第九話 現実
午後の授業が始まった。英語の教師の声を聞き流しながら、これまでの情報を整理してみる。
そもそも、あいつが殺されたとするなら、理由は?あいつをどうにかしたいなら、何も殺す必要はない。今の僕と同じような状況に置いておけば、それでいい。それをわざわざ殺人なんて言う危険を冒すからには、それなりの理由は当然あるだろう。
刑事ドラマなんかでは、どんな動機があっただろう?
財産目当て?それだったら木田を殺さなくても、もっと手っ取り早い手段があるだろう。だいたい木田のうちにそんなに財産があるとも思えないし。
怨恨?…やっぱり、それか。しかし、あいつを殺したいほど嫌いなやつが、僕の他にいるだろうか?ほかは…
(恐怖)
ふいに、まったくふいにその二文字が浮かんできた。
恐怖?
何に対しての?
受験?学校?…仲間?
あいつに対しての恐怖?よくわからない。あいつが、そんなに怖かったのか?それは確かに、僕も怖かったけれど。それよりも怒りの方が強かったから。
他の恐怖…
考えつつ歩いていると、向こうから高原達がやってくるのが見えた。
「おい!」
「よけいなことすんじゃねーぞ!犯人になりたくないからって、自分の罪を他人に着せるな!」
口々に罵声が浴びせられる。
高原が僕の右手をねじりあげる。そこで唐沢が、鳩尾を蹴り上げた。
目の前が真っ白になった。廊下に膝をつき、腹を押さえてけんめいに吐き気をこらえる。
佐久間が、その僕の指をひねった。
苦しむ僕を、しかし周りの連中は笑ってみているだけ。
いや…笑ってもいない。あいつらにとって、この光景はいつもの光景。記憶の隅にも残らない、ありふれたつまらない出来事。
だから彼らはただ通り過ぎる。殴られる僕だけがそこに残る。
十分後、彼らにとっての憂さ晴らしは終わった。
そこに残ったのは、いつも通り立つこともできない僕。
木田が死んでも、今のところ状況は全く変わっていない。僕はあちこちで殴りつけられ、なにもできないままに終わる。
違っているのは、僕の心だけ。なんとかして、この状況を終わらせる。その気持ちだけが、ぼくを前へと引きずっていた。
次の休み時間。長谷部の友人から話を聞くために西の廊下を歩いていると、突然下の中庭から怒鳴り声が聞こえた。
窓から見下ろすと、女子の一団が女の子を取り囲んでいるようだった。
(あれは…)
秋川だ。有坂をいじめている女子のリーダー格。
髪を振り乱し、足下の女の子を蹴り付け、殴りつける。
りの女の子も、はじめは荷担していたようだったが、今はお互いうそ寒そうに顔を見合わせている。
秋川に、岸、宮野、里中、そして…
(有坂…!)
僕はそれを見るなり走りだした。
ちょうど予鈴が鳴る。あたりを囲んでいた生徒達も、秋川達も去っていく。
「有坂!大丈夫か?」
「うん…へいき…」
立ち上がろうとして、へたへたと崩れ落ちる。
「ちょっと…だいじょうぶじゃないみたい…」力無く笑う。
「いいから、どこかで休んで」
何とか有坂を助け起こし、保健室へと運ぶ。
「ひどいことを…」
「いつものことだよ」
「あれが?いつもは知らないけど、ずいぶんとひどくなかったか?」
「確かに、いつもよりはひどかったんだけど…」
そこで言葉を濁す。
「あのひと、木田君とつきあってたから…」
「…それでか」
だったら、あそこまで狂乱するのもわかる。
「ごめん、巻き込んじゃって」
「いいよ」有坂はそういって、乾いた笑顔を見せる。
「黒川君がどう動こうと、木田君が死んだ以上あの子にいじめられるのはわかってたから」
「ごめん」有坂の無理をした笑いに、僕はもう一度謝るしかなかった。
放課後、僕は商店街へと行くことにした。ここは、あいつらがいつも通る場所だ。もし昨日もここを通ったなら、何か知っているかもしれないと思って来てみたが、いったいどうすればいいんだろう?
あいつらのいつものコースといえば、ゲーセンか本屋、コンビニくらいだ。僕は何度もここにつれてこられたことがある。そのときはにぎやかに話していたから、僕らのことを仲がいいと思っているひとも多い。じっさい、そうみえるようにふるまってきた。ただ、帰ってきたときに、見知らぬ品物か隠れたあざが増えただけの話。
とりあえず、いつもの店から初めて、だんだんとあたりの店に広げていくのがいいだろう。
聞くことは、あの日のあいつらの様子と、コース。さしあたりそれだけでいいだろう。
それ以上、この段階で聞いてもしょうがないし、そもそも刑事でもない僕にそこまでのことはできないだろう。
僕は早速、一番近くにあった本屋から話を聞いて回ることにした。
何軒か聞いて歩いていくうちに、花屋で足取りがつかめた。
彼らは四人で店に入り、花を買って出ていったそうだ。
「花?」僕は聞き返した。中学生、特にあいつらには似ても似つかない言葉だったからだ。
「ええ。あの年代の子が花を買うなんて珍しいから覚えてたのよ」花屋の店主も、それには同感だったようだ。
「何の花を買ったんですか?」
「普通の花束ね。彼女とかにあげるには、ちょっと地味かもしれないけれど」
他に何か覚えていることはないか聞いてみたが、目立った答えはなく、礼を言って店をあとにすることにした。
木田の母親に電話をかけ、聞いてみる。
「木田君が帰ってきたとき、花とか持っていましたか?」
「ええ。何でそんなものがいるのかって聞いたら、少し預かってるんだっていってたけど」
「その花は、今どうしてます?」
「玄関に飾ってるわよ。このまま枯らすのももったいないし」
電話を切ると、僕は少し考えた。
どうして木田は花なんか買ったんだろう?
どうしてこんなことが気になるかわからなかったが、きちんと調べた方がよいと思った。花なんて、普段のあいつが買うとは考えられない。誰かから預かったといっても、残りの三人の中にも、花が必要そうなやつはいない。それにあの花は木田が買ったのだというから、あの三人から預かったというのも少しおかしい。
そもそも、花はどんなときに使うだろう?
家や教室を飾るのが一番あるけれども、あいつらは美化委員じゃないから教室の花を買うというのはおかしいし、家で頼まれて買ったんじゃないってのはさっき聞いたとおりだ。儀礼や式典の時に、飾ったり渡したりすることもある。でも、あいつらはこれとも関係がない。
好きな子にプレゼントするというのもある。木田が買ったとしたら、これかもしれない。
友達から預かっていたというのも、それを隠すためのちょっとした嘘と考えれば、筋は通る。
(…でも、待てよ)
そうすると、木田は秋川にこれを渡すつもりだったということになる。つまり、木田には死ぬつもりはなかったということになる。
どんな花なのか、確かめたかった。木田の親との約束は明日だったから、そのときに見に行ってみよう。