12 祝祭
一二月にある期末考査まで期限は迫っていた。
しかし、それでもなおVRMMOの魅力は抗いがたい。
帰り道に出歩けるわけでもなく、ただ家と学校を往復するだけの毎日は、架空の世界へと羽ばたきを後押ししている。
数時間の息抜きだけだから、と義明は浮気をする夫のようなことを言いながら、鼻と口以外を完全に覆うかたちになっているヘルメットをかぶった。側面にあるスウィッチを押し込むと、本体と連動して起動画面が網膜投影ディスプレイに浮かび上がる。
視線認識ポインタを操作してPWOのアイコンをえらぶと、義明の意識は現実から遊離し、ヴァーチャル・リアリティ空間へと旅だっていく。
臨界を経て電子の海に浮上した意識は、ベッドのなかにあった。義明/ヨシュアは躰をたしかめるように起き上がり、ベッドから降りてステータス・ウィンドウを操作し、靴を履いた。
宿の一室は南国風の八畳ほどの広さをしていて、簀の子のような木製の窓から射し込む日光が強い。
カーテンなどはなく、自然を崇拝しているのか下手に作り込まれていたとすれば、ベッドがわらの山になっていてもおかしくはなかった。
こういうところばかりは、ご都合主義の恩恵に感謝しなければならない。ヨシュアはそう思いながら、体調を確かめるように軽いストレッチをした。
それからドアを開けて一階へ降り、朝食付きの条件で止まっていたのでバナナなんかの新鮮なフルーツで腹を満たし、チェック・アウトする。
宿屋のドアを開けると、窓の隙間から射し込んでいた日光がヨシュアの全身を照らし出した。
今日も気温パラメータは絶好調で、すべての冬に嫌気が差したものをあたたかく迎え入れている。
一一月の気温のせいか、第七エリアにはプレイヤーが多かった。
どこか異国情緒あふれる南国風をしているので、リゾート感覚で遊びに来るのだろう。大半は武装すらせず、ただ単純にデートやくつろぐためだけのものに見える。
それは正しい。
そういう意図を持って組み上げられたところだ。PWOにはVRテーマ・パークの運用という目的もあるにちがいない。
そうにらんでいるプレイヤーは多いし、それを目的にプレイしている者もいるだろう。
こんなところで完全武装しては浮きすぎるので、ヨシュアは軽装のまま街を歩いた。
舗装された道もなければ石造りの家屋や壁もない。道はなだらかだがほとんど未整備で、せいぜい歩くところは草が刈られているか、踏み固められているという程度だ。だからこそ逆に、堅苦しくなくくつろげる雰囲気が醸し出されていた。
冬の寒さを忘れて自分も南国でまったりしようか、とヨシュアは思ってしまった。
しかし、今回はそういう用途で来ているのではない。ほとんどは学習したが、おさらいのためだ。
第七エリアに到着した一〇月半ばから、はや半月が経過した。それでもまだ攻略し終えていないのだ。
だが今度の日曜日にだいたいのコツがつかめたので、第八エリアへ繋がるダンジョンを攻略しようという案が出た。
そのために準備を万全にしておくための時間をとったのだ。むろん、単純に逃避のためでもある。
日に焼けた肌のNPCから、椰子の実のジュースをひとつ買い、飲みながら歩く。さっぱりとした甘い味が広がった。
格別にうまいかと聞かれれば、それほどの味はしない。しかし、買うだけの価値はある。
なぜだろうと思案しながら歩いていると、木の柵が並んでいることに気づく。街の外にさしかかったのだ。
ステータス・ウィンドウを開いて武装を交換する。攻略戦のために新造した〔精霊銀の短剣〕を腰に差し、巨大なシオマネキのようなMOB〔大鋏のクラァズ〕からドロップした素材〔グラァズの殻〕で作り上げた軽量で防御力が高く、水属性ダメージを軽減する通称〔カニ装備〕で全身をまとめ上げた。性能は高いのだが恰好わるいというのが問題点で、女性プレイヤーにはあまり使われない。
しかしその辺に葛藤のないヨシュアは、実用度重視で装備している。
たとえあたま部分の防具がちいさなカニをそのまま被るもので、顔の脇から数本の手足が伸びているようなデザインだとしても。
装着し終えたヨシュアは、第七エリアのダンジョン〔青の大鍾乳洞〕ではなく、近くにある遊泳禁止ゾーンの海へ向かった。まだ満潮にはなっていないので、砂浜が顔を出している。
第七エリアでの狩りは、干潮に砂浜で潮干狩りをするように、甲殻類や貝類を狙うことが安全だ。
けれどヨシュアはあえて、からだを海のなかへ沈めていく。ちょうど腰まで浸かったあたりまで進み、その場で立ち止まる。
遠くの海でプレイヤーたちが泳いだり、遊んだりする声が聞こえてくる。
なぜこんなことをするかといえば、青の大鍾乳洞では、つねに腰から下が水に浸かった状態で行動するシーンがくるからだ。そのため、ヨシュアはわざわざ海のなかに入り、その状態で戦闘をこなす訓練をするつもりなのだ。むろん、単独で。
クロモリたちは、期末考査に向けて必死扱いているにちがいないから、おいそれを誘うわけにはいかない。
ヨシュアが腰から短剣を抜き去り、しばらくじっとしていると、海の向こうからしぶきを上げてやってくる。識別するまでもなく、そのスピードを生かして突撃してくる厄介者〔弾丸遊魚〕だ。
初期のうさぎのように、ほとんど突撃しかやってこないのだがそのスピードは天と地の差である。しかも自分の速度が殺されているから、余計に脅威となる。
当初、ヨシュアたちはこのスピードによって翻弄された。その高速性に対応しようと、自身もすばやく動こうとしたのだ。
それはあまりにもわかりやすい失敗だった。海のなかではどうしたってあいてが有利になり、むしろその隙を突かれて倒されることもしばしばということになった。
解答はすぐそばに転がっていた。やっていることはスピードこそ違えど変わらない。つまり基本の再習得である。
すでに習ったものを習うことがもっとも難しいという言葉もあるほどで、最善、もしくは次善に等しいものしか許さない。第七エリアは、プレイヤーにいままで培っていたものの最適化を図る場所なのだ。
すでに眼前まで襲ってきていた〔弾丸遊漁〕を、上半身をひねるだけで避けながら、ヨシュアは手のなかのナイフを逆手に持ち替えた。さんざん苦労させられて覚えたのは上半身の動きだ。
単純な攻撃ならばそれだけで躱せることに気づいた。そしてもう一度、ターンをして突進してくる魚目がけて、ヨシュアは避けながら短剣を突き入れた。切り裂く感触だけは自動的だ。
しかしまだ倒れない。手負いの魚へナイフをもう一度振り下ろして今度こそ仕留めたヨシュアは、この方向で間違っていないだろうかと、さまざまなMOBで技術の研鑽を詰んでいく。
たとえばカニ。たとえばほ乳類。
いろいろとあいてにして、どんなのにも通じることがわかると、ヨシュアはようやく下半身を海から引き上げた。
思ったよりも早く技術のチェックが終わったヨシュアは、時間が許すかぎり楽しもうと街までもどることにした。
歩いてもどり、遊泳ゾーンにいるプレイヤーたちに笑われながらカニ装備を脱ぐと、サンダルにシャツという出で立ちになり、オープン・カフェのような店に入った。
日の光を浴びながら、南国のフルーツ・ジュースを飲んでゆったりと過ごす〔なにもしない〕という贅沢な時間の過ごしかただった。
起きたときにチェック・インしていた宿にもう一泊するためにおなじ部屋を取ると、ヨシュアはベッドに横になった。
日は赤々としていたが、まだ気温は高い。ベッドのなかでログ・アウトのための時間を待ちながら、ゆっくりと夢から現実へ滑り落ちていく。
しばらくすると、暗闇からタイトル画面へと引きもどされた義明の意識があった。
そのままゲームを終了し、VRシステムも終了のサインを出す。そうして移植されていた意識が回帰し、現実の義明へともどってきたのだった。
瞬間、空調は効いているものの寒さが襲ってくる。一瞬ばかり、もうすこし向こうへ居たかったと後悔するのだった。
後日、青の大鍾乳洞は、四人の奮闘でめでたく踏破された。いくら技術を練り上げたところで実践となれば、ほとんど瀕死であったことは言うまでもない。
一一月も終わり、義明がラスト・スパートをかけているところ、彼のコンピュータにニュースが届いた。それはクロモリから届けられたメールであった。
開封して読み始めると、義明のからだに衝撃が走る。
PWOにおける最終目標のひとつ、竜種が一頭、撃破されたという話だった。
詳しく読み進めていくと、撃破されたのは赤色竜であることがわかった。
撃破したのは単一のギルド、パーティではなく二チームによる混成部隊でPvMで最強と噂の少人数ギルド・パーティ〔リヴォルヴァーズ〕とPvPギルドで名を馳せている〔アルカリ系強酸性〕という、ネタなのかネタじゃないのかわかりかねる名前のギルドだ。
しかし、その実力は一級品である。なにせディルージョンたちが所属しているところなのだ。弱いわけがない。
とうとうドラゴンが倒されたということが、じんわりと義明の胸にも染みてくる。
最強の存在が倒されたという事実に、義明は一種の寂しさのようなものを感じていた。あたたかさと冷たさの同居した感情は、かんたんに筆舌に尽くせるものではない。いま、ひとつの時代が終わりを迎え、あたらしい世界になろうとしている。
それはゲーム・プレイヤーとして見れば、ふつふつと意欲がわき上がってくるものだ。
しかし、いまは期末考査へ向けてラスト・スパートの最中で、とても勉強以外のことをやっている余裕はない。そんな時間があれば、復習と予習に振り分けてしまいたいほどなのだ。
寂寥感は、ゲームをする時間がないことへの口惜しさも含んでいるのだろう。
自分がその波に乗っていけないのではないか、という不安だ。
期末考査は一二月八日に始まる。それまで辛抱するとして、義明はクロモリへメールを返すためにキィ・ボードを叩いた。
内容はシンプルに、期末考査が終わったらものすごい勢いでやろう、と。
そして十二月に入り、期末考査が終わった。手応えはもあり、やれるだけのことをやった義明にとっては、審判が下るのを待つしかない。人事を尽くして天命を待つ、だ。
義明はこれでようやくゲームをやれるという気持ちだったのだが、世間や教室内はそうではない。それは青春を賭けるに値するもののひとつだとしても、すべてではなかったのだ。特に思春期の男女にとっては。
試験期間を通り抜けると教室からはピリピリした雰囲気が抜け落ちて、またたく間に弛緩した状態になった。
彼らのあたまのなかはクリスマスをどうやって過ごすか、ということで満たされている。恋人がいるものはデートのプランをまとめ上げ、恋人のいないものは仲間内で寂しい野郎だけのパーティや、女だらけの本音女子会やらを開くか、という話題になる。
義明はというと、どうやら月木組がパーティをやるのでどうだ、と誘われていた。
恋人などいない義明にとっては是非もない。ありがたく参加させてもらうことになったのだが、プレゼント交換会という行事が控えているらしく、そこでは男として、女として、友人として、人間としてのセンスが問われる。
ネタに走るのか、あるいは実用的なのか、はたまたあえて困らせるのか。義明にとってはそんな催しもはじめてのことであるから、プレゼントをえらぶだけでも大変だった。
パーティ会場は月木家で、開催日時は一二月二四日の午後四時から予定されている。すくなくともそれまでには、プレゼントと気の利いた差し入れでも用意しておかなければならない。
期末考査は終わったというのに、悩みは増えるばかりだった。しかし、それはうれしいものだったので、義明はうつむくこともない。
休日にはプレゼントをえらぶために、いくつもの店を覗く必要があるだろう。そういう面倒ごとをむしろ歓迎すらしている。
義明もまた、ゲームだけに青春をつぎ込まない思春期のひとりになっていた。
だがしかし、この夜、ひさしぶりでゲームに没頭したことは言うまでもない。
*
時計の長針がそろそろ一時にさしかかりそうな頃になり、日枝義明はダッフル・コートとマフラーを身につけて外出した。空はなんとか雲の隙間から晴れが覗けるかというぐらいの模様で、日もあたらずかなり冷え込んでいる。
ニット帽も被ってくるべきだったか、とすこし後悔するがそこまですると店に入ったとき、店員用に合わせられた暖房で汗をかいてしまう。店員とて厚着すれば暖房費がすくなくて済むし、問題も解決するのにどうしてどこも着手しないのだろう。そんなことを思う。
師走と言うだけのことはあり、道を行く人びとは誰しも足早で、目的地へ向かってまっすぐだ。義明も車いすを繰る手を速めて商店街へ向かった。
商店街は混雑していると言っていい具合だった。近所のスーパーにも人は流れているのだろうが、それでもなおあまりあって人がひしめいている。クリスマス・ムードに彩られた飾りつけは、どこか冷静でいられなくさせるのかもしれない。
それはもちろん義明もそうだ。なにしろクリスマス・パーティ用のプレゼントを求めてやってきたのだから。
(さて。なにを買おうか)
具体的に案を決めずに来た義明である。店先でいろいろと見ながら買おうかと思っていたわけだが、方向性のひとつもなければ絞り込めるわけもない。
しかも予算が潤沢にあるわけではない――せいぜい三〇〇〇円――から、まず高いものは切り捨てられるのだった。哀しいことに。
車いすを押していると、義明は文房具店に出会った。大半の公立校で電子メディア化が進んでいるなか、頑ななまでにペーパー・メディアを使い続けている学校の生徒であるから、選択肢としてはあるだろう。
ただし男に渡るのか女に渡るのか不明という時点で、性別関係なしのデザインにしなければならない。それはすこし実直過ぎて、クリスマスというイヴェントには、おもしろみが足らないという考えもある。
(わるくないけどなあ)
いまひとつ背中を押すものを感じられず、文房具店を通り過ぎた。
つぎに出会ったのは、昭和の時代から続いているという謳い文句の和菓子屋だ。ほとんど主張せず、そこにあるのがごく自然であるように、ぴったりと収まっている。使い込まれて雰囲気のある看板が、じつにそれらしい。
(クリスマスにプレゼントで和菓子。ちょっとミスマッチかな?)
差し入れとしてならわるくないかもしれないが、プレゼントにするにはすこし場面が違うと思い、義明はそこも通り過ぎた。
そのとなりは寝具店であったので、ここはスルーして――寝具店の品物は値が張った――そのつぎの雑貨屋を見つけた。
女性向けのような雰囲気があり、ファンシィかつポップなフォントで〔雑貨はうす ベビィ・ドール〕と書いた看板を飾ってある。
全体的には木目調であたたかみを出しているが、店の前面はガラス作りで、店のなかが覗けるようになっていた。たしかに白やピンク色をしたものが多く見えるが、そのほかにも種類はたくさんあるようだ。
(雑貨かぁ)
男性向けではないとしても、雑貨や小物というのはなにかと無難だ。いらないということになっても、ちいさければ邪魔にならない。
店内は狭かったが棚が両端にあり、そこには所狭しといろいろなものが置いてある。しかし車いす一台ぐらいならば、どうにか通れそうなスペースが中央に広がっていた。その付近にあるものならば、どうにか手にとれるだろう。
(覗いてみるか)
苦戦しながらドアを開けると、カウンターの向こうに座っている女性がハスキィな声で「いらっしゃいませぇ」とちいさく言った。
黒髪ショートで服装もこざっぱりしたブラウスを身につけていて、はっきり言えば店の雰囲気とは合っていなかった。
こういうところでは、砂糖細工のような夢と幻想で生きています、みたいな女性が働いているものだと偏見を持っていた義明は面食らった。
小物自体には、たしかにそういったかわいらしいものが多いが、店員の持っているような空気の小物もいくらか存在していた。
そちらのほうがユニセックス的なデザインで、プレゼントにはしやすい。義明はこの店で買うことに決めた。
あとはなにを買うかという問題だったが、とにかく種類が多いので迷いに迷ってしまう。
憎たらしく笑うゴシック調チシャ猫の置物や、かと思えばシンプルなシルエットの花瓶など、どれもこれも良さそうに思えるし、もっといいものがあるのではないかとも考えてしまう。ぐるぐるとループするたびに、義明の心中は混沌していった。
「プレゼントですか」
そこに蜘蛛の糸を足らしたのは、ハスキィな声の店員だった。
「え、ええ。クリスマスにパーティをすることになって」
「男女混合で?」
「はい」
それだけ聞くと彼女は、店のなかをいそがしくうごきまわり、いくつかの商品をえらんできた。
彼女の黒い指先からこぼれ落ちたのは、ファニィなものとキューティなものと、そしてラヴリィなものだった。
ショッキング・ピンクのド派手な色彩でハートの形状をした把手のマグ・カップ、それよりもだいぶやわらかいパステル・ピンクの生地に白い縁取りのあるハンカチ、最後にかわいらしくラッピングされた入浴剤のセットだ。
いずれも値段は三〇〇〇円以内で、彼女が義明を学生だと見抜きその懐具合までも察したところは、さすがプロフェッショナルである。
「……あ、これいいな」
といって義明が手に取ったのは、最後の入浴剤セットだ。これならば中身は普通に使えるものなので、ラッピングがかわいければ女性にとってはプラスになるし、男性が手にとっても使いやすい。
「これいただけますか?」
「ありがとうございまぁす」
ウェアラブル・コンピュータをレジにかざすと、それだけで取引は済んだ。品物を包みこんで、店員は丁寧にラッピングしてくれる。
「ありがとうございましたぁ。またのおこしをぉ」
「どうも、ありがとうございました」
いいものが買えたと、義明はほほえみながら店を出て行く。そしてそれを見送る店員も笑顔だ。
最初とつぎのふたつの品物は、選択肢を狭めるための通路に過ぎない。実質、義明がえらべるものは、はじめからひとつだったのだ。
とはいえ騙したわけではない。決してわるい商品を買わせたわけでもない。単純に時間を節約したのだ。さすがプロフェッショナル、あれこれと迷わせない策である。
店員はカウンターにもどって、また客が来るまでじっとしている。
外はいつのまにか晴れていた。
そしてクリスマス・イヴ。
昨日の夜から母・明子に「にんにくは使わないで」と言ってにやにやされたり、父・義弘にからかわれたりしつつ、眠れない夜を過ごした。
さいわいにも学校が休日だったので、義明は朝から時間をすべて準備にあてることができた。
クローゼットから服を引っ張り出しては、ああでもないこうでもないとあたまを引っかきまわす。
さらに明子から「右のやつがいいよ」などと口を出されて、またギリギリと頭脳をひねって絞る。
しかし「もうお母さんが決めてよ!」などとは口が裂けても言えない。それは思春期の男の子にとって完全なる敗北宣言だ。
さらに昼食を食べてから昼いっぱい時間をつかって義明が身につけたのは、普段のものとほとんど変わらない服装であった。
「……いつもとなにが違うの?」
「こ、心構え」
いままでファッションに興味などなかった義明にとって、クローゼットの中身がまず代わり映えしないのであった。
かといってアルバイトもしていないし、貯金などもしてない。現状の装備で挑むしかないわけだ。
「ああ、そう」明子は言った。「お土産とかだいじょうぶ?」
「行くときに買うよ」
「なら、お小遣いあげとく」
「ありがとう」
「お礼はかわいい彼女でいいから」
「んなっ、そんなんじゃないよっ!」
「照れるな、わが息子」
「し、知らない!」
義明は逃げ出した。
時間はまだ余裕がたっぷりあるというのに、荷物を持って家から去るための準備をする。
「帰りは遅いの?」
「そうでもない」
「意気地なし」
「元・教師のいうことか!」
「元だから言えるんでしょう」
そういうものかと一瞬、義明は納得しかけたが、あきらかにおかしい。
それ以前の問題として、大人として子供に遅く帰れなどというものではない。
「朝帰りとかそういうのはないから」
「なーんだ」
そういってつまらなそうにソファへもたれかかる明子だった。
「じゃ、行ってきます」
「行ってらっしゃい」
だいぶ時間に余裕をもって義明は家を出た。時刻は三時をすこし過ぎたところで空はまだ充分にあかるい。
吐く息が白い。しかしマフラーを巻き、コートを羽織っているおかげで震えるほどではない。
住宅街には、一ヶ月も前から電飾をつけている家なんかもあった。まだ昼だから目立たないが、夜になればいよいよその真価を発揮するだろう。
天気予報によれば、今日は雪にはならないという。ホワイト・クリスマスとはいかないようだ。
まず行くのは商店街だ。ここでなにかしらの差し入れを買ってから、月木家へ行くことになっている。
義明は装着型コンピュータでメールを出し、みんながなにを持っていくのか聞いた。返信は即座で、来島夕花とヨルコが甘いもの、シンヤとアサヒルが塩っぱいものであるという。ちょうど半々で、従来の月木家クリスマス・パーティならばこれで収まっていたのだろう。
しかし義明が入ったことで、そのバランスを崩してしまうことになる。
甘いものか、塩っぱいものか。
またさんざんに悩んだあげく、義明は第三の選択――飲料をえらんだ。これならあまっても保存も利く。
商店街で炭酸系の清涼飲料水と一〇〇パーセントのフルーツ・ジュースをいくつか買い込むと、まだすこし早いが、行ったことのないところへ行くにはちょうどいい時間になっていた。
アイヴォリィ・ホワイトの端末を操作して、義明はしっかりとメガネ型ディスプレイをかけ直す。現実の風景とリンクして、ナヴィゲーションするための矢印が現れた。月木家までのルートを示すものだ。矢印にはあと何メートルで右に曲がるなどの情報が付随し、画面端には地図を上空から見たものが載る。
「ここから二キロぐらいか」
義明は車いすを進めはじめた。よほどの方向音痴でも指示に従ってさえいれば目的地にたどり着ける。
商店街を抜けて住宅街まで行くと、人の通りはすくなくなった。日枝家がある住宅街と月木家は商店街を挟んで反対にあり、こっちはどちらかと言えば閑静なほうで富裕層が多い。したがって家々も立派な造りのものがほとんどだ。
景観に配慮してか奇抜なデザインのものはないが、どこも細々したところに凝ったりしていて、散歩するにはよさそうだ。
そのうちのひとつに月木邸はあった。どちらかといえば欧風のデザインで、日本家屋という感じはしない。正面に芝生の茂る庭があり、脇の駐車スペースには高そうな車が駐まっていた。見るからにいいところの家という感じで、ごく中流家庭出身の義明は、ほんとうにここでいいのか二の足を踏むようなところだ。
しかしそこでうろうろしていたら、どこかしらの奥様から不審人物発見の通報を受ける可能性が高い。勇気を振りしぼって、インターフォンのスウィッチを押し込んだ。その音色は一般普及してるもので、すこしばかり安心できた。これで鐘がおごそかに鳴るようなら、車いすのピンポン・ダッシャーとして退散しているところだ。
すこしばかり遅れてから、内外が繋がった。
『はい。どちら様でしょうか』
すこし低い、けれど月木まひるとよく似た女性の声だった。
お母さんかなと義明は思い、緊張を隠せないまま言葉を吐く。
「わたくし、まひるさんの友人で日枝義明と言うのですが、まひるさんはご在宅でしょうか」
『ぷっ』
「……ぷ?」
『あははははっ。ごめんごめん、わたしが月木のまひるさん』
「ちょっ、えっ、まひる、からかったの?」
『義明、ガチガチに緊張してるんだもん。ちょっと、いじわるしたくなっちゃった。いま出迎えるから、待ってて』
そういって通信は切られた。
「はぁ……いじわる」
しかし出たのがまひるでよかったと、義明は胸中で思う。いきなりご家族とご対面というのは、小心者にとって難題だ。
それのおかげで、よくもわるくも緊張は砕け散ってしまった。
立ち往生――車いすなので座りっぱなしだが――していると、すぐに玄関のドアが開いた。雪色の膝丈スカートに赤い上着を合わせ、緑色の髪飾りをしているまひるだ。防寒対策なのだろう黒いタイツがスカートと対比して引き締めていた。
履いているのは庭用のサンダルなのだろうが、それすらも服装に見劣りしないようなデザインの代物だった。
金持ち、侮るべからずである。
「やっほー、いらっしゃい」
「こんにちは。本日はおまねきありがとうございます」
「まだカシコマリごっこ続けるの?」
「礼儀上、しっかりしておくべきなんじゃないの。こういうのは」
「そういうの得意じゃないからなあ。さ、上がって上がって」
「うん。お邪魔します」
門から玄関へ伸びる石畳でつくられた道を抜けて、義明は玄関の前までたどり着いた。車いすに詰んでおいた携帯用の松葉杖を展開させると、動力補助機構付き|両長下肢装具《KAFOのスウィッチを入れる。サーボ・モーターが低くうなりを上げ、動かないはずの脚を動かさせる。
その脚は自分でうごいているわけではない。外部からのちからによってうごかされているに過ぎない。しかし松葉杖を併用することで、義明を屋内の数十メートルぐらいならば歩かせることができる。もしもこれが存在しなかったら、車いすが通ることを想定していない他の家屋になど入れない。
それこそ這いずるようなスピードながら、義明はまひるの先導のもと、ゆっくりと歩いていく。
「すごい。もうそこまで使えるようになってるんだ」
「まだ、まだ、だよ」
そしてリヴィングへたどり着くと、ソファへ崩れ落ちるようにして義明は座り込んだ。
「おつかれさま」
「いやいや。まひるこそ、サポートありがとう」
いつでも支える、というようなそぶりを見せていたまひるのことを、しっかり視界の端で義明は捉えていた。
「いやぁ、あはは」あたまをかしかしと掻いて、まひるは照れたように笑った。「あっと、車いすに詰んであったの、プレゼントと差し入れだよね。ありがとう。とってくるね!」
すこしあわてたようにして、まひるは出て行った。
「……お礼を言っただけなのになぁ」
おなじようにあたまをぽりぽりかきながらリヴィングをふと見回してみると、そこには誰もいなかった。
義明は一番乗りなのであった。
ソファに腰を落ち着けて手持ち無沙汰になった義明は、失礼ながらきょろきょろとしていた。
(ちょっと早く来すぎだったかな?)
パーティはまだ始まらない。
家屋の外観通り、室内も欧風のつくりだった。フローリングにはカーペットがしかれている。脚が沈みこむような上等なものではないが、さりとてわるい品質のものでは決してない。
飾りつけは風景画や花瓶などごく些細なもので、あとはスウィッチを押すことで立体写真を空中に投影する装置ぐらいのものだ。シンプルに彩られた空間は白い壁などとあっていて、寂しさを覚えるというよりも清潔感がある。
徘徊式自動掃除機の手が届かないところもきちんと掃除されていて、ほこりなんかは見つからない。
お手伝いさんがいるのか、家人がすみずみまで気のとどく性格をしているのだろう。
自分の家とはずいぶんちがうものだなあ、と思いながら義明が待っていると、まひるが荷物を両手にもどってきた。その背後には、ふたりの女性が立っている。
片方は背が高く、白い起毛素材のコートを羽織り、そろいの帽子をあたまに乗せていた。帽子には赤いストーンがふたつ取り付けられていて、帽子が楕円型でドーム状だからか、それが雪うさぎに見えるようになっている。
もうひとりは細いシルエットのジャケットとタイトなスカートで、同年代よりもおとなっぽく見える。装飾品のたぐいはつけていなかったが、それだけにシンプルな魅力があった。
「や。早いね」
「こういうとき男性は、早くても遅くてもダメなんですよ」
ヨルコと来島夕花だ。彼女の言う通り、まだ男性陣は義明以外はふたりとも来ていない。
「そうなんだ。知らなかった」
「そういうところもあるかな。うちは別にオッケーだよ」
言いながら三人分の差し入れをテーブルへ並べていく。ヨルコと夕花の差し入れはつまみやすようにという配慮だろう、クッキィなど、手で食べられるものばかりだ。
これならお茶類を買ってきたほうが良かったか、と義明は思うが時すでに遅し。パーティという言葉からジュースを連想してしまうのは、こども過ぎただろうか。
すこし気恥ずかしくなりながらも、女性陣がてきぱきと動きまわるのを見ていることしかできない。そうこうしていると、インターフォンからまた通信があった。
「来たかな。ちょっと行ってくるね」
「ん。いってら」
まひるが連れてもどってきたのは、アサヒルとシンヤのふたりであった。
小柄でニット帽姿のシンヤは、どこか雪だるまのような愛らしさがあり、冬でもコートすら羽織らず長袖のシャツだけというアサヒルは、見ているほうが寒くなるようだ。
「ちぃーす」
「僕たちが最後か。お待たせしたみたいで」
「そうでもなかったよ」
「うん。時間通りだしね」
「そろそろはじめましょうか」
とは言うが、パーティといってもそんなに大層なことはしない。いつも通りにだらだらとしゃべったりする舞台を月木家に移しただけだ。むろん、多少たがが外れてそうなる可能性もある。
しかし、いまのところその様子はなかった。各々ジャケットやコートを脱ぎ、暖房の効いた快適な温度の部屋でくつろぎ出す。
義明もはじめは緊張していたのだが、普段通りのことをはじめたせいだろうか。すぐにリラックスして、話に興じることができた。
四時から五時まではそうやって持ち寄ったお菓子などをつまみながら、ただのんびりとしていた。それだけで退屈でもなく、息苦しくもないと感じるのは、気やすい仲間だからだろうか。
ゆらゆらと湯に浮かぶような時間を過ごして、六人がそろそろふやけて溶けそうになったころだ。
壁に掛けられた時計から音が鳴る。
「ああ、もうこんな時間だ」
時計の短針は五時を指している。
「それじゃあ、そろそろつくりますか」
「ん」
そういって女性陣はキッチンへ行ってしまう。それからしばらくして、ざくざくと包丁でなにかを刻む音がしてきた。
どうやら料理――それにひとしいなにか――をしているのだろうということがわかる。
女性陣は鍋の準備をしているのだった。
一見、クリスマスという西洋の代物と和風の代表格といってもいい鍋は、相性がわるいように思われる。しかし鍋はふぐ鍋や、かに鍋など、食べること自体が一種のイヴェント性を帯びることがままある。家庭料理であってもすき焼き鍋の人気が高いように、祝いごとと鍋の親和性は高いのである。
食後、口にするであろうクリスマス・ケーキとの組み合わせはどうなのかということは、同時に食べなければ問題ないとされた。
「なに鍋やるんだっけ。半月ぐらい前に決めたから、忘れちゃったよ」
「豚がメインとか言ってたな」
「どこでそうなったんだ」アサヒルはテーブルに肘を乗せ、頬杖を突いた。「別にフライド・チキンとかでもいいのに」、
「牛とか、鶏はよく聞くけど、豚ってあんまりしないよね」
首をかしげながら義明は言う。
「白菜とミルフィーユみたいにやるやつとか、豚肉と葉物野菜の常夜鍋とか、けっこうあるらしいぜ」
「あー、思いだした。えーと、ヤ、ユ、ヨ、ヨルだっけ?」
「ユール。北欧で言う、クリスマスの原点みたいなものだよ」
したり顔でシンヤが言う。彼は雑学について、すこし知識がある男だった。
「それだ。ユールで、神様に豚とかを捧げたからって話からだ」
「それか。そこで豚になったのか」
「いいじゃない。おいしいよ、豚鍋」
「うまいだろうけどさ。どうせなら二センチぐらいあるトンカツってのもわるくないんじゃねえの」
「決まったことにごちゃごちゃ言ってもしょうがないでしょ。その時のキミがわるい」
「だよなぁ。男はおとなしく待つしかねぇか」
「美味そうだよ、豚鍋。シメは雑炊かな」
「うどんだろ」
「中華麺って手もあるよ」
「それはない」
「ないな」
「おいしいのに……」
「中華麺は鶏だろ」
「うん。鶏のときかな」
「そうかなぁ」シンヤはテーブルで両腕を組み、そこに顔を乗せた。「イケると思うんだけど」
「豚骨スープとかチャーシューとかあるから、イケないってことはないだろうけどよぉ」
「鍋のシメだから、こってりよりさっぱりって感じなんだよね」
「それ。それが言いたかった」
「なるほど。そういう意見もわかる」
一応は納得したのか、シンヤが尖らせた口が平坦にもどっていった。
そんなことをしていると具材の準備が終わったのか、キッチンから具材を並べた大皿やらを持って女性陣が現れた。
「ほら、どいてどいて。食材さまが降臨だよ」
あわててアサヒルとシンヤは散らばるクッキィのあまりなどを片付け、テーブル上を空けた。そこへヨルコがカセット・コンロを置き、そこにまひるが昆布とかつおのだしがたっぷりと張られた土鍋を乗せ、最後に夕花が二枚の大皿を並べる。片方には豚、片方には野菜がごっそりと盛られている。
「おお。いいねえ」
「でしょ。みんなから集めたお金、しっかり計算して買ったからねぇ」
いよいよジュースを持ってきた義明の肩身は狭いのだった。鍋との相性など言うまでもない。
しかしそれを放っておいてもよいほど、鍋の具材は大量で、見栄えがした。
年齢を重ねれば次第に食事というのは質重視になってくるが、若いころの食事などというのは、ほとんど量が最重要だ。安くていっぱいあってたくさん食べられる。それが学生――特に中学生、高校生――にとっては、もっともよい。
とはいうが、最低限の質は抑えたい。量ばかりあっても食えないものではしょうがない。そこでうまくバランスをとったのはヨルコだ。ふだんから近所のスーパーなどで買い物をしている共働き夫婦の子なので、見分け方をよく知っているのであった。
具材を順番に投入していくのは夕花の役目だ。鍋奉行として確立された立場にある。
要するになんの準備もしていない男性陣は、義明だけでなく肩身が狭いのだ。それを気にするほどシンヤもアサヒルも神経が細くないし、女性陣も揶揄しないのだけども。
豚や白菜が煮えはじめたところでポン酢やごまだれなど、自分好みの調味料を器に注ぎ、合掌が六つそろう。
「いただきます!」
という声が、重なった。
それからはもう思いおもいに、豚肉や白菜などを口に入れる。火が通りやすいように千六本にしたダイコンなども、入れてはすぐに煮える。
「うまい。意外っていうかなんていうか」
「失礼だな、きみぃ。わたしたちが料理できないと思ってたとか?」
「まったくです。調理実習もありますから、基本的なことぐらいはできますよ」
「うん。鍋ぐらいはな」
「いや、そうじゃないけどさ」女三人に言われてたじろぎながら、義明は続ける。「鍋がこんなにおいしいとは思わなかった」
けして義明の母――明子の料理が下手というわけではない。しかし友人たちと囲む鍋というものは、また別の味がするのであった。
「……そういうことなら、ねえ?」
「まあ、そうですね」
「いいんじゃない」
女性陣も納得してくれたようで、義明の器にだいこんやらなにやらを放りこんでくる。
「ありがとう」
「ま、食いねえ」
「うん」
そうしているうちに大皿に八人前ほどあった食材は、すべて六人の胃のなかへ消えてしまった。食べ盛りの学生にとって、通常よりふたり分ほどしか多くない食材など、多いうちに入らない。そこで、シメはまずうどんをやってから、つぎに雑炊にするということになった。最後まで中華麺を推していたのもひとりだけ居たが、それはまた次回というはなしだ。
うどんのときはすこしばかり煮込んでからずるずるとすすったあと、雑炊はだしを足して塩でちょいと味付けしたものに、刻んだネギをパラパラとやってから溶きたまごでふんわり、とろりとさせた。それを、はふはふと口にする。やけどしそうなほど熱い雑炊を、冬だというのに汗をかきながら食べている。たまらなくなって、冷たいお茶を口にする。そのお茶までが、雑炊の一部だ。
「ぷはぁー! 食った、食った」
コップをテーブルに置いて、アサヒルが腹をさすった。彼は飯粒のひとつも残さず、よく食べた。
「ごちそうさまでした。ほんと、おいしかったぁ」
「おそまつさまでした。もうケーキ食べちゃう?」
「んー、食べちゃう」
「ケーキは別腹、ですからね」
女性の甘いものに対する執着心は、なかなかのものであった。
「オレも若干の腹の余裕があるな」
さんざん食べたというのに、アサヒルの食欲は底が知れない。
「僕も若干の余裕があるかな」
「ぼくは、すこしだけ」
というよりも男子高校生の食欲が、であった。
「もってきたよー」
まひるが持ってきた箱には、白いクリームに赤いいちごが映える、シンプルなショート・ケーキが収められていた。これを六等分に切り分ける。六号サイズなので、ひとりにはそれなりのショート・ケーキが行き渡ることになる。この際、誰もが自分のいちごと他人のいちごを見比べる。
あれは自分のよりおおきい。あれは自分のより赤い。あれは自分のより瑞々しい。そういうことを誰しも思う。
しかし、交換してとはいえない。視線で訴えることもしない。いやしいと思われるのもそれはいやなのだ。
だからこそ、包丁で切り分けるものこそが、このケーキ争奪戦においての勝者になれるのだ。
すなわち、はじめに包丁を握ったもの――まひるこそがこの闘争の勝利者であり、その気に障ったものこそが敗者となる。
「じゃあ、配るね」
そして判決は下された。
一等はもちろん、まひるである。もっともよいものを手に入れるのは、包丁を握った権利といってもいい。
そして最下位――もっとも劣るいちごを手に入れたのは、意外にも来島夕花だ。彼女はおのれから志願して、そのちいさないちごを望んだのだ。それは知略ではなく、おもいやりによるものだった。じぶんを犠牲にすることで五人のこころの平和を守ったのである。
裏取引で、いちごではなくその土台がもっとも多い部分を手に入れたのではないか、という意見も見え隠れしたが、真相はさだかではない。
最高ではないものの、最低でもないいちごを手に入れて、四人は満足げにフォークを突き刺した。鍋のあとのショート・ケーキは、鍋といっしょに食べないおかげで最悪にならずにすみ、六人の舌を喜ばせた。
「んふー。あまーい!」
と、クリームのように眼や口をとろけさせるほどの好評であった。これも、ヨルコ推薦による商店街の洋菓子店で買いもとめたものだ。
差し入れのお菓子、鍋、うどん、雑炊、ケーキを食べて、さすがに満腹になった六人である。あとはもはや、プレゼント交換会が待つばかりだ。
これが本来のメイン・イヴェントなのだが、腹がくちくなってしまっては、どうにもあたまがまわらない。
しばらく落ち着いたあとで、ようやく開始されることになった。
時刻はおよそ一九時だ。外はもう、まっくらだ。環境配慮のおかげで、都会でも星の光が見られるようになった。そのせいか、冬の星座がよくかがやいている。
まひるの淹れた紅茶などを飲みつつ、六人はまた、だらだらと話などをしていた。そして腹が落ち着くと、ようやくプレゼント交換会をはじめようか、ということになる。
「そろそろはじめますか。プレゼントは用意してある?」
そう言われて、義明たちは持ってきたプレゼントをごそごそとやりだした。ひとりひとり、手にはそれらしきものを持っている。六人分、きっちりと用意があるようだ。
「オッケー。それじゃ、一分間、適当に歌うから、そのあいだがーっとまわして」
「歌うのかよ」
「ポータブル・プレイヤーを用意するまでもないでしょ」
「ま、たしかに」
「じゃ、ミュージック・スタート! ちゃららーちゃららー……」
という様子で、じつに一分もの時間、月木まひる・オン・ステージが突如開催された。
「きゃー、まひるちゃーん」
「すてきー、まひるちゃーん」
「イェーイ。サンクス、ピーポゥ!」
スタンディング・オベーションはなかったが、あたたかい拍手を持ってショウが終わると、まひるは架空のマイクを置き、惜しまれつつもふつうの女の子になるため引退した。
「ストーップ! いま手元にあるのが、サンタと、赤鼻と、そして、われわれからあなたへのプレゼントです」
義明の手元にはなにやらラッピングされた縦横高さ一〇センチぐらいの箱がある。透視能力者ではないので、その中身を当てることは非常にむずかしいだろう。
「では、いっせいにオープンぬぁ!」
みんなが包装紙を解きはじめた。アメリカ的にバリバリと破るアサヒルや、几帳面にテープをすこしずつ剥がしてたたんでいく夕花や、いろいろなタイプが混在していた。義明は折りたたむタイプだ。
義明の手元で、ようやく素肌を見せてくれた女の子の正体は、薄手の手袋だ。指先には細工がしてあり、静電式のタッチ・パネルでも使えるようになっている。薄くても防寒機能を損なわない、というCMが打たれている商品だ。
淡いクリーム色をしていて、デザイン的にも男女どちらがつけてもよいものになっている。
「うわぁ、嬉しいな」
「いいですね」
「ほほぅ。これはこれは」
「うむ」
「イェス!」
「にゃーん」
にゃーんはともかく、それぞれ手元にきたプレゼントは、みんなお気に召したようで、まんざらでもないという表情を浮かべている。
義明が送った入浴剤は、夕花に届いていた。実用的なものが手元にきたことで、彼女はうれしそうだ。ヨルコはモザイク模様のマフラーを首に巻いていた。アサヒルは缶入りのせんべいの詰め合わせを抱いていた。シンヤはレトロ・ゲームが数十個入っている携帯ゲーム機を眺めていた。まひるは猫耳つきカチューシャをあたまにつけていた。
にゃーんだった。
それからひとしきりプレゼントを誰が贈ったのか、などと笑ってひとしきり楽しんだあと、そろそろ二〇時になるということで、解散の運びとなった。
義明が動力補助機構付き|両長下肢装具《KAFOと携帯伸縮式松葉杖で生まれたての子鹿のように歩くときなどは、最後のイヴェントのようだった。
空は、もうほとんど暗かった。整備された街は地下から這い出た街灯が照らしているが、それでも夜が光を侵略していることに変わりはない。
月の時間、息の白い世界。六人はそこにいた。もう祭りは終わったのだ。
たのしかったことだけが過ぎ去って、あとにはすこしの寂しさが胸に宿る。
いつまでもああしていたかった。その思いは、その場にいる全員が共有するものだ。
月木まひるは見送りに外へ出ていた。肩にはショールを羽織っている。それだけでふせげるほど、冬の夜気はやさしくない。ふるふると震えて、いまにもくしゃみをしそうだ。
「今日はみんな、ありがとうね」
「こちらこそ。毎度、ありがとう」
「今年からお世話になったけど、ありがとうございます」
「来年からは選抜メンバーなんで」
「マジですか」
「あきらめろ、ははは」
「わたしも、初参加からは毎年ですね」
「そういうこと」
「なら、これからも末永くおねがいします」
「まかされた!」
自分の胸をたたいて、まひるが咳き込んだ。それをもうひと笑いして、いよいよ終わりという雰囲気になる。
「それじゃあこのへんで。クリスマス・パーティ終了!」
おつかれさまでしたー! と、近所迷惑な声が広がった。そのあとで、ぱちぱちと拍手がまばらなものからまとまったものへ変わっていく。しばらくしてそれも終わった。
「じゃ。またね」
「うぃ。またね」
「またねー。こんど会うときは、ゲームと正月どっちが早いかな」
そういって、ヨルコとシンヤの身長的デコボココンビはふたりで歩いていく。ふたりは近所に住んでいる間柄だ。男らしく、一応は送っていこうというのだ。
「じゃ、オレも行くわ。またな」
「さようなら、まひる、義明。また会いましょう」
アサヒルと夕花もおなじように手を振って、ふたりで帰っていく。彼らは近所ではないが方向はおなじだ。つかず離れず距離を保ったまま、夜のなかを歩いていった。
「じゃあ、ぼくもそろそろ」
「うん。またね」
まひるは、ぷらぷらと手を振る。
「風邪ひかないように、早めにあたたまってね」
「そっちこそ」
「ははは。たしかに、人のことはいえないや」
「はやく帰って風呂入って寝ろ」
「うん。それじゃあ、メリィ・クリスマス」
「メリィ・クリスマス」
車いすが闇のなかを進んだ。街灯が照らし出すなか、義明は無数の影になる。
角を曲がる瞬間、義明は目の端でそれを捉えた。震えながらちいさく手を振っていた少女のすがたを。
――ああ、ダメだ。
義明の胸が苦しくなって、車いすはどんどん加速していく。暗闇のはやさはそれに追いすがる。
楽しかったことだけがリフレインしている。その事実を確認するたびに、こころが渇いてくのだ。
もっとくれ、と欲望のまま、その瞬間を求めつづけるのだ。砂漠の砂が水を吸い込むように。
正月になれば、初詣で会えるだろうか。そんなことばかりをただ考えながら。
「……サンタ・クロースは来るんだろうか」
翌朝を待つまでもなく。プレゼントはすでにもらったのだから。
「ああ、両手一杯だ」
薄手の手袋だ。外気に負けないほどの防寒性があり、義明の指先は、かじかんでうごかないということはなかった。
砂漠の砂には、いつのまにかオアシスができていた。
もうそろそろ家に着くころだった。夢中で進んできたにしても、異様なほどにはやい。
外からわかるほどに、家の光があった。カーテン越しから蛍光灯がついていることがわかる。
車いすはゆっくりと減速して、玄関までのスロープを昇った。スライド式のドアに電子キィを差し込んで開く。
「ただいまー」
「おかえりー」
いまは家族のあたたかさでいい。義明はそう思った。