03【財布泥棒】
とりあえずあの人が向かった方向に沿って歩いてみるが、一向に見つかる気配が無い。
一瞬のことだから顔はよく見ていない。覚えている特徴といえば、短めの茶髪とベージュのコートという特徴だけだ。そんな人、どこにでも居る。
「あー、どこ行ったこの野郎!」
とても貴族の娘が使う口調ではないが、どうか許してもらいたい。恐らく、日頃家で丁寧な言葉を使っている分、言葉に対するストレス的なものが溜まっているのだ。以前は妹や弟で発散(?)していたのだが、旅(という名の家出だが)に出てから無理して丁寧な言葉を使う必要もなくなったので、荒い口調のままなのだ。少々性格も変わっているかもしれないが、ほとんど変わっていない事を祈る。
……こんな無駄話をしている場合ではなかった。いや、一方的な独り言だったのだけども。
財布の中身は、デルト紙幣7枚と金貨15枚ほど。銀貨や銅貨も入ってはいるが、何しろ多すぎて数えるのが面倒だ。これでも一ヶ月で結構使ってしまったから、そろそろ働いて稼がなければならないんだが……何しろ貴族の娘なもので、働き方など全く知らない。しかし、諦めて家に帰る気も無い。まあ、財布の中身は一般の方から見ると結構大金なので、節約すればあと数ヶ月は大丈夫なのだろうが。
とにかく、まず財布を取り返さなければ、このまま飢え死にしてしまうだろう。
「って言ってもな……どうやって探すんだよ、この中から」
しかしそれは突然だった。
何の前兆も無く、何者かが私の腕を掴んだ。私がそれを確認する前に両腕をひねり上げられ、自然に下がる形となった頭の後頭部に、何かを突き立てた。それは酷く突然で、私は抵抗すらも出来なかった。状況を理解するのにも時間がかかり、理解するよりも激痛が私の頭を支配する方が早かった。結構……というか、かなり痛い。腕がもぎ取られそうだ。まあ、そう簡単には取れないはずなのだが。
奴が私の後頭部に突き立てた何かは、刺さるか刺さらないかの位置で寸止めされているようだ。恐らく、ナイフか何かだろう。冷やりとした感覚が、突き立てられた場所から伝わってきた。抵抗しようと試みると、ナイフの先端と思われるものが、さらにギリギリまで突き立てられた。神経がそこに集中され、ナイフの刃先が皮膚に接触しているのが分かる。このままでは皮膚が切れてしまうだろう。
「動くと殺すぞ」
私の耳元でそう呟いた奴は、次に深く息を吸い大声で叫んだ。
「おい、どこかに居るんだろう、この小娘の親! 分かっているんだぞ、お前らが貴族だって事も、大層な金を持っているって事も! 小娘を助けたければ、さっさと出てくるんだな!」
どこでそんな情報を手入したんだコイツは……!
大通りで突然起きたこの出来事に、町の人もようやく気付いたようだ。野次馬のざわめく声や、多くの足音が耳に届く。残念ながら顔を上げることはできないので、その状況をはっきりと確認することはできないのだが。
「出てこないな、お前の親。娘より金を大事にするか」
「私の親はそんなに薄情じゃないわ。それより、どこで私が貴族だって情報を手に入れたのよ?」
できる限り貴族の娘っぽく話してみたが、どうだろう。……というか、貴族の娘なんだけども。ここで貴族の娘っぽくしなければ、更なる混乱を招くことになるだろう。……というか、れっきとした貴族の娘なんだけども!
奴は私に聞こえるようにわざと大きく舌打ちをし、ナイフを持っているはずの手で何かを地面に投げつけた。
「私の……財布!?」
消えたはずの……盗まれたはずの、私の財布だった。開かれたまま地面に叩き付けられたそれから、中身がばらばらに飛び出した。その中には、お父さんから貰ったエメラルドの宝石が埋め込まれている指輪もあった。
「庶民の小娘が、これほどの大金を持っているはずが無い。大体、大人でもこんな金を財布に入れて持ち歩いている奴なんか、そうそう居ない。それにその指輪、貴族の物だろう」
「っ……!」
「王から、それぞれの貴族の長にだけ与えられる、王認定の貴族の証。型から見るに、上級貴族ではないが、下級の貴族でもない。中の上といったところか。どうせ、父親か誰かから渡されたんだろうよ。これだから、貴族のボンボンは……」
ずいぶん知識の豊富な凶悪犯さんだこと。指輪の型から階級判断できるのは、上級貴族ぐらいしかいない。ちなみに私はできないが。
ずばり言い当てられてしまったのだが、しかし一つ疑問が残る。
――何故コイツは、盗まれたはずの私の財布を持っていた?
「あの、凶悪犯さん。一つ質問いいかしら?」
「あ?」
凶悪犯って呼ばれて反応するってどうなのか。自覚あるのか。
「何故、私の財布を持っていたの? 私の財布は、先程何者かから盗まれて、探していたところだったのだけれど」
「ああ何だ、そんな事かよ。俺が、お前の財布を盗んだからだよ」




