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冬の話  作者: ロボ
7/22

第七話 公園

 どこまでも続く迷路の中を、僕は一人で逃げていた。

 後ろからは、殺気立った声。

 迷路は自在に変形し、まがりくねり、自分がどこにいるかもわからなくなる。

 それでも声は追ってきて、足音が近づいてくる。姿は全く見えないのに。徐々に近づいてくることだけはわかる。手近のドアに飛び込み、細い路地を抜け、それでも声は近づくばかり。

 追われながら、僕はただ一つのことを願う。

 助けてくれ、助けてくれ。

 助けてくれ!


 とびおきた。ベッドの脇の時計は十二時を指していた。

 いつも見る夢だ。夜毎続く悪夢。


 ふと、留守電のランプが赤く光っているのに気がついた。僕は何の気なしに受話器を取った。

 「…有坂です。ちょっと聞きたいことが…」

 すぐに次のを再生する。

 「…有坂です」

 十回以上の電話は、すべて有坂からかかってきていた。

 家にはいられない。電話がまたかかってきたら、どんな行動をとるか自分でもわからないから。

 誰も起きていないことを確かめると、そっと家を出た。


 誰もいないところにいきたかった。かといって、この部屋で膝を抱えていたくもなかった。

 冬の夜空は冷たくて、まるで生あるものすべてを拒んでいるようにさえ見える。それでもその下には、冬に逆らい、生きようとしてもがくものたちの姿がちらほらと見えた。

 彼らは何で生きていけるのだろう。なにも起きていないような顔をして、どうやって生きていけるのだろう。


 街灯が丸くほのかにあたりを照らす公園で、僕は一人星を見上げる。張り付きそうなくらいに冷たいベンチに腰を下ろし、あたりの寒気を十分に吸い込んで。

 このまま凍ってしまいたかった。体も、そして心も、なにも感じなくなるまで。この体が凍てつき、心臓の脈動が止まるまで。


 どのくらい、そうしていただろうか…。

 遠くから人影がやってくるのが見えたが、僕は黙殺した。

 やがてその人影は公園に入り、街灯の光を浴びて白くほのかに浮かび上がった。

 白く照らされた顔の表情を見分けるのは難しかったが、僕にはそのひとがどんな顔をしているのかはすぐにわかった。

 わからなかったのは、彼女がどうしてここに来たか。どうしてここにいるとわかったのか。


 「黒川くん」

 有坂の声だ。この数日、ずっと聞きたかった声。

 僕が拒んだ声。


 「やっと、みつけた…」

 そういった彼女の声は、悲しげで、苦しげで…

 そして、怒りに満ちていた。

 「どうして、こんなところに?」僕の問いに、彼女は少しあきれたようだ。

 「気づかなかったの?ずっとついてきてたのに」

 驚いた。ぜんぜん気がつかなかったこともそうだが、こんな時間に有坂が出歩いていることにも。

「こんな時間に、どうして…」

「電話も取ってもらえなかったから。黒川君の家までいって。電気が消えてたから帰ろうとしたら、とぼとぼと歩いてくから」

 そういうと、彼女は僕をにらんだ。


 「どうして?どうして、さよならなの?どうして何もいってくれないの?」

 僕は、目を合わせない。うつむいて、じっと聞くだけ。

 「わたしのこと、嫌いになったの?」

 今にも泣き出しそうな声で、有坂が言う。

 「ちがう!そうじゃないんだ…」

 思わず言いかけて、それが無意味なことに気づく。

 けれどこういう反応をしてしまった以上、有坂に説明をするしかなくなってしまった。


 「いやだよ、有坂を巻き込むのなんて。あのときにわかっただろ?僕が有坂と一緒にいれば、後で必ず迷惑がかかる。ただでさえ、有坂ひどい目に遭ってるのに、これ以上迷惑をかけるわけにはいかないよ」

 僕はそういうと、またうつむいた。

 「どうして、あのときわたしにそういわなかったの?」

 「言ったら、有坂さんのことだから、絶対「そんなことない」っていうと思ったんだ。そんな風に気を使ってほしくなかった。これは、僕の問題だから。ひどい目に遭うのも、決着をつけるのも、僕一人でいい。巻き込みたくない」

 僕がそういうと、沈黙が訪れた。


 沈黙は、長く続いた。

 その沈黙に耐えきれなくなってきたころ、有坂が口を開いた。

「逃げないでよ」

 有坂の口調は冷たくて、そのくせやけどしそうなくらいに熱かった。

「どうして、わたしに迷惑だと思うの?どうして、何もいってくれなかったの?そんなにわたしが信用できなかったの?

 わたしだって、黒川君と一緒にいたから、今までやってこれたのに。黒川君がいなかったら、わたし…」

 有坂は、そこで言葉を切った。言葉が続かなくなったようだった。ひとつ息をつき、彼女が続ける。

 「わたしのことをわかってくれなくても、わたしをいじめずに、見下しもせずに、ちゃんと受け入れてくれたから、だから一緒にいるの。もっと自分に自信を持ってよ。黒川君がどんなにわたしの支えになってくれたか、黒川君、ぜんぜんわかってない。

 一緒にいれば迷惑がかかる?それがどうしたっていうの?いまだって、あいつらにずっといじめられてることは、変わらないのに。誰も一緒にいてくれないことの方が、ずっとつらいのに…」

 そういうと、有坂は僕の顔をじっと見た。茶色の大きな瞳が、僕をにらみ据えている。


 どうしよう。また、有坂を悲しませてしまった。有坂を悲しませないために、有坂にいらない苦労をさせないように、有坂と別れたはずなのに。

 けれども、ここで引くわけにはいかなかった。

 「だめだよ。あのときより、状況がもっと悪くなった。悪いことは言わないから、離れた方がいい」

 「…なにかあったの?」

 「木田が死んだ」

  短く言うと、彼女の顔が引きつった。

 「学校の屋上から飛び降りたんだ。自殺だって、警察は言ってる。けれど、高原たちはそうは思ってない。このままじゃ、犯人にされてしまう。今まで僕のことを知らなかった人にまで、いろいろといわれてるんだ」

 ここで、言葉を切る。

 「だから、僕と一緒にいない方がいい。有坂にまで迷惑がかかるから。有坂、ただでさえ大変じゃないか。これ以上、つらい思いをさせたくないんだ」

 これを聞くと、有坂の顔に朱がさした。


 「…いつもそうなんだね」

 不意に有坂の声がした。

 「何でも自分で決めちゃって、しかも自分だけで悦に入ってるの。自分一人で我慢していればいいって、それがどれだけあたりの人を傷つけるか、考えたことある?信用している相手から信用されないことが、どれぐらいつらいことか、考えてもいないでしょう?ひどいよ、黒川君。自分の都合だけで話進めちゃって、結局私がどう思ってるかなんて、ぜんぜんわかってないんだから」

 それだけいって、有坂は僕をにらみ据えた。いつも悲しげに曇っていた瞳が、今はまっすぐに僕を見つめている。

 「私が黒川君に何かしてあげたいの。迷惑がかかるなんて思わないで。それは、私に対する侮辱だよ。私がそんなに信用できないの?信用できないのなら、黒川君が見てた私は、黒川君が自分で勝手に作り上げた私だよ。そんなものを守ってもらっても、迷惑なだけ。自分一人で、勝手にやればいいわ」

 有坂は、もういつもの仮面をかなぐり捨てていた。怒りのせいか、手足が小刻みにふるえている。


 ずっと、一人だと思っていた。

 もう小学校の時には、僕の周りに誰かがいた記憶がない。

 他人なんて当てにならなかった。自分のことは自分でけりを付けなければならない、そう思っていた。

 誰かに頼るなんて、弱いやつのすることだと思っていた。

 ちがう。

…怖かったんだ。

 僕が誰も頼りにしてないこと。誰にも頼りにされてないこと。自分すら頼りにしてないこと。

 僕が、他人も自分も切って捨てて、残りの部分だけ、それもいつでも切って捨てられると思いながら、自分の殻に閉じこもっていること。

 それを思い知るのが、怖かったんだ。

 だから、有坂を傷つけた。有坂のためなんて、嘘だ。信用できない他人を、自分の中に入れたくないだけだったんだ。

 けれど、もう戻れない。

 たぶん、最初に有坂と屋上であったときから。

 誰かと一緒にいるということを、知ってしまったから。

 昔は寂しいとさえ感じなかった。

 カーテンを閉めて、真っ暗な部屋で闇を見つめてただ座っている。それがふつうだった。


 でも、あの屋上でひかりを見たから。あのとき胸にともった光は、ずっと心の奥底にあって、どうしても闇を遠ざける。

 有坂にとって僕が、この世へと結びつけるただ一つの鎖だったように。

 僕にとっても有坂は、ずっとひかりのまま。

 忘れることなんてできない。

 自分だけで何でもできるなんて、嘘だ。自分は何にもできないのも、嘘だ。

 そんな風に自分を甘やかしちゃいけない。

 たいせつなのは、だれかとかかわること。

 相手を受け入れようとすること。

 自分も他人も切っていくのは、臆病だから。

 せめて自分や友達は切らないように。


 「有坂…」

 静かに頭を下げる。

 「ごめん、有坂、ごめん…」

 それしか言葉がでてこない。

 不意に有坂が顔を上げた。

 「黒川君、泣いてるの…?」

 泣いてる?僕が?

 聞き返そうとしたけど、できなかった。

 「あれ…」

 なんだか目の前がぼやけている。

 なにも、みえない。

 いつの間にか、僕の目から熱いものが流れ出していた。

 それは後から、後から流れ出し、頬をぬらし、地面へと吸い込まれていく。


 ふいに、何かに抱き寄せられた。

 顔を上げると、有坂の潤んだ目が見えた。

 「何も言わないで」有坂の声は、決意を秘めていた。

 「黒川君は、私が守ってあげるから。絶対、守ってあげるから」


 有坂は、あたたかかった、とても。

 僕は有坂に抱きしめられながら、ただ泣き続けた。



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