香夏子の日常
「おはよー」
香夏子さんが2階から降りてきた。あくびをしていて眠そうだ。
「あ、番組の人来てたんだー」
「起きてくるのが遅いわよ! 香夏子、早く朝ごはんを食べなさい」
「はーい」
「すみませんね……いつもこんな感じで」
直海さんは先ほどとは違い、落ち着いている。娘の前だからだろうか――
俺は邪魔になりそうだったので外に出ることにした。直海さんの思いを知って、俺は少し複雑な気持ちになった。今からやろうとしていることは直海さんの意見と反することだ。親からしてみれば心配に違いない。普通の19歳にふさわしい生活をしてほしいと願っているはずだ。
そうこうしているうちに、香夏子さんが玄関から出ていくのが見えた。俺はカメラマンと一緒に車を出た。
「香夏子さーん、どこに向かわれるんですか?」
香夏子さんはなぜか不機嫌そうな顔をしている。それにさっきとは違い。化粧もして、服装もおしゃれな赤色のワンピースを着ていた。
「なんで私の名前知ってるんですか? もしかしてお母さんから聞いた?」
「はい、すいません。勝手に……」
「いいけどさー、はぁ……今から買い物に行くんだよ。ついてきますー?」
「はい、是非」
「じゃあ私は自転車で行くので、あなたたちは車で来てください」
「どこへ行くんですか?」
「近くの商店街です」
香夏子さんは自転車にまたがりながら、そう行った。
「じゃあ、また後でー」
近くの商店街か――俺はスマホで調べてみた。
向日葵商店街――大きめな商店街だが、マップに載っている写真を見ると、酷く寂れているように見える。
とりあえず、俺は車を走らせた。道中、香夏子を見かけることは無かった。本当に合っているのだろうか――
着くと、写真の通り寂れていた。やっているお店があるのか――見てみると、確かに寂れてはいるが、少しは店が入っているようだ。でも、若者が買い物に行くような場所だろうか――
「流石にまだ来てませんねぇ」
カメラマンの村上さんが話しかけてきた。
「そうですね。撮影の段取りを決めておきましょうか」
「もうとっくの昔に来てますよー」
後ろから急に声をかけられた。振り返ると香夏子さんがいた。
「早いですね。ここまで自転車で30分はかかると思うのですが……」
「裏道を知ってるんですよ。それにしても車で負けるなんて情けないですねー」
香夏子さんはよくそうやってマウントをとることがあるが、不思議とイライラはしなかった。
「とりあえず、カメラ回しますね」
村上さんがカメラの電源をつけ、あたふたと準備をしている。
「ここで何を買うんですか?」
俺は香夏子さんの後を追いながら聞いた。
「特に決めてないよ」
「あぁ、そうですか……」
買い物というよりは気分転換をしに来たのだろうか?
「ここにはよく来られるんですか?」
香夏子さんは前を向いたまま答える。
「まあね……」
香夏子さんは質問してもあまり答えてくれない。まだ信用してもらえてないのだろうか――
「あー、おばちゃん。こんにちはー!」
香夏子さんの視線の先を見ると、乾物や漬物を売っているおばあさんがいた。
「あら、香夏子ちゃん!また来たのね……ん? そこの男はもしかして……」
「彼氏じゃないから。なんか私を取材してくれてるの」
「取材? 香夏子ちゃん、有名人になっちゃったの?」
「うん、そうだよー。おばちゃん、これちょーだい!」
「これね。」
香夏子さんはアジの干物とぬか漬けを買っていった。
「そこの人」
おばあさんが俺を呼んだ。
「香夏子のこと、よろしくねぇ……」
おばあさんはまだ、俺を彼氏とでも思っているのだろうか?
「まあ……はい。わかりました。では……」
俺たちは再び歩き出した。
「ここに何か思い入れがあるんですか?」
「小さい頃からよく来てたんだよ……家族みんなで」
そういえば、直海さん以外の家族を見たことがない。
「他のご家族は……」
俺が言い終わる前に、香夏子さんは答えた。
「私の両親は離婚しててね……お父さんがお兄ちゃんを連れて行っちゃったの……お兄ちゃんはお父さんっ子で私はお母さんっ子だったから。今は少し後悔してるけど」
香夏子さんは下を向いて話していた。少し話づらそうに――でも、話したそうな気もした。
「後悔って何ですか?」
「お母さんについてきちゃったことだよ……」
「どうしてそう思うんですか? 香夏子のお母さんはきっと……香夏子を心配してるだけだと思うんですけど……」
俺は恐る恐る聞いた。
「だからだよ……あの人は過保護すぎる……離婚した後、すぐに私を塾に入れたの。そして勉強しろ、勉強しろってうるさくって。多分、お父さんとお兄ちゃんがいなくなって不安になったんじゃないかな……自分たちの将来が……」
母1人で子供を育てることがどれだけ大変か――俺には少し分かる。
「香夏子さんの気持ちも、直海さんの気持ちもどっちもわかります」
「でも、私の方に付くんだよね?」
「まあ、そういうことにはなってしまいますが……きっと、香夏子さんが上手くいけば、直海さんも納得してくれますよ」
「そうは思わないけどね。」
思っていた通り、親子仲はあまり良くないようだ。
「どうして、直海さんの方針に従わなかったのですか?」
香夏子さんはムスッとした。
「その直海さんって言うの止めてくれない? 」
「あぁ、すみません……」
「はぁ……私は……普通に生きるのが嫌なの。私は人の気持ちが理解できないの。だから、訳も分からず嫌われることがいっぱいでさ……ずっと生きづらさを感じてたの。私みたいな人間は普通に生きたって意味ないでしょ……だから、配信なら私にもできるかもって思った。私の事わかってくれる人がいるかもって」
香夏子さんは苦笑いのような表情をした。
「なるほど……俺も同じような考えですよ。今更、普通に生きても意味ないなってそう思ったんです」
香夏子さんはニコッと笑った。
「そうだよね!絶対あなたも訳ありと思ってたよー。多分私よりも若いし、顔が死んでるもん」
「あはは、そうですか……」
俺の顔はそんなに死んでいるのか――少しショックだった。
「そういえば、名前。何だっけ?」
「花田奏です」
「かなで? 珍しいね。その名前……でもあなたには綺麗すぎる名前だね」
「はあ」
少しは心を開いてくれているのだろうか?
「ていうか、ずっとカメラまわしてるけど、こんな映像使えるの?」
「はい、こういった映像が欲しいんですよ」
「ふーん、そうなんだ。まあ、私にできることがあるなら協力してあげるよ」
「そうしてもらえると助かります」
香夏子さんは本当に人の気持ちが理解できないのだろうか? 俺はそうは思わない。むしろ誰よりも人間らしくて、自分の個性を大切にしている。だからこそ、周りと合わせる人たちとは考えが合わないだけ、そんな気がする。
「ここ、一番好きなんだよねー」
香夏子さんが入ったのはおもちゃ屋さんだった。それも昔のおもちゃが沢山ある。
「こういうのって見るだけで癒されるよね。昔の日本を知れるっていうかさ……今は派手なものがありふれてるからさ」
やはり、香夏子さんは他の人とは感性が違う――ような気がする。
「おじさん、これください!」
香夏子さんが手に取ったのは、だるま落としだ。その後、店を出ると、香夏子さんはご機嫌だった。
「どうしてだるま落としなんですか? 他にも面白いおもちゃは沢山あったと思うんですけど……」
「この子に失礼だよ!可愛いじゃん。これ配信部屋の後ろに置いとこ。皆気づいてくれるかな?」
香夏子さんは終始ニコニコしている。そろそろ、商店街の長い通路も終わりそうだ――
「最後に聞いてもいいですか?」
「なに?」
「こう言うと失礼かもしれませんが……どうしてそんなに前向きなんですか? 大学も辞めて、配信はまだ上手くいっているとは言えないのに……」
香夏子さんは自信気な顔をした。
「なんだろうなー、確かに不安はあるんだけどさ……それよりもやってやるって気持ちが強いかな。なぜかわからないけど、私は成功する。そんな気がするの……」
香夏子さんの顔は夕日に照らされて、明るく、どこか神秘的にも見えた――




