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第3章。 『記者の皮をかぶった新しい悪夢。』

ビール缶とスナック袋に埋もれた部屋から始まる一日――

なぜか両隣には二人の先輩。

目覚めた瞬間から、ラブコメ主人公顔負けの修羅場が展開する。

噂はすぐに広がり、疑惑は写真に残る。

そして現れたのは、ラベンダー色の髪を揺らす新聞部の記者・如月すみれ。

『実験』と称される彼らの関係に食いつき、期限を切った『取材契約』を突きつけてくる。

放置くんこと新井匠は、果たしてこの監視生活を生き延びられるのか。

友情と実験、噂と真実、そしてページの裏で蠢く記事の影。

次々と積み重なるネタは、ラブコメの枠を超えた新しい悪夢の幕開けかもしれない――

新井・匠(あらい・たくみ)

篠原・茜(しのはら・あかね)

藤宮・美雪(ふじみや・みゆき)

川崎・陽翔(かわさき・はると)

如月・すみれ(きさらぎ・すみれ)

橘・麗華(たちばな・れいか)

古賀・日和(こが・ひより)



神保町・東京。

9月28日。


――口の中がカラッカラで、背中はまるでレンガの上で寝たみたいにバキバキだった。

枕から漂うのは……ビールと海苔味ポテチの匂い。

『……おい、ここ留置場じゃないよな? いや、似たようなもんか。』

安物のカーテンから斜めに差し込む朝の光。

床には凹んだビール缶、結露で汗かいたソーダの瓶、呼吸するたびにカサカサ鳴るスナック袋。

空気は――シャンプーの甘い匂い、香水の残り香、安酒のアルコール……全部まとめて閉じ込めた『安っぽい合宿部屋のにおい』。

「……台風でも通ったのか?」

横に転がろうとした瞬間――俺の腕に冷たい重み。

茜。

頬を俺の袖に押しつけ、指先をブレスレットみたいに巻きつけてきている。

寝ぼけ声でつぶやいた。

「……行かないで……新井くん……歌って……」

半分寝言、半分笑顔。そのままぎゅっと締めてきた。

『……なにこれ。新しい天罰? 朝から酔っ払い先輩二人サンドイッチとか、完全に深夜アニメのエ○展開だろ。』

反対側からも、ぬくもり。

美雪。

俺の腰に足をひっかけて、プリーツスカートの裾は誤解を呼べと言わんばかりの位置でストップ。

ブラウスの肩口は乱れて、シンプルなチョーカーがのぞいている。

寝顔は――相変わらず眉間にシワ寄せて、夢の中でも俺を説教中。

唾を飲み込んだのは……別に色気じゃない。純粋に恐怖。

『この二人が目を覚ましたら……俺、死ぬな』

「……よし、ミリ単位で動け匠。腕を抜く、立ち上がる、誰も死なない――爆発もしない」

まずは茜の指をそっと外す。

「んん……」と喉を鳴らしたが、そのまま夢の中。

次に美雪の足を、外科医のごとく慎重に……一センチ、二センチ、三センチ――

――ガシッ。

茜の寝返りフック。無意識に俺を引き戻す。

バランス崩壊。派手さゼロの、見慣れたスローモーション転倒。

両手ぶんぶん、膝ガクッ――そのまま顔面ダイブ。

……着地点:美雪の胸元。

「きゃっ……!!」

跳ね上がった美雪はオリンピック金メダル級。

「な、なにしてんのよバカ!!」

――バチンッ。

頭頂部に炸裂した手刀と、背中にドンとくる押し出し。

俺の身体は袋菓子の山に直撃し、パリパリッ!と効果音つきで公開処刑。

「ちょ、ちょっと待て! 今のは事故だから!」

領収書を中身確認せずにサインするみたいに、とりあえず弁解。

『……新しい罪状ゲット:変態。気づけば某政治家並みに前科持ちだな俺。』

茜がようやく目を開ける。寝癖全開、頬には俺の袖のシワ跡が赤く刻まれてる。

「んん……? ここ……どこだっけ……?」

あくびをしながら。

「……あ、おはよー、新井くん」

「豪華なモーニングだな。目覚まし時計:ビンタ機能付き」

美雪は信号機並みに真っ赤な顔で飛び起き、スカートを必死で直しながらも顎は高く上げた。

「も、もう二度とあんなことするんじゃないわよ! それと……絶対に誰にも言うな! わかった!?」

鋭い指差し+命令形。

「落ち着けって。こっちだって宣伝する趣味はない」

両手を上げて降参ポーズ。

ふぅ、と息を吐いて起き上がる。

部屋中には徹夜明けの残り香がこもっていた。

床の缶をどかして通路を作っていると――茜がぴたりと立ち止まる。

猫がレーザーポインターを見つけたみたいに首をかしげ、壁を凝視した。

……そこにはテープで貼り付けた大量のイラスト。

色鮮やかなアニメのヒロイン、布面積にバラつきあり。

その中に一枚、特に好きなファンアート――嘲笑しつつ、同時に必要としてるみたいな眼差し。

端に小さく入ったサイン。

【アカネ工14】

茜が一歩、近づく。

吐息で前髪が揺れ、瞳が一瞬きらめいた。

「……へぇ。アカネ工14さんの絵、好きなんだ?」

何気ない調子で。

『バレちまったな。俺の趣味、公開終了』

「……ふーん。布の少ないヒロインこそ、この世界で唯一の正直者……篠原先輩も、好きなんでしょ?」

「えっ? ま、まぁ……ちょっと……いや、たまに見る程度? 目立つしさ」

取り繕う声とは裏腹に、彼女の口角はピクピク震えていた。

『……ここで変態返ししたら、自分の足撃ち抜くやつだな。』

美雪は腕を組み、まだ赤い顔のまま壁と俺を交互に見やる。

「なるほど。じゃあ放置くんは――変人、オタク、変態。三冠王ね」

「惜しいな。友達のセンスゼロも追加で」

皮肉を込めてうなずく。

「……履歴書の特技欄に書いとくわ」

その瞬間――

――ピンポーン。

チャイムの音が部屋の空気を切り裂いた。

三人とも石像みたいにフリーズ。

「……もし今、誰か入ってきたら」

思わずつぶやく。

『俺、ラブコメ主人公から一瞬でわいせつ容疑にクラスチェンジだろ』

美雪が鬼の形相でにらんだ。

「……行きなさい。ドア開けて。私たちは隠れるから」

観念して玄関に向かう俺。

――ギィ、とドアを開けた。

ドアを開けると、息を切らした配達員。脇に小さな箱を抱えていた。

「新井匠さんにお届け物です」

「……朝から仕事が早いな」

受け取りながら、思わず皮肉。

『よりによって朝七時に来る? これもう俺いじり便だろ。』

サインして一階で別の荷物を受け取り、戻ってくる。

胸に抱えた箱は軽くて四角、プリントされた写真は……数週間前に注文したアニメのフィギュア。

肘でドアを押し開けた瞬間――

「――出て行きなさい!」

浴室から飛んできた怒声。軍隊レベルの指揮口調。

「身支度が終わるまで入室禁止! 以上!」

バタン。ドアが閉まった。

……俺、自分のアパートの廊下でパジャマ+寝癖+フィギュア抱え。

『結論:家賃払ってるのに、扱いは完全に不法侵入者。』

『屈辱レベルMAX、アンロック完了。』

シャワー音。すき間から蒸気。甘ったるい石けんの香り。

中から聞こえるのは――笑い声とわざとらしい咳払い。

「……見んなって。いや、そもそも見えるもんないだろ」

『頭いい先輩たちのくせに、時々アホ行動するのなんでだよ……』

待ち時間に箱を開けてみる。

フィギュアはビニール越しにきらきら輝き、値段相応の笑顔でこちらを見ていた。

……金と孤独の結晶だな。即座に蓋を閉じる。

やがて浴室から出てきたのは茜。髪はしっとり濡れ、俺のタンスから奪ったTシャツ姿。タオルを首に掛けて。

「ありがとね、新井くん。君ん家、カプセルホテルみたい……カプセル抜きで」

「……尊厳抜きも追加でな。それより――そのTシャツで外出するつもり?」

「え、別にいいでしょ? 似合ってる?」

「いや俺のだし。これ以上噂増やす気?」

「だいじょーぶ。オーバーサイズならバレないって」

『あっけらかん過ぎ。どうしてこれが普通扱いなんだ。』

続いて美雪登場。髪を慌ただしくまとめ、おまけに奇跡的にアイロンがかかったブラウス。視線は完全に監査官モード。

「……聞くな」

「はいはい。女の子がバスルームで何してたかなんて、聞く勇気ねーよ」

「それと。もう一度言うわ――今日のことは絶対に大学で口外禁止。わかった?」

「はいはい。こっちはすでにカルマの借金で首回らないんで」

足元の空き缶と包装紙を蹴散らしながら靴を履き、最低限の荷物を持って外へ。

午前の街は、まるで磨き上げられたガラスみたいな光。

短い影、鈍いアスファルトの反射、新聞スタンドの紙を揺らす風。

街は洗い立て――俺たちは絞りカス。

俺は重すぎるリュックを背負い、敗者の証を抱えたまま歩く。

片側にはタブレットをぶらぶらさせる茜。

反対には背筋を伸ばし、澄ました顔で歩く美雪。かすかに残る香水の余韻。

……三人並んで歩いてるはずなのに、なんで俺だけ公開処刑中の囚人みたいなんだ。

「――なるほど、それが『大事な配達』ってわけね?」

茜が、さっき受け取ったアニメフィギュアをちらっと指差してきた。

「優先順位だ。人類はPVCの小さな幸せで支えられてるんだよ」

「大学に持ってくるなよ」

美雪が即カットイン。

「それと。さっきの件――全部黙秘。『私たちが放置くんの部屋で寝落ちした』も、『勝手にシャワー使った』も、ぜーんぶなかったこと。いいわね?」

「了解。録音モードON」

『見出し想像済み:【新井匠、先輩二人と朝までお泊まり♡】……はい、完全に人生終了。』

茜がわざとらしく笑い、肘で小突いてくる。

「いいじゃんいいじゃん。実験材料にぴったり」

『はい出た、実験ワード……俺の破滅って便利なリサイクル素材なんだな』

通学路にはパン屋の甘い匂い、サラリーマンのタバコ煙、コインランドリーの柔軟剤。

その上をチャリのチェーン音と電車の低い唸りが背景BGMみたいにかぶさる。

正門へ続く大通りに入った。

……遅い。いや、遅刻確定。

ベンチ組の学生たちがスマホ見たり、だべっていたり。

そこに三人並んで現れる俺たち。顔は寝不足ですステッカー付き。

視線がすぐ刺さる。

「見て、あれ……完全に二日酔いじゃね?」

「うん、酒残ってる顔だな」

『はい追加の噂ゲット。説明不可。スルー一択。』

俺は死んだ魚の目で前を見続け、ただ歩く。

茜は手をひらひら、誰にでも挨拶してる観光大使。

美雪は時計だけ見て、一直線。

「じゃ、放課後に」

言い捨てる美雪。

「遅れるなよ、放置くん」

「……運命さんが邪魔してきたら無理っすけど」

茜がニヤリ。

「じゃ、もし誘拐されたら位置情報送ってね。人気者くん」

「どうせ助けに来ても、手柄は先輩が持ってくだろ」

正門で三方向に分かれる。

『はいリピート開始。噂、視線、ヒソヒソ……慣れてきたわ。いや、慣れたくないけど。でも一番怖いのは今の噂じゃなく――これから来る何か。昨日から続くこの首筋のざわつき……今日のテストはデザインじゃなくて、もっとヤバいやつだな。』

教室へ入る。背は自然と丸まり、心は完全降伏。

『世界最悪のアラーム音? いや違う。聞こえないところで鳴る――カメラのシャッター音だ。』

***

教室の時計はすでにカフェイン効果が切れかけた時間を指していた。

……いや、正確には全員に効いてるのに、俺だけ無効って感じ。

椅子に沈み込みながら、なんとか人間っぽいポーズを装う。

教室のざわめきは洗濯機のホワイトノイズ扱いでスルー。

半身をこちらに向けたのは――陽翔。

あの『面白そうなこと知ってるぞ』スマイル。

「で、どうだった?」声を潜める。

「カラオケ……実験の成果は?」

「デュエットでスタート。アルコールで集中治療室寸前。最後は音楽への冒涜レベルのダンスでフィニッシュ」

「……まあ、一言で言うならレア体験」

『 尊厳ってやつにも限界値あるんだな。伸びるけど、最後はビキッて切れる。』

「ははっ、やっぱりな」

陽翔は身を乗り出して、舞台役者みたいに大げさ。

「でも正直、羨ましいよ。せめてドラマのクライマックスみたいに熱唱したって言ってくれ」

「……電子レンジの説明書を朗読するテンションだった。効率重視、感情ゼロ」

「おー、詩人かよ」

目がキラキラしてる。

「で……実験台の相方たちは? 篠原先輩と藤宮先輩」

『順調って言葉は甘すぎる。あれはイベントに圧死寸前、ってやつ。』

「ま、なんとか生き延びたけどな」

陽翔は吹き出す。

――チャイム。いや、大学でチャイムなんて洒落たものはない。ただの時計、通知音、もしくは空腹。

廊下へ。安っぽい消毒液の匂い、靴音がリノリウムを叩く。

会話は頭上を流れていくバックグラウンドミュージック。

階段の手前で――首筋をチクリと刺す視線。昨日から続いてる、あの監視されてる感覚。

……いた。

柱にもたれていたのは、肩までのラベンダー色の髪を揺らす女の子。

少し乱れた前髪。首から下げたカメラ。

薄いブラウスに軽いジャケット、楽に動けるスカートとスニーカー。

『……服装からして、記事のためなら平気で追うタイプだな。』

細い眉、そして目はフルHDの好奇心モード。

彼女は迷いなく笑みを浮かべ、まっすぐ俺たちを塞いだ。

「こんにちは。匠でしょ? ちょっといい?」

名前を――いきなり、しかも下の名前呼び捨て。

『……はい直撃。ノーガードの腹にストレート。』

笑顔はすでに記事に落とし込んだライター顔。

隣の陽翔は両手を上げて降参ポーズ。

「おーい、また女の子追加か? お前のハーレム計画、順調だな」

ウインクして続ける。

「じゃ、俺は先に学食行く。来なかったらコロッケ取っとく。来たら目の前で食ってやる」

「……友情の定義って何だっけ」

俺はため息混じりにうなずいた。

陽翔は人混みに消え――残ったのは俺とカメラ女子。

そのオーラは完全に『宿題終わったから、今度はお前の答案添削するわよ』モード。

「君は……」

首から下げた小さなカメラを指さす。

「新聞部だろ」

「如月すみれ。三年。新聞学科――記者」

軽く頭を下げ、自己紹介。

『……え、三年? 見た目は高校生……いや、中学生混ざってても驚かない身長。』

「新井匠。まあ……もう俺の名前は知ってるだろ」

昨日の新聞を思い出しながら。

「ふふ。まあね」

すみれは周囲に視線を走らせる。廊下、人の往来、扉の開閉。

「ここだと人目が多い。場所を変えない? 安心して、まだ悪い話じゃないから」

「……俺、腹減ってんだよな。朝飯抜きで」

胃の奥から素直なぼやき。

「ふふふ……じゃあ、これ見たら食欲も消えるかもね」

カメラをくるりと回し、画面を点灯。

俺の胸元まで寄せて、周りには見せないように。

そこに映っていたのは

――昨夜の俺たち。

アパートに入る瞬間。

真ん中の俺、左に茜が腕を組み、右に美雪が肩を寄せて。

街灯に切り取られた三人組。完全に恋愛スキャンダルの表紙。

『……なるほど。昨日のフラッシュは心霊現象じゃなかった。俺、普通に尾行されてた。』

驚きで跳ねるでもなく。ただ、胃袋が一階下に落ちた感覚。

「……屋上。クラブ棟の上だ。あそこなら観客ゼロ」

「了解」

すみれはカメラを首にかけ直し、勝利の笑み。

「行こうか、匠」

また呼び捨て。まるで何年も付き合いあるかのような距離感。

……妙に心地悪くないのが、逆に怖い。

屋上は昼の光に温められた鉄の匂い、薄い埃、乾いた風。

大学は下に広がる盤上ゲーム。

駒みたいに動く学生たち。木陰と日向を分けるキャンパス。

風が髪を持ち上げ、すみれは耳にかかったラベンダー色の前髪を押さえた。

手すりに肘を置き、記者の声色で切り出す。

「正式に挨拶するわね。如月すみれ。三年、新聞部の記者。担当は――可能性あるネタ」

指でカメラをトンと叩く。

「そして君は――篠原茜と藤宮美雪、その二人に挟まれた被験者。記事にする前に、本人の声を聞いておきたくて」

「……聞く必要ある? もう噂も写真も、クリック欲しがってる部員もいるんだろ。――いや、読者だったな」

「ふふっ、皮肉だけど……嫌いじゃないわ」

腕を組んだすみれが、軽く首をかしげる。

「じゃ、シンプルに聞くわ――二人との関係は?」

「……友達、みたいなもんだ」

「みたいな?」

瞬きひとつ。

「友達ってさ、そんなにベタベタして……同じ部屋で一晩過ごすもの?」

『おいおい、浮気ドラマみたいに言うな。』

「何もなかった。ただ飲み潰れて、石のように寝ただけだ」

「……石のようにと……のようにじゃ、見出しは全然違うけどね」

言葉を途中で切って、記者スマイル。

『はい出ました、言わずに匂わせる技術。ジャーナリズム初級講座。』

「わかってる。けど、もし記事にするなら……せめて安っぽい小説じゃなく、信じられる設定にしてくれ」

「ふーん」

すみれは細めた目で俺を見る。

「なら、こう書くわ。『三角関係、決定的瞬間。』」

カメラを操作し、画面に映し出されたのは――カラオケの個室。

美雪が俺の肩に頭を預けている一枚。

「……これでもただの友達?」

青空がやけにまぶしい。CMみたいな、やけに誠実ぶった青。

俺は首をかきながら観念した。

「……わかったよ。どうせトイレまでストーカーされる前に説明する。三角関係じゃない――実験だ。小説用のな」

「実験?」

「藤宮先輩が執筆中。篠原先輩が混ぜてくる。シーンや感情や雰囲気を試して、リアリティを出す……俺はその被験者。要するに、ラブコメ研究のモルモットだ」

数秒、すみれは無表情。

そのあと、短く笑う。

「……ラブコメ主人公が言いそうな言い訳だね」

「信じろよ。もし嘘つくなら、もっとマシなネタ選ぶって」

俺も視線を返す。

「残念だけど、浮気も裏切りもパーティもない。ただのラボラット」

風でラベンダー色の前髪が揺れ、彼女は下唇を噛んだ。

「……なるほど。じゃ、こうしよう」

声色がビジネスモードに切り替わる。

「記者として真実は大事。でも――素材も大事」

カメラをポンと叩く。

「だから私が確かめる。授業は邪魔しない。でも、放課後や空き時間は――君を追う」

『……はい出ました。俺専属ストーカー誕生。』

「もし拒否したら?」

「その時は持ってる写真と噂、ぜんぶ出す。記事にして。もちろん私の解釈付きで」

淡々とした声。逆に怖い。

手すりにもたれながら、俺はため息。

遠くの自転車のブレーキ音。カモメが『お前詰んだな』って鳴いてる。

「……続けろ」

「もし実験がカバーに過ぎなかったら――記事にする。写真付き、日付付き、証拠付き。でも、もし本当に実験で、しかも出来上がった物語が納得できるものだったら――」

一拍おいて、にやりと笑う。

「記事にしてやる。トップ記事。写真入り。藤宮さんと篠原さんのインタビューつき。私の署名と、歪曲しないって保証を添えて」

『……俺の人生、リアリティ番組で十分カオスだと思ってたけど。今度はシーズン分けと予算と予告編が必要らしい。』

「……で、期間は? まさか卒業まで監視ってわけじゃないよな」

「いい質問ね。じゃあ、いつまでに小説が完成する予定?」

「……藤宮先輩の執筆目標は――十一月二日。『神田古本まつり』の短編コンテスト」

「なるほど」

すみれは即答した。

「じゃ、期限はそこ。神田古本まつり――それが最終章」

唇を湿らせ、にやり。

「取引成立?」

脳裏に浮かんだのは、美雪がカンマ一つで爆発物を扱うみたいに原稿を直す姿。

茜が『セリフ使える~』と毎回メモしてる顔。

そして――すみれの拡散力。

『……もし本当に記事になったら、噂以上のスピーカーになるな。』

「……仕方ない。乗った」

俺は手を差し出した。

「ただし条件一つ。わざとネタ作るの禁止。俺ら、十分自滅するから」

「それなら安心。素材は勝手に転がってくるでしょ?」

握手は予想以上に強く、冷静。

「……はい、見事に図星」

すみれは半歩下がり、プロの距離感に戻る。

「じゃ、今日の五時。新聞部の部室に来て。篠原さんと藤宮さんにも話を聞くから」

「……は? なんで二人まで契約に巻き込むんだよ」

「当たり前でしょ。もし彼女たちに取材拒否権でもあるなら別だけど」

わざとらしい皮肉。

「友達だって言ったよな?」

「もちろん」

カメラをトントンと叩きながら、わざとらしい笑み。

「でも私から見たら、君にはすでに二つ目の人生があるの」

『……はいきました。被害者Aから、二重生活系主人公にクラスチェンジ。』

すみれは背を向け、ドアに向かう。

午後の太陽がラベンダー色の髪を照らし、警告灯みたいに光る。

カメラを首にかけ直し、立ち止まる。

「それと――匠」

一瞬だけ振り返る。

「私に優しくしてね。じゃないと、記事にあだ名つけちゃうから」

『……どこでそんな脅迫スキル覚えたんだ、この人。』

「……放置くんはすでに登録済みだからな。それ以外ならご自由に」

「ふふふ……了解。じゃ、また後でね――実験の主人公くん」

『……昇格した。モルモットから主人公へ。これが出世ってやつ?』

すみれが去ったあと、残ったのは風と――俺の腹の悲鳴。

『エラー404:朝食未検出』。

下を見れば、キャンパスは何事もなかったように回っている。

噂も、取引も、全部無視して。

『……はい。今日の五時、新聞部の裁判タイム確定。ハッピーエンドでも、バッドエンドでも――どっちにしても見出しにはなるんだろうな。』

溜息をつきながらドアノブに手をかける。

「……さて。美雪と茜に報告しないとな。俺たちの魂、学生割引で三年記者に売っちまいました、って」

***

16時50分。新聞部の部室前。

俺からのメッセージは――

『殺さないでくれ。中で説明するから。』

クラブ棟の廊下は、ぬるいコーヒーとホワイトボードマーカーと湿った紙の匂い。

奥では古い扇風機が締め切り間際のような音を立てて回っていた。

そこへ同時に現れたのは――茜と美雪。

美雪の目は、すでに有罪判決読み上げ中の裁判官。

「……話したのね? 放置くん」

唇を固く結び、詰問調。

「落ち着いてください、裁判長」

俺は両手を上げて降参ポーズ。

『今日学んだことは一つ。口は閉じる、首はつながったまま――以上。』

「はいはい」

茜が俺の肩をタブレットで軽く小突く。休戦協定みたいなワンアクション。

「ここで騒いでもしょうがないし。新井くんが説明するって言ってたでしょ」

「そう。……中で」

俺は死刑囚の声色で繰り返す。

そのタイミングで、ガチャリとドアノブが回った。

のぞいたのはラベンダー色の前髪と、きらっと光る片目。

「どうぞ。法廷は開廷しまーす」

すみれはにやり。

「エアコン効いてる中で話そうよ」

部室は独特の生態系。

輪染みだらけの長机、矢印と日付で埋まったホワイトボード、切り抜き記事だらけの掲示板。

隅には三脚と、安そうなコーヒーメーカー、だらりと横たわるリングライト。

壁のカレンダーは締め切りと色分けだらけで、時計は16:51を示していた。

窓際に立っていたのは――

「橘麗華。四年。新聞部部長です」

真っ直ぐな黒髪を腰まで下ろし、真っ白なブラウスに紺のスカート、きちんとボタンを留めたカーディガン。

香りは薄い緑茶。視線だけで誤字を直されそうな迫力。

本棚の横にいたのは、短い蜂蜜色の髪に安っぽいヘアピンをつけた一年生。

薄いカーディガンに白いスニーカー、胸にウサギのチャーム。

少しおどおどしながら名乗った。

「こ、古賀日和です。アーカイブとSNS担当……一年です。あの……新井先輩?」

「……同い年だろ。老けた気分になるから先輩はやめてくれ」

「は、はいっ……じゃ、新井くん?」

『……結局、全員好き勝手に呼ぶんだよな俺の名前。』

すみれはドアを閉め、カメラを首から下げ、部屋の真ん中へ。

その姿勢は『台本は私が持ってるけど、あえて君にしゃべらせてあげる』モード。

「じゃ、匠。君が説明する? それとも私が?」

また呼び捨て。

「俺が言う」

喉を鳴らし、儀式みたいに一度飲み込む。

「……ただし最後まで聞いてから殺してくれ」

美雪は腕を組み、完全にツンデレモード。

「始めなさい」

「昨日、カラオケのあと俺のアパートに行った。で、床でバタンキュー。

――誰もキスしてない。誰も何もしてない。

今日、如月先輩が証拠写真を見せてきて……取引を持ちかけられた」

「訂正。取引じゃなく持ちつ持たれつの提案ね」

すみれが口をはさみ、にやり。

「それと、もうすみれでいいよ。そのくらいの距離感はあるでしょ」

『ない。勝手に縮めるな。誤解しか生まない。』

「……提案、だな」

俺は観念して吐き出した。

「授業外で俺を追う。全部記録する。もし実験がただの三角関係の隠れ蓑だと判断したら――写真付きで公開。逆に本当に小説のための実験で、結果が納得できるなら……新聞の一面、取材つき、拡散保証。歪曲ナシ」

最後に大きく息を吐いた。

茜が片眉を上げ、楽しそうに。

「ふふ、タダで宣伝してくれるってことね――悪くないじゃん」

「要らないわよ、そんなパパラッチ」

美雪が冷ややかに刺す。

「盗撮して深夜番組みたいに扱う人間なんて、歓迎できるわけない」

「私は素材を持ってきただけ」

すみれは一歩も引かず、まばたきもせず美雪を見返す。

「境界線もはっきりさせる。授業、風呂、更衣室、寝室――許可なしでは踏み込まない。オンレコとオフレコは、きっちり分ける」

その時、麗華が前に出た。

空気が一気に締まる。

「まず、来てくれてありがとう」

声は静かだが重い。

「ここはルールで動く。続けるなら承諾書を書いてもらう。撮影範囲、時間帯、肖像権――ストーカーはダメ、晒しもダメ、切り取りもダメ。私たちは部であって、群れではない」

『……ストーカー禁止って言ってたけどな。現実は――俺の家まで尾行されて、無断で写真まで撮られてんだが?』

「……なぜ新聞部がこんな取引を受けるんですか」

俺はつい口に出した。

「部長ほど真面目そうなら、科学や文化の記事を優先するんじゃ?」

麗華は数秒黙り、窓に一瞬だけ視線を逃がす。

……俺にはわかった。その一瞬、心の奥に何かBLっぽい光がちらついたのを。

『今のは俺の被害妄想だ、たぶん。』

再びこちらを見て、冷静に。

「科学も文化も出す。でも誰も読まない。まず必要なのは読者。噂は目を引き、目は読者を連れてくる。読者が増えれば予算が出る――それで本当に大事な記事が書けるの」

『……なるほど。俺、燃料か。安ガソリン大学生。』

その時、日和が小さく手を上げ――すぐ引っ込めた。

それでも小声で。

「あ、あの……本当に、それって……実験なんですか?」

「もちろん」

美雪が鼻先を赤くして、でも言葉は真剣。

「小説のため。調査、技術のため……それ以上じゃない」

一瞬だけつまったが、すぐに顎を上げ直す。

「へぇ……そう言うんだ」

茜は目だけで笑った。

「まあ、契約書ナシの恋愛なんて、信用ゼロだからね」

すみれは手を叩いてまとめに入る。

「じゃ、決まり。期限は十一月二日――『神田古本まつり』。もし本当に実験で、それが形になるなら、史上最高の舞台裏記事にしてあげる。ただの三角関係だったら……証拠込みで出す」

「わかってる」

俺は肩をすくめた。

「花が咲けば展示。枯れれば廃棄。俺らは鉢植えってわけだ」

「例えは雑だけど、正解」

麗華がうなずく。

「異議はある?」

「……二つ」

美雪が腕を組み、指を二本。

「ひとつ。執筆のために必要なシーンには絶対干渉しないこと。撮るなら遠くから、静かに。ふたつ。私の原稿、タブレット、メモ……一切公開禁止。漏洩は認めない」

「承認」すみれが即答。

「じゃ、私からも一つ」

茜は首をかきながら、にやり。

「新井くんの変な寝起き顔を撮るなら、事前に言ってよね。せめて前髪整えてからにして」

『おい! 誤解されるようなこと言うなよ!』

「ふむ……了解」

すみれは笑いを噛み殺し、皮肉めいた目でメモを取る仕草。

麗華が両手を軽く合わせ、儀式のように。

「では、新聞部として如月さんの取材を認めます。今日決めた範囲内で。そして――神田古本まつりの時には、煙ではなく記事を。誰もが納得するものを……それが条件です」

「……了解」

俺は、自分の魂に見えないハンコが押される感覚。

「……了解」

美雪は嫌々でも、儀式的に。

「了解~」

茜はデザートを選ぶみたいに軽い声。

「わ、私も……はいっ」

日和はおずおずと笑顔。

「よろしい」

麗華は一礼。

「もしこれがサーカスになるなら――満員御礼のサーカスに。駄作ではなく」

『訳:どうせ騒ぎなら、売れる騒ぎにしろってことか』

解散。すみれはドアを開け、司会者のように。

「ありがとね……あ、匠」

立ち止まり、片目をつむる。

「お行儀よく。じゃないと二十四時間密着コースにしちゃうよ?」

『……もう隠そうともしないのな。』

「変なあだ名さえ使わなければ平気でしょ?」

「放置くんはすでに登録済みだ」

「ふふ。じゃ、別のタイトル考えとく」

カメラを揺らして去っていく。

外は夕暮れ。

キャンパスの音は、パン屋が店じまいする時みたい。

車の走行音、きしむ自転車、大声で笑う誰か。

涼しい風に混じって、秋の葉がひらひら舞う。

美雪は前だけを見て歩く。

「……あなたのせいで、今日は実験なし」

判決を読み上げるみたいに。

「すまんね。俺のライフライン維持が邪魔したらしい」

皮肉は低速ギア。

「次は静かに死ぬから」

「やれやれ……」

茜が両手を叩き、空気をほぐす。

「でも気づいてる? もう生活そのものが実験よ。噂の流通、カラオケ後の救出劇、同居ごっこ、記者との交渉――三章分のネタ確保済み」

美雪は数歩だけ立ち止まり、顔をしかめ――そして、降参のため息。

「……検討するわ。役に立つなら」

「ありがたや」

俺は即ツッコミ。

茜は肘で小突いてきた。

「生き延びてね、新井くん。それと、フィギュアは家賃払ってからにしなさい」

「……人類はPVCの小さな幸せで生きてるんだよ」

俺は呪文のように繰り返す。

『……そういや、バイト探さないと。このペースじゃ、近いうちに破産確定だな。』

校門の前で三方向へ散る。

美雪は振り返らずに歩き去り、後ろ姿のまとめ髪は少し崩れていた。

茜は鼻歌交じりに足を弾ませ、別の道へ。

俺は空を見上げ、肩のリュックを直す。

『……決定だ。俺はモルモットであり、主人公であり、新聞コラムのネタ。ハッピーエンドでもバッドエンドでも、見出しになるのは避けられない。

――どっちにしろ痛い目見るのは俺なんだけどな。』

明日から始まる監視生活。

俺はまだ、噂の海で呼吸する方法を学び始めたばかりだった。


次回・『バイト探しは地獄の入り口。』

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