勇者は距離感を間違えたか
「……何だ?」
ラピスラズリの瞳が勇者を見つめる。
前世と同じ問い。
けれど、答えは違う。
「――あなたのことを、今度こそ知りたい」
入学式が終わり、新入生がまばらになった教室。異世界から召喚されたばかりの勇者アオイは、レオン・フォン・ヴァルハルトの前に立ち、満面の笑みを浮かべていた。
レオンは、そのラピスラズリの瞳をわずかに見開く。
(……おかしい。何かが致命的に狂っている)
前世――いや、彼にとっての「朧げな予知夢」のような記憶では、彼はここで彼女に「平民風情が」と言い放ち、険悪な関係になるはずだった。実際、今もそのセリフを喉まで出しかけていたのだ。
だが、目の前の黒髪の少女は、拒絶される隙を一切与えないほどの距離まで踏み込んできている。その瞳にあるのは、かつての敵意ではなく、底なしの執着と、ほんのりとした熱を帯びた好意だった。
「 私の前に気安く立つな」と冷たく突き放し、逃げるように教室を後にした。
翌日
「おはようございます、レオン様!」
満面の笑みで駆け寄るアオイ。
教室中が静まり返った。
(え?)
(勇者が……挨拶した?)
レオン自身が一番驚いていた。
「……私と話しているのか?」
「もちろんです!」
「何か企みか?」
「ありません!」
「ならなおさら意味が分からん。」
前世では初日から睨み合いになった少女が、今日は犬のように尻尾でも振りそうな勢いで笑っている。
理解不能だった。
そこへ王子が近づく。
「勇者殿、席はこちらへ──」
「ごめんなさい。」
あっさり断る。
「私、レオン様の隣に座ります。」
教室が凍った。
「なっ……」
レオンが珍しく言葉を失う。
将軍の息子は椅子から転げ落ち、魔法協会長の息子は持っていた本を落とした。
王子だけが作り笑いを浮かべる。
「……どうして彼の隣なんだ?」
「えっと……」
アオイは慌てる。
(『あなたのことを知りたい』なんて言ったら重いよね!?)
結局。
「顔が好みなので。」
教室中が爆発した。
「ぶっ!」
「はぁ!?」
「勇者ぁぁぁ!?」
レオンだけは真顔だった。
「初対面で容姿を理由に判断するとは。」
「はい?」
「実に浅薄だ。」
「違うんです!」
「違わん。」
「違いますって!」
顔を真っ赤にして否定するアオイ。
(前世ではもっと感動的に再会できると思ってたのに!)
レオンはため息をつく。
「……好きにしろ。」
そう言って窓際の席へ向かう。
その後ろを、小走りで付いていく勇者。
「レオン様!」
「何だ。」
「お昼、一緒に食べませんか?」
「断る。」
「では放課後は?」
「断る。」
「訓練は?」
「断る。」
「休日は?」
「断る。」
「じゃあ今度──」
「全部断る。」
周囲の生徒たちは目を疑った。
あの高飛車なレオン・フォン・ヴァルハルトが、勇者から猛烈に言い寄られている。
しかも本人は本気で迷惑そうだった。
昼休み。
アオイは食堂で一人落ち込んでいた。
「……嫌われた。」
「当然でしょう。」
後ろから声がした。
振り返ると、銀髪の少女がトレーを持って立っている。
聖女候補、リシアだった。
「あなた、距離が近すぎます。」
「そうかな?」
「初対面で襲いかかりそうな勢いでした。」
「そんなつもりじゃ……」
「本人は、完全に警戒していましたよ。」
アオイは机に突っ伏した。
「今回は、もっと話したかっただけなのに……。」
「……今回?」
「い、いや! 何でもない!」
リシアは首を傾げながら微笑む。
「焦らなくても、レオン様は努力する人です。」
「努力?」
「毎朝、日の出前から訓練しています。」
アオイの表情が変わる。
「……知ってる。」
思わず漏れた一言。
リシアは少しだけ不思議そうな顔をした。
「え?」
「……ううん。」
アオイは立ち上がる。
「決めた。」
「何をです?」
「今度は隣で、一緒に努力する。」
また別の日
訓練場では、レオンがいつものように家宝の宝剣を振っていた。
「九百九十七……
九百九十八……
九百九十九……
千。朝は、残りニ千回か」
汗を拭いた瞬間。
「レオン様、おはようございます!」
元気な声が響く。
振り返る。
勇者が木剣を抱えて立っていた。
「今日から一緒に朝練します!」
レオンは空を見上げ、小さく息を吐く。
「……本当に意味が分からん。」
しかしその胸の奥には、本人も気付かないほど小さな、懐かしい温もりが灯っていた。ラピスラズリの瞳に、今度は冷徹さではなく、少しだけ呆れた、けれど温かい光を湛えて、少年は小さくため息をついた。
その様子を、王子が見つめている。
その手には、一匹の蛇が薔薇へ巻き付く紋章の封蝋がされた封書を持っていた。




