第十話 電話
家に帰ってからまずやったことは、有坂に電話をかけることだった。
「あのあとは何もされなかった?」
「うん。黒川君は?」
「いつもどおりだよ」
受話器の向こうで、有坂の声が曇るのがわかった。
「大丈夫だった?」
「へいきへいき。いつものことだしね」わざと明るい声を出す。
「それならいいけど…むりしないでね」
「ありがと。心配してくれて」
「そ、それよりも、あの事件のことを調べたんでしょ?なにかわかった?」なぜかややあわてた声で、有坂が言った。
「二、三わかったことはあるんだけどね。これがどう結びつくのかは、まだ今ひとつ」
「そっか…」
「まあ、焦らずに調べてみるよ。素人のすることだし、テレビみたいには行かないって」
「まあ、そうだね。私にも何かできることがあったら言ってね。なんでもするから」
「ありがと」
礼を言って電話を切る。
正直、有坂が協力してくれてもあまり調査が進むとは思えなかった。こういう調査だと、みんなに話が聞けなければどうにもならない。それは今日一日で痛いほど分かった。僕と同じでクラスから孤立している有坂に、僕よりうまく調査ができるとも思えない。
でも、有坂の気持ちはうれしかった。
(ありがたいよな)
実際、思う。あれだけのことをしておいて、まだ協力してくれるんだ。どれだけ感謝したって、したりないと思う。
(でも)
ふと、思った。
どうして協力してくれるんだ?それが少し、気にかかった。僕は有坂に、何にもしてあげられてないのに。どうして有坂は、あそこまでして…
しばらく考えたけれど、どうもわからない。結局、それは棚上げにすることにした。有坂は、僕の味方をしてくれる。それで十分じゃないか。今はそれよりも、もっと別のことを考えよう。
僕はこの事件を、順を追って考えることにし、ベッドに寝ころんだ。
あの日の前の何日間かの木田の行動を思い出そうとして、それが思い出せないことに気がついた。いや、思い出せないのではなく、もともと知らないのだ。
そういえば最近、いじめられる回数が減っていたような気がする。
だから有坂と会えたわけだし、そこで気分が良くなっていたからこそ、屋上の鍵を取り上げられたときのショックが大きかったわけだ。
でも、それは偶然なのか?
そのときなにかあって、僕に関わり合っていられなかったとは考えられないか?
そうだとすれば、いじめが鈍ったのも納得がいく。そこで起こったことが、木田が死ぬ原因になったのかもしれない。
とりあえず、あの日の木田たちの様子を聞かなければならない。といっても、誰に聞けばいいのか…
不意に、電話が鳴り響いた。知らない電話番号だ。
あの事件があってから、たまにおかしな電話がかかってくるようになった。たいていは無言のままか、僕のことをなじって終わる。知り合いからの電話なんてかかってこないけど、親の都合上電話ははずせなかったから、しばらくは電話にでるのも怖かった。今日になって、やっとそれが一段落ついたところだった。
十分に用心しながら、受話器を取る。
「…黒川?」
秋川の声だ。
「…なんの用だ」声が硬くなるのがわかる。
なんで秋川から電話がかかってくる?
「しらばっくれないでよ」電話の向こうの声は、硬くとがっている。
「なんのことだ?」
「木田を殺したことよ!」
「僕は別になにもやってないよ」
本当は、すぐに電話を切ってしまえばいいことはわかっていた。しかし、なぜか切ることはできなかった。普段の秋川とは違う…
少し考え、すぐに答えがでた。いつもと違って、声に余裕がない。
「あんた以外に、誰があいつを殺す必要があるのよ」
「知らないよ。とにかく、僕じゃない」
秋川の声を聞きながら、僕は秋川がなぜこんな電話をかけてきたか必死で考えていた。
僕に嫌がらせをするくらいなら、なにも自分の名前をあかす必要なんてどこにもない。自分が不利になるだけだ。無言で、匿名で嫌がらせをするだけで、十分に向こうの目的は果たせるのだから。
なにか、秋川が名前を明かした理由があるはずだ。
それを突き止めようと、僕は秋川の話しに耳を澄ます。しかしそれは、すぐに明らかになった。
「木田は、あんたに殺された。あたしはなにもしてやれなかった。だからあたしにできることは、それをつきとめることだけ」
秋川の声に、偽りは含まれていない、ように見えた。
「今晩十時に、高夜団地の公園に来なさい。どんなことをしても、あんたからこの事件のことを聞かせてもらう。もしだめなら…」
「だめなら?」
「あんたを殺してもいいけど、それじゃあ一瞬で終わっちゃうから。もっともっと苦しめてあげる」
「具体的にはどうするつもりなんだ?」思わず、声に力がこもる。
「あんたはもう一人人を殺すことになるの」秋川の声には、紛れもない喜びの響きがあった。
「私が自殺するの。この事件の「真相」を、遺書に書き残してね。あんたはもうひとり人を殺すことになる」
「なんだと?」
瞬間、これまでたまっていた怒りが、一気に沸騰した。
僕ら二人に、あれだけのことをしておいて。
この事件まで僕らのせいにして、それでまたいたぶって。
今度は、勝手に自殺する秋川の責任までとれだと?
ふざけるな。
本当に死ぬ気もないくせに。
このあと、どうなってもかまうもんか。
勝手にしろ!
「いいんじゃない?」
自分でも思わなかったほど、強い声が出た。
「な…」
秋川は電話の向こうでただ絶句している。
「あんたが自殺することに、どうして僕が罪悪感を抱いたり悲しんだりしなきゃならないんだ?控えめにいって、僕にとってあんたの存在はゴミ以下なんだ。どうぞご自由に。僕があんた達にいわれてた言葉を、そっくりそのままお返しするよ」
「待っ…」
皆までいわせず、受話器をたたきつけた。
電話を切ってから、急に不安が押し寄せてきた。思わずあんな言葉を言ってしまったし、それはほとんど正しかったけれど、それでもどこかひっかかる。
少し考えて、僕は有坂の家に電話をかけた。
「私のところにも、同じ電話がかかってきたの」
「どうしたらいいと思う?」不安げな声が聞こえる。
「どうもしなくていいんじゃないかな?」
「やっぱり?」
「うん。秋川に死ぬ気はないと思う。本当に死にたいのなら、その前に僕たちを呼び出すなんてことはしないと思う。呼び出して、僕たちが来たのならともかく、来なかったら当てつけで死ぬこともできない。明日僕たちが電話のことを言ったら、大恥をかくしね。もし本当にやる気があるなら、遺書だけ残して人のいないところで死ぬか、逆に全校生徒の前で僕らを責めて、そのあとで死ぬか、どっちかだと思うよ」
「じゃあ、何のために呼び出したの?」
「たぶんあの電話のそばには宮野たちもいると思うよ。偽の電話で呼び出して、どうせまたいじめるつもりなんだろう。だから、絶対にいかないでね。…心配だから」
「…うん」
返事が来るまでに、若干時間がかかった。
どうやら有坂は、秋川が死ぬと言ったことに、少し罪悪感を感じたらしい。
「そんなに落ち込まなくてもいいよ。どうせ脅しだよ」
そうやって慰めたものの、最後まで有坂が元気になることはなかった。
受話器を置くと、またさっきの考えが頭の隅をよぎった。確かに、秋川の行動はおかしい。
ぐるぐると頭の中でいろんな考えが渦巻いたが、あまり役に立つ考えがあるとは思えなかった。
僕はあきらめて寝ることにした。明日になれば、良い考えが浮かぶこともあるだろう。今日はいろいろなことがあった。ゆっくり休んだほうがいい。
眠りに落ちるとき、一瞬だけ有坂の顔が浮かんだ。