第5話 遠すぎる恋の道しるべ 1
固まっていた武は、南から河原さんと福井さんが付き合ってることを聞かされると、ちょっと苦笑しただけで、何事もなかったように部活をして帰っていった。
その日の夜、私は思い切って武に電話してみることにした。
プルルル、プルルル……
携帯を握る手に、汗がじわじわとしみてきて震え出す。何度目かのコールで、やっと武が出た。
「もしもし、うーちゃん?」
「あっ、武? いま大丈夫?」
「おう、ちょうどバイトの休憩入ったとこだから大丈夫。どした?」
「うーんと……」
電話してはみたものの、なんて切り出せばいいのかわからなくて、黙ってしまう。
だってねぇ、失恋した人にいきなり直球で聞けるほど、私、無神経じゃないし……
私がずっと黙ってたら、武がくすっと笑って。
「おーい、なんか用事があってかけてきたんじゃないのか? ……悩み事?」
優しくって、真剣な声で言う武。
その声に、胸がキュンと締め付けられる。
武の方がいまは悲しいはずなのに、私に気を使ってくれる。そんな優しい武のことを思うと、涙が出そうだった。
「えっと、武は……だいじょぶ? なにか、悩み事とかあったら、私が相談に乗るからね」
泣きそうなのを我慢して、そう言った。私でなにか力になれることがあるなら、なんでもしてあげたかったの。
「俺……?」
武は不思議そうに聞き返して、それから思い当ったように、苦しげに笑った。
「俺のバイトさ、大学の近くなんだ。あと2時間であがるから、会える?」
「うん。じゃ、2時間後に駅前で」
そう言って、電話を切った。
※
駅の改札前。
まだ春といっても夜は寒くて、冷える手をさすりながら待つ。
しばらくして、改札に向かう人ごみの中から、武がやって来た。私に気づくと、片手をあげて、おまたせと言って駆けよってくる。
私達は駅前のセルフ喫茶店に行って、注文をして席に着いた。
「うーちゃん、優しいね」
湯気の立ったコーヒーを飲みながら、武がぽつんっと言った。
「えっ? そんなことないよ……」
「ううん、優しいよ。俺の事心配して電話してくれたんだろ?」
そう言った彼の瞳はせつなさをほんのり秘めて。
「俺、失恋しちゃったよ」
言いながら、ふっと笑って私を見た。
「河原さんの彼氏が福井さんだったなんてな。彼女、ちょくちょく部室に来てるみたいだし、さすがに今は目の前で一緒にいる姿を見るのは辛いよ。今日の俺、変じゃなかったかな?」
そんなことを言うから、私はあわてて言った。
「武は普通にしてたよ。えらかったよ!」
武は天井をあおいでほっと息をつき、それからちょっとせつない顔をして私を見て言ったの。
「ありがと」
って。
彼に、ありがとって言われちゃった! 少しは、役に立てたのかな!?
もう胸がいっぱいで、しばらく何も考えられない……
はぁーっとため息をついて、コーヒーカップを置いた武。
「俺さ、今まで失恋ばっかりで、好きになってもらったことってないんだよね」
そう言った武は、息が止まりそうなほどキレイな瞳で私をまっすぐに見ていた。
ドキンッ。
胸がはねて、思わずこう言ってたの。
「私は、武のこと好きだよ!」
いきなりそんなふうに言われてビックリした彼が、私を見上げる。
武とまともに見つめ合ってしまった私は、恥ずかしくなって下を向いた。
「サンキュ。でも、うーちゃんの好きとは違う好きがほしいんだ」
くすっと笑って、武は私の頭にぽんっと大きな手をのせた。
きれいな笑顔の中に、やさしさが光って見えた。
でも、私は悲しくなってしまった。私の告白……友達の好きと勘違いされちゃったよ。
私はあいまいに笑い返して、誤魔化すようにコーヒーカップに口をつけた。
「俺のキューピッドはいじわるなのかな?」
急に言われて、私は彼を見上げる。
「え?」
「前に、うーちゃんが話してくれただろ、キューピッドのこと」
「うん?」
「キューピッドの矢に射られると恋するってはなし。キューピッドはさ、どうやって矢を射る相手を選ぶの?」
私は頭の中で、ローマ神話のキューピッドについてのことを思い出しながら、ぽつぽつと喋り出す。
「キューピッドはいたずら好きでね、魔法の弓矢で人の恋心を自由に操ってしまうの。でも、いたずら心だけで矢を射てるわけじゃなくて、そのほとんどは、彼の母親である愛と美の女神ウェヌスの命令に従っているんだ。黄金の矢で射られた人は、キューピッドが選んだ相手を好きでたまらなくなって、鉛の矢で射られた人はかたくなに恋を拒むようになる。一目惚れや恋人同士の突然の分かれは、彼がいたずら心をおこしているからだって言われてるけど」
「いたずら好きか……」
そう言って、武が苦笑する。
「一目惚れするとキューピッドのいたずらだって、私は思っちゃう……」
私は手元をいじりながら、目線を手元からちらっと武に移した。
「うーちゃんも一目惚れの経験、あるんだ?」
くすって笑って。
「俺のキューピッドは、どうして俺に一目惚ればかりさせるんだ……俺は、この恋を諦めなきゃいけないのかな……」
そう言った武はとても辛そうな顔で、その声がとてもせつなげで、みにつまされた。
「そんなことないよ! 片思いだって、相手に好きな人がいたって……好きなことを止める権利は誰にもないでしょ!? どんなに遠すぎる恋の道しるべだって、ずっと思ってたら、届くことだってあるよ!」
私は息つく間もなく早口で言いきって、はぁーはぁーって息を整える。
そんな私を見て、くすって武が笑った。
「それは、うーちゃんの経験談?」
素敵な笑顔で、そんなこと聞くの。
私は自分の気持ちがばれないか不安に思いながらも、思ってることを言った。
「えっと、理想論……です」
私だって……遠すぎる恋の道しるべだろうと、武への思いはそんなに簡単に消せないもの。いつか想いが通じるって、夢見るくらい許されるでしょ?
弱々しい声で答えた私に、武は満面の笑みで笑いかけてくれた。それから。
「前向きなうーちゃん、好きだな」
そう言って、魅惑的な瞳でほほ笑んだの。
うぅ。
そんな笑顔を向けるなんて反則よ。もっともっと、好きになっちゃったじゃない。こんなに好きな気持ちが増えちゃって、どうしたらいいの!?
胸がバクバクいいはじめて、私は赤くなった顔をそむけた。
その後も大学であったこととか世間話をしてたら、すっかり遅くなってしまった。武は終電の時間ギリギリで、また明日と言ってホームに降りる階段へと駆けて行った。
私は武の後ろ姿を見送り、見えなくなってもしばらく改札の前で立っていた。
風が吹いてブルッと身震いをしてやっと我に返り、駐輪場へ繋がる階段を下り、自転車に乗って家へと向かった。
駐輪場を出ると、深夜に近い時間でも駅前はネオンやお店の明かりでとても明るい。駅から少し離れるとその明るさが嘘だったように墨をまきちらしたような闇が広がり、住宅と畑の間の道を点々と立つ電柱の頼りない明かりだけを頼りに、自転車をゆっくりと漕ぎ、さっきまで一緒にいた武の事を思い出す。ふっと空を見上げると、星がキラっと輝いて、とてもきれいだった。
その夜、夢を見た――
武がいて、南と苑田君とまもる君と、それから河原さんもいて。私は、武ととっても仲良く話してて、好きって、つきあいたいって伝えて、武は笑って頷いて――
ピピピピピッ……!
カーテンの隙間からから朝日が差し込んで、室内がうっすらと明るくなっている。目覚まし時計の音が鳴り響き、ぼーっとする頭の中に、さっきまで見ていた夢の武の最後の笑顔が脳裏に焼き付いていた。
あーあ。夢でなら、思い通りになって、ちゃんと好きって伝えられるのに。
昨日のことを思い出す。
私、好きって言ったのに友達の好きと勘違いされるなんて、武にとって私が友達でしかないってことよね……
そう思うと、朝から気分が沈んでしまう。
寝起きの重い体を動かし、支度をして学校へ向かう。この日の授業は午後からだったけど、課題をやるために午前中から図書館に向かった。
大学の図書館は、高校までの図書室とは規模が比べ物にならないほど大きく、専門書を中心に蔵書がそろっていてDVDまであって、課題をやるのにも時間をつぶすのにも、とてもいい場所だった。
課題に使えそうな本を探して書架の間を歩いてると、ローマ神話に関係する本を見つけて、思わず手に取ってしまった。いくつか本をみつくろってから、閲覧席に行って本を開き、課題に取り掛かった。