09 遺跡
そういえば、ヨシュアは岩と鉄の街・トゥエズに着てから、ろくに料理をしていなかったことを思いだした。
というよりは金を持ってから、が正しいか。消耗品を買えるだけの余裕ができたといえば聞こえはいいが、そのせいでスキルは育っていない。
しかし、いまはなにも食べたくないので保存食か、あるいは回復効果のある薬膳の開発をする、ということになる。
「ワームの肉は、薬効あるのかな」
似たようなすがたの蛇というのは、むかしから漢方に使われ、その抜け殻すらも蛇退皮などといって、解熱、鎮静の薬となる。
であれば蛇ならぬ、手足のない竜など絶好の素材ではないか。
「……ま、やってみるか」
素材だけは、まさに腐るほどたまっているのだった。
岩と鉄の街にもレンタル・キッチンはあり、ヨシュアはそこを借りて、まずどれほど薬効があるか、というのを試してみた。
いくつもの素材をあらためた結果、いちばん効果があったのは、甲殻ワームの外皮を細かく砕いたものと、黒焼きにした穴掘りワームをすりつぶしたものをあわせた粉末薬であった。
これを煎じて薬湯にした青汁ならぬ黒汁は、とても苦い。苦くてまずいが、効果はある。
しかし味覚的効果のせいで、ステータス的ではないバッド・ステータスが存在する。
そこでヨシュアはこの粉末を小麦粉に混ぜ、パンを焼いた。
こうなると全粒粉のパンのような存在となり、すこし気にはなるがさほどまずくはなくなった。
そこへ、ワームの肉と多少の薬草を組み合わせたハンバーグを挟みこみ、〔ワーム肉のハンバーグ・サンド〕という一品を完成させたのだった。
味覚的にもパンの風味をハンバーグとソースの旨みが中和し、なおかつワームとワームという組み合わせがむしろ引き立てあう。
アイテム効果的にも軽度のステータス回復と、HPを約三五パーセントじょじょに回復させる効果がある。
バッド・ステータス回復ではなく、ステータス回復というのがミソで、これは支援の効果も消えてしまうものだった。
使いどころはむずかしいが、有効に使える場面があればいいな、というのがヨシュアの楽観である。
ヨシュアは残った時間でこのハンバーグ・サンドと、第二の街・リペルーマ時代から、いざという時に使用していた一時的にSTRをすこしだけ強化する〔大鶏のフライド・チキン〕を量産し、キッチンを後にした。
「そろそろかな。ああ、やっぱり」
フレンド・リストを見れば、クロモリ、アルミ、カーボンの三人はオンライン状態であるようだった。
おまけに、いまどこにいる? というメッセージも来ているではないか。
すぐにメッセージを返して、鉱山で稼いでいた時に知り合ったプレイヤーの店〔コウテツ鍛冶屋〕へ集合することになった。
コウテツ鍛冶屋の主人は、言わずもがなコウテツというプレイヤーだ。
名前どおりに角張った容姿で鉄のように無口な男ドワーフだが、行動のすべてが細々としたもので、ぴよぴよと小股で歩いたり、甘いものを頬張るときに満面の笑みになってしまったり、すこしばかり中の人が透けてしまうところがきわめてチャーミングである。
こういうところをたまらなく気に入って、ひいきにしているのだった。
「甘いものでも持っていこうかな」
アイテム・ストレージを確認すれば〔胡桃だんご〕と〔紅茶入りパウンド・ケーキ〕がある。
以前、買いもとめてそのまま忘れていたものだ。
「遺跡にいく前だし、これでいいか」
まるで餌づけだな、と思いつつヨシュアはコウテツ鍛冶屋へ向かった。
ひしめくように鍛冶屋が建ちならぶ広々としたストリート、通称〔鍛冶屋どおり〕から、ひとつ外れたところにコウテツ鍛冶屋はある。
なんといっても鍛冶屋の聖地とも言うべき場所だから、名だたる鍛冶屋のほとんどは、前線かこの街にいるのだ。
そんな状況のなかで、たったひとつしか外れていない場所に店を構えられるというのは、かなりの腕前――ひいては資金力を持つことを意味する。
事実、なかなかに繁昌しているようで、修理などはここでないといけない、という固定客もいるようだ。
店先まで来ると、ヨシュアはその前で会話をしているクロモリ、アルミ、カーボンの三人を見つけた。
なぜ店に入らないのだろう。と思えば、ドアには〔CLOSED〕の文字がかかっている。
残念ながら萌えキャラのコウテツは、外出中であるらしい。
「こんばんは。お待たせしました」
「いやいや。しかし夜に逢うって言うのも、わるくないものだね」
「そだね。なんか、ちょっとわくわくする」
「禁じられた遊びだな」
こどものころに秘密基地をつくり、友人たちとそこで放課後をすごしたという経験を持つものもいるだろう。
ふだんできないことをするというのは、そういう感覚に近い。
誰かと共有しているが、大多数には教えていない〔隠しごと〕である。
秘密というのは、知っているだけで愉快なものだ。
「そいじゃ、さっそく行こうか」
アルミが言うと、みんながうなずいた。
時間はたっぷりあるといっても無限ではない。
「準備OK?」
「うん」
「いぇーす」
「ああ」
「なら、いこうか」
といっても、いきなり〔遺跡〕へ向かうわけではない。
攻略サイトなどを参照して、まずは事前に採掘組合へと向かう。
採掘組合は誰かが所有する鉱山などへ向かうときに採掘許可証をだしてくれる場所で、これがないと採掘スキルを持っていても、なにもアイテムが取得できない。
別にそんなことまで凝らなくとも。と、プレイヤーは思うのだが、それによってアイテムをチェックして、買い忘れなどをふせげたというプレイヤーもいるので、まるっきりデメリットだけということはないようだ。
さて。では遺跡と採掘組合の関係はというと、これも一応のところ遺跡から〔発掘〕が可能なので、採掘組合の管理におかれている。
しかし、今回は攻略をするためのもので〔発掘〕は関係ない。だが行く意味はある。
「すいませーん、クエスト一丁おねがいしまーす」
「はいはい。なんのクエストでしょう」
カウンターの奥から、六〇は超えているように見える老婦人がよちよちと歩いてきた。白い髪をヘア・スライドで上品にまとめている。
遺跡に関しては調査クエストが出ていて、条件を満たせば攻略のおまけに、クエスト完了で報酬があるのだ。
「遺跡調査をお願いします。四人前」
「えーと……ああ、はいはい。四人分ね」
ぺらぺらと資料をめくって、ブックエンドからファイルを取りだし、紙を四枚抜き出す。
これにサインをすれば、クエスト依頼受注は完了である。
もはや数百、数千、数万人がクリアして調べ尽くしているダンジョンではあるが、遺跡調査。これほど冒険心躍ることばもすくないだろう。
「ちょちょいのちょい、っと」
四人がサインをし終えると、老婦人はメガネをかけ直してペンの跡をにらむように見て、ふっと笑顔になった。
「はい。確認しました。それではがんばってくださいね」
「どうもー」
ということで、ほんとうに準備完了となった。
「やさしそうなおばあさんだったね」
「どうかなあ。そうとうなやり手かもよ」
「まっさかー。孫とかかわいがってそうじゃん」
「あの歳ではたらいているのだから、敏腕でもおかしくはないな」
採掘組合の帰り道、他愛もないことをしゃべりながら、すこしずつ緊張と集中力が、からだを満たしていくのを感じる。
それが四人がここまでやってきて得た、彼らなりのリラックスと集中の方法なのだった。
最後に、街の入り口で装備を確認する。
「えーと……よし。予備の武器もある」
「甲殻は硬いからね。消耗がキツいよ」
「矢もたんまり持ったー」
「俺は特に、準備するようなものはないな」
ヨシュアは甲殻ワームの外殻を使ったシェル・アーマーでまとめ、軽さと防御力を両立させた装備だ。武器は銀製チンクエディアを用いる。
遺跡には不死系MOBが湧出し、銀の武器や聖属性のダメージは、一・五倍となるのだ。
おなじく銀製ロング・ソードと、高品質鉄製ハーフ・アーマーで上半身を固め、その他はワーム外殻素材で防御力と敏捷性を両立したのがクロモリだ。背部には、おなじく高品質鉄製のカイト・シールドも背負っている。
装備はヨシュアよりもさらに薄くうごきやすい恰好にし、銀でできた鏃の矢を大量に買いもとめたのがアルミだ。新調したロング・ボウとショート・ボウのつかいわけもなかなか順調にきているようである。
最後に、もはや防御など考えていないようなものがカーボンだ。初期から変わらず黒いローブを愛用している。一応、素材を変えて新調して防御力は向上しているのだが、焼け石に水ではある。もっとも、カーボンまで踏みこまれたらその時点で敗戦であるため、割りきっているのかもしれない。
予備の武器、万が一にそなえての補助アイテムなども確認し、ヨシュアは思いだしたようにワームのハンバーグ・サンドをみんなに分けた。
「お、新作じゃん」
「うまいのか?」
「味見はしてあるよ」
「じゃあ、あとのお楽しみだね」
そういって、四人はワーム・バーガーをストレージにしまった。
「じゃあ、出発!」
おー! と三人が続けて、街を出た。
道のりは順調で、出てきたワームもわけなく退け、さっさと遺跡に着いてしまった。
遺跡は小高い丘にあり、その手前から、おなじ材質で作られたのであろう石畳が丘のうえまで続いている。
必要性はわからないが、こういう造りが嫌いではなかったヨシュアは、すこし興奮を覚えた。
何度かきたことのある場所だが、砂嵐のなか、朽ちつつも残っている遺跡には一種の雰囲気が漂っていた。
「うひひ、緊張してきた」
「ぼくもだよ」
「なるようになるさ」
「なるようにっていうのは、攻略完了って意味だよね?」
さすがにアルミとカーボンとずっといっしょだっただけのことはある。受けかたというのが、実によかった。
「OK、クロモリ。あたしの矢がぜーんぶ貫くぜ!」
「じつは、いちばん緊張してるんじゃあないか?」
そういうと、クロモリはあっさりうなずいた。
「そりゃあね。でもおもしろそうじゃない」
ヨシュアにはうなずけるはなしだった。
「行こうよ。ここで立ち往生ってこともないでしょ」
「うっしゃ。お前ら、あたしについてこいよ!」
「いやいや。先頭は俺。マッパーはヨシュアだからね」
「気概だけは、見ならおう」
誰しも、緊張とハイ・テンションなのだった。
遺跡は大演芸場のように円形で、周囲は観客席のように開かれていて、その中央に建造物がある。
その周囲にぽつぽつとプレイヤーはいるが、やはり稼ぎが鉱山ほどおいしくないためか、人気薄だった。
ヨシュアたちが足を運んだことがあるのも屋内に入る寸前で、このあたりで、たまに湧出するMOBを倒しただけで、帰ってしまった。
今回はそれらを無視して、さっさと屋内へ入ってしまうのであった。
遺跡が真のすがたを現し、牙を剥いたのはここからであった。
湧くMOBは周囲にいたのとおなじように、アンデッド系が多い。というよりはほとんどだ。
頻度が高いのは、ほとんど人間とすがたの変わらない新鮮なゾンビである。
このゾンビはジョージ・A・ロメロをリスペクトしているのか、のろのろとしていて決して走らない。
それだけにAGI重視のヨシュアにとっては倒しやすいのだが、とにかく数が湧くのだった。
「ええい。うっとうしい!」
襲い来る新鮮なゾンビの首を切り落とすように線が走った。
銀のチンクエディアという新兵器の威力もあり、防御力がかなり低いゾンビは通常でも二、三撃。致命的一撃ならば一撃で沈んでいく。
一度崩れ落ちたゾンビはしかし光の粒子へと変換されず、ヴィデオを逆再生したように、崩れ落ちたパーツが元の位置におさまって再生された。
「やばい。アンデッドっていうだけあって、復活してくる!」
それでも後ずさりできず、ヨシュアは復活した瞬間を狙い、首を刎ねた。
それでようやく、ゾンビが風化していく。
「やばいね。バック・アタックがあったら一発で終わっちゃうよ!」
背中の矢筒から矢を引き抜き、遠くからやってくるのに狙いをつけながら、アルミが叫んだ。
「出てきたら、俺がしんがりにまわる。ヨシュア、ひとりで前衛いける!?」
手近なゾンビを切り倒し、それが光の粒に変わらないことに舌打ちしながら、蹴飛ばしつつクロモリは言う。
クロモリから回ってきたゾンビを、ヨシュアが切り裂いた。
「カーボンにバック・アップまかせればなんとか!」
「フル・スピードでやってやる」
「頼んだ」
カーボンはPvPなどで必須とされるプレイヤー・スキル〔二重魔法〕を駆使して、もはや全開の様相である。
口頭詠唱式と指先描写式を同時に用い、ふたつの魔法をいっしょにつくりあげていくものだ。
これに加えて第三の魔法発動手順・動作祈祷式という、ダンスを織り交ぜた〔三重魔法〕が目下、開発を急がれているのだが、どう考えても指先描写式と干渉するため、無理だという意見多数が世論であった。
およそ二四分の一という確率で、倒したはずのアンデッド系モンスターは蘇る設定である。
むろん、しっかりと聖別なり祝福された武器や浄化属性で倒した場合は、この限りではない。
しかし銀製武器は破邪ではあっても、浄化ではない。再生無効能力はないのであった。
二四分の一というと、たいした確率ではないように思われるが、ゲーム・プレイヤーは、二五六分の一だの五一二分の一という確率でドロップするレア・アイテムを求めてさまよう人種である。二四分の一などというのは、一回でも戦闘があれば、出てきたMOBのうち、一体は立ち上がってもおかしくない高確率なのだ。
もろいとはいえ物量作戦で攻められた上に、再生までされるのでは戦力差はきびしいものがある。
「くそ。新手だ」
しかも新鮮なゾンビの背後からは、腐敗したゾンビというとてつもなくグロテスクな存在がやってきていた。
半分ほど骨になり、色の変わった肉がそれにこびりついているという醜悪なかたちをしていてるうえに、なによりも問題なのはそのニオイだ。
屋内でしかも腐敗臭がただようという、最悪の攻撃を仕掛けてくる。
視覚はがまんできても、ニオイまではそうはいかない。
できるだけはやく、銀の武器で光の粒にする以外、対処法はないのであった。
「うぇ……近寄られたら吐いちゃいそう」
「アルミ、頼むから遠距離で倒してくれ」
「もちろんよ!」
カーボンの嘆願を快諾し、アルミは狙いをつけて、矢が離れる。
虚空を射貫いた矢はかすかな弧を描いて、殴り合いをしているゾンビたちを飛び越えて後方へ。
華麗なヘッド・ショットを決めて、腐敗したゾンビはその場で崩れ落ちるのだった。
「イェス!」
「ナイス、アルミ」
ただ、腐敗したゾンビはその背後からもがんがんやってきており、矢が間に合わなくなって結局、近距離戦をやらかすことになった。
遺跡は妙に入り組んだ構造をしていて、それ自体が迷路になっている。
測量スキルがあるおかげでふたたび迷うことは減らせるが、初見で打破できるものではなかった。
さらに困ったことに妙な雰囲気をつくりだしていて、湧くMOBがアンデッド系ということもあり、おばけ屋敷が延々と続く迷宮という、わけのわからないものになっていた。
その緊張感と恐怖たるや、神経をすり減らすために作られた精神のおろし金なのではないか、というほどのものだ。
半分だけ腐ったからだのや、うらめしそうな表情でひたひたと追っかけてくるのや、うつろな声でぼつぼつと意味不明の言葉をこぼしながら精神的プレッシャーを与えてくるやつなどは最悪である。
アンデッドというよりは、もはやホラーを無節操にかきあつめましたというびっくり箱になっている。
あまりにもテンパってしまい、
「……っだああああああ! イライラする!」
「あまいもの食べる?」
「食う!」
そういって、ヨシュアから胡桃だんごと紅茶入りパウンド・ケーキをもらい、むしゃむしゃと豪快に食べていくアルミであった。
冷静でいることが好ましいマッパーにはまるで向いていない。
しかし迷ってはアンデッドを倒し、復活しては倒し、また迷いの連続で、はっきり言えばヨシュアもストレスはたまっていた。
アルミという点火のはやい花火がいるから、見直すことで冷静にもどれるだけで、ひとりであったらとっくに叫びだしていたかもしれない。
おまけに、つぎの階層へ行く階段をみつけても、すぐに降りるわけにはいかない。マッパーとして、まず地図を完成させる必要があるからだ。
この点だけは、ヨシュアはクロモリとカーボンに申し訳なく思う。たとえ、そのおかげで利があってもだ。
というような有り様で四人は一階層を降りるごとにボロボロになっていき、地下三階までたどり着いたころには、こちらこそ恨めしそうな声と虚ろな顔であった。
しかもこの三階がまたくせもので、地図を埋めても地下へ降りる階段がない。
いわゆる隠し扉を発見しなければいけないというつくりで、それに気づくまで延々とアンデッドをちぎっては投げちぎっては投げ。
四階へ降りる階段を見つけるころには、もはやゲームとは別の意味で、廃人になるところであった。
「……ようやく、ようやくだ」
「ああ」
「……このダンジョンだけ、地図が売られてない理由がわかったね」
「ぼくだって、このダンジョンだけは地図を売らないよ」
おまえたちも苦労しやがれ。
その一念だけが、この試練を乗り越えたプレイヤーたちに共通するニュゥ・カマーたちへの手向けであった。
そして四階。
降りたあとには、片方数メートルはあろうかという両開きのドアがあった。
この先に、ボスが待っていることはたやすく想像できた。
「……よし。休憩しよう」
それに反対意見はなかった。
疲れ切ればなんだってうまい。
ワーム・バーガーは一瞬にして消え去り、各自がアイテム・ストレージに持っていた食料や嗜好品を出し合い、束の間の一時を楽しむのであった。
およそ二〇分ほど休憩して、ようやくひと心地ついた四人は、最後の扉へ手をかけた。
「オーケイ?」
「オーケー」
「オッケイ」
「オッケー」
そして四人は、遺跡最終階層を行く。
*
現れたのは、大広間であった。
壁面には絵画のごとき彫刻がしてあり、なにかしらの儀式か記録をしていたような形跡がある。
ヨシュアたちから見て、一番奥にはさらに扉がある。しかしそれは両開きのドアのように立派なものではなく、出入りするためのものという意味合いが強いような、片開きのものだ。
だだっぴろい広間の中央、そこに存在するのは黒だ。黒衣にほかならない。
そこに存在するだけで、周囲の空気を冷たくするような気配がある。
「魔術師?」
「にしては、大きすぎるね」
風もないのに黒衣がひるがえった。
頭部が収まっているべき場所には、髑髏がはまっている。
「魔術師というよりは死神か」
「不死の王にはふさわしい」
落ちくぼんだ眼窩には、青白い炎が揺らめいていた。
視線といってもいいものか。その青白い炎が、ヨシュアたちを睨みつける。
瞬間、背筋にさむけが走った。
――見られた。
数百の黒猫が横切り、何千のカラスが鳴き叫び、幾万の黒山羊の頭が地面を埋め尽くしても、それほどの恐怖にはならないにちがいない。
「ひっ――」
喉の奥が引きつったような声すら、大広間に響く。
純粋な死の具現がそこにあった。
遠くから見つめているだけならばよい。しかし、見つめられたときにはもう遅い。
深淵。
その言葉がふさわしいほどに、黒衣は光を反射しない。すべてを飲みこむ最終地点とでもいうべきか。
「……ヤバい。勝てるイメージがわかないよ」
「レヴェルで言えば、イケるはずなんだけどね」
「VRシステムの弊害だな。恐怖が刻みこまれる」
「逃げんな、あたし。たかが骨。いくらでも倒してきたじゃないか」
黒衣の死神は、どこからか大鎌を取りだして、その場でゆっくりと振るった。
その軌跡から生み出されるのは、大小さまざまな死体だった。
完全に肉づいているもの。半分腐れおちているもの。まったく肉のないもの。
片腕がないもの。あたまがないもの。片足がないもの。下半身がないもの。
武器を持つもの。鎧をきたもの。盾をもつもの。なにも持たないもの。
すべてが等しく、恨み言をこぼしている。
苦しい。痛い。怖い。寒い。言いかたも意味もさまざまだが、共通することはひとつだ。
――おまえたちも仲間になれ。
吸いとってきた命の小片を吐きだした大鎌を黒衣の死神は、肩に担ぎあげた。
「俺とやりたかったら、まず倒してみろってか?」
「手を出さないでいてくれるなら、それほどありがたいことはないね」
「エンジンかけてギアを上げてく段階だから、うれしいことだよ!」
「まずは蹴散らすぞ」
背筋に突き刺さった氷柱を引き抜くように、威勢だけはよく四人はうごきだした。
アルミは背より矢を引き抜いた。五指の股に、計四本。津波のごとく歩み寄る死体たちへ向けて、狙いも絞らずに次つぎと発射していく。
GvGなどで密集陣形に対して使う弓のプレイヤー・スキル〔連射〕である。
命中率や精度を度外視したものだが、当たればいいという具合にときに威力を発揮する。
当然、横一列に広がった死体たちには効果的だった。矢は死体たちのどこかしらに刺さり、そのうごきのいくらかを足止めした。
二番槍はカーボンが受け持った。
「〔光・風・爆〕、〔雷・閃〕」
白色の爆風が接近する死体たちを後方へ吹き飛ばし、討ち漏らした密集地帯へ向けて、もはや得意魔法のひとつとなった雷撃が襲いかかった。
口頭式と描写式を両方使ったプレイヤー・スキル〔二重魔法〕によるふたつの範囲攻撃魔法により、死体たちはすでに半壊の様相である。
しかしながら盾持ちや鎧装備などの、防御力が高いやつは生き残っていた。
さらに幾ばくかは倒されても復活したようで、まだ気は抜けない。
AGIの高いヨシュアが三番目を受け持ち、その速度にまかせて技すら使わず、ノックバック状態の死体たちに踊るように一撃を加え、また蝶のように舞いながら戦場を駆けまわる。
最後に網を浚うのはクロモリのしごとだ。単発で技後硬直のすくない剣技〔スマッシュ〕と、盾による殴打で行動を阻害し、死体たちを片付けていく。
おおよそ二分足らずで、死神の呼びだした死体たちは跡形もなく消滅した。
だが、死のかけらはふたたび戦場を謳歌する。
もういちど周囲を薙いだ大鎌より放たれた小片が、死体をかたどっていく。
「……うそだろ」
「無限召喚かどうかはわからないけど、死体はあいてにするだけ無駄みたいだね」
「しかたがない。有象無象はあたしが引き受けるよ。クロモリたちは、あの鎌をつかわせないように突っこんで」
「俺がどっちもサポートする、面倒くさいところをやればいいわけだな」
「で、ぼくたちが最前線で死ねってことか」
「それしかないね。いつ呼びだされるかわからない。短期決戦でいこう」
四人が腰のバッグからだした回復薬などで回復しつつはなしあっていると、死者を呼びだしてからはぼーっとしていると思われた死神が、かたかたと全身を振るわせた。
「なんだ――?」
解答は瞬時に現れた。
剣を持つ白骨と盾を持つ死体が、光の粒に還元されて再変換された。すなわち、剣と盾を持つ二面四臂の合成死体である。
「創造――いや、再構築か」
再変換は進み、槍と槍、斧と槌、両手剣と両手盾を持つような合成死体たちができあがっていく。
数は減った。しかし、その戦闘能力はばかにならないものとなった。
アルミが抑えるなら、少数であることは望ましい。しかし矢が盾などで弾かれればはなしは別だ。
「クロモリ、ヨシュア。フル・スピードでお願い」
「わかってる。……だったら、カーボン。STR支援頼んだ」
「使うのか」
「やってみる」
腰のバッグからカードを二枚引きぬいて、片方を実物化させた。
一枚は、一時的にSTRを強化する大鶏のフライド・チキンだ。これを貪るように食い尽くし、効果を得た。
それに加えてカーボンからSTR強化魔法を受け、二重の強化を得る。
魔法とアイテムの効果が重複し、ヨシュアは一時的にAGIとSTRを両立させたステータスとなった。
そこで、もう一枚のアイテムを実物化させる。
以前、雪山攻略前にオークションで落としておいたアイテムのひとつ〔ダマスカス・ロング・ダガー〕だ。
購入したときは装備要求レヴェルに足りなかったことと、要求STR値がはるかに高かったために失敗したかと思われた。
しかし、鉱山でのレヴェリングと、アイテムと魔法の二重強化によって要求を満たすという方法を思いたち、ようやく出番となった。
いままで使っていたシルヴァー・チンクエディアと比べて、刃渡りは一五センチほど長い。
ダガーというより、もはやショート・ソードに近しい。
攻撃性能も高く短剣使いへの救済かと思われるが、装備するためにはそもそもSTRをしっかり上げている必要があるため、AGIでスピードを上げて手数で勝負している短剣使いからは、一度は落胆された武器だ。
しかし、装備できれば非常に高い耐久値で壊れづらく、攻撃力とリーチの問題も解決する。
いま、短剣使いのあいだでは、STR型というビルドが検討されるほどのものとなった。
「……うん。ちょっと重いけど、使えそう」
「よし。じゃあ行こうか」
前衛組ふたりは特攻のごとく、道をふせぐ死体たちを切り捨てながら前へ。
割れた道を埋めようともどる死者たちへ向けて、雷撃が飛んだ。
「おっしゃ。がんがんヘイト稼ぐよ、カーボン!」
「稼ぎすぎて、死なない程度にな」
後衛組ふたりは、じぶんたち目がけてやってくる津波をどう防ごうかと、あたまを巡らせるのだった。
「おぉ!」
大鎌とカイト・シールドが火花を散らした。
黒衣の死神は踊るようにくるりとまわり、その盾の内側を攻めようと弧を描く刃を伸ばす。
「ちぃ!」
まわりを囲む死者たちをある程度片付けながら、ヨシュアは盾と鎌でせめぎ合う黒衣の死神へ向けて、接近した。
「〔三面六臂〕!」
高速の六連撃を放ちはじめる。
最初の二撃はくるりと反転して鎌で防がれたが、その隙に盾で殴打したクロモリのアシストもあり、のこり四撃、肩口から腰へ抜ける袈裟斬り、抜けた方向から手首をまわして薙ぎ、また長短剣を反転させて切り上げ、最後に頭上より唐竹を落とす。
HPを一割ほど削って、ようやく死神のバーはグリーンからイエロゥになった。
すると、眼窩に灯る炎は幽幽とした色へ変わって揺らめき、涙のようにこぼれて、頭蓋骨全体を燃やしはじめた。
「ヤバい。HP減少での性能変化だ!」
「ガードは固めておくけど、耐えられるかな」
背後から、STRの強化が途切れないように、もう一度STR強化の支援が飛んだ。
「サンキュー!」
クロモリの背後まで後退し、ヨシュアは腰のバッグから大鶏のフライド・チキンを取りだして必死に口に収めた。
もうすこしばかり食べやすいものにするか効果時間の長いものにしないと、ボス戦では使いづらいと毎回思うのだが、変わるような食材がいまのところ出てこないのだった。
頭蓋骨すべてを昏い炎で燃やす黒衣の死神は、一気にパターンを変えた。
いままでは大鎌で接近戦をやり、ヨシュアとクロモリをあいてにしていたのだが、いまはなぜか、距離をとろうとする。
指揮棒を振るうように大鎌が宙を踊った。すると、背後から、なにかが炸裂するような音が響く。
「うわっ!」
「アルミ!?」
振り向けば、そこには死者が四散した痕がある。死体を破裂させ、爆弾にしたのだ。
カーボンが〔光・盾〕で防いだからよかったものの、まともに食らえば後衛の防御力ではひとたまりもないだろう。
「クソ。背後の狙ってきた!」
「AIが強化されたのか……?」
すくなくとも、悠長に構えている場合ではないことをヨシュアとクロモリは痛感した。
安全策より、リスクを背負ってでもダメージを取ることを優先しないといけない状況になっている。
ヨシュアが全速力で踏みこむと、黒衣の死神は後退しながら大鎌をすばやく振り、一体だけだが新たな死体を生み出した。
止まっていれば大規模に生み出せるようだが、移動中は一体しか無理のようだ。しかし一体でも生み出せるということは、非常に危険である。
「ヨシュアさがれ!」
「無理だ。突っこむ!」
〔箭疾歩〕を起動し、できうる限りの最速で縦軸を大幅にすすめた。背後で死体が炸裂し、その余波が背中を砕かんばかりに襲った。
無防備な背面だからか、死体爆破による余波ダメージでも、ヨシュアのHPが三割減少した。
圧されて転がりながらも、それすら借りてヨシュアは黒衣の死神へ近づいた。
「せいっ!」
立ちあがりながらの切り上げが大鎌と交差する。
いくら強化していると言っても、素がAGI重視のヨシュアのSTR値では、拮抗は一瞬だった。
しかしその拮抗で充分だった。
「そらっ!」
腰のスロゥイング・ナイフを引き抜いて、ヨシュアは技すら使わず投擲する。
攻撃に対する反応が良すぎるせいで、黒衣の死神はそのナイフすら、大鎌で弾いてしまった。
負担のなくなったダマスカス鋼の長短剣は一気に空間を制す。
HPはまだ半分残っていることから、技後硬直で再攻撃が遅くなることを考え、ヨシュアは短剣技ではなくプレイヤー・スキルで攻撃を組み立てた。
突きが二発、スロゥイング・ナイフを弾いた隙に胴体へ刺さった。HPがわずかに減る。
それに反応した黒衣の死神が、間合いを開けようと大鎌を大振りした。
わざとバランスを崩し、その横薙ぎを避けながら突きたてた刃を四分の一回転、胴体から一気に切り下ろす。
三撃でようやく、五パーセントを奪うことに成功した。しかし体勢がわるい。
これを見逃すわけもなく、死神の腕がヨシュアのからだを触れる。
熱を奪われるようなさむけと共にHPが一割吸われ、削ったはずの五パーセントが回復していた。
「ちぃっ!」
転がるようにして距離をとり、距離を詰め始めていたクロモリと交差する。
「俺にまかせろ!」
召喚、爆破された攻撃を盾で受けきりながら、クロモリは大振りの一撃をたたきこむ。
エフェクトが弾けて、大鎌が軋んだ。
爆発によるダメージで、すでにHPが五割近く奪われているクロモリは、ここで後退できない。
すれば、これ以上のチャンスはないと踏んだのだ。
「おおおおぉぉ!」
叫びではなく、もはやそれは咆吼だ。
ちからづよく一撃、また一撃を斬撃を加えていくが、防御を崩すには至らない。
そこへ、
「彷徨鳥!」
くねるようなうごきで、矢が飛来した。
声にあわせて、攻撃をディレイしたおかげで、黒衣の死神は矢に反応し、それを自動的にふせぐ。
ここしか、打破すべきポイントはない。
「〔光・壁・盾〕!」
背後では、どれほどの苦戦をしているのか。そんななかでくれた一矢の支援は、値千金にも等しい。
振りかえることはできない。クロモリはただ眼前へ集中した。
同時、ヨシュアが体勢を立て直してスタートを切る。
クロモリも技後硬直は危険だという判断をした。
ただ記憶と経験を頼りに、シルヴァー・ロング・ソードを繰りだしていく。
一撃、また一撃にありったけの気合いを乗せて放った攻撃は、計算どおりのダメージしか返さないが、それでもなお黒衣の死神すら圧倒するような気迫を生み出していた。
死神が距離をとろうとしたところへヨシュアが合流、大振りになった鎌の隙へ、高速の突きを刺しいれた。
のこり三・五割。三五パーセント。それがどれだけ遠いことかは、すべてのプレイヤーが理解できる。
ふたりがかりでの斬撃がとおり、HPが二五パーセントを切った。ついにHPバーがイエロゥからレッドへと変わった。
死神は、大鎌を手放した。
「は――?」
ヨシュアの脳裏を掠める、わずか前の記憶。生命吸収攻撃である。
なるほど。攻撃されても、それ以上に吸い取り殺してしまえばいいわけだ。
「させるかよ!」
しかしそれは苦肉の策でもある。大鎌がなくなった以上、防御力は地の底だ。
カイト・シールドで両腕を押しこめ、なんとかやりすごすが、そのせいでシールドは絡めとられて捨てられた。
防御はどちらも皆無に近い。
であれば、どちらの攻撃がよりすばやいか。勝負はそれだけに集約した。
もはや気迫をあらわすことすら余計だった。
ただ疾く。
長短剣がかき消えるようにして最小軌道を描き、長剣が、差し出された腕を跳ね上げるように下からすくい上げる。
すくい上げられた腕が刀身をすべるようにして手元に伸びれば、長短剣はそれ以上にいのちを刈り取ろうと胴体を刺し穿つ。
時間が圧縮されていく。
もっと先へ。もっと疾く。さらなる速度を求めて。
高速の攻防からヨシュアが引き戻されたのは、五秒後のことだった。
黒衣の死神の残HPがおよそ五パーセント。
なぜここで?
疑問の解答は、右腕の重さが答えを記していた。
STR強化の時間切れだ。
バランスは崩れた。高速で伸びる両腕に対応できるほど、ヨシュアの集中力は残っていなかった。
さむけが襲いかかった。ヨシュアのHPが削れられ、残量がもはや二割とない。
死神のHPが一・五割まで回復したところで、フリーになったクロモリの斬撃が奔る。
あと五パーセント。それがどうしても削りきれない。
背後では、カーボンとアルミの叫びが大広間に響いていた。
猶予がない。それを認識したと同時、ヨシュアの腕がひらめいた。
「いぃぃ――やぁぁっっ!」
青白い光を放つその眼窩に、刃が刺さっていた。
まだら模様の長短剣ではなく、腰の銀製チンクエディアだった。
圧縮されきった時間がとまる。
炎が全体へ広がり、黒衣の死神は燃え尽きるようにして消えていった。
ふぅ。とクロモリとヨシュアが一息吐こうとしたところで、
「ヘルプ! ヘェールプ!」
「おい、助けろ!」
慌てふためき、後衛ふたりを助けるためにまた疾走した。
*
カーボンのつくりだした魔法の防壁を、食いやぶらんとしていた死者たちを背後から葬り去っても、平穏はまだ訪れなかった。
彼らが落としたアイテムの回収が待っていたのだ。
戦闘はきびしいもので、もういちどやれと言われても勝てる気はしないが、屋外のコロッセオでちまちまと戦っているよりは、膨大な稼ぎが期待できた。
もっとも、放っておけば無量に死者を呼び覚ましてくる死神をコントロールし、かつ時間制限で消失していくアイテムを確保できれば、という制約はつくが。
では、どれだけヨシュアたちが回収できたかというと、最初に呼び出された死体たちと、最後らへんに呼び出された死者たち、そして黒衣の死神こと〔魂の強奪者〕が落としたものだ。
つまり、苦労した割にはそれほど個数は稼げなかったのである。だが、それほど悪いことばかりではなかった。
「めぼしいものあった。こっちはなし」
「こっちもないね」
「あたしもないや」
「……む。これは」
カーボンが回収したアイテムのなかに、レア・ドロップのひとつである装備品〔死霊の黒衣〕がでた。
防具ではあるがネクロマンシィ系のスキルにブーストをかけられるというのが特徴なので、すくなくとも四人のうち、フル・パフォーマンスを発揮させられるようなスキル構成はいなかった。
「うそっ。レアでたの!?」
「さすがに大鎌のほうじゃないか」
「そりゃ高望みしすぎ。……で、どうする?」
「でた場合は、じゃんけんだったか」
大鎌――〔仮命の大鎌〕は、魂の強奪者がやっていたようにMPを消費して最下級の死者を一体呼びだすことができる。
これを利用して肉壁につかったり、大勢ひき連れてソロ・プレイヤーでもさびしくないもんと言い張ったり、いろいろなことができるため、高値で取引されている。
〔死霊の黒衣〕は一段落ちるが、しかしそれでもそれなりの値段で取引されている。とはいえ、いま問題点はそこではない。
魔法使い用の装備として、MAG補正がかかることと、布装備にしては防御力が高いということもある。
スキルをそろえていなくとも装備の候補になることがあるほど、スペックだけでかなり優秀な防具ということだ。
他の三人にとってはともかく、カーボンにとっては是が非でもほしい一品なのである。
四人で決めたルールのひとつに、レア・アイテムがでた場合は、じゃんけんで所有権を決めるというものがある。
――じゃんけん。
〔ぐー〕、〔ちょき〕、〔ぱー〕の三すくみをもって優劣を決める勝負である。
必要とされるのは知力、時の運、駆け引き、そのすべて。
頭脳と心理を極限まで駆使し、ときには一回のじゃんけんで頬がこけるほどに憔悴することがあるという噂もある。
もちろん、それを確認したというデータはない。
岩のごとく拳をにぎる、〔ぐー〕に賭けるか。
はたまたすべてを包みこむような平手〔ぱー〕に託すか。
もしくはあらゆるものを引き裂こうと〔ちょき〕を放つか。
心理渦巻き、四人はもはや宙をにらみ、あらゆる運命を身に纏おうと不可思議なダンスや、口の中でもごもごと呪文を唱えて周囲を威嚇する。
ここで、ふだんは〔ぱー〕のようにパーティをまとめるクロモリが奇手にでた。
「俺、〔ぐー〕をだすからね」
「なんだと……!」
おもわずカーボンが驚愕の声を漏らした。
大胆不敵な宣言である。
俺が〔ぐー〕をだすから、お前らは〔ちょき〕をだせ。といっているのではない。
宣言どおりにだすかもしれない。三人がそれを信じて〔ぱー〕をだしたら、宣言を破棄して〔ちょき〕をだし、ひとり勝ちするかもしれない。
それだけに、ヨシュア、アルミ、カーボンの三人は、なにをだすかということに、信じるか信じないかということまで考えなくてはいけなくなる。
おだやかな男が仕掛けた心理戦だった。
さんざんに考えたあげく、
「ぼくは〔ぱー〕をだす」
「まさか!」
クロモリの作戦に、ここでひかえめな男・ヨシュアがノった。
「俺も〔ぱー〕だ」
「うそでしょ!」
物静かなパーティの知性・カーボンもそれに参戦する。
もはやなんの策も弄していないのはアルミだけだ。
そこから沈黙が五秒か、一〇秒も続いた。
そしてアルミが繰り出した策――あえてなにも言わず。
絞らせない。それこそが三人を思考の深みへ落とす。そう信じた。
四人の集中力と意識が高まり、決着のときがきた。
「最初は〔ぐー〕!」
クロモリの声が、大広間を満たす。
「じゃんけん――ぽん!」
四人の声が重なった。可能性を信じて、ただ己が信念をかたちに現す。
クロモリ、ぐー。
ヨシュア、ぐー。
アルミ、ぐー。
カーボン、ぱー。
カーボンの知性が炸裂した。――裏読みである。
あえて宣言どおりにだしたクロモリと、裏の裏をかいたヨシュア、最悪、あいこになればいいというアルミの心理のさらに上を越して、カーボンが戦況を読み切ったのだ。
「よし!」
「ぬぐぐ……!」
「あちゃ、負けたか」
「でも、いちばんふさわしい人にいったかな」
さっそくステータス・ウィンドゥを操作し、カーボンはいつもの黒ローブから、死霊の黒衣へと装備を変えてみた。
裾が擦れてやぶれていて魔法使いとしては歴戦をくぐりぬけた熟達を思わせるが、しかし若造にしか見えないカーボンとの相性がわるく、ぱっと見、黒いローブがボロくなって、みすぼらしくなっただけのようにも思える。
「どうだ」
本人はその事実に気づいておらず、なかなか気に入っているようだった。
遺跡クリアの報酬は、第三エリアのトンネルがトロッコで進むVRアトラクションになったように、遺跡から離発着する飛行機械〔羽ばたく鯨翼船〕の通行証である。
通行証を持っている場合にかぎり、遺跡から第五エリアへ向けて出発する〔羽ばたく鯨翼船〕に乗ることができるのだ。
これもアトラクションとしては人気が高く、つくりこまれた世界を上から見下ろすのは、なかなかに壮観である。
ヨシュアたちはアイテムを回収して回復し、ひとしきり休憩したあと、鯨翼船が飛びたつ時刻がくるまで、大広間からドア一枚を挟んだ待合室に居た。
そこにはすでに数人のプレイヤーがおり、ライティング系のプレイヤーが発売している〔PWOニュース〕という新聞を読んだり、ステータス・ウィンドゥを開いてスキル構成をにらみ、竜種を倒すにはどうするべきか、などと悩んでいるのもいた。
通行証があれば、地上から地下待合室までのエレヴェータが起動でき、面倒ごとはないのだった。
しばらく待っていると、待合室にアナウンスが流れた。
『まもなく〔羽ばたく鯨翼船〕の発船時刻です。お待ちのお客様がたは、船乗り場にてお待ちください』
新聞をしまって、ぞろぞろと歩きだすプレイヤーたちに、ヨシュアたちはおっかなびっくり着いていく。
待合室から大広間へと移ったプレイヤーたちは、地下から迫り上がってくる気球に羽をつけたような鯨翼船を見ることができた。
「うわ……むかしのロボット・アニメみたいだ」
「無駄に凝っているね」
「ってことは、この遺跡、まだまだ下があるってこと?」
「すくなくとも、地下に整備室はあるだろうな」
まだ底ではないのだろうか?
疑問は地図が解決してくれた。
いまのところ、プレイヤーが地下へ行く用事はないようにマッピング・データはつくられている。
ダンジョンの踏破率は一〇〇パーセントであった。
迫り上がってきた鯨翼船に乗りこむと、以外にも室内が広いことに気づく。数百人は乗れるような設計だ。
一日に何本でるのかは定かではないが、すくなくともヨシュアたちが入ったかぎりでは、ゆったりとスペースができている。
しばらくして、およそ一二〇人ほどのプレイヤーが乗りこんで、鯨翼船の搭乗口は閉められた。
『羽ばたく鯨翼船、鏡の街・フラヴィ最寄り遺跡行き、発船しまぁす』
大広間の壁面が展開し、部屋が外気にさらされた。
小高い丘へ伸びていたまっすぐの道を滑走路に、鯨翼船が砂嵐さえつかんで飛び立っていく。
「うわ、飛んだ!」
「そりゃ飛ぶでしょ」
「でも、けっこう感動するよ」
「ああ。この世界はキレイだからな」
砂嵐を抜け、蒼穹の空までたどり着くと、景色は一変した。
周囲すべてが青と白に囲まれていて、見下ろせる岩と鉄の街・トゥエズが黄色い幕におおわれているようだった。
ばさばさと羽ばたく翼が浮力を得て、どこまでも行けるような錯覚すら起こす。
フライトはさほどに長くなく、一五分ほどのものであった。
プレイヤーたちはそのあいだ、窓から見る景色にうっとりしていたり、高所恐怖症なのかソファにぐったりと座りこみ、両手をがっちりと握りあわせて念仏を唱えていたり、なかなか混沌とした模様である。
ほどなくして鯨翼船は、ポートに到着した。夜だからというのもあるのか、周囲は薄暗い。
砂嵐はなく、むしろその騒々しさとは逆に、静まりかえっている印象を受けた。
とおくを見渡してもはげの目立つ黒っぽい林があるばかりで、人の居そうな気配というものがなかった。
『フラヴィ最寄りィ、フラヴィ最寄りィ。お忘れもののないようにお気をつけください』
最後のアナウンスがあって、鯨翼船のドアが開いた。
もう一度乗りたいね。というものもいれば、もう二度はごめんだ。というものもいた。
だが比率は遥かに、もう一度派が多い。ヨシュアたちもこの部類である。
それならば……というわけにはいかない。
通行証の裏を見れば、定刻が書いてあった。それによれば、鯨翼船が出るのは日に六度である。
今夜のフライトは、ゲーム時間であと二時間後の最終便を残すばかりであった。
「おもしろかった。もう一回ぐらい乗りたいな」
「そうだね。トロッコは何周したかわからないや」
「あれは良かった。……第六エリアまでいくのは、なんのアトラクションだろうね」
「そこを楽しんでどうする」
カーボンの苦笑が漏れた。
「まあまあ。でも、そろそろ行こうか。あたらしい街に」
「うん。鏡の街だって。どんなところだと思う?」
「そりゃ、ファッショナブルだったりするんじゃないの」
「行けばわかるさ」
すくなくとも黒く、寂しそうな林の向こうに、ファッショナブルな街があるとは思えないが、四人は手慣れていそうなプレイヤーたちのあとを追って歩きだすのだった。
エルフの集落である〔浅い森の村〕とくらべれば、その林はいかにもさびしく、どこか不気味な雰囲気を放っていた。
鉄製装備に身を固めた男は、他に五人を引き連れてこの林を探索していた。
林の名前は〔影鏡の林〕。月や太陽の影響が薄く、いつでも暗い。
「このあたりかな」
男は買ったばかりの地図を広げた。
彼らが目指していたのは、全体が鏡張りになったダンジョンである。
遊園地にあるようなアトラクションのひとつで、鏡のせいでまともにあるけない迷宮だ。
「まだー、リーダー」
「このあたりだとは思うんだが……」
男は腕で額を拭った。
「ん……ねえ。アレじゃない?」
軽装の男が人差し指を向けた。その先を見れば、たしかに林には不自然な、キラキラとかがやくなにかが見えた。
「おお、まさに。さあ、みんな行くぞ」
おう! と、疲れていた足に活を入れて、六人は歩きだす。
しかし、いつまでたっても着かない。見えた距離からすれば、通りすぎてもおかしくないのだが、とにかく距離が縮まらない。
苛立って、男が近くにあった樹を殴りつけると、その樹はぐにゃりとかたちを曲げた。
「うわっ! ……敵か!?」
樹は樹ではなくなった。不定形にぐるぐると渦を巻いて、それが静まったときには、黒いシルエットになっていた。
「変身するタイプかっ。全員、戦闘準備!」
控えていた五人が、おのおの武器を構えた。
それを見て、黒いシルエットは笑うように震えた。その近くの樹が五本、震えてカタチを崩す。
「なんだ……」
動揺して、男たちは攻撃するチャンスを逃した。つぎの瞬間、その動揺はもっと強く、大きくなった。
「――お、れ?」
六つの黒いシルエットは、六人のすがたを真似たものとなり、装備すらおなじであった。
「ひ、ひるむな! おなじすがたなら、やることはわかってるんだ!」
黒いシルエット――〔鏡写しのリフミラ〕たちは、六人たちのスキルすらを真似て、キラキラとエフェクトを輝かす。
五分後、最後の光の粒が林に消えていった。
残された六体はまた樹のすがたをとり、林の一部となってあらたなる侵入者を待つ。
ヨシュアたちが鏡の街・フラヴィへ到着する、数分前のことだった。