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冬の話  作者: ロボ
11/22

第十一話 氷雨

 次の日は雨だった。低くたれ込める灰色の空から、銀色の雨の線が何千と流れ下る、そんな日だった。

 冬の雨は嫌いだ。ただ冷たくて、体の芯からぬくもりを奪い取る。ひとが、生きていくのさえいやになりそうな、そんな陰鬱な日。

 せめて、雪ならよかったのに。雪なら積もれば、この世のすべてを覆い隠すこともできるだろうから。けれど現実には、この世は雨によって閉ざされている。


 有坂の家へ寄ったが、有坂はもう出かけたそうだ。今日は係の仕事があるらしくて、僕が来たらそう伝えてくれるように頼んだという。

 だったらしかたがない。僕は有坂の母に礼を言うと、学校へ向かって歩き出した。

 少しだけ残念だ。




 教室に入ると、沈黙が広がるはずだった。

 けれど、この日はいつもとは違っていた。

 みんなは前のように、いや、もっと興奮して、何かを話し合っている。

 なにかあったのだろう。でも、いったいなにが?

「すごかったってさ、ビルの下に、秋川の死体があって…」

「なんか、頭から飛び降りたらしくて。顔とかぐちゃぐちゃで、だれだかわかんないくらいだったんだって」


 秋川が死んだって?

 「それ、ほんとか?」

 思わず近くにいたやつに詰め寄る。

 「ああ。木田の後追いってうわさだけど…」

 おびえたように後ずさるそいつを問いつめることはせず、あたりのみんなの反応を見る。

 今まで話していたみんなが、一斉にこちらを向いていた。その顔には、紛れもない怯えがある。

 ということは…

 有坂の席をみる。

 投げ出された鞄。

 何があったのかは、すぐにわかった。


 急いで教室を出る。

 何とかしないと。どんな気持ちで、あいつらの言うことを聞いたんだろう?

 靴を履き替え、傘をつかんでそのまま走る。

 差した傘はじゃまだから。たたんでしまった。すぐに、雨滴が目にかかる。容赦なく降り続く雨が、体から精気を奪っていく。ぺったりと張り付いたシャツが気持ち悪いし、凍り付きそうに寒い。

 それでも僕は、有坂を捜し続けた。

 どこだ。どこにいる。

 商店街。駅前。通学路。

 そのときふと、ある光景が浮かんだ。おとついの夜の、あの光景。あのときのことを、向こうも大切だと思っているなら…

 

 公園の入り口をくぐる。

 有坂はそこにいた。氷雨の中、傘も差さずにベンチに座っていた。

 雨の中でふるえる有坂は、頼りなげで、はかなげで、さわったらそのまま崩れそうに見えた。そしてそのまま、雨にただ打たれていた。

 制服はもうびしょぬれで、髪や服の端から滴が滝のように流れていた。

 そこにいる彼女は、初めて屋上であったときの彼女とは違っていた。おとつい公園であったのとも、あの日に、屋上の鍵を奪われた日の彼女とも違っていた。

 そこにいる彼女は、ただおびえてうずくまっていた。

 そんな彼女を、みていたくはなかった。

 だから、声をかけた。


 「有坂さん」

 すると、彼女がゆっくりと顔を上げた。

 「黒川君…」

 「きて、くれたんだ…」

 そういうと、彼女はかすかにほほえんだ。

 「きてくれたんだ、じゃないよ!ずぶぬれじゃないか!ほら、傘持ってきたから。帰ろう」

 そういうと、有坂はゆっくりと首を振った。

 「いやだよ…。ここにずっと、このままいたい…」

 「たぶんそういうんじゃないかと思ったんだ。でもだめだよ。このままだと、倒れちゃうよ」

 「別にいいよ」

 「でも…」

 言いかけて、気づいた。おとついの夜のぼくと同じだ。

 たぶん彼女は、本当にここから離れたくないんだ。

 どうして?自分を寒さの中に包み込んでしまえるから。自分が、このまま消えてしまえるように思えるから。

 だから…。


 「ここ、すわってもいいかな」

 「うん」

 「僕がいるとじゃま?」

 「ううん、そんなことない。でも…」

 「いいから」

 強引に座ると、傘を彼女の上にさした。

 

 やがて、彼女はぽつりぽつりと話し始めた。

 「教室に入るとね、何にも声がしないの。なあんにも。それで、みんなこっちをみて、ひそひそはなすの。どうしたのかって思ったわ。そのうち、宮野さんががまんできなくなったみたいで、こっちにきてね。

 「どうして秋川を殺したのよ」って。

 「どうして秋川の電話の時、行って止めなかったのよ」って。

 わたしね、黒川君の気持ち、初めてわかった。確かに黒川君にはいいたくないよ。おとつい、あんなにえらそうなこといったのにね。でも…」


 有坂の泣き顔を見るのは、これで何度目になるだろう。

 そっと手を伸ばした。

 細い肩を引き寄せると、有坂の頭が胸の中に収まった。

 「だいじょうぶ。これからは、ずっとそばにいるから。どんなことがあっても、有坂の味方だよ」そんなせりふが喉元まででかかったけれど、自制した。

 代わりに、有坂がこれ以上雨に濡れないように、彼女の体を抱え込むように強く抱きしめた。

 あの日あんなに暖かかったのに、有坂の体は冷え切っていた。まだ息をしているのが不思議なくらいに思えた。だから有坂が暖まるまで、ずっと抱いていた。


 十分ぐらいそうしていると、だんだん有坂の泣き声が小さくなってくるのがわかった。

 「落ち着いた?」

 「うん、なんとか。ありがとう…」

 「じゃあ、家まで送るよ。どっちにしろ、学校へはもう行けないだろうし。荷物は明日とってこよう」

 「黒川君はどうするの?」

 「僕も今日は帰るよ。教室を飛び出して来ちゃったからね。いまさら戻れないと思う」

 僕がそういうと、彼女は小さくほほえんだ。

 それはほんのかすかなものだったけど、僕には十分だった。



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