02【家出と林檎】
「うーん、じゃあ……林檎二つください」
「まいどありー」
林檎二つ分のお金を店の人に渡したあと、お金の入った財布を上着のポケットへと仕舞う。その後、籠に入っている林檎を二つ取り、その内の一つにかじり付いた。直ぐに、林檎の程よい酸味と甘みが口内に広がる。朝から何も口にしていなかったためか、とても美味しく感じられた。というか、元々林檎は好きなのだが。
今日は歩き疲れた。森を抜けるとは、こんなにも大変なことだったのか。これまでも幾度か町を渡り歩いてきたが、森を抜けるのは初めてだった。朝早くから今の今まで、ほぼ休み無しで歩いてきたため、足が疲労で震えている。今日はもう、宿を探して休むとするか。
足取りは重いが、林檎をかじりながら宿を探すために歩き出した。
家を出て、もう一ヶ月になる。
親が嫌いになったとか、家にいるのが嫌になったから、とかいう理由で家を出たわけではない。ただ、外の世界を見てみたかったのだ。家の中ではない、もっと広い世界を。
私の家は、一応貴族であるため、それなりの大きさの敷地を持っている(それなりと言っても、一般人から比べたらかなり広い。貴族の中で見ると、それなりの大きさなのだそうだ)。私はその家の長女であり、しかも親が子供溺愛のため、それはもう、蝶よ花よと育てられた。家の敷地から出た記憶など、ほとんど無い。いつも、家の中庭で妹や弟とばかり遊んでいた。もっとも、最近はそれほど遊んでいないのだが。
そしてある日、お父さんの書斎である本で読んだ。そして知った。世界には多くの自然があると。世界には沢山の町があり、沢山の人が住んでいると。様々な文化があり、多様な暮らし方をしていると。私は一生懸命勉学に励んでいたつもりだったが、自分がどれほど世界を知らないのかが思い知らされた気がした。もっと世界を見たいと――世界を知りたいと思った。そしてこの家出である。
年に何度か、お父さんが知人を家に招き入れて宴会を開く時がある。その時は門が全開に開かれ、多くの人が屋敷の中に入る。しかもその人達の中には、多くの従者を従えてやってくる者もいれば、多くの土産を持ってくる者も。つまり、一度に門を通る人や物が多いのだ。それにまぎれて門をくぐるなど、お父さんに見つからずに書斎から本を盗むことより容易い。無事に家を出た後、見つからないように裏道や馬車等を駆使してここまで来た。時々帰りたくなる衝動に襲われるが、今更後戻りはできない。
ふと、大きな影の中に入った気がして、足を止めて顔を上げた。
「うわ、何だこの建物」
私の身長の何倍もあるレンガ造りの建物が、太陽の光を遮っていた。古くから建っているようで、植物の長い蔓やコケで壁が緑に染まっている。この一ヶ月で様々な建物を見てきたが、これまで高いものは初めてだ。見上げていたので、だらしなく口が開いていた。気付いて慌てて閉じたが、さすがにこれは驚いた。周りに庭や柵が無いことを見ると、貴族の家とは考えにくい。何かの倉庫だろうか。
とはいえ、今の私には扉を開けて確かめる気力は無い。早く宿を探して、ふかふかのベッドに飛び込みたい。私の足は、既に限界を達している。
「っと、すみません」
急に歩き出したためか、向こうから歩いてくる人に気付かずぶつかってしまった。反射的に謝ったが、相手はこちらには目もくれずスタスタと早歩きで行ってしまった。ぶつかったのは悪いと思っているが、それにしたって少しくらい声を掛けてもいいんじゃないだろうか。
「それより宿だ、宿」
気を取り直して歩き出そうとして、違和感に気付いた。違和感の原因は上着にあった。先程まで上着のポケットを膨らませていた物が、消えている。
確かに、私の黒い財布が上着のポケットから消えていた。先程、林檎を買った時は確かにあった。お金を払ったのだから、これは確かだ。ということは、どこかで落としたか、もしくは
「……盗られたか!」
林檎を買った後に人に接したのは、さっきぶつかった時だけだ。恐らく、犯人はその人だろう。咄嗟に後ろを振り向いたが、既に視界から消えていた。少々歩いて小道などを見るも、人が通った様子も無く、当然奴も見当たらなかった。
まあ、財布くらいどうにでもなるか……と、気を取り直して歩き始める。貴族の娘であるため、家に帰れば金などすぐ手に入れることができる。今回は私の不注意だったが、次回から気をつけると言えばお父さんも許してくれるだろう。とりあえず家に帰ってお金を貰って来ようか……
「って、今家出中じゃないか!」
帰れる訳無い! そして遠すぎて帰れない!
それに金が無ければ、宿に泊まること、移動手段を手に入れる事もできやしないじゃないか。
「結局取り返しに行かなきゃならないのか……」
ふかふかのベッドが遠のいた瞬間だった。




