10 開眼
フラヴィは鏡の街という言葉から連想するような、キラキラと輝くような造りではなかった。
むしろ内へうちへと閉じこもろうとするような、どこか日本の過疎化した山村を思わせる。
家屋の造り自体は西洋風で、外壁自体はどこも白を基調としたキレイなものなのだが、どうしても薄暗いものを感じさせるのだった。
だが、人口自体はそれなりに居るようだ。もちろんNPCではなく、プレイヤー数である。
そのプレイヤーたちは、ヨシュアたちのようにカジュアルな感じというよりは、どこか鬼気迫るものがあったり、イライラしていたり、やたらにテンションが高かったり、どうにも気分の高低が激しいのが多い。
陰惨というには活気があり、にぎわいというには鬱うつとしている。
どうも、なじむまで時間がかかりそうだ。この街にはじめてきたプレイヤーの多くは、そう思うだろう。
「ううん。なんだかすごいところへ来ちゃったなあ」
それはヨシュアたちも例外ではない。
「まあ、まあ。見た目はともかくだよ。実際、触れてみればちがうかもしれないじゃないか」
とおくから観察してわかることは、たいていにして一部にすぎない。
その言葉に同意して、ヨシュアはうなずいた。
「だいたい、外見どおりの中身ってことも多いけどねー」
それにも納得できたので、ヨシュアはおよび腰となった。
「当たって砕けろ。行くぞ」
すたすたと行ってしまうカーボンに、金魚のふんのようについていく三人なのであった。
街のなかに入ってみれば、多少おかしい雰囲気は感じるが、そこまでではない。という風だ。
焼いたくさやの臭いというのはそうとうなものであるが、口に含んでしまうと、そうでもないという感覚に似ている。
「……なんだろう。ちょっと、ぞくぞくしてきた」
たしかにプレイヤーは、ピリピリと殺気立っていたりするのも多く、穏やかではないが不思議な高揚が身をつつむような空気だった。
商人たちもしずかだというのに声を低くしてどこか忙しなく、最低限のやりとりで売り買いをしていた。
「うん。独特な感じだね。慣れたら、ここじゃないとまんぞくできないのかも」
「ナムプラーやパクチーみたいなことかねー」
「うまく差別化しているんだろう」
四人でなんとか納得したあと、すこし落ち着こうかというはなしになり、てきとうな飲食店を探したところで一軒見つけることができた。
NPCが主人をやっている店で〔ロィアル喫茶〕という。ちいさな喫茶店で、メニューもテーブルの数も少ない。
ヨシュアたちが店に入ると、笑顔で接するのは、黒い髪をリボンでひとつにまとめた妙齢の少女だった。
「いらっしゃいませ」
小柄で小肥りな男が主人だが、せわしなくしているのは、まだうら若い乙女たちだ。
黒い長袖のワンピースに、質素な白いエプロン、髪をまとめるリボンが制服であり、どこもうわついた要素がないというのに、頬が赤くなるほどに一生懸命のすがたを見ていると、なんだか喜ばしくなってくるのであった。
常連客曰く「こういうところがあるのだから、キャバクラ通いなんてことはしなくなったよ」と言う。
たしかに、たいした金も払わず――ゲーム内だから当然だ――、笑顔で初々しく接してくれるのである。お冷やがなくなったら、目の行き届きよく、すぐにおかわりをすすめてくれる。
NPCだということ考慮しても、それだけの価値があるのだった。
「四人なんだけど、入れますか?」
「はい。こちらへどうぞ」
笑顔をくずさず、黒髪のウェイトレスは右奥にあるテーブルに案内した。すぐにコップでお冷やが出された。
「ぼくはミックス・ジュースと木いちごのシフォン・ケーキお願いします」
「俺はコーヒーとモンブラン」
「あたし、このクリーム・ティってのにしてみようかな」
「俺は……フルーツ・パフェ」
黒い襤褸切れをまとう人間には、およそふさわしくない注文である。
「かしこまりました。少々、お待ちください」
それを笑うでもなく、うやうやしくあたまを下げて少女は引き下がった。
ふー。と一息入れて四人は、背もたれに寄りかかった。
「ちょっと緊張した」
「こういう畏まったところ、あんまりないもんね」
「うん。だいたい、いい年したおっさんとか、やる気のない店員がぼーっとしてるもんだと思ってた」
「ほかのNPCショップとくらべて、あきらかにちからの入れようが違うな」
いままでに四人は四つの街を経験してきたが、だいたいのNPCショップは、よくもわるくも現実に即したもので、ぼんやりした店員がオーダーを受け取ったりしていたのだが、五つめの街からはことなる印象を受けた。
「空も飛んだし、ここからが本番だぜ。みたいなこと?」
「あるね。チュートリアルが終わったと思ったら、まだチュートリアルでした。みたいなこと」
「さすがに……あるか。あたしたち、四人パーティでここまでやってこれたわけだし」
「そうだな。六人のフル・パーティじゃないと不可能のようなこともありそうだ」
なんとなくメンバーを増やそうか……ということもなくここまで来てしまったのだが、増やすとなると難しいこともある。
ヨシュアたちはPvMがメインの戦闘系プレイヤーだが、張り切って攻略しようという気概よりも、とりあえず世界をまわって楽しもうというカジュアル気質がある。
つぎの街が見たいから進んでいっているが最前線までたどり着いたとき、おなじようなモチヴェイションを続けられるかというと首をひねらざるをえない。
思わず考えこんでしまったところで、黒髪の乙女がやってきた。
ひとりでは持ちきれなかったのだろう。もうひとり、プラチナ・ブロンドの髪をふたつに束ねた乙女がやってきた。
宝石よりもまぶしく輝くその白金色に目をとられ、しばらく唖然としてしまうほどだ。
「失礼いたします」
「ご注文のほう、こちらでよろしいでしょうか」
目の前に並べられたのはまちがえようもなく、注文したものだ。
こくこくと無言でうなずくと、ふたりの乙女はしずかにあたまをさげ、
「ごゆっくりどうぞ」
と、下がっていった。
「……うーん、くやしいが完璧だ。運営め、かなりつくりこんだな」
アルミが諸手を挙げて背もたれに寄りかかった。
「キレイだけど不自然じゃない、ギリギリの境界線か。さすがプロだ」
したりとうなずき、カーボンは意味ありげにあごに手などをおく。
「いよいよ、この店のちからの入れようは尋常じゃないね」
コーヒーに砂糖とミルクをひとつずつ入れながら、クロモリはつぶやく。
「ここまで凝っていると、罠という可能性もでてくるかな」
ふとした疑問だったのだがヨシュアのその言葉は、あながち間違いとも言いきれないものがあった。
「考えてもしかたなーい。食べよう食べよう……ってなにこれっ」
クリーム・ティという言葉から連想されるのは、おそらく生クリームが紅茶に浮いたものだろう。
アルミもそういうものであろうと、すこしばかり値段が高めだったのだが、紅茶にちからをいれているのだろう、という認識で注文したのであった。
しかしそこにあったのは、キレイなきつね色をしたスコーンがふたつと、一かけのバター、こってりしたクロテッド・クリーム、小瓶入りのストロベリィ・ジャムに、たっぷりと紅茶の入ったティ・ポットと、好きなだけどうぞ、と言わんばかりのミルクと砂糖のセットだ。
もしかしたら紅茶の欄にあったミルク入り紅茶という言葉で、アルミはここがU.K.風だということを予想しなければいけなかったのかもしれない。無理難題ではあるが。
「ごっつぁんです」
「デブらねーよ! ゲームのなかだからね!」
「いいじゃないか。たしかに体重は気にしないでいいんだからね」
「そうそう。こっちもおいしそうだよ」
ふわふわしたシフォン・ケーキの断面から覗く木いちごは、じつに甘酸っぱそうな色をしていたし、白い山は名前のとおりに粉糖で白く雪化粧をされていて、フルーツ・パフェはいかにも新鮮な果実をたっぷり使っていて、シリアルでかさまししていない。
「食べよう、食べよう」
欠食童子よろしくカーボンはスプーンを構えて、がまんできないようだった。
「はいはい。いただきます」
いただきます。と唱和して、四人ともがフォークやスプーンを突きいれた。
「んー。ふわっふわ」
「……おお、和栗っぽい味がする」
「ええい、この際だ。クロテッド・クリームもいちごジャムもごってり盛って……うめー!」
「……」
カーボンだけは無心でひたすらに食いすすめていく。ハイ・ペースで食い終わり、あまりにもうまかったのか、
「もうひとつ」
乙女再臨を願ったのだった。
腹を満たした四人がすこし高めの値段設定にも納得しながら支払いを済ませていると、
「きゃあ!」
ふいに悲鳴が聞こえた
「なんだ?」
「行ってみよう」
悲鳴は、ひとつ隔てたテーブルからだった。
「どうしました?」
ヨシュアが聞くと、わなわなと震えた妙齢の乙女――彼女は赤毛で、髪をいわゆるポニィ・テイルにしてる――が、窓の外を指さした。
「あ、あちらに、わたしが見えたのです」
「……それは窓に映ったあなたではなく?」
どうにもことがつかめず、クロモリは怪訝な顔で聞いた。
「いいえ。いいえ。……この街には、あるうわさがあるのです」
がたがたと震えながら、赤毛の乙女は言葉を続けた。
「突然、じぶんとおなじ顔をしたものが現れる。それはいつしか、じぶんにすり替わろうと襲ってくるというのです」
ああ。と、ようやく四人には飲みこめた。
ドッペルゲンゲルという都市伝説だ。
じぶんと瓜ふたつのカタチをしていて、見たら死ぬというアレである。
「ふむふむ。そいつが現れたのは、はじめてなのですか?」
「いいえ。ふたりめのわたしは、もう三度もわたしの前にすがたを現したのです」
がたがたと震えながら言う赤毛の少女は、ふだんは活発で元気そうに弧を描くのだろう眉をひそめて、悲劇的に言うではないか。
「もしよろしかったら、俺たちがそのニセモノ、どうにかしましょうか」
「そんな、迷惑をおかけするわけには……でも、よろしいのですか?」
「ええ。もちろん」
ふるふると頼りなさげにハムスターのように縮こまりながら、乙女は両手でクロモリの片手を握った。
「お願いしても、よろしいですか」
「まかせてください」
フレンド・メッセージでクロモリに「むっつりすけべ」というメッセージが三通届いた。
「こーの、クソガキ。女の色香にやられやがって」
「いや、ちがうんだ。あれはしょうがないじゃないか、ねえ?」
クロモリは応援を頼むのだが、ヨシュアとカーボンはそっぽを向いた。
「ノー・コメント」
「ぼくたちは手、握られてないし」
「おーい!?」
「まったく、男ってばこれだから」
ぶつぶつと言いながらも、アルミとてしょうがなくは思っているのだ。
クロモリが返答したとたん、四人のスタータス・ウィンドゥが更新された。
さっきのは、街中で発生するフリー・クエストのひとつであった。
〔乙女のピンチ、二重存在の影〕というタイトルであるから、動機はともあれ、これを受けた奴が〔すけべ〕であるということは隠しようがない。
「……こ、これからのことをはなそうじゃないか。そのほうが建設的だと思うね!」
「あ、話題そらした」
「はなしあおうじゃないか!」
「ま、いいけどさ」
強情かつ、突っこめば脆そうなクロモリに折れて、四人ははなしあうことにした。
しかし現状、なんの情報もありはしない。ということで、結論は早かった。
「それじゃあ、聞きこみ調査ってことで。ピリピリしてる人にはなしかけるのは怖いけどさ」
「オーケイ。じゃ、一五分後にまたここで」
「あいよ」
「わかった」
「行ってくる」
四人は散らばって、情報をかき集めることにしたのだった。
一五分後に再集合した四人があつめた情報をまとめると、こういうことになる。
鏡の街という由来は〔二重存在〕が存在するということからとられた。
二重存在は街の周囲にはMOBとしてたくさん配置されているが、街まで入りこむことはまずあり得ない。
もちろん、クエストを除いて。
クリアする方法はふたつあり、ひとつは護衛して襲ってきたところを倒すというもの。
もうひとつは手当たり次第に街を探索して、赤毛の少女に変身した二重存在を探し当てて倒すというもの。
四人の解答はいうまでもなく、地図の穴埋めも兼ねて探索ということになった。
「じゃあ、いこうか」
「装備はしっかりね。街中で戦闘になりそうだし」
「ロング・ボゥはまずいよね。ショート・ボゥかぁ」
「近接スキルも取っておけばいい」
「やだよ。せっかく伸ばしてるんだもん」
所詮、フリー・クエスト。そういう思いが四人にはあったのだろう。
彼らは感じていたはずなのだ。五つ目の街からが本番なのではないかと。
数十分後、それを実感することになる。
聞きこみを開始すると街中のNPCはクエスト状態になっていて、はなしかければ情報を教えてくれるようになっていた。
途中、比較的ピリピリしていないやさしそうなプレイヤーに話しかけることもでき、居場所をすばやく特定することができた。
鏡の街・フラヴィの東側にある白い外壁と赤い屋根が特徴的な一軒家に、出入りするのを見たという。
念のために〔ロィヤル喫茶〕の赤毛の乙女に訊ねると、そんなところには住んでいないという確認がとれた。
「ってことは、これで確定だよね」
「かな。確信はないけど状況的にはここでいいと思う」
「突入するか、おびきだすか」
「あたし的には、屋内だと誤射がこわいな」
しかし、そうすると不意打ちの利点を消すということになる。
そのことには四人も気づいており、メリットとデメリットがはっきりしているので突入しようか。ということになった。
だがその会議には、およそ一分ほどの時間が費やされていた。それは家の住人が気づくには充分な時間だ。
「きゃあ! 変なひとが家の前に!」
窓の奥から赤毛の乙女が叫んだ。それを聞きとって、周囲のNPCがじろじろと四人を見つめてくる。
「えーと、いや、その」
「なんでもないでーす」
「撮影なんで、ちょっとハケてもらっていいすか」
「すみません」
と、誤魔化そうとするのだが、視線は層倍につよくなるばかりだ。
たらり、とヨシュアの額に汗が浮かんだ。そのうちに三人、四人とじろじろと見てくる数が増えてくるのに気づく。
「もしかしてこれって」
「確証はないが試すか?」
指先を輝かせてカーボンが聞いた。基本的に街中で攻撃系魔法を使うというのは、マナー違反である。
それをおしてもやるか、というのだ。
「いや、そんな必要はないよ」
白いドアに手をかけながらアルミが言った。解答を待つでもなくノブをひねって開けようとする。
すると、周囲のNPCたちが機敏に反応した。
「なにをやっているんだ」
「やめないか」
「かってに人の家へ入るなんて」
「よくないぞ」
それでアルミは確信を持った。こいつらはNPCはNPCでもMOBだ、と。
通常のNPCならば、ちらりとは見てくるがさして気にもとめず、ルーティン・ワークを果たすためにどこかへと行ってしまう。
要所以外のNPCには、それほど高度なAIが搭載されていないからだ。しかしここで反応したということは、それなりのAIを積んでいるという疑惑を得られる。
「なぁるほど。だったらイケるね」
銀製ロング・ソードを引き抜いて構え、クロモリは腰を落とした。迎撃の用意である。
「開けるよ」
ギィ、とたてつけの悪そうな音を鳴らして、白いドアが外側へスウィングした。その途端、NPCたちの本性がむき出しになる。
ドアに手をかけるアルミ目がけ、NPCであったはずの四人が殺到した。あきらかに過剰な反応だ。
カーボンが後退してドア側へ寄るとおなじく、ヨシュアも腰から銀製チンクエディアを抜いた。手を伸ばしてくるいちばん前のNPCへ向けて、空いているほうの手で掌打を繰り出した。エフェクトが散り、手応えが伝わった。しかし違反行為の警告によるのビープ音は鳴らない。
その途端、クロモリは下から擦りあげるようにして剣を天へ跳ねた。ヨシュアが掌打を食らわせたあいてとはまた別に、もうひとりのNPCを切り裂く。やはり警告はされない。確信へ至る。
切り裂かれたNPCと掌打を食らったNPCは、にやり、と笑った。そのことに不気味なことを感じたヨシュアとクロモリは眉を顰める。しかしそれを理解するのはたやすいことだった。
NPCたちのすがたが、一瞬、真っ黒に染まったかと思えばことなるカタチをもって現れたのだ。
そう。ヨシュア、クロモリ、アルミ、カーボンの四人になって。
「え、ぼくたち……?」
「やっぱり、変身するタイプかっ」
そのすがたは装備さえも真似しており、銀色の輝くナイフが掌打をし終えたままのヨシュアを襲った。
「うそでしょっ!?」
銀線が奔りワーム・シェル・アーマーを貫いてダメージとなった。HPを一割ほど削られ、しかも伸びた腕を絡めとられて逃げることもままならない。
睨みつけると、頭上のアイコン名称が変更されていることに気づけた。
その名も〔姿写しのリフミラ〕である。
「それがドッペルゲンゲルの正体か!」
自分のすがたに変身を遂げた〔姿写しのリフミラ〕へ剣を向けながら、アルミとカーボンになったのこりふたりをどう対処するかを思案する。ヨシュアは強制的に一対一にもちこまれ、近接されたらアルミの弓はおろか、カーボンの魔法構築すらままならない。
じぶんひとりで三体を抑えきれるか?
その考えは一笑に付す。完全壁型ならばともかく、防御もできる攻撃役という立場のクロモリでは不可能に近い。
ではどうするか。
「逃げろ!」
単純明快だ。勝てないのであれば逃げるよりほかない。うなずいて、カーボンとアルミはドアから離れ走り出す。
それを逃がすまいと迫る偽カーボンと偽アルミに対して、クロモリはわざと大振りを放った。かする程度には当たったが、HPはわずか数ドット減るばかりだ。
その隙に乗じて攻撃してくる偽クロモリの攻撃が伸びた腕を切り裂き、HPが一割ほど減った。そしてまた隙のできるクロモリに、ニセモノふたりが目標を変えてくる。
「おおおぉぉっ!」
手を振りきり、ヨシュアが隙を晒すことを覚悟でチンクエディアを光で染め上げた。
拙速を尊んだ〔箭疾歩〕が、そのからだの最速を引き出す道をガイドする。
ヨシュアのなかでもっとも高いステータス値AGIが、残像すら見えるほどの高速をたたきだす。
「ふっ!」
偽カーボンの黒衣とともにHPを一・五割ほど切り裂いた。これがレア・ドロップ装備に変更されていなければ、二割にも届いただろうが仕方がない。
しかし、それでも三体抑えるのがやっとだ。偽アルミは矢筒から矢を取りだし、これを短槍のようにして無防備なヨシュアに突き刺した。
スキルもなく技もないが、それでもHPが五パーセントほど光の粒となった。部位防御システムのデメリットがでている。
偽ヨシュアが刃をひらめかせた。彼らは姿、武装は写しとるがスキルと技は映らない。それゆえの姿写しである。
最速のヨシュアにはかなわぬが、しかしSTRを優先しているクロモリにとって、偽ヨシュアが放つAGI任せの攻撃は驚異だった。
高性能AIが制御する軽業はクロモリの目を翻弄し、針に糸を通すようにしてそのHPを的確に奪いとっていく。
そこへ、ようやくカーボンの援護が飛んだ。
「〔光・連・礫〕、〔風・揃・靴〕!」
五つの光弾が分かれて飛び、ふたつが偽ヨシュア、のこりひとつずつが偽クロモリ、アルミ、カーボンたちへ迫った。
偽ヨシュアが一発は避けたもののもう一発を食らってうごきを止め、偽クロモリには背中のカイト・シールドで防御されたが、偽アルミ、カーボンにはそれぞれクリーン・ヒットし、HPを削ることができた。
「〔啄木鳥〕!」
アルミのほうもショート・ボゥを抜いて、矢をを猛然と放った。多段攻撃判定のある矢が偽クロモリの構えたカイト・シールドを圧し崩す。
勝負どころだ。
ここで決めきる。
そういう思いをのせたヨシュアは、カーボンの魔法で一時的に増強されたAGIの恩恵を発揮して、緑色のオーラを引き連れながら偽ヨシュアへと迫った。まだ倒すべきあいては残っているので、短剣技のような技後硬直のあるものは使いづらい。
しかし、うごきの止まった軽量型ほど脆いあいてもいない。防具に覆われていない首を狙い、短剣を突き入れた。
「しっ!」
そのまま横へ掻っ切り、切っ先は反転して吸いこまれるようにして瞳のなかへ。銀線が顔面をふたに割って、偽ヨシュアは金切り声の悲鳴を上げて光になった。
STRとAGIを備えたクロモリは、アルミの矢に押しこめられた偽クロモリへ向けて乾坤一擲の袈裟斬りを放った。直撃し、衝撃でがら空きと頭上から唐竹を打ちこんだ。これも金切り声をあげて、大量の光粒となる。
のこった偽アルミと偽カーボンは、捨て身のようにして写しとったホンモノへ向けて走りだした。それを本人が迎撃することもなく、うしろからクロモリとヨシュアが両断し、四度目の花火を打ちあげさせる。
「ふぅ……」
ヨシュアはぐったりとするが、実のところまだなにも解決していない。赤い屋根がある家の赤毛の乙女を倒さないことには。
しかしそれも時間の問題だ。偽乙女がドアから飛びだして逃げようとしたところを、クロモリが捕まえた。
そしてカーボンの魔法によって倒され、ようやく事件は解決を得たのだった
〔ロィヤル喫茶〕にて、クエスト解決の報酬である〔無料サーヴィス券・一〇回分〕と赤毛の乙女のプライヴェート・アドレスを手にいれた。
とくに英雄のごとき振る舞いをしたクロモリは気に入られたようで、なかなかの厚遇を受けられることにあいなった。
しかしながら、一行の胸には去来するものがある。たかだかステータスと装備を真似られただけのあいてに、ともすれば敗北寸前まで追いつめられたことだ。
負けそうになったこともあるし、大食いワームに殺されたことなど記憶にあたらしい。しかしそれらはあいてがじぶんたちよりも強大であったり、多数であったばあいにかぎる。
互いのたたかいで敗北必死となったのは、このたびがはじめてなのだった。
もしかして、じぶんたちは思っているよりも弱いのではないか。
そういう考えがこころのうちを占めており、純粋に喜べないのであった。
喫茶店をでて、四人はため息を吐いた。
薄暗い街にも夕日がかかり、影の栄える時刻となっていた。白と黒、そして橙色のコントラストは不気味なほどにうつくしい。
夜、月が街を照らすようになって、はじめて真のすがたを見せるのかもしれない。
なめらかな白い壁によりかかって息を吐きながら、四人はただぼーっと空を見上げている。
そのうちに夕暮れはだんだんと夜のカーテンに侵蝕され、覆い隠されてしまった。
いまでは天幕にあいた穴からわずかに覗く光が見えるばかりだ。
街全体で火を灯し、星を反射したように輝きだした。鏡の街、である。
「そろそろ、どこか行こうか」
「そうだね。こうしていてもしょうがない」
「……なんかちょっと疲れたかな。どこかでうまいものでも食べようか」
「そうだな。それもいい」
四人が歩きだし〔ロィヤル喫茶〕ではなくべつの店へ入ろうかと、うろうろしていたところだ。
ヨシュアはふと、知っている人影を見たような気がした。なにしろ光は灯っているが、昼間ほど明るいわけではない。
見まちがえか、と目を凝らせばやっぱりそれは知った人物だった。
「もしかしてディルージョン?」
声をかけられたエルフの男がふりかえる。
「うん? ……ああ、あの時の。もうこんなところまで来たのか」
眉を上げて、不意打ちにびっくりしたような古くさいアクションをしてから、ディルージョンはにっこりと笑った。
「知りあい?」
じぶんの知らない男なので、アルミはヨシュアに訊ねた。
「うん。はじめてPWOに入ったとき、お世話になったんだ。ええと、こちらはアルミ。ローブのがカーボン。で、盾を背負ってるのがクロモリ」
三人は、ぺこりとあたまを下げた。知らないプレイヤーあいてなので、さすがに緊張しているようだ。
「世話したってほどじゃないがな。しかし、その恰好を見ていると……エルフで短剣使いか?」
街用に武装解除していなかったヨシュアをじろじろと観察して、ディルージョンは推測する。
「はい。結局、そういうことになりました」
「なんだか不遇の道に引きこんだようで、悪いことをしたような気もするな。けっこう苦労してるだろう?」
「ええと、その……まあ、ないとは言えないですかね」
さすがに苦笑せざるをえない。つい先ほども、苦労したばかりだ。
「正直でいいことだ」
ディルージョンも苦笑を隠せない。
「だったらちょうどいい。先達としてアドヴァイスのひとつでもするよ。こっちもちょうど仲間がいるんだ。いっしょしないか?」
くるりと振り向いてヨシュアは三人に目で意思を確認する。じぶんたちだけで落ちこむよりはいいと、三人はうなずいて了承した。
「ぜひお願いします」
「オーケイ。ま、ゆっくりしていけよ。この街から先は、かなりヘヴィだからな」
ディルージョンに誘われて四人は、〔シロクロ屋〕という食事処の個室へ入っていった。
その店は激しいコントラストが特徴的な店で、いたるところに白と黒のモノクロームを意匠したふしぎな店だった。
初見ではかなり面食らうものの、街自体がそんな造りのせいか、四人はすぐに慣れることができた。
「こっちがおれの連れ。〔ニカワ〕と〔エノキ〕だ」
「うぃす。ニカワちゃんです。よろしく」
「おぃす。エノキくんです。よろしく」
四人の挨拶もおわり、まずドリンクを注文したあと、ニカワとエノキはしげしげとヨシュアを見つめる。
「な、なんですか?」
「いや、これがディルが犯した罪かと思うともうしわけなくてねぇ」
「じぶんがニッチなもんだから、こいつ、エルフの村でおなじ道に引きこもうという悪の洗脳をしてるんだよ」
「そんなことしてないだろ。……結果的にそうなることはあるけども」
「ねぇ。わるいやつでしょう。きみたちはこんなエルフを信用しちゃいけないよ?」
フレンドリィにしてくれたことで、四人は緊張をほぐすことができた。
すぐにドリンクがやってきた。そして追加で食べるものを注文して、また店員が下がる。
「で、なにがあったんだ? ずいぶん落ちこんでいたようだけど」
冷えたエールをごくりとやってから、ディルージョンが聞いた。
「え、なんで?」
「話してみろよ。ニッチな道に引きずりこんじまったのはたしかだから、相談ぐらいはのるよ」
ふいに、なにもかもをぶちまけてしまいたくなった。
そういう気分にさせる男だった。ヨシュアたちは、先ほどのことをぜんぶはなしてしまう。
「ふーむ」
腕を組んで、ディルージョンはすこしのあいだ目をつむった。
二回ほど指で腕をたたき、目をひらく。
「だったらちょうどいい。ここは強くなるためのメッカだ」
「え、それはどういう……」
「リフミラ族。姿写し、技写し、呪文写しなんてのも居るな。そいつらは、お前たちのちからを参照して強くなったり弱くなったりする」
「はい。その姿写しに、ぼろぼろにされました」
「だからだ。ここは対人戦で、どうやって戦うかを煮詰めるところなんだよ。街にはピリピリした奴が多いだろう?」
「ええ。そう思っていました」
「あいつらは四六時中、どうやったら強くなれるかを考えている。おまえたちはPvM専門だったんだろう。しかしここから先はAIのレヴェルが上がる。PvP用のプレイヤー・スキルを覚えておいたって、損はないぜ」
カーボンが会得した〔二重魔法〕とて、もともとはPvP用に開発されたプレイヤー・スキルである。
アルミが使う〔連射〕も、GvGで密集地帯を狙う技術だ。
たしかにPvP用のスキルは使える。なぜならば高い知能を持つ人間あいてに通用する実践テクニックだからだ。
「つまり、ぼくたちはまだこの先には……」
「通じないんだろうな。この街はその為にある」
おまえたちは弱い。
はっきりとそう言われて、むしろヨシュアたちは清々しいほどだった。
しかも強くなる手段がわかっているのなら、やりようはいくらでもある。
「なるほど。ありがとうございました。助かりました」
「いや、なに。……そうだな。せっかくの後継者だ。すこしぐらいなら教えてやるよ」
「いいんですか?」
「いいさ。忙しいってほど予定もないし、なあ?」
ディルージョンが聞くと、
「あーあ。はじまったよ。ディルのえーかっこしーが」
「まったくだ。こいつはいつもいつもそうなんだ。……まあ、PvPのたのしさを教えこんでやるぐらいはいいけどね」
「こいつも裏切ったよ! いいさいいさ、おれだって教えてやるよ。おれもA(C)だ」
「ありがとうございます!」
という四人の声が重なって、ヨシュアたちは図らずも強くなるための近道を歩けることになった。
*
「準備ができたらいいぜ。全力で打ってこい」
腹を膨らませてから、ヨシュアたちは街を出て林のなかへ来ていた。
そこにいるのはヨシュアとディルージョンだけで、ニカワとエノキはまた別のところで、他の三人の面倒を見ている。
スタイルのちがうプレイヤーが指導しても、それは効率的ではない。という考えによるものだ。
幸いにもディルージョンが組んでいるパーティに弓使いがいたので、ニッチな職業のアルミもマン・トゥ・マンで努力に励んでいるようだ。
「いいんですか?」
とは言うものの、PvP経験のないヨシュアにとってけっこうな勇気が必要なことだ。
憎くもないし、むしろ恩義すら感じているあいてに攻撃するというのはむずかしい。
「ああ。じぶんが最善だと思う方法でやってみろ」
指をこいこい、と動かしてウィンクすらやってみせるディルージョンに、すこしばかり勇気を覚えたヨシュアであった。
ふたりの距離は五メートルほどしか離れておらず、その気になれば一秒とかからず攻撃できる間合いだ。
とくにAGIを高めているプレイヤーにとってはなおさら近い。
ディルージョンは、手に刃渡り三〇センチほどの無骨なナイフと、以前見た茶色い地味な革鎧のすがたで、どうにも強そうには見えなかった。
しかし強いのだろう。それを信じて、ヨシュアは手の中の銀製チンクエディアを握りなおした。
「じゃあ、行きますからね」
「限界までやってみろ。もしかしたら当たるかもしれない」
――甘くみすぎじゃないのか。
その高いたかい上空からの目線をすこしでも下げてやろうと、躍起になって一歩踏み出した。
前にだした右脚が地面を蹴りつけた瞬間、そのからだは風圧を感じるほどに加速をはじめる。
短剣技〔箭疾歩〕をガイドなしで放つような高速の一撃が放たれた。
虚空へ銀線が奔る。
そう、虚空へ。
そこにディルージョンはいなかった。
「おお、はやいはやい。さすがに短剣でやってきただけはあるな」
ヨシュアの真横からその声はした。攻撃にあわせて斜め前に踏みこみ、先読みをしたかのように回避したのである。
「っ!」
反射的にその方向へ短剣を向けるが、しかしそこにもディルージョンはいない。すでに三メートルは離れた位置にいる。
驚異的なスピードのステップだった。ヨシュアが疾風だとしたら、ディルージョンは稲妻だ。雷鳴のごとくひらめいて掻き消えるように移動する。
――これがレヴェルの差か?
そう思わずにはいられないほどのちがいがあった。
だが実のところディルージョンはそれほどすばやくうごいているわけではない。ヨシュアのAGIで充分、捉えられるほどのスピードでやっているのだ。
ではなぜか。
その正体を悟らせるために、ディルージョンはヨシュアに攻撃させているのだ。
「限界までやれって言ったろ。じぶんの性能をぜんぶ使うんだよ」
ガチン。とヨシュアのなかでスウィッチが入った。
この人は、じぶんが最大だと思っている攻撃をしてもまだ届かない場所にいる。
それを理解してエンジンがかかり、ギアがひとつ上の段階へシフトした。
今度こそ。
その思いを抱いて疾風はいまふたたび、稲妻へ挑む。
踏み込みからの斬撃は回避され、反転しての刺突は紙一重にて虚空を穿つ。
そのまま得意の平突きへの変化を読み切ったかのように沈みこみ、ヨシュアの側面をとおりぬけて、肩を二度ほどたたいて励ましながら背後へ。
「っ……らぁ!」
反転ではなく逆手に持ち替えての後方への刺突を、腕を掴まえて丁寧にエスコート、一本背負いのようにして投げ飛ばした。
「なるほど。たしかにさっきよりも速い。だがそれじゃあいつまでたっても届かないな。あいてを見ろ。冷静にだ」
いつか、うさぎを倒すことすら苦労していた時代、ディルージョンは行動で教えたはずのことを口にする。
沸騰寸前の思考のなか、ヨシュアは差し水のように染みこんできたその言葉を反芻した。
「冷静な、観察?」
「そうだ。考えろ」
なぜ届かないのか。その解答がそこにあるという。
ぎちり、と奥歯が軋むほどに噛みしめてヨシュアは、必死にあたまをクール・ダウンさせようとした。
収束していた視野が広がり、すこしずつあたりの風景が見えてくる。
いつしか肩がはげしく上下し、呼吸はひどく荒かった。
立て直すあいだ、ディルージョンはしずかに待っていてくれた。
冷えたあたまで考える。あの時、ディルージョンはなにをやっていただろう。
石を投げる――ちがう。
むかってきたあいてをすれちがい様に斬る――そうじゃない。
あいてをよく見て、攻撃を躱す――それだ。
このときになって、ヨシュアはようやくじぶんがやっていたことに気がついた。
攻撃や防御とは、じぶんをぶつけていくものではなく、あいてを見てそれに合わせていくものだと。
初歩の初歩に教えてくれていたというのに、それを見逃していたおのれが恥ずかしくなり、ぐっとうつむく。
しかしそれも数秒で終わらせた。
「気がついたか?」
「はい」
なぜ石を投げつけてまで先に攻撃させるのか。スピードがあるなら先に攻撃してしまえばいい。
そういうヨシュアの考えかたはバラバラに崩された。
冷静になってよく見て、それから攻撃を当てるなり防御するなりする。
それが間に合うがゆえのAGI型。すなわち、究極の後だしじゃんけんにも等しい。
秒間最大火力をたたきだせるという短剣技という数字ではなく、AGI型でも一、二を争う速度こそが真価なのだ。
どんな攻撃だって当たらなければ意味がない。それゆえの絶対防御。
ヨシュアはある種、開眼した。
「だったら、やってみろ。今度こそ、限界までだ」
「……ありがとうございます」
気づかせてくれたこと、そして勘ちがいをやさしく正してくれたことに。
否定するのではなく、悟らせるという面倒な方法をとるのはむずかしいことだろう。
感謝の気持ちで、その恩義に答えようとヨシュアは、銀製のチンクエディアをやわらかく握った。
そして、歩いた。
走るのでもなくステップでもなく、ゆっくりと優雅ささえ感じさせる速度で。
デートの待ち合わせ場所へ向かうの少女のような軽やかさで。
ふたりの距離が近づいていき、手を伸ばせば触れられるような間合いになり、ヨシュアはにこりと笑った。
「いきます」
「そうしてくれ」
右腕が奔った。それに対応しようとするディルージョンのうごきを、ヨシュアは目を見開くようにして見つめた。
ずっと防御の見とり稽古をさせてくれていたのだ。そのことに気がつけていれば、と苦悩するがしかしそれよりもまず、いまを飲みこんでいく。
そこからのヨシュアは手数を繰りだし、ディルージョンの防御の多彩さを見つめるばかりであった。
ボクシングのスウェイやダッキングなどの上半身のつかいかた、なんらかの武術であろう下半身のつかいかたから、手を使って攻撃軌道を逸らしたり、視線でミスリードを誘って無意識に攻撃を誘導させるようなものまで。
そのすべてを見て、ヨシュアはじぶんの脳内データ・ベースへ蓄積していく。ふたりでいる時間は、データ的なモノではなくプレイヤー・スキルとして膨大な経験値となって、ひとりの短剣使いを急速につくり変えていった。
やがてヨシュアにも防御技術のいくらかが飲みこめたころ、勝負にでた。
視線誘導による防御はすなわち、攻撃時のフェイントにも応用できる。
ちらりと見た場所とはまた別のところを攻撃するが、しかし本家本元のディルージョンには通用しない。
「くっ!」
「まだまだ。もっと素早く。もっと冷静で、もっと正確に!」
「っぅああぁぁぁ――!」
いつか死神と戦ったときの感覚がよみがえり、ヨシュアを加速させていく。しかしそこに熱はない。
もっと速く。もっと冷たく。もっと確かに。そして、もっと先へ。
遥か先に立つディルージョンが待つところへ届けと、ヨシュアは手を延ばす――。
「意外と速かったな。もう掴まえられちまった」
肩をすくめて、ディルージョンは古くさいリアクションをとった。
ヨシュアの手の先、そこに感触があった。
武器を持っていない左手だけれども、それはたしかにディルージョンの革鎧に触れていた。
「……やった」
そのまま崩れ落ちようとするヨシュアへ、ディルージョンがあたたかい言葉をかけてくれた。
「攻撃はそこそこやれるようになったか。こんどは防御だな」
「え……?」
「おいおい。AGI型短剣使いの神髄は防御だとわかったばかりだろう。むしろここからが本番だ」
お返しとばかりに、ヨシュアがディルージョンに好き勝手に殴られるという地獄の一丁目がはじまった。
手加減のつもりなのか、ナイフではなく素手による攻撃なので、なおさらボコボコという表現が似つかわしい。
「ほら、そこ!」
「うわっと、あっ!」
貫手がワーム・シェル・アーマーに突き立った。ナイフを持っていたのなら、それで二割は持っていかれている。
「確認が甘い。いいか。どんなゲームにも言えるが、特にAGI型はミスっちゃダメなんだよ。続けるぞ」
「はい」
それから攻撃の何倍もの時間をかけて防御をある程度習得したヨシュアは、だいぶ疲れた様相で地面にへたりこんでいた。
「お疲れさん」
と、ディルージョンがヨシュアに放ったのは、刻んだドライ・フルーツがふんだんに入ったビスケットだ。
「ありがとうございます。……あ、これ。懐かしいや」
「疲れたときには甘いものっていうだろう」
彼自身も取りだし、かじっていた。
ヨシュアは手でぱっきりと割ってから、一片を口に放りこむ。
素朴なビスケットとドライ・フルーツの食感のちがいと甘みが、精神を癒してくれるようだ。
「うまい……」
過去にもそう思ったがヨシュアは、いまでもそう思えるのだった。しみじみと、うまい。
「おれが教えるようなことは、教えてやった。あとはじぶんでやれそうか?」
以前のときも聞かれたその質問に、ヨシュアはなんと答えただろう。「なんとかやってみます」だ。
なんとかなどできていなかった。しかも、こんどの問いは重みがちがう。
かんたんに返していいのか。そう思考するが、胸に浮かぶ解答はかわらない。
「自信はないけど、やってみせます」
「いい答えだ。だったらつぎはPvPの戦場か、最前線で逢おう」
「追いつきます。かならず」
手を振って去っていくディルージョンにあたまを下げた。あげた頃には、もうそこにはいなかった。
フレンド・メッセージで確認をとると、クロモリたちも練習を終えたという。
集合するかという問いに、スターテス・ウィンドゥの現実時間を見て決める。
すでに午前六時を回っていた。そろそろ起きなければいけない時間だ。
また今度というメッセージを送ると、すぐに了解、おはよう。というメッセージが三人から帰ってくる。
「おはよう、か」
おやすみでないことに、くすりとした笑いが浮かぶ。
ヨシュアは街へ戻り、宿をとってからステータス・ウィンドゥを操作し、ログ・アウトのボタンをえらんだ。
景色が一変し、視界は黒一色に染まった。
現実へと戻ってきたのだ。
ヘルメットをどけると、ちゅんちゅんという小鳥の鳴き声がしていた。
カーテンの隙間から差しこみ日は白い。
疲れ切っていて、いまから寝たいほどの思いなのだが、そうもいかない。
すくなくとも両親へ朝の挨拶ぐらいはすませておく必要がある。
おまけに、ずっと覚醒を続けていた脳と腹が不満を訴えていた。
義明は棚に置いておいた着替えに袖をとおしてから、眠気をどう覚ますかを思案しはじめた。
ゲーム内で過ごした一晩は、かならずしも現実には悪影響だけをおよぼすものではなかった。
開眼したという事実は、現実にも適用される。
もっと速く。もっと冷たく。もっと確かに。その思考はどんな事態にも役立つものだ。
そして攻撃ではなく防御が正しいという視点の変更は、問題点を洗い出すときには、物事を別の方向から見てみるという考えかたに繋がる。
なによりも、じぶんの性能をただしく使う――ポテンシャルを生かしたやりかたを見つけるというのは、非常にためになった。
一刻もはやく寝たいぐらいのはずなのに、義明がやったきょうの分の課題は、いままでのどんな時よりもはるかに捗っていた。
課題を終えた義明は、さすがに昼食までの時間、仮眠をとるためにベッドへ横になるのだった。