしない。

 だからといって、いわれるがままということもない。

「ああ、そうさ! 女だよ女。女にモテたくてたまらんよ!」

「ひ、開き直りよったぞこいつ」

「卑怯なりヨシュア。これではもはや、いじることあたわず」

「なんとでもいえばいいさ。ぼくは女にモテるためにいってくるぞ!」

「むぅ。できるようになった」

 あまりの逆上っぷりに、三人はもはや関心するほかない。

「さらばだ、諸君ら。君たちにもいい恋が訪れることを祈っているよ。ハーッハッハッハ!」

 人格の怪しくなったヨシュアが、背を向けながら手を振った。そして小走りでサルートの宿屋へ去っていく。

 残されたものたちは、あまりのことにあっけにとられ、ぽかーんとしていた。

「なんて失礼なことを。この美人さまに向かって」

「……一皮むけたな、あいつ」

「人生、開き直りが必要だね」

 思い思いのことをつぶやきつつ、ヨシュアを見送るのであった。


 意識が現実に回帰して、義明はからだに重さを感じる。

 ゲーム世界で身体パラメータを強化すればするほどに、現実との感覚は乖離するばかりだ。

 一種のVR酔いから醒めるまで、そのままベッドに横たわっていた。

 ようやく感覚が正常にリンクしはじめると、義明はさっそくメールをチェックした。地図アプリケーションにすでに送られていた住所を打ち込んで、どこにあるのかを調べる。

 その神社はたしかに、義明の家からも近くにあった。直線距離にして一キロもない。むしろ、月木家からのほうが遠いぐらいだ。

 ルートを確認すると充電中だったウェアラブル・コンピュータを装着して、どこに集まるのか。というメールを出す。返答はすぐにきた。

「集合場所は商店街か」

 月木の家がある住宅街と日枝の家がある住宅街は、商店街を挟んで二分されていた。妥当な場所だろう。

 義明は白いコートと動力補助機構付き(パワー・アシスト)両長下肢装具(KAFO)を身につけた。コンピュータをふたたび使用して情報を呼び出す。多いとは言えないが、初詣だけなら問題ないぐらいの電子マネー残金が表示されていた。

(これなら、だいじょうぶか)

 スウィッチを押して装具を起動し、松葉杖をつかってゆっくりと歩いていく。リヴィングからは、酒を飲みながらTVを見ている義弘と明子の声がした。年越しも過ぎて、新年初の番組を見ているようだ。騒々しさから、バラエティ系の番組であることがわかる。

 スライド・ドアを開いて、義明はふたりに顔を見せた。

「新年、あけましておめでとうございます」

「ん、おめでとうございます。なんだ、初詣か?」

 義明の恰好に気づいて、義弘はいう。

「あけましておめでとう。聞いて聞いて、あなた。この子ったら最近、仲のいい女の子がいてね」

 既視感を覚えたのは、義明の気のせいではない。ついさっき、VR世界でおなじようなことがあったばかりだ。

「初詣、行ってくるね!」

 ドアを閉じて逃げ出した。さすがに、両親へ向かって開き直れるほどの根性はないのだ。

 その背後からは、明子が義弘に報告をしている声がドアを突き抜けている。防音性能はないに等しい。

 ゆっくりと、しかし義明にとっては最高速で移動し、玄関脇に備えてあった車いすに腰を下ろすと、玄関を開け放って外へ出る。

 そこからは一転、かなりのスピードで商店街へ走り出す。

 街灯と家から漏れる光が、夜道を歩く人びとを照らしていた。

 和装してこれから初詣に行こうとしている妙齢の婦人も居れば、千鳥足でよたよたと、どこかへ向かうスーツ姿の男性もいた。もちろん、コートにマフラーなどを身につけ、深夜のデートをしているカップルなんかもいる。

 いまどきの若者のように、ヴァーチャル・リアリティ空間の第二世界でぬくぬくしながら、ネットワーク上の神社でお参りをするようなのに比べれば、彼らもマシなのだろうか。しかし、カップルなんて全員、どっちかの家でぬくぬくしていろ。と胸のうちで八つ当たりしながら、義明は彼らを抜かして商店街へ進んだ。彼らが向かうのは、ちょっと大きな石階段がある神社だろう。そこでおみくじを引いたりして、きゃっきゃと親密になるつもりなのだ。まったくもってけしからん。とも憤慨する。そんな甘酸っぱい思い出のない、哀しみの記憶を背負う男だ。

 さすがに商店街自体はほとんどの店が閉まっていた。一部の深夜営業をやっているチェーン店や、コンビニエンス・ストアなどは灯りがある。蛾のように吸いつけられて入っていく客の姿もめずらしくない。夜にかがやく光というのは、それだけのちからがある。自然と目がいくのだ。

 義明は店内へ入る。

「いらっしゃいませ。あけましておめでとうございます」

 深夜営業にふさわしい、気力の薄れた男子大学生らしい挨拶だった。

 脇目も触れずに飲料コーナーへ行くと、あたたかい紅茶を持ち、カウンターの前でウェアラブル・コンピュータをレジスターにかざした。電子音がして、支払いが済む。

 店員は店名の印刷された白いビニール袋にペットボトルを入れ、レシートといっしょに義明へわたした。

「まいどありがとうございましたぁ」

 店を出てカイロ代わりにもてあそんであたたまりながら、義明は遠くを見る。店内は強烈に蛍光灯が輝いていて、夜の闇につつまれた瞬間の差異に目が適応しない。それを慣らしているのだ。

 ようやく慣れてくると、義明はここから一〇〇メートルも離れていない集合場所へ車いすを進めた。

 ファンシィな造りで特徴的な〔雑貨はうす ベビィ・ドール〕までやってくると、そこで車いすを止めた。

 周囲には人が居ない。店が閉まっているのだから当然だろう。しかし、ここは遠くから見ても一目でわかりやすいため、待ち合わせ場所として使われることもある。義明たちもそれにならったのだ。

 紅茶を飲みながらぼーっとしていると、いくらも遅れずに月木まひるはやってきた。

 マフラーをたなびかせて、小走りで急いできたようだ。

「ごめん。待った?」

「ううん。いまきたところ。……って、これ配役が逆だから」

「あはは、そうかも」

 和装ではなくカシミアのマフラーを首に巻き、茶色いコートを羽織っていた。足首丈の黒いロング・スカートで、しっかり防寒しているようだ。頬が赤く染まっていた。寒さのためだろうが、義明のこころは躍る。

 頬を赤らめた女性というのは、それだけでかわいらしいものだ。

「みんなは?」

「こないって」

「うそ。どうして」

「イヴェントで死んだ分、取りもどすって躍起になってた」

「ああ……」

 彼女たちも、フライディのイヴェント〔新春・獅子舞大騒動〕に参加していたのだ。

 そして、やたらと名前の長い大口獅子か七福神にキルされた。そのデス・ペナルティを回収しているのだろう。

「ということで。今夜はふたりきりだぜ、ベイビィ」

「まあ。まひるさんったらっ!」

 あたりが急に静まりかえった。

「これ、やめようか」

「うん。そして忘れよう。すべてを」

 ふたりはなにごともなかったかのように、目的地へ向かって進み出す。

 商店街を渡って、日枝家のある中流層側の住宅街に存在する、ちいさな神社は、全国各地に存在する稲荷神社のひとつだ。

 ときどき老爺が箒で掃除しているのを見かける程度で、ほとんど流行っている様子はない。しかし今日だけはちがう。

「あ、言い忘れてた。あけましておめでとう」

「あけましておめでとうございます。今年もなにとぞ、よろしくおねがいします」

 立ち止まって、まひるは軽く腰を折り曲げた。

「お、おねがいします」

 なにげない挨拶をていねいに返され、義明はすこし動揺した。

 こういうあたりにも、育ちの違いは出るのだろうか。と思ってしまったのだ。

「んー? どうしたの。そんな息詰まったような顔して」

「ちょっとびっくりして」

「なんで?」

「そんな畏まった挨拶、したことないもの」

「そうなんだ。親戚とかくると、いつもこんなだよ」

「へぇ。さすがお嬢さま」

「もう。そんなんじゃないよっ」

 気恥ずかしそうな顔をして、まひるは大股になってどんどんを先へ進んでいく。

「待ってよ、ねえ」

 義明は車いすのスピードを上げて、彼女を追った。


 なだらかな坂を下って、すこし奥まったところに神社はあった。赤い鳥居がなければ、過ぎてしまうような場所だ。

 日枝の家があるところから、一キロと離れていないが、こっち方面に来るような用事のなかった義明は、知らなかったのだった。

 住宅街に溶け込んだちいさな稲荷神社には、いつになく人があつまっていた。ほとんどが近所の住人で、義明も見かけた顔がある。

 それでも石畳をのぼっていく高台の神社と比べれば、数えるほどの人だ。多くても三〇人といない。

 ほとんどは老夫婦や中年の男女などの、遠くへ出歩くのは面倒だが、初詣はしておこう。という意識の持ち主のようで、参拝という雰囲気ではなく、むしろ井戸端会議に近いものがあった。それに神主親子なども加わっていて、非常になごやかな空気だ。

 月木まひるのように、遠くからわざわざくるような物好きはいない。

 鳥居をくぐって境内――というほどのものでもない――に入る。すると、めずらしくも車いすと少女がやってきたということでふたりを見る人がいた。

「あれ、日枝さんとこの義明ちゃん?」しっかりとした和装の老婆が言う。「まあ、おおきくなってぇ」

「はい。あけましておめでとうございます」

「あけましておめでとう。そちらは彼女さん? いいわねぇ」

「ちがいます、ちがいます」

「月木まひると言います。はじめまして。日枝くんとは、友人としてお付き合いさせていただいています」

 しっかりと腰を折ったまひるに、老婆は好意をもったようで、にっこりと笑う。

「はじめまして。礼儀ただしくて、いい娘じゃない。義明ちゃん。逃がしちゃダメよぉ」

「……っ」

 義明はもう、ふたりの顔を見られない。真っ赤な顔をして、うつむいてしまう。

「あはははは、だいじょうぶですよ。逃げる気なんてありませんから」

「まあっ。これはこれは、ちょっと荷が重いかしらねぇ」

 頬に手を当て、老婆は微笑する。

「す、すみません。初詣まだなんで、これで失礼します!」

 義明こそ、逃げ出してしまった。羞恥心の限界を突破したのだ。

「すみません。こんど、またおはなしさせてください」

 もういちど腰を折って老婆に会釈をしてから、まひるは逃げていく義明を追った。それを見ていた老婆は、顔のしわを深くするように笑った。

「ダメじゃないか。からかって」

 近くにいた夫の老爺が、とがめるように言う。

「だって、端から見ていたら、つつきたくなるじゃないの」

「やり過ぎちゃいけないよ」

「はい、はい」

 老夫婦は、近所の住人たちの会話に混ざっていく。

 逃げ出した義明は、寒そうな恰好でいそがしそうにしている巫女の近くまでやってきた。

 彼女に頼んで、硬貨に両替してもらう。

 電子マネーでほぼすべての取引ができてしまう時代、実物の貨幣をさわる機会はすくない。

 一般人などは、こういった神社などの参拝で、硬貨を投げるときぐらいしかないだろう。

 実際、スーパーで買い物をするのとおなじように、デヴァイスをかざすだけでお賽銭を入れられるシステムというのもできる。

 しかし、こういったものは儀式的な行為にこそ、意味があり価値がある。

 そこをまちがえないことで、参詣などはいまだに残れているのだ。

「ふぅ。ひどい目にあった」

「こら。失礼でしょ、あんなふうにしちゃ」

 義明が振り向けば、そこには頬を膨らませたまひるがいた。

「うん。たしかにそうだった。あとで、謝りにいくよ」

「気持ちはわからないでもないけど、ああいうときはあきらめが肝心だよ」

 急に何歳も時を経た女性のように言う。彼女にもそう悟るだけの過去があったのだろう。

「まひるも苦労してるんだな……」

「まぁね」

 巫女に頼むまでもなく、まひるは懐から五円玉硬貨を取りだした。

「あ、用意がいいな」

「初詣に行くって決めてたから」

「なるほど」

 拝殿の前までくると、

「作法とかわかる?」

「……あんまり」

 正月の寒い夜にわざわざ外へ出た経験など、義明にはあまりなかった。

 したがって、そういう礼儀というのもあまりしらない。

「じゃあ、わたしに続いてね」

「わかった」

 まひるが拝殿の前に立ち、会釈をしてから鈴を鳴らした。義明もそれにならない、おなじように真似をする。

 賽銭箱に五円玉を放り込み、二回、おじぎをした。そして、胸の前で両手を合わせ、右手を下へずらす。

 二拝二拍一拝というものは義明でもあたまにあったが、手をずらさなければいけないということはわからなかった。

 見栄を張らずに、しらないことはしらないと言ったほうが正しいのだ、と義明は思った。

 指先を合わせるように二拍し、最後にもう一拝した。特殊な拝礼作法のない神社でならばこれでいい。

 ふたりは、ほかの参拝客の邪魔にならないよう、すぐにそこを退いた。

「ふぅ。……なんだか、背筋が伸びるっていうか、息が詰まるっていうか」

「むかしの人は、清らかで糸がぴーんと張ったような空気を、神々しいと感じたんだって。そんな感じ?」

「ああ。いわれてみれば、そんなこともあるような、ないような」

「ないね」

「……ないか」

 ただ単に、慣れないことをして気疲れしただけだろう。義明は苦笑した。

「あ、あまざけ配ってるよ。飲もう」

「ほんとうだ。午前二時まで限定だって」

 大きな神社では三が日ずっとくばっているということもめずらしくない。しかし、ちいさな神社ではあまざけですら、無視できるような少額ではないのである。

「すみません。ふたつ、いただけますか?」

 神主の妻だろうか。やさしそうな中年の女性に、義明は声をかけた。

「はい。どうぞ」

 彼女は背後にいたまひるを認めて、にっこり笑みを浮かべた。

 渡された湯飲みのなか、とろみのある海を泳ぐ粒つぶの入ったあまざけが夜に白い湯気を漂わせた。

「ありがとうございます」

 義明は片方をまひるに渡した。

「ありがと」

「いやいや」

 独特の香気がふたりの鼻をくすぐる。湯飲みからつたわる熱だけでも、冬の夜にはすでにありがたい。

 ふうふう言いながら、すこしずつ飲んでいく。とろみがあるため、義明は舌をやけどしそうになりながら啜る。

「あぁ。なんだか懐かしいっていうか、ひさしぶりだ」

「わたしも。ここの神社のあまざけ、おいしいね」

「うん。しょうが入ってるからかな」

「かも。効いてるね、しょうが」

 もしかしたら、わざわざここにくる参拝客がいるのは、あまざけのおかげもあるのだろうか。そう思えるほど、それはうまいものだった。

「ごちそうさまでした。おいしかったです」

「はい。どうも」

 飲み終わった湯飲みを返却して、ふたりは境内を振り返る。

 ちいさな神社でもこういう季節は稼ぎどきなので、しっかり、おまもりやおみくじを売っていた。

 ここでもしっかり、支払いは実物の貨幣によるものだ。義明は、テーマ・パーク内でしか使えない通貨を持っている気分だった。あるいは、アミューズメント施設のメダル・ゲームとでも言うべきか。

 硬貨を渡すということが、新鮮なのだ。

「そうか。あと一年で受験だね」

「無事に進級できれば、だけど」

「だったら、なおさらじゃない。おまもり買おうよ」

「そうだな。神頼みもしておこう。ついでに交通安全も」

「だったらわたしは、無病息災もかな」

「……自虐は笑えないな」

「……だねぇ」

 ふたりで苦笑するのだった。

 神主の娘である巫女さんに、学業成就をふたつと、交通安全、無病息災のおまもりをひとつずつ頼んで、ふたりはそれをウェアラブル・コンピュータに結びつけた。

「これでよし、と」

「結局、自虐のも買っちゃったよ」

「あって困るものじゃなし、つけとけつけとけ」

「うん。そのために、いただいたんだからね」

 おみくじは、ふたりとも引かなかった。おまもりをふたつも買ったせいで、手持ちのものを使い切ってしまったのだ。

 あとはもう、することがなくなってしまう。

 義明は先ほどの老婆に謝ってから、境内を出た。まだ中年以上の女性たちは、はなし続けているようだ。

 寒さも身にこたえるだろうに、どこからそんな意欲が湧いてくるのか。

「すごいなあ」

「あんな風に歳をとれたら、しあわせだね」

「うん」

 鳥居をくぐって、境外へ出る。初詣は終わったのだ。

「送ろうか」

「いいよ。反対だし」

「そっか」

「うん」

 ――なんか一言、出てこないだろうか。

 義明は焦燥感にも似たものが、胸のうちで騒ぐのをおぼえた。このまま別れるのでは、寂しすぎる。そう思うのだ。

「……こ、今年も一年、よろしくおねがいします」

 出てきたのは、なんの変哲もない挨拶だけだった。

「うん。よろしくおねがいします。覚悟しておいてよ。去年ほど、今年のわたしたちは甘くないからね!」

「望むところだ」

「いったな?」

「男に二言はない」

 ふたりでにらむように見つめ合う。

「……ふふっ」

「……ははっ」

 アレでよかったのだ。義明は胸なで下ろした。

「じゃあ、またね」

「ああ。気をつけて」

 手を振って、ふたりは別れた。

 闇の向こうへ消えていくまで、そこで見ていた。

 今年はいい年になるだろう。

 確信めいたものを、義明は感じていた。


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