第3話 キューピッドの気まぐれ 2
「武下君、こっち手伝ってくれる?」
歴史サークルの部室でパソコンの前に座った彼を、私は抱えきれない本を持ちあげてよろめきそうになって呼んだ。
大学に入ってから三週間。
歴史サークルには、四人の新入部員が入った。
私と同じ史学科の武下翔太、日本文化学科の四葉 南と苑田 秀人、それから私。
部活内容はそれぞれ好きな歴史について調べたりして、定期的に発表するんだけど、今は、新入部員の自己紹介レポートを4人で協力して作成中。
私が恋した彼、武下翔太君とは、同じ学科同じサークルってことで、ほぼ毎日会うからすぐに仲良くなった。
彼は爽やかで気さくで、話していてすごく楽しい。一目惚れで始まった恋だけど、話してますます、あぁ、私、彼の事が好きなんだな、って実感したの。
でも、キューピッドは本当に、気まぐれなんだよね――
その日も、雑談しながら自己紹介レポートを作っていた。
「みんなどこ出身?」
そんな南の一言からはじまった。
「俺は東京」
「俺も」
と、武下君と苑田君。
「私は千葉。美羽は?」
「北海道だよ」
「北海道! へぇ~、じゃあ一人暮らしなの?」
「うん。苑田君も一人暮らしだったよね」
「ああ」
「苑田はもう彼女ができて、部屋に連れて行ったらしいよ」
うっしっしっ、と笑って南が言った。
「えっ、そうなの!? すごいね」
本当にすごいと思って、しみじみと苑田君を見た。
「別に普通だろ……、武下だって、彼女いるだろ?」
苑田君のその言葉に、私はドキンッとする。
「えっ、そうなの!?」
思わず、武下君を振り仰いで見ちゃった。
彼ははにかんだ笑顔で。
「いや、彼女はいないけど……」
そう言った。
私はその言葉にほぅーっと安堵の息をつく。でも、続いて武下君の口から出た言葉に、驚いたの。
「好きな子はいるよ」
えっ。
ツキンッ。
胸が締め付けられるように痛んだ。
「えー、そうなの? 誰、誰?」
南はキャーキャー言いながら、興味津々に聞く。
私は驚きを隠しつつ、武下君の口が動くのを、息をのんで見ていた。
「同じ学科の子、河原さんっていう」
河原 瑠璃子さん……
オリエンテーションの時、私の隣に座っていた美少女の名前。出席番号が近いから、同じ授業が多く、班分けをする時も同じになって、時々話したことがある。
「そうなんだ。私、河原さんとは出席番号近いから、なにか協力しようか?」
キモチとは裏腹に、私の口からそんな言葉が出ていた。
サークル帰り、学科の課題をやるのに必要な本を探しに図書館に行く。そのことを言うと、武下君も同じ課題が出てるからと言ってついてきた。
書架の間を、目的の本を探しながら歩く。すでに十九時をすぎていて、図書館の中の人はまばらだった。私は、目ぼしい本を何冊か持って談話室に向かい、空いている四人掛けの丸テーブルに座る。しばらくして、武下君も一冊の本を持ってやって来た。
「愛野、あった?」
「うん。これなんか、使えそうじゃない?」
本をペラペラめくりながら、言った。
「うーん、どれ?」
私の向かいに座った武下君が立ちあがって、机越しに覗きこんでくる。
見上げると、そこには端正で彫の深い武下君の顔。
ドキンッ。
武下君と目があって、彼は澄んだ瞳でしばらく私を見ると。
「愛野……愛野って呼びにくいから、下の名前で呼んでもいい? ……美羽?」
突然、下の名前で呼ばれて。
ドキンッ。
また、早鐘のように胸が打ちはじめる。
「美羽ちゃん? うーん」
その間にも、武下君はいろいろな風に私の名前を呼んで感触を確かめ、舌になじむ呼び名を探していた。
「美羽ちゃん、みうちゃん、うーちゃん! うん、うーちゃんなんてどう?」
「えっ?」
うーちゃん……?
今まで、そんな風に呼ばれたことがなくて、目がてん。なんか、自分のことを呼ばれているカンジがしないけど……武下君になら、そう呼ばれてもいいかな。
「うーちゃん?」
見上げると、武下君のドアップ!!
突然、間近に端正な顔があって、自分でもカァーっと顔が赤くなるのがわかった。私は赤くなった顔を隠すように、あわてて目をそらす。
「な、なに?」
「うん、やっぱ、うーちゃんってカンジだね」
そう言って武下君は、魅惑的な瞳で、ニコっと笑ったの。
私はそんな彼を呆然とみつめてしまった。
「あっ、じゃあ、私も、武下君じゃなくて、そうだなあ……あっ、武って呼んでもいい?」
そう聞くと、笑って、いいよって言ってくれた。