第5章。 『月見はラブコメの特等席。』
十月のキャンパスは眠気との戦い。
バイト→大学→恋愛実験→噂の追撃……はい、主人公=過労キャラ確定。
しかも人気女子グループからの冷やかし、無言レーザーの同級生、若手講師からの鋭い視線。
「俺=NPC」モードで何とか一日を終えたはずが――
夜の秋葉原、そして隅田川の月見へ。
集まったのは、作家志望の美雪、イラストレーターの茜、そして取材魔のすみれ。
文化的イベントのはずが、アルコールとだんごと誤解が交差して、なぜか青春ラブコメの見本市に……?
満月の下で交わされる会話、ふいに零れた言葉、そして積み重なる『誤解イベント』。
バイト戦士・新井匠に待っているのは、ロマンチックな一幕か、それとも羞恥プレイの連続か。
新井・匠
篠原・茜
藤宮・美雪
如月・すみれ
村上・琴葉
中西・紗良
小野寺・紗耶
相沢・悠人
中原・美咲
佐伯・玲奈
神田駿河台・東京。
10月6日。
十月の斜めの光が、教室の窓から三角形を描きながら差し込んでくる。まるで授業風景を切り取ってコラージュにでもしようとしてるみたいに。
……で、俺はそのコラージュの中で完全に『余計な糊』扱い。
ここ三日間をまとめるなら――バイト → 大学 → 恋愛実験 → 睡眠不足と噂の追撃。
『はい、大学版ミクロ社会の完成。』
俺のクマはあまりにも濃くて、そろそろロゴマークとして商標登録できそうだった。
それでもバイトしないと生きられない。
体が慣れるまで我慢か、それとも先に崩壊するか……
ノートはすでに落書き動物園。ペン先が暴れて生まれた謎の生命体がページで繁殖中。
まぶたは鉛入り。
ガクッ。二回。三回。
「おい、起きろ。点呼くるぞ」
隣から陽翔がサッカーのイエローカード級の肘鉄。
教室の向こうでは、いつも噂生態系が今日も豊作。
大学でもやっぱり序列は自然発生するらしい。
人気トップ枠の一人、佐伯玲奈が脚を組んで、ミニスカで校則もどきに真っ向勝負。
声のボリュームは「わざとだろ」ってくらい落とさない。
「またドンファン、授業中に寝てるじゃん」
薄いボンバージャケットに透けタイツ、白スニーカー。髪はダークブロンドにハイライト。
『……はい、新しいボスキャラ参戦。』
その両脇には忠実な従者。
村上琴葉、丸メガネの生きる校内通信簿。「ふふ、また寝てる」
中西紗良、ゆるギャル系でネイルが反射板。「マジウケる〜」
『……おいおい、難易度上昇イベントかよ。ラスボス候補追加、おめでとう俺。』
教壇には小野寺紗耶先生。
『芸術とデザイン史』を担当、29歳。
白ブラウスにグレーのタイトスカート、同色の軽いジャケットに細いスカーフ。髪は落ち着いたカーマインレッド、細縁メガネ。靴は黒のフラット。
第一印象――『若いけど、手抜きゼロ探知機。笑顔の裏に成績ボード内蔵タイプ。』
「戦後の工業デザインは、生活再建と国のイメージ戦略の両輪で発展しました――」
落ち着いた声色だけで、こっちが学者になった気分。
……頭の中はおにぎりだけど。
『若くして大学講師って……やっぱ頭いいんだろうな。』
そう思いながらも、重力は容赦ない。まぶたは勝手に閉店準備。
ガクッ――また首が落ちる。
その瞬間、視界の端で先生と目が合った。
怒鳴るでもなく、分析するように静かに。
――臨床検査みたいな眼差し。
すぐに板書に戻ったけど、十秒後、名簿をパタリと閉じて口を開く。
「新井くん、授業の後、少し残ってくれる?」
胃袋を掴まれたみたいにヒュッとなる。
『……あれ、俺、説教回避できたと思ってたんだけど』
チャイムが鳴った瞬間、教室の半分は鳥の群れ。
教室を出ていく玲奈トリオは、まるで振り付けされたかのように同時に立ち上がり、廊下に笑い声の香水を撒き散らしていった。
その背後、最後列の机の影から――レーザー級に鋭い視線が俺の背骨を貫いた。
相沢悠人。暗色パーカーにジーンズ、腕組み、無言。
……言葉なんか要らない、殺気だけで十分。
『……はい来た。女子から嫌われるどころか、男子まで敵対ルート入りましたっと。』
陽翔はドアの前で、同情のまなざし。
「頑張れ……外で待ってるから」
親指を立てて、そのまま蒸発。
――処刑タイム、発動。
空っぽの教室は、小さな美術館みたいに音が響いた。
小野寺先生が机にファイルを置き、顎で最前列を指す。
「最近、顔色がよくないね。何かあった?」
声はニュートラル、でも少しだけ温度を含んでいた。
ごくり。てっきり冒頭から怒鳴られると思ってたのに。
頭の中で作戦会議。
プランA:嘘をつく。
プランB:もうちょっとマシな嘘をつく。
プランC:潔く処刑される。
結局、創作力がゼロでプランC採用。
「えっと……秋葉原でバイト始めて、生活リズムがまだ慣れなくて……」
先生は小首をかしげ、眼鏡を外し、スカーフで静かに拭いた。
そしてコンパスみたいに正確な笑み。
「ふふ、そう。てっきり女の子と夜更かししてるのかと思ったわ」
冗談はソフト、でもダメージはストレート。
「先生、その冗談は心臓に刺さるんで……」
肝臓通り越して、自己評価ゲージ直撃。
先生は小さく笑い、また眼鏡を掛け直した。
「バイトは悪くないけど、高校と違って大学は自己責任。成績も将来も、自分次第よ」
「……はい。分かってるつもりです。実行は、まぁ、別ゲームですけど」
――昆虫が二本足で歩こうとするレベルの決意。
「じゃ、行っていいよ。次のコマ、寝ないようにね」
コンマ一秒のマイクロウィンク。
『……思ったより処刑は甘口だったな。』
教室を出ると、廊下は消毒液と図書館の匂いが混じった空気。
柱に寄りかかり、深呼吸。疲労も溶かし込みたい。
数歩後、陽翔がスポドリ片手に出現。
完全に電解質のディーラー。
「どうだった? 拷問?」
「いや、意外とマイルドだった」
顔をこする俺を見て、彼は笑う。
「じゃなんでそんな顔? もしかして……小野寺先生をハーレムに加えられなかったから?」
「はいはい、青春テンプレの先生ルートは不成立ってことで」
時計を見る陽翔。俺は、まだ姿を見せない月を感じていた。
「なぁ陽翔、今夜、月見行かない?」
ダンボール運搬でも頼むテンションで口走った。
「おいおい、俺はそういう趣味ねぇよ。匠と二人で月見デートは無理」
わざと一歩引いて芝居がかった反応。
「違ぇよ。藤宮先輩たちも一緒。バイト後に隅田川テラスで合流」
文化ポイント稼ぎ計画、数日前からの仕込みだ。
陽翔はボトルを指で回し、視線をそらし、声を落とす。
「悪い、今日は無理。用事ある……深くは聞くな」
「はいはい、どうせまた別の言い訳するんだろ」
肩をすくめて終了。
『――公式に、俺一人 vs 三人の変人女子編スタート。』
授業に戻る。
教室。黒板、スライド、そして全員が『起きてますよ』って顔だけ取り繕う集団呼吸。
『……日曜になったら八時間ぶっ通しで寝たい。いや、切実に。』
大学を出る頃には、光はすでに午後に折れ曲がっていた。
十月の風は刃物っぽいけど、切れ味はゼロ。
俺の足は『ゲームのチュートリアル:歩く』モード。
キャンパス正門の自販機が、アルミ製の灯台みたいに点滅。
硬貨を入れて、缶コーヒー(無糖ブラック)を購入。缶を一秒だけ額に当てて、脳細胞を再起動。
ライフバッテリー残量ほぼゼロ。これでバイト前に充電しなきゃ。
『次のステージ:秋葉原生存編。……メイド服のコスプレ強制じゃないだけマシだな。いや、別に嫌いじゃないけど、俺には羞恥心というラスボスがいる。』
ひと口。ブラックが無音のエレベーターで胃まで直通。
リュックのベルトを直し、両手をポケットに突っ込む。
十月の長い影が、俺の相棒。
駿河台から御茶ノ水駅までの坂道は、都市全体が『動く歩道』に設定されたみたいに下り坂。
イチョウの黄葉は紙吹雪、冷たい空気が皮膚に貼りつき、影は電線みたいに引っ張られてる。
総武線各駅停車のホーム。LED広告が点滅、ピピッと短い警告音、扉がカシャンと噛みつく。
自販機のガラスに俺のクマが映る。気づけば二本目の缶コーヒー(ブラック無糖)。
『本日二本目。カフェイン=命のポーション。副作用:手の震え。』
17時28分、電車が金属の溜め息を吐きながら入線。三分後――秋葉原・電気街口。
外はすでに人工の光。
アイドルとVチューバーの映像、唐揚げとエアコンの匂い、観光客は紙袋を盾にし、自転車は人波の間をスラローム。
俺はNPCの風格でアーチをくぐり、持ち場へ。
勤務先の店は、光る長方形の看板と金属ベル。ドアを押した瞬間にチリン。
中は紙とPVCの世界。
狭い通路に積まれた単行本、赤い『新刊』札、ガラスケースには『限定/再販』のフィギュア、ビニール包装の雑誌棚。
匂いは新品の段ボールとインクとプラスチック。
BGMは某アニメOPの無限ループ。脳は既に憎しみと愛で半々。
『店内撮影ご遠慮ください』の札が、唯一の結界。
『……少なくとも、ここでは俺専属のストーカーはいない。』
「お疲れさまです、中原先輩。今日もよろしくお願いします」
「お、新井くん。今日は早いね」
中原美咲。27歳。
黒ポロに店ロゴ、ポケット付きエプロン(カッター、鍵)、スキニージーンズにスニーカー。
髪はダークブルーでまとめ髪、毛先はワントーン明るめ。右耳に二つ、左に三つピアス。
見た目は不機嫌キャラだけど、中身は割と優しい。
「今日は棚Aの新刊差し替えと、19時にフィギュア便が来る。ラベル貼りは分かるね?」
「はい!」
『よし、仕事に没頭すれば居眠りフラグは回避できるはず……』
エプロン装備完了。
棚Aへ。出版社、シリーズ、巻数を確認。
古い背表紙を抜き、アクリル定規で列を整えて、新刊をテトリスみたいに埋め込む。
値札とISBNシール、カチッ。ビニールがパリッ。――OPの代替サウンド。
18時20分。客の一人が声をかける。
「『海賊王』の限定版、まだあります?」
「申し訳ありません、限定版は完売です。ただし三巻まとめてご購入いただければ、イラストセットをプレゼントします」
条件反射で返答。客は納得の頷き。
『……またデジャヴ。人を正しい商品へ導くのも、ある意味サービス業だな。』
19時02分。
フィギュアの箱が到着。
カッターを線に沿って入れる。
「はい、チェックリストタイム」
ダイナミックなポーズのヒーロー3体、デフォルメ2体、財布を狙う悪役1体をショーケースへ。
右に『限定』、左に『再販』の札。
『……指先だけ元気。脳みそは省エネモード。』
19時47分。
ポケットが震えた。
――本能:出すな。
――現実:カウンター下で忍者プレイ。
LINE。送り主:藤宮美雪。
『秋葉原(電気街口)に21:30集合。そのままTXで浅草→隅田川テラスへ。人混みあるから早めに。21:30に上がれる?』
『……TX→浅草→隅田川。動線、完璧。準備万端かよ。』
返信しようとした瞬間、ガラスに青い反射。
――美咲が横目で見てた。
「彼女から? まぁいいけど、仕事はサボらないでね」
ドライな冗談。
「い、いや、彼女じゃ……違います」
「はいはい」
彼女にしては大爆笑級の薄笑い。
スタッフ用ディスペンサーで紙コップのお茶を汲み、平然と戻る。
すぐにまた震える。
『21:30に外で待つ。ダッシュで来て。』
……要約:遅れたら脚注にされる。
20時30分。チリン。
自動で出た声:「いらっしゃいませー」
「こんばんは、匠。取材に来ました♡」
甘い声+刃物の気配。
すみれ。
ライトなブラウスに青のライトジャケット、動きやすいスカートとスニーカー。
前髪ラベンダーは風で整えられ、小ぶりのカメラはまるで秘密警察のバッジ。
『……順調だった一日が、ここで急降下。完璧すぎる世界なんて存在しない。』
雑誌コーナーを回り、新刊を研究者みたいに凝視。
安い一冊を手に取り、レジへ。
ピッ――と通すと、カメラを少し持ち上げる。
「そのエプロン、意外と似合う。写真、要る?」
「いや、接客中に実況するな……」
「ふふ、事実を言っただけ」
「はいはい……」
支払いを済ませた彼女はアートブック棚へ。
胸元でファインダーを構え、撮らずに“狙い”だけ。
横で見ていた美咲は『何これ』みたいな顔をして、また在庫へ戻った。
『……撮らなかったのは美咲の視線があったから? ありがとうございます、美咲様。』
仕事はいつものメトロノーム。
POSのピッ音、袋のシャカ音、カタログ問い合わせ二件、テープのベリッ。
外は完全に夜。高層ビルの隙間から、丸い十五夜。HD画質のロゴみたいに輝く。
『主役=月。俺=前座。』
21時20分。
美咲がチェックリストを閉じ、頷く。
「うん、全部OKね」
「助かります」
「新井くん、デートあるんでしょ? 今日は月見だし、9時半でいいよ」
「デ、デートじゃ……」
「外、彼女待ってるよ」
顎でガラスを示す。
外では、歩道にすみれ。
ポケットに手を突っ込み、コンビニ袋を手首にかけ、月を見上げながらフレームを試していた。
『……ほんと、この人は誤解製造機だな。』
横で美咲がドライな声。
「言っといてね。『店内で張り込みしなくて大丈夫』って……あ、彼女もマンガ好きなんだ」
『だから彼女じゃないって……』「はい。お疲れ様でした」
「お疲れ」
カッターをしまい、エプロンを掛け、ノートをリュックに入れる。
BGMが次のトラックに切り替わる、まるで幕引き。
21時30分ぴったりに外へ。
冷たい風とネオンのモザイクが俺を迎える。
屋台の揚げ物の匂い、外国語のざわめき、カメラのシャッター音。
そして真上には、フィルターなしの満月。
すみれは袋を掲げ、旗みたいに振った。
「おつかれ。はい、戦利品。三色だんごと、ほうじ茶。私は飲めないから甘いの多めね」
ウィンク付き。
「……客か監視か、どっちかにしてくれ」
ため息をつきつつ、リュックのベルトを直す俺。――運命受け入れモード。
「両方でしょ。ほら、21:30集合。藤宮さんと篠原さん、電気街口で待ってるって」
スマホ画面にも美雪の通知。
二人で電気街口のアーチへ。
夜の秋葉原は昼より明るい。月がビルの輪郭、人の影をコントラスト強めに切り取る。
ガラス窓には、白い円がいくつも分裂して映り込む。
『今日の戦利品=時給+早退許可。次のクエスト=月見……そして背後にはストーカー。逃げ道なし。』
「行こうか、匠」
すみれはカメラを胸に掛け直す。
「はいはい。月見裁判・第二幕、開廷。」
電気街口のアーチは広告と観光客と学生でごった返し。
すみれは袋を戦利品のようにぶら下げ、カメラはスリップダウン狙いの準備万端。
そしてアーチの前に――美雪と茜。
美雪はベージュの軽いコートにグレーのマフラーを幾何学的に巻き、シンプルな斜め掛けバッグ。
――完全に『月見報告書』プレゼン仕様。
茜はレトロなボンバージャケットに黒スキニー、シンプルなニット帽。
――完全にロックフェス参戦者。
「遅い」
美雪の第一声。だがトゲは薄め。
「すみません、バイトに拘束されてました」両手を上げる俺。
茜は背中を軽く叩く。
「おつかれ、バイト戦士くん。今夜くらいは報酬あるといいね」
『報酬=羞恥プレイ発動率90%。』
すみれが袋を掲げる。
「とりあえず、私の戦利品」
中身はペットボトルのお茶、クラッカー、チップス二袋。
茜は口を開けて『裏切り現場』でも見た顔。
「ちょっと! アルコールなし? 月見で乾杯ゼロ? あり得ない!」
「……私は飲めないし」
すみれ、裁判官みたいに真顔。
「だから! 代わりに私たちが飲むの!」
美雪はため息。効率主義そのもの。
「近くのコンビニ寄ろう。チューハイとビール、それと月見だんご。形だけでも整えたい」
結局、すみれは押し切られる。
「第一ラウンド:篠原先輩&藤宮先輩の勝利」
コンビニの自動ドアが開き、冷房と『いらっしゃいませー』の機械音。
揚げ物の匂いと洗剤の匂いが妙に混ざってた。
茜と俺は缶コーナー担当。
「俺=ビール係?」
「うん。私はレモンチューハイ」茜は4本抜き取る。
「明日、死体で発見されたらどうすんの」
「記事になるじゃん」
背後からすみれ。すでにカメラを構えている。
そこへ美雪が白い箱を掲げて登場。
「三色だんご、ラスト一つだった」
――まるで日本文化救済ミッション達成みたいな顔。
袋の中には唐揚げとおにぎり。茜が一つを俺に突き出す。
「食べとけ。今夜は長い」
『はい、強制炭水化物。バイト帰りの胃袋に直撃。』
支払いを終え、袋をぶら下げて外へ。満月はスポンサー企業の看板みたいに頭上で輝く。
TX秋葉原駅。人の流れは一方通行みたいに浅草一直線。
改札ピッ、LED看板に『つくばエクスプレス』、エスカレーターの唸り。
ホームの匂いは金属と電気。
「放置くん、もし寝たら絶対許さないから」美雪はスマホから目を上げずに刺す。
「はいはい。俺=眠気キャラ固定かよ」
茜が笑う。
「キャラ立ってんじゃん。バラエティなら生き残れる」
電車が金属の獣みたいに到着。
車内はピクニック前線:シートに毛布、袋、カメラ準備。
俺は吊革ポジション、隣にすみれ。
横目で見てくる。
「エプロン姿の次は吊革姿? 写真いる?」
「いらん」
一分もしないで自動音声。『浅草〜』
駅を出ると目の前に川。
屋形船の灯りが虫みたいに滑り、スカイツリーが月を空に突き刺す。
河原はシートを広げた人でいっぱい。
月の下で笑い声。
空気は冷たく湿って、吐息が白い。
俺たちは階段横のスペースを確保。
シートを広げ、袋を展開――ビール、チューハイ、冷茶、おにぎり、唐揚げ、中央には公式供物の三色だんご。
プシュッ。茜が先に乾杯。
「月に乾杯!」
缶を合わせる。
すみれはお茶で参戦。
「ちょっと! お茶で乾杯ってあり得ない」茜が抗議。
「私は飲まないって言ったでしょ」すみれ真顔。
「だから! 代わりに私らが飲むの!」
美雪がため息。
「近くのコンビニでもう一回買えばいい。チューハイ、ビール、あと月見だんご。形を整えないと」
結局すみれは押し切られる。
「第二ラウンド:篠原先輩&藤宮先輩の勝利」
数分後。茜が俺の隣に来て、肩が触れ合う。
指で月の反射を指す。
「見て。割れても、ちゃんと戻るでしょ」
「……物理現象だろ」
軽い肘打ち。
「ほんと、色気ない返し」
――確かに。女子3人と月見なんて、俺のデフォ習慣じゃない。
「ねぇ、新井くん。おばあちゃんが言ってた。月見で同じだんごを食べた二人は、一生つながるんだって」
その言葉に反射的に顔を向ける。
月明かりに照らされた茜の横顔は、普段よりずっと柔らかく見えて――まるでかぐや姫。
「……ま、まぁ……伝説とかあるよな」
数分遅れでやっと声を絞り出す俺。少し震え気味。
「さぁね……残念だね。藤宮さんがだんご全部食べちゃったから、試せないけど」
茜はそう言いながら、そっと俺の腕に寄りかかる。
その仕草があまりにも柔らかくて――口が勝手に動いた。
「……篠原先輩、月明かりの下だと……すごく、綺麗です」
返事がない。寝た? と思って顔を向けた瞬間。
赤い。完全に赤い。チューハイか、俺のセリフか。
『やば……俺、何口走った!?』
――その空気を切ったのは、美雪。
「ごほん……ここ、公の場だから。マナー違反でしょ」ちょっと怒った声。
すぐに茜が食いつく。腕を離してニヤリ。
「あれぇ? 藤宮さん、もしかしてヤキモチ? ふふ」
美雪はタブレットを持ち上げて顔を隠す。耳まで赤い。
「ち、違う……ヤキモチなんて……ただ、公の場だから……」
「へぇ〜。じゃ、このシーン小説に使える?」茜が追撃。
美雪は横目でチラリ、さらに赤くなりながら小声。
「……まぁ、参考にはなるかも」
『はい、典型的ツンデレいただきました。』
そこで、すみれがケラケラ。頬は赤、原因=砂糖+冷気+ちょいアルコール。
「これで三角関係、確定だね」
「はいはい。ソース:酔っぱらいストーカー」俺。
すみれが立ち上がって三脚をいじろうとしたら――足がシートに絡まる。
「おい、危ない!」俺が手を伸ばす。
茜が腕を引っ張る。
結果:俺→茜に倒れ込む。すみれ→俺の背中。三脚→空中ダイブ。
顔と顔の距離、数センチ。茜の吐息が頬にかかる。
「ちょ、まっ――」真っ赤な茜、言葉詰まり。
「す、すみません篠原先輩!」慌てて横にずれる俺。すみれは芝生へゴロン。
『……この子、ストーカー兼誤解クラッシャー。』
パタン。美雪がタブレットを閉じる音。
「放置くん、三十字以内で説明」
「じ、重力と――」
「却下」パシッ。俺の後頭部にクリティカルヒット。
すみれは髪をぐちゃぐちゃにしながら指差す。
「記事タイトル:『女子三人に酔わせられた学生、再び』」
「却下!」
『……だから酒を与えちゃダメなんだよ。』
川の音と笑い声が夜に溶ける。
やがて美雪が立ち上がる。
「帰る。今夜の空気でロマンスのネタを思いついた。書かないと忘れる」
――声は急ぎながらも、どこか光ってた。
「はいはい、作家の業だな」
茜も帽子を整えて立つ。
「私も。今夜の月明かり、絵にしたくなったから」
そしてふっと笑みを向けてくる。その破壊力=ビール以上。
二人は銀座線に乗って西へ。
残されたのは俺とすみれ。
……不運にも、同じ方向=半蔵門線。
『なるほど、だから一日中つきまとえるわけね。』
カメラを下げた彼女は、まだふらつき気味。
石畳に足を取られて――「痛っ……ちょっと捻ったかも」
俺は腕を差し出す。
「いいから掴め。歩けないんだろ」
「……誰かに見られたらデートっぽいよ?」
「いらん誤解は十分だ。ほら」
渋々つかまり、顔を背けるすみれ。
『この人、本当に年上か? 行動は高校生だろ。』
数分後、電車が来て乗車。
車内で、すみれは俺の肩に自然に頭を預け――そのまま眠る。
『……まぁ、今日だけは許すか。』
周囲の少人数の乗客からは「酔ったカップル帰宅中」みたいな視線。
20分後、自動音声。『次は、神保町〜』
「起きろ、姫さま」肩を軽く叩く。
「うぅん……あと五分」
「五分寝たら、家から何駅離れると思ってんだ」
すみれが目を開けて、俺たちは電車を降りた。
秋葉原や浅草との落差がえぐい。
神保町の夜――書店街も学生通りも完全に沈黙。
シャッターの列が街灯の下で金属模様を描き、残ってるのはラーメン屋二軒の湯気と匂い、奥で光るコンビニのネオンだけ。
「送るよ」
「えっ……い、いいよ」
「は? 昼間に俺を追い回すのは平気なのに、家まで送るのはNG?」
「そ、それは……違うから……」小声でしおらしい。
「放っといたら凍死するぞ。仕方ねぇな」
二人で歩く。普段なら絡んでくる彼女が、今夜はやけに静か。
『……並んで歩くと、新カップルの一ヶ月目みたいだな。』
聞こえるのは、たまに響く足音と御茶ノ水を出る最終電車の音。
主役はもちろん、空に丸ごと掛かった満月。
やがてすみれのマンション。意外にも俺のアパートから二ブロック。
三階建ての二階。
ドアを開けた一瞬で中が覗けた――雑誌、付箋だらけの新聞、本には蛍光ペン。
完全に『現場』。
「片付いてないけど……現場っぽいでしょ?」
「……うん。脳内そのまま」
彼女は笑った。
「じゃ、今日はこれで。また明日」
ドアにもたれたすみれが、ふっと言う。
「これ、記事にしたら……記事じゃなくなる。恋愛小説になるかも」
「やめろ。これ以上、変な噂いらねぇ」
「ふふ、冗談だよ」
「はいはい。じゃあ、おやすみ」
俺が階段へ背を向けると。
「ねぇ、匠」
「……あ?」
「第三ラウンド:私の勝ち……いや、引き分けかな」
月明かりに照らされた顔は、普段の意地悪さじゃなく、優しくて綺麗で。
ドアが閉まる。
言葉が出ない。頬が熱い。――さっきの茜と同じくらいに。
満月だけが付き合ってくれる帰り道。
道端の缶コーヒーを蹴りながら、ゆっくり歩く。
『……あれ、本気で言ったのか? やれやれ。今日一日で心臓のライフ減りすぎだ。』
次回・『正体は隠せても、イラストはバレる。』
最後まで読んでくださって、本当にありがとうございました!
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